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自己紹介 私の名前はゑぎ。西部劇のファンです。

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評価順1

1.  この世界の片隅に(2016) 《ネタバレ》 本作の原作漫画を遥かに凌駕する映画的演出で特記すべきは、まずは、呉の嫁ぎ先のロケーションです。山のふもと。斜面の畑。石垣。晴美と呉港を見渡して会話するシーン。 タンポポを飛ばすシーンで、周作と並んで石垣の上に座る場面など、高低と奥行きの描き方が圧倒的。そして呉で初めての大規模な空襲のシーン。「こんな時に絵具があれば」というモノローグ。青空に連続して描かれる破裂する爆弾。なんて美しい表現でしょう。また、時限爆弾の後の、黒地に線香花火のような落書き風の処理。こういうの、実写でやってもいいよなぁ、と思いながら見ました。 さて、もう一つ、大雑把な云い方ですが、映画を見た際に誰もが感じるであろう、隠喩の豊かさについても、原作で既に描かれているか検証したい、と強く思いました。 そこで、象徴について追記。やっぱり、本作において最も重要な色彩は白色なんだろうな、とつらつら思いました。思いつくまま白い色をあげてみます。 例えば、タンポポや白鷺の表すもの。金床雲とキノコ雲。ばけ物と鬼(ワニを嫁にもらうお兄さん)。或いは、ネーミングによる多重性、すずとりん、すずの妹の「すみ」(片隅のすみではないか)、「ふたば」という料理屋。遊郭「二葉館」。 これらは殆ど、原作通りですが、映画における白鷺のメタファーは原作をかなり超えるものです。 白いタンポポ。タンポポの綿毛。白鷺。白鷺の羽。波間の白うさぎ。白粉、白粉をふった、すずの顔。雲。アイスクリーム。包帯。砂。糖。白米。 ところで、これは映画的な話ではないので恐縮なのですが、御多分に漏れず、私も映画を見た後、気になって原作を読んだクチです。 何を一番確認したかったのかというと、実は冒頭の扱いでした。この映画を見た際に最も驚いたのは、冒頭、アバンタイトルで、幼いすずが船に乗って一人広島市内へお遣いに出ますが、その際にBGMとして讃美歌「神の御子は今宵しも」が流れ、広島市では、クリスマスの装いが描かれるのです。ちょっとこれには驚きました。 タイトルバックの「悲しくてやりきれない」以上に、このクリスマスソングに驚いたのですが、原作ではこのシーンは昭和9年1月の出来事として、描かれており、明かな片渕須直による改変なのです。 原作と映画との相違では、この部分は大して重要じゃないかも知れません。こゝよりも、夫・周作の過去の扱い、遊郭の女・白木リンの扱いの方が大きいかも知れません。 ただ、私にとっては、本作がクリスマスの映画として始まる、というのは決定的に重要な細部です。[映画館(邦画)] 9点(2017-03-28 05:40:00)(良:1票) 《改行有》

2.  グラン・トリノ 《ネタバレ》 ポーチと椅子と床屋。西部劇の記号。実は過去のどのイーストウッド映画よりこれら道具立てが頻繁に現れることに戸惑った。しかし過去のどのイーストウッド映画よりも西部劇足ろうとしたのだろう。そういう意味では彼のセルフ・イメージ以上にこれも西部劇というジャンルを葬る映画だが、しかし本作も師ドン・シーゲルのあの作品と同じで爽やかな葬儀だ。 また、ジッポーのライターと朝鮮戦争従軍時の記念品を収納しているケースに記されている第一騎兵師団のマークもシンボルとして重要だろう。第一騎兵師団は西部劇の騎兵隊の末裔である。イーストウッドが妻を亡くしていることを合わせて考えると、どうしても『黄色いリボン』を想起してしまうが、ラストにおいてジッポーのライターが重要な小道具として使われており、この点でも西部劇への想いを感じてしまう。。(ポーチと椅子と床屋、そして騎兵隊、ということで云えば、私はどうしてもジョン・フォードへのオマージュを感じます。) 一方でこのマークは日本人にとっては太平洋戦争敗戦後の米進駐軍のシンボルであり、映画ファンにとっては『地獄の黙示録』のキルゴア大佐率いるヘリコプター部隊をはじめ多くの戦争映画における米軍の紋章として記憶しているものだ。 楊徳昌の『恐怖分子』でも、第一騎兵師団のマークのついたジッポーが米兵(米国人)を象徴する小道具として利用されている。一般の米国人にとっても米軍のシンボルとして受け止める人もいるだろうし、さらに云えば暴力の、殺人のシンボルとして受け止めることもできるだろう。近作では無政府主義と云っても云い過ぎでないほどのリバタリアニズムを表出していたイーストウッドが司法に委ねる結末を選ぶということも含めて、キリストの磔刑の十字サインも含めて、本作の最期の描写が表象するものの深さは尋常ではない。 ただし本作のクライマックスはラスト以上に二つ目の懺悔シーンの金網を挟んだ演出だろう。イーストウッドはこの映画の中で一度しか懺悔していない、とも云えるが、とりあえず二つの懺悔シーンがあるとするならば、二つ目のこの見せ方には圧倒される。見終わった後も考えれば考えるほど、この演出の聡明さに慄然となる。[映画館(字幕)] 10点(2017-03-28 06:18:15)(良:1票) 《改行有》

3.  ラ・ラ・ランド 《ネタバレ》  何と云っても「Dancing in the Dark」のアステアとチャリシーを想起せずにはいられない「A Lovely Night」のシーンが秀逸だ。 二人がベンチに腰掛けてからの脚の演出。ベンチの上に立ちあがった二人の頭を超えて、LAの夜景へ寄っていくカメラ。そしてカメラが引くと、二人のフルショットでのダンスを絶妙の構図で捕捉し続ける。これらを全くカットを割らずにシーケンスショットとして見せ切るのだ。何という見る快感。 あとは「City of Stars」という楽曲が2回(エンドクレジットのハミングを加えると3回)使われるが、桟橋のゴスリングと黒人の老夫婦のシーンもいいし、ゴズリングとエマ・ストーンが部屋でデュエットする場面の幸福感が素晴らしい。「A Lovely Night」といい、これといい、ツーショットの演出が秀逸だ。 それに比べてツアーからサプライズで帰ってきたゴズリングとストーンが口喧嘩になるシーンでアップカットのリバースショットを延々と見せられるのはちょっとシンドイ演出だ。 あと、映画館で『理由なき反抗』を見るシーンがあり、『エデンの東』等でない、ということで、おゝ分かってるやん、と思う。クレジットタイトルのジェームズ・ディーンのカットをバックにストーンがスクリーンの前に立つ。少々奇異な演出なのだが、これも現実離れしたとても映画らしい演出、と思っていると、グリフィス天文台のシーンでフィルムが焼けて上映中止になってしまう。この扱いには少し腹が立つが、この後、二人はグリフィス天文台へ行き、何ともファンタジックで美しいミュージカルシーンとなり、こゝも大いに感激する。 実は、冒頭のハイウェイでの「Another Day of Sun」のシーンは逆光が多く、人物の顔がアンダーで見づらいと思っていると、さらにルームメイト(ソノヤ・ミズノが出ている!)との「Someone in the Crowd」もローキーぎみだ。こゝで既に、私は本作が「影」のあるミュージカルなのだという予感がした。 エピローグは、矢張りともて切ない演出で、21世紀のミュージカルらしい帰結と云えるだろう。上で、中盤のリバースショットが難点であるかのように書いたが、ラストの二人の視線の交錯は、切なさが倍増しされる、たまらない切り返しだ。[映画館(字幕)] 8点(2017-03-28 05:43:28)(良:1票) 《改行有》


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