|
プロフィール |
コメント数 |
13 |
性別 |
|
自己紹介 |
映像好き、音楽好きでしたが、ここ数年は生活の変化もあり、これらの息吹に触れる機会が極端に減ってしまいました。しかしこのページを知り、かつてコンサートや映画館に出入りしていた自分を改めて発見したような、少し若返ったような気分になりました。再び映画や音楽と戯れてみるのもいいかなあ。 |
|
1. スパイ・ゾルゲ
《ネタバレ》 あのゾルゲ事件を映画にするとは、タブーに挑戦、掟破りである。よくやった。恐れ入った。しかしである。ドイツ大使館やクレムリンで英語が話されていたとは知らなんだ。これではまるで英会話教材、興ざめであった。昭和の町並みを再現するためにCGを多用しており、その考証は見事。これがこの映画の売りの一つでもあるが、映画会社というものは、一体何時になったらCG使ったなどとわざわざ言わなくなるのか。不完全な技術をこれ見よがしに誇示するのはいただけない(CGを否定しているわけではありません)。ストーリーも取って付けたような箇所が多すぎ、散漫なのが気になる。それはきっと、エピソード的な小咄と、映画全体の展開を支配する要の話が同じように描かれているためであろう。製作者としてはゾルゲとその時代を多角的に扱いたかったのであろうが、もっと狙いを絞り、時代背景の説明カットは最低限に留め、むしろ観客の想像力をかき立てるような作りにすべきであった。他にもドイツ大使の奥さんとどーしたこーしたの話、近衛文麿の自殺や、老いたゾルゲの元ガールフレンドがベルリンの壁崩壊を眺めて独り言をつぶやくシーンなど、時間稼ぎとしか思えないような無駄なシーンも多かった。だが一番の問題は最後のロール場面。なぜイマジンをこの作品のエンディングに持ってこなければならなかったのか。平和を願っていたゾルゲ(映画製作者の解釈)→平和→イマジンという考えに基づいたとすれば、それはあまりに幼稚な選曲である。このような映画を観たいという知識と好奇心を持った観客がこの程度の演出で唸るとは思えず、むしろ不満を覚えることであろう。本作はこれまで誰も撮らなかったテーマであるため随分期待したが、邦画にありがちな幕の内弁当的な展開になってしまったのは実に惜しい。惜しすぎる。これが邦画の限界なのだろうか。あるいは戦後60年近く経った時代の産物に過ぎないのだろうか。
・・・竹中直人の東条英機には笑わせて頂きました。 鏡に映ったスターリンがCGだったのには脱力。せめて岡田真澄に演じて欲しかった。3点(2004-10-02 21:21:39)(良:1票) 《改行有》
0 | 2 | 15.38% |
|
1 | 0 | 0.00% |
|
2 | 2 | 15.38% |
|
3 | 2 | 15.38% |
|
4 | 0 | 0.00% |
|
5 | 1 | 7.69% |
|
6 | 0 | 0.00% |
|
7 | 1 | 7.69% |
|
8 | 2 | 15.38% |
|
9 | 1 | 7.69% |
|
10 | 2 | 15.38% |
|
|
|