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【製作年 : 1990年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順123
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21.  シン・レッド・ライン この監督はやっぱり草の映画を撮る。緑あふれる戦場。兵士がふとオジギソウに触れ、葉が閉じる、草にとっては相手が殺気にはやった兵士だろうと遊んでいる子どもだろうと同じ反応をするわけだ。細い葉に一瞬散る赤い血の線。風のように・なめるように移動するカメラ。草の視点から見た戦争映画ということか。この地に殺し合うために呼び寄せられた兵士たち、それをこの地にもともと生えている草たちが観察している。この草の迷宮感が素晴らしく、兵士たちを雑草になぞらえるという単純な比喩を越えて、もっと多義的な思いが次々と湧き上がり、「人と自然」といった軸の周りをめぐり出す。ストーリーはそれほど珍しいものではない(無茶を言う上官と下卒思いの司令官との対比とか)、この映画の眼目は、ガダルカナルを日本軍と米軍が向かい合っている島としてでなく、兵士たちと草が向かい合っている島として描いたことだ。[映画館(字幕)] 7点(2009-01-12 12:19:17)

22.  シュリ けっきょくこういう映画が作られるようになったということは、韓国でも南北分断の悲劇がもう生々しいものでなくなってきた、ってことでもあるか。娯楽映画として楽しめちゃう。町の男が実は情報部員、その恋人が実は北の潜入暗殺者、って、なんか市井の隣人が実は歴史上の大人物っていう歌舞伎の世界みたい。しかしまったく借り物のテーマってほどには歴史になりきってなくて、そこは不真面目には扱えない重みもある。そこらへんがうまく釣り合ったのではないか。「北の兄弟が飢えているとき、南はゲロ吐くほど飲み食いしてる」なんて北の人物に言わせている。愛しつつも敵になる、と民族愛を恋愛に変換しているのだ。[映画館(字幕)] 7点(2008-10-16 12:11:21)(良:1票)

23.  シラノ・ド・ベルジュラック(1990) すべての映画が映画史を切り拓くものである必要はないが、映画ならではの楽しみというものも欲しいところ。だからもっぱら原作についての感想になるんだけど、誠実さを見せるためには技巧が必要なのだな。フランスだけの話でもない。日本の平安時代だったら和歌が詠めないとダメで、誠実さがただそれだけで尊重される社会のほうが、歴史的には珍しいのかもしれない。技巧ってのはただの飾りではなく、ある程度本質と不可分になってるんだ。17世紀のフランスでは、ジュテームとしか言えないのは、和歌を読めない平安貴族と同じで、ただの馬鹿だったのだ。これ「他人の顔(安部公房)」の話でもあるな。美男子の仮面を得て始めて朗々と恋を語れるシラノの切なさ。顔はやはり他人との通路なのか。シラノの涙とクリスチャンの血による二人三脚物語。あちらの古典戯曲には、しゃべりまくる爽快さってのがある。[映画館(字幕)] 6点(2013-10-13 10:10:40)

24.  就職戦線異状なし 情報もの的な青春群像もの、ってことになるのか。バブル期の優雅なリクルートの記録になった(『大学は出たけれど』と二本立てで上映すると昭和平成における学生の就職比較を学ぶ講座になるでしょう)。「なりたいものより、なれるもの」になっていくことより、「なりたいもの」が外部から決定されていくとこに、この時代の問題点があったんでしょうな。若者たちが社会を手玉にとってるようでいて、実は嬉々としてシステムの中に飛び込んでいく、ようなところがあって、こういう方向にはより強固な「社会」が存在する気がして、いささか不安を感じたが、その未来が今になってるわけだ。会話が弾むところは脚本協力の坂元裕二か。本田博太郎の不快感をもっと大きく扱ってもよかった気がする。ラスト近くの「楽園の終わり」の感覚は悪くない。仲間っていいもんだ。でもそれ本来「社会」と拮抗させるべきものなのでは、と思うのは、バブル時代を謳歌しなかった者の僻みか。[映画館(邦画)] 6点(2013-05-23 09:42:02)

25.  死の接吻(1991) 《ネタバレ》 なんとなく漠然とこの会社に怨みがあると思っちゃうじゃない? 一族を順に殺していっちゃうんだもん。ところがショーン・ヤングと結婚しちゃって、あれれ、って感じになる。少年のころの夢、最もストレートな「立身出世」が動機だった、ってのが面白かった。母の期待(人生に失敗した父)、裕福な家庭のイメージが彼の中で鋭角的に結晶して、絶対的な父への憧れもありましょう。もっと堂々と原作と勝負して欲しいのに、冒頭からなんとなく『めまい』めいていて、ヒッチを越えるものを作ってやろうという意気込みはうかがえず、なんか随所にヒッチへのこだわりが卑屈に見受けられ、あまつさえヒロインが『めまい』のビデオまで見てたりすると、かなり興ざめ。[映画館(字幕)] 6点(2013-03-28 09:47:38)

26.  シティ・スリッカーズ 休暇が義務になってしまっている現代、この神経症の時代の正しい休暇とは、という話。彼らが思い起こす最良の日ってのが、みんな父親絡みなの。初めて野球に連れて行ってもらった日、父親を追い出して家長になった日、結婚式のとき親父がウィンクしてくれた、なんてのが実にいい。こういった男たちのファーザーコンプレックスが凝り固まると、アメリカの場合、開拓時代に向いていってしまう。カウボーイ体験ツアー、というシステム化された枠のなかってとこに苦みがある。ジョン・ウェインの時代ではなくなっている。現代で男らしい父親は「体験ツアー」みたいなもので無理にこねあげないと出来ないものになってしまったと言うことか。B・クリスタルのうつろな喜劇役者顔、くさいのギリギリのとこだけど、私は嫌じゃなかった。J・パランスのカウボーイぶりも、コミカルなタッチにしないと画のなかに入り込めない時代。そしてみんなは家庭に帰っていく。牛たちは食肉会社へ。[映画館(字幕)] 6点(2012-08-25 10:02:33)

27.  幸せの向う側 《ネタバレ》 スリラーには「旦那が何者だか分からないモノ」ってジャンルがある。結婚に関する根元的な不安を突いてるんでしょうな。だって今までよく知らなかった人と、鍵かけて戸締まりして逃げられなくして一緒に暮らすんだもん。ラストはなかなか怖い。こっちがまず刺しちゃうってとこが怖いんでしょうか。でも後味が悪くもある。必死に成り上がっていこうとした男の悲哀ってのも、ちょっと添えて欲しい。最初の出会いのあたりの演出がよかった。店でうかがい合ってるような。こっちから見ると食事になってたり、人影が消えると笑ってたりして。ジョン・ハードってエレファントマンのハートさんじゃないよ。テンテンのあるハードね、ウィリアム・ハートみたいに心から笑ってない笑顔する人(ってさらにややこしくしちゃったか)。ダミーの使い方がヤラしい。いかにも「親切そうに振舞ってて実は真犯人」な顔してるの。[映画館(字幕)] 6点(2012-06-21 10:26:32)

28.  ジャズ・ミー・ブルース アールデコのアメリカが舞台のジャズ奏者の話(なんでも実在の人でジャズにおける即興演奏を確立したコルネット奏者ということ)だけど、イタリア映画なの。ファミリーが重いテーマになってて、父の期待や母の愛やらの重圧がみっしり描かれるのは、そう、邦画でなきゃイタリア映画だ。そういえば母親が息子の晴れ舞台と思って聴くラジオの曲は「ジャパニーズ・マミー」って歌だった。家庭を持て持てと母(家族)に脅迫されてるような息子。家庭を持つってことが「まっとうな生活」の象徴なの。そのまっとうさを家族に脅迫され続けてダメになっていく芸術家の物語でもある。ニセの妻の旅をベースにしている。架空の結婚写真へ。なかの時間を順番どおりにしたらいけなかったのかなあ。ちょっとごちゃごちゃ行ったり来たりさせ過ぎた。台頭する新人との爽やかな地位の交代の会話なんか、実力の世界の風景で感じいい。尊敬があるの。曲が中途半端に切れるのが多くて、やや欲求不満。すさんでいく芸術家を演じるには、この主人公役ちょっと弱い。[映画館(字幕)] 6点(2012-05-28 10:22:04)

29.  ジャック・サマースビー 《ネタバレ》 南北戦争後の南部が舞台。ミステリーふう。戦争から帰ってきた夫は本当に夫か、ってな。彼と彼女の間のヘンな雰囲気を丁寧に描写していく。ひげを剃るときの緊張。J・フォスターがキスを誘うのにR・ギアが気づかぬ振りして避ける。など、日常の細かい振舞いに潜んだ緊張を楽しめる。靴のサイズ。貴金属拠出のとき「妻のあたしが言うのもなんですが」って言ってブローチを出すあたりがニクイわけ。彼はここでサマースビーとして生きようとする。黒人や子どもの期待、期待をされることのしっかりとした手応え。ゴロツキにさっと右手でナイフを構えるジャックを、ロングで見てしまうローレル。でまあ、KKKもあって、裁判になる。アメリカ映画は本当に裁判が好きだ。南軍負けてもうすぐに黒人の判事が来てたのか。裁判の過程で愛の物語が明らかになってくるの。それまでのローレルの結婚生活の惨めさ、ジャックの改心、などなど。粋な判決を下すのかと思ってたら、愛の伝説になりました、って終わらせ方だった。あれなら裁判の後、あまりじらさないですぐ墓場にしたほうがサッパリしたのに。[映画館(字幕)] 6点(2011-10-31 10:11:18)

30.  幸福の条件(1993) 《ネタバレ》 設定そのものは面白い切り口。百万ドルで若者の愛を試そうとする中年男って、なんか三島由紀夫が好みそうな趣向。夫婦の心を試す遊戯、心のギャンブル。その申し出で夫婦の中でタテマエとホンネとが分離していく。そんな馬鹿なというタテマエの後の寝物語でホンネが顔を出してくる。ただの友だちの間だったらぽんぽんホンネが言えるはずなのに、夫婦という関係のややこしさ。ただその後の展開がしぼんでしまう。ピリピリしながらいかに日常を維持していくか、って緊張こそ一番面白いとこだろうに、けっきょく「愛は金では買えない」という結論に走って、みんなイイトコ見せて終わってしまった。残念。弁護士に電話入れたら怒り出し、なんで相談しなかったんだ、二百万は獲れるのに、ってとこで笑い。[映画館(字幕)] 6点(2011-10-06 09:53:36)

31.  ジャイアント・ベビー 泣く子と母の愛には勝てぬ、いう話。珍発明の家庭シーンてのがまずあり、変わり者を尊重するアメリカ。少しずつ段階を追って大きくなっていくってのが味わい。追い掛け回すとこなんか、セットを二つ作ってやったんだろう、メイキングのほうが面白い種類の映画かもしれない。まあラスベガスに出てからが見せ場で、エレキの伏線なんかが生きてくる。車(ブーブー)で無邪気に遊ぶあたりが見どころ。巨人となった赤ん坊が泣き出したところで群集が静まり返るあたり、一瞬抒情が漂いました。『ミクロキッズ』『ジャイアントベビー』と、もしガリバー路線で来たのだとすると、次は「飛ぶ子ども」だったはずだな。[映画館(字幕)] 6点(2011-08-31 09:35:01)

32.  新ドイツ零年 『パッション』以降の作品に言えるんだけど、メランコリーの度が強くなってるんだよね。それまで諧謔で隠されていたものが、剥き出しになってきたというか。室内撮影はもちろんそうなんだけど、風景の寒々しさといったら。ヨーロッパのメランコリーの源流はドイツにあるのだろうか。フランス・イタリアといったいわばヨーロッパ文化の中軸的なものに対して、ドイツ的なものを置くとヨーロッパに奥行きが見えてくる。たとえば音楽はイタリアやフランスで花開いたのに、いつのまにかメランコリックなドイツに中軸が移っていった。光に対する影のようなドイツの存在。そういえばこの映画では(というよりこの人の映画では常に)音楽・音に対して鋭敏にさせられるな。ピアノの打撃音まで。スピードを操作されてビデオで再現される過去の映画、その中の人物はすべて悲劇的に見えてくる。なにかすべてが憂愁へと向かっていく。憂い顔の騎士は、自らそのイメージの陳腐さに追い立てられるように、掘削機へ向かっていく。[映画館(字幕)] 6点(2011-03-25 12:14:20)

33.  ジェロニモ(1993) 基本は友情が交錯し青年が成長する話。前半、保留地の暴動のあたりがイキイキしている。発砲の瞬間、フィルムに白いコマをはさんでいるみたい。ただ後半はちょいと演説的になってもたれる。難しいところだ。インディアンの扱い。ちょうどアメリカ映画史において西部劇がたどった苦難をなぞるように、この映画も後半停滞していってしまう。スカッとはいけない。こういうときアメリカは、すべての集団の中に、イイヤツと悪イヤツがいる、ということで処理していく。しかし追い詰められるアパッチ族の悲壮感が今ひとつ湧かず、平和を説く古老なんかを配置するのは、段取り過ぎて鬱陶しい。切り捨てられる斥候インディアンのほうに、悲惨を感じた。西部劇は荒れた土地があればだいたい撮れちゃうから、時代劇よりいいね。[映画館(字幕)] 6点(2010-12-17 09:56:11)

34.  写楽 写楽の話というよりは、寛政期が主役の群像ドラマ。いつも人殺しの時代を扱うNHKの大河ドラマは、たまにはここらへんの文化を中心にやってみればいいのにと思っているのだが、日本文化史上の一つの頂点。時代が主役ならストーリーとして初めと終わりがキチッとしてなくてもいいのかも知れない。「地獄の上の花見」を見せればそれでいい。でも、一通りの有名人を交錯させるのだけど解説の域を出てなく、なんかこの監督、情報知識を集めすぎて盛りだくさんになってしまう弊が、のちの『スパイ・ゾルゲ』などにも見られる。この人は様式的な場が好きで、おいらん道中と大道芸人の道中とが直角に交差するとことか、歌麿のモデルがじっとしている部屋の光景などに、「らしさ」が出ている。合成技術の当時の限界? 全体の色調がドローンとよどむ。[映画館(邦画)] 6点(2010-06-21 11:59:30)

35.  ジャンヌ/薔薇の十字架 《ネタバレ》 戴冠式があって、政治的な汚れが彼女に迫ってくるわけ。ふとヴィシー政権下のパルチザンを連想した。男装の罪というのが、なにやら深い。女装すると牢番に嫌がらせを受けたなんてこともあり、まあそれだけのことかも知れないが、一度女装に戻ってから、また自分の意志で男装となり、死を選ぶ、ってなにか意味深そう。彼女のパラノイアの重要な部分に「男装」があったのではないか。ヨーロッパ中世における女性の位置についての考察が必要だろうが、国の解放と女装からの解放が、彼女のなかではパラレルだった。火あぶりを怖れ、ラスト炎のなかで「イエス様!」と叫んで映画は終わるのだけど。人々が中世の薄暗さのなかにいる感じは随所で出ていたが、どうもサンドリーヌ・ボネールは最後まで非中世的で(またあえてその効果を狙ったようにも見えず)、しっくりこなかった。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-25 11:56:52)

36.  ジャンヌ/愛と自由の天使 この監督がなぜジャンヌを映像化しようとしたのかは分からないが、戦闘シーンの覇気のなさなどはいかにもヌーベルバーグである。自分から志願するところから始まって、パラノイアとしてのジャンヌを描きたかったのか。ふと天草四郎を思い、日本のヌーベルバーグと言われた大島作品とつながった。信仰家というのはどこかパラノイア的な頑固さがなければならないものなのだろう。周囲も、最初のうちは信仰による尊重もあるのだろうが、やがて彼女のパラノイア的純粋さの魅力に帰依していく経過。橋の攻略、最初は失敗し、次の攻略の前に樹下で祈るシーンになぜかグッときてしまった。やっぱりスペクタクルよりこういう場の方がいい。ええと、これ二本通しで観てノートはまとめて書いてあるので、一本目はここらへんまでか。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-24 11:59:00)

37.  白い馬 ЦАГААН МОРЬ(1995) 観光映画よりは踏み込んでいるけど、内側からモンゴルを観察したというほどのドキュメンタリー精神はなく、まあ「留学映画」とでも呼んでみましょうか。モンゴル人の心に直接触れてるという気にはなれないが、短期旅行者の傍観よりはいい、ってとこで。雄大な風景と対比させるような、病気の子どもの目に映る狭い青空。町の図書館のシーン。あるいはロングで、バイクのラマ僧と移動百貨店トラックが道でよけあうとこ、などいくつか印象に残るシーンがある。それらがこじんまりと納まってしまうところが物足りないが、それがこの作家の資質なのだろう、新しい歌を歌おうとせず・新しいものを発見しようとせず、しかしそういうものが好きならそれでいいではないか、という大らかな気にはさせる。観ているほうにもモンゴル的大らかさが伝染していて。ラストのナーダムは、揺れる画像の合い間にロングの揺れない画像を入れてほしいところ。[映画館(邦画)] 6点(2010-05-20 11:57:43)

38.  親愛なる日記 ぼやき漫談ではないか。「ぼやき」も洗練すればもちろん「芸」になるのだが、でもかつて世界で一番活力に溢れていたイタリア映画が、そんな芸を見せねばならぬほど衰弱したのか、と思うとつらかった。やりたいのなら堂々とちゃんとした一編のミュージカルを作ってほしいじゃないか。野めぐり。“風変わりな自画像”もの、やたら「僕って変わってるでしょ」と言い続けられているようで、なんかぼやきのレベル。島めぐり。一人っ子ばかりの島での電話のエピソードはやや映画らしいが、終わりのカットで電話3台というのは物足りない。医者めぐり。痒み。これも医療風刺のレベル。ぼやくというのは、非建設的な批評ということか。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-07 11:55:49)

39.  上海ルージュ 老人が勝ち、若者が滅んでいく、それはもう、一つの時代が末期を迎えている症状なのだ、ってことか。実に通俗的な設定を、黄金色に閉じた前半と、蕭条とした風景の中に拡散していく後半、の二段構えで描く。後半が前半の繁華を批判している、という感じではなく、どっちもそれぞれに、はかない。囚われの女は周囲に不幸を撒き散らしてしまう、そのことの悲しみ。どこからともなく聞こえてくる歌声の効果など、いつもながら音には鋭敏で、呼び鈴とか、軒下の風鈴、繰り返される子守唄のメロディは、硬質の木琴の音、オーボエ、月琴(?)、女声などによって変奏されていく。美しさという点ではいつも見事なのだが、映画のドラマとして切実さがも一つ感じられないというところも、いつも。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-16 11:59:32)

40.  小便小僧の恋物語 《ネタバレ》 電車に家族を奪われた男(人に見られてると小便できない)が、市電の女運転手に恋する回復もの。と思ってたら、回復ものにしてはラストが陰気くさくなってしまった。ハッピーエンドじゃ軽くなってしまうので、悲劇に仕立ててみました、って感じの作品、けっこうヨーロッパ映画に多く、安易にハッピーエンドにするハリウッドと足して二で割りたい。死で片づけちゃいけないこと・片づけられないことの方が、この世には多いはずです。主人公が仕事に就くあたりの手際のいい省略なんか良かったし、公園のベンチで星空を見上げる夢が、ベッドから吊るした星を見る場になったりと、演出は手堅い。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-14 11:53:17)

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