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【製作年 : 1940年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  生きるべきか死ぬべきか 《ネタバレ》 いきなりヒトラーの出現と劇中劇で始まり、観客を煙に巻く。 ハムレットの“To be or not to be”の台詞が始まると必ず席を立つ観客が居て、演者のヨーゼフが目を剥く。 ナチスの将校になりすましてスパイの教授と会ったと思ったら、今度はその教授になりすまして、本物のその将校に会う。 教授になりすましていると、教授の死体と対面させられ、機転を利かせて何とか脱出に成功する。 エアハルト大佐とシュルツとの無責任な罪のなすりつけあい。 ベニスの商人のシャイロックの台詞を空んじているが、役に恵まれない役者がナチス相手に大芝居を打ってみせる。 最初のヒトラーを演じた役者が、本物のヒトラーになりすます。 最後のオチもハムレット。 危機の連続、笑いの連続で、密度が濃く、まくしたてるような展開で、間延びが無いのが最大の取り柄だ。敵が情け容赦ないナチスなので、緊迫感もある。笑いに必要な、緊張と緩和のめりはりが利いている。よくまあ、これだけ考えたものだと感心する。性に関する下品な笑いが無く、上品で洗練されている。ただ、ナチスドイツによるポーランと進行という一大悲劇を笑いの舞台にしてよいのかと考えてしまう。第二次世界大戦中の製作なので事情は複雑だ。ヒトラーを笑い飛ばしたいという気持ちが昂じて、製作に至ったのだろう。劇中で実際に何人かが死ぬが、それは不要で、笑いに徹して、誰も死なない演出ならもっと楽しめたと思う。ヨーゼフの妻の浮気相手のソビンスキーをもっと可笑しな人物にして活躍させれば、もっと面白かったと思う。安心して観られる作品だ。[DVD(字幕)] 8点(2014-11-28 17:22:19)《改行有》

2.  怒りの葡萄 《ネタバレ》 「怒りの葡萄」は聖書の引用で、神が怒りをもって踏み潰す葡萄のこと。葡萄畑はイスラエルの家、神が喜んで植え付けた葡萄はユダヤ人を指す。甘い葡萄を待ち望んだのに、酸っぱい葡萄(争いばかりする人間)ができてしまった。この出来損ないの人間に対する神の怒りの比喩。刑務所帰りで、小作人の息子であるジョードが、一家で土地を追われ、移住したカリフォルニアでの悲惨な生活を通じて「怒りの葡萄」という神の視座を持つまでの成長を描く。ジョードに付き添い、導くのは元説教師ケーシー。彼は資本家と労働者の矛盾を指摘し、労働者の闘う術を教え、死をもって道を示した。彼の導きで、人の魂は大きな一つの魂の器の一部に過ぎず、万人の魂は一つだと悟るジェード。二人は洗礼者ヨハネとキリストだ。まだ何も分からないが、何が誤りで、それを正す方法を見つけるために旅立つジェードは、荒野を放浪する求道者キリストだ。神の視座を持つということは、踏みつけられる民衆側の視座を含め、あらゆる観点からの視座を持つこと。それは「俺は暗闇のどこにでもいる。母さんの見える所にいる。飢えて騒ぐ者がいればその中にいる。警官が人を殴っていればそこにいる。怒り叫ぶ人の中に、食事の用意ができて笑う子供たちの中に、人が自分の育てた物を食べ、自分の建てた家に住むようになれば、そこにいる。」という台詞につながる。彼は、真の”乳と蜜の流れる地”を目指して旅立つ。警察から追われる逃亡者としてではなく、希望を持った求道者として、世の不正を糺す先導者として。成長したのは他には母親。「女は男より変わり身が早い。男は不器用でいちいち立ち止まる。女は流れる川で渦や滝もある。あっても止まらずに流れる。それが女の生き方」と女性の力強さを自覚し、「金持ちは子供が弱いと死に絶える。でも民衆は違う。死なない。しぶとく生きていく。永遠に生きる」と民衆としての誇りを取り戻す。良い言葉だが、これには伏線(成長過程)があまりなく、唐突感が否めない。大恐慌と経済制度の変化の為に土地を追われた小作農民一家の困窮ぶり、零落ぶり、過酷な移住の旅、移住地での苛烈な現実が見所である。が、母親はふくよかすぎて貧農に見えない。又過酷さを見せつけるはずの「桃摘み」の重労働場面が省略されているのは誠に残念。「人間じゃない。人間があそこまで惨めになれるわけがない」とは見えず。出所するのを何故家族に伝えない?[DVD(字幕)] 8点(2012-12-22 03:29:57)

3.  一番美しく 《ネタバレ》 昭和18年、14歳以上未婚女性を対象に勤労奉仕団体である女子挺身隊が創設。昭和19年には年齢が12歳に引き下げられ、強制動員となる。徴用期間は1年ほど。女学生も動員され、授業はほとんどなかった。多くは寮生活をしながら工場に通い、ときに3交代の過酷な勤務もあった。勤労奉仕といってもちゃんと給与は出た。昭和19年には既に食事事情が悪かったが、映画では省略されている。本土空襲が本格化する前のため、防空服や防空頭巾の着用はない。まだ国家としての威厳が保てており、ほとんどの国民が戦争の勝利を信じていた。女優を実際のニコン工場で働かせており、ドキュメンタリーとしては大変貴重で、そのぶん娯楽性は薄い。映画に出てくるスローガンや歌詞から軍需増産(戦意高揚)のための国策映画であることは明らか。人物の人間性はさほど表現されておらず、軍国主義の模範的な言動に終始する。イヤな人物は一人も登場せず、理想化されている。今日の観点から見れば、滑稽なほど生真面目だ。ただ当時の人はこの映画をみて素直に感動したと思う。そういう教育(洗脳)を受けていたこともあるが、感情移入する要素がふんだんに盛り込まれており、後の黒沢映画の豊穣さを予感させてくれる。映像も美しい。「一番美しく」は、自我を捨て、身を国家に尽す姿こそが最も美しいという意味だろうか。だが、一番美しい少女時代を犠牲にし、国のために捧げる彼女らの姿を憐憫のまなざしで表現しているともとれる。監督は戦後すぐに「わが青春に悔なし」という反戦映画を作っていることから、戦争には反対であっただろう。黒沢監督はただ映画を愛し、ひたすら映画に打ち込んできた、その結果がこの映画。当時は国策に準ずる内容でなければ、製作が許可されなかった事情を考慮すべきだろう。映画としての出来を云々するより、後に有名になる黒沢監督の手により、すぐれたセミドキュメンタリー風の映画が残されたことに感謝すべきなのかもしれない。 [DVD(邦画)] 6点(2009-07-02 23:51:20)《改行有》

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