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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  シークレット・サンシャイン 《ネタバレ》 周囲に構えて生きているヒロイン、母一人子一人で頑張らなくちゃならない、といつも自分に言い聞かせているようなところがあり、変な人なのよ、という陰口も彼女をさらに固める。彼女を支えているのは、何かに“当てつける”情動。そもそも死んだ夫の田舎に越してきたのだって、自分の家族への当てつけのようでもあり、また浮気をしていた夫への当てつけもあるかも知れない。外部に対してそのようにピリピリに張りつめている彼女の息子がさらわれる。誘拐犯の電話の声を聞かせない演出が、かえって臨場感を高めた。これがドラマの芯かと思っていたら事件はあっさり閉じられ、そこから本当のドラマが始まった。彼女は葬儀でも泣かない、死亡届も出し、しかしそこで心が崩折れるように、教会を訪れ号泣する、彼女が初めて鎧を脱いだように。教会の仲間とのどことなく浮わついた陽気さの描写がうまい。おそらく多くの信者は、こういう会合での仲間意識のなかで安らぎを得ていくのだろうが、彼女は仲間とは偽の陽気さで交際するだけで、神と真面目に向かい合ってしまう。だから、自分より先に犯人を許していた神に、裏切られたというショックを受ける。神を信じなくなるのではなく、神に当てつけようとする。神への復讐が始まる。かつて号泣した教会で今度は机をバンバン叩く。嫌がらせの数々、そして天に当てつけるように、手首を切る。これは死ぬのが目的なのではなく、当てつけるのが目的だったので、「助けてください」と初めて外の人に援助を求めることになるわけだ。だからこのシーンは二重に痛々しい。神への憎しみという最後の突っかい棒も失ってしまうのだから。市井の一女性を追いながら、この映画は魂の広大なオデュッセイを描いた。周囲に警戒し過ぎる彼女はただの変わり者だろうか、何かに当てつけたいという情動は甘えだろうか。私はそうは思わなかった。現代に生きる者は、多かれ少なかれ彼女と無縁ではいられないように思った。すごく厳しい張りつめた映画で、唯一ソン・ガンホの出るシーンがホッとさせ、牢獄の誘拐犯の“聖なるものに囚われた悪”と対比された“俗なるものに馴染んだ善”の優位を感じさせた。[DVD(字幕)] 8点(2009-03-10 12:17:42)(良:2票)

2.  シカゴ(2002) アメリカってショービジネスを描くと、ノリにノる国。マスコミが犯罪とショービジネスを同格にしてしまう。どちらも有名になること・脚光を浴びることで同じなの。話題を提供し続けないと生き残れないショービジネスの世界なら、裁判という脚光もイタダキだ。こういう「あたりさわりのある話」をエンタテインメントにしちゃう底力が、まだこの国にはあります。濃い主役3人のキャラクターを、うす~い亭主のミスター・セロファンが際立たせていた。ミュージカルとしては、水滴からリズムを刻んで入るタンゴのかっこよさ(例の如くちょっとカットを割りすぎるのだが)。キャサリン・ゼタ=ジョーンズのヴェルマの悪あがき「一人じゃできない」のナンバーが笑わせる。この人『トラフィック』のときは、なんか太った人っていうぐらいの印象しかなかったんだけど、器用な人だったんだな。[映画館(字幕)] 8点(2008-05-26 12:20:36)

3.  少女の髪どめ 献身の愛とストーカーの違いってあるのか。ただ見守るだけの愛、見守って出来るだけのことをする。自分のIDカードすら投げ出してしまう。ただただ尽くす。見返りは求めない。もう究極のストーカーで、究極の献身愛。ほとんど民話に近い物語が、難民問題というすごく現実的な背景で語られる。映画ってすごいなと思う。工事現場の監督や仲介者など、悪役になりそうな人が悪役になってないのもいい。ラスト、少女がパッと顔を隠す。強い拒絶ではない。ダメなのよ、というメッセージなのか、ともかく主人公に男として対したことを意味し、それをこれまでの献身に対する唯一の見返りとして、彼は満足の笑みを浮かべる。いい話を聴いた、という満足がこちらにも残る。[映画館(字幕)] 8点(2008-05-16 12:20:31)

4.  シルビアのいる街で 《ネタバレ》 現在サイレント映画という手段に頼らなくても、サイレント映画の精神は生かせる、という見本。旅人にとって旅先の世界はほとんどサイレント映画だ。聞こえるものより、見えるものの情報のほうが俄然重要になっている。カフェの店先から女性たちの顔を眺め続けるシーンが楽しい。しだいに誰か特定の顔を求めていることが分かってくる。手前の人物に隠されていた顔がずれて見えてきたり、後ろ向いていた頭がゆっくり横顔を見せたり、やがて彼は席を移ったりし、誰か特定の人物を探していることがはっきりしてきたとこで、ガラス窓の反射の多くの顔が重複している中から、一つの顔が固定されていく。ここまででもけっこうサスペンスなのだが、このあと追跡のサスペンスが続く。腰ぐらいの高さのカメラ視線で、ストーカーのように追尾が始まる。すっくと立った男の高さよりは低く、身をかがめて密かにつけているような感じ(と思ったのはこちらの品性の問題か)。映画における「角を曲がる追跡」は、どうしてこうも興奮させるのだろう。そして路面電車での語りかけ。本作で数少ない字幕を読むシーンだが、ヒロインの肌を輝かせたり翳らせたりしている陽光のただ事でなさのほうにドキドキさせられた。人違いの別人になったり、嘘をついているシルビア本人になったりしているよう。ここまでが素晴らしいので、失意の彼の酒場シーンはちょっと物足りない。あるいはあの奇跡のような陽光がないと、世界は味気なくなってしまうという表現なのかな。この映画いったいどうやって終わらせるんだろう、とここらで心配になってきたら、なるほど、ガラスの反射の中から浮き上がってきた「シルビア」はまた、ガラスの反射の中に消えていくという趣向で来たか。最後まで映像に語らせた映画だ。[DVD(字幕)] 7点(2012-04-18 10:02:32)

5.  純喫茶磯辺 《ネタバレ》 人々の心模様が描かれるという点では、伝統的な日本映画。チャランポランのお父さん、イマドキの娘、ちょっと離れて別れたお母さん、といるとこに、風来坊的な美人のモッコさんが、掻き回しに登場してくるという段取り。彼女のキャラクターが、サッパリと現代的なようでいて(配ってくれと頼まれたビラをあっさり捨てたり)、古風な愛想尽かしの場を演じてみせたりして、屈折を持たせている。飲み屋での愛想尽かしの場は、けっこうジーンときた。その前に、元カレに「おまえはどこで何やったってダメだ」と決めつけられ、いや自分にはあの喫茶店という居場所がある、と心のよりどころに出来たその直後、娘に当たられて、「お客とやっちゃいました」って、愛想尽かしをさせる言葉を笑いながら言う。歌舞伎では「愛想尽かしもの」ってジャンルがあるくらいで、義理のためにわざと惚れた男に愛想尽かしをさせる場、ってのが日本人は好きなの、そういう古風な型が現代風俗の中でもまだ有効であることを見せてくれた。娘があとで、モッコさんに謝らなくちゃと思い、走る彼女を父さんの自転車が追い越していく、なんてとこがきれいに決まっている。店の客では、いつもマスターと間違われる寡黙なミッキー・カーチスもいいが、「あんた九州出身?」の斉藤洋介が好き。ロケは東京の和泉多摩川商店街らしく、東の荒川などでロケした映画だと、すぐ土手を使って画面にアクセントをつけたがるが、西のこれではそういうことしてない。下町じゃないんだ、どこにでもある郊外住宅地なんだ、って感じなのか。[DVD(邦画)] 7点(2009-05-23 12:08:42)(良:4票)

6.  実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 《ネタバレ》 初めのうちは事柄の絵解きのような画面が延々と続き、それに安っぽい音楽も付いて、こりゃ大変なものを見始めちゃったかな、と心配してたのが、山に入ると引き込まれ、その映画としての「洗練されなさ」が異様な力を持ち、グイグイと終わりまでいってしまった。不思議な映画体験だった。不必要なところで英語のバラードが流れたりして、どうしてそういうことするの、と頭の片一方で怒るんだけど、そういう粗っぽさを全部肯定したい気持ちのほうが先に来る。粛清の嵐のとこが一番のめり込む。彼らは少なくとも唯物論の共産主義を信奉してたはずなのに、その彼らが、かつての精神主義で固まった帝国軍隊のミニチュアに見えてくるあたりの滑稽と戦慄。訓練のとき、バーンと言う発射の声が小さい、と怒鳴る。銃に傷を付けたのが重大な失態になる。“神聖な”党を汚した、と自己批判を迫る。「総括」という輪郭のはっきりしない言葉が、万能の力を得てしまう。かつての「天皇」を「革命」に替えただけの精神構造。これはいったい何なんだろう。日本人固有の体質的傾斜なのか、それとも人間の閉じた集団があるところ、どこにでも起こりうる病いなのか。犠牲者を生み出すことだけで維持される組織。その構造が発生するメカニズムの分析までは映画では出来なかったが、しかしそれを観察する体験だけでも貴重だった。映画『光の雨』では、現代の若者との落差といった話で逃げてしまったところを、今回はじっくり見せてくれた。あさま山荘の中でもまだ、クッキー食べたことで自己批判を迫ったりしてたんだなあ。[DVD(邦画)] 7点(2009-05-17 12:10:01)

7.  12人の怒れる男(2007) リメイクではあるけれど、本歌取りというか、その塑型を利用した変奏であって、こういう試みはもっとあっていい。優れた原作は、映画の宝として積極的に再利用すべきだ。三谷幸喜の「12人の優しい日本人」が、この型を利用して優れた日本人論になったように、本作では現在のロシアが検証されていく。旧共産党系の鬱憤、残るユダヤ人への偏見、成り上がり社長の脆弱さ、などなどが、討論の中であぶり出されてくる。それぞれのドラマのほうが討論対象の事件より濃密なのがバランス上どうかと思うところもあったけど、俳優が語った「みんなまじめになるのが怖いんだ」という発言なんか、ロシアを越えて今の日本にも当てはまりそう。体育館に閉じ込められた小鳥が、討論の合い間に飛び回っているのもいい(オリジナルの狭い暑苦しさとこちらの広い寒々しさの対比に米露の違い。女性を含まないところは50年代のアメリカと現代のロシアとで共通)。終盤に、まさに現在の社会の厳しさを反映したひとひねりがあって、それによって12人にさらに現実と摩擦を起こさせている。ロシアの現実を大量に流し込んだため、オリジナルの、「民主主義はどうあるべきか」というテーマに集中していく姿勢は薄れたかに見えたが、このひねりが21世紀の映画として、「第三者の責任」という別方向からの民主主義の問題を突きつけてきた。[DVD(吹替)] 7点(2009-04-25 12:18:21)

8.  白い馬の季節 温暖化で草地が減ったせいもあるんだろうけど、それよりも時代の変化、遊牧だけで暮らしていけなくなった現代の遊牧民の家族。近くをトラックが頻繁に走るほど、都市化も進んできている。アメリカ映画のカウボーイものと似ている。あれも遊牧が農業に追われていくことの挽歌みたいなものだった。定住するものが流浪するものを駆逐する。その自分たちを追い立てるトラックにヨーグルトを売って、かろうじて生計を立てていく。追い立てるトラックは赤く、追い立てられる遊牧民を象徴するのは白い馬に白いヨーグルト。この白を守ろうとして、夫はドン・キホーテを思わせる活躍をするのだけど、ついにドン・キホーテのような衣装に包まれて敗北する。話の枠はけっこう大味な配置(ディスコとの対比とか)、しかし一つ一つの画面にそれを越えて訴える力があった。馬のいるカットすべてに、それだけでもう遊牧生活への思いが、流浪への憧れが詰まっていた。追い立てる赤に、中国共産党を見るのは考え過ぎだろうな。[DVD(字幕)] 7点(2009-02-19 12:16:17)

9.  ジェシー・ジェームズの暗殺 《ネタバレ》 西部劇の時代に遅れてきた男たちの物語、ってことか。列車強盗ってのが、もう牧畜業と同じく時代遅れになっていく。非定住者が定住していく。ジェシーが最後に馬の絵を見ていたのも象徴的だ。林の中で帽子をかぶってワイワイやっていた仲間うちの楽しさは消え、逃避行の末に疑いが蔓延し、緊張しながら作り笑いをしなければならなくなる。連合赤軍の末路はこうでもあったかと思った。その“すがれた”トーンが全編を通して一貫する(やたら草原が出てきて、テレンス・マリックの映画を思ったら、この監督『ニュー・ワールド』のスタッフ欄でthanksとなってる)。その遅れた英雄に憧れるさらに遅れたボブは、デカいことするんだという遅れた夢を持ち続け、最後は厚化粧して舞台に立つ、時代のピエロにならざるを得ない。キャシー・アフレックスは、普遍的な青年の愚かを演じてとても良かったと思う。160分の長尺、ぜんぜん退屈しなかったと言えば嘘になるが、ピリピリしている人々の緊張の描写は素晴らしく、その果てに、恐怖することに疲れきった兄弟と、疑うことに疲れきったジェシーとによって、あたかも肩の荷を下ろすように演じられる暗殺の場は、いままでのどんな暗殺シーンとも違う悲痛さが漂うものになった。ここだけでも、この監督は注目する必要があると思う。 [DVD(字幕)] 7点(2008-10-22 12:18:15)《改行有》

10.  シッコ ドキュメンタリーってのは、フィルムを通して撮影者が思ってもいなかったものを発見していく、ってのが本当の姿だと思うので、この人の映画は正確には「意見表明パンフレット」みたいなものだと思う。作者はすでに描くものを決定していてそれに沿って映像を組み立てている。最初から驚き呆れてみせることを目的としてカナダやヨーロッパを訪れている。私は映画にはいろんなジャンルがあればいいなと思っているので、こういうジャンルも歓迎するが、ときに、たとえばラストのグアンタナモへ行くパフォーマンスみたいに、ちょっとあざとすぎるとこがあるのが鼻に付くけれど。ジャーナリズムに必須なのは、現状に驚き呆れる才能だ。映画の中で誰かが言ってた「彼ら(保険会社)も商売だからね」で納得してしまってはどうしようもない。M・ムーアには間違いなくその才能があるが、彼は映画を撮る前の段階で驚き呆れ、それを土台にして、意見表明をより効果的にショーアップするべく、けっこう冷静に作品を構成しているようだ。これはこれでいいと思う。さて内容だが、ちょうど堤未果の「ルポ貧困大国アメリカ」を読んだ直後だったので、お互いがお互いを補う形でよく理解できた。民営化による小さな政府ってのは、つまり本来政治が取るべき責任も民間に分散させてしまう政府ってことなんだな。日本だって小泉改革以後(ってことはアメリカ系保険会社のコマーシャルがやたらハナに付くようになったころってことだが)こういう方向に向かっているわけだから、他人ごとでなかった。保険会社には、書類の不備を探す専門の部署があって、本人も忘れているような病歴を見つけてくるってのが、さすがに驚き呆れる。役所の出来るだけ仕事をしないようにする体質と、こういう民間企業のがむしゃらに金を取ろうと働きまくる体質と、うまく間を取っていいところを生かし合える社会に出来ないものか。[DVD(字幕)] 7点(2008-08-10 12:16:28)

11.  JSA こういうことがあってほしいという願いが、凝り固まって一瞬のおとぎ話を生み出したような。満月の空に手紙を投げ、三ヶ月の空を返ってくるなんてあたり。民族分断の悲劇ではあるけれど、それが「引き裂かれた肉親の慟哭」といった激情を通してでなく、こういったささやかな宴の場が奪われているってことで描かれる。それだけに「けっきょくは敵なんだ」という言葉が悲痛。終わりのほうは何かごちゃごちゃして、理解しそこなったところがあるかも知れないが、個人に覆いかぶさる国家の重さは体感できた。[映画館(字幕)] 7点(2008-08-05 13:43:36)(良:1票)

12.  深海 Blue Cha-Cha 《ネタバレ》 最初のうちはほとんど演歌の世界「騙されました、捨てられました、酒場女の涙雨」ってな感じで、この映画大丈夫かなあと心配してると、続いて青春歌謡ふう「連絡線のデッキから、二人で眺めた水平線」ってな感じになり、さらに四畳半フォークソングふう「あなたに嫌われるのが怖くって」といった展開、ここらへんで、この映画はいいと確信した。とにかくヒロインの人づきあいの下手さ加減の描写がリアルだ。いつも警戒心張りつめてるんだけど、ひとたび心が通ったかと思うともうダーッと想いがほとばしっちゃって、くどくどとまとわりつく。あなたの邪魔になりたくないの、と気をつかわれること自体が鬱陶しいのに、分からない。沈黙すらうるさい。それで我慢できずに男がちょっと叱ると、クスリ大量に服んで横たわってる。そりゃ、カンベンしてよ、って言いたくもなるわ。彼女の対極にあるのが、もう人間の酸いも甘いも知り尽くしたアン姐さん(好演)、この二人の対比の妙に魅せられた。貝に閉じ籠っていた姫が救われる人形劇で彼女も救われるのか、まあ人生はチャチャチャ、女二人で踊るのもいいじゃないですか。電車や船のなにげないロングショットが、心がほぐれるように美しい。[DVD(字幕)] 7点(2007-12-12 12:41:11)(良:1票)

13.  親密すぎるうちあけ話 ひょんな偶然から美人の訪問を受け、なんか騙されてるんじゃないか、大仕掛けな罠なんじゃないか、という不安につきまとわれる税理士。恋愛心理の疑心暗鬼をたどっていれば、そのままサスペンス映画になってしまう。だからこれ、ヒッチコックの「めまい」に音楽が似てたのも、偶然じゃないかもしれない。子どものころのおもちゃが守る部屋に閉じこもって、こわばって美人に対する主人公が、けなげというか何というか。この監督の映画でしばしば見られる、男の純情を強調するための退行現象。鼻につきそうなぎりぎりのところでうまくユーモアに溶かし込んでる。サンドリーヌ・ボネールにああ優雅にタバコ吸われちゃ、男なら誰でもこわばって退行します。[DVD(字幕)] 7点(2007-07-27 12:27:30)

14.  真珠の耳飾りの少女 芸術家にとって実生活の鬱陶しさってのがあって、そういうのに関わらずに芸術世界に没入したいという夢を持つが、その芸術の対象に選んだのがまさに「実生活」の少女だった。調理をしたり洗濯したり、芸術家の家の裏で家を支える実生活の部分。苦悩する芸術家って、とかくつまらないのが多いんだけど、演劇的な誇張に見えてしまうからか。名画を実写で撮っていくっていうのには、独特の面白さがある。描きかけのところとか。色の原材料いろいろ。スカーレット・ヨハンソンってポカーンと口を開け気味にしてて、必ずしも色っぽさに収斂されきらない・まだ色っぽいという以前のあどけなさの魅力も合わせ持っている不思議な味わい(むかしのベルイマン映画の常連だったリヴ・ウルマンの唇とちょっと似ている厚ぼったさ。北欧ならではの質感なのか)。ラストで耳飾りを渡されたときの表情が、単純に一つの感情表現に収斂し切れないのと同じで、よい。時代色を楽しむ映画。[DVD(字幕)] 6点(2014-03-11 09:52:26)

15.  春夏秋冬そして春 西洋のイメージした東洋を見ている気がずっとした。老師の感じなんかスターウォーズみたいだし、池の中の浮き堂も美しいんだけど、西洋の視線を経由してるように感じちゃう。季節ごとに若者の設定が替わるの。罪を越えて次の世代の老師になる。それらを仏が高みから見てござる、って感じ。猫の尻尾で般若心経を書いたり、どうも禅的なハッタリにすべて感じられ、まあ禅と言うものが、大部分そういうハッタリの世界なのかもしれないが、他者の思惑を意識しすぎた精神性って、やでしょ。こちらが必要以上に拒否反応起こしてる気もするけど、せっかく画は美しいんだから、それを素直に愛で られるストーリーだったら良かったのに。むかし韓国で作られた『達磨はなぜ東へ行ったのか』なんてのは、素直だったよ。[DVD(字幕)] 6点(2014-02-22 09:48:46)

16.  シン・シティ 本作見てて木下恵介『笛吹川』でモノクロ画面の部分だけ色がつくのをちょっと思い出した。これでは血のみ赤だったり白だったり黄色だったりする。とても目覚ましいが、それだけで一本の映画の収穫とするのは、ちとつらい。映画は幻覚の一種なんだから、暴力衝動にゆだねきってもいいはずなのに、登場人物の幻覚という枠がないと、どうも気分が悪い、という発見も収穫であった。見た日の記録に「ほとんど彼と識別できなかったが、ミッキー・ロークは満足したであろうか」などと記していたが、こののち『レスラー』を見て、あんがい素顔がはっきり見受けられていたかも、と思い直した。[DVD(字幕)] 6点(2013-12-12 09:18:49)

17.  シリアナ おそらく映画より小説のほうが理解しやすそうな話だけど、とにかく2時間でおぼろながら伝達された。不正で維持されている米国の暮らし。完全に第三者の視点からのドキュメント的ドラマなのではなく、どこか自己批判的な視線を入れておくと企画が通りやすいのだろうか。こういう硬派の映画が製作されていく過程のほうに興味がいってしまった。自己批判を絶やさない国情は本当に立派だと思うけれど、なんかそれが一つの型になってはいないか、という気もちょっとした。米国企業の介入でクビになった若者が、自爆テロリストとしてリクルートされていく脇筋もある。これなんか実感あった。[DVD(字幕)] 6点(2013-10-29 09:11:50)(良:1票)

18.  親切なクムジャさん 個人による復讐劇は美しいのに、集団による復讐劇はなぜ気色悪いのか。なにやら儀式性が出てくるからか。なぜ儀式は気色悪いのか、ってな脇の問題に途中で頭が行ってしまった。仁侠映画の美しさはある程度儀式性から来てはいなかったか、とか、集団復讐劇の元締めである忠臣蔵の事件そのものはただただおぞましいと思うのに、そこから派生した芝居や映画はそうでもないのは何で? とさらに脇道にとめどなく進んでしまい、そのことを脳内にメモして気を取り直したが、気分は戻りきらなかったかもしれない。申し訳ない。この監督横移動で捉えるシーンが好きなよう。なにやら遠大な計画が進行している気配が漂っている前半がいい。ラストのほうはよく分からなかったけど、青年見ると死んだ犠牲者思い出してしまい恋になれないってことなのか? 音楽はバロック調。[DVD(字幕)] 6点(2013-09-25 10:11:21)

19.  白いリボン 《ネタバレ》 たぶん、村を覆う不穏の気配を描いた映画なのだろう。それは圧倒的で、白黒の美しい田園風景が周りを囲んでいるだけ、さらに不穏である。誰が犯人か、というミステリーの興味にしちゃ余計なものが多すぎるし、厳格さは子どもをダメにする、というテーマにしちゃ集中感がない。子どもに収斂されていく不穏な気配(やがて世界大戦に移ろっていく)を味わう映画なんだ、と納得しようと思ったが、なんかそれにしても集中感に欠けるなあ。語り手のロマンスは村の厳格な風土との対比で入れてるのだろうか。そのほか意味ありげなエピソードがあったり中途半端なエピソードがあったり、すべて「気配」を醸成してはくれても「テーマ」に集中してはくれない。トーンとしてはベルイマン的で、だいたいあの厳格な牧師の顔がグンナール・ビョルンストランドを思い出させる。ドクターが助産婦に毒づくあたりの容赦のなさもベルイマンタッチ、でもあちらにはもっと集中感があった。2時間半も使って「気配」を描こうとはしなかった。キーになる子どもたちが、へんにニタニタ笑ったりしないのはいいんだけど。ここらへんの時代を描くとなるとパリやウィーン、ベルリンなど都会が多く、田舎の20世紀初頭ってのは珍しかった気がする。最初のうちは18世紀末かと思って観ていたら、シューベルトがどうのこうのと言うんで19世紀かと思い直したところ、セルビアで暗殺事件が起こったという報が入って驚いた。もっぱら都市で語られる世界史と地方史ではズレがあるんだな。あそこらへんのヨーロッパの北側、第一次大戦前後の田舎の風物としては、北隣デンマークの『奇跡』(30年ごろが背景)が思い出される。神の罰が重くのしかかっている風土ではある。「神さまに僕を殺す機会を与えたんだ」。[DVD(字幕)] 6点(2011-12-29 10:11:22)

20.  シングルマン 60年代というマイノリティがまだ息を潜めて暮らさねばならなかった時代。その男の目に映るもう別れようとしている世界。他者たちは目や口元やに分解してしまっている。しかしその世界も「少数派への恐怖」が支配している。異端への恐怖と言ってもいい。共産主義からプレスリーの腰つき、おそらく同性愛者に至るまで。「マイノリティの恐怖」と「マイノリティへの恐怖」とが、見えない水面下でがっぷり組み合って停止していたような、当時のアメリカの息苦しさがカメラに乗りうつっている。隣人の笑顔さえ息苦しい。死を決意した男の一日の物語。ルイ・マルにも同種の作品があったが、あちらが旧友たちを訪れるのに対して、こちらはそれほどの交際範囲もなく生徒と(大学教授なの)昔の女ぐらい。死を決意しながら、それでもテニスをしている若者の肉体や町で出会うスペイン人の若者には目が惹かれていく。生徒だった若者に惹かれては、自分で「情けない」と呟く。もううじうじした陰気きわまりない映画で、ときに美少年の尻を見るのが好きな人用のフィルムかと思うときもあったが、あの息苦しさには、ゲイという特殊を越えた普遍性が感じられた。死んだ「連れ合い」が飼っていた犬と同種の犬を見かけると、飼い主に変に思われてもつい匂いを嗅いでしまう。息苦しさをしばし忘れさせてくれるのは、その犬の匂いだけ。[DVD(字幕)] 6点(2011-09-05 09:57:20)(良:1票)

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