みんなのシネマレビュー
六本木ソルジャーさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

評価順12345678910111213141516171819

161.  ゴーストワールド 高校を卒業し社会に出て行かなればならないまさに子どもと大人の境目を生きている。嫌悪するような世界で、自分自身を貫こうとするも、分かり合っていたはずの親友も徐々に変わっていく。 自分自身を失いかけ、自分も変わらないといけないのかと悩んでいるときに、自分を貫いている男を発見する。 二人の奇妙な交流によって、失いかけていた自分を取り戻して、自分自身の道を生きる一歩を歩みだす。 これは誰もが経験し悩むながらも通る道で誰もが共感できるテーマではないだろうか。 ラストは「死んだんじゃないか?」ていう人もいるが自分はイーニドが途中で語った夢のように誰も自分のことを知らない街に旅立ったんではないかという気がする。あの目的地も分からないバスに乗って。8点(2004-04-20 20:56:44)(良:1票) 《改行有》

162.  東京物語 《ネタバレ》 世間的に評価されている名作という理由だけで高得点はつけたくないが、本作はお世辞抜きにして、素晴らしい作品であると感じた。 この歳になるまで、小津作品は一度も観たことなく、ようやく本作を鑑賞したのだが、鑑賞中、なぜか終始鳥肌が立つような感じで、悲しくはないけど涙が出そうになることが何度もあった。とても不思議な作品である。 第一印象として、非常に「緊張感」のある映画だと感じた。美しい「日本の心」と、失われていく「日本の心」が終始静かにぶつかり合い、せめぎ合い、衝突しながら、それが一本の筋となって、映画の根底を流れていく。だから、特殊な緊張感が生じるのだろう。 子ども達に会えることを楽しみにわざわざ尾道から出てきたものの、子どもたちから邪魔にされながら、決して直接文句も言わずに、逆に「幸せな方かもしれんなあ」と語り合う老夫婦。 子どもたちは、絶対いいはずだと熱海へ送り出し、厄介払いをして、母親が亡くなったら、「(死ぬ順番が父と母が)逆だったらよかったのに」と語り合う。 まさに「親の心子知らず」という言葉がぴったりだ。「あんな立派に育てられたのは誰のおかげだ」と問い詰めたくもなるが、自分には幸一もしげも否定できないと思う。 父母と子どもというのは、ある意味においては、一番近いようにみえて、一番遠い関係でもある。血が繋がっていれば、紀子のように自分の真の気持ちを素直に吐露できないものである。 そして、幸一もしげも最初はああではなかっただろう。しかし、父や母がいる故郷を離れ、東京へ出て、結婚し、子どもを持ち自分の生活というものが次第に形作られていくと、徐々に人間はみな変わっていってしまうのだろう。紀子や京子ですら、再婚や結婚をしたら恐らく変わっていってしまうのではないか。これはもう良い、悪いというよりも、人間としてやむを得ないことなのだろう。 大きな家に一人取り残された周吉の後ろ姿がとても小さく感じられる。彼の後ろ姿によって、人間が変わっていってしまうことのもの悲しさと、郷愁の余韻が残る。 本作を観て、親子の関係を少し改めてみないといけないなと感じられた。小津監督も失われつつある「日本の心」を描きつつ、そうした現状に対して少し考えさせて、いくらかの歯止めをしたいという趣旨を込めたのではないだろうか。[DVD(邦画)] 8点(2006-12-31 00:22:01)(良:2票) 《改行有》

163.  ブロークバック・マウンテン 《ネタバレ》 正直言って面白い映画ではない。また、テーマがテーマなだけに自分の心にぴたっとくるまでには相当時間がかかる気がした。 しかし、なんというか無形のものを類まれな演出力(セリフや演技でカバーできない空気や雰囲気)によって映像化された凄さに驚かされたという気がする。そういう意味において、この映画に作品賞ではなく監督賞が与えられたことは正当なジャッジなのかもしれない。 思ったことは、この映画はゲイの映画というよりも、障害ゆえに愛を成就できない狂おしい気持ち、行き場のない想いといった普遍的な感情が痛々しいほどに描かれていると思う。 少ないセリフ、うつろな表情、耳に残る音楽、全体的な雰囲気で二人の長年に及ぶ関係や気持ちを伺い知ることができる。 そして、唯一、お互いの気持ちを確認でき、何の障害もない場があの澄み切ったブロークバックマウンテンとあのシャツだけだったのではないか。 気に入ったシーンの一つに、イニスが釣具入れを忘れそうになり奥さんが忘れ物をしているよと言うシーンがある。なんてこともないやり取りなんだけど、イニスは釣りに対しては全く興味のないことを表していると同時に、奥さんにとっては、これが釣りであって欲しいという想いと釣具入れに込めた奥さんの大切な気持ちが感じられる。お互いの気持ちのズレが感じれる短いながらもいいシーンだと思う。イニスの奥さんはイニスを愛しているがゆえにイニスと別れるしかなく、ジャックの奥さんはジャックを心から愛していない(父親への反抗ゆえに結婚したような)から、別れることもなく、彼の死の原因や理由も分からなかったのかもしれない。[映画館(字幕)] 7点(2006-03-14 01:15:13)(良:2票) 《改行有》

164.  機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者 《ネタバレ》 50話からなるストーリーを3部作6時間程度に収めようというのだから、元から無理があるとは思っていたが、相当無理のある話だった。 どういうつもりであのような旧画と新画を混ぜて一本の映画にしようと思ったのかは分からないが、新画に統一してストーリーも一本筋のあるものにして欲しかった。これでは映画とは言えないのではないか。 旧画部分でもセリフはだいぶいじられている印象を受けた、またストーリーもだいぶ改悪されている気がする。 特にライラとジェリドの関係は後々にとっても非常に重要であり、あの描き方は酷いの一言。ジェリドにとってはマウアーよりもライラとの関係の方が影響は大きいと思う。 ライラはジェリドに戦い方を教え込ませ、あの二人はある意味、師弟の関係にあり、お互いに認め合っている部分がある。 ライラはジェリドを「ただのお坊ちゃん」とは思っていないはずで、「いい男になる可能性がある」と誉めていたはずだ。 ライラとカミーユの戦いもこれがまた大事な戦いの一つであり、オールドタイプとニュータイプの違いを感じさせる部分がある。 このライラの死を船上で見ていたのがジェリドであり、助けられなかった歯がゆさや悔しさがカミーユを最後の最後まで追い詰める原動力になっていると思う。それを地球に落ちてまで、ライラがいないとかほざかせるとは…驚かされる。 マラサイに乗ったカクリコンの死も確かにジェリドにとって大きいかもしれないが、こちらはどうでも良くカットしても良い。 カミーユの両親の死も実際にはかなりのタイムラグがあるのに、一回の戦闘で済まそうというのは無理を感じる筋書きだろう。あれではエマシーンがなんでティターンズを裏切ったのかが不明瞭すぎるのではないか。実際はエマは、カミーユを連れて、一旦ティターンズに戻り、悩んだ揚句に、カミーユと父親と三人で三機のMk-Ⅱで脱走してエゥーゴに向かっているはず。あれでは父親は人質になっていない。 そもそも、カミーユ両親の話はあまりその後のストーリーに影を落していないと思われるので、上手くカットしても良かった気がする。 また、カミーユがクワトロのことをシャアと気付いていないように描くのも好ましくはない。テレビ版では、頭では理解できていなくても、心では感じていたはずだ。 このようなミニダイジェスト版にするよりも、人間関係を絞ってじっくりと描けるところは描いた方が良い。[映画館(字幕)] 4点(2005-06-05 01:34:49)(良:2票) 《改行有》

165.  ビフォア・サンセット 《ネタバレ》 前作「恋人までの距離(ビフォアサンライズ)」と対になっているのが面白い。 本作は冒頭から「ビフォアサンライズ」を意識している。前作のラストでは、彼らが過ごした場所が静かに次々と映し出されるが、本作は冒頭から彼らが過ごすであろう場所が次々と映し出されていく。 彼らの出会いが偶然によるものならば、彼らの再会は偶然によるものではなく、意図されたものだ。ジェシーがフランスでサイン会を開くという意思と、セリーヌがそこに顔を出すという意思がなければ、この再会はあり得ない。 9年ぶりにみせる彼らの性格も前作とは対比的である。 前作ではロマンティストであったセリーヌは、本作では現実主義者になり、前作で現実主義者であったジェシーは、本作ではややロマンティストになった気がする。セリーヌ自身も、ジェシーの本を読んで、自分の今のドライさを嘆いているのが印象的だ。人間は時間とともに変化するのが見て取れる。 しかし、根っこの部分は変わらないのも人間だ。 自分のドライさを嘆くセリーヌだったが、彼女らしいロマンティックさは残っている。自分のやりたいことをやり、自立した強い女性を装っているが、愛されたいけど愛せない、愛を渇望しながら愛に怯える姿がセリーヌらしい。 ロマンティックに本を描いたジェシーもやはり現実主義者であった。彼が本を描いたのには、セリーヌと再会して、12月に来なかった理由を問うものであったのは彼らしい。セリーヌの歌を聴いて、人名は聴く人によって変わるのだろうと本心ではない冗談を言うのは、前作の詩のシーンをなぞったものだ。 前作が「別れる二人」を描いたものならば、本作は「別れない二人」を描くものだ。9年前に再会を果たせなかった二人のその後の人生は決して恵まれたものではなかった。人生を変えた「出会い」によって、彼らの人生には微妙に狂いが生じてしまったかもしれないが、彼らの「再会」によって、再び彼らの人生も大きく変わるだろう。個人的には、ジェシーはこの飛行機には乗らず、セリーヌとともに人生を歩んでいくのではないか。 ジェシーはジェシーの妻に幸せを願っているからこそ、別れようとするだろう。 再会はしたものの彼らは上手くいくのか、たとえ上手くいかなくて美しい思い出が壊れたとしてもチャレンジすることが大切なのだろうかと、色々と観終わった後に考えられるのが、本シリーズの良さだろう。[DVD(字幕)] 7点(2005-02-21 01:36:56)(良:1票) 《改行有》

166.  ブレードランナー/ディレクターズカット<最終版> 《ネタバレ》 リドリースコット監督は、ディカードを「レプリカント」として描きたかったのかもしれない。しかし、個人的にはディカードを「人間」と捉えた方が面白い解釈ができるのではないかと思う。というのも、本作では「人間」と「レプリカント」とが実に『対比』的に描かれていると思う。 「自己及び愛する者の命」のともし火がまさに消えようとしているレプリカントは必死になって、「命」を延長しようとする方法を探っている。この世界では、「命の重さ」を知っているのは、人間ではなくレプリカントではないか。「人間」は与えられた命の重さも考えずに、「目的」もなくただただ漠然と生きているだけである(ディカードのような)。そんな「人間」であるディカードに対して、「命の重さ」を教えてくれたのがレプリカントのロイではないだろうか。ディカードとロイの最後の追いかけっこは、「死にたくない」とディカードに必死にさせることにより、「命の重さ」をディカードに知らしめようとしている。まさにレプリカントが体験している「寿命(時間)」との追いかけっこを、「人間」であるディカードに体験させているのではないか。ディカードを「レプリカント」と捉えるとこのような見方ができなくなるので勿体無いと思う。 そして、「人間」であるディカードはレプリカントから教わるだけではない。レプリカントのレイチェルに対して、「感情の表わし方」を教えている。感情を上手くコントロールできず、表現できないレイチェルに対して、「愛情の示し方」を教えたのはディカードだろう。やがて「愛情」は「生きる希望」に繋がり、レイチェルもまた「命の重さ」を実感できるはずだ。 「人間」が「レプリカント」に教えられることがあるのと共に、「レプリカント」に対して教えることもある。これこそ人間とレプリカントの「共生」(最後のディカードとレイチェルの逃避行)に繋がるのではないか。「レプリカント」は、過酷な労働を強制するために創られた道具でも、狩られる対象でもなく、近未来では「人間」と共に生きる「パートナー」となるというメッセージが込められているのではないか。また、ディカードがレプリカントだとすると、最後のロイの独白が意味をなさなくなってしまう。過酷な生き方をしたロイがレプリカントにそんな話をしても、ただの内輪話であるだけで意味をなさない。あれは「人間」に対して語られなくてはいけない内容である。[DVD(字幕)] 8点(2006-08-30 23:07:18)(良:2票) 《改行有》

167.  ターミネーター2/特別編 《ネタバレ》 多少は気になる点があるが、満点を付けざるを得ない素晴らしい傑作だと思う。 気になった点としては、前作では「なぜ複数体ではなくT-800型とカイルの二体のみが過去に送られたのか」がきちんと説明されていたが、本作ではそういった説明がないのが残念。そして「スカイネットはなぜ過去にT-800型を送ったのか」が前作できちんと説明されていたが、本作ではそういった説明がなかった気がした。そもそもT-1000型という無敵のマシーンが未来で開発できたのならば、スカイネットが未来において人類に窮地に追い込まれるはずはないわけであり、T-1000型が量産された暁には、人類と機械との果てしない戦争は幕を閉じるだろう。ここでは逆転の発想をして、本作では「人類が未来で窮地に追い込まれたために、スカイネットが開発されることを防ぐためにT-800型を過去に送った。それを阻止するためにスカイネットがT-1000型を過去に送った」というシナリオにすれば良かったのではないか。 このような気になった点があったにしても、それらが無視されるほど素晴らしい作品であることは間違いない。 前作のテーマが「運命を受け入れろ」であるならば、本作は「運命は変えられる」だろう。テーマがしっかりと描ききれている。 また、アクションとして優秀だけでなく、「人命の尊さ」「心の痛み」「友情」といったことをジョンコナーがT-800型に学ばせようとしている点が素晴らしいストーリーだ。彼のリーダーとしての資質を垣間見せるとともに、機械でさえ学べるのだから、人類が学べないはずがないという結論を導いているのが面白い。 そして、緊張感あるテンパったサラコナーと、母親の愛情や友情を欲する「孤独感を内に秘めた」陽気なジョンコナーと、無表情・無感情のT-800型の全く異なるタイプ三人のロードムービー的な要素が盛り込まれているのも見逃せず、この三人の変化も実に面白い。特にT-800型の変化をユーモラスに描いている点は映画に明るさをもたしている。 さらに、個人的に一番気に入ったシーンは、サラコナーがマイルズを殺そうとするシークエンス。これは前作の全くの裏返しだろう。未来において起きる出来事のために、現代では何も悪いことをしていないのに命を狙われるというマイルズは、まさに前作の彼女と同じ立場にある。あの不条理感を知っているサラコナーがこのカラクリに気づいたときの表情が実に見事だ。[DVD(字幕)] 10点(2006-08-30 23:39:54)(良:3票) 《改行有》

168.  告白(2010) 《ネタバレ》 本屋大賞を受賞した原作は未読。本作について“語る”のは非常に難しい作品である。「とりあえず観てみろ」という言葉しか出てこない作品だ。 観る者によって感想はマチマチだろう。「人間の命の重さを説いたヒューマンドラマ」と捉えることもできる、「ガキたちに復讐する爽快なエンターテイメント作品」と捉えることもできる。解釈度が“自由”であり、観る人それぞれの心に何かを刻み付けた中島哲也監督の自在な手腕が発揮された傑作といえる。 「人間の命は脆くて軽いが非常に重いもの」「人を殺す際には、その人を愛する誰かがいることを考えてみろ」ということを教えるための森口先生による授業だったのではないかと感じたが、『なんてね』という言葉一つで引っくり返している。 結局「ガキたちと同類ではないか」とも感じてしまう一言だ。 確かに大人だろうが、子どもだろうが、人間である以上、変わりはないのかもしれない。クラスメートでも恋人でも母親でも誰かに自分を認めて欲しいという衝動、暇つぶしに誰かを傷つけたくなる衝動、復讐なんてしたくないけど復讐せざるを得ないという衝動、そういう短絡的で自己中心的な感情に支配され、人間は愚かな行動を走ってしまうものかもしれない。人間はバカで単純で弱くて脆いもの、悲しいけどそれが人間ということをも感じさせてくれる。人間というものの本質を感じさせてくれる点を評価したい。しかし、松たか子が泣くシーンを描くことで、罪の意識を感じ、人の心の痛みを知らないガキとは根本的に違うということだけは分かるようになっている。それでも溢れる感情を止めることはできないのだろう。 「パコと~」の際には、各キャラクターに感情移入できない点が気に入らなかった。本作も同様に感情移入することはできないが、感情移入できないことにより、本作には面白い効果を生んでいると思う。得たいの知れないという不気味な恐怖を感じるとともに、客観的な傍観者としてこの復讐劇をエンターテイメント感覚で楽しむことができる。中島監督が計算したかどうかは分からないが、非常に巧妙な仕掛けとなっている。 本作は問題作ではあるが、“人間の命の重さ”を真正面から捉えるよりも、本作のような切り口で語った方が反面教師的な役割を担えると思われる。R15指定作品だが、逆に子どもたちに見せてもよいのではないか。“何か”を感じ取ってくれることへの期待や希望はあるはずだ。[映画館(邦画)] 9点(2010-06-07 22:52:29)(良:1票) 《改行有》

169.  モナリザ・スマイル 《ネタバレ》 伝統や慣習や世間体にとらわれ、世界観が狭まり広い視野で物事を見れなくなっていた学生たちに新しい世界、モノの見方、考え方を教えてくれるというストーリーと女性の自立というテーマを期待していたんだが、浮ついた全くキレのない脚本と演出のおかげでせっかくのいいテーマが台無しになってしまってる。 一番の失敗はジュリアロバーツの演じたキャサリンに全く魅力がないこと。 ジュリアロバーツ自体は嫌いではないので何の偏見ももっていないつもりだが彼女や彼女の生き方から学生たちが何かを学んだような気が全くしない。 キルスティン(ベティ)だって家庭不和が原因であって離婚という当時は珍しかった選択肢を選んだのにはジュリアが少しは影響があったかもしれないが、映画からは何も影響は感じられなかった、見せかけの幸せではなく本当の幸せを見つける決心をしたのは彼女自身の選択だったし。 ジュリアスタイルズ(ジョーン)に至っては、何も変えられないばかりか、逆にこれが自分の道を貫いた結果だと教わる始末。 イタリア語教師の言うように、自分の価値観の押しつけているだけで結局、学校も学生も自分自身も何も変えていないように思われた。 ラストに至っては急に皆から好かれまくって感動の別れって…一体何がしたかったんやと訳分からん強引なラストには興ざめします。 目的をもった迷える人という締めくくりは多少良かったけど。 人物の描き方もイマイチだった。 古い考えをもった同居人と新しい革新的な考えをもった同居人がいるんだから彼女らをうまく使って欲しかったし、元彼やイタリア語の彼とかの存在意義がイマイチ感じられなかった。 コニーとチャーリーの話なんてこの映画に何か必要あったか? 彼女の美術講義はなかなか面白かったが、脚本が間違っているのか、なっちの翻訳が間違っているか知らんがゴッホが生前一枚も絵が売れなかったというのもデタラメで、一枚しか売れなかったというのが正しいはずです。3点(2004-08-22 23:32:48)(良:2票) 《改行有》

170.  ザ・ロイヤル・テネンバウムズ 多数のキャラクターが登場するが、各々のキャラクターに人間味や深みがある点が素晴らしいと感じる。 特に3人の息子と娘とイーライはそれぞれ悩みや弱さを抱えている。 チャスは、味方だと思っていた父親に子ども時代に撃たれたことを根に持ち、横領で父親を訴えたりと父親ロイヤルに対して相当怒りの感情を抱いている。 また、妻の死により、安全に対して敏感になっており、息子達を自由に育てることができていない。 マーゴは、養女ということを強調され続けられていることから、一人疎外感を抱いており、愛を知らない屈折した生き方をしている。 タバコを12歳のときから吸っているのも、誰かに構ってもらいたかった、誰かにとめて欲しかったことの現れのような気もする(禁煙を試みるも10年前のタバコをリッチーと吸うのはちょっと意味が分からないが)。 リッチーはマーゴのことを愛しているが感情を伝える術を知らずに苦悩している。マーゴの結婚を知ってテニスで大荒れの試合をしたり、マーゴの過去を知り自殺未遂をしたりと感情面の弱さを感じる。 イーライには両親がおらず、テネンバウムズ家族に常に憧れを抱いている。本は売れたが、続けては売れずに、結局はクスリに逃げて事故を起こす。 父親ロイヤルはどうしようもなく父親で、破産したあげく妻の再婚を食い止めるために一芝居打つ。ただ、その一芝居によって、家族と再び暮らすことが彼を変えていく。 大人になっても悩みや弱さを抱えるテネンバウムズの子ども達等だが、父親のロイヤルの変化によって、子ども達もそれぞれが微妙に少しづつ前向きに変わっていく姿が感動的だ。 しかし、孫達に無謀さを教えてやりたいと色々と連れまわすところはロイヤルという人間がよく分かるシーンだ。 また、妻のエセルと川沿いのようなところを二人で歩くシーンもロイヤルの人間像が分かり、結構良いシーンだと思う。 特にストーリーらしいストーリーはないけど、淡々とした流れの中に登場人物の様々な感情やその変化を感じることができる素晴らしい作品に仕上がっていると感じる。[DVD(字幕)] 8点(2005-05-08 03:52:49)(良:1票) 《改行有》

171.  ワールド・オブ・ライズ 《ネタバレ》 やはり、リドリー・スコット監督は本物の監督だ。久々に“映画”を観たという充実感を味わうことができた。リアリティがあり、迫力があり、緊張感があり、全く先が読めないストーリーには引き込まされる。 ストーリーが面白いと感じさせるのは、フェリスとそれぞれの登場人物との関係が一蓮托生ではなくて、極めて脆い側面をもつ点だ。 まず、フェリスとホフマンの関係が面白く描かれている。現場を知らない上に傲慢なホフマンが、まさに「アメリカ」を体現しているかのようだ。上から目線で、ヨルダン情報局のハニに対して彼のスパイを独占したいという強欲さを押し出している。現場の作戦や風習を無視して、自己の都合と自己の利益のために勝手に動くことによって、全てを乱している原因になっているということに気付いていない。ホフマンの強引さに、フェリスが振り回されており、その挙句にフェリスを助けることもできていないというところが皮肉的だ。 そして、フェリスとハニとの関係も非常に微妙に描かれている。お互いに信頼関係を重視しているが、“嘘”というほころびがラストの悲劇的な展開を生んでしまっている。また、フェリスのアメリカ的ではない“正直さ”もまた一つの衝撃的なラストを生んでいる。彼らの関係が、アメリカと中東との関係の微妙さをそのまま描かれている。 最後に、フェリスと看護師との関係にも見所がある。周囲からは奇異な目で見られている二人であり、結局は結ばれることはなかった。アメリカと中東の国々が仲良くしたいのだが、それが簡単には上手くいかない。環境がそれを困難にしていることを描いているようだ。 さらに、CIAとテロリストグループとの間で、荒唐無稽で非現実的な化かし合いが繰り広げられるのではないという点も面白い。フェリスが仕掛ける“嘘”も、ラストの“嘘”もリアリティが保たれたものであり、極めてシンプルなものとなっている。 派手さはないものの、この丁寧で絶妙なリアリティが実に心地よい。フェリスの嘘も、ホフマンの嘘も通じず、誰の嘘が勝ったのかを考えると、なかなか痛快な作りとなっている。 中東においてはアメリカ的な手法や、近代的な装置や設備が通じないということを明らかにすることによって、アメリカという国ややり方を皮肉っているようだ。 アメリカ万歳映画ならばヒットしただろうが、この内容ならば、アメリカ人が本作を無視したというのも分かる。[映画館(字幕)] 8点(2008-12-22 00:56:58)(良:2票) 《改行有》

172.  ナイロビの蜂 《ネタバレ》 「シティオブゴッド」には及ばないものの、心が揺さぶられる素晴らしい映画だった。やはりこの監督はただ者ではないだろう。 この映画はラブストーリーでもあり、妻の死に関わる製薬会社とイギリス政府との陰謀を巡るサスペンスでもあり、ドキュメンタリー的なアフリカの「今」を映した映画でもあり、人間の「命」の重さを描いた社会派ドラマであった。 これらのどの視点からみてもパーフェクトであることにまず驚かされる。 特に、妻は夫を愛するがゆえに自分のやっていることをひた隠しにし、夫は妻を愛するがゆえに妻が辿った行程を歩んでいくというラブストーリーには感動した。この二人には目に見えない絆が存在するように感じた。いつか殺し屋に殺される運命であったとしても、妻が死んだ土地、妻が愛した土地で、妻と一緒になりたいという強い想いがジャスティンに感じられた(最後、銃から弾倉を抜くシーンなんかも彼の性格をよく表していると思う)。 また、妻が結婚前に暮らした家で泣き崩れるシーンにも惹かれた。感情をあまり表に出さない英国紳士のジャスティンが、強く感情を表に出したシーンである。 あのシーンで「どんなにテッサのことを愛していたのかジャスティン自身がはっきりと分かった」ということを描き→「彼のその後の行動の理由付け」に繋げていったということがはっきりと描かれていると思う。 そして、独特のカメラワークも臨場感があり必見である。あまり他の映画との比較はしたくはないけれども、中身は「シリアナ」よりも衝撃的であり、「ブロークバックマウンテン」並に深い愛情を感じる映画であり、「クラッシュ」並にも人種の問題を扱っている映画である。助演女優賞に選ばれたレイチェルワイズはどの辺りが素晴らしかったかはあまり分からないが、演技がナチュラルであり、内からくる激しい情熱を醸し出していたように思われる。彼女の演技もさることながら、やはりこの映画がよかったから作品の評価込みで彼女に賞が与えられたのではないか。[映画館(字幕)] 9点(2006-05-15 01:34:32)(良:1票) 《改行有》

173.  プラダを着た悪魔 《ネタバレ》 素晴らしい傑作だ。女性はもちろん、男性にも観て欲しいと思った作品だ。ファッションに興味のない人には苦しい部分はあるが、本題は「仕事に対する姿勢」なのでその辺りは無視しても影響はない。 ミランダは一見「悪魔」のように見えるかもしれない。無理難題を課し、わがまま放題にもみえるが、自分はミランダをとても尊敬できる人と感じた。自分の仕事に対してプライドと自信を持ち、妥協を許さず全身全霊をこめて取り組む。水色のダサいセーターにしても「おばあちゃんのお古でしょ」と揶揄するのではなく、そのバックグラウンドを彼女は理解している。深い知識を得るための努力や勉強の賜物ではないか。 「娘の発表会のために飛べない飛行機を飛ばせ」「未発売のハリーポッターを手に入れろ」という難題をアンディに課したようにみえるが、果たして本当に無茶な話だろうか?これが撮影のために必要な服を翌日までに空輸しなければならないというシチュエーションだったら「無理でした」では済まされない。ハリーポッターの件はこの業界で必要な人脈を築けたのかということをテストしたに過ぎない。 アンディも彼女の仕事に対する姿勢をある意味で尊敬していたと思う。 一番の違いは、仕事にために家族や親しい友人を犠牲にできるかという点だろう。ミランダも人間である以上愛する人を失えば傷つく。だけど、何度失っても仕事と家族の二者択一を迫られれば仕事を選ぶ人間だろう。アンディも仕事を選んだために一度愛する人を失った。しかし、親しい友人の成功を犠牲にしたり、愛する人と過ごす時間を失ってまでも仕事を選ぶような人間になりたくないという想いを強くしたのではないか。家族と仕事の二者択一を迫られれば家族を選びたいというアンディの道とミランダの歩む道が分岐したときの彼女たちの姿はとても美しかった。 ファッション通の人には特に楽しめる内容になっている。ヴァレンティノガラバーニ御大の姿も見られるし、カールラガーフェルド(現シャネルデザイナー)の電話を取れなかったためアシスタントが首になったり、トムフォード(元グッチ・YSLデザイナー)のコレクションに対してミランダが唯一微笑んだというエピソードや、ドナテッラヴェルサーチの席次を悩むエピソードは面白い。マークジェイコブス(現LVデザイナー)のバッグをミランダが気に入らないといってアンディの友達に渡すところは皮肉も感じられる。[映画館(字幕)] 9点(2006-11-20 21:01:10)(良:2票) 《改行有》

174.  スーパーマンII/冒険篇 《ネタバレ》 ライバル設定は面白いけど、結末がすっきりしなかった。 当時の技術では映像化できなかったのかもしれないけど、もう少しちゃんとしたバトルを展開させないと、このせっかくの設定がもったいないだろう。これだと、スーパーマンはただの騙まし討ちで勝ったとしか思えず、結局あまり強くはないんだなとしか感じない。そして、ゾッド将軍とデカイ無口な男は事故のような形で死んでいったが、チカラを失ったもう一人の女性をロイスがぶん殴って奈落の底に叩き込むというのは、ただの殺人であり、興ざめもいいところだ。ロイスはスーパーマンの正体を明らかにしたいがために川に飛び込んだり、エッフェル塔に登ったり、勝手に悩んで一睡もできずに泣き崩れたりと、やることの度を越えている。そりゃあ、記憶を消されて、次作で別の女性に走られても文句はいえないよね。 ラストであの例のレストランに戻るのは面白いが、チカラがなければ何もできないという描き方は最低だ。 いったい、彼が一旦「人間」になって何を学んだのかがまるで見えてこない。暴力と金だけで解決するというのが、彼が「人間」になって学んだことなのか。 チカラを失って初めて、チカラを誇示したり、暴力だけで全てが解決できるわけではないということに気づいて欲しかった。 例え、チカラが戻ったとしても、チカラで対抗するのではなく、大男に殴られても殴られても、こちらからは一切手を出さない。相手に対して暴力を振るっても意味がないことを諭す必要があったのではないか。そして、殴られても殴られても倒れない彼の姿を周囲の人々に見せつけて、彼らを奮い立たせることによって、暴力という手段を取らずに大男に謝罪させ改心させるということも必要だったのではないか。あれでは、大男はまたあのレストランに来て、これまで以上にひどいことをするだろう。 「せっかく修理したのに」と叫ぶ店の主人をよそに、私怨込みでボコボコにし、店内を必要以上にメチャクチャにした挙句、金を放り投げて立ち去る姿にヒーローの資格はあるのだろうか。[DVD(字幕)] 4点(2006-07-31 23:21:06)(良:1票) 《改行有》

175.  イングロリアス・バスターズ 《ネタバレ》 タランティーノ監督作品だけあり、さすがに万人受けする映画ではなさそうだ。自分もタランティーノの感性には完全にマッチングさせることはできなかった。ただ、心の底から楽しめたということはなかったが、自分なりの感性で楽しむことはできた。 元ネタを知らないので、小ネタやオマージュの類は一切分からない。その辺りの面白さは一般人には分からないが、あまりそういったことは気にならないようには製作されている。 ブラッド・ピットが率いる“バスターズ”がとんでもないヒトラー暗殺計画を企てるという、ありきたりなストーリーとは真逆の映画に仕上げていることが凄いことだ。 また、主役と脇役、善と悪、史実と妄想、男も女も国籍も関係なく、英語もドイツ語もフランス語も何もかもごちゃ混ぜにして、徹底的に“自由”に弾きまくっている点が特徴となっている。 タランティーノのやりたいことは、ブラッド・ピットの最後の行動に全てが集約されているのではないか。「(投降?)そんなの関係ねえ。俺はやりたいことをやりたいだけやるんだ!」ということだろうか。ブラッド・ピット同様に、タランティーノも映画の常識、文法、ルール全てを無視、登場する者はとりあえずぶっ殺していき、『史実?そんなの知らねえ』と突っ走るだけ突っ走っている。それがタランティーノのやりたかったことだろうか。何事にもとらわれずに、自由に自分の感性を爆発させるということはなかなかできないことだ。 ラストの締めくくりも、他の映画ではみられない“俺流”といえる。 “俺流”に徹することが果たして映画にとって良いのかどうかは判断の難しいところだが、奇をてらうことだけが目的にならなければよいだろう。 自分の好みは、どの章かは忘れたが、地下の居酒屋のシーンだ。 本題とは大きくハズれて、脱線してなかなか本線には戻ってこないというイライラ感が逆に次第に面白く感じてくる。 本題を忘れたころに、状況を一変させる辺りが上手い。 第一章のオヤジ二人の会話からも分かるように、どうでもいい会話を展開させて脱線していきながら、いいタイミングで本線に戻すというところはタランティーノの天才的なところだ。 主役の割には、放置される場面が多かったブラッド・ピットがノリノリで演じているのも救いとなっている。 画面の後ろの方で、表情を作っている姿をみると、自分の役割をよく分かっているなという印象をもつ。[映画館(字幕)] 7点(2009-11-23 22:14:13)(良:1票) 《改行有》

176.  消されたヘッドライン 《ネタバレ》 リアリティのある仕上りであり、ラッセル・クロウの演技も見応えがあった。クロウ演じる新聞記者が真相に気付くまでは、もうちょっと高い評価をしようとしたが、予期せぬ“どんでん返し”があったため、評価を下げることとなった。観客が驚くオチを考えようとするあまりに墓穴を掘ったという貴重な例だろうか。 あまり頭が整理できていないので、間違っているかもしれないが、ネタを整理すると「議員が戦友と親友の“友情”を利用して、自分をスパイしていた民間軍事企業を逆に陥れようと画策した」というところか。「スパイ行為を行っていたものの民間軍事企業は殺しまでは手を染めていなかった」ということが真相だろうか。脚本的には上手くオチている気がするが、映像上では上手くオチている感じがしない。新聞記者がカラクリに気付いてから、殺し屋が最後の行動を起こすまでの一連の流れが拙速すぎるという印象をもつ。議員の奥さんの一言だけで全ての糸が解れるというのはあまりにも唐突だ。 殺し屋も最後に何をしたかったのか、なぜあの場所に居られたのかも不明。本作の“肝”になるところなので、もっと丁寧に描いて欲しかったところだ。異なるエンディングの1バージョンというような浮ついたものとなっている。 また、本作の「友情と真実」というテーマも上手く描き切れているとは思えない。“真実”の追求するためには友情を利用・犠牲にしてもいいのかという記者の“苦悩”がもっと必要ではないか。この部分が緩いため、逆に“友情”を利用していたのは議員の方だったというオチが効果的に機能していない。 さらに、レイチェル・マクアダムスの演技にも不満が残る。もともとはウェブ版の担当ということであり、冒頭は“軽め”の演技でも問題ないが、終始その“軽さ”が払拭されなかったという思いが強い。目の前で証人が死んでいるにも関わらず、あまり大きな変化が感じられなかった。最後の記事を“送信”できるほど、本物の“ジャーナリスト”に成長して欲しかったところだ。 悪くはない作品だが、“素材”を活かしきれておらず、最高の調理ができたとは思えないので、評価をやや下げたいところ。「大統領の陰謀」を参考にしているようなところもやや気になる。当初はブラッド・ピットが新聞記者を演じることとなっていたが、彼が降板した理由も少々理解できるものとなっている。出演してもあまりプラスにならない映画だ。[映画館(字幕)] 6点(2009-06-28 11:31:07)(良:1票) 《改行有》

177.  スター・トレック(2009) 《ネタバレ》 本シリーズは全くの未見だったため、本作を鑑賞する前に1と2をとりあえずチェックして本作に臨んだ。その予習があまりにハマったため、多少オマケをしたいところ。 「コバヤシ丸」テストのエピソードは、2を観ていないと深く楽しむことはできまい。未来のスポックが若いカークに出会った際に語ったセリフ「これまでもそしてこれからも私は永遠にあなたの友人です」も2を観ていないと“深さ”が分からないだろう。 このシリーズを観ていない者も楽しめるように作ったらしいが、やっぱり往年のファンを喜ばせるような作りになっている。 たんなる前日譚だろうと思っていたら、見事に裏切ってくれたアイディアは評価できる。パラレルワールド化したことで、既定路線を交えながら、新たな世界観を構築できるメリットを生んだ。新シリーズは新たな解釈を加えていくことが、これによって可能となったといえる。 パラレルワールドというアイディアもそうだが、冒頭の壮絶なシーンに対して、感動的な“出産”を上手く絡めてくるなど、「1+1」が「3」にも「4」にもなることをエイブラムスはよく分かっているようだ。 ただし、違和感があったのは、肝心のスポックだろうか。 バルカン人は感情を抑制し、全てを論理で物事を考えることができるという設定の割には、あまりにもあらゆる“感情”に溢れていた。 彼からは「怒り」「悲しみ」「喜び」「愛情」「友情」といったものが伝わってくる。 もっとも、地球人とのハーフであり、母親と故郷を同時に失っているので冷静にいられるわけではないということは分かるが、序盤のカークとの確執などは感情的になりすぎているところがある。 未来のスポックが語っていたように論理的に考え過ぎることは正しいことではなく、感情的になること自体はもちろん悪いことではないが、地球人らしい感情の表し方に終始しており、バルカン人らしさが上手く活かされていなかったような気がする。 カークとスポックがいい対比関係にはなっているものの、ややステレオタイプ的なところがある点が気になるところだった。 全体的にも、単なるSFアクションに展開しすぎるところが見られるが、最後の「新世界を探索し、新しい文明、生命体を求めて、人類未踏の世界へ」といった類のセリフを聞くと興奮が高まり、やはり低い点数は付けられない。 新シリーズへの期待感はいっそう高まってくる。[映画館(字幕)] 8点(2009-06-14 03:18:50)(良:2票) 《改行有》

178.  愛を読むひと 《ネタバレ》 好き嫌いは分かれるかもしれないが、個人的にはかなり気に入った作品だ。ほとんど飽きることがなく、映像にチカラがあるため、完全にこの世界に引き込まされた。本作は、このストーリーを映画化した際における最高のデキといえるのではないか。これ以上のモノを作れる者はほとんどいないだろう。それだけ、スティーヴン・ダルドリー監督の手腕が光っている。セリフで何かを説明するのではなくて、様々な“行為”で多くのことを語らせている点が秀逸だ。脚本に書かれていること以上のことを映像化できる監督は評価されるべきだ。アカデミー賞監督賞に連続ノミネートされているのも納得といえる。 本作を一言で言えば、“愛”を映像化している作品だ。“愛”というものは形が定まっていないだけに、上手く映像化することはできない。しかも、その難しいことに成功しているだけではない。 “愛”の純粋さだけではなくて、“愛”の奥深さや複雑さをも描き切っている。 「人生」や「男と女の関係」は“愛”だけでは簡単には割り切れないことをよく分かっている。「世の中」というものは、一般的な映画のようにそれほど単純ではない。 単純なハッピーエンドでもバッドエンドでもない、どちらとも解釈が可能となるグレイの部分を描いている。本作の時代背景はかなり古いが、現実世界における“厳しさ”“深さ”に通じることを描いているようにも感じられた。 本作には色々と説明が足りないところが多く見られる。「なぜそうなるのか」「どうしてそうしたのか」「どういう想いが込められているのか」といったことが映像を観ただけではよく分からないと思う。主人公たちに簡単に感情移入できるほど単純な映画ではなく、彼らの行動を全て“理屈”で説明することができない。 しかし、人生や愛とはそういうものではないか。説明が足りないからこそ、より“深み”が増したようにも感じられる。本作には余計な「説明」も「答え」も要らない。 観た者が感じたことを色々と想い巡らせればよいだろう。 むしろ、これ以上何かを説明しようとすれば、“蛇足”となるのではないかと思う。 ケイト・ウィンスレットもアカデミー賞主演女優賞獲得が納得できる演技をみせた。 監督や脚本の意図を汲み、“深み”のある演技をみせている。セリフや説明が少ない分、微妙な“感情”や“表情”で内面を表現して観客に何かを感じてもらおうと努力している点を評価したい。[映画館(字幕)] 8点(2009-07-31 00:37:55)(良:1票) 《改行有》

179.  パイレーツ・ロック 《ネタバレ》 非常にセンスのある作品に仕上がっている。 ミュージック、ファッション、作風・世界観いずれにも見応えがあり、アメリカ作品とは異なるイギリス作品らしいユーモアセンスも抜群だ。 下ネタがかなり多いが、下品になっておらず、こちらも絶妙なユーモアとセンスで上手く調理されている。 「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉があるが、「海賊ラジオ死すとも、ロックは死せず」ということだろうか。 ロックを語れるほど、ロックに傾倒しているわけではないが、その自分にも「ロック魂」「ロック愛」のようなものが十分伝わってきた。 政府に禁止されようとも、船が沈没しようとも、最後の最後までロックを流し続ける、ラジオを流し続ける“魂”が熱い。 当時の人々が熱狂したかもしれないという理由が分かる気がする。 見ているうちに次第に、個性のあるイカれた野郎どもと1人の女性コックが愛おしく感じてくる。 自分もこの船の乗客になったかのように、アットホームで仲間内な雰囲気に飲み込まれていく。 それぞれの個性は強烈であり、キャラクターも生きているとは思う。 しかし、何度か見れば、当然感想も変わると思うが、初見では乗員それぞれの内面というものまでもは完全には伝わりきれていない。 ただ、それぞれのキャラクターに変なエピソードを設け過ぎると、その世界観や映画としての個性が崩れる可能性があるので、難しいところだ。 ロックを愛する訳の分からない連中が騒いでいるだけの映画でも、本作にとってはよいのかもしれない。 長所でも短所でもあるのが、この“ユルさ”である。 バカバカしいようなところでも、そのユルさによって、バカバカしくは感じさせない。 しかし、前半はその独特な世界観にハマるが、ストーリーらしいストーリーがなくキャラクター及び世界観依存型の映画なので、中盤は多少ダレてくるところがあったような気がする。 個人的には、船の沈没間近でも革パンを履いてくるところや、命よりも大事そうなレコードを「これはクソだ」と放り投げるようなところが気に入った。 『それぞれのキャラクターの内面が伝わらない』とは書いたが、このようなどうでもいいシーン一つ一つに、各キャラクターの余裕と生き様を感じられるので、何度も見て深く堪能して、それぞれのキャラクターの内面を感じ取っていく作品かもしれない。[映画館(字幕)] 7点(2009-10-25 23:46:57)(良:2票) 《改行有》

180.  ツーリスト 《ネタバレ》 オリジナルのフランス映画「アントニー・ジマー」は未見。デキの良くない駄作という事前情報を得ていたので、思いっきりハードルを下げて、「どんな駄作を見られるのか」という楽しみすら期待していた。ハードルを下げ切っており、恐ろしく古臭いセンス、間抜けな警察、間抜けな組織についても笑えるような状態だったためか、意外と普通の仕上りとなっており、逆の意味で期待を裏切られた。もっとトンでもない映画を見られるかと思ったが、よくあるような普通の古典的な作品だった。バレバレのネタを追認するだけの作業に過ぎず、アンジェリーナ・ジョリーが相変わらず美しいということ(痩せ過ぎでちょっと怖いようなところもあるが)以外には、ほとんど心に残らない作品となっており、もちろん素晴らしいと評価することはできない。 本作の決定的な問題はラストのオチだろう。全てを観客に明かすという愚行を犯している。ハリウッド大作映画を任されて、若いドイツ人監督は観客のレベルを低く設定したのだろうか。本当のプロならば、幾通りの解釈ができるような余地でも残しておいて欲しかったところだ。ハリウッド映画なので曖昧にするのが嫌だとしても、考えられ得るケースにおいて一番最悪なチョイスをしたという印象。フランクが実はただのツーリスト案、全てフランクとエリーズの共謀案よりも酷いチョイス。観客には正体を明かしてもよいが、エリーズには正体を明かす必要はないのではないか。個人的には、ある時に彼女の本当の素性を知り、恋愛と任務の板ばさみから彼女を開放するために、彼女には秘密に一芝居を打つこととして、迫り来る組織を自分の手を汚すことなく片付ける、彼女から共犯者という汚名を晴らす、警察の捜査を打ち切らせる、彼女から本当に愛される、犯罪とは無関係の彼女との新たな生活を手に入れる、という一挙両得の計略を用いたというような解釈ができればよかった。新たな顔、新たな人生を手に入れて、男性は完全に女性を騙したと確信しているが、女性はその嘘を知りながらも黙っているといった解釈がさらに出来るような男女の奥の深い関係や、愛する男がいるのに別の男に惹かれる、愛する男がいる女を惚れさせようとする男女の駆け引きのようなものを描ければよかっただろう。 「大金を掛けてその程度にしか整形できなかったのか」という皮肉的なセリフも面白味はあるが、ラブストーリーとしてはこれでは浅すぎた。[映画館(字幕)] 6点(2011-03-08 23:35:16)(良:1票) 《改行有》


Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS