みんなのシネマレビュー |
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1. キートンの蒸気船 《ネタバレ》 喜劇王キートンのフィルモグラフィーの中で、最も有名な場面。 それが本作の「建物が倒れてくるけど、窓枠の部分にスッポリ収まり無傷なキートン」になると思われます。 「それはつまり、コレが彼の最高傑作って事なのか」と言われたら、自分としては異議を唱えたくなるんだけど…… そう認識されても仕方無いくらいの傑作である事は、間違いないですね。 とにかくもう、キートン自ら監督したという後半部分の「ハリケーンに襲われた町」の描写は圧巻であり、良くもまぁこんな世界を描き出せたものだと、感心するばかり。 キートンの魅力といえば、当人のアクロバティックな動きが真っ先に挙げられるけど、この人って自分以外の「舞台の作り方」も、本当に上手いんですよね。 自分は三大喜劇王の中でキートンが一番好きであり「王」というよりは「喜劇の神様」って表現が似合うんじゃないかとさえ思ってるんですが…… その理由としては「映画の中に独自の世界を作り上げる事。そして、その世界を壊す事に関しては、キートンに並び得る者は存在しないから」ってのが挙げられるくらいです。 本作に関しても、その力量は如何無く発揮されており「ハリケーンに襲われた町」という特殊な舞台ならではの面白さと、巨大な建造物を破壊していくカタルシスとが、たっぷり描かれていたと思います。 冒頭部分で言及した「窓枠にスッポリ収まったキートン」の場面も凄いけど、個人的には「家が飛んできて潰されたかと思いきや、普通にドアを開けて中から出てくるキートン」って場面も、同じくらいお気に入りですね。 ここ、本当に「朝起きて、出かける為にドアを開けた」くらいの気軽さで、暴風雨なんて起こってないとばかりに平然と出てくるのがもう、たまんないです。 特異な状況ゆえの「普通の事を普通にやってる可笑しさ」を、これほど見事に表現出来るのは、正にキートンだからこそ。 クライマックスでは「水没する檻の中から父親を救い出す」って見せ場も用意されているし、主人公とヒロインが結婚する未来を「溺れた牧師を助けた」という形で示唆するのも、オシャレな終わり方でしたね。 そんな神掛かり的な後半に比べると、キートン監督ではない前半部分に関しては、凡庸な出来栄えに思えたりもするんですが…… 「不器用ながらも息子を大切に想ってる父親」の存在など、魅力的な脇役も揃っているので、決定的な不満点って程では無かったです。 捕まった父を留置場から脱出させるべく、キートンがアレコレ画策する場面なんかは「刑務所モノ」「脱獄モノ」が好きな身としては、心躍るものがありましたし。 それだけでも「キートンが監督していない部分にも、確かに価値は有った」と言える気がします。 それと、本作の前半部分には、もう一つ興味深い場面があるんですよね。 美男子であるキートンが、どう見ても似合ってないチョビ髭を付けて登場し、それを剃る展開になる。 これってつまり「チャップリンのような口髭を付けた姿から、本来のキートンらしい姿に変身する」って形になってる訳で、非常に寓意的なものを感じます。 本作の監督であるチャールズ・F・ライズナーは、数々のチャップリン映画で助監督を務めた人っていうのも、何だか意味深。 そもそもキートンって、ロイドやチャップリンに比べると商業面では劣等生であり、本作でも多大な赤字を記録してたりするもんだから、周囲から「ロイドのような映画を撮るべき」「チャップリンのようなキャラクターを演じるべき」って要求されていたフシがあるんですよね。 「大学生」(1927年)や「結婚狂」(1929年)なんかは、それが顕著。 つまり、本作における「チョビ髭を剃る」シークエンスも、キートンなりの皮肉なユーモアが籠められていたんじゃないでしょうか。 映画を観てる自分としても「バスター・キートンはバスター・キートンであり、決して他の喜劇王と同じではない」という事を、確かに感じましたからね。 それは本作の後半部分、紛れもない「キートン映画」の魅力によって、力強く証明されていると思います。[DVD(字幕)] 8点(2023-10-24 23:20:54)(良:1票) 《改行有》 2. キス&キル 《ネタバレ》 アシュトン・カッチャーが好きな自分としては、それなりに楽しく観られたけれど…… そうでない人には、結構キツそうな一本でしたね。 まず、序盤は良い感じというか、中々面白いんです。 旅先で主人公とヒロインが出会い、結ばれるまでを描いており、ラブコメ要素が濃い目で、楽しい雰囲気。 空撮の映像が美しいし、海辺のプールなんて本当に素敵だしで、良質な「旅映画」だったと思います。 にも拘わらず、二人が結ばれ「三年後」に時間が飛んだ辺りから、一気に失速しちゃうんですよね。 主人公のスペンサーが莫大な懸賞金を掛けられ、友人達から命を狙われるブラックコメディと化すんだけど、どうも緊迫感が無くて、アクション映画としても魅力に欠ける感じ。 例えば、友人のヘンリーが突然ナイフで斬り付けてくる場面なんて(本気で殺そうとしてるの? それともふざけてるだけ?)と戸惑っちゃうくらいヌルい描写でしたし、彼の退場シーンもアッサリし過ぎてて、本当に死んだかどうか気になっちゃうんです。 この辺の作り込みが甘いせいで「平和な日常から、殺し合いの日々に戻ってしまう」というギャップの魅力が伝わってこないんですよね。 せっかく映画の前半と後半で違う「色」を打ち出しているのに、これは如何にも勿体無い。 あと、序盤から何度か「バンジージャンプ」ってワードが出ていたので、これはヒロインのジェーンが高所から飛ぶ場面が絶対あるだろうなと思ってたのに、それが無かったっていうのも、拍子抜けでしたね。 「(貴女と友達の振りをしていて)楽しい事もあった」と、友情を示した途端に撃ち殺されちゃうジェーンの女友達って場面も、凄く後味悪いし…… 黒幕であったジェーンの父と、スペンサーの和解もアッサリし過ぎてて(えっ、それで終わりなの?)って感じなんですよね。 「スペンサーに莫大な懸賞金を掛けたのはジェーンの父だけど、誤解だったので取り下げました。めでたしめでたし」ってオチにも(結果的に人が死にまくってるんだけど、それで良いのか)ってツッコむしか無かったです。 カメラワークや演出などは平均以上だと思うし「観客を退屈させないサービス精神」は伝わってきただけに、つくづく惜しいですね。 少し手を加えるだけで、絶対もっと面白くなったはずだと、観ていて悔しくなっちゃう感じ。 個人的には「人殺し稼業にウンザリしていたスペンサーが、結婚後の『普通の生活』を噛み締め、幸せそうにしている場面」が凄く良かったので…… その後の展開にて『普通の生活』を奪われた事に対する主人公の怒りや切なさを描いてくれていたら、もっと好きになれたかも知れません。[DVD(吹替)] 5点(2020-09-08 20:54:22)(良:2票) 《改行有》 3. 巨大怪獣ザルコー 《ネタバレ》 変に勿体ぶったりせず、始まって早々に怪獣が登場するのが良いですね。 これはスピーディーな展開で楽しませてくれる「隠れた傑作」じゃないかと、期待も膨らんだのですが…… 残念ながら、その後の展開は非常にノンビリしたものであり、本当に「冒頭で怪獣を出しただけ」だったりしたもんだから、ズッコケちゃいました。 そもそも本作って、劇中に「モスラ」の小美人のようなキャラが出てきたり、はたまたドクター・ストレンジラブっぽいキャラまで出てきたりと、如何にもな「オタク映画」って感じなんですよね。 恐らくは監督さんも「怪獣映画は、怪獣が出てくるまで長いのが嫌だ」って考えを、常々持っていたような人なんじゃないでしょうか。 だからこそ「勿体ぶらずに怪獣を冒頭で出す」っていう定石破りをやってくれたんでしょうけど……正直、この映画で評価出来るのって、そこくらいでした。 基本的なストーリーは「闘技場」(1944年)の系譜であり、王道の魅力はあるので、決定的に話作りがダメって訳じゃないんですが……やはり、もっと「本作独自の魅力」のようなものを感じさせて欲しかったです。 唯一「ザルコーは地球上のどんな武器でも倒せない」という前置きは中々面白くて、その倒し方に期待してたのに、それに対する答えも「謎の隕石が盾であり、ザルコーの光線を盾で反射すれば勝てる」ってのは、ちょっと拍子抜け。 実際に倒す場面も、人と怪獣の合成っぷりが丸分かりなクオリティだし (なんでザルコーは足元の人間を踏み潰さずに、わざわざ光線出すの?) って疑問も湧いてきちゃうしで、全然スッキリしなかったです。 他にも「主人公に背中見せたせいで銃を奪われる警官が間抜け過ぎる」とか「エイリアンの存在を信じてるジョージが仲間になる流れは、もっと伏線を張って丁寧にやって欲しかった」とか、色々と不満点が多い映画なんですよね。 そもそも、主人公達のパートと怪獣のパートが全然繋がってなくて、主人公達がアチコチ移動してる合間に、まるでノルマをこなすかのように怪獣がミニチュア破壊する場面が挟まれるって構成なのが、根本的にダメだったと思います。 例えば、せっかく「ザルコーは主人公を狙ってる」という設定がある訳だから、主人公がテレビ局を立ち去った直後にザルコーがテレビ局を襲う流れにするだけでも「巨大な怪獣に狙われている恐怖」「追われつつも、何とか巨大な敵を倒す方法を模索する主人公」って形で緊迫感が出たと思うし、作り込みが甘かった気がしますね。 軍隊と怪獣の戦いをラジオの中継で済ませたりとか、非常に低予算な作りなので、あんまりツッコミ入れるのも野暮なんでしょうけど…… それでも本作に対しては「もっと頑張って欲しかった」って気持ちが強いです。 自分も怪獣映画好きで、映画オタクだからこそ、観ていて共感しちゃうし、その分もどかしさも湧いてくるような…… そんなタイプの映画でありました。[DVD(吹替)] 4点(2020-06-03 23:12:28)《改行有》 4. 9か月 《ネタバレ》 94年のフランス映画「愛するための第9章」を95年にアメリカでリメイクしたという、風変わりな一本。 残念ながらフランス版は未見の為、詳しい比較などは出来ないのですが…… これ単品で評価する限りでは、中々良く出来た映画だったと思います。 結婚前の優雅な「恋人時代」が冒頭に描かれている為、そんな幸せな日々を奪われてしまった男として、妊娠に戸惑う主人公にも自然と感情移入出来ちゃうんですよね。 「赤ん坊の健康の為、飼い猫は捨てた方が良い」「二人乗りのポルシェは、買い替えた方が良い」と言われてしまう場面などは、本当に主人公が可哀想になったし「父親になるのを嫌がる男」として、きちんと説得力があったと思います。 それと、本作は豪華なキャストが揃っている点も特長なのですが、中でもやはり、ロビン・ウィリアムスの存在感は凄かったですね。 もう画面に彼が出てきた途端「ヒュー・グランド主演のラブコメ」が「ロビン・ウィリアムスの映画」に変わっちゃうくらいのパワーがある。 本作の場合、主演のヒューも魅力たっぷりな俳優さんである為、ギリギリでバランスが取れていたけど…… もっと地味で華の無い主演俳優さんだったら、完全にロビン・ウィリアムスに圧倒されて、歪な映画になっていた気がしますね。 そのくらい、彼の存在は光っていたと思います。 子供を産むデメリットについて、ヒロインが色々と語った後「それでも欲しいの」「私の中で、命が生きてるのを感じるのよ」と訴える場面なんかも、女の強さというより、母の強さが感じられて、印象深い。 母親は生まれてくる子が「自分の子」だって分かるけど、父親にとってはそうじゃないという普遍的なテーマについても、さらりと触れていたりして、この辺も良かったですね。 我が子の為なら、たとえシングルマザーになっても生きていくと、早々に決意を固めたヒロインに対し、中々煮え切らない主人公の姿に、リアリティを与えていたんじゃないかと。 主人公が小児精神科医という設定に、あまり必然性を感じない事。 途中何度か出てくる「蟷螂」の姿が怖過ぎる事。 車に関しては「ファミリーカーに買い替えた」とあるけど、飼い猫はどうなったのか明かされず仕舞いな事など、欠点というか、気になる点も多いんだけど…… まぁ、決定的な短所とまでは思えなかったです。 それと、自分は男性である為、どうしてもこの主人公は優し過ぎるというか (妻に対し、妥協し過ぎ。自らを犠牲にし過ぎ) って思えたりもしたんですが、それも観終わる頃には、あまり気にならなくなっていましたね。 女性の「産む苦しむ」に比べたら、そのくらい軽いもんだろって、クライマックスの出産シーンで諭されたような感じです。 産まれたばかりの赤ん坊を抱きながら「僕らは家族だ」と言ってキスする場面も、二人が「恋人」から「夫婦」になった事を感じられて、凄く良かったですね。 「一人の男が、父親になる物語」として、しっかり楽しませて頂きました。[DVD(吹替)] 6点(2020-02-27 04:30:10)(良:1票) 《改行有》 5. きみがくれた未来 《ネタバレ》 こんなに可愛くって、しかもレッドソックスのファンな弟がいるだなんて、全くもって主人公が羨ましい。 一応、本作には女性のヒロインも登場しているのですが、明らかに「男女のロマンス」よりも「兄弟の絆」を重視した作りになっていますよね。 大人な自分としては、自然に兄の側に感情移入し (こんな可愛い弟がいたら、そりゃあ楽しいだろうな) と思えた訳ですが、多分コレ、幼い子供が弟の側に感情移入して観たとしても (こんな恰好良いお兄ちゃんがいたら、きっと楽しいだろな) って思えたんじゃないでしょうか。 そのくらい「理想の兄弟像」が描けていると思うし、兄を演じたザック・エフロンも、弟を演じたチャーリー・ターハンも、素晴らしく魅力的だったと思います。 「主人公は幽霊と会話出来るし、触れ合う事も出来る」という設定の使い方も上手かったですね。 特に序盤の、サリバン中尉殿とのやり取りなんて、凄く好き。 出征して戦死した友人に対し「俺も一緒に行けば良かった」と悲し気に訴える主人公と「来なくて良かったんだ」と笑顔で応え、静かに立ち去る友人。 ベタなやり取りなんだけど、じんわり心に沁みるものがあって、とても良かったです。 「実はヒロインも幽霊だった(正確には、仮死状態による生霊?)」というドンデン返しについても、彼女が墓場で眠っていたという伏線なども含めて、鮮やかに決まっていたんじゃないかと。 それと、この映画って「何時までも死者に囚われていないで、前を向いて生きるべき」という、ありがちなテーマを扱っている訳だけど、それがちっとも陳腐に思えなかったんですよね。 何せ本作においては「主人公は幽霊と会話出来るし、触れ合う事も出来る。たとえ幽霊でも弟と一緒にいれば、弟が生きていた時と何も変わらない、楽しい日々を過ごせる」という設定な訳なのだから、主人公が世捨て人のような暮らしをしていても納得出来るし、自然と感情移入出来ちゃうんです。 この手の映画の場合、いつまでもウジウジ悩んでいる主人公に共感出来ず、むしろ主人公を励ます側の目線で観てしまう事が多い自分ですら、本作に限っては完全に主人公側の目線で観る事が出来た訳だし、これって何気に凄い事なんじゃないでしょうか。 「良くあるタイプの映画でも、設定や描き方に一工夫加える事によって、独特な味わいになる」例の一つとして、大いに評価したいところです。 弟とのキャッチボールに、恋の悩み相談、雨の森ではしゃいで遊ぶ姿なんかも非常に楽し気に描かれており (このままずっと、兄弟一緒の世界で生きていくのも、それはそれで素敵な事じゃないか……) と思わせる作りになっているのも、凄いですよね。 「死者に囚われて生きる事」を決定的に否定するような真似はせず、むしろその生き方の魅力を存分に描いておいたからこそ、終盤における主人公の決断「弟と共に過ごす日々よりも、愛する女性の命を救う事を選ぶ」行為にも重みが出てくる訳で、この前後の繋げ方は、本当に良かったと思います。 約束の森で、一人ぼっちになった弟が「兄は自分よりも大切な存在を見つけたんだ」と悟ったかのように、寂しげに立ち去るも、恨み言などは一切口にせず「お兄ちゃん」「好きだよ」と呟いてから消えゆく様も、本当に健気で……観返す度に瞳が潤んじゃうくらい。 ラストシーンにて、以前のように会話する事も、触れ合う事も出来なくなってしまった兄弟が「それでも、何時かまた会える」「会えない間も、いつまでも俺達は兄弟だ」と約束を交わす終わり方も、凄く好きですね。 冷静になって考えてみると、肝心のヒロインには魅力を感じなかったとか、弟がお兄ちゃんにしか執着してないので両親の置いてけぼり感が凄いとか、色々と難点もある映画なんですが…… 眩しいくらいの長所の数々が、それらを優しく包み込んで、忘れさせてくれた気がします。 「面白い映画」という以上に「好きな映画」として、誰かにオススメしたくなる一品でした。[DVD(吹替)] 8点(2019-11-07 06:36:42)(良:1票) 《改行有》 6. ギャラクシー・クエスト 《ネタバレ》 「スタートレック」のパロディ作品なのですが、どちらかといえば「サボテン・ブラザース」の影響の方が色濃いようにも思えましたね。 「物語の中のヒーローが、本物のヒーローになる」という筋書きが全く同じであり、その枠組みを「西部劇」から「スタートレック」に置き換えただけ、という感じ。 である以上、既視感だらけで退屈な映画になりそうなものなのに……なんと吃驚。 これがまた、元ネタに優るとも劣らぬ傑作に仕上がっているのですよね。 自分の場合「サボテン・ブラザース」を観賞済みだったので、ある程度展開が読めてしまった部分があるのですが、そういった予備知識無しで観ていたら、本当に衝撃的な面白さだったんじゃないかと思います。 ストーリー展開が読めているのに、何故こんなに面白かったのかと考えてみたのですが、それに関しては「登場人物が魅力的である」という一点が大きかった気がしますね。 往年のSFテレビドラマ「ギャラクシー・クエスト」の栄光に縋って生きている、売れない俳優達。 互いに喧嘩したり、仕事に対する文句を言ったりはするんだけど「基本的には良い奴等」という線引きが絶妙であり、観客としても素直に彼らを応援出来るんです。 特に感心させられたのが、序盤にて主人公のジェイソンがファンに八つ当たりしてしまう場面。 ここって「主人公達は現状に不満を抱き、鬱屈としている」「そんな彼らが、この後ヒーローになる」という事を示す為、決して外せない場面だと思うんですが、一歩間違えば序盤の段階で「こいつは嫌な奴だ」と観客に悪印象を与えてしまう、非常に危うい場面でもあるんですよね。 でも、この映画ではヒロインのグエンが「ファンを相手に、あんなにカッとするなんて初めて」と驚く展開が用意されている。 それによって「主人公はファンサービスを大切にするような、優しい男である」「そんな彼が思わずファンに八つ当たりしてしまうほど、現状に対しては不満を抱いている」という二つの情報を、同時に観客に与える事に成功しているんだから、これは本当に上手かったと思います。 「ドラマでは直ぐに死ぬ端役だが、現実の世界では今度こそヒーローになろうともがいている男」を、ゲスト枠のような形で参戦させているのも良いですね。 主人公達が「ドラマのようにヒーローになる」という展開ならば、彼に関しては必然的に「ドラマと同じように死んでしまうのでは?」と思わされるし、その存在によって、適度な緊迫感が生まれてる。 女性型宇宙人とのロマンスを繰り広げる技術主任なんかも、程好いアクセントになっていたかと。 彼らに助けを求める宇宙人側の描写も、これまた良いんですよね。 「コスプレかと思ったら、本当に宇宙人だった」という序盤の展開だけでも面白いし、歩き方や笑い方がぎこちないという、わざとらしい「宇宙人っぽさ」の演出も素敵。 リーダー格のマセザーが、ジェイソンから「本当の俺達はヒーローなんかじゃない。全ては作り物だった」と告白されて、凄く切ない反応を返す場面も、忘れ難い味がありました。 「サリスの船から盗み出したテープ」「小さな猿のような生物」など、要所要所でハッとさせられる場面があり、コメディでありながら油断出来ない、シリアスな物語としての魅力が充分に備わっている点も、見逃せない。 そんな魅力がピークに達するのが「ドクター・ラザラスに憧れていた青年」の死亡シーンであり、彼を看取りながら「役者のアレクサンダー」が「ヒーローであるドクター・ラザラス」へと生まれ変わる流れは、本当に感動的だったと思います。 無名時代のジャスティン・ロングがオタク少年役で出てくるサプライズも嬉しかったし「いつも一秒で止まるのよね」などの台詞も、ユーモアがあって好み。 仲の悪かったジェイソンとアレクサンダーが、咄嗟の機転で一芝居打ってみせ、窮地を脱する辺りも面白かったですね。 無事に悪者を退治した後「ギャラクシー・クエスト、十八年振りのシリーズ復活!」「かつての端役が、今度はレギュラーに抜擢」「技術主任と女性宇宙人も、ラブラブなカップルに」といった映像が次々に流れるハッピーエンドも、非常に後味爽やか。 気になる点としては、切り札であるオメガ13の使用シーンにて(明らかに十三秒以上、時間が巻き戻ってない?)とツッコまされる事。 そして、上述のオタク少年も皆を救った功労者なのに、それが認められる場面が無かった事なんかが挙げられそうですが、精々そのくらいですね。 元ネタありきの内容でありながら「これは元ネタより面白いんじゃないか」と思わせてくれる。 非常に貴重な映画でありました。[DVD(吹替)] 8点(2018-05-29 14:19:58)(良:4票) 《改行有》 7. キューティ・バニー 《ネタバレ》 「元々は地味なタイプの子だった」「児童養護施設の出身である」という主人公の過去が、物語の進行をスムーズにしている点が上手いですね。 それによって、華やかなグラビアモデルだった彼女が、地味な「ゼータ」の子達に肩入れするのも、介護の仕事をしているオリバーに惹かれていくのも、自然に感じられるという形。 主人公の影響を受け「ゼータ」の子達が美しく着飾ってみせた場面では(……いや、元の方が可愛いじゃん)とノリ切れずにいたのですが、それがキッチリ伏線になっていた辺りにも感心。 周りにチヤホヤされる事によって増長し、彼女達も「見た目で他人を判断するような、嫌な女」になってしまうという、非常に皮肉の効いた展開になっているんですよね。 そこから改心し「元のままの、ありのままの自分の方が良い」と気が付いていく流れはとても心地良くて、ここが本作の白眉であったように思えます。 着地の仕方に関しても「綺麗になる事なんて意味は無い」とまで極端な結論には至らず「着飾るのは、それなりで良い。自分を見失わないまま綺麗になるのが大事」という辺りに留めているのが、これまた絶妙なバランス。 「変わる前の自分」と「変わった後の自分」の、良いとこ取りをしちゃおうという感じで、彼女達が下した答えに、自然と賛同する事が出来ました。 とはいえ「招待状を盗まれた」という件に関しては(今からでも事情を説明して呼び込めば良いのに、何で悔しがって見てるだけなの?)とツッコんじゃうし、ゼータ存続を決定付ける「三十人目」の存在については、もっと伏線が欲しいと思っちゃうしで、脚本の粗も色々と見つかってしまうのは、非常に残念。 特に後者の「三十人目」については致命的で、映画のオチに相当する部分にしては、インパクトが弱かった気がしますね。 これなら、観客に先読みされるのを覚悟の上で彼女の出番を増やし「本当はゼータに入りたいのに、周りの目を気にしてミューに所属している」などの描写を挟んでおいた方が良かったんじゃないかと。 後は……マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」を上手に歌えず、皆に馬鹿にされる場面が中盤にある訳だから、エンディング曲も「ライク・ア・ヴァージン」にして、今度は上手に歌ってみせるという展開にしても良かったかも知れませんね。 全体的には好きな作風ですし、楽しめたのですが「ここ、もっとこうしても良いんじゃない?」と口を挟みたくなる部分が、一杯ある。 魅力的だけど隙も多い、もっともっと綺麗になる可能性を秘めた女の子のような、そんな映画でありました。[DVD(吹替)] 6点(2018-04-13 18:12:12)(良:2票) 《改行有》 8. 吸血鬼ゴケミドロ 《ネタバレ》 とにかくもう、展開が早い早い。 映画が始まって十分も経っていないのに「旅客機がハイジャックされる」→「不時着する」までを描き、その間にも「血の海のように赤い空」「その中を泳ぐように飛ぶ旅客機」「窓に激突して血みどろになる鳥」と、印象的な場面をバンバン盛り込んできますからね。 「爆弾魔は誰か?」「狙撃犯は誰か?」といった作中の謎も、手早く解き明かし「人間VSゴケミドロ」「人間VS人間」という対立劇に移行する。 その潔さ、割り切りの良さ、実に天晴です。 本作は国内外でカルト的な人気を誇っており、あのタランティーノ監督もお気に入りとの事ですが、その理由の一つは、この「早さ」が心地良いからじゃないかな? と思えました。 作品のテイストとしては、自分の大好きな「マタンゴ」に近いものがあり、ゴケミドロなんかよりも、人間の方がよっぽど恐ろしいと思える作りになっているのも特徴ですね。 日頃恨みを抱いている相手に、喉が焼けて苦しくなると承知の上で、水ではなくウィスキーを飲ませる件なんて、特に印象深い。 また、如何にもな悪徳政治家とその手下だけでなく、金髪美人のニールさんまでエゴを剥き出しにする辺りも、意外性があって良かったです。 ヒロインと並んで「善人側」であると思っていた彼女が、銃を手にして主人公に発砲し、自分だけでも助かろうと足掻く姿を見せてくる訳ですからね。 これは、本当にショッキングでした。 楠侑子演じる法子さんがゴケミドロに操られ「人類の滅亡は目前に迫っている」と語った後、笑って崖から身を投げるシーンも、忘れ難い味があります。 干からびてミイラになり、恐ろしい姿になっていた、その死体よりも何よりも(もしや、最後の笑いと自殺に関しては、操られての事ではなく、自らの意思だったのでは?)と思える辺りが怖いんですよね。 それは人間の意思がゴケミドロに敗北してしまった事の証明、狂気に負けてしまう人間の弱さの証明に他ならず、深い絶望感を与えてくれます。 そんな風に「テンポの良さ」「随所に盛り込まれる衝撃的な場面」などの長所がある為、細かな脚本の粗は気にならない……と言いたいのですが、ちょっと粗が多過ぎて、流石に気になっちゃう辺りが、玉に瑕。 まず、高英男演じる殺し屋は素晴らしい存在感があり、ゴケミドロに寄生されて襲い掛かって来る姿もインパクトがあって良いんですが、これって脚本的に考えると、凄く変なんですよね。 だって彼、最初から主人公達と敵対している殺し屋であり、別に寄生なんてされなくても、元々が銃を使って争っていた相手なんです。 にも拘らず寄生されてからはゾンビや吸血鬼よろしく、ゆっくりと動いて襲い掛かって来るのだから「見た目が怖くなっただけで、むしろ敵としての危険度は下がっている」訳であり、これは明らかにチグハグ。 ベタかも知れませんが、こういった寄生型の場合「本来なら敵対するような間柄じゃなかった相手に襲われてしまう」「善良だった人物が化け物に変わってしまう」という形の方が、よりショッキングだったんじゃないかなと。 もしかしたら「ゴケミドロよりも人間の方が恐ろしい。だからこそ寄生される前の方が危険な存在だった」というメッセージを意図的に盛り込んだのかも知れませんが、それならゴケミドロなんか襲来しなくても人類が勝手に自滅したという結末の方が相応しい訳で、やっぱりチグハグ。 脚本上の難点は他にも色々とあるのですが、自分としては、そこが一番気になっちゃいました。 ただ、バッドエンドが苦手な自分でも、本作の「人類滅亡エンド」に関しては、不思議と受け入れられるものがありましたね。 最後まで善良さを保っていた主人公とヒロインが、直接死亡する描写が無い事。 「宇宙の生物は、人間が下らん戦争に明け暮れている隙を狙って攻撃しようとしている」との言葉通り、戦争批判が根底にある事。 そして何より「人類が戦争を続けていると、何時かこうなっちゃうかも知れないよ」という反面教師的なメッセージが込められているからこそ、観ていて嫌な気持ちにならなかったのだと思われます。 そういった具合に、歪だけど不思議と整っていて、もしかしたら凄い映画なんじゃないか……と錯覚しそうになる。 そんな絶妙な、しかして危ういバランスこそが、本作最大の魅力なのかも知れません。[DVD(邦画)] 7点(2017-10-28 06:41:00)(良:3票) 《改行有》 9. 機動戦士ガンダム サンダーボルト DECEMBER SKY 《ネタバレ》 これは、ちょっと度肝を抜かれた作品。 軽い気持ちで観たところ(そこまでやるか!)(ここまで面白いのか!)と様々な衝撃を受ける事になりました。 文字数制限のギリギリまで使い、劇中で登場する「サイコ・ザク」の恰好良さについて熱く語りたい気持ちもあるのですが、その場合ガンプラや原作漫画の話題に逸れてしまいそうなので、ここはグッと堪え、映画本編の話を。 主人公二人は、軍規違反のラジオを用いて、音楽を聴きながら次々に敵兵を殺していくという、型破りなキャラクター。 その片方はジャズを好み、地球連邦軍に所属。 もう片方はポップスを好み、ジオン公国軍に所属。 そして連邦所属のイオはガンダムに乗り、ジオン所属のダリルはザクに乗って戦う訳だけど、どちらかといえば後者が主軸になっている辺りが、面白いバランスでしたね。 敵役の象徴であるザクに乗り、主役機のガンダムと戦う兵士の物語としては「ポケットの中の戦争」という先駆者が存在している訳ですが、本作はそれに引けを取らぬ程の名作である、と感じました。 ザクに乗った兵士がどんなにマシンガンを撃っても当たらない、視認出来ない程の速度で移動し、気が付けば目の前に現れて、ビームサーベルの一撃で無慈悲な死を与えてくる……という「ガンダムと戦う事の恐ろしさ」も、入念に描かれているのですよね。 そんなガンダムに搭乗するイオが「本当は戦いたくないのに、仕方なく戦う主人公」というテンプレとは一線を画する「戦うのが好きで、戦争って狂気の中でしか生きられない男」という性格設定なのも面白い。 そもそも彼にガンダム(=フルアーマー・ガンダム サンダーボルト宙域仕様)が与えられた理由が「これに乗って戦い、死んでもらった後に、英雄として喧伝する為」というのだから、凄い話です。 対するダリルも魅力的なキャラクターであり「傷痍軍人だけで結成された特殊部隊『リビング・デッド師団』の撃墜王にして、義足を装着した狙撃手」という肩書きだけでも、痺れてしまうものがあります。 金髪で鋭角的な美男子のイオとは対照的に、黒髪の穏やかな好青年といった容姿であり、哀愁を帯びた佇まいが、実に良かったです。 それと、基本的に本作は「戦争映画」としての純度が高い作品なのですよね。 優しい言葉を掛けてくれた女の子も、ガンダムに憧れる少年兵達も、次々に戦死していく理不尽さを、しっかり描いている。 特に後者は「ガンダムが無事に敵艦隊に辿り着く為の囮、捨て駒」という扱いなのだから、もう参っちゃいます。 「彼の右手を切れ!」の台詞も衝撃でしたし、怪我人を助ける振りして、自分が脱出ポットに乗り込む男という卑劣な描写があるのも良いですね。 モビルスーツによる戦闘を恰好良く、爽快感を得られる程に描く一方で、こういった「戦争とは本来酷いモノなんだよ」ってシーンを忘れずに盛り込む事は、とても大切だと思います。 ポインターでのビームサーベル誘導による敵兵の殺害など(そんな使い方があったか)と唸らされる描写もありましたね。 ア・バオア・クーの決戦にて、両脚が無いサイコミュ高機動試験用ザクと、片腕を失ったジムとの戦いを描き「手足を失ってでも殺し合いを続ける」人間の業の深さを強調している辺りも良い。 思えばそれは「めぐりあい宇宙」のガンダムとジオングの戦いでも象徴的に描かれているメッセージであり、本作が紛れもなく「機動戦士ガンダム」の系譜に連なる作品である事を感じさせてくれます。 戦いを終えて、サイコ・ザクの爆発を見届けるダリルの姿も、音楽と相まって、忘れ難い魅力がありましたね。 現実で手足を失っても、夢の中でだけは自由に動き回れていたのに、とうとうその「夢の中の手足」すらも失われた事を実感し、寂しげに佇む姿。 様々なものを失った代わりに手に入れた勝利が、如何に空しい代物かと、しみじみ感じさせる力がありました。 唯一の難点は、原作の関係上、あるいは「宇宙世紀という名の史実」の関係上、一年戦争を終えても、宇宙移民紛争に決着は付かない為「俺達の戦いは、まだ終わらない」という中途半端な結末である事でしょうか。 それでも、ラストシーンにおける「勝利を得た代わりに、絶望を背負って生き続けなければいけないダリル」と「敗北を経て捕虜になっても、諦めずに戦い続け、見事に脱出成功してみせたイオ」という両者の対比は、お見事の一言。 なので、やっぱり、この結末で良かったんじゃないかな……という想いも強かったりしますね。 ガンダム好き、あるいは戦争映画好きであれば、是非とも観賞し、その世界に浸ってみて欲しい一本。 オススメです。[ブルーレイ(邦画)] 9点(2017-05-31 20:17:21)《改行有》 10. 恐竜・怪鳥の伝説 《ネタバレ》 とにかく恐竜の姿を見せずに焦らすもんだから「早くしてくれよ……」と、ヤキモキさせられましたね。 映画が始まってから四十分程が経過し、我慢の限界が近くなったところで、ボートに乗った女性が襲われるシーンに突入するという流れ。 ここで、それまで焦らされた分を取り戻すかのように、たっぷりとプレシオザウルスの姿を見せてくれたのが嬉しかったです。 女性が喰われるシーンが予想以上に残酷で、血生臭い演出であった点も、衝撃的でした。 ボートにしがみ付いてきて、まだ生きているかと思われた女性を引き上げたら、上半身だけの姿になっていた場面なんて、ちょっとしたトラウマ物。 この辺りの描写は恐竜映画というより、鮫などを題材としたモンスター・パニック物に近い魅力があったように思えますね。 実際に「JAWS/ジョーズ」の影響を受けて作られた品という逸話もあったりして、大いに納得です。 現代の観点からすると、ちょっと稚拙に見えちゃう特撮。 歌詞も曲調も、映画の内容と全然合っていない気がする歌やBGM。 「恐竜がいるなら翼竜がいてもおかしくない」という理屈で、唐突にランフォリンクスまで出てきちゃう脚本。 それらは普通なら欠点となりそうなところなのですが、自分としては妙に愛嬌が感じられて、憎めなかったです。 渡瀬恒彦演じる主人公が、恐竜の生存を信じていた亡父のロマンを受け継ぐかのような形で恐竜と向き合い「プレシオザウルス、お前はやっぱり生きていた……」と胸中で呟く場面なんかも、凄くシュールで、ほんのり情感も込められていて、何となくお気に入り。 それでも、いざ恐竜と怪鳥との戦いになると失速感が半端無かったというか「無理して戦わせなくても良かったんじゃないの?」なんて思えてしまったのが残念でしたね。 作り手としても力を込めたのは上述の「恐竜が人を襲う場面」であって、終盤の対決場面は、大してやる気が無かったんじゃなかろうか……って気がしました。 最後はお約束の「火山が全てを飲み込む」エンドだし、主人公とヒロインが溶岩に飲み込まれまいと樹にしがみついてジタバタする場面を延々引っ張るしで、流石にシュールさを楽しむ余裕も失せて、退屈な気持ちの方が強かったです。 主人公達が死んだのを連想させるバッドエンド風味なのも、好みとは言い難い。 とはいえ、最初から「奇妙奇天烈な怪獣映画」という予備知識があった為、大抵の事柄にはツッコミを入れながら笑って観られたし「予想以上に凶暴で恐ろしいプレシオザウルス」というサプライズもあった為、何だかんだで楽しめた一品でした。[DVD(邦画)] 6点(2017-03-22 01:45:55)(良:1票) 《改行有》 11. キャンディマン(1992) 《ネタバレ》 最後のオチありきの映画ですね。 作り手側も、あそこの部分をやってみたくて制作に踏み切ったんじゃないかな、と思えました。 しかも、そこをあっさり描かないで「鏡の前でヘレンの名前を何度も呟いてしまう」というシーンを適度に勿体ぶって描いているから(あっ、これもしかして……)と観ている自分も気が付けたし、キャンディマンの代わりにヘレンが出てきた時には(ほぉら、やっぱり!)と、予想が当たって嬉しくなったのを憶えています。 基本的なストーリーラインとしては、主人公のヘレンが酷い目に遭い、最後は都市伝説の中の怪物になってしまうという悲劇なのですが、それほど後味は悪くなかった点も好み。 これに関しては作中で「人質に取られた赤ちゃんを救う事は出来た」という救いが示されているのが大きいのでしょうね。 わりと良い人そうだったヘレンの元彼氏が殺されてしまう件に関しても、作中で何度も「ヘレンが入院する前から実は浮気していた」という伏線が張られていた為(可哀想だけど、まぁ自業自得な面もあるか)と納得出来る感じに纏められており、脚本の巧みさが窺えます。 その一方で「本当にキャンディマンは実在するのか?」「全ては精神を病んだヘレンの妄想ではないか?」と思わせるような展開もあり、これが中々迫真の展開ではあるのですか(いや、明らかにキャンディマンの仕業でしょうよ)と思わせる情報が事前に多過ぎたので、何だかチグハグな気がしましたね。 例えば、冒頭にてキャンディマンの声で「血は、流す為にあるのだ……」なんて観客に語り掛ける演出がある訳だから、彼女の妄想の産物であるとは、ちょっと考えにくいんです。 このような展開にするなら、もっと序盤でキャンディマンの実在性をボカす演出(インタビューで聞いた話の中でのみ登場する、など)にしておいた方が良かったんじゃないかな、と。 あとは主人公のヘレンの存在感が強過ぎて、怪物役のキャンディマンの影が薄くなっている点なども気になりますね。 とはいえ、全体的な印象としては程好いサプライズが味わえた、中々面白い映画でありました。[ブルーレイ(吹替)] 6点(2017-02-28 07:43:20)《改行有》 12. ギャング・オブ・ニューヨーク 《ネタバレ》 序盤の乱闘シーンにて、白い雪が赤い血で染まっていく凄惨な演出は、流石スコセッシといった感じ。 少年院を出所する際に渡された聖書を、主人公が川に投げ捨てる場面なんかも、鮮烈な印象を与えてくれましたね。 これは傑作ではないか……と大いに期待が高まったのですが、その後は何だか尻すぼみ。 思うに、この映画の主軸は「主人公アムステルダムとビルの疑似親子めいた関係」のはずなのですが、その描き方が少し単調というか、シンプル過ぎるのですよね。 例えば、映画の中盤にて、主人公の父親である神父を殺したビルが「アイツは凄い奴だった」という調子で、神父を褒め称えるシークエンスがあるのですが、正直言って観客は、そんな事とっくに分かっているんです。 それは主人公も同様で、この告白を聞いても決定的なショックを受けたりしていない。 序盤の殺害シーンの時点でビルは神父に敬意を表しているのが明らかになっている訳だから、全く意外性が感じられないのです。 ベタな考えかも知れませんが、こういう話の場合は「親の仇と思って心底から憎んでいた相手が、実は良い奴だったと分かり、苦悩する」「ビルが神父に敬意を払っていたのだと知って、衝撃を受ける」という展開にした方が良かったんじゃないかなぁ、と。 本作の場合は「ビルは悪党ではあるが、一貫して憎み切れない魅力的な人物として描かれている」「最初から最後まで神父に敬意を払っているので、ビルには親の仇としての存在感が弱い」という形になっているのですよね。 主人公が最も動揺するのは「好きになった女の子がビルのお手付きだった」と知った時な訳ですが、これすらも「ビルは、その女の子に強い執着を抱いていない」と直ぐに判明する為、三角関係にすらなっていない。 咄嗟にビルの命を救った後に「ちくしょう、何で俺はあんな奴を助けてしまったんだ……」って感じに主人公が苛立つシーンさえも、観ているこちらとしては(いや、この関係性なら助けても全然おかしくないじゃん)とツッコんでしまう。 「親子」「宗教対立」「古い都市と新しい都市の対比」などといった様々なイメージが両者に投影されている事は分かるのですが、そんな代物を取り払って考えてみるに、根本的に二人が戦う理由が弱過ぎたように思えます。 だからこそ、最後の決戦も互いの想いをぶつけ合うような直接対決には成り得ない訳で、史実であった暴動や軍隊による鎮圧を絡めて、有耶無耶にしてしまったのではないでしょうか。 大砲の着弾の後に二人が倒れている姿なんて、ギャグにしか見えなかったりしますし「盛り上げて、盛り上げて、最後に肩透かし」という、一種の笑いを狙った構成なのでは……とさえ思ってしまったくらいです。 そんな本作で光るのは、やはりビル役のダニエル・デイ=ルイスの熱演。 ナイフ投げのシーンでは、惚れ惚れするような恰好良さを見せてくれましたし、一つの街を牛耳るギャングの親玉として、充分な説得力を備えていましたね。 「ビルが魅力的過ぎて、良い奴過ぎて、敵役や悪役として成立していない」と自分が感じてしまったのも、ひとえに彼の存在が強過ぎたせいかと。 戦いが終わった後に、無数の死体を見下ろして政治家が吐く「たくさんの票を失った」という台詞も、彼らにとって人命は「数字」でしかないと思い知らせてくれる効果があり、印象深い。 最後には、何だかんだで愛する彼女と一緒になってハッピーエンドという着地点な辺りも、安心感があって良かったです。 作り手としては色々考えて、力も注いで完成させた品である事は分かりますし、画面作り等のクオリティは高いと思うのですが「面白かった」とは言い切れない……勿体無い映画でありました。[DVD(字幕)] 5点(2017-01-20 06:58:44)《改行有》 13. 金閣寺 《ネタバレ》 1958年の「炎上」に比べると、かなり原作に忠実に映像化されている一品。 特色としては、エロティックな表現が強まっている事が挙げられそうで「米兵に指示されて女の腹を踏みつける場面」「母が不義を働く姿を寝床から見つめる場面」などは、思わず目を背けたくなるような鮮烈さがありましたね。 これらが単なる「観客へのサービス」で終わらずに「主人公が金閣寺に火を点けた理由」とも密接に絡んでいる作りには感心させられましたが、それによって主人公が単なるマザコン青年にしか思えない形となっていたりもして、少々残念。 母親と、主人公の初恋の相手である「有為子」の比重が増している為、金閣寺の存在感というか、重要性が薄れてしまっている点も気になりましたね。 何せクライマックスの放火シーンにて、火を放った直後には母の乳房に吸い付く幻影を見ているし、最後の一言は「有為子」であるのだから、結局主人公が執着していたのは「女性」であって、金閣寺の「美」に対してではなかったのだな……と、寂しく思えてしまいました。 主人公の友人である鶴川についても、比較的出番を確保されてはいたのですが、原作にあったような「主人公と明るい昼の世界とをつなぐ一縷の糸」というほどの重要性は感じられず、単なる男友達という枠の中に収まっていて、どうにも物足りない。 原作を未読の方からすると、鶴川の葬式で泣いていた主人公の姿が「どうして、そこまで悲しむの?」と、不可解に思えたのではないでしょうか。 内面描写が主となる小説ではなく、映画で表現する以上は、破天荒な柏木の方にスポットを当てるのが正解なのかも知れませんが「炎上」に続けて扱いが悪かった鶴川というキャラクターが、何だか哀れに感じられましたね。 主人公と正反対に思えて、その実は非常に近しい性質を備え持っていた彼が「自殺」という道を選んだからこそ、原作におけるラストシーンの「死を拒み、生を選ぶ」行為の美しさが際立つ訳なのだから、そこは外して欲しくなかったところです。 そんな不満点もありましたが「この世界の全てを拒んでいる有為子の美しさ」「神聖な儀式のように、茶碗に母乳を注ぎ入れる女性」などの場面が、丁寧に映像化されている辺りは、素直に嬉しかったです。 舞い散る火花を見つめながら、息を切らして煙草を喫む主人公の姿なんかも、金閣寺を征服してみせたという達成感、ギラギラした野性的な魅力のようなものが感じられて、良かったですね。 原作とも「炎上」とも異なる魅力を備えた、しっかりと完成された一品であったと思います。[DVD(邦画)] 6点(2016-10-30 03:09:02)《改行有》 14. キングコングの逆襲 《ネタバレ》 「ゴジラ対メカゴジラ」(1974年)に先駆けて、劇中で「キングコング対メカニコング」を行っている事。 そして1976年版の「キングコング」に先駆けて「コングに同情的なヒロイン」を描いている事は、特筆に値しますね。 それらの要素は日米合作のテレビアニメ版(1967年)を基にしている為、単なる二番煎じとも言えそうなんですが…… 見方を変えれば「アニメだからこそ許されるような展開を、実写でもやってみせた」という訳だし、本作の存在意義は大きかったように思えます。 個人的にお気に入りなのが、中盤におけるコングと恐竜との戦いの場面。 これは勿論、1933年版の展開をなぞっている訳なのですが「恐竜を倒した後に、顎をパカパカするシーンが無い」という違いがあったのです。 (あそこを再現するかと思ったのに、やらないんだなぁ……) と寂しく思っていたところで、死んだのを確認しなかった報いとばかりに、実は生きていた恐竜がコングに噛み付く展開となり、これには (そうきたか!) と嬉しくなっちゃいましたね。 倒された恐竜が泡を吹いてみせる姿は、現代目線だと間抜けに思えたりもするのですが、この辺りは古き良き特撮映画の愛嬌として、あたたかい目で見守ってあげたいところ。 クライマックスとなる東京タワー上での戦いも良かったですし、これまた1933年版の展開を逆手に取ったような「コングではなく、メカニコングが高所から落下する」という脚本でもってして、主役のコングを死なせずに、ハッピーエンドで終わらせた辺りも見事でした。 怪獣映画としては珍しく、人間ドラマの部分も退屈させないものとなっており、天本英世が演じるドクター・フーなんて、実に良い悪役っぷりだったと思います。 終盤、悪人であったはずのマダム・ピラニアが裏切って、味方になってくれる辺りは少し説得力に欠けますが、元々が謎の多い女性であった為「実は良い人だったんだ」と考えれば、何とか許容範囲内。 その他、当時の特撮邦画のお約束として、別の映画からの使い回し場面などもあり、色々と粗も見つかってしまう映画なのですが…… 愛嬌の方が目立っていて、あまり気になりませんでしたね。 海を渡って故郷へと帰っていくコングの背中に「終」の字が重なって幕を引く演出にも、渋いなぁと唸らされました。 「キングコング」が愛される理由としては、ラストにてコングが死んでしまう悲劇性が大きいと思うのですが、それに対し本作では「コングが死なないハッピーエンドでも、これだけ面白い映画が撮れるんだぞ」と証明してみせた形になっており、大いに満足。 楽しい時間を過ごせた一本でした。[DVD(邦画)] 7点(2016-09-23 01:19:12)(良:1票) 《改行有》 15. 清須会議 《ネタバレ》 冒頭、本能寺における信長の描き方によって「あっ、これコメディだ……」と気付かせてもらえた為、早い段階から史実云々とは切り離して楽しむ事が出来ました。 何といっても、大泉洋演じる秀吉のキャラクターが良かったですね。 猿にも鼠にも見えるという、その風貌の時点で素晴らしい。 おちゃらけていても、積極的に政略を張り巡らせる「働き者」っぷりも良かったですし、庶民からの成り上がり者である事を過度に美化したりせず、家族からは「百姓の心、失うとる」と非難され、白い目で見られるパートを挟むバランス感覚も、お見事です。 中でも特にお気に入りなのは、妻のねねが「今の暮らしでも、うちは十分幸せ」と優しく話しかけても「ここまで這い上がって来たんだで、途中で降りる訳にはいかん」と、その貪欲さを垣間見せる場面。 天下人となる秀吉の器の大きさが感じられる一方で、強過ぎる欲望ゆえの危うさ、陽性の狂気とも言うべき本性が窺えたように思えて、ゾクリとさせられましたね。 長年の友人である前田利家に刃を向けられた際「儂を斬れば、戦の世は後百年続く」と言い放つ姿なんかも、格好良かったです。 今まで色んな秀吉像を見てきましたが、本作の秀吉は、そんな中でも際立って魅力的であったように思えます。 丹羽長秀(信長派)と柴田勝家(信勝派)を長年の友人として描いている辺りも「ほほう、そう来たか」といった感じがして、面白かったですね。 黒田官兵衛も「頭の良い補佐役であるが、お茶目な一面もある」という描かれ方をしており、吹き矢の件や、三法師をあやそうとして盛大に泣かれてしまう場面など、親しみのある笑いを提供してくれている。 官兵衛に関しては「鼻持ちならない天才軍師」という描かれ方も多い人物であるだけに、本作の扱いは嬉しかったです。 遅参した滝川一益をあしらう場面で、硬質な有能さを示す一方、愛嬌のある間抜けな姿も見せてくれている訳で、変幻自在の水の如き魅力を感じられました。 そんな本作の不満点としては……映画全体で見ると、少々バランスが悪かった点が挙げられるでしょうか。 まず、肝心の清須会議が始まるまでが長い。 根回しの場面こそが重要なのは分かるのですが、実際に会議が行われる場面まで一時間以上掛かるとあっては「まだ始まらないの?」と、観ていて焦れてきちゃいますからね。 その対策として「旗取り大会」を挟んだのでしょうが、これに関しては完全に現在のバラエティ番組なノリとなっており、異質感が否めなかったです。 恐らくは秀吉が信雄に見切りを付けるキッカケの場面なのでしょうが、そんな事をしなくても散々「うつけ」っぷりを見せられた後であっただけに、今一つ必然性を感じられませんでした。 その後の「三法師こそが正しい後継者である」と秀吉が論じる展開についても、ちょっと違和感がありましたね。 観客に歴史の知識が無い場合、議論の場で唐突に「信長は生前、既に信忠に家督を譲っていた。つまり清須会議とは信長の跡継ぎではなく、信忠の跡継ぎを決める場である」という真実が明かされる形となっているので、これは如何にも不親切。 会議を始める前の段階で、絶対に説明しておかなければいけない情報ではないか、と思えます。 また、道化役の信雄こそが「この世は、生き残ったもん勝ちだ」という作中の台詞に当てはまる存在である事を、映画を観ただけでは把握出来ない辺りも、実に勿体無い。 この辺りは、作り手側に歴史の知識が備わっているからこその「皆、そのくらいは知っているでしょう?」という、無意識の怠慢に思えてしまいました。 更にキツかったのが、会議が終わった後の尺も長い事。 上述の秀吉と利家との会話なんかは凄く好きなのですが、それと同じように「男同士の友情」を示す場面として、丹羽と柴田の会話も描かれているので、何だか食傷気味に感じられるのです。 おまけに「歴史を動かす女の意地、女の怖さ」も市と松とで連続して描写されているので、どうしても「もういいよ……」と嘆息してしまいました。 相乗効果、あるいは対比の効果を狙ったのかも知れませんが、これに関しては「男の友情」「女の怖さ」で、それぞれ一つずつに絞って描いてくれた方が、好みでしたね。 それでも最後は、秀吉の力強い天下取り宣言で終わっている為、綺麗に纏まっている形なのは、何やら救われた思い。 確かな魅力を秘めている一方で、ちょっと豪華過ぎて、贅沢過ぎた辺りが、玉に瑕な映画でありました。[DVD(邦画)] 6点(2016-08-28 22:26:00)(良:1票) 《改行有》 16. 祇園の姉妹(1936) 《ネタバレ》 冒頭、タイトルが「妹姉の園祇」と表記されるのを目にして、これが戦前の映画である事を実感。 溝口監督作というと「雨月物語」が印象深いのですが、あちらと異なり、本作は「現代の観点からすると、ずっと昔の話」「しかし、制作当時からすると、紛れもない今の話」という時代設定なのが、何だか不思議な感じでしたね。 実に八十年前の映画でありながら「主人公の芸妓が、男どもを翻弄する姿の痛快さ」「ラストシーンにて、芸妓の存在そのものを嘆く姿の哀れさ」は胸に迫るものがあり、そこを考えると、やはり凄い作品なのだと思います。 涙を「不景気なもの」と表現するユーモア感覚なんかも、非常に新鮮に感じられて、良かったです。 ただ、歴史に残る名作に対して、こんな事を告白するのは心苦しいのですが、正直ちょっとインパクトが弱いというか、全体的に「平坦」な、盛り上がりに欠ける映画のようにも思えてしまい、残念でしたね。 上述のラストに関しても、ドン底の姉妹がここからどうやって立ち直っていくのだろうかと期待したのに、容赦なく「終」の字が飛び出すものだから、呆気に取られる思い。 この映画の悲劇的な結末を「芸術的である」「素晴らしい」と絶賛する人の気持ちも、分かるような気はします。 それでも、やはり自分としては、ハッピーエンドの方が好きみたいですね。 本作に関しても、たとえ逆境のまま終わるにせよ、主人公姉妹が我が身を憐れんで泣いて幕を閉じるのではなく、もっと力強く前を向いて生きる姿を示して欲しかったな、と思わされました。[DVD(邦画)] 5点(2016-08-03 11:35:47)《改行有》 17. 鬼畜 《ネタバレ》 これまた、何とも判断の難しい一品ですね。 まず、ストーリーは文句無しで面白い。 演出も冴えているし、主演の緒形拳も、難しい役どころを見事に演じ切っていると思います。 ただ、子役の台詞が……ちょっと棒読み過ぎて、辛かったです。 他人様が「棒読みだ」と指摘するような役者さんでも「これはこれで味があって良いじゃないか」と感じる事が多いはずなのですが、今回ばかりは白旗を上げてしまいましたね。 特にキツかったのが、岩下志麻演じる継母に折檻される場面で「痛い、痛い、痛い。放せ。やだよう」と言う息子の声が、どう考えても打たれている時の声じゃないんです。 それでも効果音で身体を叩く音が聞こえてくるし、岩下志麻の方は鬼気迫る熱演をしているしで、そのすれ違い様が実にシュールでした。 ただ、そんな子役達も、黙って大人を見つめる時の目力は凄いものがあって、それには素直に感心。 また、上述の棒読み演技が効果的に作用している面もあり、ラストシーンの「違うよ、父ちゃんじゃないよ」に関しては、感情が籠っていない声だからこそ良かったのだと思いますね。 この場面、脚本の流れを考えれば「息子の利一が嘘をついて父親を庇っている」はずなのです。 (父子で新幹線に乗っている時、父親の懐具合を思いやった息子が、車掌に嘘をついてみせるのが伏線) けれども、その感情の窺えない、どこか突き放したような声色がゆえに「息子を捨てたりした人間は、父親なんかじゃない」という意味合いも含んでいるように聞こえてくるのですよね。 意図的な演出だったのかどうかは分かりませんが、結果としては、映画に深みを与える形になったんじゃないかと。 娘が東京タワーに捨てられるシークエンスにも、印象深い場面が幾つもありました。 父親が娘に対し「父ちゃんの名前、知っているか?」「お家はどこだ?」と確かめて、娘が幼く無知であり、我が身に警察の手が及ばない事を確信してから捨ててみせる流れなんて、観ていて恐ろしくなります。 何かを勘付いたのか、娘が中々父親から離れようとしない辺りの演技も良かったですし、父親が娘を置いてエレベーターに乗り込んだ際、閉じゆくドアの隙間越しに、一瞬だけ父娘の目が合うシーンの衝撃も、これまた凄まじい。 希望的観測ですが、あの娘さんに関しては、途中で出会った優しい着物の婦人に拾われて、幸せに暮らす事が出来たのだと思いたいですね。 利一が、楽しそうに笑い合う他の家族を見つめて「何故自分達はそうじゃないのだろう?」とばかりに、寂しげにしている姿も切なかったし、前半と後半にて「子供の口に無理矢理ものを押し込む親の姿」を二度描き、最初は同情的だったはずの父親さえも、継母と同じ鬼畜に堕ちてしまったのを、間接的に表す辺りも上手い。 全体的に息が詰まるような、苦しい映画だったのですが、そんな中、田中邦衛に大竹しのぶなど、子供達を保護する警官役が本当に善良そうで、優しそうで、観客にも癒しを与えてくれた辺りは、嬉しかったですね。 こういったバランス感覚の巧みさが、本作のエンタメ性を、大いに高めているのだと思います。 この映画を観終わった後、自然と脳裏に浮かんでくる「一番の鬼畜は、誰だったのか?」という問い掛け。 自分としては、父親でもなく、継母でもなく、三人の子供を残して姿を消した、小川真由美演じる菊代が一番酷かったと、迷いなく答えられますね。 彼女の顛末は語られず仕舞いですが、せめて遠く離れた場所で、子供達の幸せを祈っていたのだと思いたいところです。[DVD(邦画)] 7点(2016-08-03 06:44:49)(良:4票) 《改行有》 18. 気球クラブ、その後 《ネタバレ》 青春の「その後」といっても、続きではなく終りの話であった訳ですね。 気球クラブ「うわの空」にて、情熱を抱いて気球を飛ばしているのはクラブの創設者である村上しかいない。 その他のメンバーは、主人公の二郎を含めて「本当は、気球なんかどうだって良い」と考えているような奴ばかり。 序盤は、この設定に対し(それって、村上以外のメンバーは楽しいの?)と疑問を抱いてしまい、今一つ映画に入り込めずにいたのですが「花見」という喩えが出てきた場面で、ようやく納得する事が出来ました。 頭上に美しい桜が咲いていても、集まった連中は殆ど見ていない。 ただ酒を飲んで、騒ぐ口実が欲しいだけ。 気球を飛ばす事に「夢」を見出している村上の存在は、酒の肴であり、宴の名目であり、単なるシンボル以外の何物でもなかったのだなと、微かな寂しさと共に理解させられました。 「気球クラブの部屋に一人でいる時に、誰かが入って来て、こう言うの」 「なんだ、まだ誰も来てないのって……私がいるじゃん」 という台詞なんかは、凄く印象深かったです。 クラブのメンバーが求めるのは「個人」ではなく「集団」であった事が窺えるのですが、それよりも何よりも、単純に発言者の女性が可哀想で仕方ない。 そういう場合は、せめて「他の皆は来ていないの?」と言ってあげたいものですね。 村上の死を契機に、気球クラブのメンバーは再び集まって、昔のように気球の中で、最後の宴会を開く事になる。 そこで「もう二度と会わないから」と、互いの携帯番号やメールアドレスを抹消する訳ですが、それが非常に爽やかに、明るく描かれているのも驚き。 けれど、その明るさは決して前向きなものではなくて、どこか後ろ向きであるように感じられるのです。 この映画の主人公が、夢追い人の村上ではなく、傍観者の二郎である点も含め、伝えたかったテーマとしては「夢を抱き、追い続ける事の素晴らしさ」ではなく「夢を抱かない人間の虚しさ、夢を諦めてしまった人間の切なさ」であるのかな、と思わされました。 その後の「ボクは社会人の振りをして生きるのがうまくなった」という独白。 忙しない日常の中で、空飛ぶ気球を見つめて、淡い笑みを浮かべる登場人物達の姿。 ここで終わっていれば「爽やかな青春映画」と評する事も出来たのですが、そうさせてくれない辺りが、園子温監督。 時間軸を巻き戻して「村上と、彼の恋人である美津子が、気球クラブを作った頃の話」を描き、映画に深みと苦みを与えてくれているのですよね。 このエピローグによって「誰が電話しても繋がらなかった美津子が、二郎の恋人からの電話は受けた理由」が明かされる形となっており、それには感心させられたのですが、最後の最後で「村上が風船に託した手紙の中身」を明らかにしなかった事は、大いに不満。 こういった謎を残す形の方が、余韻が生まれて良くなる場合もあるのは分かりますが、完璧に謎のまま終わらせた訳ではなく「主人公の二郎は手紙を読んだのに、観客に内容は明かさないまま」というのが、何とも意地悪に思えたのですよね。 それなら手紙を拾っても開封しないまま、秘密は秘密のままで、再び空に浮かべてあげる形にして欲しかったなぁ、と。 仕方ないので、以下は自分なりの推理。 気球で二人きり、空を飛びながら村上に求婚された際「地上で、これ(指輪)を渡して欲しい」と応えた美津子の台詞からは「もっと地に足を付けて、立派な社会人となってから求婚して欲しい」というメッセージが窺えます。 そんな美津子の提案を、村上は受け入れられず、地上で指輪を渡す事は出来ないままで、二人は別れてしまいました。 そして「僕の気持ちは変わらない」という村上の台詞。 別れた後でさえも村上が「手紙の中身」を明かせなかった理由。 二郎が手紙を読んだ際の、全く驚きが窺えない表情。 他の誰にも内容を明かさず、再び手紙を空に浮かべるという選択。 以上の判断材料からするに、そこに書かれていたのは「既に皆が知っている事」「今更明かす必要も無い事」であったと考えられます。 つまり、手紙の内容とは「いつか空の上でプロポーズさせて下さい」だったのではないか、と推測する次第です。[DVD(邦画)] 7点(2016-07-27 07:30:09)《改行有》
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