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【製作年 : 1930年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  婚約三羽烏(1937) 脚本も島津だから、会話がいい。上原と妹の雰囲気なんか、この監督は「妹的なるもの」の監督だな、と思う。語り口のうまさが、後味を良くしている。上原がホルン吹くのは『オペラ・ハット』の影響?(前年の映画だが、どれくらいの時間差で日本公開だったのか)笑わせるとこは、佐野の入社試験の際の河村黎吉のオヤマ。佐分利のずうずうしさ(送ってきた佐野の下宿に蒲団敷いて寝てしまい、そのまま住み込む)。上原が客寄せのために空を見上げて中へ連れ込んでくる。こういったあれこれに、当時の三人のキャラクターがどういう方向で受け入れられてたのかが確認でき、楽しい。[映画館(邦画)] 6点(2013-03-27 09:56:35)

2.  五人の斥候兵 国策映画で戦争そのものを描く場合、敵が強いと国策に合わないし、敵が弱いとドラマとして成立しない、というパラドックスがある。で大局的な視野を捨てて、局所的な出来事に目を向け、そこに集中することで映画作家としての誠実を尽くそうとした、ってことはありましょうな。戦場における理想的な心意気の世界。負傷した兵が送り返されるのを嫌がり、無理して「ほら、銃ならちゃんと持てます」と言うのに対して、部隊長がその心を汲みながら「命令だ」というあたりなんか、やがて一つの型になっていくのの初めのころのケースだろう。斥候に出て行くときの不安定な(舟に据えたカメラ?)の視点なんかもいい。敵兵の表情が見えないのはうまいのかズルいのか。そのかわりときどき敵兵の視点になってトーチカから斥候兵を狙い撃ったりするシーンがあり臨場感。田坂監督の当時の言葉によると「小津君の入営がこの映画を作ろうと思った一つのきっかけだった」という。当時の小津の軍隊日記には本作がキネ旬の1位になったことを記し「それほどの作品だったかな、まだ見てないが『路傍の石』のほうがいいんじゃないか」てなことを書き込んでいる。[映画館(邦画)] 7点(2012-09-26 09:39:34)

3.  腰弁頑張れ 成瀬が第二の小津と言われたのは、あくまで小市民の哀歓という題材によるのであって、フィルムはもう完全に異質。窓から室内を見たり、保険の話を妻としている時にその話題の家族のインサートカットがナウく入ってきたり、表現主義風のところなんかネガまで使っている。病室のシーン、ぽたんぽたん手術皿に水がしたたってそこで蝿が溺れかけているなんてナーヴァスに迫ったかと思うと、逆光で母がうろうろしているとこの光と闇の美しいこと。こういったものは全部小津にはない。そして成瀬の特徴とも言えるトボトボ歩きがある。画面の右上に向ってやや俯瞰気味で少年がトボトボと歩いていく。この情感は成瀬独自のもので、この現存最古のフィルムにも「成瀬ウォーク」が確認できたのは嬉しい(同年に作られた『ねえ興奮しちゃいやよ』ってののフィルム、どっかから出てこないかなあ)。外界が目に入らぬ人物と、その人物をそっくり包み込んでいる外界、どこへ行こうという歩行ではなく、自分自身を稀薄に溶かしてしまおうとしているような歩行。これが本当にいいんだなあ。PCLに移る前から、松竹の習作時代から、もう成瀬はナルセだったのだ。[映画館(邦画)] 7点(2010-11-06 16:01:09)(良:1票)

4.  コンチネンタル なかなかウキウキしたダンスを見せない。アステアが最初にタップを踏むのは、自分がダンサーであることをレストランで証明するためのもので、いやいや踊る。いつものミュージカルの、ウキウキした気分から自然に身体が動き出す、というのの逆という趣向。ロジャースのほうも、最初はスカートをはさまれ身動きできない状態で登場する。アステアは着替えるときにウキウキ気分をちょっと出すが、前半はおおむねタメてタメて、二人の心が通じ合う「ナイト・アンド・デイ」までもたせる。こういう愛の確認場面ではタップではなく、組んで踊る優美なダンス、というのが決まり(しかもその前に、同じ場で若者たちの群舞を入れて、こっちのしっとり感を強調)。こういうときはテーブルを乗り越えたりしないの。どちらかというと、ミュージカル映画では、タップやテーブル乗り越えたりする振り付けのほうが見せ場なんだけど、こういう愛の確認の場では、それやっちゃいけないことになっている。前半でタメていたおかげで、解放感。愛の表現として、向かい合うことと追いかけることを同時に踊ると、回転のダンスになるのだろう。この映画では回転のモチーフが繰り返され、回転扉やレコードの上の紙人形の回転へと広がっている。後半の見せ場「コンチネンタル」も、部屋に閉じ込められそうになって抜け出してのダンスということで、やはり解放感が満ちる。この「コンチネンタル」、タップリで見事ではあるが、音楽は切れずに続いているのに、群舞のほうは画面が編集されててつながらない振り付けになってたりして、ちょっとつまずく。ラストの二人はもうしっとりの愛ではなくウキウキ気分の愛だから、テーブルに乗ったりして踊ってもOK。[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2010-10-09 09:46:04)

5.  河内山宗俊 たまたま時代の設定が過去だったというだけで、会話だけ取り出せば昭和の現代劇の様相。かえって戦後の時代劇のほうが様式性が強くなってしまっているのかも知れない。直次郎はここではそこらにいるグレかけた気弱な少年だし、三千歳とはミッちゃんと呼びあっている。金子市の中村翫右衛門が傑作で、永年留年して大学に居着いてしまっているような雰囲気のある男、しかし実は死に場所を探していた余計もののニヒリズムも持っている、というあの時代の若者像をくっきりと代表している。“市井”という言葉がこんなにも似合うセットはそうそうなく、その中の住人としては雪の舞う世界などうっとりと見惚れていられるが、余計ものの目を通すと、唯一どぶだけが奥への逃げ路として続いている圧迫も感じられる、という素晴らしい造形。古女房のやきもちという、どちらかというと喜劇の要素を転換点に、ドラマが悲劇性を帯びていくのも、時代の影か。松江邸のニセ僧道海は、設定だけが歌舞伎と同じで、全然違うドラマに仕立てて読み換えの面白さになっている。見事な傑作だが、ただ音楽がうるさく、ラストの立ち回りで「ロミオとジュリエット」が流れ出すと、やはりのけぞる。[映画館(邦画)] 8点(2009-10-14 12:00:58)

6.  ゴルゴタの丘 キリスト物語って、地方の物語なんだ。政権の強いローマを離れて、地方の総督とかユダヤの議会や地域の王なんか、文化が複雑に衝突している周縁の話なんだな。あんまりそういうとこ考えたことなかったが、何か新しいものが生まれるってのは、そういう場所でなんだろう。ユダヤが“呪われた民”と見られるのは、これら“群衆”の象徴としてなんじゃないか、などと思った。セットや群衆に迫力があり、また丘の場の空の雲は、映画が舞台と違って天候を描けることの利点を改めて思い出させてくれる。裏切りに出ていくユダが振り返って目にする、窓の額縁の中の教団仲間の親密な光景が、ユダの孤独を浮き彫りにする。正直言って、キリスト話ってなんか倒錯(被虐加虐その他いろいろ)の匂いがしてあまり好きになれず、見るときはついユダのサイドから眺めてしまうんだけど、ヨーロッパ文明の底には確固としてこの倒錯が潜んでいるんだなあ、と思えば、やはり気にはなります。/なおこれでキリストを演じたロベール・ル・ヴィガンは、『地の果てを行く』や『どん底』にも出る個性派だが、占領下に対独協力派の放送局で働いていたため、『天井桟敷の人々』の古着売りの役を放棄してドイツに亡命し逃げ回り、戦後はアルゼンチンへ去った呪われた俳優。同じ経歴の、やはり呪われた作家セリーヌと一時一緒に逃げていたので、セリーヌの晩年の小説に登場してくる。セリーヌの小説に出てくるベベールという猫は、逃避行していたときこのヴィガンからもらったもの。ヴィガンのそういう後半生を知ると、受難のキリストを演じたことにも味わいが添う(国書刊行会刊・セリーヌ「城から城」の補注より経歴を引用)。[映画館(字幕)] 6点(2009-01-11 12:19:43)

7.  子宝騒動 《ネタバレ》 かなり昔に見たのだが(封切時ではない)、傑作のわりにしょっちゅう見られる映画ではないので、日記に記録してあるいくつかのギャグをここに披露しておくのも無駄ではあるまい。子沢山で貧乏人の主人公、家には「律義者の子沢山」という習字が貼られている。不払いがかさみついに電気も切られ、文字通り電灯を切り取られ持ってかれてしまう。いろいろ金策をめぐる展開があってのち、ついに隣家に忍び込む。金庫のダイヤルを回していると、そのすぐ脇でその家の主婦が繕いものをしている、なのにお互いがなぜか気がつかない、針立てやアイロンなど小道具を使ってはらはらさせ笑わせる展開だったと思う。ここでその主婦が産気づき急きょお産の手伝い、水道の水を出しっぱなしにしたので家が水浸しになり、台所を泳いで往復する、というギャグもあった。その後メインの、報奨金つき豚を捕まえんとする騒動になる。ラグビー場にまぎれこみ、豚をタックルしていく痛快さは、ロイドやキートンに劣らなかった。トンカツ屋、結婚式場、墓地などへと追っかけが続き、墓石が倒れていくのが凄かった。そういう躍動シーンで押していった後で急に静かな場面になり、大家さんが竹垣の道を散歩してるところ。問題の豚を見つけポイと放り投げると、その竹垣が倒れて豚を追う群集がワーッとなだれこんでくる静から動へのタイミングの妙。そして泥田でのドタバタの頂点に至る。とにかくスラプスティックとしての純度が高く、20年代末ごろからこのころまでで日本映画が喜劇の文法を完璧にマスターしているのが分かった。なお斎藤寅次郎のサイレント喜劇はもう一本「石川五右衛門の法事」いうのも前世紀末に発掘されたが、それはこれより劣る。[映画館(邦画)] 9点(2007-12-21 12:33:06)

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