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1. スティング
敵討ちの物語で、それも人種を超えて仇を討つ話になっているところが、60年代末から続く70年代初頭の社会的気分だったのだろう。映画の中は30年代で、屋内シーンでも窓の外で30年代をやっている。ベトナム戦争からアメリカが手を引くころで、同時代にウンザリしていたアメリカ人は、理想郷をそこに見たようだ。偽のノミ屋を設営するあたりが眼目、そこらへんの楽しさは映画のメイキングを見ている楽しさと似ている。ホンモノのようなセットが組み立てられて、エキストラの人選が行なわれ、スタートの掛け声でニセモノがホンモノっぽく動き出す。映画の楽しさとは「騙されること」なのだな、と改めて思う。役者ではR・ショウとP・ニューマンがよく、彼は酔い潰れて登場することが多いな。見事なカードさばきを見せた最後にクショクショとしくじるあたりが彼の味。本筋の話はスマートなのだが、映画としてはいささか枝毛が乱れているようなところがあり(たとえば殺し屋との絡み)、もうちょっと刈り込めたのではないか。[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-08-31 09:59:11)
2. 彗星に乗って
例の銅版画風タッチはやや控え目ながら、すっとぼけた語り口の妙には、やはり乗せられてしまう。一つの都市ごと彗星の引力に引っ張られて移ってしまうという設定からして、そうとうオカシイ。バラバラになって吸い上げられた建物が、また順番に積み上がっていくのが傑作。そのまま日常生活が何となく続いてしまうのがオオラカでよろしい。なんでも原作では女性を巡る二人の男の争いが話の中心になっているらしいが、それが映画では国家の争いに拡大され、そのぶん人間の演じる愚行に対するおかしみは倍化された。植民地支配を正当化したがる者に向けられた、東欧の視点。進化して後ろ足で歩いている魚がやがてイノシシになっていく。火星が近づいて世界の終わりになるというときに、一時的にユートピアが訪れるというあたりの風刺。海蛇の胴体がうねうねと続いているシーンの静かな美しさは、彗星に吸い上げられるシーンの激しい美しさと好対照。この人の奥行きのない世界は、影絵の世界に近いのではないか。崖から主人公が落ちるとことか、城壁からロープでヒロインを下ろしていくシーンなんか、影絵の雰囲気。一枚の絵葉書にすべてが還元していく締めくくりで、変なところもすべて納得してしまう。[映画館(字幕)] 7点(2010-05-19 11:59:50)
3. スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー
《ネタバレ》 原付をさっそうと走らせてると自転車に追い抜かれていく、などスケッチのみずみずしさはいいんだけれど、ちと若さに迎合し過ぎてやしないか、と半ば反発しつつ前半は見ていた。酒と煙草と恋の日々なんてけしからん、と若さへの嫉妬半分。少女のほうも、大人の美人を小型にしたようなヒロインで、少女ならではの妖しさに欠ける、と不満たらたらだった。ところがラストに至って、それまで背景の人物と思われていた少女のお父さんが急に前面に出てくる。どちらかというとベルイマン映画にふさわしいような偏屈なキャラクターで、それまでも男の子にギターに関して問い詰めるあたりの描写がすごかったんだけど、その彼が呪詛を吐き散らしながら湖畔をさまよい歩く。皆が彼を探し回る。角笛のような音楽(というか音響効果)も素晴らしく、このシークエンスの映画としての純度の高さに目を見張った。どんな嫌われ者も心配してくれる人がいる。これが前半の、ウブな恋人たちを心配して引き合わせてくれる仲間たちのシークエンスと呼応し合い、破天荒な構造でありながら、けっこうしっくりとまとめ上げているのだ。[DVD(字幕)] 7点(2009-04-07 12:00:45)
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