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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  劇場版シティーハンター 〈新宿プライベート・アイズ〉 原作は全巻保有していたし、TVアニメシリーズも小中学生の頃に好んで観ていたオールドファンなので、久しぶりの「復活」の報には無論興味を惹かれたけれど、劇場まで足を運ぶつもりはなかった。 しかし、出張中の新宿で、観たかった大作映画のタイムスケジュールがどれもこれも合わず、ならばと思い立ち鑑賞。「コレを観るなら、“新宿”だろうよ」と。 ゴールデンタイムの新宿バルト9の館内は盛況で、「シティーハンター」というコンテンツ、そして「冴羽獠」というキャラクターの時代を越えた魅力を改めて感じた。 特に今作は、全編「新宿」が舞台で、最終決戦の地も「新宿御苑」をモデルとしており、まさに「ご当地映画」的な盛り上がりも多分にあったのだと思う。 映画館から出て徒歩数分で、映画の舞台となった歌舞伎町やゴールデン街に足を運ぶのも一興だろう。 というわけで、今回の映画化企画は、「新宿」という街そのもののイベント企画という趣向が思ったよりも強かった。 故に、普段から新宿を活動拠点としている人たちや、古くからこの街を愛する人たちにとっては、問答無用に愛着を持たざるを得ない仕上がりだったろうと思う。 その一方で、原作ファンを満足させる内容であったかと言うと、残念ながらそうではなかった。 北条司による原作漫画で、ハードボイルドな世界観、大人の色気と色香に痺れ、「格好良い」ということの意味を知ったファンとしては、あまりにチープなストーリー展開に鼻白んでしまったことは否めず、失笑と苦笑の連続だった。 作画やビジュアル的にもお世辞にもクオリティが高いとは言い難く、テレビスペシャルを見ているようであった。 原作・アニメのオールドファンや、新宿のオトナたちをメインターゲットにするのだから、ストーリー展開的に、もっとハードに振り切って良かったのではないかと思う。 裏社会No.1のスイーパー(始末屋)である冴羽獠に、ただの一度も明確な“殺し”をさせず、パチンコ玉での応戦や、ドローン相手のドンパチに終始させてしまう展開には意気消沈せずにいられなかった。 そして何と言っても最大の難点は、自主規制か何だか知らないけれど、最後の最後まで冴羽獠に“もっこり”をさせなかったことだ。 お慰みのように、主題歌の最後に神谷明に「もっこり」と言わせるが、そういうことじゃないんだよ。 「それが時代の流れ」と言ってしまえばそれまでだが、人を殺さず、“もっこり”もしない冴羽獠なんて「シティーハンター」じゃない。 だがしかし、クライマックスでの「SARA」、そしてエンディングの「Get Wild」が流れた瞬間に高揚感を抑え切れないのも、オールドファンの性。 実家に置きっぱなしの原作漫画全巻を近日中に取りに行くのは間違いない。[映画館(邦画)] 2点(2019-12-29 15:45:37)(良:2票) 《改行有》

2.  検察側の罪人 《ネタバレ》 俳優人生の分岐点を迎えている木村拓哉が、新境地を開くべく力を込めた演技を見せている。 その“熱演”そのものに対しては時代を築き上げてきたアイドルとしての、俳優としてのプライドを感じたし、これからの出演作にも期待したいと思わせた。 が、同時に、役作りの上で力を入れすぎているようにも感じ、木村拓哉演じる主人公が、映画世界の中で空回りしているようにも見えた。 対する二宮和也が、映画俳優として軽やかな立ち回りと芸達者ぶりを見せるだけに、余計に、木村拓哉の必死さが硬さとなって滲み出ていたようにも思える。 同事務所の後輩との「競演」がプレッシャーになったとは言わないけれど、少なくとも「映画」という舞台においては、先輩後輩の立場を逆転させてしまうくらいの「経験値」の差が露呈してしまっていることは否めない。 映画としては、十分に面白みのある映画だったと思う。 ただ、木村拓哉の主演映画として「無理」なことかもしれないが、彼の出演シーンはもっと少なくてよかった。 それは映画俳優としての演技が他の俳優と比較して拙いからではない。もっと少ないシーンでも彼は主人公として存在感を放てたと思うからだ。 歳をとろうが、SMAPが無くなろうが、木村拓哉は木村拓哉であり、この国のスターである。 そのスター性を映画俳優としてどう生かしていくのか、そのことを木村拓哉本人がもっと正確に理解し、表現する必要があるのではないかと思う。 前述の通り、木村拓哉の演技は決して悪かった訳ではない。 しかし、あのような役どころであるのならば、もっと最後の最後まで主人公の「真意」と「罪」をひた隠しにしたストーリーテリングだった方が、彼の存在感が特別なものになったのではないかと思う。 木村拓哉と二宮和也の両者のファンに対する不必要な目配せがあったのかもしれないが、二人の描写が同等の分量で構成されているので、この映画のストーリーが追い求めるべきテーマ性がぼやけてしまっているように感じた。 ストーリーの軸としては二宮和也を据えて、彼の役どころを主人公然として話運びをすればよかったのだと思う。 そして、新米検事からも観客からも「完全無欠」に見えていた男が、最後の最後で見事に汚れ、堕ちる様を見せてくれたならば、どんなにニノが場馴れしたいい演技を見せようとも、この映画は“キムタクの映画”になっただろう。[映画館(邦画)] 7点(2018-09-20 14:56:04)《改行有》

3.  ゲティ家の身代金 「地獄の沙汰も金次第」ではないけれど、ビジネスの成功は勿論、慈善事業も、教育も、犯罪も、人の生死すら、「金」でどうにかなるという現実、むしろ「金」が無ければ何も行動を起こすことすらできないという現実を、終始一貫突きつけてくる。 まさに「この世界は金がすべて」という身も蓋もない現実を、ファーストシーンからラストカットまで言い切っている。 登場人物たちが揃いも揃って「金」という概念に支配され、右往左往する様は「皮肉」に満ちており、深刻な事態を描いているにも関わらず、時には失笑すら禁じ得ない。 しかし、その観客の失笑すらも、この映画世界の内外に存在する怪物のような“二人の老人”による「支配」の範疇なのではなかろうかと思える。 即ち、リドリー・スコット監督による豪胆かつ繊細な映画作りと、緊急登板したクリストファー・プラマーのリアルで精力的な役作りの賜物だと思う。 スキャンダルによりケヴィン・スペイシーが撮影完了後に降板するという非常事態をはじめ、その後のギャラの男女格差問題に至るまで、不幸にも色々とゴタついた撮影現場の苦労は伝わってくる。 正直言って、この映画が本来到達すべき「完成度」に至っていないことは垣間見える。だがしかし、その諸々のトラブルやそれに伴う社会的な“視線”すらも、作品の“味わい”として加味し、驚くべき短期間で纏め上げてみせたリドリー・スコットには感服せざるを得ない。 また、「やっぱりケヴィン・スペイシーで観てみたかった……」という、映画ファンとしての正直な思いも否定はできないけれど、あまりにも豪華すぎる“代役”となったクリストファー・プラマーの強欲かつ哀愁漂う「糞爺」ぶりは脱帽だった。 一見、キャラクターの焦点がぼやけているようにも見えるし、ストーリーテリングはちぐはぐに見える。実際、上手く纏まり切っていない映画なのかもしれない。 ただ、だからこそ、この欲と不条理に塗れた現実世界に蔓延する「皮肉」を、巧みに表現し得たとも思える。 良い意味でも、悪い意味でも、「生々しい」この映画の雰囲気をクリエイトしたのが、御年80歳の超大巨匠であることに、またしても舌を巻く。[映画館(字幕)] 7点(2018-06-21 10:14:52)《改行有》

4.  ゲット・アウト 1967年の名作「招かれざる客」の“合わせ鏡”のような映画だった。設定や展開が似通っているように見えて、実のところその本質は“真逆”を向いている。 それはただ“ホラー映画”になっているということだけではなくて、鏡に映り込んでいる虚像の真裏に全く別の価値観と思惑が蠢いていて、それらが“フラッシュ”の瞬きと共に思いもよらぬ方向へ乱反射しているようだ。 極めて低予算の映画であることは明らかであるけれど、ありふれた「描写」を忌まわしく、恐ろしく描き出すことに長けた映画だった。 ただ男がこちらに走ってくる描写だったり、女が笑みを携えながら涙を流す描写に、今までに味わったことのない「恐怖」を植え付けている。 決して手間の掛からない“アイデア”と“視点”で「恐怖」という娯楽を紡ぎ出してみせたこの映画の在り方は率直に“凄い”。 そういう観点からは、M.ナイト・シャマランの近年の快作「ヴィジット」や「スプリット」も彷彿とさせる。と、思ったら製作者(ジェイソン・ブラム)が同一なのか。納得。 ただ、この作品の特性上、致し方ないことかもしれないが、オチを知った後にストーリーを振り返ってみたならば、強引だったり整合性に欠けている箇所が無くはない。 “白人家族”が、最終的にあんな感じで開き直るのであれば、あのように主人公を用意周到な“ハニートラップ”で誘い込む必要なんてなかったんじゃないか。実際、強引に拉致された被害者もいるわけだしね。 この手のショッキングスリラーのプロモーションは難しいところだが、予告編で重要なシーンを露わにし過ぎだったとも思う。何度か予告編を観てしまうと、真っ当な映画ファンはどうしても想像を膨らましてしまい、その分、ハードルは高まる。 欲を言えば、クライマックスにおいてもう一つ想定を超えた顛末があれば、文句なしに傑作だったと思う。 とはいえ、レイシスト(差別主義者)の愚かさを描き出すような構図に見せかけてミスリードし、実はレイシストとは全く「別物」の恐怖とおぞましさを描き出しつつ、最終的にはやはりレイシストを強烈に糾弾するこの映画のストーリーテリングはフレッシュで斬新だ。 アイデアと野心に溢れ、驚きに満ちた映画であることは間違いない。 おぞましい悪夢のような恐怖と嫌悪感が混濁し暴走する。 その前では現実世界のあからさまなレイシストさえも可愛く見えてくる。[映画館(字幕)] 7点(2017-12-14 23:48:53)《改行有》

5.  劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 頭からつま先まで全身がこそばゆくて、気恥ずかしい。 その世界観を臆面もなく貫き通したことは、作品として評価に値するけれど、拭い去れないストーリーテリングの稚拙さはいかがなものか。 ストーリーにもっと巧さや閃きがあれば、このアニメの世界観とそこに息づく「彼ら」のことをもっと好きになれたかもしれない。 ふとしたきっかけで、テレビアニメシリーズを今年観たばかりだったので、せっかくなのでこの「劇場版」も観てみることにした。 この手の「劇場版」の多くの例に漏れずテレビアニメ版の総集編的な意味合いは強く、メインストーリーとなった1年前の出来事を振り返りつつのストーリー展開は、良い意味でも悪い意味でも“ファン向け”の仕様であろう。 決してテレビアニメシリーズが楽しめなかったわけではない。 むしろ、普段殆どテレビアニメ作品を観ない自分が最初から最後まで一気に鑑賞し得たのだから、世間での評価の通り、万人向けのよく出来たアニメーションと言えるのだろう。 実際、アニメーションのクオリティは極めて高いと感じたし、登場するキャラクターたちもその多様性も含めて魅力的に描けていたとは思う。 ただあまりにもストーリーに「発見」がない。 純然たるノスタルジーと言ってしまえばその通りなのだけれど、もう少し何か新しいアイデアは無かったものかと思う。 せめて“めんま”が再び現れた「理由」を明確にするストーリー上の説得力が欲しい。その部分が結局のところ安直に美化されたまま曖昧にぼかされているため、ストーリーが只々凡庸に感じるのだと思う。 思わせぶりなタイトルや、諸々の設定に注力しすぎるあまりに、肝心の物語の力が軽薄に感じて仕方なかった。 テレビシリーズの最終回も決して感動しなかったわけではないけれど、そういったストーリーの上っ面感が残り続けるため、キャラクターたちの一連の台詞が、酷く空々しく聞こえてしまった。 映画化にあたり、そのあたりの物語性の深掘りが少しでも出来ていたならば、テレビアニメ版も含めて価値ある「劇場版」となっただろうけれど。[インターネット(邦画)] 4点(2017-11-23 23:30:35)《改行有》

6.  劇場版 PSYCHO-PASS/サイコパス テレビアニメシリーズをまったく観ずに、この「劇場版」を鑑賞してしまったことは、やはり少々無謀だった。 鑑賞途中、流石に物語設定自体の意味が分からなかったので、慌ててウィキペディアを開いて、ここに至るまでの大まかな粗筋を確かめた。 設定そのものはハリウッド映画にありがちなディストピアものであり、有り触れてはいる。それこそ、映画化権が買われて、スカーレット・ヨハンソンなんかが主演しそうである。 “黒幕”が、犯罪抑止を司るシステムそのものであったという顛末も、厨二病的ではあるけれど、個人的に決して嫌いじゃないなと思う。きっとTVアニメシリーズ自体を観始めたならば、それなりにハマるのだろうとは思う。 それ故に、この劇場版は、門外漢にとってはあまりに間口の狭い仕上がりになっている。まあ当然といえば当然なのだが。 ストーリー的な入り込みにくさは、テレビシリーズを観ていない自分の責任なので言及しまい。 ただし、映画世界にイマイチ没頭できなかった理由はそれだけには留まらない。 そもそも、アニメーションの「精度」として“一流”には達していない。キャラクターの歩き方一つ、喋り方一つに対して「違和感」を感じてしまい、安っぽさを禁じ得なかった。 ストーリーテリングにおいても、全編通して冗長な説明セリフが羅列されそれに頼るばかり。いかにも深夜アニメっぽいクドクドと“酔った”言い回しが癪に障る。 まあ、そういった諸々の居心地の悪さも、“一見さんお断り”のこの作品のスタンス故の在り方なのかもしれないけれど、今作単体に限って言えば、わざわざ「劇場版」などと銘打って公開するレベルのものではないように思う。 “ピーポくん”のこれ見よがしな使い方や、「踊る大捜査線」を彷彿とさせるオープニングなど、“本広克行”印な演出が随所に見られるが、今となってはもはや古臭い。[CS・衛星(邦画)] 3点(2016-10-08 20:43:56)《改行有》

7.  ゲノムハザード ある天才科学者の5日間 今やトップ俳優の地位を確立した西島秀俊を主演に配し、韓国人スタッフを中心にしたサスペンス・アクションということで、一定の期待はしていたのだけれど、どうやらどこまでいっても日本製の娯楽大作というものは世界標準に遠く及ばない作品しか生み出せないらしい。 韓国映画界も、さすがに右から左まで手練揃いというわけではないようだ。 どういう経緯での日韓合作なのかよく分からないけれど、西島秀俊のアジア向けプロモーション映画という範疇を出ない作品だ。これを観て喜ぶのは、ミーハーな彼のファンだけだろう。 原作小説の物語の完成度は実はもう少し高いのかもしれないけれど、少なくともこの映画化作品において、取ってつけたようなストーリーテリングの連続に対して、サスペンスとしても、ミステリとしても、ドラマとしても、終始チープさを感じ続けてしまった。 エピローグも何やら綺麗めな着地を演出しようとしていることは伝わってくるが、まあ完全に失敗していると思う。 あと、個人的に伊武雅刀の“あいいう役柄”は、もう散々見飽き過ぎていて、本人のパフォーマンス自体の精度は別にして、ただただ陳腐にしか見えない。 最終的には2時間サスペンスドラマのオチのような顛末に失笑してしまう。[CS・衛星(字幕)] 3点(2015-02-15 20:47:24)《改行有》

8.  劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語 《ネタバレ》 2014年の大晦日を迎えるのと時を同じくして、“叛逆”の物語を観終える。 しまった。一年間の大詰めのこのタイミングで観るにはあまりにインパクトが大きすぎた。 主人公の神々しいまでの「慈愛」をもって、“正義の味方”の根本的な存在性を守り切って終幕したテレビシリーズからの[新編]。 それに「叛逆の物語」と銘打った理由が明確になったとき、あまりに悲しく予想外な展開に対する衝撃と共に、この物語世界の本当の主人公が誰であったかということに気づき、“彼女”の希望と絶望の真理を思い知る。 あまりに残酷、あまりに悲壮、そのストーリーテリングと表現方法は、もはや狂気の沙汰と言って過言ではない。 しかしそこに物語の展開的な理不尽さは無い。テレビシリーズの最初から、この顛末に対しての布石は確実に打たれており、必然性を着実に育んでいた。その物語構成が本当に見事過ぎる。 思い返してみたならば、“彼女”は一度も「正義」のために戦ったことはなかった。“彼女”が戦う理由は、終始一貫ただ一つだけ。 ただ一つの戦う本当の理由を失い、それでも一人“記憶”を持ち続けて戦いの場に身を投じるしかなかった悲しき魔法少女がダークサイドに落ち込むことは、むしろ必然だったろう。 「残酷」の更にその先に存在した、狂おしいまでに純粋な愛と、それに伴う純粋な闇。 着地した場所は、「暴走」と「破滅」がもたらしたまったく新しい世界。 それは、正義や秩序とは程遠い偽りの世界。 けれど、深淵な闇そのものとなった魔法少女の“魂”を否定することなど誰も出来ない。 もし彼女を救うことができるとしたならば、それはやはり……。 この物語は、光と闇に等しくまみれた最高のエンターテイメントだ。[CS・衛星(邦画)] 10点(2014-12-31 10:28:03)《改行有》

9.  劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語 とても“意地の悪い”アニメだ。 いかにも少女向けっぽいタイトルとキュートでロリータなキャラクター造形から映し出されるあまりにダークで辛辣な物語世界。 意図的に導き出されたその“ギャップ”は、意地悪で、もはや「悪趣味」に近い。 なるほどこりゃオトナ向けだ、つーかとてもじゃないがコドモには見せられない。 この手のテレビアニメに不慣れなので、そっち方面の声優陣のいかにもな表現方法と台詞回しに対して、嫌悪感に近い居心地の悪さを感じてしまったことは否めない。 が、意地悪な制作陣の狙い通りのショッキングシーンを目の当たりにして、まんまと目が離せなくなってしまったことも事実。 昨今のアメコミ映画が、ヒーローたちのインサイドをえぐり出すことによってファン層を拡大させてきたことと同様に、今作が目指したのはまさに“魔法少女”のインサイドに対する徹底的な追求なのだろう。 「前編」だけではまだ作品として懐疑的な部分も多いが、この先どういうストーリーテリングを見せるのか、興味は高まった。 表面的な嫌悪感が一転して、ハマってしまう可能性は大いに感じている。[CS・衛星(邦画)] 7点(2014-12-30 19:07:38)《改行有》

10.  劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編] 永遠の物語 《ネタバレ》 どこかで予感していたことではあったけれど、この「劇場版」と銘打たれた“総集編”のクライマックスを観ながら、一つの「後悔」を感じずにはいられなかった。 それは勿論、このアニメのテレビシリーズ本編を先に観なかったことへの後悔だ。 結果的に、“総集編”だからという違和感はそれほど感じなかったけれど、やはりカットがないシリーズ本編をじっくり観るべきだったと思わずにはいられなかった。 というわけで、「前編」を観終わった時点で感じていた期待感の通りに、表面的なルックに対しての嫌悪感は早々に転じ、極めて興味深いテーマ性と、作品としての新しい価値観に溢れた秀逸なアニメーションだったと思う。 今更ながら、多くのオトナたちがこの“魔法少女アニメ”にハマった理由が納得できた。 この手のアニメ作品に造詣が浅い者ほど、その衝撃は大きく、ちょっと忘れられない新鮮な印象を抱いたことだろう。 “正義の味方”として存在する者が、「希望」を頂き続けることによって自らのインサイドに潜む「闇」を深めるという業苦。 その描写は、あまりに残酷で辛辣過ぎるけれど、「正義」の名の下に「奇跡」を司るということの本質はそういうことで、「真理」なのだと思えた。 そして、その「真理」を認め踏まえた上で、それでも「愛と勇気」を貫き、世界と現在過去未来総ての魔法少女たちの存在性そのもの守ってみせた主人公の壮大な慈愛に心が震えた。 「希望」と「正義」を志したキャラクターのすべてがハッピーエンドに至るわけではない。むしろ、魔法少女たちは終わりのない戦いをこれからも強いられ続ける。それこそ「永遠」に。 最後まで非常に厳しい悲壮感をこの作品は突きつけてくる。 ただしそこには彼女たちの悲壮感と共に、自らの運命と宿命を受け入れた覚悟とプライドが満ち溢れいた。 年齢とか性別とか趣向とか、知らず知らずのうちに縛られている価値観を一蹴する“熱い”作品だ。 [CS・衛星(邦画)] 9点(2014-12-30 19:01:54)《改行有》

11.  劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ エンドロールまでしっかり観終わった後、ラストのライブシーンを繰り返して、主人公の女子高生が大きく息をついてからガッツポーズを決めるカットを二度観た。 その後も特典映像の劇場版予告編を見終わったまま、DVDをプレイヤーから取り出せないでいる。 まさに余韻に浸っている状態だ。沢山の映画を観ていると稀にこういう状態に陥る。 実在のバンド「神聖かまってちゃん」のライブまでの日々を軸にし、まったく関わりのない別々の環境の人間たちのくすぶる心情と葛藤がつらつらと描かれる。 作り手が自らの趣味趣向を全面に押し出したマスターベーション的な映画世界が繰り広げられるんじゃないかという危惧は大いにあった。 そもそも、某ラジオ番組で話題に出ていなければ、こんなタイトルの映画は見向きもしなかったろう。 “見向きもしなかった”ことを考えると、本当にぞっとする。 冒頭から安っぽいデジタル撮影の映像が映し出され、上手いのか下手なのか、はたまた自然体なのか素人くさいのか判断に悩む出演者らの演技が繰り広げられる。 作り手の自己満足が入り交じったチープな映画世界が展開しているようにも見える。 しかし、すべてが終わった後には、無駄なものが何もない映画に思えるから不思議でならない。 “チープ”という印象がいつの間にか消え去り、“良い映画”という印象も覚えぬまま、気がつけば“大好きな映画”になっていた。 「神聖かまってちゃん」なんてふざけた名前のバンドはその存在すら聞いたこともなかったし、必然的に作品の中で流れてくる彼らの音楽にすんなりと共鳴できたわけでもなかった。 しかし、ラストのライブシーンでは彼らの音楽とともに、登場する様々な環境の人物たちの様々な思いが混じり合うようにして流れ込んでくるのを感じた。 プロ棋士を目指す少女は将棋盤を睨みつけ汗を拭う。 くすぶっていたそれぞれの火種が、バンドの音楽とともに突如として燃え上がる。 彼らの問題がそれですべて解決したわけでは決してないけれど、そこには次に進むための一筋の光が見える。 「感動は理屈ではない」なんてよく言うけれど、本当に自分の中で理屈が成立する前に訳が分からぬまま気持ちが高揚し、涙が溢れ出そうになってきた。 まだまだ吐き出したい思いは溜まっているけれど、うまく言葉にできない。 年の瀬、想定に反してスゲー映画を観てしまった。[DVD(邦画)] 10点(2011-12-30 12:07:56)(良:2票) 《改行有》

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