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61.  帰って来たヨッパライ 《ネタバレ》 大島における“少年”ってのは重要。デビューが原題「鳩を売る少年」だったし、『飼育』がそうだし、大川橋蔵は少年に見えなかったけど天草四郎ってのも抵抗する少年ですな。『少年』はそのものズバリ、『儀式』の少年も重要だった。『戦場のメリークリスマス』でデビッド・ボウイの弟に異様にこだわったのも、この流れでいくと納得がいく。つまり本作で一番印象に残ったのが密航韓国人少年の顔だったってこと。希望と挫折と反抗とが少年の顔の中に同居しているところが好きなんじゃないか、大島さん。少年が出てくるとリリシズムが出てくる。ベトコン射殺の写真がモチーフになっており、いかにもチャラチャラした日本人がアレヨアレヨとベトナムへ送り込まれていくあたり、当時はもっとブラックなユーモアが醸し出されていたか。密航者はいないかとピリピリしてる日本の沿岸の空気を描いた作品てのは珍しく、その方向で具体的な日本批判を試みたほうが、抽象的な日本人・韓国人論を展開するよりも、実があっただろう。「あなたは日本人ですか」式のインタビューはあまり成功してなかったと思う。殿山泰司がタバコ屋のオバサンになってた。[映画館(邦画)] 6点(2010-06-19 11:54:26)

62.  カストラート 兄弟の物語であった。二人で一つ。音楽というものが、作曲と演奏の二つで完成されること、その二者の間の愛と葛藤が重なる。馬のイメージが繰り返される。弟を去勢させた兄の疚しさの象徴か。赤いガウンが兄弟の求心力のあらわれ、白い馬が離反のあらわれ、とも取れる。病気の子どもが主人公の去勢とだぶらせられているらしい。もうちょっと展開を整理できたら良かった。ブーイングしていた観客が手をたたくまでの陳腐な演出は情けないが、それをも許せるほどヘンデルは美しい。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-04 10:43:42)

63.  彼女について私が知っている二、三の事柄 都市問題というナマなところから切り込んでくるのは、60年代のゴダール。女たちの内面の声が、次々カメラに向かって語られてくる趣向。日常をやってて、不意にこちらと目が合うと語り出すの。中心になるのは主婦売春の女だけど、そう特別「都市の孤独」を売り物にしているわけでもなく、日常がそのままつながってる感じ。託児所と部屋貸しを同時にやっているおじいさんのエピソードとか。社会派ならもっと都市論的に突っ込むところだろうけど、そういうことは不得手な人で(『UGETSU』のポスターがあったのはここだったっけ)、それよりもベトナム戦争のほうに気が行っちゃう。ベトナムから遠く離れていることのもどかしさみたいなものも感じられ、またそれを自覚しているから諧謔的な調子になる。パンナムのバッグを頭からかぶって歩かされる。屈辱かも知れないが、ベトナムの屈辱とは遠く離れていて、しかもそれを自覚しているってところにフランス人の(やや鼻につく)屈折がある。故意に撒き散らされる原色、真赤な車、セーターの彩り。[映画館(字幕)] 6点(2010-04-15 12:08:04)

64.  カルメンという名の女 光線の美しさ、女の顔に横から当たるときのギリシャ的端正さ、病室の明かりが消されてゴダールがシルエットになるとこ、ラスト近くの薄黄色い光の中でのラヴシーン、など。『パッション』が古典絵画をベースに作られた作品だとすれば、こちらは古典音楽、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中期以降を順に追っている。9番の2楽章で始まり、10番、とんで14番の終楽章に入るあたり。さかんに波打ちぎわをやってたところ。15番の3楽章、4楽章はホセが逮捕されて車に入れられたとこだったか。こう番号順に律儀に進んでいく。16番でラストの襲撃。ゴダールとベートーヴェンの四重奏の組み合わせって、後にロメールの『獅子座』でも目撃することになる(日本で公開されたのはロメールの方が後なので)。映画の中に登場したゴダールは、レコードの針を戻しながら15番の2楽章の中間部を繰り返し聴いていた。監督ロメールの指示というより、そうしているゴダールをスケッチしたって感じ。ベートーヴェンになにかの意味を考えるより、ただ単純に好きってことなんだろう。古典と言っても「古典派」と言えるのは、『カルメン…』に使用されなかった初期の1~6番で、音楽史的には革命期、後期の作品には20世紀音楽を予告するような響きさえある。そこらへんの古典を打ち破る姿勢が、ゴダール好きなんじゃないか。というわけで、どうも音楽と光にばかり気を取られて、この『カルメン…』鑑賞、映画体験と言えるのかどうか。夕もやにかすむ海、船。あれなんかフランス絵画ですなあ。古典を解体しているようで、ああいう古典そのままの美しさも肯定しているようなあたり、なんかゴ氏の加齢による「しみじみ」気分を感じた作品でした。[映画館(字幕)] 6点(2010-04-10 12:07:09)

65.  ガキ帝国 《ネタバレ》 ワルの階層というのがよく出ている。また、こういうふうにワルくなっていくんだなあ、というところも納得いく。ヒョイと死んでしまうとこなんかリアリティ。朝鮮人の友だちの改造拳銃や、リフトで車に突っ込んだところなど。「俺、歌手になりたかった」なんてのは、いらぬ技巧でしたな。つくりには粗いとこもあるけど、この三人組の仲間仲間してる感じがいい。とくに三人目のが「しっかりしてる」んだな。いろいろ寄り道しているようでいて、自分をしっかり捉えている。だからといってクールなのではなく、友の死ではホットになれる。実に好青年であった。言葉の凄味にも期待したんだけど、それほどでもなかった。[映画館(邦画)] 6点(2010-02-04 12:02:37)

66.  崖の上のポニョ 《ネタバレ》 この人の映画ではしばしば水没願望みたいのが感じられてたが、とうとうたっぷり水没した。後半のおもちゃの船での航海部分が素晴らしい。太古の海に浸された静けさ、道路の上を古代魚が遊泳し、繋留されていた漁船がアドバルーンのように上がっている。過去の海ではあるが、未来の人類が消えた世界の予想図(理想図?)のようにも見えてくる。人々もパニックになってるわけではなく、水没を嬉々として受け入れているようで、祝祭的気分さえうかがえる。ここはホント、うっとりと観た。おもちゃの船の出航のところも、ロウソクに点火しようとし、つかなかったかともう一度マッチを擦ろうとすると小さな火が育っていく、なんて丁寧な演出。水に対抗するその火のかそけさが伝わってくる。あと粘度の高い水のヌルヌル感というかドロドロ感も、この人の繰り返されるモチーフで、それが凝って水の魚になってるあの感触もいい。とにかくたっぷり水を描ききった作品で、その点に関して満足した。噛み砕きづらい話の大枠についてはおいおい考えるとし、波の上を走るポニョに「信貴山縁起絵巻」の護法童子をちょっと思ったことを、取っ掛かりとして記憶しておこう。[DVD(邦画)] 7点(2009-12-05 11:53:40)(良:1票)

67.  カッコーの巣の上で 病院内のディスカッションが優れている。演技による興奮で演劇的な場面のようだが、ほかの人が発言しているときにマクマーフィーの表情を捉えておくなんてことは舞台では出来ないのだから、やっぱり映画的なんだ。野球のテレビ中継、再投票、タバコに固執する男。一方船のエピソードやお別れパーティの騒ぎのあたりはやや弱くなってしまったが、ここらへんは個人個人を捉えきれないシーンだからだ。個人個人の細部、どんな個人もが持っている個性の輝きが素晴らしいのだ。これ一種の聖人伝なんだろうな。変化をもたらすために遣われてきた男。パーティのあと逃げられるのに窓を眺めたままじっとしていて、やがてかすかに微笑むシーン。あの瞬間から彼は聖人になったのかも知れない。使命感が生まれた瞬間。そしてラストの感動、伏線がピタリと決まる。ゆったりとした三拍子の音楽も効果的。[映画館(字幕)] 8点(2009-12-04 11:59:59)(良:1票)

68.  歌舞伎役者 片岡仁左衛門 期待したのは映像による具体的な芸談だった。もちろんそういうシーンもある。『四谷怪談』の髪すきの場で大事なのはお岩よりも宅悦の方なのだそうで、その宅悦の“いい驚き方”と“悪い驚き方”を実演してくれるところなど面白い。しかしそういう興味だけだったとしたら、カメラの動きがおかしい。演出の指導をしている場面では、それでどう演技が変わったのかを比較しなければならない筈だ。でもカメラはほとんど指導している仁左衛門ばかりを捉えている。羽田澄子が興味を持ったのは芸ではなく、仁左衛門の人物を凝視することで見えてくるものの方だった。つまり滅びゆく上方歌舞伎ではなく、滅びゆく上方人そのものだったのではないか。仁左衛門は戦後滅びかけていた上方歌舞伎を何とか復興した人である。しかし上方歌舞伎は復興したのだろうか。映画の中で何度も彼の愚痴が聞かれた。今では下座音楽も、大阪公演の時は東京から連れていくのだそうだ。研究生たちへの教育風景でも、どうしても公卿の雅びなイントネーションが出来ないことに眉をしかめる。なぜ上方歌舞伎は衰えたのか。戦後日本全国が東京化したことと無縁ではあるまい。この映画に感じるのは、最後の上方人である仁左衛門をまず記録しておかねば、という衝動である。彼のまわりに漂っている上方人としての風韻をこそカメラは捉えようとしたのであり、その試みは成功している。仁左衛門は家族だけでお茶屋遊びをする時でもキチンとネクタイをしめている。それでいてこの室内には外界を遮断した内輪だけで閉じているやや淫靡で濃密な気配も漂う。このキチンとした感覚とネットリした感覚との併存に、関東人である私などは上方的なものを感じた。芯のところに気難しさが感じられるのだけど、けっして声を荒立てない姿勢。千年の間じっくりと漉し続けられた文化が一人の人間の形となって現われている。大げさに言えば羽田はそのような千年分の記録を撮る意気込みで、カメラを回したのではないだろうか。それともう一つ、老いの問題がある。目が見えなくなりつつある老役者としての被写体。『新口村』の舞台、目隠しをして息子と対面する場面がそのまま、盲目の師と息子の弟子という現実に重なって見えてくる。彼の「老いると芸がリアルになる」という言葉、実感としてはよく分からないのだが、この場など、こういうもんかなあ、と微かにつかめた気にもなったのだ。[5部作版での鑑賞][映画館(邦画)] 7点(2009-09-28 12:19:29)

69.  カットスロート・アイランド 海賊映画というジャンルにそもそも懐かしさがあり、そういうナツメロ的に味わえば楽しく見られる。ロープがよく出てくる映画になるのだ。見せ場はちゃんと次々にあるんだけど、なんかキレがもひとつ感じられないのは、不必要なスローモーションがブレーキになってるんじゃないか。ペキンパーのスローモーションは「思わず息を詰めて」ってところで使われた。でもその後、アクションのごまかし、つまり本当のスピードで映したらゆっくりしてるのを隠すためにスローにしてる、って使い方になってきて、とくにこの作品でそれをしばしば感じた。馬車のシーンなどよくやってるんだが、ロングでスピード感が減じ、一番の見せどころの、下を馬車、上を駆け抜けるいうとこ、上のバタバタが若干多すぎて、きびきび感が失われていた。こういうリズムは本当に難しいものだなあと思う。島もあんまり生きなかったし、かといって船のアクションてのも新味を出しづらい。ジーナ・デイヴィスの色気のない明るさってのは貴重だった。[映画館(字幕)] 6点(2009-09-20 12:07:24)(良:1票)

70.  街燈 旗照夫のシャンソンが流れて始まる。落とした定期券から、銀座のブティックをめぐる人間模様の話へ広がり、合い間に学生小沢昭一が笑いをとっていく。銀座の記録としては、火の見やぐらから火事を発見するシーンがあった(火事のシーンは、特殊技術がなかったせいか消防法がうるさくなかったのか、結構迫力)。まだ靴みがきの子どもがいた(みがくシャッシャッという音がドラムの、あれ何て言うの、さきっぽが金属の小さなほうきみたいになってるヤツ、あの音になっていく)。中原早苗のことを子どもたちがパン助みたいな格好だと言った。昭和30年代前半はまだまだ濃く“戦後”であったのだ。そして銀座という街が、単なる背景でなく、こういう人間模様を織りなすのに適した場所であったのだなあ。[映画館(邦画)] 6点(2009-09-02 11:57:38)

71.  カジノ モノローグ映画というか、やたら字幕を追うのが大変でした。ナレーションが多いと、過去の出来事という感じは強くなる。それにしてもこの監督ノーブルな顔して、どうしてこう真っ当でない・唾棄すべき嫌な人間たちの話が好きなんだろう。ギャンブルの天才でありながら、妻や友の裏切りにあっていく男。ラスト1時間ぐらいになってやっとノッてこれた。世の中なんにも信用できねえのさ、という一匹狼的な恍惚感があるわけでもない。虚飾の街と、その裏の地味な金勘定の部屋、その裏から表を見て、荒涼としてるんだけど充実がある。つまり現代における“充実”とは、愛やら友情やらを捨てていった荒涼の中にしかないということか。ラスベガスを取り囲む広大な砂漠。日本人はタオルを持って帰る。ラストに「スターダスト」が流れ、おそらくある年代の人は「シャボン玉ホリデー」を思い浮かべ、しみじみしたことと思う。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-05 11:59:37)

72.  風の中の子供 《ネタバレ》 勉強していた三平が母親のほうをうかがい、するとディゾルブで消え、外からターザンのおたけびが聞こえてくる。金太の言ったことで漠然とした不安が漂い、家の前をお巡りさんが通過する。弁当を曲げないようにお父さんのところへ届ける。飛び上がって帽子かけの帽子をとる…。子どものスケッチのひとつひとつが生き生きしている。これは監督の技術でもあるが、当時の松竹という会社のトーンでもあったのだろう。刑事を自分の家に導いてしまう三平。世界に対して不安・警戒が広がる。留守番しているとき雨戸を締め切ってしまう。兄弟でのオリンピック水泳中継。で三平は坂本武おじさんのところへ。残った善太がひとりでかくれんぼをしている半ば幻想シーンが凄い。もういいか~い、もういいよ~、の声が家の中にうつろに響き、一方三平もカッパの池のさざなみを見つめている。説明抜きで、兄弟の心情が伝わってくる。おじさんちから帰ってきて、働こうと思っても、小さな子どもには大きな犬の世話は出来ない。自分が子どもであることの悔しさ。子どもの心のスケッチ集として、パラパラめくってはちょっと見入る感じの作品になっている。ロケではしばしば道の中央にカメラを据え、シンメトリーを作る。アップは使わない。ひと夏の物語は、入道雲のように堂々としている。[映画館(邦画)] 7点(2009-07-09 12:03:58)(良:1票)

73.  髪結いの亭主 《ネタバレ》 主人公アントワーヌに、竹取りの翁を思った。不意に訪れたかぐや姫が成長していくのを喜びながら、別れの予感の不安とともに見守っている。今現在の幸福を忘れさせるほどの、時間の経過に対する不安。翁はついにその時間との戦いに敗れ、姫の昇天を目にしなければならなくなったが、このフランスの竹取りの翁も同じだった。彼は自分の理髪店から時間の流れを感じさせるものを排除していく。目の前で成長していく子どもは作らない、思い出になる旅行には出かけない、今日が昨日とまったく同じ日であるように心がけ、また明日が今日と同じ日であるように理髪店に立て籠もり、同じ音形を繰り返すアラブ音楽を聴きながら時間を溜め続けていった。しかし常連客は少しずつ老けていく。目を背けていても、時間は室内に溜まり続け、そしてついにマチルドが夕立の気配のなかで「人生って嫌ね」と呟き、自分たちの敗北を認めた瞬間、溜まりに溜まっていた時間が濁流となって溢れ、彼女を押し流していってしまう。この映画の中のアントワーヌは少年か初老かだ。夫婦の愛の日々を描く映画でありながら、少年の憧れと老年の思い出だけがあって、そのなかの壮年の人生が抜けている。つまり、「まだそこには存在しない」と「もうそこには存在しない」ものとしてのみ、夫婦の愛の日々は捉えられるのだ。幸福であるとは、なんと不安なことだろう。この映画で最も凶々しいシーンは、オーデコロンを飲んで酔い潰れ“死んだ”ようになって迎えた朝、少年時代のアントワーヌがこの店を覗き込んでいるところ。憧れの女性理髪師の死を夕立の予感の中で発見したときのポーズで。これは妻である女性理髪師マチルドにも昇天の日が近づいていることの予言なのだろうか。アントワーヌは自分の戦いが負けることを最初から、少年の時から分かっていたのだろう。それを承知しながら、彼は幸福を究めようとした。人生とはこういうものなのだ。ほんの80分ほどの映画なのに、しみじみと人生の詠嘆を描ききって感服させられた。[映画館(字幕)] 9点(2009-07-02 12:22:12)(良:2票)

74.  学校Ⅱ 後半、吉岡秀隆がクリーニング工場で勤め出してからのあたりが、山田監督お得意のところだ。無力感に負けそうになる青年。その前に発表会があって、心が広がり出してきたところでドンと世間が立ちふさがってくる。大きなしくじりをさせるわけでなく、些細な描写を重ねて、「もっと馬鹿だったほうが幸せだなあ」という言葉に至る、ここらへんがいい。“厄介もの”でも“無垢な天使”でもない、一人の人間としてのタカシが見えてくる。冒頭とラストに風船を配して、山場に気球を持ってくる。イージーではあるけど、そのイージーな“夢のような”気球が、現実の厳しさを際立たせた。ホテルで働く先輩が「我慢しなきゃ」を繰り返す。それが我慢を強いるものの存在を、また逆方向から際立たせる。あからさまな差別や偏見の描写をせずに、しかし親身になって他人のことをおもんぱかる暇のない“世間”を浮かび上がらせていく手際は、やはりうまいと思う。でも卒業式で先生たちが泣くのはよくない、少なくとも生徒たちの前では泣かないでいてほしい。[映画館(邦画)] 7点(2009-05-22 12:06:46)(良:1票)

75.  かごや判官 チャンバラより推理ドラマ仕立ての体裁。けっこう戦前って推理ものの時代劇が盛んだったんだ。戦中の名作、マキノ正博の『待って居た男』なんて現在の推理ドラマよりはるかに出来がいい。もっともこれはあんまり期待しないでね。推理より演出。死体からカメラが動いて、塀を乗り越え、外で騒いでいる町人にまで移動していく、なんて同時代の溝口健二というより、半世紀後の相米慎二を思わせる。取り調べでしゃべる女の声に合わせて、回想画面の人物の口が合う、なんてのもかなりシャレている。演出として成功しているかどうかは別にして、楽しい。長屋での権三の夫婦げんかと、助十の兄弟げんかがパラレルに描かれたり。このころは時代劇もモダンの風に吹かれていたのだ。もちろん歌も歌う。馬鹿が愛嬌の江戸町人。でもこの作品の製作は江戸でなく、松竹京都創立15周年記念映画。[映画館(邦画)] 6点(2009-04-23 12:00:14)

76.  片腕マシンガール 井口監督の『猫目小僧』を見たとき、初めて4点をつけた。それまで最低点は5点だったのだが、どうも5点に埋もれさせてしまってはいけない映画のような気がして、4点にした。あの牧歌的な怪物たちがうごめきまわるクレイジーな、どーしょーもない世界、映画から逸脱し続ける怪作にはその点しかないと思ったのだ。しかしあれは本当に監督が意識して作り上げた世界だったのだろうか、マグレということはないだろうか、という疑いがつきまとい、今度新作を鑑賞してみる気になった。もしや改心してマトモな5点級のアクション映画を作ってしまっているのではないか、と危惧していたところ、それは杞憂であった。改心してない。洗練への誘惑に逆らい、またオチャラケた笑いに逃げそうになっては踏みとどまり、最後まで“しょーもなさ”の崖の上を綱渡りして、エンディングまでたどり着いてしまうのだ。自動車修理工場の襲撃から神社のバトルまで、一気呵成に行きたくなるところで、ヒロインたちの友情ドラマをはさんでちゃんとギクシャクさせている。そして血が飛び、肉が弾け、ブラが回転する。悪夢などという上等なものではなく、“ごっこ”の気分に徹底する。これだこれだ、と思い、4点以上でも4点以下でもないところでまたピタリと決めてくれた畸形の映画に、私は心から満足している。[DVD(邦画)] 4点(2009-03-30 12:00:25)(笑:1票) (良:3票)

77.  家族の気分 特別、人間についての新たな発見をしてくれる作品ではなく、だいたい予想した通りに展開していくけど、そのウェルメイドな戯曲の楽しみはある。狭い場所でどう話を進めていくかという技術面での作劇への楽しみも。冒頭、オートバイが走り去り、ラスト、カップルになって逆に走り去る、とキッチリしている。6人の人物のいろいろな組み合わせを作っていく楽しみ。嫁きおくれの女性への「酢には蝿もとまらない」ってのは、フランスではよく使われる諺なのかな、ミもフタもない表現。その蝿がジーッと焼かれるシーンがあった。人生で成功している家庭は冷たく、うまくいってないほうは仲直りへと、けっきょくドラマは調和を目指す。[映画館(字幕)] 6点(2009-03-29 12:12:07)

78.  貸間あり 主人公は周囲に重宝がられることの心地よさに安住してしまい、隣人たちのしたたかさに利用されていく。そういう主人公を聖人化せず、映画はちゃんと彼をも裁く姿勢を取っているところがいい。だから人情長屋ものにはならず、人々の間にあるヒンヤリしたものを描いているわけだ。それにしてもこの脇役陣の豪華さはどうだろう。掛け持ち妾をやっている乙羽信子の別れの儀式のおかしさ。益田喜頓もまだ後年の“いいおじいさん”になってなくて、悪意あふれる陰湿な人物を演じる、それがまた似合っている。アァァいう妻を持つ骨董屋の渡辺篤。密造酒の清川虹子が室内で体操するシーンの迫力。酒場でトマトジュースのおかわりを頼む加藤武。そしてもちろん隣人たちのしたたかさを代表する受験生小沢昭一…。なんて豪勢なんだ。[映画館(邦画)] 7点(2009-02-26 12:11:26)

79.  カルラの歌 この人は「悪い時代の国」を描くのだけど、その悪い時代の中にひそむ若さや可能性を、老いたグラスゴーの街と対比して見ている。うらやましいなどと思ってはいけないが、と作者自身自戒しつつ、どこかでうらやましがっているような。不自由な国の中で自由を求めて戦っている者にのみ、自由は味わえるのではないか、と。老いた国での自由は、二階建てバスでピクニックをしてしまうこと、ただし失業と引き換えだ。バスがグラスゴーとニカラグアをつないでいる。この人は、どこかで起こっている悲惨に常に関心を持ち続けているが、それはまた常に自国との関係において問われているところがいいんだ。[映画館(字幕)] 7点(2009-02-06 12:11:42)(良:1票)

80.  カンゾー先生 《ネタバレ》 少数意見だと思うが、私は晩年の今村作品の中ではこれが一番好きなの。60年代のこの人の気分が感じられて。カンゾー先生、和尚、モルヒネ医らの怪しい男集団に、初期の彼の作品の猥雑感が思い出されてくる。学究の徒となり中央で認められる成功話になりかけるところで、ニガみが湧き出してくる構成。せがれが生体解剖やってやせんかというためらい、顕微鏡探し回っててバアちゃんを死なせてしまう失敗、その葬式で聞こえてくる東京の拍手、ここらへん最後まで迷う医者なのである。周囲の連中も、なにやら道を踏み外していく。その踏み外させる元凶としての肝臓炎=戦争に焦点が絞られていく。そしてラストが『神々の深き欲望』を思い出させる舟に漂う男女。そりゃ最盛期のバイタリティーには及ばないものの、これ『復讐するは…』以後では、一番今村らしい作品になったんじゃないか。[映画館(邦画)] 8点(2008-12-28 12:17:36)

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