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21.  カルメン故郷に帰る 皮相な社会風刺になりかねないところを、主人公の明るさが救っている。「新しいもの」に飛びついて分かったふりをする当時の世相を笑いつつ、その新しいものも切り捨てない。木下さん、ストリップがはやる風潮を愉快には思ってなさそうだが、少なくとも青年を盲目にする戦争よりはいい、と自分の中であれこれ計量しているよう。軸はストリップと佐野周二の歌という当時の文化状況の対比、あれ木下忠司お得意のマイナー調で(たとえば『喜びも悲しみも幾歳月』のテーマ、お~いら岬の~灯台守りは~)、「青葉の笛」とか「水師営の会見」とか短調唱歌で育った世代の「いい歌」なんだな。この陰々滅々ぶりは皮肉な効果を狙ったんじゃなく、あれが当時の「芸術的で真面目ないい歌」だと思って聞くべきなんだろう、「軽薄な」ストリップの対比として。そういう構想で作られつつも、映像としては青空の下の若い娘たちの輝きが圧倒してしまうところが映画の面白さだ。そっくり時代の記録として残った(そうか、盲目の青年だけが彼女らの肢体を見られないわけで、だから陰々滅々な歌の作曲者なのか?)。喜劇としては、三好栄子の怪演が記憶に残る『純情す』のほうがキレが良かったと思うが、この牧歌劇のほのぼの(とりわけ娘が裸で踊るお父さんの苦衷とそれへの周囲の慰め)も味わいあります。[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-01-02 09:36:50)

22.  ガンジー なんか学校で連れられてく名画鑑賞会って感じの映画で、懐かしい。偉人映画、演説映画。純粋な映画の喜びとは違うけれど、こういう真面目さも肯定しておきたい。あくまで偉人伝であって、民衆はバックの存在。しかも英国経由の偉人伝で、いちおう英国人による虐殺も描くが、それと吊り合わせるように人情裁判長も描いてる。決して突っ込まず、定石通りにいく。でも3時間でガンジー伝読めたと思えばためになったし、英国のインド観が分かったりして、損じゃない。不服従ってのが政治を越えて哲学になってるんだな。政治家が哲学づくのはあんまりいいことじゃないけど、少しはこういう人がいてもいい。役者がふけていくメイクがうまかった。ネールが「ガンジー死ね」の声に激怒するとこは感動した。忠の世界ね。ガンジーは仁の人だったのか。[映画館(字幕)] 7点(2012-12-24 09:49:33)

23.  風の又三郎(1940) 賢治ものってとかく解釈が加わって矮小化しちゃうのが多いんだけど、これはそれが少なかった。家畜や森の生きものたちの効果がよかったのかな。カタツムリやフクロウのほかにも教室の中にカエルや鶏、病床にもチャボがはいってきて、外のものが自然に内へ内へと流れ込んでくる。これ賢治のユートピアですな。そして風。映画にとって風ってのは重要なモチーフのようで、舞台ではざわざわ揺らぎだす瞬間の緊張ってのは出せないもんな。風についてやり込める「それからそれから」のシーンで、一つ一つその映像を入れるユーモア。風車の仕掛けのアニメーションが出たのには驚いたが、あんがい科学者賢治の精神を受け継いだ手法かもしれない。大泉滉がかわいかったのにはびっくり。[映画館(邦画)] 8点(2012-12-03 10:14:38)

24.  カルメン(1983年/カルロス・サウラ監督) 鏡が効果的。単に虚構の世界との対比というだけでなく、それに挑みかかっていくようなところがあり、主人公が次第に妄想の世界に突入していくのとダブる。『愛と喝采の日々』でも鏡の前でのバレー練習シーンが使われたが、あちらは平行移動だったのに、こちらは前後の向かい合う運動。練習が続くうちに、現実と虚構が混交していってナイフのシーンの緊張になる。マジなのかダンスなのか。ここらへんうまい。またエスカミリオが美男でなく何となく性的に強い男という印象の作りになっていて、老いを自覚した主人公の妄想が生臭い下意識にまで広がっていったような凄味があった。おそらくスペイン人はメリメ/ビゼーのフランス製カルメンに、日本人がイタリア製蝶々夫人に対して抱くような違和感を持っていたのだろう。それに対する落とし前を一度はつけておきたい、という気持ちもあったんじゃないか。ミカエルとカルメン、役と本人、エスカミリオとホセ、恋と嫉妬、芸術と妄想、向かい合うことに徹底した映画だ。[映画館(字幕)] 8点(2012-11-30 10:02:21)

25.  カーリー・スー こましゃくれたガキが、「大人って困ったものね」としかめっ面するたぐいの映画。金持ちと貧乏人をきれいに吊り合わせて、それで「幸せはお金では買えない」とか言って、金持ちはいつも「心」を得るの。金がないために得られない心ってのもあると思うんだけど、それはアメリカ映画には登場しない。そういうのを全部外してコメディに専念すればまだよかったろうに(ピアノに向かって並んで座ってて、女弁護士の背中越しに高音部をポロロンとやるとこなんか、ちょっといい)。中途半端にほのぼのドラマの味も加えようとして失敗した例。学校へいくときに見せる不安に一瞬この少女に深みが出かかったが、もう遅い。[映画館(字幕)] 5点(2012-10-21 09:44:43)

26.  蒲田行進曲 田舎へ帰ったときの駅での歓迎、階段のブラスバンドと橋のバトンガールが良かった。こういう大袈裟な馬鹿馬鹿しさが本筋だと思うんだけど、映画は笑いだか本気だか分からない部分が多くて困ってしまう。ヤスが階段を這い登っていくところなど、音楽のタッチからいくとマジでやってるんじゃないか、とも思えてしまう。そういう変に詠嘆調が混じるところがキズ。小夏が前面に出たぶん、男二人の奇妙な関係が分かりづらくなってしまったよう。階段落ちの前日ヤスが暴れるのは、もっと銀ちゃんの影が濃くさしているはずなんだけど、それが出てなかった。それまでのヤスと連続してくれない。小夏が前に出て良くなったところは、銀ちゃんがよりを戻そうと誘うシーンの哀切さね。あそこはホロッとさせる。未練たっぷりなのにシャレねばならぬ男の背中。[映画館(邦画)] 7点(2012-08-24 09:51:34)

27.  カリガリ博士 《ネタバレ》 ストーリーはたわいないもので、「権力とは何ぞや」などといろいろ深読みするより、当時の娯楽一般が病的に歪んでいたものだったことを確認するぐらいでいい。この表現主義に影響された日本の『狂った一頁』も精神病院になっちゃうわけで、時代のグロテスク趣味にとどまっている気がする(それはそれでセットの美術だけ見れば悪くないけど)。夢遊病男が夜、女性の家に忍び込む場面は不気味であった。これよりもこの翌年の『朝から夜中まで』のほうが、狂気で片づけてないぶん、一歩前進があるよう。ことの起こりは主人公の狂ったような激情だけど、ストーリーは幻想というわけでなく、いわば悪夢のような現実。電灯の光までヒラヒラを付けて描写し、表現主義もこういった方向で発展していったら、グロテスクで病的なものだけに閉じない新展開があったんだろうが、不健全を許さない「病的に健康」な時代にドイツが入っていってしまうからなあ。[映画館(字幕)] 6点(2012-07-08 09:59:02)

28.  壁の中に誰かがいる 一番困る映画って、あちらが笑いを狙ってるのかそうでないのかハッキリしないホラーで、もしかするとマジかもしれない、って気分があるので心から笑えない。途中から劇場内では、もう皆さん笑いましたけど、でも気分は中途半端でスッキリしない。あのオッサンなんであん格好しなきゃいけないんだろう。また吠え声は獰猛な犬が、姿は獰猛と程遠かったり。見始めのときは「家というものが本来持っている怖さ」というあたりを軸に観賞していこうか、などと思っていたんだけど、次第に気が抜けてきた。街の住人たちがぞろぞろと「正義」って感じで現われてくるところが最高かな。[映画館(字幕)] 4点(2012-06-12 10:30:10)

29.  カティの愛した人 《ネタバレ》 このままのシナリオで日本を舞台にしても出来そうな道具立て。国防婦人会みたいなおばさんから、チョコレート、戦後のジャズ、買い出しの苦労と、みんな日本にも揃っている。この映画のよさは明るさ。大変な時代ではあったけど、その瓦礫の時代だけにあった、青空の見える下の生活の明るさ、解放感が出ている。ファシズムからの解放だけでなく、世間のしがらみからの解放も。これも日本とまったく同じだな。そう思って見てみると、ラストで帰ってくる亭主の象徴性が深まってくる。主婦が主人公の時代だったのに、そこに「主人」が(しがらみを伴って)帰ってきてしまった、というささやかな幻滅が感じられて、それも日本と同じか。ハイキングシーンで走っていたのは、木炭車か? あんなものは日本人の独創だと思っていたのに。ヒロインが何かをするときの、実際はグズグズ迷っていただろう部分をあっさりカットして、飛ばすところがいい。田舎へ行っちゃうとことか、市電の車掌さんを見上げて、次のシーンではもう彼女が車掌になってたりとか。こういうところに明るさがある。楽団員が揃わないので、ベートーベンの交響曲を室内楽で演奏してたなんて、ドイツの文化性というか、文化の飢えには我慢できない、という矜持が感じられた。[映画館(字幕)] 7点(2012-06-06 10:05:27)

30.  KAFKA/迷宮の悪夢 役者が凄い。イギリス系の名優をずらっと揃えて、アーミン・ミューラー・スタールで押さえている渋さ。あとプラハの街の白黒による陰影も見ものと申しておきましょう。でも映画はノレなかった。監督はいわゆる「カフカ的」にならないように製作した、って言ってるけどどうなのかなあ。作者ってのは出来上がってから気がついた欠点を指摘されるのを予防するために、何らかの発言をすることってあるからな。これなんかカフカ的ってとこを、上滑りした物語に思えた。「カフカ的」って言葉の使い方だよね。現在カフカを生かすなら、カフカ的世界を作るんじゃなくて、現代をカフカ的方法で描くべきなのであって、何も主人公をカフカにする必要はない。カフカのエピソードや作品の断片をちりばめて、けっきょくカフカ的雰囲気に浸りたかっただけに見えちゃう。カフカのドタバタ的側面(弟子)を描いたのは目新しいけど、「笑う男」なんか反カフカ的に思えた。ヒッチコックのほうがよほどカフカだ。名前負け。[映画館(字幕)] 5点(2012-04-09 09:56:31)

31.  彼女が消えた浜辺 《ネタバレ》 一つの事件をドンと提示される。その「ドン」の迫力と言うか、重みの圧迫だけで出来ているような映画だ。それがどういう意味を持つのかが、異邦のものにはよく分からない。イスラム圏における「婚約の厳格さ」は不幸を招くから、もうちょっと緩めよう、というメッセージなのか。あるいは逆に、若者たちにもうちょっと身を慎もう、というメッセージなのか。どちらにしても、描写の圧迫感に比べると弱い解釈の気がする。新聞の片隅に毎日載っているような「事件」も、ひとつひとつこれだけの内実があるんだな、という「日常」の重さみたいなものを突きつけられた感じが一番ある。「普段」と思って軽々と渡り歩いている日々が、これだけの危うさの上に成り立ってるんだ、って。離婚したアーマド(だったっけ)がドイツ人の妻に言われた言葉「永遠の最悪より、最悪の最後がマシ」ってのが、けっこう映画の低音で鳴り続けていたよう。これはそのままラストの砂浜にタイヤを取られた車(永遠の最悪に捕われているような)の姿に重なって見えた。後半は一種のディスカッション映画で、なにごとかを糊塗しようとしてどんどん事態をややこしくし、動きが取れなくなっていく状況も、砂浜の車そっくりだ。音楽がほとんど入らないのがいい、とりわけ事件のとき。ジョージ・クルーニーとしか思えないイラン人が一名いる。[DVD(字幕)] 6点(2012-04-07 10:23:22)

32.  カフス! 《ネタバレ》 こういう世襲の民間警察がアメリカ(サンフランシスコ)にあるってのがまず驚きだった。前半はノリづらかったが、殺し屋との対決あたりからユーモアとストーリー展開がうまく噛み合ってきたみたい。死体が転がったままガールフレンドの両親を部屋に入れるあたり。いかにも鈍そうな麻薬警察犬(しかも麻薬は関係なかった)、ああいう鈍な犬ってアメリカ映画は好きみたい。クリスチャン・スレーターの魅力ってのはもっと屈折したところにあると思うんで(最終的には「カラマーゾフ」のスメルジャコフを目指してもらいたい)、こういう役はどうかな。イケナイ言葉のところに、いちいちブーッって入るのはテレビのパロディなんだろうな。最後にハッキリ fuck you って言うの。[映画館(字幕)] 6点(2012-04-06 09:48:55)

33.  家族(1970) これはスタインベック/フォードの『怒りの葡萄』をはっきり意識した作品だと思う。とりわけ孫が上野で肉まんをもらったときのじいさんの反応のあたり。注目すべきは、あちらが最初から大不況下の物語だったのに対し、こちらは一応万博景気で沸いている日本を背景にしていること。その「好況下」と言われている真ん中で、しかも同時代に、このオデュッセイを描いた。けっきょく日本の戦後の好景気と言っても、その恩恵を受けたのは山陽線・東海道線沿いだけの話で、九州で失業した一家は、そこを跳び越えて北海道まで渡らなければならなかったわけだ。その北海道の酪農業の未来も、現在の私たちは知ってしまっている。車窓の風景が雄弁。東京までの工業活気と、東北本線になってからの農村風景。それは日本の美しい田園がかろうじて残っている風景でもあるわけだが、そういう「ディスカバリージャパン」的風景とは、つまり「取り残された」風景でもあったわけだ。西と東がくっきり分断されていることを車窓風景が語っていた。一家が到着したときのドアのとこでの虚脱した顔が重なる場が、本作で最も気合いが入っているカットだろう。ただその後がいけない。じいさんを死なせたことも含め、北海道の部分がせっかくドキュメンタリー的に積み上げてきたこれまでの成果を受け継いでくれてない。アタマだけで作られたような、薄ら声の労働讃歌に聞こえてしまう。こう描くのが実際の開拓労働者への礼儀だと思ってしまうところが、「東京のインテリ」の限界なのではないか、とつい意地悪く思ってしまう。[CS・衛星(邦画)] 7点(2012-03-27 10:22:09)(良:1票)

34.  限りなき前進 《ネタバレ》 たしかにこのフィルムの改変はひどいもので、肝心の狂っていくとこを切っちゃって、無理にハッピーエンドにし、単に上映時間を短くし回転率を上げようとしたのか、とにかく残念至極であります。おそらくあの夢の長さがバネになってるわけだから、ネッチリ狂っていったんだろう(欠落部分の字幕化を頑強に拒んでいた脚色の八木保太郎の死後、フィルムセンターでは字幕による経過の解説を加えた。恣意的な読み取りが入っては困るという脚色者の気持ちも分かるが、観客としてはやはりないよりは助かる。欄外の脚注と思えばいい)。前半の明朗スケッチは原案小津お得意のもので、これに陰りを加えるくらいなら自分で監督できただろうが、もの狂いにまで至るとなると松竹のニンではない、と日活に任せたのだろうか。子どもたちの会話、デパートの放送を使ったやり合いのギャグなど快調。でもそこに「金勘定」が忍んでくる。冒頭の轟夕起子の登場からして「日当95銭」なんだけど、明かりの下で、小杉勇が妻の滝花久子と数字をあげて余生の経済設計を立ててるあたりから、ジワジワとくるものがある。成瀬巳喜男も金勘定の好きな監督だったが、あっちは生活感を出す金勘定。こっちは勘定していくほど、実生活がもろく見えてくる金勘定。娘を嫁に出さねば…、息子へ約束したカメラ、家の費用の割り増し、などなど、これらすべて後の夢のシーンに取り込まれていく。ちょっと不気味なのは、帰ってきた娘に「雨が降ってきたのか」と聞くシーン。狂いの予兆なのか、娘がキラキラする服を着てたのか、そのあとで娘は弟に水鉄砲を浴びて(画面には出ないが)実際に服に水がつく設定になってる。まるで小杉が予見していたようで、そこらへんでも何か不気味なものがゆっくりこの家庭を覆ってきつつある雰囲気が出た。で、定年制の導入によるショック。辞令をもらった幻想。会社で重役の椅子に座るなどという欠落シーンは、きっと幻想シーンや出勤シーンなんかが生きてたんだろうなあ。几帳面に机の上を磨いてハンコを取り出すシーンがあったの。[映画館(邦画)] 7点(2012-03-12 09:54:41)

35.  カンフーサイボーグ 《ネタバレ》 いちおう未来の話になってて、主人公がロボットと最初から分かってて、SFとしての設定は整ってるんだけど、前半は「田舎のドタバタ警察もの」の牧歌的な世界。香港映画お得意の泥臭いコメディが綴られていく。と中盤に至って突如『トランスフォーマー』が乗り移り、巨大なロボットがヌンチャク振り回したりする(後段ではキョンシーロボも出てきた)。笑いとアクションが香港映画の二大柱。あと「泣き」があれば三本柱が揃うな、と思っていると、心を持ったために泡になって崩れていくアンデルセンの人魚姫ばりの涙のラストが控えていた。う~ん、「香港映画」でしかないものを観てしまったという濃い後味が残った。つまりこれ映画としても『トランスフォーマー』やってるようなもんで、ぜんぜん溶け合わない部品を横に強引に連ねて合体させ、一本の映画にしてしまっている。スープを作るというより、それぞれの具材がそのまま残ってるゴッタ煮の中華寄せ鍋の楽しみ。よろしいんじゃないでしょうか(後半は二回見ちゃった)。「欲情ウィルス」を出そうとして間違って武侠ものの連中がワイワイ出てくるあたりが、個人的には一番うけた。この主人公のメイクは『A.I.』のジュード・ロウを参考にしてたのかな。[DVD(字幕)] 6点(2012-03-05 09:57:46)

36.  海炭市叙景 海炭という地名からは、滅んでいった炭鉱町のイメージが呼び起こされ、最初の造船所のエピソードの絶望的な組合運動の姿なぞ歴史を思い出させる。消えるまぎわの炭の最後のほのかな明るみみたいなものを描くのかと思った。きれいなんだ、あれ。でも観ていくと、これ炭の最後の明るみと言うより、ほとんど灰の世界。グレーで一貫している。全員うなだれ、負のカードばかり拾い集めているような侘しさが募る。暗い屋内で市の暗いニュースを報じるテレビ画面ばかりが明るい。たしかに題名で「叙景」と断わっているのだから、芯のような手応えを求めてもお門違いなんだろうが、とことんうなだれたこの世界は、ちょっとキツかった。いっそ叙景に徹し、息を殺して見詰めないではいられない映像で押してくれれば、こっちもそういう姿勢をとったものの、こちらの眼力が弱かったのかも知れないが映像にそれほど引きつける力が感じられず、中途半端に「文学」が残ってしまっている気がした。その「文学」の部分だけでは、「なるほど現在の地方都市はこうなのか」と新鮮な角度からの発見は得られなかった。こちらが勝手に「ルポルタージュ」を求めてしまっていたのかも知れない。最後路面電車を巡って、登場した人たちが出てくるあたりはちょっと浮き浮きしたが、あまり絡み合わず、ここもあくまで「叙景」。プロパンボンベのそばでの煙草が一番ドキドキした。[DVD(邦画)] 5点(2012-02-27 11:01:24)

37.  彼方へ 《ネタバレ》 ライバル同士が女を取り合うなんて陳腐、と思ってたが、ラストで納得。マチルダ・メイ/現実の女は、メイ・ウェスト/夢の女の対比物だったのね。観終わってから構図の広がりを感じ出す作品。見てる間はちょい図式が割り切れ過ぎてる感じがあった。一方はアクロバット的マスコミの寵児、一方は神秘的な精神主義者で、精神主義の訓話っぽい映画じゃやだな、とちょっと引き気味だった。絶壁をただの征服の対象としていた者と、その絶壁の向こうに何かを見て畏れを抱いてしまった者との対比。ここにさらに「指のない男」/絶壁の向こう側に行ってしまった者を置いて、世界がグッと広がった。室内の偽の岩肌のテレビ中継から始まって、本物の山の頂の映画女優で終わる。監督にとってテレビと映画は対極なのだろう。映画の中で写真を燃やすときって、必ず表を上にするな、と思ったが、普通そうするか。[映画館(字幕)] 7点(2012-01-31 10:14:46)

38.  川の底からこんにちは 《ネタバレ》 ずいぶん笑ったけど、「しょうがない」と無気力だったサワコさんが「あたし頑張る」になる話の展開に対してではなかったな。「え」とか「あ」とか、ささいな「言いよどみ」を含む場の笑いに反応してたみたい。「え」と言うときは、相手の言ってることに同意はしていない、と言うかかなり反発を感じているのに、でも反発しても「しょうがない」から、「え」と言って「同意はしてないよ」ということだけ控え目に表明し、あとはビール飲むだけで、なし崩しに受け入れていってしまう。そこらへんが、分かる分かるって感じで、笑ってしまうんだろう。そうやって生きてきたサワコさん。旦那が出てって一寸の虫の五分の魂が爆発したのか大演説をし(「あ、青春の勢いで駆け落ちした女です!」)、でもそのあとですぐ「偉そうに言ってすいません」と謝るところでまた笑う。そのヤル気のアイデアが社歌の変更ってのが、また馬鹿にしててよろしい。社歌が「中の下」たちの革命歌に変わっただけで、ヤル気が満ち、しじみパックが売れてしまう。サワコさんを挟むように、おばちゃん連中と子どものカヨコちゃんが登場する。どちらも批判者のように登場し理解者に変わっていく。カヨコちゃんが椅子に後ろ向きに座って、背もたれの隙間から脚を出してるスケッチがいい。ラスト、帰ってきた旦那に親父の骨を投げつけると、後ろに控えていた「新しいお母さん」の喪服姿のおばちゃんたちが、「ああ社長の骨…」とソワソワするとこも笑った。撒いた糞尿は大きなスイカを実らせたが、撒いた骨はお母さんたちを呼び寄せたのだ。[DVD(邦画)] 8点(2012-01-26 10:28:17)(良:1票)

39.  家族ゲーム あえて焦点を絞りきらない作品という気がした。何か滑稽でいながら不気味なものが描かれているんだけど、それがはっきりしない曖昧なままくっきりと(!)提示されてる感じ。くっきりと提示された曖昧さ、ってつまり「夕暮れを完全に把握しました」っていうようなこと。曖昧さは周囲に充満しているんだけど、それを焦点を絞らないまま明晰に描ききった労作。それは思春期の曖昧さでもあり、家族というものの曖昧さでもある。映画は登場人物の人物像を結ばない。いわゆる「人間が描けてる映画」にはしていない。登場人物は人と関わることでのみ描かれ、ぼそぼそとした会話と行動だけが手掛かりだ。その会話を含むリズム感が抜群で、二度目に殴られても鼻血が出ないあたり、先生のガールフレンド美人ですか? と尋ねられてゆっくりハンカチを取り出すあたり、おかしい。これを最初に観た当時は想像することも出来ないことだったが、ラストのヘリコプターの音、サリンを撒いてるオウム真理教を今回はふと思った。カーラジオで事件が起こってないか確かめたり、そういうことにつながってもおかしくないような不穏の気配は、曖昧な夕暮れのようにひしひしと迫っていたのだ。それにしても監督が亡くなっても、もう夭折と言われないだけの時がたってしまっていたのだなあ。その間に松田優作の若死、伊丹十三の自殺、と不幸もあった。戸川純より健全そうだった妹さんの自殺もあった。ちょっとだけ顔見せた清水健太郎の逮捕は何度もあったなあ。[CS・衛星(邦画)] 8点(2012-01-14 10:06:55)(良:1票)

40.  風と共に去りぬ 前半あんなに面白いのに後半急にしぼむのが気になって、原作読んでみましたよ。そしたら原作がそもそもそうなんだな。前半ではスカーレットやバトラーが「個人」として実に生き生き描かれているのに、後半では「我々南部人」の物語に埋没してしまっている。それも典型的な歴史修正主義のレベルで、困ったもんです。驚いたのは、なんとなく曖昧にボカされていた部分が、原作でははっきりKKK団として登場していることで、これは『国民の創生』の時代ならともかく、30年代後半ではそのままKKKを善玉として映画化できないわなあ。そういう苦慮による屈折が映画の後半の不自由さを招いていたよう。あとで黒人俳優にオスカーを贈ったのも、何らかの配慮が働いたのかもしれない。それにしてもこういう反動的と言ってもいい原作をモダニズムの時代に発表できたアメリカの懐の深さは、皮肉でなく立派(原作出版は30年代半ばで、たとえば推理小説を古い邸宅から都会に引きずり出したエラリー・クイーンの『Xの悲劇』のほうが古典なの。時代関係で言うと、幕末を舞台にした「鞍馬天狗」がモダニズムの時代に書かれていた日本と似ている。だからこのフィルムも、国民古典文学の映画化じゃなくて、ちょっと前のベストセラーの映画化ってわけだった)。やがて敗戦国となる同時代日本の、予言的な映画として見ると興味深いです。[DVD(字幕)] 7点(2011-11-28 09:54:14)(良:1票)

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