みんなのシネマレビュー |
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1. イノセンス 《ネタバレ》 オタクに失礼な映画だ。レベルの低い哲学を持ち出してきて、自我と意識が肉体と一緒になって滅びてしまうことに、どうしても納得がいかない連中が考え出した輪廻転生まがいのパロディアニメを、韜晦したふりをしながら見せている。イノセンス、というよりも、むしろナンセンス。身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるはこれ、孝の始めなり、監督はこの言葉を知っているのだろうか。物理的に義体と肉体の境界線を隔てることは、フロイトの「死の欲動」(つまりカントで言うと永遠になろうというか、不死に向う衝動のこと)に影響を受けているのは分かるのだけれども、一言でいえば、子供騙し。 ゴーストという記号は、現代の自分探しに夢中になっている自意識過剰の若者にとっては共感しやすい商業的な発想なのである。 しかしそもそも「私」というものに核など存在しない。人は他人を通じてしか自分を確認することができないのです。 そんなことは監督も知っているだろうに、この男はわざと根暗な自意識過剰者が共感しそうなテーマを捻れた形で装飾し、コアな人気を獲得しようという僥倖を期待している。そこが鼻につく。既に論理が破綻していることは火を見るより明らかであるが、もっと始末に終えないのは、この映画が、監督の悪趣味な言葉遊びが嵩じて、その言葉に溺れてしまっていることだ。[DVD(邦画)] 0点(2006-11-25 18:29:39)(良:1票) 2. マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ 《ネタバレ》 あの犬の鳴き声を真似るところは、しつこすぎる。 女性の裸を見るために屋根から落ちて血だらけになってもニヤニヤ笑っている姿はただのエロガキ。 子供とは可愛くて無垢な生き物であるだけではなくて未完成な生き物なんだね。 親だから子供を愛せないと非人間、と思うのはいつも身内ではない第3者の言い分やね。 それに人間が「愛する」ことができる時は、健康なときなんだと思う。頭痛で頭が割れそうなときに好きな人を思い浮かべたりしないだろう、お腹が減って死にそうなときも、好きな人の事を考えない。足を骨折してのた打ち回っているときに息子が側にやってきて愛してくれという態度を示してきても構っていられないはずだ。 なぜなら痛いから。 愛とは高尚なものだ、しかし肉体的な苦痛の前には、愛すること、悩むこと、考えることすらもできない。8点(2004-05-04 14:33:05)(良:1票) 3. それでもボクはやってない 《ネタバレ》 痴漢にあった女性の心を傷つける権利が本当にこの映画にあるのですか?そんなに少数の冤罪者に同情したいならば、在日外国人の冤罪事件でも取り上げればいいのです。日本は痴漢大国です。それをどうやって防止していくか、ということを警察や地域が一体になって努力しているなかで、この映画の内容はあまりにも悪質すぎる。こういうわがままな男の視点に立ったものをつくるから、「痴漢される女性にも落ち度がある。男はむしろ被害者だ」と、勘違いする男が出てくる。この物語のなかで言っていることは、ようするに、痴漢男のなかにも無実のものが1%いるということでしょう。だけどね、そんなのは北朝鮮のなかにも善人が1%いるし、オウム信者のなかにも1%まもとなのがいると言っていることを同じなのですよ、監督さん。あなたはわざと問題の本質をゆがめている。いいでですか?痴漢をされた女性はですね、心に大きな傷を受けるのです。それはトラウマとなって、まともな社会生活すらおくれなくなるケースもある。その事実は無視ですか?主人公が痴漢と間違われたのだって、じつは女性のほうが過去に痴漢の被害を受けて恐怖でパニックになっていた可能性が高い。それなのに痴漢されたと思い込んだ女性が100%悪いというみせかたをするのはおかしい。一番はらただしいのは、この映画が男ばかりを擁護して、本当の弱者の心の痛みにまったく鈍感であることです。私はこの監督の偽善をぜったい許さない。 [地上波(邦画)] 0点(2008-03-02 13:24:21)(笑:2票) (良:4票) 《改行有》 4. クラッシュ(2004) 《ネタバレ》 救いと希望を感じました・・。修理屋の黒人の娘が射殺されそうになったときや黒人の妻が事故死しそうになったときは本当にもう駄目かと思って息がつまりそうになりました。なぜなら、ああいう場面では「差別は残酷なんだ」と伝えがたいために、彼らを不幸にして死なせてしまう映画が非常に多いからです。そしてそれがリアルなんだ、と製作者サイドはうそぶくわけです。だから黒人の娘が救われたときなどは、子供のように素直に嬉しかった。 差別というのは、ただ単にコミニケーション不足が偏見を生み、そして憎悪へと変化していくだけのことかもしれません。 とくに差別主義者の白人ライアン巡査がひどい差別をした黒人女性のことを、命をかけて救った場面にはあるメッセージが込められていたと考えます。 人を殺した人間には殺したかった理由があるはずですが、人を救った人間には救うための理由なんてありません・・・それは本能なのですね。 肌の色や国籍が違っていても、死にそうな人間を見かければ、とっさに人間は人間を救う・・よく人間の心の奥には誰もが差別を持っていると言われます。しかしもっと奥をのぞけば、同類である人間同士の共感が見えてきます。この映画の根本的なメッセージは差別問題ではないと思う。私には人間賛歌の物語にさえ感じました。[DVD(字幕)] 10点(2006-08-13 18:01:07)(良:1票) 5. スネーク・フライト 《ネタバレ》 ヘビを使って飛行機を墜落させようと考える犯人の美学がかっこいい。警察官のサミュエルはだんだんヘビを殺すのにも飽きてきて拳銃で飛行機に大穴をあけてしまう。ひどい警官だ。お前が墜落させる気か。座席にしがみついて、落ちるのを必死でふんばっていたおばさんはきっとサミュエルを訴えるだろう。「スネーク・フライト」の番組が終わった直後に今度はゾンビフライトがはじまった。WOWOWはやっぱりすごい。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2008-02-06 20:03:17)(良:1票) 《改行有》 6. アララトの聖母 《ネタバレ》 日本人がこの映画をみて頭に浮かべることは、いまだに中国から「嘘」か「本当」か分からない南京虐殺事件を責められていることだと思います。 興味深かったのは、アルメニア人大虐殺映画に主演してしまったハーフのトルコ人役者の心の葛藤です。 これは日本人が中国に行って南京虐殺映画に主演するようなもの。たとえ役者としての出世がかかっているにせよ後悔の念や自己嫌悪で苦しんでいる様子が随所に伺えます。 憎しみから何も生まれないとはよく言います。歴史認識に関しては疑問はありましたが、アルメニア人の両親をもつエゴヤン監督にとってこれは、自分のルーツを確認するための映画なのかもしれない。 しかしこの映画は歴史を扱っただけの映画ではなく私は再生の物語だと感じました。 これだけは絶対に言いたいことですが、この映画は時間軸の使い方が非常にうまく、3つの時間の流れと、2つの家族が丁寧に描かれています。 これほど完璧な構成力を持った映画にお目にかかることは1年に1度あるかないかだと思う。 登場人物では、父親の死に対する悲しみを義母への怒りに変えてしまった娘や、どうしてもゲイの息子を認められない堅物の父親(税関の仕事をしている)が特に印象的でした。 娘の悲しみが怒りに変わる心理はアルメニアの歴史と似ている。 そしてこの2つの壊れかかった家族が、アルメニアの主人公をきっかけにして再生していく─。 娘の刑務所のシーンや車のシーンがそれに当たります。 ところで取調室で主人公の少年を救ったのは税関検査官ですが、本当に救われたのは税関検査官だと思う。 赦すという事が理解に変わり自分が変わることもある。 そしてアルメニアの画家ゴーキーが時間軸を越えて現在の義母の前に現れたあの瞬間、監督がこの映画に望んでいた本当の目的が見えてきました。これはアルメニアに深い想いを抱く監督が作った執念の傑作です。なんと素晴らしい構成力を持った映画でしょうか。[DVD(字幕)] 10点(2005-08-22 19:56:51)(良:1票) 7. エスター 《ネタバレ》 マックスが信じられないほどかわいい。姉のエスターと妹のマックスと対比させることによりエスターの存在感が浮き上がってくる感じだった。つまり主役の悪魔を目立たせたいならば、まずは天使を目立たせる手法が効果的になる。もちろんマックスは天使でエスターは悪魔。しかし悪魔の化身と言われるエスターだが本当はかわいそうな女性だと思う。不倫大好きのあのエロ夫でさえ、エスターを「女」としてみようとしない。それは当然のことではあるが、しかし大人の女性にとってこれほどの孤独はないはずです。だったらエスターは自ら「私は今年で33歳なのよ、独身で恋人募集中よ、よろしくね」と言えばよかったのか?そんなことをすればますます世間の好奇の目に晒されてしまう。エスターはたしかに悪人でしょう。しかし彼女はただ愛されたかっただけなのだと思う。ホルモン異常のせいで、絶望し、怒りにかられ、何もかも壊してしまう。その繰り返しがエスターの人生であった。私はそう思う。彼女が号泣するシーンをみて、「怖かった」で終わらせてしまう人が大半ではないだろうか。しかしなぜ彼女は泣かずにはいられなかったのか考えた人はいるだろうか?そこに気がつけばさらにヒューマニズムの見地からエスターを見ることができるのです。あのイライラするほど頭の回転が鈍くてセックスばかりしたがるエロ夫が爽快にぶっ殺されたとき、思わずエスターに向かって「グッジョブ!グッジョブ!!」と連呼して叫んでいた。母親のほうは同情できる。彼女はもともとアル中で、世間ではダメママと言われる部類だろう。その過去があるからエロ夫から「離婚して子供をひきとるぞ」と脅されてしまう。エロ夫よ、おまえはエスターの策略にサクサクはまり過ぎだ。ばか者が。しかしこの母親、土壇場になって、我が子を助けるために天窓を自ら突き破って落下するのだ。子を想う母親の命がけのそのシーンをみて、私は心の底から感動した。ラストはハッピーエンドだと思う。これで親子3人、水入らずに暮らせます。エロ夫はどうか安からに地獄に堕ちてくれ。今度生まれ変わったらエスターは普通の女性となって、普通の恋ができるだろうか?そんなことを考えていると・・・やはり切なくなってくる。ちょっぴり泣きました。 [DVD(字幕)] 9点(2011-01-15 20:50:45)(良:1票) 《改行有》 8. フライトプラン 《ネタバレ》 面白い!これは母親の物語でした。娘を見失った母親が必死になって我が子を探す。わめく、泣く、怒鳴る、威嚇する、とにかくみっともないジョディー・フォスターを意外な思いで眺めていました。しかし最後になってようやく彼女の演じた「母親」がとても母親らしかったことに気がつきました。一般的に母親というのは「いい人」ではありません。極端なことを言えば全世界が滅びようとも我が子だけは救い出そうと考えるのが母親の本能なんだと思う。だから母親は仏教の世界では餓鬼地獄に落ちると言われたりもする。ジョディーが演じた母親は、乗客たちの安全よりも、とにかく娘のことを最優先に考えていた。その自己中心的な姿に共感する人は少ないと思いますが、私はこれこそ真の母親の姿だと感じる。反対に「男」という生き物は、いつも世間体ばかり気にしてカッコつけようとする。今回のジョディーは、本能をむき出しにした母親を演じていたように思います。そこに偽善が一切ないのが好感が持てる。まわりの迷惑を一切考慮せずに停電騒ぎをおこしたり、逆ギレしてアラブ人を犯人扱いにしたり、謝りもせず、お礼もいわず、ひたすら「娘~~!!」と叫びながら鬼気迫る形相で、善人の機長に食ってかかる母親はもちろん「いい人」じゃありません。乗客全員から悪意のこもった拍手をされているシーンが特に印象的です。しかし彼女は悪びれる様子もなければ自分の行っている行動に微塵の疑いも持っていない。それは「ははおや」だからです。全世界を敵にまわしても我が子を守ろうとする強い意志を感じました。私はそこに潔さを感じる。最後に殺す必要も無い犯人を爽快にぶち殺して、さっぱりした顔で娘を抱いて出てきた母親をみたとき、私は呆れるよりもむしろ感動してしまいました。いやはや痛快です。これぞ母親!これぞジョディー・フォスター! [CS・衛星(字幕)] 9点(2007-02-12 20:56:58)(良:2票) 《改行有》 9. ユナイテッド93 この映画はアメリカの映画のなかでもやはりちょっと異色だと思う。最初から観客を泣かせて感動させようという意図が、まるでない。イスラム原理主義への怒りを煽る政治的な意図もない。ただあるがままに淡々と現実を踏襲している。 よく映画を観る人たちのなかで、「何が言いたいのか分からない、メッセージがない」と不満を口にする人がいますが、この映画は、そのメッセージ性を徹底的に廃し、主観を削ぎ落としてつくられている。観終えたあとに「だからなに?」と聞かれれば、「これが事実です」と答えるしかない。そういう映画です。 しかしそれでも、この映画はブッシュ政権の陰謀だとか、ユナイテッド93は、アメリカ政府によって撃墜された、という話が、まことしやかに噂されるほど、ヒステリックな批判がアメリカでは絶えない。ここまで賛否両論が巻き起こるのは、ひとえに、この映画こそ、9・11の核心に迫った作品だからだと思います。良作ではありますが、アメリカ人をもっとも動揺させる映画であることも確かでしょう。とにかく機内の様子の臨場感は圧倒的。ラースフォントリアーの、手ぶれカメラを思い出させる機内映像の揺れは、93便の乗客と同様に、観客にも恐怖と吐き気を引き起こさせる(苦笑) とくに私は揺れには弱いので大変気分が悪くなりました。観終えたときはかなり衰弱してしまいましたが、私は彼らと違って死んでいない。不謹慎かもしれませんが、「死」を意識したことで、よりいっそう生きていることに感謝したい気持ちになれました。 [DVD(字幕)] 8点(2007-01-09 23:29:59)(良:1票) 《改行有》 10. ヒトラー 最期の12日間 《ネタバレ》 「怒る技術」という本を昔読んだことがあるのですが本当に腹がたつから怒っている人と、人身掌握のために巧妙に他人に対して怒りを表現している人がいるようです。ヒトラーは後者であり、その怒りはポーズだったと思う。ヒトラーは最後まで狂ってはいないしヒステリックだったわけでもない、最後の12日間における怒りは自分の身を守るための人為的な演技であり、彼はとうとう最後まで「怒る」という演技を貫き通したのだと私は思えてなりません。 ヒトラーとは何者なのか?我々は普段の生活でも「あいつはヒトラーのようなやつだ」ということを日常会話で使うことがありますが、ヒトラーは「独裁者」「悪魔」の代名詞に使われることが多い。しかしこの映画を観て、彼が「ふつうの人間」であったという事実に第3者の日本人は驚き、被害者のユダヤ人は「嘘だ!」と大声で叫び、当事者のドイツ人は「まずいことを言ってくれたな」と苦い顔をしたはずです。彼が悪魔ではなく人間であったという事実を提示しただけでこれだけ多くの人が心をかき乱す。ちなみに日本では東条英機を題材にした「プライド・運命の瞬間」という映画がありますが、これはA級戦犯を美化していると問題になった作品で日本人からさえも非難の嵐でもちろん中国からクレームがつきました。しかしあえて言わせていただきたいのは、加害者であるという立場を恐れず、また他国の誤解を恐れずに日本とドイツはこのような映画を作り続けて欲しい。 久しぶりに映画の「役割」について深く考えさせられました。 [DVD(字幕)] 7点(2006-03-26 17:17:04)(良:2票) 《改行有》 11. 活きる この映画は「検閲」が通らなくて見れない時期もあったという。 当然のことながらこれは中国政府には面白くない映画の代表作。 いまや世界的に有名な監督のチャン・イーモウだが彼自身、「文革」で苦い目にあわされてきただけに、批判精神が強いのだと思う。 これを観ると文革は、とにかく怖いものだということがじわじわと伝わってくると思う。 中国人の誰もが1つの思想を信奉し、異分子を絶対に許さない態度をとっているが、明日は我が身が異分子扱いにされてしまうという恐怖感が伝わってくる。 観ていても息が詰まりそうになる圧迫感があった。 この時期は生きることが最も困難だったときかもしれない。 「活きる」というタイトルはとても面白いと思う。このような状況でも中国人はすべてを受け入れて生きてきた。単純に生きる事、なんとか生活している家族を見ているだけでも感動できる。 誰も自己実現とか自分の存在理由などで悩んではいない、立派な行いもしていない、ただ生きているだけであるけど、それが輝いて見える。 これは生きることに感謝できる人からのみ発散される輝きかもしれない。 これがどのようにして作られたかはDVD版「活きる」のメイキングをぜひ見てもらいたい。 興味が2倍になるはず。 ちなみに最近の中国映画は、検閲を無視したいわゆる下電影(地下映画)が若い監督の間で作られているという。 もっと本当の中国が見たい。10点(2003-11-13 14:04:10)(良:2票) 12. ヴェラ・ドレイク 《ネタバレ》 警察が家にやってきたときの、天国から地獄に突き落とされたようなヴェラばあさんの顔の表情がじつに痛快でした。蚊も殺せないような、ぶりっ子ばあさんが、無知であるがゆえに大罪をおかしました。けっきょく本人は最後まで罪にたいして無自覚だったのではないでしょうか。といっても私はヴェラが悪いとは思っていません。悪いのは盛りのついたオトコどもなんです。女性を性の道具としか見ていない厚顔無恥なオトコは全員加害者です。そしてすべての女性は被害者なのです。吐き気がするほどクソッタレのオトコ社会で生きていかなければいけない女性の立場はよく分かります。いつの時代も女性はオトコに虐げられている。だからこそ本来は戦わなくてはいけないのではありませんか。ヴェラの行動はバカなオトコの行動を容認しているようで赦しがたいのです。しかも自分がナイチンゲールのように人を救っていると自己満足しているのです。裁判シーンのヴェラの態度は歯がゆい。私が裁判官だったら、ばばあ早く喋れ、と罵ったでしょう。しくしく泣いているヴェラが、少女のような可憐さを装っているように見えて私は閉口してしまいました。こういう浅はかな女がいるからオトコが調子に乗るのだと思います。もしヴェラに本当に罪があるとするならば、それは破廉恥なオトコどもを図にのせた罪ではないでしょうか。どうせならば中絶させたオトコを脅迫して身包みをはがすような罪だったら私はヴェラを拍手喝采したでしょう。偽善者はいつの時代も醜いものです。戦わずして女たちのジハードは成立しません。[DVD(字幕)] 7点(2007-11-15 19:46:04)(良:1票) 13. ダ・ヴィンチ・コード 《ネタバレ》 よりによってイエス・キリストの末裔を「人間」にして、しかも「女」にして、あげくのはてに「アメリ」にしたのですから、これはレベルの高い挑発でした。キリスト教の信者なんて偉そうなことをいっても、しょせんは男尊主義の思想がある差別主義者の集団なんですね。腹がたちます。だったらアメリじゃなくて、パリス・ヒルトンをキリストの末裔にして信者たちを失神させてほしかった。それが本当の「挑発」をするということです。それと悪の親玉にマグニートが出てしまいたがすぐに逮捕されました。やはり念力を使わないとただのじじいでした。[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-08-15 21:18:09)(笑:1票) 14. 時計じかけのオレンジ キューブリックが創り出したアレックスは、言い尽くされてきたように、暴力、欲望、性欲の化身と仕立て上げることで、人間が抑圧されている本能を炙り出そうとした。しかし人は殊更本能を忌み嫌い、低俗なものだと考え、潜在化という押入れの中に「人間の本質」である動物を隠そうとする。心苦しい言い方ですが、人間の動物性をキューブリックは、我々に炙り出して見せたのです。このキューブリックの試みは「芸術」と対極をなす人間不信に根付いていることは周知の事実です。しかし自殺する動物の特殊性について、もはや人間が動物としての本能を喪失しているのだということを認めずにはいられるでしょうか?マズローの法則という人間の欲望を端的に表したピラミッドから私たちが理解できることは、満たされる度に我々は人間の本能を失っていくということに他なりません。従ってキューブリックの創造した「暴力」は決して人間の本質ではなく、むしろ本能を喪失させるための役割の大部分を担った「自意識」だと考えるのです。つまりアレックスに対して、あれこれと語るという愚かさは、「わたしは何者か?」と考えることと同じ位に無意味だということです。本来「わたし」というものに中身はありません。もっと咀嚼して説明すると「わたし」とは他人との関係性においてのみ存在するものであり、人間の中身は本来空洞なのです。従ってアレックスに自己を投影させ、嫌悪させたり、共感させる試みは単に勘違い人間を増殖させるだけなのですね。分かるでしょうか? また牧師がいった「道徳を持っているから人間だ」という台詞には、その高い精神性こそが人間の本能を失わせることをキューブリックは暗示させているのが彼らしい。もっと深読みすると、この映画に装飾されている「芸術」という精神の象徴を高度な動物である人間に魅せて喜ばせようとする皮肉なこの監督独特の嗜好が伺えます。[映画館(字幕)] 0点(2003-10-15 15:28:23)(良:1票) 15. マンダレイ 《ネタバレ》 黒人が「自由」よりも「奴隷」を選択したのは奇異に映りますが、「奴隷」とはどういう意味でしょうか?たとえば会社にコキ使われるサラリーマンも、ある意味で奴隷です。つまりグレースが黒人たちに言ったことは、「あなたたちから自由を奪っている会社を廃業にしてあげますから、今日からあなたたちは起業してください」と宣言したのと同じだといえる。「ママ」という存在はワンマン社長のメタファーだと考えればいい。このように見ると日本人のほぼ大半が黒人たちと同じ行動をとることが安易に想像できます。ようするに会社を離れて独立して生きていく自信がない人が大勢いるように、黒人たちも不安だった。グレースはそれを「自由に慣れていないために戸惑っている」と解釈した。 しかし「自由」を得ている人間などは昔に限らず、現在においてもほんのわずかな人間しかいない。私たちは知らず知らずのうちに「自由」と引き換えに、自分を庇護してくれる何かと契約を結び「生きる保障」を得ている。黒人が白人に従属するように、我々は「組織」に従属している。たとえワンマン社長の愚痴を言おうが自分で独立して働こうとは思わない。だからグレースの「自由」の押し売りに黒人たちは戸惑う。ちなみにアメリカが自由の国だと言われる所以は銃社会と表裏一体の関係にあるからです。この国には自由を得る代償として自分の身は自分で守るというリスクが存在している。そう考えると、グレース=アメリカであり、黒人=日本という構図が自然と浮かび上がってくる。だからといって「グレースは偽善者だ」と言い切ってしまうのも単純だ。すべての人間は偽善者であり、また自分が善人だと思っているからこそ人は生きていけるのだから。監督のトリアーがアメリカという悪を批判できるのも自分だけは善人だという観点に立っているからです。一番正しいのは現実主義者のグレースの父親であり、理想主義者のグレースは間違っている。しかし一方でどんなにグレースが過ちをおかそうが理想の高さこそが人間の器を大きくしてくれる。 [DVD(字幕)] 8点(2007-08-18 18:34:24)(良:2票) 《改行有》 16. ブラックブック 《ネタバレ》 ナチスがユダヤ人をしつこく追い回すという典型的でありきたりなヒューマンドラマはいっぱい観てきたので、もう観たくありませんでした。しかしみんなのシネマレビューの評価は嘘をつきませんでした。一番面白いのは主人公のユダヤ人であるエリスが死にそうで死なないところです。素晴らしい。「戦場のピアニスト」のユダヤ人の主人公もかなりしぶとい男でしたが、エリスはそれを上回るしぶとさだと思いました。特に圧巻だったのが船の上でユダヤ人が棒立ち状態で射撃の的にされて皆殺しにされるシーンでした。まわりのユダヤ人は次々に倒れていくのにエリスには弾は当たりません。いや当たっているのかもしれない。不死身なのかもしれない。人間じゃないのかもしれない。未来からやってきたターミネーターなのかもしれない。本当にびっくりしました。またエリスが体に注射されて殺されそうになったときも凄かったです。エリスの体が動かない、これは殺られた!と思いました。チョコ食って、少しは体が動くようになりました。でもこの状態では空でも飛んで逃げない限り助からないと思いました。そしたらやはり飛びました。窓から飛びました。思わず拍手しました。すべてにおいて完璧な女でした。シガニーウィーバーに変わって是非エイリアンシリーズの主役になってください。驚きの映画でした。エリスの生命力を賞賛したくなりました。人間ってすばらしい! [DVD(字幕)] 9点(2008-04-22 18:24:58)(笑:1票) 《改行有》 17. セント・オブ・ウーマン/夢の香り 《ネタバレ》 この盲目のオヤジは、確かにガンコで救いがたい愚か者です。しかしこの人は最後の最後まで、ずっと女を求めていました。 それがとても嬉しかったです。タンゴのシーンは、踊りの素晴らしさよりも、アルパチーノの顔の表情が実に感動的でした。 「俺は女が、むちゃくちゃ大好きなんだよ!」というオーラが漂ってきます。 顔だけで「生きている」ことの素晴らしさを見事に表現しています。 私だったら、いくら女性と踊るのが好きだと自覚していても、「好き」という気持ちを押し隠そうとするかもしれません。羞恥心のために。 これほど自分の感情をオープンにできる人を羨ましく思います。「人間は欲がなくなったらオシマイだ」と言わますが、「女が好きでどうしようもない」という感情は本当はすごく素晴らしいことだと思います。 それだけでも「生きる原動力」になりえます。 それが男だと思います。 最近の世の中は、自意識過剰になっている人が増えてきて、愛するよりも、どうやったら愛されるだろうか?なんて姑息に計算をたてて考える人が多いような気がします。 この映画を観て、目からうろこが落ちました。私は映画史上まれにみる偉大なスケベオヤジをアルパチーノが演じたと思っております。 このアルパチーノ演じる盲目の男は常に女を愛し、人を求めていました。 この映画の邦題は「夢の香り」になっていますが、直訳は「女の香り」です。 目が見えなくても、女の香りだけは、無くなったりはしません!彼は自分の境遇に絶望はしても、最後まで「人を求める気持ち」を失わなかったのです! 人間が、つらい人生を生きていけるのは、他人を愛せるからです! 私もいっぱい人を求めたい。そしてその嬉しさを感情に表現したい。愛したい。フーアー![映画館(字幕)] 10点(2003-10-15 03:50:58)(良:1票) 18. シービスケット 一番大きな問題は、「馬も走りたがっているんだよ」という恐ろしい人間の勝手な思い込みである。 物言わぬ馬には当たり前だけど選択する権利はない。 もしシービスケットが喋られるならばこう言うはずだ。「俺は骨折したら殺される運命だ。バカな人間のロマンのために、いつも嫌々走らされているだけなんだよ!」 そしてシービスケットが一番嫌いなやつはトビーのはずである。「トビーよ、てめーの骨折と俺の骨折じゃ全然意味が違うんだよ!甘えるんじゃねー。ざけんなっ!このクソチビが!」と思っているはずだ。 馬から見ればすべての人間は自分勝手なのだ。 そうやって怒っているシービスケットをトビーは「この馬は気性が激しくて僕とそっくりだね♪」なんて勘違いしているのだ。 馬に求める夢、ロマン、希望。それはすべて人間の妄想である。 馬が喋られないことを良いことに、自己解釈しているのだ。 この映画を観て、競馬に夢だの、ロマンだのほざく自己中心型の登場人物たちをみて、「競馬」に携わる人間の「偽善」という醜悪なものを強く感じた。 簡単にいうと、「お前ら嘘つけ!」ということである。[映画館(字幕)] 0点(2004-10-11 12:22:05)(良:1票) 19. 恋愛小説家 《ネタバレ》 いろいろな問題を克服して最後は2人がようやく結ばれることに! だれかこの2人がこれから先、1つ屋根の下でずっと暮していけると思うでしょうか? 絶対にムリだと思う。 問題ありすぎの男女でした。 たぶん、ラストから三日後ぐらいに破局しているもの思われる。9点(2003-10-14 21:27:31)(笑:1票) (良:1票) 20. ショーシャンクの空に 《ネタバレ》 出所したモーガンフリーマン演じる老人は、この先自分は自殺せずに生きていけるのだろうか?と自問自答しているわけです。 その答えを100語を越える台詞を使って説明しなくてもあの「青い海」を観客に見せることですべてを説明してしまう。それが映画の素晴らしさだと思うのです。青い海は「希望」の象徴として用いられていました。「台詞」を「映像」に置き換えて観客に想像させることが本物の映画だと思うのです。[映画館(字幕)] 10点(2003-10-15 02:56:38)(良:1票) |
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