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1.  ゆれる 《ネタバレ》 この映画を観て正直面白かったとは思わないが、「いい映画とはこういう映画なんだな」とは思った。観終った後の余韻に浸れる感じがよい。しばらくの間、頭の中で様々なことがぐるぐるとかけ巡る感じがした。 特に、観終った直後から「あの後、稔はバスに乗っただろうか。それとも乗らなかっただろうか。」ということをしばらくずっと考えていた。 意見は別れるとは思うが、恐らく稔はバスに乗って、猛の元を去ったのではないかと思う。 稔はこの事件を通じて猛に対して兄弟の関係を問いたかったはずだ。稔は「智恵子が付けた爪の傷跡(無罪を立証する物証)」というカード(信頼)を猛に委ねて、猛に対して執拗に兄弟の関係をぐらぐらとゆらしてみた。その激しい揺れに耐えかねて、そのカードを切らずに猛は稔を裏切ってしまった。 しかし、ラストでようやく稔は「兄」の存在の大きさに気づかされる。「今、自分がこうしているのも兄のおかげだ」と。 稔と猛の兄弟は、兄弟という関係に初めて真剣に向かい合って、ラストには真の意味で昔のような兄弟に戻れたと思う。それは猛の叫びと、稔の笑顔が証明している。 確かに兄弟という関係には戻れたと思うが、以前のような生活には戻れないはずだ。 やはり、弟の裏切りには、責めを負わせる必要があるだろう。兄は、なにもかも奪ってしまった弟から、はじめてなにかを奪われる責めを弟に負わせたはずだ。稔は猛から「兄」という存在を奪ったのではないか。だから、自分は最後にバスに乗ったと思う。 また、稔自身もリスクだけを背負ったわけではない。もし弟がカードを切らなかったとしてもよかったと思ったはずだ。この事件がなければ、田舎町でしがないガソリンスタンドを経営し、ボケた父親とともに一生つまらない人生を送っただろう。いっそのこと有罪になることで、彼なりに「つまらない人生からの逃亡」を謀ったのではないか。 そういう点からももうあの家には戻らないだろう。 猛がカードを切って無罪となれば、猛に対して語ったようにガソリンスタンドを改修して、田舎町で人生を送るつもりだったのだろう。弟からの信頼があれば、つまらない人生に対しても意義を見出せると思ったのではないか。[映画館(邦画)] 8点(2006-09-02 02:48:59)(良:3票) 《改行有》

2.  フォーリング・ダウン ロールプレイングゲームのように古い武器を使って、相手を倒して、更に良い武器を手に入れていくというのは面白いのだが、主人公のキャラクターがやや中途半端な印象を受ける。 主人公は離婚や無職のためにあんなに精神的に病んだ人間ではなく、どこにでもいる普通の男の方が良かった気がする。 ただ単に離婚した妻の所にいる娘にプレゼントを渡したいだけだったのに、周囲の誤解などの運命のいたずらにより、また社会に対しての様々な苛立ちのために切れてしまって、どんどんと転がり落ちる人生の方が面白い。タイトルもそうなっているだろうし。 融通の利かないバーガー屋や予算消化の道路工事、携帯が普及して今ではそんなこともなくなったが、何を考えて待っているか分からない公衆電話を待つ人間にはやや納得が出来ても、ゴルフ場での騒動や韓国人店主には少し理解に苦しむ。 まあコンビニで120円の缶コーラを買おうとしたら150円ですと言われたら、やっぱり切れるかな。3点(2005-01-16 18:27:27)(良:1票) 《改行有》

3.  ドリームキャッチャー この監督は実は「笑い」というモノを理解しているんじゃないかという気がする。 笑いの基本である「やるなと言われたことを必ずする」という姿勢が特によろしい。 自分の命がかかっているのに、あそこまで必死に楊枝を取ろうとする姿にはマジで心打たれた。 この世の中には自分の命よりも守るべき大切なモノがあるんだなあと。 その他にも宇宙人の全貌が映ったときのあの衝撃はモノ凄かったよ。 あのデザインは常人には描けんよ。 銃をイキナリ電話代わりに使用するといった小技も使いながら、運転席に座っている人が何も突っ込まないのもクール。 そして映画史上に残るであろう名言「アイ、ダディッツ!」を産むことになるのである。 あまりにも斬新な映画ため、ちょっとこの時代には高尚すぎたのかもしれない。 欲を言えば、最後幼虫みたいなのがマンホールに落ちようとするのを何も知らずに踏んで終わりの方が面白かったと思う。 知らないうちになんとなく世界が救われてるという方がこの映画らしいだろう。 それにしてもあのウナギはどうやったらグレイタイプの宇宙人になるのだろうか。 グレイタイプが赤い粉末をばらまく、それが人間等の体内に入り成長して、お尻からウナギが出てくる。 そしてウナギは何故か一人で卵を産む。その後はどうなるんだ。 卵からかえった幼虫は結局ウナギになるだろうから、ウナギと幼虫のエンドレスだろう。 ウナギがしばらくして大きくなればグレイになるとしても、やっぱあの段階でいきなり卵はやりすぎじゃないのか。2点(2004-10-11 19:13:45)(笑:6票) 《改行有》

4.  スターダスト・メモリー 正直言って、この映画の良さを自分が理解するのは難しい。 感傷的なストーリーをわざと直球で描かずに、暴投気味の変化球でストライクを狙ったように見えるし、そもそもストライクを狙っていないのかもしれない。 「マンハッタン」で甘い感じの映画を創っているので、同じような映画は取りたくないのかもしれないが、人生に成功したかに思われる映画監督が、自分の人生の意味に苦悩し、最後に一つの結論…ドリーと過ごした春の一日、音楽とそよ風を思い出すというシンプルなストーリーにした方が共感は得られやすいと感じる。 しかし面白いシーンはいくつかあった。 「81/2」は見ていないので、あまり語るべきではないのかもしれないが冒頭の電車のシーンは実に皮肉的で面白い。 人生を楽しんでいる陽気な人達が乗る列車とみじめな人生を送った陰気な人達が乗る列車。 サンディは陽気な人達がいる列車に乗りたいと願うも走り出した列車を止めることは出来ず、その願いは叶わない。 到着駅はゴミ捨て場であるが、とぼとぼと歩いていくと、向かい側から陽気な人達が乗る列車に乗った乗客に出会う。 この絶望的な人生観は見事としか言いようがない。 また、壁紙を使って、その時の深層を表現するというのも斬新な手法だろう。 この映画は自分には、アレンのあらゆるものからの決別の一種の決意のようにも感じる。 あらゆるものとは、大衆やファンであったり、商業的なものであったり、自分の映画への評価や研究、偽善的と言っては言い過ぎかもしれないが寄付等への決別。 「過度の現実を好まない」大衆に対して、自分は現実を描くというアレンの一種の決意なのではないかという気もする。 もっともアレンはこの映画の中のサンディと自分とは全く別の違う人間と言っているが、「コメディ」云々の話からどう考えても重ねて見てしまうだろう。 その狙いがないとすれば、サンディ役は別の俳優をキャスティングすべきであった。 アレンとサンディを重ねることによって、この映画の真意を探るための弊害になっている気がする。 また、映画の中に更に映画を入れるということが果たして良かったのかどうか疑問に感じる。 特にこの映画のように境界線が不明瞭であるとするとテーマや感じ方も不明瞭になってしまう気がする。4点(2005-03-20 21:40:07)(良:1票) 《改行有》

5.  フランティック 《ネタバレ》 自分がポランスキー監督のことをよく分かっていないのかもしれないけど、ポランスキー監督らしくない普通の真っ当なサスペンス作品であることにまず少々驚いた。こんな映画も撮れる人なんだなというのが正直な感想。 そしてハリソンフォード。この人は嫌いでもないし、特別好きでもない、正直いってあまり印象もない人だけれども、この映画の中の彼の演技は素晴らしいと言わざるを得ない。 異国の地で事件に巻き込まれた「孤独感」「困惑」「いらだち」「必死さ」を見事に表現していた。 特に子ども達への電話が見事。普段なら親のいないところでパーティーなんてやっていたり、深夜に出歩いていたら、どなりつけるものなのに「楽しみなさい」なんて絶対言わないようなセリフの一つに「不安感」とともに「安堵感」という表裏した感情を織り交ぜている。 また、屋上での窓から窓への移動における彼の演技も素晴らしくないだろうか。唯一の手がかりであるカバンをぶちまけたのに「もうどうなっても知らんがな」という投げやりな表情を浮かべている。 そして、劇中における彼の性格や生活感も随所ににじみ出ていた。裕福な医者でありなんでも金で解決しようとする姿勢や、重要な交換条件である自由の女神よりも目の前の女性の命を優先する姿勢、敵であるはずなのに心臓マッサージを施す姿や、こんなところでは会いたくもないはずなのに能天気な医者仲間に会った時の彼の態度、全てに彼の性格があらわれている。 この映画は細かい部分に亘って、演技、脚本、演出が揃ったなかなかのものと言わざるを得ない。 謎の女性もなかなかの好演。最後に金を要求したのも、彼女なりの意地と、親友を(敵対している相手から)殺されたせめてもの報いを込めているのだろう。 それにしても、この映画、冒頭のクレジットから「ナインスゲート」に酷似している気がする。テーマこそ全く違うが、アメリカから来た男性が異国の地で否応なく事件に巻き込まれていく、そしてその登場人物を助ける謎の女がいるという構図はそっくりだ。しかし、あちらの評価は相当低くした。自分にとって、映画における重要な点の一つに、登場人物の感情の動きが読めるのかどうか、感情移入できるかどうかという点があるのではないかと二つの映画をみて思い知った。 [DVD(字幕)] 8点(2006-01-01 18:01:36)(良:2票) 《改行有》

6.  いつか晴れた日に 《ネタバレ》 ラストにエリノアが泣き崩れるシーンがいいね。あのシーンだけでいかにエリノアが内に色々なことを抱えて生きていたのかがよく分かる。自由気ままな妹(最初姉を気遣ってブランドン大佐との関係を踏み出せずにいるのかと思っていた…)を心配し、夫を亡くした母を気遣い、言いたいこともいえずに一人悶々とした日々を送り、おまけにルーシーとかいう女に色々とあることないこと訳の分からないことを言われ続けた揚句の涙だけによくエリノアの心情を察することができるよいシーンだと思う。 その後もとくにエドワードとエリノアの二人の結果を執拗に描くこともせずに、さらりとブランドン大佐とマリアンヌの結婚式の中で描くのもさすがにアンリーだ。 そして、あの結婚式の風景を丘で一人見詰めるウィロビーの表情も好きだ。人間的で、かつ複雑な表情をしている。 マリアンヌに幸せになって欲しいと願っているのと同時に、やや後悔にも似た想いを感じる。様々な環境に流されて、間違った選択をしてしまうのは人生に付きまとうものである。 マリアンヌを選ばなかった選択が間違っているか、合っていたのかは分からないが、もし自分がウィロビーの立場ならば、彼と同じ選択をしただろう。その選択が合っているのかどうか分からずに悩みながら人生を生きるというのも一つの男の生き方ではないか。ブランドン大佐に賞賛の声が多数挙げられているが、ブランドン大佐のモトカノの娘を孕ましたというエピソードがなければもっと彼に対しても同情の声があってもよいと思う。[DVD(字幕)] 7点(2006-03-27 01:08:25)(良:1票) 《改行有》

7.  ファーゴ 評価はやけに高いけど、何回観てもピンとこない映画です。 メイシーの楽観的で何も考えてない浅はかな振る舞いにより引き起こされる悲劇と人生の転落劇。二組の夫婦を描くことにより人間の愚かさと幸せをテーマにしているとは思うけど。足りない部分を補うのが人間や夫婦ということなのかな。 ブシェミがどこ行っても、「とにかく変な顔だった」と一言で片付けられてしまうのは面白いが。7点(2004-04-11 02:04:42)(笑:1票) 《改行有》

8.  ナチョ・リブレ/覆面の神様 《ネタバレ》 監督・脚本はナポレオンダイナマイト(邦題バス男)のジャレッドヘス、もう一人の脚本はスクールオブロックのマイクホワイト、そして主演はジャックブラックである。この三人が組んだら、どんなに面白い映画が生まれるかと期待してみたところ、正直いってまったく面白くない映画ができてしまった。 それぞれの個性のよさがぶつかりあって、彼らのよさが中和されてしまっている。危険な「毒」を三種類混ぜたら、無味無臭で無害の液体になったようなものだ。 構造は、「ナポレオンダイナマイト」と変わらない。二人のさえない男と一人の女性が中心となり、細切れのエピソードを繋いでいき、ラストは主人公があっと驚くようなことを成し遂げるという展開は同じだ。にもかかわらず、これほど面白さに違いを生じてしまった理由は何かというと、本作で核となる三人がまったくそれぞれの良さを引き立てていないからだ(子ども達、修道士、レスラーも含め)。ヒロインは可愛いがただの飾りにすぎず、ヤセは「パートナー」というよりもただの人形的な役割しか果たしていない。ヒロインはナチョを奮起させたり、見守っている存在ではなく、ヤセは友情を感じさせる存在でもない。それならば、ナチョの人物像をしっかり描いているかというとそうでもない。子ども達のために戦っているのか、それとも自分が強くなりたいから戦うのか、はっきりとした意志や哲学があるわけではない。ただ、「なんとなく」のエピソードが羅列されるばかりである(ナポレオンも構造は同じだが有機的な結合はみせていた)。それが笑えればなんとかコメディとしては合格となったが、まったく笑えないのでタチが悪すぎる。ワシの卵でどうやって笑えといういうのか。 ラストのバトルとしても全く工夫がなさ過ぎる。普通に戦っていったいどうするんだと言いたい。奇想天外な方法で相手を撹乱させたり、修道士なのだからラッキー的な方法(神の思し召し)で不利な展開が一転して有利になるようもっていくべきだろう。例えば、バトル中にスイカを登場させていたと思うが、(デブの女を絡めて)ヤセがスイカの種を投げたらラムセスの眼に突き当たったり(そうすればバイク強盗のエピソードも少しは活きる)といったネタが必要だろう。これではスイカを出した意味もまったくない。二人の小男との試合に切れがあったことと、ラムセスとの戦いの前の歌を評価して、この点数としたい。[映画館(字幕)] 2点(2006-11-17 00:14:47)(良:1票) 《改行有》

9.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 10点をつけざるを得ない超絶神映画。 常人のセンスを遥かに越えた監督と撮影監督の手腕と想像力には脱帽せざるを得ない。 普通の映画とはまさに一線を画すモンスター映画だ。 本作を有楽町「日劇1」という1000人程度のキャパの映画館で観れたことは、自分にとって誠に貴重な体験となった。 映画の中の世界を、まさに「体験」したと言っても言い過ぎではないだろう。 終盤の8分長回しが話題になっているが、凄いのはその8分だけではなく、冒頭からずば抜けている。この映画のカメラの動きを考えながら観ていたら、武者震いが止らなくなった。あまりに凄すぎて圧倒されっぱなしで、観ている自分は終始半笑い状態だった。 まばたき一つするのが惜しいほどだ。少しでも油断したら「やべぇ、今どうやって撮ったんだ」と後悔してしまう。 監督に負けず劣らずクライブオーエンもよい演技をしている。 子どもが産まれなくなった世界で、アイロニカルながらもとても情熱的な男を演じきった。 ジュリアンが死んで木陰で泣き崩れる姿、ジャスパーが死んでミリアムに「触るな」と怒鳴る姿、怒鳴った後にキーに「大丈夫だ」という姿、ラストの船の上で「ゲップさせてやれ」とアドバイスを送って(自分の過去の経験が活きているのだろう)、「本当に良かった」とつぶやいて息を引き取る姿、どれも素晴らしいものだ。 そして何よりも本作の世界がクライブオーエンが知り得た情報のみで成り立っているのも面白いところだ。 情報不足・説明不足という批判を承知で、あえてそういうモノ作りを試みている。 「子どもが産まれなくなった理由」や「ヒューマンプロジェクトとはどういう組織か」などはあえて描かなくてもよい。むしろ本作ではこれらについても十分過ぎるほど情報が与えられていると思う。 ストーリーがないという批判を受けるかもしれないが、ストーリーも十分すぎるほど描かれていると思う。これ以上描いたら「蛇足」になってしまうかもしれない。 ストーリーにおいても、映像においても、メッセージ(子どもを観て皆戦いを止め、道を開けるシーンは映画史に刻まれてもよい)においても文句の付け所のない完璧な映画と思う。 映画の見方・作り方、映画に真摯に向き合う姿、映画の面白さを教えてくれた本作には感謝したい。[映画館(字幕)] 10点(2006-11-20 23:54:47)(良:3票) 《改行有》

10.  ソウ2 《ネタバレ》 「あなた(エリック)はわたし(アマンダ)の最初の被験者なのよ」という言葉で締めくくられていたと思うが、この言葉が意味するところは、本作は「アマンダとエリック」のゲームでしかなかったのだということである。つまり、ジグソウも含めて、息子や閉じ込められた者たちはすべてアマンダのゲームの駒にすぎなかったのである。息子を含めた7人(アマンダを除く)は実はゲームのプレイヤーではなかった。アマンダの役割は息子を暴漢やトラップ(針山のトラップにアマンダが落とされたのは、息子の身代わりに落とされたとした方がよかったと思う)から保護するための守護者の役割である(ゲームの賞品に傷がついたらエリックとのゲームが成り立たなくなってしまう)。だから、彼らにはほとんど生き残る手段が与えられていないのである。誰よりも「生」への執着を示し自らの身体を犠牲にした者(本来のジグソウのゲームでは勝利者になれる)ですら、殺してしまっているのはこれがジグソウのゲームではないからだ。 確かに、前作のジグソウにしても、ゲームのためにプレイヤー以外の者が犠牲になることはあった(前作でアマンダが生き残れたのは、麻酔で身動きが取れなくなった生きた人間の胃の中から鍵を取り出せたというもの、そしてゴードン医師の家族など)が、本作に至っては、「生」の喜びを享受しない者への戒めという趣旨よりも、単なる「復讐」という趣旨に変わってしまっていることが分かる。「復讐」のためならば、他の人間の命を犠牲にしてもよいという考えは、初代ジグソウの理念とはだいぶかけ離れたものだ。「命」を粗末に扱っているのは、誰であろうアマンダということにはならないか。 このように、ややアマンダの哲学には賛同しにくい部分がある。「永遠に生きるためには人々の記憶に残ること」といったよく分からない理屈を持ち出しているのもあまりいただけない。 また、前作に引き続き、ゲームのプレイヤーが適していたかどうかが不明瞭だ。ゴードン医師やエリック刑事といった、人々を守るべき立場の者をハメル必要性があまり感じられない。確かにでっち上げや暴力によって逮捕していたかもしれないが、アマンダのような小娘ひとりをでっち上げで逮捕するメリットは正直あるとは思えず、普通に考えれば何らかの理由があったからではないか。「悪いことはなんでもやったがクスリはやっていない」というのは説明不足すぎる。[映画館(字幕)] 6点(2005-11-02 23:45:42)(良:1票) 《改行有》

11.  ニキータ 《ネタバレ》 ニキータは強そうにみえても実は弱い一人の孤独な女なんだと思う。 家族もいない、友もいない、そんなニキータの心を支えていたのは、マルコの存在なんだろう。微笑み方も知らなかったニキータの微笑みをマルコが誉めたとき、ニキータは「あなたが教えてくれたのよ」といったセリフが非常に印象的だった。マルコも愛してるがゆえに多くを聞かず、たとえ知っていたとしても何も語らなかったのだろう。ラストにニキータ一人に行かせたのも、お互いの愛の絆が強いからなんだろうと思った。 また、ボブの歪な愛も奥ゆかしい。はじめてのレストランでの食事のプレゼントに始まり(ニキータの表情も見事)、男のトイレの奥の窓が壁であるということを知っていたことから、ニキータとマルコに薦めたベニス行きのチケットの裏にあったものが実は暗殺の指令であったこと、などこの映画の美しさの裏には全てマルコの歪な愛情にあるのではないか。「私なりの愛し方」という表現は実に見事だった。[DVD(字幕)] 7点(2006-05-04 22:11:56)(良:1票) 《改行有》

12.  DEATH NOTE デスノート the Last name 《ネタバレ》 原作は未読。 あまり深く考えずに、ストーリーを単純に追えばなかなか面白い作品になっていると思う。 しかし、よくよく考えると、本作のラストの展開は少々強引ではないだろうか(原作は1ページも読んだことがないので的外れな意見かもしれないが)。 特に、エルが自分の名前をノートに書くという動機や必然性が乏しいのではないかと思われる。西山冴子のノートをエルたちは手にいれ、海砂のノートもエルはすり替えたわけだから、あとは海砂に偽のノートを本部に持って来させて、それをこっそりとライトに渡させ、偽のノートにエルの名前を書かせた後に、死んだふりをすれば、本作と同様の効果は得られるはずだ(本部でのライトの行動は一挙手一投足監視カメラを使用すれば、なんら問題ないはず)。 偽のノートに記された名前は殺人未遂の証拠になり得る。 実際、ライトはすり替えたノートに自分の父の名前を書いていることからも、ライトは海砂のノートを疑ってはいない。 それにも関わらず、ワタリにあえて海砂を連れて来させているのは、理解に苦しむところだ。海砂を自由に泳がせないとエルの名前をライトに伝えることは困難さが増す。ライトがレムを使うというアイディア自体は面白いが、単にレムのストーリーを作りために、わざわざ逆算して色々なストーリーを構成するから、少々綻びが生じてしまう気がした。 ルールをよく理解していないのかもしれないが、リュークはすり替えられても海砂に何も言わないのだな(すり替えられてもリュークは所有者の海砂に張り付くのだろうか)。リュークは単なる暇つぶしのために人間界で遊んでいると思われるから余計なことは言わないだろうが、エルは海砂のノートをすり替える際のリュークのリスクをあまり計算していないようにもみえる。 また、原作を知らないのでよく分からないが、ライトという男はもっと慎重な人間ではないのか。映画なのでやむを得ないところがあると思うが、単に自滅していったに過ぎないライトの姿には、あまり同情や哀れみなどを感じられなかったな。 前後作合わせて制作費20億円と伝えられているが、いったいどこに費用が掛かるのかという内容であった。これほどローリスクハイリターンな商売もないので、この内容ならば費用はもっと抑えるべきだろう。[映画館(邦画)] 7点(2006-12-31 00:17:59)(良:1票) 《改行有》

13.  レディ・イン・ザ・ウォーター 《ネタバレ》 アメリカではシャマラン作品としてはかなり苦戦した興行収入となり、ブエナビスタ(ディズニー系)が製作に二の足を踏んだため、ワーナーと手を組んだという、あまりいい評判も聞くことはなかった本作であるために、まったく期待していなかったが、正直いってそれほど悪くはないと思う。 シャマラン監督というのは、意外と不幸な監督であり、シックスセンスの大成功により、「どんでん返し」や何か絶対に「裏」があるのではないかと、絶えず観客から変な期待されてしまう。本作には、そういった「裏」はまったくないし、自分もシャマランにはそういうものを期待しなかったから、本作を純粋に楽しめたのかもしれない。思い切って、冒頭にテロップで「本作は最後まで特別なことは起きませんので、期待しないでください」とでも流せばよかったのかもしれない。 酷評したくなる気持ちは分からないでもない。ストーリーは単純で「水の精をみんなで協力して、元の世界に帰してやる」というだけのものである。裏も何もない、本当に純粋な「おとぎ話」にすぎない。いい大人が見れば「クダラネェ」と思っても仕方がない。 しかし、自分は子どもに返ったようにワクワクしながら「マンションの住民」を応援できた気がした。「水の精」に疑いすら持たない住人たち、誰も彼も協力を惜しまない住人たちに普通ならば違和感を抱くかもしれないが、別にそれでもいいじゃないだろうか。このマンションは、シャマランの描く「理想郷」なのだから。人間はみな善良で、それぞれ役割を持ち、生きている意味や目的があるという、シャマランの理想がここには描かれている。シャマランが込めた願いとしては、子ども達にはこういう大人になって欲しい、大人には、子どものような気持ちに戻って、純粋で清らかな心を思い起こしてほしいということだろう。 個人的には、あんな狼みたいな生き物で、音や衝撃だけのコケオドシは止めて欲しかったが、人間の理想郷を描いた本作では人間の形をした生き物に「悪」を担わせることをしたくなかったのだろう。自分には、そういう理想はないので、あの狼を操る「悪者」がマンションの住人の中にいるという設定にした方が、より万人に好まれる作品になったのではないかと思う。 大人向けでもなく、だからといって子供向けの作品でもなくなってしまい、ターゲットを失ってしまったのが、本作の興行面の失敗の理由のひとつだろう。[映画館(字幕)] 7点(2006-10-02 21:19:39)(良:3票) 《改行有》

14.  プロヴァンスの贈りもの 《ネタバレ》 アメリカでは、製作費35百万ドルに対して、7.6百万ドルの興行収入しか上げられなかった大コケ作品。本作は興行的には失敗作といっていいだろう。 特に、ストーリーらしきストーリーはなく、ラッセル・クロウがただ単にはしゃいだり、遊んだりしている映画なのかもしれない。 見る人によっては確かに飽きるだろう。 しかし、個人的にはこれは結構好きな作品だ。 夏休みにプロヴァンス、又は自分の故郷にでも帰ったかのような錯覚に陥るほどの心地よさを感じる。 日々の忙しさを忘れて、自分の少年時代を思い出しながら、ゆったりと時間が流れていく。 徐々に自分までもが癒されていくかのような感覚すら感じさせる映画だ。 美しい風景、美味しそうな食事、美しい女性たちにも酔いしれる。 「ブラックホークダウン」もそうであったが、脚本に書けないような微妙な空気感を描くことをリドリー・スコットは得意としているようだ。 このような演出が可能なのは、数少ないベテラン監督だけだろう。 まさに熟練した味わいを堪能できる。 仕事だけに生きる都会生活を捨て去って、田舎で静かに自分の人生を楽しむというのは、本当に憧れる生き方だ。 こういった逃避的な生き方は、アメリカ人には理解できないのだろうか(それとも十分に余裕があるのか)。 幸いなことに、今の自分はそれほど仕事が忙しくもなく(以前は月に200時間残業して何のために生きているのか分からないときもあった)、映画を楽しむ余裕があるのが救いとなっているので、完全に逃避する必要はないのだが、仕事や都会の生き方に疲れた大人に見てもらいたい息抜き映画だ。[映画館(字幕)] 7点(2008-02-02 23:51:06)(良:1票) 《改行有》

15.  プレデターズ(2010) 《ネタバレ》 「プレデター」にオマージュが捧げられており、事前に復習しておけば、2倍楽しめる。構造やネタを重複させて、遊んでいるところが面白い。ただ、それなりにアイディアを盛り込んでいるが、もう一つ練り込まれていないという印象。全体的に“勿体無い”というイメージだ。 フィッシュバーンが演じたキャラクターは悪くはない。相当に中途半端ではあるが、あっさりと瞬殺させて、「大物と見せかけて、実はザコ」というロドリゲスっぽい遊びは面白い。しかし、美味しいキャラクターに仕上がるはずが、生煮えという仕上りとなっており、勿体無い。必死に風を煽る姿や、7~10シーズンを乗り切ったとは思えない間抜けなラストはユニークな仕上りになるはずだったが、上手く仕上がっていない。 ドクターの存在も同様に勿体無い。何かネタを仕込んでいることは分かるが、ラスト付近まで引っ張った割には「その程度か」と落胆してしまう。そもそも助けてもらった相手をわざわざ痛めつける理由が分からない。殺される前に、最後に楽しみたいという理由だろうか。ストーリーを展開させるという役割は与えられているが、十分機能を果たしているとは思えない。全体的に、各キャラクターが十分活かされておらず、彼らに込められた存在価値がやや低いような気がする。生き残るためには利用できるものは何でも利用するという強い精神力や、人間の敵は人間だという怖さも感じられない。数だけは揃っているが、居ても居なくても同じでは困る。このキャラクターがいなければ、この映画が成立しないくらいの価値を込めて欲しいところだ。 また、名前も名乗らず、仲間を駒や囮としか考えなかった一匹狼が、宇宙船に乗らずに仲間の女性を見捨てなかった理由もそれなりに強化してもよかったのではないか。 このサバイバルを通して、彼の心に何かしらの変化を与えたネタも仕込んで欲しいところだ。一人の力では生き残ることはできない“無力さ”を知り、誰かと協力せざるを得ない展開を考えて欲しいところだ。ベタではあるが、どこかであの女性に命を救われるという展開を仕込んでもよい。命を救われる展開はあるが、宇宙船出発前の方がよいだろう。さらに人間は個体では弱いかもしれないが、様々な知恵や協力による組織力で乗り越えてきた歴史があるのだから、プレデターと人間との“差異”を盛り込んでもよいのではないか。[映画館(字幕)] 6点(2010-07-14 23:31:51)(良:4票) 《改行有》

16.  エクスペンダブルズ 《ネタバレ》 スタローンに関しては“不屈”のスターというような好意的なイメージをもっているが、それほど深い思い入れはないというところ。「ランボー」の最新作に関しては純粋に面白い作品と感じたが、本作に関してはあまりハマれなかった。描かれていることについては、それほど多くの差異はないとは思うのだが、何が違うのだろうか。 本作は“過去のスター”を揃えることが目的のようになってしまったためか、全体的なバランス感覚を失しているような気がする。年齢を感じさせない彼らが活躍する姿や、スタローン、ウィリス、シュワが同じフレームに収まるのを見られたことは嬉しいが、集めただけで活かしきれていないのはもったいない。また、他の出演者を優先させるためか、それとも均等に活躍の場を与えるためか、スタローン自体も一歩退いているので、輝いている演者がイマイチ見当たらない(輝くような撮り方ができていないということもある)。この辺りが「ランボー」シリーズとは異なるところだろうか。スタローンが先頭切って、もっと派手に暴れて欲しかった。リアリティなど誰も気にしないのだから、誰も手を付けられない“超人集団”でもよかったと思う。序盤の船舶のシーンや、中盤の飛行機による乱射などのムチャなシーンも見られたが、肝心の終盤がイマイチでは盛り上がらない。終盤がイマイチというよりも、単調な作りなので飽きるといった方がよいかもしれない。 基本的に、チームがバラバラな点に関しても、面白ければそれでもよいが、「特攻野郎Aチーム」のような絶妙なまとまりも無ければ、「ナイト&デイ」のようなスター×スターという構図ではなくて、ただの足し算的な描き方(足せてもいないか)では面白くない。 テーマ的には、敵を殺すことはできても、女を救うことができなくては“男”とはいえないということだろうか。 ミッキー・ロークの訳の分からない涙ながらのエピソードや、ステイサムの女を巡るエピソードを含めると、だいたいそのようなイメージを持つ。 ただ、逃げられるのにみすみす捕まった相手では同情しようもなく、「男の美学」「男の哲学」のような心に訴えるものではなかった。 スタローンの脚本であり、全体的にツメがやや甘すぎたか。ツメが甘いというよりも、振り返るとストーリーがよく分からない。本作についてはストーリーはどうでもよいのだが、釈然としない流れでは肝心のアクションにも乗れない。[映画館(字幕)] 5点(2010-10-18 23:31:47)(良:1票) 《改行有》

17.  ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 《ネタバレ》 ダニエル・デイ=ルイスの演技は完璧だ(完璧すぎて一緒に仕事をするのは大変そうだ)。彼の演技を見るだけでも、本作を見る価値はあるだろう。 ただ、“映画”としてはそれほど面白いものではなかった。 正直いって、個人的には作品には全く入り込めなかった。 これは作品の出来が悪いということはなくて、常人には入り込めるような余地がない、常人を拒絶するような作品なのかもしれない(音楽も拒絶する要因になっている)。 アンダーソン監督は、あえて挑戦的な映画を製作したように思われる。 「金よりも大切なものがある」「金中心の自分の人生を最後に後悔する」というような、ありきたりな甘い作品になっていないのもポイントだ。 「金のためならば自分の魂までをも売る」というのは、ある意味で人間の真理の一面でもある。 人間には善の部分も確かにあるが、悪の部分もあるのは間違いないだろう。 こういった人間の本質的な部分を描き切った点は非常に評価できる。 通常のハリウッド映画には到達できない境地といっていいだろう。 ダニエルは、冒頭の青年時代の金採掘時から、ラストの老年時代に至るまで、全くブレていないのかもしれない。 他人の成功を妬み、自分が成功することのみを追求し続ける。 それがある意味で人間らしく素晴らしい。 ただ、ブレる要素はあった。 思いもよらぬ息子や弟の登場により、彼にも変わるチャンスはあった。 ただ、実際に血の繋がりがない肉親ではないために、関係が脆いものだったのが不幸だったのかもしれない。 ダニエルなりに葛藤はあったが、他人に対して自分本位の物の見方でしか、接することができなかったのだろう。 息子が独立したいといえば彼の見方では商売敵になる、赤の他人が近づいてくれば彼の見方では自分の金を狙っている、神がいるという者は嘘つきだという考え方しか彼はできなかった。 ただ、この世の中においては、彼の見方も一つの真実であるので、タチが悪い。 他人の生き血を吸い続けるという彼の生き方が何もかも間違っていると断言できる自信は自分にはない。 彼を「勝利者」とはいえないが、「敗者」でも「可哀相な人」でも「破滅した人」でもない。 何ともいえない深さが本作にはあり、初見では全体が見えてこないかもしれない。 何度も見るべき作品だろう。 「ノーカントリー」よりも、将来的に語られる映画は、恐らく本作の方だと思う。[映画館(字幕)] 7点(2008-05-19 22:39:16)(良:1票) 《改行有》

18.  サンキュー・スモーキング 本作は「インサイダー」のようなタバコ業界の内幕を暴露するような映画でもなければ、マイケルムーア作品のようにタバコ業界を糾弾するような映画でもなく、「スーパーサイズミー」のようなタバコの害を体験しながら明らかにしていくドキュメンタリーでもない。 本作はタバコ業界を舞台にした人間ドラマである。しかも、タバコ業界に関与している者同士の利権や思惑が交錯する複雑なものではなく、根っこは「親子」の在り方を描いた作品である。なぜ、タバコ業界を描きながら、親子の話がでてくるのかと感じた人もいたのではないだろうか。<以下ネタバレ>タバコに害があるというのは、大人であれば誰でも分かることだ。害があると知りつつ、タバコを吸うのには誰に責任があるのだろうか。 本作では「本当にタバコ会社に責任があるのだろうか?」という問い掛けをしている。話を変えれば、「肥満の責任はマクドナルドにあるのか?」「クルマの事故は自動車会社にあるのか?」「殺人の責任は銃器メーカーや刃物製造会社に責任があるのか?」「飲酒運転はビール会社や自動車会社に責任があるのか?」という問題と同視できるのではないか。責任の一旦はあるのかもしれないが、(タバコには中毒性という問題があるかもしれない)これらに起因する責任は「自己責任」ではないかという問題提起をしているのが新しい。各人が自分の行動に責任をもてるようにするためには何が必要なのか?という答えに対して、本作では「教育」という問題を取り上げている。学校での教育ではなく、家庭での教育である。本作では、父と子どもが向き合って話し合い、ありのままの父親の姿を見せ、子どもに考えさせ、子どもを成長させ、時には、子どもに励ましてもらい、子どもに対して恥ずかしくない生き方を示していく。お互いがお互いを成長させるという理想的な姿をユーモラスに描き出している。訴訟大国アメリカにおいて、タバコにドクロマークをつけるかどうかというように問題をすり替えることで決着させるのではなく、本質的で当たり前の部分を突いているという点に対して、とても新鮮で驚かされることとなった。 本作の上映前に同監督の短編「In God We Trust」という作品も特別に併映された回を鑑賞することができた。結構、他の観客には大いに受けていたが、それほど笑いのレベルは高くはないと感じた。本作がDVD化された暁には、この短編も付録につくのかな。[映画館(字幕)] 7点(2006-10-24 00:03:24)(良:1票) 《改行有》

19.  リディック 《ネタバレ》 ここだけでなく世間一般でも酷評されている上にピッチブラックもそれほど気に入った作品ではなかったので全く期待してなかったけど非常に満足できる出来に仕上がっていると思う。 ピッチのストーリーは引き継ぎながらも全く違う世界観と凝りに凝った映像と迫力には圧倒される。 特にあの一見、趣味の悪いデザインはこの世界観にまさにピッタリだし、魂の描き方や熱風、ロードマーシャルの動き、熱風ダイブ自殺にも中々のセンスの良さを感じる。 キャラクターも多彩、賞金稼ぎにネクロモンガー、前作の生き残りや勘のいい看守とそれぞれに独特の個性や世界観に合ういやらしさを感じるし、役にあったセンスのイイキャスティングも良かった。 ヴィンディーゼルは全く好きな俳優ではないが、あのゴーグルのおかげで表情の演技をしなくていいのでむしろ良い、外し方には問題があったが。 アンチヒーローと言われている割には悪っぽさを感じられないのがイマイチ、むしろ前作見殺しにしようとしていたノリを消えうせ、イマムを殺されたらそいつを殺しに乗りこむし、自分の危険を省みずにキーラも助けるからむしろヒーロー性しか感じられないのが残念だ。 美女にくっついていくところとかはいいけど野獣とか言いながら、あのイヌをてなづけられるのなら前作でエイリアンをてなづけてくれよ。 ストーリーも悪くない、内部での紛争や陰謀、無茶苦茶な教義が話を一層面白くしてるし、息を入れる隙がないほどテンポも良く練られた脚本も素晴らしい。 ただ、この映画3つの間違いを犯している。 一つは、ジュディデンチを起用していること。確かに重みのある女優だが、彼女がやる必要を感じられない。むしろ一人だけ浮いてしまって完全にミスキャストと言わざるを得ない。せっかくの世界観が壊れかねない。 二つ目は、熱さや寒さ、スピード感を俳優が全く演技していないこと。映像は良いのに俳優が何も感じていないのに、観客は何を感じればいいのか伝わらない。 三つ目は、おすぎを起用していること、言わずもながだが。今ならハッスル小川とか使えば面白いはずだった。 アメリカでは中コケしたし、面白がるターゲットが狭いので続編見たいけど厳しそう。多少ドラゴンボールに近いモノも感じるので、好きな人には是非あの迫力を映画館で楽しんでもらいたい。9点(2004-08-08 00:37:45)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

20.  市民ケーン 《ネタバレ》 本作が長い映画史において燦然と首位に輝く最高の傑作とは思えないけど、高い水準にある映画であることは間違いない。 まず、映画の構成がとても独創的であると感じた。スーザンがザナドゥでジグソーパズルをやっていたと思うが、本作こそはまさに「ジグソーパズル」ではないか。観客は、示されたいくつかのピース(ケーンの人生の断面)を与えられ、ケーンの人生像を探ろうとするものの、ジグソーパズルの全体像(ケーンの人生像)は最後まであまり見えてこない。しかし、最後のワンピースである「ローズバド」が観客に示されると、とたんにこのジグソーパズルは完成するという仕掛けになっている。観客は鑑賞中に、ケーンというジグソーパズルを完成させるという脳内での作業を強いられるわけであり、頭脳を使わなくてもよい、ただのハリウッド映画とは性格を異にする映画である。そういう意味においても、万人が好評価できる万人向けの映画とは思えない。 ストーリーに目を向けると、「ローズバド」によって明らかになったケーンの人生は、悲惨なものだった。金によって欲しいものは何も買うことはできず、金によって必要なものは失われていき、金によってますます孤独になっていく(ザナドゥの城のように)。人を愛そうとしても愛することができず、人や市民から愛されたいと願っても愛されることはなく、すべて自分本位でしかいられなくなった。大金を有したことによって人生が狂わされていく。 もっとも悲惨なのはスーザンに対するケーンの対応ではないか。 スーザンに対してケーンは金の力を利用して、彼女の望まない人生を歩ませる。これはまさにケーンが後見人のサッチャーなどからされたことにすぎない。ケーンは自分の力で歩むことができなかった人生に対して怒りを感じていたにもかかわらず、愛そうとした者に対して、同様のことをさせることしかできなかった…そういう愛情の方法しかできなかった、知らなかったのである。この矛盾こそ、ケーンの人生を一番明らかにしているだろう。スーザンに歌を止めさせようとしなかったことも、知事選に負け、ジャーナリストとして道を外してしまった自分の(勝利を確約されていたはずの)人生の負けを認めたくなかったからなのだろう。大金を掴んでしまった故に、悲惨な人生を歩むざる得なかった、とても哀しい、寂しい男の一生がきちんと描きこまれていた点において本作は評価せざるを得ない。[DVD(字幕)] 8点(2006-10-01 15:40:00)(良:2票) 《改行有》


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