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プロフィール
コメント数 731
性別
自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


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161.  しあわせのかおり 《ネタバレ》 映画の冒頭、ガスコンロに火がつく「ボッ」という音にはじまって、食材を炒める、揚げる、煮る、蒸すといった音が、調理する光景とともにーーいや、それ以上に音こそが強調されてぼくたち観客をとらえる。そしてその中華鍋をおたまで攪拌する音、中華包丁で刻む音の、何というリズミカルな響き・・・。そんな音たちの連なりの果てに、眼にも鮮やかで艶やかな料理が画面いっぱいに映し出されるのだ。 そう、料理を創ること・食べることが半分近くを占めているこの映画は、そういった「料理」を“音”によって表象する。いかに見事な音を奏でるか、それが料理それ自体の映像に、官能的なまでの〈美味しさ〉を与えることになるというわけなのである。・・・結局のところ映像は、料理の味も匂いも伝えることができない。けれどその官能性を、一種の「音楽」として聴かせることは可能だろう。音が創り出され、そのリズムやハーモニーが結果として料理を、その〈美味しさ〉を産み出す。本作が単なる「グルメ映画」と一線を画すのは、これがむしろ“音と音の響きあう”映画、まさしく「音楽映画」であるからにちがいない。 たとえば、藤竜也が演じる料理人の王さんは、その「音楽」を見事に奏でることで「名人」であることを体現し、我々を納得させるのだし、中谷美紀による主人公は、はじめはたどたどしかった“音”が徐々に「音楽」となっていくことで、料理人としての成長を実感させる。・・・クライマックスとなる食事会。それぞれ夫を亡くしたシングルマザーと妻と娘に先立たれた孤独な料理人であるふたりが、二人三脚で“ひとつの「音楽」”を創り出す料理場面は、中華鍋をふるう所作ひとつをとっても、これが一種の“ミュージカル映画”でもありうることをぼくたちにハッキリと見せつけてくれるだろう(その食事会の終わりに歌われる「ホーム・スウィートホーム」は、だからそういったふたりが奏でる「音楽」への“返歌”としてあったのだ)。 まるでホウ・シャオシエン監督の『戯夢人生』や『フラワーズ・オブ・シャンハイ』のような、沈黙と、ひとつの乾杯で締めくくられる長いワンカットのラストまで、この一見つつましい、およそオリジナリティを主張しないかのような「地味」な映画が、実は最近の日本映画のなかでも最も「滋味」豊かなものであること。そのことこそを、ぼくは高く、高く評価したいと思う。[試写会(邦画)] 10点(2008-10-16 12:04:21)(良:1票) 《改行有》

162.  六月の蛇 とにかく全編に降る雨に、セピアトーンの画面そのものが溶け出していきそうな映像の質感が素晴らしい! でもって、そんな世界に少しずつ同化していくかのような黒沢あすかのヒロインと、塚本晋也演じる男、神足裕司(絶品!)の3人が、これまた素晴らしい! …ハッキリいって2003年度の日本映画では、北野武以下を押さえてダントツのベストだとぼくは思ってます。とにかくこれって「3匹のかたつむり」が殻を脱ぎ捨てて「蛇(!)」になるまでの過程を描いた、実に意味深で、寓話的で、エロティックな作品であると。…ああ、何て美しいんだ。9点(2003-09-16 14:57:46)(良:1票)

163.  刑事ジョン・ブック/目撃者 傑作だとか、駄作だとか、そういうんじゃなくて、愛することができるか否か、こそが大切な作品じゃないでしょうか。そう、確かにアーミッシュというものの風俗的面白さを除けば、陳腐なストーリー展開でしかないのかもしれない。映画史に残る大傑作じゃ、お世辞にもないでしょう。けれど、何気ない人物の表情や、セリフ、ワンカットといった部分が、これほど心に残る映画もそうはないと思う。だからぼくは、この映画が大好きです。時々、いろんなことに疲れたら、いつもこの映画に帰ってきます。そして、心満たされるんです。 《追記》明け方間近の薄明のなか、ハリソン・フォードの主人公にヒロインのケリー・マクギリスが駆け寄り、抱擁し、キスをする。まさに情熱=受苦として“パッション”と、この愛が刹那と分かっている「大人」たちのどうしようもなさを同時に了解させるふたりの姿・・・。今でもぼくはあの場面を、アメリカ映画のなかで最も美しいラブシーンのひとつだと信じております。[映画館(字幕)] 8点(2003-05-22 12:58:33)(良:1票)

164.  マチネー/土曜の午後はキッスで始まる ジョー・ダンテらしいB級映画への偏愛とノスタルジア趣味が、もうこれ以上ないくらい美しく結実した奇蹟のような傑作。相変わらず、ガキッぽい体裁でありながら、実は『13デイズ』なんぞより、いっそう切実に「キューバ危機」を頂点とした冷戦時代のアメリカ市民のメンタリティを描ききっていて、鋭い社会派映画にもなっているし。それに、あの、ヘンテコな巨大アリ映画をわざわざ作っちまう邪気も、いつもなら悪ノリに陥りがちなのに、気持ち良く笑って楽しめる。はじめてダンテを「好き」になりました、ワタシ。9点(2003-06-05 18:44:34)(良:1票)

165.  ピーター・パン(2003) この手の映画にあれこれ理屈をコネるなど、野暮って言われそうなんで、代わりに「10点」満点を献上して、ぼくがこの映画から受けた感銘に応えたいと思います。何なら、「今年のベスト作品(のひとつ)」と言い切ってもいい。ビジュアル面では明らかにディズニーのアニメ作品に追従しているかもしれないけれど、この映画には、いかにもディズニー的な「アメリカン・」ヒーロー然としたピーターはいない。永遠に「子どものまま」でいるとは、「時のとまった者」のことであり、それは「死んだ者」のことだ。そして、ネバーランドとはまさしく「黄泉の国」にほかならない…という、深い、深い、深い悲哀の感情と感傷こそを、ぼくは本作から受けとめる。そう、12歳で死んだ子どもは、永遠に12歳のまま彼を知る者の心の中で“生き”続ける。それが、ピーター・パンだ。その透明な孤独を、純粋な哀しみを、それゆえの愛しさを、ぼくはこの映画とともに共有し、慈しみたいと思う。…ピーター・パンが「死んだ子ども」だって? そんなこと原作にだってどこにも書いていないじゃないか! とおっしゃるだろうか。あまりにも強引なこじつけだと。…ならば、こう言い直させていただこう。この、一見するとただ可愛らしいファンタジーには、少なくともそういった、見る者の感情を揺さぶり、内省へと導き、切ないまでの感動で打ちのめすエモーションが満ち満ちていると。美しい、本当に、心から美しい映画だ。(…理屈はコネないと言いながら、長々とスミマセン。) 10点(2004-05-06 17:38:55)(良:1票) 《改行有》

166.  愛の嵐 小生にとって世評が高いのに見ていない「幻の名作」だったのですが、数年前、リバイバル公開された時にようやく拝見できました。が…何や、これ? こんなママゴトみたいな代物の、どこが「デカダン」だの「頽廃美」だっていうんでしょう?? 映画の「え」の字も分かっちゃいないくせに、野心だけは人並み以上の女性「監督」が、この題材をちょっとムーディな映像で撮ったら、観客(と映画賞)なんかイチコロよ、とばかりにデッチ上げたのが、コレ。ナチの将校の宴会シーンにみなぎる、一種の精神的な汚らしさはどうだ。チンケな道行きに至る後半も、正直ムードだけでまったく意味不明じゃないか。ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングの起用が唯一の”救い”ではあるものの、それすら『地獄に堕ちた勇者ども』への冒涜だとすら思えてくる…。ちょっとこの評価は過酷すぎますか? でも、本当にこれほど失望させられた映画も小生にとては珍しいもんで。好きな皆様、ごめんなさい。やっぱり、「幻の名作」のままにしておけばよかった。トホホ…2点(2003-10-07 16:29:19)(良:1票)

167.  快盗ルビイ 確かこれ、『麻雀放浪記』に続く和田誠の監督2作目ですよね。劇場公開時には、やはり和田誠が監督した短編アニメがついていて、そちらの方が小生の周囲では好評だったという記憶も蘇ってきました。でも、個人的には和田誠の良い意味での「オレがいちばん好きなタイプの映画を撮るんだ!」という心意気がほど良く伝わってくる、好感度大の作品だったと思っています。何より、キョンキョンがウルトラ・キュート! 真田広之がめちゃくちゃイイ味! …この主演ふたりに絡む傍役の顔ぶれも豪華&適材適所で、キャスティングに関しては完璧なセンスを発揮している。これでもうちょっと予算をかけて撮れたなら、きっと、もっとしゃれて日本映画離れしたソフィスティケイテッド・コメディが誕生していたのになあ…惜しい。6点(2003-10-29 12:46:41)(良:1票)

168.  マーキュリー・ライジング そんな、皆さんが酷評するほどヒドイ映画とは思えないんだけどなあ…。まあ、確かによくありがちな内容かもしれないし、アレック・ボールドウィンの悪役は、あまりにも絵に描いたような馬鹿馬鹿しさだしね。ただ、『シックス・センス』の時にも思ったのだけど、ブルース・ウィリスは子どもと絡むととても良い味を出すなあってのが、まず好印象。それに、自閉症児を演じる少年が結構イイ線いっていて、ラストの感動を盛り上げてくれるし、様々な欠点を補ってあまりある見どころの多い作品だと小生は信じとります。ほんと、デリカシーとハートのある捨て難い映画っすよ。《追記》ビデオで再見。やはり好感度し。ラストで、自閉症の少年がそれまで必死に自分を守ってくれたブルース・ウィリスの主人公をぎこちなく抱擁する。その“ぎこちなさ”ゆえのデリカシーに、またもナミダする。よって従来の「7」より1点追加!8点(2003-06-05 17:44:15)(良:1票)

169.  タイトロープ それにしても、イーストウッドはどうしてこんな、精神的にダークかつアブノーマルな部分を持った「ヒーロー」像を、好んで演じたんだろう…。それは、ニューオリンズの淀んだ空気の中で変質的な殺人鬼に自己の内面を映し見てしまうこの主人公が、自分と重なるところがあったからだろうか。『白い肌の異常な夜』(何という放題!)や『恐怖のメロディ』、『ダーティハリー4』というイーストウッドの「陰湿路線」に連なる本作では、実の娘を出演させて、犯人にレイプ(!)させるという鬼畜ぶり。しかし、そこまでして自らの内なるダークサイドと向き合おうとするイーストウッドの作家的真摯さにぼくは深く感動させられました。9点(2003-11-01 17:19:58)(良:1票)

170.  島の女 最初の方のシーンで、海から上がったソフィア・ローレンがその豊満すぎる肉体にピッチリと服をまといつかせ、あまつさえ乳首が立っているままでご登場となられた時、幼少時の小生はドキドキと我を忘れたものでした。改めて見直すと、才人ジーン・ネグレスコ監督にしちゃストーリーの退屈さを救いきれなかった感じだけど、ローレン様はやはり圧倒的で、彼女の歌う主題歌も、オジサンとなった小生をあの性春…もとい、青春時代に連れ戻してくれました。エーゲ海がどんなに美しかろうと、ミロのヴィーナスがどんなに端正な美を誇ろうと、若き日のソフィア・ローレンの前じゃ霞む霞む! 《追記》↑へちょちょさん、そうだったんですか。あれ、口パクでローレンが歌ってんじゃなかったんすか…。ガッカリしたんでついでに点数も下げようかと思ったものの、あの爆裂バディがまたもまぶたにチラついて(笑)、やっぱりこのままにしときます。それに、「海底の宝探しもの」としちゃ、やっぱりそれなりに「スタンダード」ですものね。6点(2003-09-16 16:45:17)(笑:1票)

171.  危険なめぐり逢い 物憂げな眼差しのマリア・シュナイダーが、何と言っても最大の魅力。彼女が少年の誘拐事件に巻き込まれ、被害者の男の子と少しずつ心を通いあわせていくあたりの展開が泣かせます。はすっぱな”悪女”を演じたシドニー・ロームも、ヌードにまでなっての大熱演。犯人役のヴィク・モローの凶悪な雰囲気もいい味だし。ルネ・クレマンの演出がとかく耽美的かつ詩的なムードに流されがちなところは、好みの分かれるところでしょうけれど、間違いなくマリア・シュナイダー好きにはたまらない、彼女が最も魅力的な作品として忘れられません。7点(2003-11-10 17:37:39)(良:1票)

172.  明日への遺言 連日、厳しく罪状を追及してくるアメリカ人検事に、主人公はある朝、こんな風に声をかける。 「おはよう、検事殿」 あくまで何気なく、何のふくみもない平凡な朝の挨拶。それに対して検事は、思わずニッコリと微笑むのだ。 時間にして1秒にも満たないかのような、検事の微笑。そこから、全編が裁判所内というこの映画のなかの「空気」は、少しずつ“軽さ”をーーあるいは“すがすがしさ”へと変わっていく。それは、「裁く/裁かれる」という対立の構図ではなく、かつては(あるいはその時も)敵同士だった者たちのあいだに、連帯が、むしろ〈友愛〉そのものがうまれたからである。 そう、藤田まこと演じる主人公の岡田中将は、何も部下たちを救ったからだとか、日本人としての「品格」とやらを示したから称賛されるのではない。この映画はそんな程度のもの(と、言ってしまおう)を描こうとしているのではあるまい。ここには、戦争犯罪人という立場でありながら、日本人とアメリカ人、原告と被告、敗戦国と戦勝国、正義と悪といった対立軸を超えて、この法廷をただ正々堂々と戦い抜こうとする岡田中将と、同じく正々堂々と戦うアメリカ側という〈構図〉があるばかりだ。その〈構図〉を、フェアネスな“空気”を実現してみせたことにこそ、岡田中将という人の真の偉大さがあった。 映画は冒頭で、醜悪で悲惨な戦争の非人間性を記録フィルムで観客に示す。そのことで、岡田中将の“もうひとつの「戦争」”が、むしろ「人間性」をあらためて信じ、取り戻すためのものであったことを、この映画は見る者の心に鮮明に焼きつける。そう、この映画は人を(あるいは国家を、歴史を)裁くのでも、告発するのでもない。日本側・連合国側を問わずこの法廷にいる者たちは、人間というものの持つ真の「崇高さ」のために、共に共闘しているのだ。そういった姿を通して、人間というものの「美しさ」を、ただそれだけを映し出そうとしたものだったと、今ぼくは確信している。  確かに、一見すると地味で派手さのかけらもない、「映画的」ですらないと思われもするかもしれない。しかし、映画がここまで「人間」の美しさ、その精神の「崇高さ」を見つめようとしたことにおいて、本作は、ぼくにとってたとえばジャン・ルノワールの作品に比するものだ。 ・・・最後に。小泉堯史監督、貴方の映画と同時代の観客でいられて、ぼくは本当に幸福です。[映画館(邦画)] 10点(2009-02-03 19:23:13)(良:1票) 《改行有》

173.  カットスロート・アイランド だいたい、ちょっと興行的にコケたからって、それだけで作品そのものを否定するなんて可哀想です。この種の冒険活劇としちゃ、セットも、豪快でスピーディーな語り口も、第一級の出来映え。もし問題があるとしたら、レニー・ハーリンがあまりにストレートに往年の”海賊映画”というものを再生産したことで、イメージ的に時代錯誤感が拭えなかったことじゃないかな…。それとて、CGまみれのインチキなスペクタクルばかりの昨今のアメリカ映画の中にあって、十分賞賛に値するアナクロニズムだとぼくは思う。ジーナ・デイビスにも見放されたレニー・ハーリンだけど、まだまだ見限れないゾ!8点(2003-08-09 15:25:11)(良:1票)

174.  ディープ・インパクト(1998) この手のアメリカ映画にしちゃ、「情(ソフト)」と「骨子(ハード)」のバランスが実に適確で、ミミ・レダー監督ってやはりこれからの時代のストーリーテラーなんだと感心(『ペイ・フォワード』だって、そんなに悪くなかったと思うもの)。ドラマの何たるかも、SFの何たるかも分かっちゃいない某『アルマゲ何とか』と比較にもならないよい映画です。すい星を爆破に向かうシャトル内のエピソードがいささか類型的だけど、こういう泣かされ方も悪い気分じゃないし。あと個人的には、大津波を前にティア・レオーニがマクシミリアン・シェルに最後「ダディ…」としがみつく場面。何と言うか、忘れ難いものがありました。8点(2003-08-12 16:48:37)(良:1票)

175.  アビエイター 《ネタバレ》 確かに「失敗作」と呼ばれても仕方のなかった(けれど、ぼくは大好きです)スコセッシ監督の前作『ギャング・オブ・ニューヨーク』に比べる時、いかにも楽しんで撮っている高揚感が伝わってくるぶん、楽しく見ることができた。言うなればこの映画、往年のジョセフ・L・マンキウィッツ監督の『イブの総て』や『裸足の伯爵夫人』を想わせる人間ドラマと娯楽性のバランスにおいて、最近のアメリカ映画じゃ最も「上質」な部類の大作だとは思う。けれど… 冒頭に置かれた、幼いハワード・ヒューズとその母親の奇妙なエピソード。それは、後年のヒューズが悩まされた激烈な強迫神経症の「原因」を暗示(というより、むしろ“明示”)するものだ。と同時に、彼の映画と飛行機と女性遍歴をめぐる冒険への度を越したのめり込みを、すべて母親である彼女の影響下によるものだと「分析」するものとしてあった。そのシーンがラストにもう一度登場する時、この映画が、「映像と航空機とセックスの世紀」である20世紀の象徴的人物を精神分析し、その<臨床例>をめざしたものであることをぼくたちは了解するのだ。言い換えるならこれは、ヒューズという人物の「伝記」というより以上に、彼を通じて「20世紀」という時代を“診断(!)”することをめざされたものに他ならない。 ただ、ハワード・ヒューズを単なる“マザコンの卑小な神経症患者”に過ぎない…というのが言い過ぎなら、彼をあまりにも「現代」の戯画(カリカチュア)として描くことは、一方で作品そのものを“矮小化”することにつながらないだろうか? つまり「心理」や「内面」を分析し説明しすぎてしまうことは、映画を、ひいては芸術というものをただの「人間主義的なスケール」に陥れることになりかねない…。 思えば、映画の冒頭に母親を持ってくる点をはじめ、この映画は『市民ケーン』をほうふつさせるところがある。けれど、あそこでウェルズは、主人公の新聞王と母親の関係を決して分析したりしなかった。そして映画の最後に、あの名高い「バラのつぼみ」として明かしてみせたのだった。…そういうハッタリこそが、この映画には、というかスコセッシ監督には決定的に欠けている。 同じハワード・ヒューズを描くものなら、たぶん『ロケッティア』というほとんど忘れ去られたSF冒険映画の方が、はるかに「神話的」かつ「映画的」だとぼくは思う。…[映画館(字幕)] 7点(2005-05-23 20:49:18)(良:1票) 《改行有》

176.  恋は舞い降りた。 《ネタバレ》 生死の境をさまよう唐沢寿明の主人公に、玉置浩二扮する死神(天使だっけ?)が、「これから最初に言葉を交わした女性を幸せにすると、あなたは生き返れます」と言う。で、その相手が、江角マキコ扮するバツイチ女…。でも、その時の唐沢寿明は、生きている人間には姿が見えないハズじゃないの? この明らかな“設定上のミス”あるいは説明不足に「あ~あ」と思う向きは、以後この映画のアラばかりが目についてしまうに違いない(事実、アラが多いのだから…)。 じゃあ、こう見方を変えてみよう。唐沢と江角の出会いそのものが、玉置の死神だか天使の仕組んだことだったとしたら? …と。 映画の中じゃまるでそういった説明や暗示すらないけれど、たぶん間違いないっ! そう考えることで本作は、「出来損ないのファンタジー」から「心優しいクリスマス映画」へと様変わりしてくれるでありましょう。 そう、不幸な男女が、運命(というか、それを操る神様や天使や“優しい”悪魔)の悪戯でスッタモンダの末に幸せを掴む。そんなささやかな“奇跡”を描くのが「クリスマス映画」と定義するなら、本作は日本映画史上最も正統的(!)な「クリスマス映画」だ。幼い頃、母親に捨てられた記憶から、愛を信じられない売れっ子ホストの主人公と、ダンナに浮気されて別れたヒロイン。共に愛することに臆病なふたりは、ハチャメチャな珍騒動を繰り広げつつも少しずつお互いの心を開いていく。その様子をヴィヴィッドに見つめていく眼差しは、「ああ、映画だなぁ…」という瞬間をいくつもぼくたちに用意してくれているのだ。いや、ホンマに。 つかこうへいゆかりのスタッフ・キャストが揃った本作には、確かに「小劇場っぽさ」が、例えば唐沢のセリフ回しなどにもうかがえる。けれど主人公が、今は社宅の賄い婦をやっている母親にそっと会いに行く場面をはじめ、人の心のひだをかくも深く、優しく描けるのは、やはり「映画」だけだ。そのことをあらためて教えてくれるこの作品は、ぼくにとって、ささやかだけれど忘れ難い「クリスマス映画」なのであります。 《追記》テレビ放映で再見。唐沢と江角の出会い、ちゃんと「見えるようにしときましたから!」という台詞があったんですね…(^^;) でも、やはりあれは玉置エンジェル(死神?)が、はじめっから仕組んでたんですよっ! そして、やっぱり「好き」です、この映画。[映画館(字幕)] 8点(2004-12-25 13:04:57)(良:1票) 《改行有》

177.  タイムコップ いわゆる”タイムスリップもの”としちゃあ、上出来の作品じゃないでしょうか。特に、南北戦争や1930年代のウォール街といった過去のシーンの描写が作り込まれていて、ピーター・ハイアムス監督の近作じゃベストの仕事ぶり。妻の死をめぐる主人公の苦悩や悲しみも、人間的なアクセントになっていたし。何よりヴァン・ダムって、どんなにマンガ的なシチュエーションでも不思議と説得力をもたせてしまう。この点は、きちんと評価してあげたいと思う。…まあ、声を大にしてまで広言はしませんが。7点(2003-11-01 18:59:35)(良:1票)

178.  ローマの休日 これはもう誰かがご指摘なさっておられるかとも思うのですが、デビュー間もない頃のオードリー・ヘプバーンって、相手役がグレゴリー・ペックであり、ハンフリー・ボガートであり、フレッド・アステアやゲイリー・クーパーであり…と、父親みたいな「おじさま」ばかりですよねえ。たぶん、彼女にはそういった”エレクトラ・コンプレックス(簡単に言うと、ファザコンです)”を感じさせる部分があって、それが特に日本の女性ファンの親近感を呼んだのでは。そして、そんなオードリーを見つめる素敵な「おじさま」男優たちの背後には、彼女をまさに父親的な慈愛で見守る「おじさま」の監督たちがいて…。実際、本作のウィリアム・ワイラー監督にしろ、ビリー・ワイルダーやスタンリー・ドーネンにしろ、誰もが理想のパパ然として、優しく、上品で、包容力のある演出力を、これ以上なく発揮している。この『ローマの休日』が歴史に残る作品たり得たのは、そうした”オードリー(娘)と「おじさま」監督&男優(父親)の理想的な関係”を完璧なまでに確立してみせたという点においてでしょう。一体誰が、この映画のオードリーを性の対象(!)として見るもんですか。男の観客はみんな彼女のことを、いつしか「父親」として見ている自分に気づく。よね、ご同輩?10点(2003-12-15 12:59:34)(良:1票)

179.  犬神家の一族(1976) 金田一耕助は、やっぱり石坂浩二に限るなあ。何よりあの”軽さ”がいいです。とにかくタイトルがやたらカッチョイイし、細かいカットつなぎなど、映像的にもモダニスト市川崑ならではの趣味の良さ満点。TVで見るぶんには、まあ文句ないでしょう。ただ、劇場でカネ払って見たなら、このペラペラな薄っぺらい画面が、ただおしゃれっぽく連続する中身のなさに失望させられただろうなあ。1970年代以降の市川崑カントク作品は、『細雪』を除いて(いや、あれすらも)ほとんどすべてカラッポです。”見た目”がよければいいじゃん、とおっしゃる向きにはよろしいんでしょうけど。5点(2003-11-05 14:36:45)(良:1票)

180.  シェーン もう随分と前に、セルジオ・レオーネの『ウエスタン]と2本立てでリバイバル上映された時に見たのが、今思うと失敗だった…。まだガキだった自分にとって、レオーネ作品のインパクトの前ではいかなこの名作といえど、やはり霞んでしまったワケで。ただ、オジサンになって見直してみると、少年、母親、父親であり夫である農夫それぞれの視点・心情から”シェーン”というひとりの流れ者の存在を浮き彫りにする演出のきめ細やかさに、あらためて感心させられてしまう。シェーンに夢中になる少年に対し、やはり密かに「女」として心ひかれている母親が、「シェーンを好きになりすぎないでね。別れがつらくなりすぎるから…」というあたりの情感。そして、妻の気持ちを薄々感づいていながら、それを表に出さない夫の度量。それらの感情が絡まりあったダンスシーンは、さりげないけれどこの映画のハイライトのひとつでしょう。それが一転して、ガンファイトにおける強烈なリアリズムの衝撃! …ラスト、去りゆくシェーンを追うあの少年(と犬)に感情移入して、「シェーン、行っちゃいやだー!」と一緒になって叫んでしまったぼくなのでした。やっぱり、素晴らしい映画です。9点(2003-11-13 10:48:53)(良:1票)


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