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1. しあわせの隠れ場所
《ネタバレ》 サンドラ・ブロックがオスカーに値するほどの演技かは甚だ疑問が残る。しかし、同年の他候補を見れば、消去法で彼女になったのかな、というのが率直な感想。常連、イギリス人、一発屋が相手だったのだから。
そんなことより!
この「あまりにもアメリカ的」「典型的なまでにアメリカ」な要素と描写がこれでもかと詰まってることに「なんだかなぁ~」とのため息が先に来る。
保守本流のリッチな白人、街の向こうにある退廃した黒人文化。案の定の対立と不安がそこに乗っかり、されどリッチな白人はそんな差別も偏見もモノともせず突き進むスーパーウーマン。「あっぱれ母さん!お見事です!」互いは次第に溶解し、「嗚呼、人間ってなんて素晴らしいのでしょう。博愛主義万歳!キリスト教最高!」でチャンチャン♪
ベタはベタでその醍醐味や面白味はあるものだから一概に否定はしないけど、この映画はあまりにも、あまりにもであるし、もしかしたら「"やっぱりアメリカ人ってバ○なんだ"と、再確認させるのが裏の意図なのか?」とさえ勘ぐりたくなる。
美しいストーリーだと思いますよ。でもそこから何も学ばない、似たような美談は何十年も前からあるけれど、その頃から何一つ変わらないかの国。人口が多すぎるせいなのだろうか?アメリカ嫌い付ける薬ではなく、アメリカ嫌いにさせる薬のようであった。[地上波(字幕)] 3点(2013-09-28 13:39:11)《改行有》
2. シカゴ(2002)
浅利慶太も、宮本亜門もきっと一生懸命勉強して「日本人でもできるはずだ!」って思ってるんだろうけど、こういうのを見せられるとミュージカルって、やっぱり英語圏の専売特許であると痛感させられる。完全なる土俵違いで「そりゃ日本人には無理だよ」と、民族的な卑下ではなく、「畑違い」という観点からそう思う。その意味ではタモリに全面賛同する。「All that JAZZ」の日本語訳の歌詞なんて想像しただけでゾッとするもんなぁ。(実は昔、草笛光子がヴェルマ役を舞台版でやっていたという悲しい過去アリ。草笛光子って・・・)
さて、映画としての本作の評価だが、やはり舞台向きというのが率直な感想で、映像ならではの演出も見られたが「舞台でこそ」の印象が強い。ギア様の踊りは陳腐でこっけいだし、レニーゼルウィガーも、ガンバッタのはワカルヨ、でも彼女がこなせる役ではなかった。唯一サマになっていたのはゼタの姉貴で「この野郎、つくづく強欲な女だぜ」臭を出していてカッコよかった。まったく勝ち気な太モモだ!(ご愁傷様です、マイケル)よって作品のストーリーは抜群に面白いけれど、映画向きではない、またギアとレニーが力不足、付け焼刃だったということで7点。うん、妥当な数字7点(2004-06-12 12:05:54)《改行有》
3. シーズンチケット
女性には申し訳ないが、これは紛れもなく男の子の専売特許のような作品だ。なぜそこまでして世の男どもはスポーツに熱を上げるのか。その答えがここにある。ある年代までの少年にとって、スポーツとは単なるいち競技の枠に留まらず、「父親との思い出」と分かちがたく重なり合うものだ。日本の男の子の場合は野球ということになるだろう。ご贔屓チームの成績とキャッチボールをした父との記憶とが重なり合い、少年時代それぞれの思い出深き個人史を作り上げていく。イングランドなら、それは当然「フットボール」だ。父に連れられて初めてスタジアムに行ったこと。大の大人が汚い言葉をはばかることなく言い合ってる風景。そんな体験が原初となってイングランドの男の子たちは大人になっていく。とくに舞台となった北部イングランドの出身者には顕著なことだろう。はっきり言って脚本は粗いし、編集もヘタクソだ。だが、そんな映画的側面はこの際どうでもいい。主人公2人の全く馬鹿げたこのフットボール愛。これを見れば・・・1度でもスポーツに情熱を傾けたことのある「かつての少年たち」は昔日の自分を思い出すことができるはずだ。7点(2004-03-20 23:50:49)
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