みんなのシネマレビュー |
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1. ジョーカー お久しぶりです。 観た、という事を書かずにはいられなくて書きにきました。 ジョーカーの物語ですが、 (詳細はブログにて)[映画館(字幕)] 8点(2019-10-14 22:11:11)(良:1票) 《改行有》 2. シン・ゴジラ 《ネタバレ》 酔ってるんで後日書き直すつもり(結局、他の方々同様クソ長くなったんで、別記事にしました)。 極めてメタ度が高い映画で、観客をあざ笑うかのような字幕多用・映画人の理想をぶち壊す説明セリフ85%の展開も心地良い。 個人的には『スターシップ・トゥルーパーズ』と並ぶ多値構成の奇作。 ラスト、そびえ立つゴジラを睨む人々はいない。そう。現実にもいないんだから…。 「真摯なバカ映画」の称号をお贈りします。 最後に、島本組の同世代ゆえに。 庵野先輩やめろおォォ! わあああぁ~~~! …別に俺の下に行ったことはないけど…。[映画館(邦画)] 9点(2016-08-10 01:45:03)(良:1票) 《改行有》 3. ジャッジ・ドレッド(2012) 《ネタバレ》 警察ドラマの枠組みを一切はみ出さないシナリオが渋い(あ、ミステリ要素はないですが)。 ここまでくると「冒険を避けた」っていうんじゃなく逆に「新たなチャレンジ」に見えてくるからフシギ。 (詳細はブログにて)[インターネット(字幕)] 7点(2014-08-17 10:56:15)《改行有》 4. シャークネード<TVM> 暑い夏、頭をバカにして映画を見たいならこれだ! いやホント、時間を忘れさせてくれました。バカすぎて。[インターネット(字幕)] 8点(2014-08-03 22:56:55)《改行有》 5. 死霊伝説 セーラムズ・ロット(TVM) 《ネタバレ》 何よりもまずコレ、ルトガー・ハウアーの使いどころを心得てるねえ! ストライカー役のドナルド・サザーランドも、流石の怪演。 これでもし神父役にロバート・デュバルあたりを使っておけば…惜しい~。 (詳細はブログにて)[DVD(吹替)] 7点(2009-05-27 23:12:21)《改行有》 6. 下妻物語 《ネタバレ》 とりあえずまだ「やっと観終れたよ〜ん」ってだけ。2年かかったな…。 先月、猛烈に近世美術史にハマってたおかげで、ほとんど復習のような気分で鑑賞しました。ちなみに年末は忘年会が続いて2週間ほど不義理をしてしまいました、申し訳ありません青山先生(完全意味不明)。 なぜロココが百科辞典とフランス革命を産み出せたのか、その精神は現代にどう受け継がれているのか、またなぜ日本ではフランス式の革命が起こらなかったのか…画面からそんなモノばっか拾ってました。意外に奥が深くて、底なしのように大きくシンボリックな画。「誰が自分を司っているのか。神か? 社会か? 金か?」という命題に対する、西洋と東洋の意識の差。そういうもんが写ってましてね。 …え? それはオイラの目が悪い? いやいや、これは田舎道とレース模様がコラボした大きな成果でしょうよ。監督が意図したモノとは違うだろうけどさ。 低得点の理由は「大仏の下で泥だらけになった桃子が泣かなかった」、ただその一点だけ。原作付だから仕方ないのかも知れないけど、あの一点だけで致命的にダメな映画になりました。 まーこれはコメンタリーもしっかりチェックしてから後日レビューだなー。[DVD(邦画)] 5点(2008-01-03 15:34:37)《改行有》 7. Gガール/破壊的な彼女 わぉ! みんなすまんこりゃもう10点だぜぃ! ライトマン節全開、全てが強制的に「ほどほど」の枠へ納められ、どんな危険な暗喩も明るく、楽しく笑えて観れる。加えて今回はスケールの違いから来る笑いがとって (詳細はブログにて)[DVD(吹替)] 10点(2008-01-01 12:57:08)《改行有》 8. 地獄の変異 えむあっ。さん偉い! よくぞ登録してくれました(つうかオイラが単なる面倒臭がり)。 確かに後半はあ〜んな展開になりますが、山岳映画・密林映画が腐るほどある中、貴重な洞窟探検モノとして (詳細はブログにて)[映画館(字幕)] 8点(2007-07-07 01:29:16)《改行有》 9. ショート・サーキット あら。いまふとここを見てみたら、続編の方がちょっと点数高いでわないの。オイラも同感です。本作のジョニー5も確かに可愛いけど、バダムの手の中ではまだ魅力全開とは行かないねえ。もち、バダム節も大好きなんだ (詳細はブログにて)[映画館(字幕)] 6点(2007-06-11 02:04:54) 10. 神童 《ネタバレ》 原作知らない、って以前にもう、何がなんだかわからない意味不明世界に翻弄され、気がつけば終わっていた。心の中で評価がどう変化していったかというと、3点→0点→マイナス5点→0点→5点。とにかく、音楽映画としてはまるで「なってない」。本作をドイツとオーストリアへ持っていけば、間違いなく嘲笑・黙殺・非難・悪魔祓いの憂き目に会うだろう。予言する。 カメラが演奏中のピアノをナメる。白と黒の鍵盤の上を踊る指が画面の下側に、そして中央にはフタの裏側に刻印された「YAMAHA」の文字が映り込むよう、何度も、何度も…その時点で「もうダメだ」と思ったんだが、それを遥かに下回る知能の低さなのだ。凄いのだ。仮にもヤマハの名が出る以上はキープしているであろう音楽的な演出がゼロで、ピアノのBGMであるべきトコロが弦で、縦糸はあっても横糸は無く、頑張っても四重奏がせいぜいで、従ってテクスチュアなんぞあろうはずもなく、テーマが力強く現れる事もなく、最後の演奏会にもつれ込み、そこで、そこで椅子の高さのエピソードが出てきてやっと気がつくという始末。 彼女はグレン・グールドだったのだ。当然というかオイラはミカラ・ペトリやアンネ・ゾフィー・ムターを想像していた。だがそうでもあり、やっぱりそうじゃなかった。グールドだったのだ。 だったらそこはバッハでなければならない、と当然のようにオイラの中の音楽が囁く。だがそうではない。ここはモーツアルトが正しい。これは音楽の話ではなく、ピアニストの話ではなく、夭折したグールドの物語なんだ。音楽を切り取って外側から描いた、例えばそう、「エッシャーの絵」がそこにあるんだろう。 これは日本の演奏界の袋小路を描いているかもしれないし、単にノーセンスでヤマハを糞まみれにして葬る映画かもしれない。そんな事は、どうでもいい。音楽になっていない映像の中に、確かに音楽を聞いた。監督の意図なんてどうでもいい。屑の塊が音楽になっている。それを聴いた。幻聴と言うなら言え。 それにしても、ホント村治佳織に似てるわ…。[映画館(邦画)] 7点(2007-05-14 20:31:46)《改行有》 11. ジャンピング 内容については触れない。一言でも発しようモノなら観た時に大きく興を殺ぐ結果になるだろう。 評価について。 アヌシー審査員の「100 年間の映画 100 選」リストでは、本作は 58 番目で日本作品としては2位だ(1位は言わずと知れた喜八郎の『道成寺』、100 番中 45 番)。つまり、この百年に世界中で製作された短編アートアニメ作品の中で、58 番目と位置付けられている。当然、非商業分野での手塚アニメの、一番の業績となる。 個人的にはもっと上位に食い込んでもいいと思っているが、手塚治虫のカトゥーンなタッチが相当な違和感を醸しているのは否定しようがない。日本はともかく、アヌシー的に見ればこれじゃランクを上げ辛いだろう。自分の業績を確立した後でも、かたくなにフライシャー/ディズニーの追従者でいようとする手塚の頑迷さは、愛しさまで生まれるほど。 製作時期が問題だ。 本作は 84 年。第二次SFブームのまっただ中で、彼一人が沈没していた時期。本格SFを狙った『プライム・ローズ』は物語が手塚史上最悪のクラッシュを起こし、『ドン・ドラキュラ』の放映は伝説的な4回打ち切り。SF界での手塚治虫は、過去のブランドとして葬り去られようとしていた。 そのドン底(金もなかった)の時期に、本作の企画を立ち上げて、金にもならないアニメの作画をガリガリ 4000 枚もやってたというのが、「やはり神だな」と思わせる。同時代のサンライズ+『ガンダム』や、すぐ後のマッドハウス+『アキラ』の狂乱ぶりを考えれば、この時代にアートアニメへ目を向けていたアニメ界の巨匠(笑)がいた事自体が、信じ難い。 狙いについて。 言葉を持たない、文字も登場しない、まあ他にもいろいろあるが、本作は「世界の子供に見てもらう」事しか考えていない。この選択は、世界のアニメ市場でゼロから実績を積み直す覚悟だったような感触がある。この人の創作欲はどこまで罪深いんだと恐れ入る。 この試み自体の評価は置くとして、本作から始まった手塚の 80 年代作品群は、広島アニメ映画祭を発信の場とした。この映画祭が現在のアートアニメ層の母体になっているのは言うまでもない。同祭の看板、そしてアヌシー常連の、ノルシュテインやグリモー(あとラルー)などに並んで手塚治虫が存在している。58 番目として存在している。 手塚は結局、この作品を生むために生きたんじゃないかと思う。 [DVD(邦画)] 9点(2007-05-07 00:49:02)(良:1票) 《改行有》 12. ショーガール 『ブラックブック』鑑賞の前哨戦として鑑賞。なにしろ主人公があの性格ですから、最後まで観終れずに挫折する事20回以上。オイラ映画鑑賞史の中で最多チャレンジ数を誇る雄峰の難路でした。いや〜今回ついに登頂できましたよ。感動ですよもう! 結果として、9点か10点かで非常に迷いましたがとりあえず9点にしておきます(満点にしたら、今まで見通せなかった自分が悲しすぎらァ)。 全体構成が巧みなのはバーホーベン監督の得意技ですが、この作品は本当に構成上の欠点が見当たらない。あえて挙げれば、ドレッドヘアのレゲエあんちゃんが前半出番が多くてバランス悪いかな、ってトコくらい。あと不必要感の高いチンパンジーは、ステージで滑べっちゃうネタの伏線の名残りと見ました(結局踊ってるシーンなかったし)。 ノエミという一個の無垢な、しかもいつ折れてもおかしくないくらいテンパってる精神が、ショービズ界の中で汚れるか汚れないか。物語はそれだけと言っても過言じゃないので、彼女の前に現れては去って行く人物たちの、整理のされ方が本当に心地いい。かつてのストリップ小屋の支配人が尋ねて来るシーンの挿入場所なんか完璧すぎです。過去の自分をふっ切る、後半戦突入の直前。あそこは泣けます。 まさにラジーを取るために生まれてきたような、ピュアでハレンチな大傑作。 なんか「わざとウンコの中にダイヤを隠しました」みたいな趣もないではないですが(笑)。[DVD(吹替)] 9点(2007-03-25 21:19:11)《改行有》 13. シン・シティ うーむ。 デヴォン青木は、この時点で既に《デヴォン青木》というキャラなのか。 ●追記:いや、やっぱちゃんと書く(笑)。 あれれ…? いろいろレビュー読んでみたけど、そんなストレートな話じゃないっしょ? 「愛」も「バイオレンス」もテーマじゃなくて、そういうモノで駆動する「男らしさ」が生む危険な狂気を描こうとしているんだけど、作り手側も既にその狂気に呑まれているんで公平にジャッジできる場所へ脱出できない、その身近な狂気とのナレアイ振りを正直に告白した「自分美学」なんじゃないの? そうであればこそ3人の主人公が全員、自分の正気を疑うシーンが出て来るわけでしょ(薬の切れたマーヴ、死体と会話するドワイト、メフィストフェレスもどきのイエロー・バスタードに出会うハーディガン)。これが3度繰り返されると、さすがに表面的には解釈できなくなります。もう、『深夜プラス1』のラストみたいな「若者に教訓を垂れる」という逃げ場もないので、泣きたくなるほどの惨めさですよ。 そして、最終話の(一番現実的な)決着のつけ方によって、「男らしさ」の美学が完成すると同時に、その「狂気」はどう扱われるべきかも描かれているんじゃないすかね。そういう、世間に対してへりくだる態度までが、現実には男らしい狂気の一部なんで救いようないと言えばないんですが。 きっと、中年になったらわかるよ。その頃にはある意味で、もう遅いんだけどね。『男』という社会的鋳型の内にある狂気は、『男』が完成してからでないとわからないモンですわ。 余談ながら、このテーマを「内側から」スタイリッシュに拡張したのがキューブリックの諸作(特に『博士の異常な愛情』)、「外側から」ジャッジできる地点まで引いて撮ったのがヤン・シュワンクマイエルの『男のゲーム』(まあ他の諸作もそうだ)。本作と観比べてごらんあれい。[インターネット(字幕)] 5点(2007-03-23 20:49:24)(良:1票) 《改行有》 14. 死者の書 《ネタバレ》 喜八郎に酷い点はつけたくないが、やはりここは…。 何しろやたらセルアニメやらブルーバックやらの技法が使われすぎで、「天下の喜八郎師匠がなんて事を~」と涙なしには観られない無統一な画面。音楽も安易に西洋楽器に頼りすぎ。旋法には風情があるけれど…。 問題の根は「作り込みすぎ」にあると思う。都の大路を行き交う群集、垣根を造る男たち、かしましい南家の女官たち…こんなモノをコマ撮りで全部アニメートしてたらどれだけ手があっても足りなくなる。そのしわ寄せが肝心の如来や大津皇子に集まってしまったんじゃないのか。最初に構想した画が壮大で、緻密すぎたんじゃないか…と思う。 その無残にもバラバラになった手法や、無駄に細部まで表現されたモブシーンは、それでもなお本作には必要な物だった。ラストカットでそれがわかる。この話はそもそも原作者・折口信夫が見た曼陀羅から着想され、最終的にいつらめの描いた曼陀羅を映して終わるからだ。喜八郎は映画全体も曼陀羅として、「奈良の都」という形で彼の宇宙像を完成させたかったのではないか。いや、そうする必要があったのだろう。 悲運の大津皇子が怨霊となって藤原南家のいつらめの前に現れる。学才ある彼女は経文を唱えてその邪心を押し留め、そして心に観えたものを具現化しようとして糸を紡ぎ機を織り、そこに成仏の姿を描く。即ちこれ曼陀羅…。 古代日本の土着信仰と仏教がせめぎ合う物語であり、同時に芸術の根源を描く物語。折口はどう意図したか知らんけど、川本喜八郎は万葉的で大らかな主人公に自分の創作姿勢を重ねたかったろう。 それが伝わる画面だったから、無茶を承知で作ったのがわかるから、点は低くなるがオイラはこの作品に愛情を注がざるを得なくなる。3点のマンダラだけど、10点の姿は何となく見える。その10点の画を愛するが故に、ここでは正直に、3点を献じたい。 余談だが、全体の語り口は遠い世界の物事を語るように引きに引いていて、これは上田秋成晩年の作『春雨物語』の世界に似ている。1~2話の「天津処女」「血かたびら」は薬子の乱の話で、時代も精神的な背景も本作に近い。喜八郎はきっと意識していると思うし、何より秋成と同じ場所に立って古代を眺めてこその光景じゃないのか。 できればもう一作、春雨の一編を映像化してもらえれば…と願ってしまう、我侭な自分がいた。[映画館(邦画)] 3点(2006-10-15 21:14:35)《改行有》 15. 知りすぎていた男 《ネタバレ》 発声練習やった事のある方は、自分の最大の声量が出せる音程と、普段喋っている音程が違う事を知ってると思います。大声の時は普段の声より2~3度低音。なぜなら、声帯を締めつけるような無理な力がかからない時に一番大きな声が出るから。裏を返せば、声帯が筋肉のコントロールを受けていない状態なので、その声は感情に乏しくなります。音程のコントロールも当然難しい。そして息も無駄が増え、息継ぎの間隔は短くなる。「声が大きくてナンボ」の演劇ではこういう発声方法も(まあまあ)アリなんですけど、歌の場合にはマイクを奪われるばかりか二度と歌本を回してもらえない悲しい結果になります。 ところがクライマックスのドリス・デイはどうだ。音程はまさに大音量「オンチ」ラインにぴったりフォーカス、序盤で見せた感情豊かな歌声と真逆の軍歌調でケ・セラ・セラを大絶唱! 顔もこわばって表情が消え、室内のあらぬ一点を注視し続ける。 ここで、涙が止まらなくなった。 結婚してもステージ上で歌を歌い続けたかった人物だというのは、それまでの展開でしみじみわかっていた。歌いながらののベッドメイキング、周囲に混じって教会で歌えばつい大声になってしまい(ここはもちろんコーラス音程)、そして彼女にとって悪夢の巡り合わせであるコンサート会場では、歌えない事が一瞬の大絶叫になって破裂(音楽視点から解釈した場合)。演奏を中止させる…。 そんな彼女が、某国大使たちを前に披露する歌が、なぜ感情の消えたものになってしまうのか。彼女にとって、いまや聴衆はただ一人しかいないからだ。その耳に届くためには、この歌い方しかないからだ。だから、ほら、この息が短くなるのを計算したブレスの素晴らしさ! 最後まで揺れのない安定した声量! 歌手としての技術の全部を注ぎ込んだ、だがステージで聞く事は絶対にない、この物語の中でしかあり得ない、プロとしての歌声。 彼女はこの後も一生、たぶん、ただ一人の聴衆のためにしか歌わないんだと思う。彼女がいつその覚悟をしたのかはわからないけれど、それを感じさせるほどの揺るぎない安定感が、あのシーンを貫いている。 学生時代にテレビで見た時には「へへーん」と鼻クソほじりながら観ていた映画だけど、気がつけば今回は涙がボタボタ落ちてズボンを濡らしていました。よくここまで泣いたもんだ。しかも『アンデッド』を観た直後なんすけどね…。[地上波(吹替)] 9点(2006-08-11 21:27:58)(良:3票) 《改行有》 16. 白い恐怖(1945) うーん、名のみ高くて、かな~り前衛な風景の映画を想像してました。が、一番衝撃だったのがショボショボのスキー場面…ある意味ダリの手がけたシーンを打ち消すくらいに前衛でしたよ。 あっ、悪口書いちゃったけど、面白かったですから! ホントホント! もう怖くてスキー場行けませんから!←ホントか[インターネット(字幕)] 6点(2006-07-29 04:27:27)(良:1票) 《改行有》 17. ジャンヌ・ダルク裁判 気にも留めてなかったメルギブの『パッション』だけど、内容を聞いてからは猛烈にレビューしてみたい。してみたいが、サスガにソノ内容では見る勇気が…というワケで、代わりに同じ宗教映画でも対極の演出方法であるブレッソンの『ジャンヌ・ダルク裁判』をレビューしときます(笑)。 『スリ』では演技だけを否定していたブレッソンですが、本作では演出までも否定。監督としての仕事を放棄してるようにすら見えてしまう恐ろしい作品。動かないカメラ、棒読みのセリフ、平板な照明、ノーメイクで腫れぼったい目の主役、ちっともモンタージュしてないカット割、さらには音楽なし、演技経験者なし、カラーなし…。カタログスペックだけなら『死霊の盆踊り』級ですよもう(あ! 盆踊りはカラー作品だぞ (^^;)。「観客をなめとんのかーっ!!」という声が聞こえてきそうだけど、ブレッソン監督による強烈な作為の否定が全編を貫いております。恐ろしいまでの徹底ぶりです。攻撃対象はもちろん、「映画の教科書」と言われる、カール・ドライヤー監督の名作『裁かるゝジャンヌ』。真っ向から、全力で、かの名品にツバを吐きかけウンコまみれにして踏んづけてポイしてしまったブレッソン監督の冷厳な怒りが、映画を見終わる頃にはさすがに腹に沁みてオナカいっぱいになってしまいます。「創作しちゃダメなんだ。色付けせずに、素材をそのまま提供しなければ、ただの見世物になっちまうんだ」という監督の声が聞こえてきそう。彼と前後して活動を始めるアンディ・ウォーホルが同じ手法で、もっと過激な撮り方をしたのを思えば、ブレッソンの歩んだ道は彼一人のモノではないはずです。近年では同じ視点に立って『ブレアウィッチ・プロジェクト』が作られてますし。観客の目を意識した、エンターテインメント/ショービジネスに立脚する創作活動を徹底して否定したこの映画の潔さは、かえって観客の脳を働かせて、ジャンヌが持っていた「信仰」に対して冷静に想いを巡らす事ができるようになります(そう、映画の中では彼女の信仰もとことん裸にされて行く)。これは、「野にあるように活けるべし」と華道の極意を語った千利休に似た、全てを削ぎ落とした究極の「作品」なのです。日々の暮らしの中で立ち止まって、創作の何たるかを考えてみたい人には絶対のオススメ品(確かにシロウト向けじゃないですが)。 ●2006/7/23:ムシェットと同一点に下げ[DVD(字幕)] 9点(2006-02-25 18:58:10)《改行有》 18. THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に 《ネタバレ》 今は昔、レーザーディスクで鑑賞。押井はただの職人だと思ってるオイラですが、本作の庵野はシュールレアリスト。本人に自覚はないと思うけど(自覚があったら『キューティー・ハニー』なんか受けないでしょー)。シュールレアリストだから観客の感情を逆撫でするのは当然仕事の内だし、悩ませ、困らせ、引きずり回すのも仕事のうち。TV放映以前からヤン・シュワンクマイエル慣れしてるコッチとしては、コレが大変心地よい不協和音なんですな。ラストは気持ちよくブチ壊してくれるのを期待してたんだけど、TV最終話ほどの大仕掛けは打てなかったようで、割と小ぢんまりした締め方になっちゃった。劇場版がTV版に負けてどーするよ…え? 劇場は観客を動員できないといけないって? あっそう…。庵野氏には、いつかシュールレアリストとして目覚めて、自由度の高い短編アニメのジャンルに踏み入って欲しいもんです。この映画のポテンシャルが30分に圧縮されたとしたら、かなりの悪夢が生み出せるぞぉ…「そういう輩はTV版で満足しとけ」って? まあそうだね…失礼しましたァ。[ビデオ(邦画)] 7点(2006-02-19 10:24:18) 19. ジャッカル 《ネタバレ》 ぎゃっははははあぁん~っ!o(>▽<)o" いま goo 映画情報で、この映画の解説(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD30864/story.html)を読んでたんですが、お、お、おかしすぎるぅ~! 腹がよじれる~! 『はたしてジャッカルの究極兵器が演壇を襲うが、夫人は間一髪で無事』とか、なんじゃその究極兵器って! あの目立ちまくりマシンガンがキューキョクだったんかよ! 凡作のあらすじを何とかして読めるものにしようというライターさんの苦闘の跡が笑いにまで昇華されてしまって、もはや手のつけようのない駄作であるコトの逆証明みたいになっちゃってます。でも、製作者の意図はわかんなくもないんですよね。『ジャッカルの日』がリアルな展開、抑えた演技・演出の傑作だとすれば、これをハリウッド流儀でバリンバリンに改造してゴージャスな展開、派手な演技と演出にしてやれば「もっと素晴らしくなる(…と製作の誰かが言ったに違いない!)ではないかーッ!」。んなわきゃないのは皆さんご存知の通り。ハリボテの展開と男臭い(=頭悪い)演技・演出で、滅多に見られない勘違い企画に…その象徴があの『究極兵器』なんだとすれば、確かにあれって本作の全てをあらわしたバカアイテムなのかもしれないですねえ(確かに試射のシーンだけはオリジナルとのギャップに笑ったけどさ)。やるなら、ブラッカイマー製作の映画くらいもっと男臭く(=頭悪く)、もっと豪快に(=大風呂敷に)、徹底してやったらんかい! 世界一の暗殺者が日本車に乗っても全然ゴージャスじゃないぞ! その昔から、暗殺者はアルファロメオに乗って潜入すると相場が決まっとるんぢゃあ。…なお goo 映画情報によれば、本作は『ジャッカルの日』との関係を一切明示していない(クレジットしていない)とのコト。まあアレじゃ、「リスペクトです」とタランティーノみたく胸を張る事すらできんわなああぁぁ(苦笑)。[映画館(字幕)] 2点(2005-12-29 06:43:36)(笑:1票) (良:1票) 20. シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック 《ある意味ネタバレ》舞台でのマジックショーに様々な特撮を施して「何がなんだかわかんないけどスゴイ」的勢いで押し切ったヤンのデビュー作。上映会があるたびに足を運んで何度も見たんだけど、何年か前DVDが出たときにですね、もう速攻で買ったワケですよ。で、昔から気になっていた本作の豪快な特撮の秘密を解き明かそうと、じ~っくりとコマ送りでチェックしたワケです。「ひぇ~! フィルムに書き足ししてるよ!」「あーコレはフィルムに写った黒子を塗りつぶしたのね」…そう。ヤン爺さんの特撮は、ひとコマひとコマフィルムに絵の具で『描いて』たんです。シーンによっては筆の跡までわかります。この作品、操演している黒子がキレイに消去されてますから、おそらく半分以上のフィルムに手が入っていると思います。コマ撮りの忍耐力だけでもスゴイのに、ポストプロダクションにかけるパワーも尋常じゃないよ。若き魔術師ヤンの贈る、セルアニメとは違った意味での《動くグラフィック・アート》。[映画館(字幕)] 7点(2005-04-22 17:26:32)(良:1票)
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