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プロフィール |
コメント数 |
223 |
性別 |
女性 |
ホームページ |
http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/ |
自己紹介 |
正直、生まれは平成じゃないです。かなり、昭和なムード。昔みた映画を思い出しながらレビューしますので、記憶がずいぶんあやふやかも。なにか変なところがあったら、http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/のほうにツッコんでおいてください。
好きな女優 「或る夜の殿様」の山田五十鈴、「近松物語」の香川京子 好きな男優 「お茶漬けの味」の佐分利信 好きなキャラクター グレムリンちゃんとマシュマロマン
☆評価基準 10点:超絶。ほとんど奇跡。 9点:傑作。かつ大好きなんだもーんッ! 8点:傑作だし、好きデス。 7点:素晴らしいです。好みの映画です。 6点:まあ、悪くないと思います。 5点:なにか気になるものはあります(~~; |
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1. 怒りの葡萄
《ネタバレ》 四世代家族12人が家財道具すべてを載せて1台のボロトラックでオクラホマからカリフォルニアへ横断するなんて、そんな無謀なことが本当に出来たのかと驚いてしまいます。米国の最貧困層の実態を暴いた映画は、日本の「万引き家族」や韓国の「パラサイト」にも劣らぬほどの社会の恥部を曝け出したといえるし、西部劇の名手であるジョン・フォードが、あえて南部の白人社会の負の側面に目を向けたことも重要だと思う。
いわゆる「ダストボウル難民」という呼称は比喩ではなく、本当に難民キャンプで人権の剥奪された生活を強いられたのですね。今でもそうかもしれませんが、黒人やヒスパニックやアジア系に対する差別もさることながら、白人どうしの間にも激烈な格差や差別があったということ。なぜドナルド・トランプが米国南部で支持されるのかを考えたら、これはけっして過去の問題ではないと思います。
殺人罪の服役から仮出所してきた男を出迎えた家族が「さすがだ!脱獄してきたんだろ?」と口々に称えるさまをユーモラスに描いてますが、これはいかにも独立心の強い南部人の価値観や気質を表してるのかもしれません。蓮實重彦は、ショットの分析をとおして「フォードは男性主義者ではない」という主旨のことを言ってますが、そもそも(ボブ・ディランなどにも言えることだけど)南部の立場から表現することには、つねに政治的な両義性がともなうのだと思う。南部の白人たちが、女性や黒人などの「弱者」に対して加害的になるのは、ほかならぬ彼ら自身が経済的に虐げられる立場だからでもあろうし、それはすなわち南北分断という米国社会全体の構造的な問題なのですよね。したがって、切り取られた部分だけを見て「南部の白人が加害者か被害者か」を論じるのは不十分なのだといえる。
とはいえ、やはりジョン・フォードのひとつひとつのショットが明確な意志で切り取られてることには感嘆してしまうし、ショットの的確さこそが映画の美しさになるのだと思い知らされます。なお、説教師のケーシーが登場する場面はどれも神秘的で、とくに序盤の出会いのシーンは、なんとなくロッセリーニの「フランチェスコ」を想起させました。[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-09 02:05:33)《改行有》
2. いつか誰かが殺される
《ネタバレ》 GYAOの無料動画で視聴。
良くも悪くも、テレビの2時間サスペンスみたいな気安い映画ですが、80年代のアイドル映画の楽しさは味わうことができました。映像が綺麗なら、もっと楽しめるだろうに。
なぜ永山家の子供達の名前を組み合わせると、それより後に生まれた主人公の名前に一致するのかがイマイチ謎。主人公の父は永山家を避けていたらしいし、その子たちにあやかって娘の名前をつけたとも考えにくい。
そもそも中国東北部の馬賊の話に結びつけねばならなかった理由もよく分かりませんが、もしかしたら赤川次郎の父が満州映画の人間だったことに関係してるのかしら?勇猛な馬賊の生き様を憧憬することで、卑怯なスパイの暗躍する国際社会を風刺したのかもしれませんが、この映画の観客にはまったく伝わらないだろうと思います(笑)。[インターネット(邦画)] 6点(2022-03-30 13:40:02)《改行有》
3. E.T.
《ネタバレ》 じつに38年ぶりの鑑賞です。これが、ほぼ最初の洋画体験だったし、個人的に特別な映画でもあります。当時は、E.T.のお人形や、ヘンリー・トーマスのポスターを部屋に飾るほど好きになりました。
そんな38年前の自分には申し訳ないのだけれど…、あらためて見直してみたら、E.T.も、ヘンリー・トーマスも、思っていたほどには可愛くないし、むしろドリュー・バリモアのほうが可愛いです。映像的な魅力にも乏しく、総じていえば、ほとんど映画的に誉めるべきところが見当たりませんでした。
…にもかかわらず、この映画のどこかに何ともいえない「名作感」が漂っているのも事実です。わたしが思うに、これはジョン・ウィリアムズの音楽の力技なのだと思います。とにかく最初から最後まで、ひたすら音楽が鳴り続けています。場面によってはウルサイくらいです。映像に音楽を付けたというより、まるで音楽に映像を付けたような感じ。つまるところ、これは「スピルバーグの映画」じゃなくて「ウィリアムズのオペラ」なんじゃないかしら?
もし、これがオペラだとすれば、もはや理屈も設定も、辻褄もリアリティもなく、ひたすら音楽に合わせて大味な物語が展開すればいいのですよね。実際のところ、E.T.は何だか知らないけど生き返ってしまうし、お別れの場面では、何だか知らないけど家族と友人だけが顔をそろえている。何だか知らないけど、NASAの科学者たちはご都合主義的に退場している。
いちいち細かいことにこだわらず、とにかく音楽に合わせてE.T.が生き返り、音楽に合わせて空を飛び、音楽に合わせて最後のお別れをして、そして宇宙船が夜空に消えるところで音楽が終わる。そういう問答無用の力技で成り立っている作品だと思います。それが名作たらしめる理由かもしれません。
当時は、皺くちゃの爬虫類のようなE.T.の造形が、異様なリアリティを感じさせていましたが、逆にそれがなければ、ほとんど「ドラえもん」のような話です。いじめられっ子の主人公の家に、超能力を用いる知的な存在が入り込んで、純粋無垢な子供たちと交流する物語なのです。『バックトゥザフューチャー』もそうでしたが、スピルバーグのSFファンタジーは、ほとんど藤子不二雄です。
82年の米アカデミー賞では、ジョン・ウィリアムズの音楽と、カルロ・ランバルディの造形などが評価されただけで、作品賞や監督賞は与えられなかったのですが、きわめて真っ当な判断だったと思います。[地上波(吹替)] 6点(2020-10-03 10:55:47)(良:1票) 《改行有》
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