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プロフィール
コメント数 731
性別
自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  紀元前1万年 《ネタバレ》 神話や伝説なんかに接する時、往々にしてその「語り」の飛躍ぶりやご都合主義、デタラメさに驚かされる。そこでは人と動物が対等にコトバを交わし、何年もの時間がひと言で片付けられたりする。そして語り手(とは、その神話なり伝説を産んだ「集団的(無)意識」の具現化した存在=声に他ならないんだけれど)の思惑や気分(!)により、平気で展開や細部が変更・改変されることも常のことだ。でも、だからこそその「語り」は現代のような、緻密さと物語の整合性、テーマに汲々とした「神経症」的な息苦しさから解放された、あるすがすがしさや味わいがあるのだと思う。 オマー・シャリフの「語り」で物語が進行する『紀元前1万年』は、何よりも先ず、そうした「神話的・伝説的」な叙述[ナラティヴ]を映像化する試みとしてぼくは見た。というかこれは、最新のCG技術やらテクノロジーを駆使しつつ、しかし徹底して「現代的」な物語の叙述から身を離そうとする映画以外の何物でもないのじゃないか。だからこそ登場人物の「内面」やら心理的葛藤なんぞは、あっさりとナレーションで語られる程度なのだし(・・・例えばペーターゼン監督の『トロイ』は、登場人物たちの内面に寄りすぎたその「現代的」な演出ゆえに魅力を欠いたのだ、とすら言ってしまいたい)、死んだヒロインの“蘇生”場面にしても、あくまでそういった「語り」の要請に忠実だったゆえなのだ。すべてに成功している映画だとは思わないけれど(人々を支配する神のごとき存在がWASP風の「白人」だったというオチの、いささか安易な寓意性はむしろ不要だろう・・・)、その“大胆さ”こそ本作を真に興味深い作品にしているのではあるまいか。 そう、エメリッヒ監督の映画は、これまでもそのどこか反=時代的な「語り」のおおらかさこそが魅力なのだった(まあ、それを「バカバカしさ」ととる向きもあるんだが)。本作は、そういった「語り」そのものに監督自身がのめりこんでいるかのようだ。それゆえ、彼の映画としてはあまりに“作家性(!)”がオモテに出すぎた感がなくもない。が、「神経症」めいた映画にどこかイヤ気をさしていた観客にとって、これほど映画ごころを慰撫され、ホッとできる作品もないだろう。 エメリッヒ、やはり断固支持![映画館(字幕)] 8点(2008-06-03 16:03:59)(良:2票) 《改行有》

2.  キング・コング(2005) ピーター・ジャクソンが、どれだけオリジナルの『キング・コング』とそのキャラクターを愛しているかを、ぼくもまた決して疑うものじゃない。それはこのリメイク作品においても、全編から、ディテールの隅々から伝わってくる。例えば、コングの住む断崖に散らばる巨大な骨や頭蓋骨。それを画面にさりげなく見せることで、コングが、家族や仲間の死に耐えたまったくの“独りぼっち”であることを観客に示す。それゆえ、彼がアンという「相手」を得たことの喜びを、何があっても彼女を守ろうとすることを、ぼくたちは素直に納得できるのだ。 しかし、人間であるアンもまたこの巨大な「怪物」に“愛”を、そういって言い過ぎならば“愛しさ”を抱く時、この映画はオリジナル版の〈美女と野獣〉の寓話性を失ってしまい、単なる「メロドラマ」に陥ってしまったのではないか。コングが、彼女の前ですねたり強がったりする表情やしぐさは、確かに素晴らしくチャーミングだ。ぼくもまたそんなコングを愛さずにはいられない。しかし、コングがそうやって「人間的」に描かれれば描かれるほど、これは“異形の者の悲恋もの”に過ぎなくなってしまう(…クライマックスで、エンパイアステートビルにアンとともに逃げ登る本作のコングは、まるでエスメラルダを伴ってノートルダム寺院の尖塔に登るカジモドのようだ。そう、これはむしろ『ノートルダム・ド・パリ』のリメイクといった方がふさわしいのではあるまいか…) もちろん、メロドラマだから悪いと言ってるんじゃない。でも、決して相容れない美女(=人間)であるからこそ、彼女に魅せられ身を滅ぼす野獣(=コング)の物語は、「神話」へと昇華されたのではなかっただろうか。だのに今回のコングは、たとえ死ぬとはいえ十分に愛され、何と幸せ者かと思ってしまう。しかもその“愛”が、自分に忠実で無償の愛情を注いでくれる「ペット(!)」に向けられたものではないと、誰に断言できるだろう…。 オリジナルで、最後まで恐怖の悲鳴をあげ続けたフェイ・レイのヒロイン。コングを決して「人間」とも「ペット」とも思わなかった彼女の方が、どれだけ“誠実”だったことかとぼくは思う。もちろん、そんなのは不当なイチャモンだと言われればそれまでだ。しかしなぜかこの映画には、そんな文句を投げかけたくなってしまう。…ごめんよ、ピーター・ジャクソン。[映画館(字幕)] 6点(2006-02-03 16:37:58)(良:3票) 《改行有》

3.  キル・ビル Vol.2 その過剰なまでの「趣味性」や「遊び」ばかりが語られるタランティーノだけど、彼の最も本質的な「才能」は、常に役者たちを“輝かせる”ところにあるのだと思う。彼の映画では、トラボルタやロバート・フォスター、パム・グリアーなど「あの人は今」みたいな“過去”の役者をこれまでも見事に再生させてきた。というか、それぞれのスターとしての魅力を最大限に引き出し、あるいはあらためて発見することに成功してきた。今回も、特にこの『vol 2』におけるデヴィッド・キャラダインやダリル・ハンナ(その怪演は、ハッキリ言ってユマ・サーマンすらも食った)、マイケル・マドセンといった面々を、一見コミックすれすれの設定や描写のなかにあっても、驚くほど「映画」そのものとして画面に定着させている。タランティーノは、彼なり彼女なりの持つ個性や魅力を、演じさせるキャラクターに“同化”させることにおいて天才的な演出家なのだ。だから、どんなに荒唐無稽な映像世界にあっても、人物たちは確固たる「リアリティ」(「リアル」ではなく、だ)を持ってぼくたち観客に感情移入をせまる。というか、感情をわしづかみにする。…繰り返そう、映像遊びに凝ったただのオタク監督のようで、その実この男は役者の魅力にこそ映画の“本質”を置く、その意味で最も正統的(!)な「演出家」なのである、と。その1点において、ぼくはこの映画(とタランティーノ)を支持したい。8点(2004-05-19 21:30:58)(良:1票)

4.  木更津キャッツアイ 日本シリーズ 《ネタバレ》 実はTVドラマの方を1度も見ていなかったので、前半など、他の観客は爆笑しているのに「???」だったのですが…。それでも! いやあ~感動しましたです。余命半年と宣告された主人公を中心としながら、何と言う突きぬけ方だろう。この「ぶっさん」をはじめ、草野球仲間の面々は確かに”ノーフューチャー”でしかないのだろうけれど、ここ[木更津]という奇妙なユートピア(!)で彼らが繰り広げるバカ騒ぎのなんという「幸福さ」。その向こうにある「死」への透明な哀しみすらが、じんわりと感じられるあたりも見事です。TVのスタッフがそのまま再結集したというだけあって、画面はあくまでフラットなTV的”薄っぺらさ”なんだけど、この作品だけには、そんなことどーでもいい、純粋に作品世界に自分も参加したい…と思わせる魅力とパワーがある。ラストの「ヘドラ」ならぬゴミ怪獣のオチすら、ぼくには素晴らしくチャーミングだった。今のところ、クドカンの脚本作品としちゃあ最高に”ヒップ”ですね! キャッツ! ニャ~ッ!!8点(2003-12-03 10:51:43)

5.  ギフト(2000) アメリカ南部の地方都市には、現代社会の抱える暗部が揃っている。それを、ひとりの女霊能力者がはからずも暴き出し、それによってある種の”救済”をもたらす…って構図かな。サム・ライミ監督は、本作と『シンプル・プラン』でいよいよ本物の実力派監督になったと思う。超自然スリラーという体裁ながら、この映画はまぎれもなくフォークナーやテネシー・ウィリアムスの「南部もの」のゴシック・ロマンスに近い志と野心をもった作品ではないか。また、だからこそこれだけの豪華キャストが集まったんでしょう。…でも、ひとつだけ告白すると、エラソーなこと書いていながら、ぼくもあのケイト・ブランシェットが転倒しての”大股開き”が、今も眼に焼き付いて離れないスケベ親父のひとりです。嗚呼!8点(2003-11-19 16:00:50)

6.  キス・オブ・ザ・ドラゴン 娘のために街の女として生きるブリジット・フォンダが、安っぽさとその裏にある優しい母親としての二面性を出していて、なかなか。チェッキー・カリョの極悪非道を絵に描いたような悪徳刑事も、楽しい。ジェット・リーのアクションは、言わずもがなでしょう。でも、リュック・ベッソンてば、もういいかげんこの手の、ハリウッドもどきな”ごっこ”映画でお茶をにごすのやめにしなよ。5点(2003-11-13 14:35:19)

7.  キル・ビル Vol.1(日本版) 試写会で見ました。vol1が「ヤクザ映画=日本映画」へのオマージュで、vol2が「カンフー映画&マカロニウエスタン」へのリスペクトに満ちた映画になる…という公開前の風評は、どうやら間違いのないところみたいです。なるほど、タランティーノが「日本映画(というか、東映映画っすね)」を撮ったらこうなるのか、といった興味しんしんで面白く見られるんだけど、過度の期待や思い入れを持って見に行くと、失望させられる人も多いんじゃないでしょうか。ようするに、おバカ映画をタランティーノ風に拡大再生産した本作には、「新しさ」じゃなく、「この手のマニア受け」こそを目ざされたフシがある。それを、何か「高尚なもの」と受け取る方こそがバカを見るってこと。ただ、そんな「おたく(マイナー)」度100%な内容なのに、同時に「メジャー」な作品にしてしまうあたりに、この奇才の真骨頂があるんだけど。とまれ、小生的にはvol2にこそ期待したいって事で、「6」点献上!6点(2003-10-20 10:53:52)

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