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41.  ガス人間第一号 《ネタバレ》 日舞の家元とガス人間と銀行強盗との三題噺、って感じで、家元とガス人間の悲恋、ガス人間銀行強盗のスリラーってのはそれぞれドラマを構成できてるんだけど、家元と銀行強盗がどうもトーンとしてつながってない。いえね、東宝はいつもキャバレーを背景にしてて、たまには古典芸能で別の味を出そうか、という新しいことやってみる冒険は立派よ。最初に荒れ屋に八千草薫が登場するあたりは悪くないんだけど、どうもなあ、家元が発表会を出来るようにガス人間が銀行強盗をやる、って展開はなんとも不安定。映画におけるミスマッチってのは、どちらかというと好きなほうで、よくやったと誉めてもいいんだけど、後半ヘンに湿度が上がってしまう。新しい冒険をしたようでけっきょく古い型に寄りかかったというか。銀行強盗もそうだよな。社会的犯罪を絡めなくちゃいけない、という決まりが東宝社内にあったのかな。事件だけならまだいいのよ。中盤で土屋嘉男が自首してくるあたりはすごくいいし、その後の銀行での事件の再現もワクワクさせる。胸に手を当てて精神統一するポーズもいいな。ふんわり浮き上がった札束がこちらに飛んできてバラけるの。でもそういったことが、日本舞踊の発表会を成功させるためってのには、どうも無理が感じられるんだ。せっかく化け物にされた側から描いているのに、即犯罪者に仕立てるのはどうなんだろう。あと一つ、ガス人間を出せとわめく発表会場の乱入者たち、ガス人間の落ち着き・紳士的と対比させたんだろうが、なにもあんなチンピラにしなくてもいいのに。あそこは普通の「良識ある一般市民顔の人々」にしたほうが、効果がある場面じゃないか。[DVD(邦画)] 6点(2011-10-05 10:09:28)

42.  狩人 アンゲロプロスの映画では、しばしば歴史から伝説へと登場人物が漂い流れていったが、この作品では逆に現代の中に伝説が一個の死体となってドンと置かれるところから始まる。わずかな青空がゆっくりと雲に閉ざされていく冒頭、その雪原の中で狩人たちは四半世紀前のゲリラの死体を発見してしまう。苛烈な歴史に生き残った者たちの前に、生き残れなかった者が闖入してくる。『旅芸人の記録』が歴史を下から眺めていた「演じる者たち」の物語とするなら、これは上から眺めている「椅子を並べ観劇する者たち」の物語だ。栄光館のロビーで彼らは互いが演じた過去の歴史を見物し検証し批評することになる。見えるはずのないゲリラの死体に見守られながら、見えない国王と踊るまでの二十数年の歴史がこの一室で繰り広げられていくのである。見事なシーンの連続だが、あのテロシーンの密度はどうだろう。新聞記者や車が排除され道が静まる。車が去ったところから「踊りながら」やってくる右翼たち、表情は読み取れない、平和行進のデモ隊とのにらみ合い、デモのリーダーが歩み寄ってきたところで不意に画面に飛び込んでくる車、そして銃撃、すぐに死体を確保してしまう警察。この数シーンワンカットの迫力はリアリズムから来ているのではない。出来るだけ静けさを引き伸ばしておいてから一気に畳み込んでいく演劇的なクレッシェンド。ギリシャ現代史のやりきれなさを監督の心の中でじっくりと圧力を掛け続けた果てに、ワンカットの中に沸騰して流し込んでいる。そのとき彼の映画は限りなくミュージカルに近づいているようなのだ。あの右翼が示した踊りながらやってくる動き、彼らのふてぶてしさなり民主化を願う人々を小馬鹿にしたような気分が、表情を持たないロング映像の中で、生々しく匂い立っていた。彼の映画では歌がよく歌われ、音楽が演奏される。楽団が登場しない作品があっただろうか。しかし個人の恋愛を歌うハリウッドミュージカルと違うのは、それがしばしば集団の歌なのだ。個人を覆い隠してしまう音楽、明るく響けば響くほどその中心点がウツロになっていくような音楽(大島渚との近親性)、ハーモニカやアコーディオンといった鄙びた音色への偏愛も特徴的。アンゲロプロスはギリシャの陰鬱な空を発明し、長回しの技法を洗練してロングの雄弁さを再確認させてくれた。しかしそれにもまして私が興味あるのはミュージカル作家としての彼なのだ。[映画館(字幕)] 9点(2011-08-01 10:10:24)

43.  カサノヴァ最後の恋 《ネタバレ》 脚本はカリエール。原作は世紀末ウィーンのシュニッツラー、あの『アイズワイドシャット』の原作者にもなる。後半滅びの予感というかその転変が、前半のユーモアとうまく対比される予定だったんだろうね。ラスト、卑しいスパイの条件を呑んで古都ヴェネツィアに戻っていくあたり、腐敗と死の匂いが立ち込めて終わるのが、カサノヴァの時代というより、もう1世紀ほどこっちっぽい。かつての色男をアラン・ドロンがやるってのが売りなんだけど、まだカッコよすぎる。もう少し崩れてもいいと思うが、製作総指揮がアラン・ドロン本人なんで仕方ないか。ドロンは終始一つの表情だけだった。没落する色男と対比されるのは、科学の娘の登場。「戦争もいいもんです、軍隊が減るから」いう自由人でいられたのの終わりでもある。この監督はなんでも『地獄に堕ちた勇者ども』に端役で出てたそうなんだけど、コクの出し方を学ばなかったな。[映画館(字幕)] 5点(2011-07-15 09:57:52)

44.  学校 やっぱり作品が生まれるにはタイミングってものが必要で、これはそれを逃しちゃったような気がする。一日の授業のストーリーにするより、順を追ったほうが良かったのでは。一日にするのなら、もっとディスカッションを中心に持ってきて、その中でそれぞれの背景を見せるという手もあったはず。前半あまり鮮度がないんだなあ。陳列しただけってとこがあって。いっそ、イノさんだけに絞ったら良かったんじゃないか。おずおずと尻込みしながら、学びたいという衝動が膨らんでくる。そのベクトルがこの作品のテーマでしょ。山形へ去っていくイノさんの目に映った東京、あそこがポイントなんだから1分ぐらい延々と彼の目を通した東京風景を映すべきところを、「イノさんの目にどう東京は映ったのでしょう」なんて無粋なナレーションが入ってしまう。教室では「幸福って何だろう」いうディスカッションになって、青年が「幸せだと思ってたのなら可哀想だ」と言うのは、「寅」でヒロシが母親の葬儀で言ったセリフのヴァリエーションだな。山田洋次における「可哀想」の原風景。[映画館(邦画)] 6点(2011-04-29 10:02:09)

45.  渇き(2009) 《ネタバレ》 いくつかのモチーフが作者のなかで溶け切れないまま仕上がってしまったようなところがある。だからいろんな面から観られる。潜在的な自殺願望者であった神父が、吸血鬼になることによって成就する話。現代のシンデレラが神父によって救出されるが、変な方向に解放されていく話。不倫の男女が女の亭主を殺すことに成功したが、その亡霊に悩まされるという古典的な怪談話(個人的にはここらへんの線が好きです)。もっともソン・ガンホの神父顔やら吸血鬼顔やらは味わい深いユーモアをたたえていて、そこらへんに徹しはっきり喜劇の線にしてくれてもよかった。ラスト近くのマージャンの場から殺戮に至るあたりは、ホラーコメディとしていい線いってる。でも映画全体としてはなんかどれも中途半端で、その多面体ぶりを楽しむってとこまでは、こちらの心に余裕がなかった。人物ではヒロインの義母が存在感たっぷり。主人公たちはとうとう最後まで彼女は生かしておく(あんまり血がおいしそうではない)。血をすするカトリックも、孝を強いる儒教の伝統の根強さには負けるってことか。[DVD(字幕)] 6点(2011-04-08 09:58:58)

46.  から騒ぎ いちおう「字幕あり」だが、前の席の人物のためにその半分が読めなかった場合も、これでいいんだろうな。冒頭の、男の帰還によって沸き立つ雰囲気が基本。身だしなみを整えること。どうのこうの言ってもパリッとして男と女が会うのは気の沸き立つものだ。そういう晴れ晴れしい気分に映画を満たしていく。噴水のまわりをぐるりと回る歌の場の長い移動。ラストの家の中を通り抜けてから高く高く昇っていくとこ。このブラナー君のいわゆるシェイクスピア役者臭は(とりわけ独白)どうも苦手で、噂話をしてる後ろを駆けつける一瞬のエマ・トンプソンのちゃんとした映画演技を見習ってほしい。悪役キアヌ・リーヴス、警保官マイケル・キートンのキャスティングは正しい。警保官のアナーキーさには、注目すべきものがある。[映画館(字幕)] 6点(2011-03-13 12:25:39)

47.  関東無宿 松原智恵子はどこ行ったんだ。時代がよく分からない。物語で捉えようとすると変なまとまりのない話で、清順監督でなかったら、そのことだけでダメって言っちゃうんだけど、それが魅力になるから困るんだ、この人。親分もきたねえ、子分もきたねえ、と一人で嘆いている男が主人公なの。面白かったのは、ドンツクドンドンツクツクのリズムがだんだん激しくなっていって、中原早苗の危機と重なるところ。伊藤雄之助とのサシでの花札勝負もいい。一番の見せ場は、やはり賭場を荒らされて逆に斬るところね。歌舞伎的な趣向だもんで、ロングの舞台風の画面が生きる。どこか安っぽさがつきまとうんだけど、この監督は「安っぽさ」を突き詰めようとしているところがあって、それがちゃんと滲みてくるときもあれば、ただ軽く見えてしまうときもある。監督のしたり顔がスクリーンの背後でちらついて見えてしまったりするとダメ(伊藤弘子とのシーンで、外だけ照明が落ちたり中だけ落ちたりする心のうつろいも似たようなもの)。もうちょっと見せ場を長くしてクラクラさせるとこまで行ってくれればもっと良かった。[映画館(邦画)] 6点(2011-02-16 12:26:20)

48.  川の流れに草は青々 《ネタバレ》 いちおう主人公は青年教師なんだろうが、子どもが主でそっちは添えものと思えばいい。トンネルから出てくる汽車を合図にかけっこする下校の子どもたち。ブンブン袋を振り回して橋から落としたりしちゃう。後ろの女の子も橋ぎわに寄って見る。ここらだけでもういい気分に包まれてくる。家にも学校にも所属していない子どもの時間。遅れそうになって走り、小さな階段から校庭の朝礼の列に入っていくワンカットなども、ノビノビしていてよろしい。検便のエピソード、なんかさくらももこにも通じる視線。新鮮さを保つために冷蔵庫にしまっとくやつ、容器を落として箱に入れてくるやつ。遠雷が聞こえる広がりや、ゆったりとした斜面も好きみたい。安定したものよりも不安定なものを、はっきりしたものよりもまだ曖昧なものを、という好みが、青年の恋愛より少年の感情のおもむきにカメラを向わせる。やがてそういう姿勢は『冬冬の夏休み』や『童年往事』でより充実した成果を見せ、さらに歴史を扱っても、それを包む想い出のほうにカメラを向わせていくことになるわけだ。[映画館(字幕)] 7点(2011-01-29 10:25:27)

49.  火宅の人 一番良かったところは、警察署でいしだあゆみが原田美枝子のおでこを叩くとこ。頬を引っぱたかないで、「めっ」って感じなの。フトコロが深いという表現でありながら、変に悟った感じを伴わず、滑稽さで対象化しちゃってるっていうか。ラストの「あなたのすることはみんな分かってんのよ」なんてとこは、そのセンスに欠けて、もひとつ鮮度が落ちてしまう。もちっと時代がプンプン匂う映画を期待したが、流行歌も出ず、そういう趣向の作品ではなかった(音楽は最悪だった)。あたりにどれだけ迷惑をかけても、そのことを自覚していればそれだけで許してもらえるんじゃないか、という甘えた男の話なんだけど、でもこれ、日本文化の一つの型なんだろうな。上方歌舞伎に出てくる放蕩息子の末裔って感じで。放浪って言っても厳しいものじゃなく、遊山の変形みたいなもので、金がなくなりゃ帰ってこられる家がある。それをただ甘えと否定してしまわず、そういう弱さを認め合ってしまうような土壌(本当はそれをこそ否定しなくちゃいけないのかも知れないが)、そういう文化の風土が描かれている。それはただの男尊女卑になってしまうこととは、微妙な差があるようなんだけど。夫婦の間での丁寧な言葉づかい、冷え切った感じを出すのではなく、ちょっとゲームみたいな感じを出していて、いい。[映画館(邦画)] 6点(2011-01-28 10:19:28)

50.  カッスル夫妻 伝記ものという枠があるせいか、ミュージカルとしての楽しみはこのコンビの他作品に比べて、ちと落ちる。前半はいいところもあるんだよ。駅でのタップシーンは、こじんまりしているけどやっぱ楽しいし、ドライブに誘うときの二人の心のゆらめきを、犬を小道具に使ってうまく見せる。あるいはプロポーズするときの、明るい部屋と暗い部屋の対照の妙。つまり結婚するまでは、普通のミュージカルものの型通りで手馴れているわけ。ジンジャーの下手な悪魔の踊りがあったりというサービスも含めて。ミュージカルってのは、非日常的な恋愛状態で一番ふさわしく、本来結婚で終わらせるものなんだなあ。生活のある二人の暮らしになると、肝心のダンスシーンがも一つ酔わせてくれない。監督のせいなのか振り付けのせいなのかは知らないけど、ダンスがダンスだけの表現で閉じちゃってるってことなのか。軍隊帰りの旦那と踊るとこが、まあミュージカルっぽいけど、あんまり高揚させてくれなかった。アメリカを転々としているシーン、地図の上で踊ってて、蟻のような群衆がうじゃうじゃと湧いてきて踊るってのは悪趣味でしたな。[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2011-01-26 10:15:38)

51.  カリートの道 「昔気質の男」と「バカ」は紙一重。チンピラに突っかかってみたり、裏切りかけてることが分かってる男に女を駅に送らせたり、それが「昔気質の男」ということで昇華されるかというと、どうもそこまではいかず、「ちょっとバカじゃないか」という感じと微妙なところになる。弁護士への友情も「昔気質の男」というだけではイマイチ説得力不足なんだ。おそらくパチーノだから「バカ」に一気に傾かないでいられたんだろう。最初の少年が殺されるシーンのだんだんヤバい感じが濃くなってくるあたりとか、ラストの駅のあたりが見せ場だが、長い2時間25分の代償としては、ちと物足りなく思えた。最後に「努力はしたんだ」って言われてもなあ。ペネロープ・アン・ミラーいうのは面白味のない顔だ。南米のリズムがあふれるのはパラダイスのイメージか。[映画館(字幕)] 6点(2010-11-30 10:15:10)(良:1票)

52.  飾窓の女 《ネタバレ》 もう不安がいっぱい。唐突な殺人から雨あがりの街へ。死体を運び出そうとすると帰ってくる住人、公園の入り口の料金所、ザザッと降ってくる木の露、信号がストップになって笑いかけてくる警官。しかしホントに怖くなるのは死体が発見されてからで、友人から捜査の進展が逐一報告されてくるの。女を突き止めたそうだと言われたとこで話が中断されたりするジラシ。ラジオのニュースの前に胃薬のCMが入るジラシ。こうやってジラすのがうまい。つい喋りすぎてしまう、というパターンは少し使いすぎたか。現場検証の場が一つのヤマ。「何の缶詰でした?」。尾行がついていたはずだ、とまず会話でユスリ屋を登場させるのもいい。このユスリ屋が部屋の中を探し回るのが次のヤマ。やけにきれいだねえ、とテーブルをなでたり、クネクネした動きが実にいやらしい。最も甘美な夢は、実は悪夢である、ということ。[映画館(字幕)] 8点(2010-11-10 10:08:11)

53.  風が強く吹いている 野球やサッカーだと競技場にいれば試合の全貌を見られるが、マラソンや駅伝はテレビを通してでしか見渡せないスポーツだ。最初っからテレビに依存している。だからテレビ中継も図に乗って、やたらドラマチックに盛り上げようとする。タスキがぎりぎりで渡らずにランナーの目の前で繰り上げスタートになったときなんか、アナウンサーは悲劇的に絶叫しつつ「してやったり」という気分を隠せない。映画はできることなら、そういうテレビからスポーツ本来の興奮を奪い返して映像化してほしいのだが、この映画なんか「理想的にドラマチックなテレビ中継」をテレビ関係者が実現したような世界になってしまっている。せっかく上映時間がほぼマラソンのタイムと同じにできているのに、ここでは長距離レースの時間が感じられなかった。役者では、灰ニを演じた小出恵介の顔に、時々ただの青春もの用ではない表情が出ていた。[DVD(邦画)] 5点(2010-11-04 10:06:39)

54.  カルネ 人の顔を見せずにてきぱきと設定を展開していく冒頭のあたり、小気味よい。「注意! 感受性を傷つける危険な部分があります」と出て注意を引きつける(期待させる?)悪趣味なユーモア感覚。字幕の効果的用法は、ゴダールゆずりですか。分解写真的カメラの回りこみ、ズームアップ、フェイドアウトして肉切り包丁のような低音がズン、などなど、いかにもフランスのエスプリって感じが横溢。話は、鬱陶しさへの耽溺とでも言うか、父と娘の危うい関係への耽溺ね。思い切って溺れ込むことでのみ得られる手触り。卑しめられるもの、馬肉・デブの女・テレビ活劇らの、なんらかへの復讐といった気配もある。少なくともこの馬肉は、現代社会が見たくないものの側に埋まっている。全編を覆うドローンとした色調。[映画館(字幕)] 6点(2010-10-25 10:04:37)

55.  限りなき舗道 原作が通俗小説ってこともあるんだろうけど、ここに展開する「地道」観ってずいぶん堅苦しい。いいとこに嫁いだって女優になったって、地道な暮らしはできると思うんだけど、弟の面倒見ながらカフェで働かないと「地道」とは言えないらしいの(なんか寅さんの説教みたい)。傾向映画の影響かね。映画会社に入ることがやくざな生き方だ、と映画で言っているこの屈折。一番嬉しかったのは銀座の町並みだな。オバアサンが立ってるカットが良かった。スポークンタイトルのバックにも夜景が使われたりする。嫁いだ家での視線の交錯はかなりドラマチック、あおって天井を映したりもする。自動車事故で話が展開するとこ・男が二人とも実にだらしないとこが成瀬らしいとは言えるが(そもそもこの時代、交通事故という都合のいい手段が小説家たちによって発見されつつあったというだけのことか? かつての「肺病」のように)、あんまり気合いの感じられない作品。それもそうで、どの監督も引き受けないのでたらい回しされてきた企画だったそう。でやんなって、これを最後に松竹からPCLに移る。そういう意味では成瀬にとって記念すべき作品ではある。[映画館(邦画)] 6点(2010-10-15 09:54:55)

56.  カティンの森 《ネタバレ》 ワイダの映画は「長いものに巻かれるな」という強い意志に満ちている。本作では、おもに政治から一歩引いたところに立てる女性に、その意志は託された。夫をナチスに・息子をソビエトに奪われるような、両側からの暴力にさらされてきたポーランドのうめきが聞こえる。しかし長いものに巻かれて生きる生き方を選んだものを見下してはいない。それを選んだことの苦悩も、やはりポーランドの苦悩として、自死する兵によって同等に描かれる。偽証して生き残った彼と、手帳に記録を残しなすすべもなくカティンの森に消えていった男と、その悲劇を比べてはいない。ただ「記録」することによってやがて歴史が裁くだろう、という願いのようなものの分だけ、後者が重い。絶望はたしかに限りなく絶望的なのだが、それを踏まえた上で「やがて誰かが手帳を必ず開くだろう歴史」に対する希望がワイダの映画にはある。ソビエト影響下のポーランドで作られた彼の映画は、この手帳・もしくは手帳の存在を指さすものだった。本作にもワルシャワ蜂起の生き残りという娘が出てきて『地下水道』を思い返させたし(彼女は地下へ消えていく)、『灰とダイヤモンド』のマチェクになっていったかも知れない青年も登場する。私たちがワイダの映画で会ってきた人たちが、破壊され得ない墓碑銘として本作には埋め込まれている。[DVD(字幕)] 6点(2010-09-25 10:14:54)(良:3票)

57.  カウガール・ブルース あくまで文学的なんだなあ。映画としての展開ではなく、文学の幕を通しているもどかしさ。たとえカウンター・カルチャーであっても、文学の幕はやはり幕で、うっとうしい。ヒッチハイカーとしての宿命は、「移動」が日常になること。この設定はちょっと面白くなれるはずだった。でもフェミニズムやら自然保護に落ち着いていき、東洋人でまとめる、っていうのが嫌だね。ツルに麻薬を吸わせるあたり、面白くそれらが対立しそうだったんだけど。唯一映画としての見せ場になったかも知れないツルの飛翔シーンは失敗。ユマ・サーマンは、ああこういう味を出す人なのか、と初めて女優として納得がいった。[映画館(字幕)] 5点(2010-09-14 09:45:57)

58.  カイロの紫のバラ 《ネタバレ》 向こうとこちらが会話をするあたりが楽しい。何の予備知識もなしに観られたらもっと良かっただろう。二枚目が突然こちらを向いて喋り出しちゃうとこ。残った連中がブツブツ言い、観客と言い合いをしたりする。でもこれが社会的事件になっちゃって、本物の役者が出てくるという展開はどうだったかなあ、ないほうがもっと甘美な夢に凝縮できたんじゃないか。ミア・ファローが映画の中に入っちゃってからは、アレンの腕のみせどころ。擬古典派とでも申しましょうか。ネオンが画面を横切っていき、バックが黒で二人の踊りが出たり、で映像のほうのトニー(だったっけ)が身をひいていくあたりはホロリとする。なるほどこれはカラーじゃないとダメな映画だ。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-12 09:56:48)

59.  カールじいさんの空飛ぶ家 《ネタバレ》 前半のトーンと、チャールズ・マンツが出てきてからのトーンとの落差に、どうもつまづく。前半は、絵本の「ちいさいおうち」というか『赤い風船』というか、しみじみ。夫婦の履歴をセリフなしでサラッと描くところなど映画の教科書で、そのトーンの延長としてのファンタジーにちゃんとなっている。ところが後半はガラッとトーンを変え『ラピュタ』系冒険ファンタジーで、せっかく老人を主人公にするという試みなのに、似合わぬアクションをさせている。そこだけ取り上げれば良くできているし、老体にもかかわらず愛するもののために戦う、ってところに意味を感じなくもないが、どうもトーンとしてのつながりが悪い(これ観たすぐ後にハンガリー映画でじいさんが銀行強盗やるのを観たんだけど、こちらはその唐突さが流れの中でちゃんと味わいになっていて納得いった)。もしや最初2Dで製作準備していたところ、どこかから「きょうび3Dでなきゃ客は来んわ、前後に動きのある派手なアクションシーン、後半だけでもええけん入れてんか」という圧力がピクサーに掛かったのでは、などと妄想してしまった。マンツも、けっこう屈折したキャラクターに設定してあるのに、単純な悪役扱いでかわいそう。犬・少年・鳥という三人の従者が犬・猿・キジの桃太郎を連想させた。『オズの魔法使』もそうだったけど、なぜか従者は三人だと安定する。[DVD(吹替)] 6点(2010-09-10 10:22:11)

60.  風の丘を越えて~西便制 《ネタバレ》 典型的な芸道ものなんだけど、新鮮に感じた。神話的な旅芸人を、素直に現実の中にはめ込んでいる。一族だけの至福感は、もう田舎道をやってくる長回しのシーンで満ちている。ここは本当に神話から抜け出してきたような雰囲気がある。一族の宴。けっきょくこれが彼らが一緒にいられた最後の時になるわけだけれども。このあとは、歌ってるとベサメムーチョの楽隊に音は消されていく。没落感覚。薬のPRしたり、お酌させられたり、兄弟弟子は麻薬に溺れていく。美しい文字絵も流行らなくなる。映画はただただ滅びる側に寄り添って、現実の中に埋没していく神話を記録していく。で失明。彼女が盲目になってからの風景描写は一段と凄味を増し、「蕭条」と言うんですか、芸の奥の世界へ分け入っていく感じ。現実の中から神話が蘇ってくる。そして更なる伝承を思わせる旅立ちのラスト。いつもは「湿っぽい」というのは、映画の感想としては否定的に使っていたものだが、これなんか実に「上品に湿っぽい」。どんな方向にも洗練されれば感動があるのだ。[映画館(字幕)] 8点(2010-07-10 10:39:04)(良:1票)

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