みんなのシネマレビュー |
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1. アイアンクロー 《ネタバレ》 エリック一家を襲った悲劇は映画よりも現実の方が過酷だった。 レスラー志望の六男もまた、自死を選んでいた事、 フリッツ・フォン・エリックは晩年妻と離婚し一人身だった事、 三男デヴィッドの死は痛み止めとして使用していた鎮痛剤の 大量摂取、つまり彼も薬物中毒による自死であったといわれてる。 「過度な期待によって挫折するスポーツ選手、その再生」てのは 映画ファンとしては食傷気味な題材なので、客観的に見れば レビュー点数はこんなもんなんだろう、と思う。 だけどプロレスファン、特に「プロレス・スーパースター列伝」を愛読書とし、 土曜夜に「世界のプロレス」を見て80年代を過ごしていた私の様な オッサンには突き刺さりまくりで、泣けて泣けて仕方がない。 プロレスから離れ、唯一生き残った次男ケヴィン・フォン・エリックが 自分の子供達に声をかけられ涙を流すラスト。彼は昔、父親の教えを 忠実に守り過ごしていた日々を振りかえる。 時代錯誤な父親と教育に無関心な母親。でも確かに愛情はあった。 兄弟は皆若くして死を選び再会は叶わない。ただ確固たる絆はあった。 チャンピオンになれた期間は短かった。 それでも強いレスラーだった。 世間でいう「呪われた一家」では、決して彼らはなかった。 現実のケヴィンにはあまりにも事態が悲惨すぎて、そんな感慨に浸る には更なる年月が必要だったろう。もう心情的には無理かもしれない。 でもこの作品中、夢の中兄弟楽し気に抱き合うシーンを入れた 事で、この映画は世界中で身体を傷つけながら頑張っている プロレスラー、ひいては目標に向かって努力を続けている 市井の人びとへの監督なりのエールなんだ、と感じてしまった。 アイアンクロー、フォーエバー。 とはいえケリー・フォン・エリックでいえばディスカスパンチ (学生時代円盤投げの選手だったなごりから得た回転パンチ) の方が、アイアンクローよりも好きだったなぁ。 物理学者映画に埋もれてしまう前に、どうぞ。[映画館(字幕)] 6点(2024-04-16 22:34:01)《改行有》 2. 暗殺の森 《ネタバレ》 監督の伝えたい事を念頭におきつつ、台詞からではなく 「映像上の隠された比喩や引用から意図を想像する」 そんな映画の楽しみ方を伝えてくれたという点で印象的な1本。 原題「体制順応主義者」とは主人公マルチェロその人を指すだけでなく、 イタリアのファシズム政権を誕生させてしまった数多くのマルチェロ =社会に無関心・無責任な大衆への糾弾を伝えたかったのではないか。 年少期の出来事が影響したとはいえ信念の欠けた、未熟な生き方を 続けてきた男は(落語で言う「でも医者」ならぬ)「でもファシスト」。 反体制を主張する恩師の調査追跡によって感じたのは自身の生き方とは 真逆の、「人権を声高に主張し自由に生きている」人間の姿。 女性二人のタンゴ。平凡な生活を余儀なくされていた婚約者が 恩師の若い妻と踊るそのシーンは、女性としての真の生き方ってのか 心身の解放を教授してもらうというシーン、だと思ってる。 人間らしい生き方に触れたにも関わらず、全く動かない主人公。 恩師を暗殺する段になっても、その対応を同僚になじられる。 大勢の暗殺者によってナイフでめった刺しにされる恩師の様は 「無責任な大衆によって少数の良心は潰される」様を見ている様で 痛々しい。一度は気にかけた恩師の妻が惨殺されてゆく様子を ただ車窓から見ているだけ。無関心が悲劇を増大させる。 でそんな情景を映し出す映像美。巨匠ヴィットリオ・ストラーロ30才。 青・赤・白を多用した色彩は主人公のフランス旅行に結びつくだけで 無く、国旗:トリコロールにも関連付けられてるとは今回知った事実。 青:自由/白:博愛/赤は平等なんだけど、どちらかというと暴力に よる流血と合わせて、「血の色は同じなのに考えが異なる多様性」 を明示した隠喩と思っている。あと光と影の使い方。「カラヴァッジオ (イタリアバロック絵画の巨匠)を参考にした」との事だが、絶対これ エドワード・ヤン、影響受けてんだろ。「牯嶺街少年殺人事件(’91)」 ラスト、主人公夫婦にとってあのフランス旅行の喜びは一過性 でしかなかった事に愕然とさせられる。そしてファシスト政権の 崩壊と同時に目撃した出来事。何もかも失ってしまった主人公 はどう感じたか。「おまえら全員ファシストだ」 自分は無責任な傍観者になってないか? 映画館を後にする自分にも、その声は響いてるのだ。 長文失礼しました。[映画館(字幕)] 9点(2023-11-06 20:52:08)《改行有》 3. アントニオ猪木をさがして 《ネタバレ》 (敬称略)①ドラマパート不要⓶字幕必要③取材不足。なんだけど③についてレビューしたい。その生涯は、ブラジル移民から、レスラーへ~ライバル馬場との比較~新日本プロレス旗揚げ~政治家転身等、「一寸先はハプニング」の連続。その苦境を彼は「馬鹿になって」笑い飛ばし、尋常じゃないファイティング・スピリットと常人にはなし得ない行動力で立ち向かい、それを死の床までさらけ出した。レスラーとしてだけでなく、人間猪木寛至として燃える闘魂はファンに愛された。神田伯山や有田哲平、安田顕はその生き方を、藤原喜明や藤波辰爾はレスラーとしての理想として未だに逃れられない様を映し出す、それはわかる。ただ見たいのはそこではない。もっとインタビューすべき面々が健在だろう。個人的な想いこみもあるのだけど、アントニオ猪木は全くもって聖人君子ではなかった。常人とは異なる膨大な闘争心と突飛を通り越した迷惑千万な破天荒ぶりによって、彼の行く道には少数の賛同者と倍以上の離脱者を生み出した。対戦相手は極端な話、猪木の格を引き上げる為の素材でしかなかった。理想を追い求めすぎて現実からかけ離れた企画ビジネスは、大借金と信用失墜(猪木自身はともかくパンピーはたまったものではない)しか生み出さなかった。デカい山を一方向から見るのではない、やはり「キラー猪木」な暗黒面を挙げた上で、「それでもだけど」にしないとわざわざ映画化する意味がない。A.当時のマスコミ(東スポ/ゴング/週プロ) B.彼によって潰された他団体のエースレスラー、関係者(ラッシャー木村/ストロング金剛/大木金太郎) C.振り回されっぱなしだった面々:古舘伊知郎、新間寿、坂口征二、大塚直樹、サイモン・ケリー D.倍賞美津子(彼女との結婚によって猪木は「対世間」という点で物凄く影響を受けた、とは前田日明の説明) E.猪木に影響されなかった天才2人:佐山聡と武藤敬司 は必要でしょ。作中印象的的だったのは、猪木拒絶→受け入れを示した新日復活の立役者、棚橋弘至のインタビュー。「制約の多い生き方を余儀なくされてる現代において彼の生き方は何を示唆し、これからの社会にてどの様な啓蒙となりうるのか」テーマはいいのに本当もったいない。過去のアーカイブ見てた方がまし、ってなっちゃぁいけません。 という事でおじさんは88.08.08の対藤波辰爾、60分ドロー戦でも見て無聊の慰めとしよう...長文失礼しました。[映画館(邦画)] 4点(2023-10-29 14:23:33) 4. アルゴ探険隊の大冒険 《ネタバレ》 今年度の「午前十時の映画祭」で一番楽しみに してたの、もしかして本作品かもしれない。 人生初のハリーハウゼン、劇場体験というポイントで+2点。 個人的に好感が持てるのは、映画の肝がハリーハウゼンの特撮 である、と認識した上で演出/編集/音楽等がそれを盛り上げる為 のフォローを惜しまなく実行している事。モンスターの行動に対して いちいち演者がリアクションをするカットを律儀に入れていたり、 おどろおどろしさ溢れるベタな音楽もスクリーンで聴くと心地よい。 常日頃から「ハリーハウゼン=文楽(歌舞伎)」説を主張し 私は友達から馬鹿にされているのだが、あえて力説しておきたい。 彼の造形したモンスター類はモデルアニメなので、滑らかな 動きを要求される。この作品自体、ストップアニメの撮影等で 2年の年月をかけて(特にラストの骸骨剣士×7体とのバトルは 4ヶ月かけたそうな)るのはそういった自然な動きを求めてのもの。 ただ彼のモデルアニメの演出には決まって「溜め」の動きがある。 プラスチックのモデルに命を吹き込む作業として彼は、実際の 動植物の動きを参考にし、クリーチャーが動く直前のコンマ秒を 「溜め→瞬発→起動」の流れで撮影してる、そこに「藝」を感じる。 そしてそのワンテンポ留まった瞬間が私にとって文楽や歌舞伎の 「見得を切る」仕草に被るのだ。後世に残るだけの映像作家っぷり。 今回劇場で拝見してヒュドラの顔(7つ首)がそれぞれ表情が異なる 細やかさ、あと骸骨剣士の持っている盾や刀、槍の造形の違い あとタロス像の間抜けっぷり(笑)がより堪能できたのも好印象。 さあ、そこな映画ファンの皆様、 劇場に足を運び心の奥底から叫ぼうではないか、 「よっ、ハリー、千両役者!!」と。 てか、おじさんには最近のCG表現の乱雑ぶり、疲れるんだよな...。[映画館(字幕)] 8点(2023-08-04 19:22:07)《改行有》 5. 遊び 《ネタバレ》 「2023年:大映4K映画祭」関連企画で初めて劇場鑑賞。 私が増村監督を知ったのはテレビドラマ:山口百恵主演「赤い衝撃(’76〜)」、 堀ちえみ&風間杜夫主演「スチュワーデス物語(’84〜)」(脚本)位から。 少年期の私からすれば「なんちゅう暑苦しく、クドイ作品なんだ」と感じてたけど、 彼の経歴を辿ってみればTV界における彼の業績は「才能の出涸らし」でしか なかった事がわかる今日この頃。そりゃ「盲獣(’69)」みたいな世界観、 より大衆性を求められるテレビでは絶対に出来るわけないもんね。 青春映画「くちづけ(’57)」で監督デビューした彼にとって 最後の大映作品となったこの一本が青春譚になったのは 大映在籍時にやりたい事全てやりつくしただろう彼が、 生涯のテーマ「感情を露わにする、近代的人間像 を日本映画に打ち立てる」への原点回帰として 取り上げたのではないかな、と個人的には感じてる。 アメリカンニューシネマから影響を受けたと思われる 若者二人の逃避行を描くこの作品、突然挿入される わかりづらいフラッシュバック(過去の回想)とか 大門正明の台詞廻し等、鬱陶しい展開の上 「若さ故のあやまち」から来る悲劇感ありあり。 でもなんかその若さがその悲劇を打破してくれる、 という希望も感じさせる雰囲気に包まれてる作品で 自分にとって好印象なのでこの点数。 それを強調しているのがこの年16才(!)の関根恵子 のヌード/濡れ場シーンとボロ舟を押しながら川へ流れゆくラスト。 日本青春映画の佳作としておすすめ。機会があれば。[映画館(邦画)] 7点(2023-06-20 19:56:33)《改行有》 6. あゝ声なき友 《ネタバレ》 「もっと上手くできたんじゃないのかなぁ」というのが率直な感想。戦没兵の遺書を遺族へ届ける為、日本各地を旅する男を渥美清が演じたロードムービー。役者渥美清が映画化を熱望し、個人プロダクションを立ち上げてまで作品化した意図は明白。復興に沸く社会の光が届かない、戦争の影や闇に未だ苦しみもがいている人達に焦点を当てるなんて題材は戦後四半世紀が経ち、少しずつ記憶が薄れつつあるこの時期だったからこその上映だったんだろうな。がこの作品、評論家からは酷評・興行的にも失敗。渥美清にとってはこの映画の失敗によって、役者スケジュールを「年2回の寅さんと松竹大作へのゲスト出演」にシフトし、観客の求める「寅さん(もしくはそれに近いキャラクター)」に専念する事を決定づけた1本になっちゃったと自分は思ってる。70年代は戦争体験者が社会構成上まだ多かったであろう時期、「戦争がもたらす悲劇」を描くのはリアル過ぎると不快を覚える観客もいたろうし、といって現実から離れた絵空事みたいに描けば作品を世に出す意味は薄れる。個人的には最近の調査で「太平洋戦争下における兵士の死亡原因の6割は飢餓・もしくはそれに伴う戦病死である」旨を知っている分だけ、その背景にはもっと奥深い、闇の深淵が広がってる題材と思うのだけどすべてを映すのには限界があり、その点が自分の感じる「もっと上手くできなかったのか」につながる。(同じ1972年に深作欣二が東宝で「軍旗はためく下に」を先に上映してるのも大きい)NHK等のドキュメンタリーでも「届かなかった兵隊の遺書」テーマは扱う様になってはいるがそれでも90〜2000年代。やはり早すぎた企画だったんだろう。この映画のポイントは「渥美清の役歴上、もっとも陰のある役柄」。世評では「拝啓天皇陛下様(’63)」などが挙げられるが個人的にはこっち。この題材こそ現在リメイクしてあげるべき、なんだろうな。機会が有れば。[映画館(邦画)] 7点(2023-01-28 12:25:06)(良:1票) 7. あいつばかりが何故もてる 《ネタバレ》 「渥美清の魅力は寅さんだけにあらず」常々から言いまくってる私としては、今年1月から始まってる神田・神保町シアター「俳優・渥美清:「寅さん」だけじゃない映画人生」この企画が全くもって我が意を得たりでジャストフィットなラインナップなんですよ。喜劇役者であった彼だからもちろん人情劇・喜劇は良い。ただ私としましてはそういった枷に組み込まれる前、人間の「業」みたいな、暗い面を演じていた渥美清に物凄い魅力を感じ「寅さん休んで、極悪非道の大悪人とか性犯罪者とか詐欺師みたいな役柄、やってくんないかな」と思ってました(ファンの皆様、本当にすみません)。その位渥美清、という役者には人間が持つ心情の振幅を演じ分けられる技量というのかポテンシャルがあったんだ、とも一回力説いたします。(と同時に最後まで寅さんに徹し、彼の演技の「闇」を見せる機会はついぞなかった事も賞賛に値します) 初めての主演作品となったこの作品に関していえば、テレビ界(この当時テレビは生放送が主流だった)に慣れてるからか、演技が急ぎすぎというのか「間」の取り方が後年の名人芸までは至っておらずそこがマイナス点。但し「人情味溢れる」スリ役という彼の役柄は喜劇的なペースにはあるものの、目の奥に見える漆黒というのか闇というのか、という雰囲気が早くも見受けられそこはポイント。それ以上にもっと大事なのはその後邦画界を支える「国民的兄妹(今回神保町シアターのパンフより)」倍賞千恵子との初?顔合わせ。個人的には三木のり平・田中春夫・森川信・清川虹子のフォローもうれしいが、やっぱり寅とさくらだよね、この場合。[映画館(邦画)] 5点(2023-01-15 14:57:42) 8. 愛のコリーダ 《ネタバレ》 吉蔵演じる藤竜也にレビュー点数全振り。 70年代の修正版リバイバル→2000年完全ノーカット版 →2009年クライテリオン版無修正ブルーレイ→2021年2Kリマスター、が私の鑑賞履歴。 因みに無修正度は丸見え順に無修正ブルーレイ>2021年リマスター>2000年>修正版。 この映画の困った点はあまりにも性器のクロースアップ・性交描写が露骨過ぎるので どんなに大島監督が芸術作品である、とうたっても、周りからは「わいせつじゃん、これ」 と片づけられてしまう事+性描写に尽力注ぎ過ぎで肝心のストーリーが薄い、という事にある。 阿部定事件を描いた作品としては前年に制作された監督田中登/主演宮下順子の 「実録・阿部定('75)」の方が事件の背景・心情もわかりやすい。 ただ私はこの作品、「性愛の行く末」を描いた映画として当時の世界映画史上 徹底的にやり切ったという点に評価をしてあげたいし、何よりも藤竜也のキャラクター に尽きる一本だと思う。「女からの狂おしい愛情を受け止め、死に至るまで付き合う」 という概念は当時の男尊女卑の風潮から考えたら有り得ないだろう感覚で、 『この出演依頼から「逃げちゃいけない」と思った』という藤竜也の想いがちゃんと 表れている事に(実際、彼はこの映画出演により所属事務所を退社し、 約2年間、映画界から締め出される=休業)感心しつつこの点数。 個人的には大島監督の小難しい主張が炸裂する「日本の夜と霧('60)」、 「絞首刑(’68)」「儀式(’71)」よりは好き。機会があれば、と言いたいけど 兎に角露骨でございますので、その点はどうぞご勘弁。[映画館(邦画)] 7点(2022-06-22 13:21:54)《改行有》 9. AKIRA(1988) 《ネタバレ》 「ナウシカ(宮崎駿)」と「AKIRA(大友克洋)」は、ぜひ漫画版を読了していただきたい、と思っている50代おっさんの呟きであります。ヤンマガでの連載を中断してまで作者が映像化する、とワクワクして鑑賞した高校生の私。映像と音楽は素晴らしかった(レビュー点数は全てこれに対して)のだけど、もう?でした。で今考えると原作が途中だったという事もあったのでしょうが、「アキラの危険性=制御できない力」を示すシーンがオープニングシーンだけなので、第二のアキラたる鉄雄の危険性が観客に伝わらないまま不良少年の小競り合いで終わってしまったストーリーテリングの駄目さがこの評価なのではないか、と。後に完結した漫画を読了し、東京を壊滅させた少年アキラ=「人類には制御出来ない科学=(原子)力/核」、そして老人の顔をした子供達(タカシ・キヨコ・マサル)=「人類が過去の経験と理性によってコントロール出来ている叡智」のメタファー(隠喩)であり、テーマの一つとして「行き過ぎた科学の発展と平和への有効活用」が込められてる、と思った私としましてはやはりこの作品を映画で見てはいおしまい、ではもったいなさすぎると感じた訳ですよ。そして「超能力を持った子供」設定は「子供の持つ無限の可能性+その裏に見える嗜虐性→科学の輝かしい発展とその知識を悪用される疑念」の具現化、である事と合わせて「大人は理性的だ冷静な判断だと弁明してるけど『核のボタンを押す』という行為なんて結局子供じみた感情的、癇癪の発露でしょ」という皮肉を示してるのではないかと。(居るでしょ、「正義/平和の為」とか言ってる国家指導者。)本作は「核と平和」を描いた日本発のエンターテインメントとして「ゴジラ(’54)」にも勝るとも劣らない名作と私は勝手に思ってますので重ねてしつこいですが、劇場版を鑑賞しただけで終わるのはもったいない。漫画版を読了するとっかかりとして機会があればぜひ。[映画館(邦画)] 5点(2022-04-03 15:48:24)(良:1票) 10. あらくれ(1957) 《ネタバレ》 成瀬作品の魅力の一つとして感情を台詞で説明するのではなく 演者の視線や表情・動作等で示す「見せない・隠した」演出方針があると思うが この作品は彼の作歴上珍しく、感情や欲望含めて「さらけ出す」事に 重点を置いた人物/環境設定が私には意外であり、面白かったのでこの点数。 五代目古今亭志ん生の高座中、禄でもない男と付き合う女性の心境を 「だって寒いんだもん」で説明する小咄がある。まさにこの感情を地でゆくヒロインお島。 彼女を取り巻く環境も、付き合ってゆく男たちもどうしようもなく酷い。 (私の好きな男優・森雅之/志村喬/加藤大介/宮口精二/田中春夫、みなグズだからワクワクする) 「あらくれ」である彼女はこういった境遇から抜け出す器量も度量も才覚もあるはずなのに、 「寒い」から抜け出せない。脚本水木洋子も過去の「浮雲(’55)」に比べて性愛肉欲から 抜けきれない感情をこの時代にしては深く掘り下げてきた点、注目。 作中劇「金色夜叉」に表れる皮肉も効いてるし、 感情の発露がラストの夫の愛人との喧嘩に結びつく展開も良い。 「浮雲」が苦手な皆様、こちらをぜひどうぞ。 ようやく昨年2021年にDVD化されたので、機会があれば。 (成瀬作品初心者には①「おかあさん(’52)」⓶「稲妻(’52)」③でこの作品か 「女が階段を上る時('60)」をどうぞ。「浮雲(’55)」 「乱れる(’64)」はその後で)[映画館(邦画)] 8点(2022-02-06 16:14:43)《改行有》 11. 仇討(1964) 《ネタバレ》 前作「武士道残酷物語(’63)」監督今井正+主演中村錦之助コンビが橋本忍のオリジナル脚本を使い、改めて武士社会の理不尽さを描いた作品。だけど「橋本忍脚本+武士社会への糾弾」というテーマでは小林正樹「切腹(’62)」「上意討ち・拝領妻始末(’67)」が有名で、この作品にあまり触れられないのがちょっと残念だ。武家社会において「仇討を果たさない限り主家の名誉(武士道)は回復しない」という風潮の中、些細な事情から正当防衛で上級武士を殺してしまった下級武士の主人公は武家社会からは討たれるべき対象となり、一般社会からは抹殺されるべき憎悪を向けられる。可愛がっていた弟分が家の名誉回復の為、討ち手として仇討の場に出てくる事を知り、男は刃引きした刀を持ち果し合いの場へ出向く。そこで彼が見たものは...。理不尽な境遇に追い込まれた哀愁感漂う演技から最後、狂気を込めた大爆発と壮絶な仇討シーン、と中村錦之助の演技力がやはりこの映画の白眉。仲代達矢も三船敏郎も怒りは演じれるけど、悲しみや哀愁を感じさせる演技は出来ない。ラストの悲劇性がちょっと薄いかなぁという事でこの点数にしたけど、個人的には好きな一本という事で機会が有れば。(ってか東映ビデオ、中村錦之助作品のDVD化もう少し頑張って下さい。)[映画館(邦画)] 7点(2021-05-31 20:55:01) 12. あした晴れるか 《ネタバレ》 「芦川いづみの魅力は『憂い顔』(風船/洲崎パラダイス・赤信号/陽の当たる坂道)だ」と小生は言う。友は「笑顔が素晴らしい(乳母車)」「大人の魅力(嵐を呼ぶ男【渡哲也版】/若草物語)」「幸薄い美少女も素敵(佳人)」そしてここに「ツンデレ」コメディエンヌも継ぎ足そう。話に齟齬があるというのは野暮ってもの、これはアイドル映画なのだからキャラクターに魅力があればそれで十分なのだ。久しぶりにスクリーンで鑑賞したが今回改めて強く感じたのは、この様な小品に渡辺美佐子/中原早苗/高野由美といった他社作品なら主演級の若手俳優を惜しげもなく助演として投入し、三島雅夫/東野英治郎/殿山泰司という多くのベテランで脇を固めている→「日活」という会社の当時の勢い=映画が流行の最先端であり発信地であった事実そのものでありました。もちろん監督中平康の映像テクニックが、この映画の魅力に貢献しているのは間違いない。生きてるうちに中平+芦川いづみの「結婚相談(’65)」見てみたいなぁ...。[映画館(邦画)] 7点(2019-04-12 07:29:56) 13. あしたのジョー2 《ネタバレ》 2018年5月に4Kデジタル・リマスターのブルーレイが発売されたのだが、「日本の映画会社もやればできんじゃん!」というくらいの物凄いクオリティ。但し今回の点数はこの画質に対してのものであり、出崎統/杉野昭夫コンビの作品を堪能するのなら絶対TV版を見ていただきたい。ポイントは2点。①TV版では登場人物各位がそれぞれ彼らなりに「真っ白に燃え尽きる」事を模索している人間群像劇である点が物凄く丁寧に描写されていて印象深い。それはマンモス西/ウルフ金串やオリジナルキャラであるルポライター須賀清、また統一戦を戦うレオン・スマイリー。白木葉子も彼女なりに、ボクシングに惹かれた者として責任を全うする矢吹丈の「同士」として描かれているのは気のせいか。②よくアニメ映画で聞かれる『声優か俳優か』という課題、私はこう答える「キャラクターに合ってれば、どっちでも良い」。あおい輝彦と藤岡重慶のコンビは俳優がアニメ作品の声優として携わった最高峰のクオリティと、考えてます。後は下記レビュアー皆様のご意見にまったく同意。という事でこのテレビ版のリマスターも、宜しくね。[ブルーレイ(邦画)] 5点(2018-06-27 18:31:31) 14. 悪魔の毒々モンスター 《ネタバレ》 という訳で40過ぎのおっさんが無修正・デジタルリマスター版を劇場で見ましたよ。ただ「無修正」=修正されようがされまいがこれでウヒョー!な気持ちになるわけないし、リマスターされてもエログロが綺麗になるわけでなし(逆にリアルっぽい→本物?に見えてくる分、たちは悪い)大画面で見る分これほど困った進化はない。ただ俺にとってトロマ映画を鑑賞すること=童心への回帰。何というのか...小さい頃泥だらけになって遊び道に落ちている汚物にギョッとし、広場の隅にまとめて捨ててあったエロ本の束に「見たい...でも周りの目が..」みたいな気持ちの発揚がこの映画を見ていると抑えられない。加えていじめっ子をやっつけ、悪徳企業をぶちのめすヒーローになる。さらにさらに(ここ大事)自分の顔を気にしない、美女(!?)と恋におちる。こりゃ男の理想だな。そんな男の夢をまったくもってどーしようもない映像で具現化するトロマ、素敵だ。お父さんホタテマンだし。最後にこのレビューに『「カブキマン」もこの調子でお願いします』と書く予定だったがなんとトロマ社、過去の作品をyoutubeで無料公開しており某ーンダイビジュアルとかーブリも少しはこの器の大きさを見習えよ、と忠告してあげたい。締めは関根勤氏と同じくこれで。ヴィバ!トロマ!【2021年追記:youtubeのトロマチャンネル、さすがに過去の作品を無料公開する事はこのご時世なのでなくなったものの、好々爺となったロイド・カウフマン氏は相も変わらず素敵な投稿をし続けてるのはうれしい。いつまでもお元気で】[映画館(字幕)] 2点(2013-03-06 11:43:40)(良:1票) 15. アラビアのロレンス 完全版 《ネタバレ》 私を映画ファンに仕立たのは間違いなく「燃えよドラゴン」と「雨に唄えば」、そしてこれ。この作品は間違いなく全ての芸術作品もひっくるめて後世に残すべき文化遺産である!と声を大にして訴えたい。「清潔な」砂漠を愛した一軍人が歴史と民族の諍いに巻き込まれ英雄となり、その手を血に染め敗残者として記録から姿を消す。歴史の記録/記憶の作られ方や人間(民族)の倫理観や行動について考えさせられただけでない、自分にとってこの映画は「個の確立(砂漠を越えた後のあの『Who are You?』は深い)のあり方」そして強い意志を持って未来を乗り越える事の素晴らしさ(逆に今になってみるとそういった希望はなかなか叶わない難しさも感じる)を教えてくれた。なおかつこの映画は絶対にCGでは再現不可能な、人間の息づかいがスクリーンからあふれている!役者も音楽もなにもかも素晴らしいがやっぱりここは名匠デビット・リーン(=この人の作品に流れる「異文化コミュニケーション」の取りあげ方は現代の社会でも十分議題に挙げられるべきテーマでまったく古くさくない)のテクニックに堪能しよう。何回見ても飽きないし毎回新たな発見があるこの映画、ぜひ機会があればスクリーンで堪能ください。テレビ画面ではこの映画、多分7点くらいでしかない![映画館(字幕)] 10点(2012-06-16 09:50:36)(良:1票) 16. ある戦慄 《ネタバレ》 正直言えばもう少し尺を短くしてもらいたい気もするが(特に地下鉄内の「出来事」が始まる前の人員紹介。ただその情景を延々と見せつける事で彼ら=我々観客自身の投影であること、併せてその焦燥やいらだちが引き立つ効果があるのも承知)なかなかの一本ではないか。深夜の地下鉄内で暴漢に絡まれる乗客は自分が巻き込まれなかった事に時に安堵し、他人の苦しみを見過ごし勇気を持って対応できず結局他者任せでなあなあに事を終わらせるという結末。まったくすかっとした気分になれないからこれは「隠れた一本」になったのでしょう。戦病軍人・黒人・同性愛者をこの時代から取りあげていた、という点もポイント。[DVD(字幕)] 7点(2012-05-13 14:46:46) 17. 有りがたうさん 《ネタバレ》 いつまでもこの作品世界に浸っていたいと思いながらこの映画を観ていた。それは上原やその他の出演者が醸し出す温かい人柄だけではなく、短いショットとフェードの繰り返しによって観客に心地よいテンポを感じさせてくれる監督清水の技量によるものではないか。もう一度述べさせていただきたい。時代によって今の観客にはわかりづらい点・録音映像の見辛さは多々あれどこれこそ元祖「癒し系」ムービー、ゆったりと浸っていたい。ほっこり。[映画館(邦画)] 9点(2012-01-03 10:47:28) 18. アパートの鍵貸します 《ネタバレ》 隣人とは仲良くしておこう。という一言で片付けていいくらいの都合良すぎる話と思う。ただここは役者・演出・脚本の三拍子がそろっている分あざとらしさ、嘘くささが感じられないのが上手いところ。ワイルダーの手にかかれば割れたコンパクトも、テニスラケットもシャンパンも帽子もひからびたパスタでさえ魅力溢れる小道具に早変わり!「蛍の光」がこれほど印象的に使われている映画はない、という事もあげとこうかな。ラブコメディの古典。[映画館(字幕)] 8点(2010-12-26 19:01:10) 19. 赤い天使 《ネタバレ》 監督増村と若尾文子(様)コンビは次の「華岡青洲の妻」で終わりを迎えるが、この作品でやること全てやりきったのでは無いか、という位の日本映画史上に残る「ド変態映画」。彼女にとって「身体を求める事」は常に死と隣り合わせであった状況下での生きている証であり、「身体を与える事」は血塗られた看護婦として残された最後の仕事・奉仕であったという厳しさ。敵の大群が攻め込んでくる中軍服コスプレプレイをしている、という時点でどうかしているのだが下手に裸を見せるよりも物凄いエロティシズムを感じてしまうのは自分だけか。戦場下で「人間性」など無意味である(バケツに無造作に突っ込まれた足や手の残骸!)事をうたいあげたこの作品は増村にとっての「反戦映画」なのだろう。ただHなシーンはともかく戦場/病院の描写、きっつーい。とりあえず増村+文子(様)コンビの映画は年代順で鑑賞すること、切に願います![映画館(邦画)] 8点(2010-09-12 19:25:52) 20. ある日どこかで 《ネタバレ》 「主人公が余命幾ばくもない事/偶然見かけた美人女優のポートレートに惹かれ調べてゆく内に実は過去に...」という設定にした原作の方が話の流れとしては自然なのではないかな、と思うのだが「映像化」という意味ではとても上手く出来ていると思いますよこれ。ジョン・バリー+ラフマニノフの音楽・俳優の演技(役者リーブはこの映画で100年後の映画ファンに名を残す演技をした。断じてクラーク・ケントの人では無い)、主人公が惹かれたポートレートの裏話。そしてそしてラストシーン。もちろん原作も彼女との結びつきを暗示して主人公はあの世へ向かうのだが、「絶対このようにして彼らは再会している!そうに決まっている!!」とばかりに映像として具現化されちゃうと、「時を越えて二人は永遠に結ばれたんだ」という思いが湧き出てたまらないんですよね。初見は大学生。ヌーベルバーグだなんちゃらと言ってた頃には甘っちょろい話だと蛇蝎の如く嫌っていたくらいだが、今なら言えよう。新しい波、どっか行け~! 愛しい皆様と観賞下さい。[ビデオ(字幕)] 8点(2010-08-14 11:23:36)(良:2票)
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