|
1. ゾンビ革命~フアン・オブ・ザ・デッド~
《ネタバレ》 “ゾンビ世界めぐり”を志しているわけではないが、変わった国のゾンビ映画が目につくと見てしまう。イスラム圏初の『パキスタンゾンビ』とか、最近では(イギリス製だが)アフリカものもあった。「世界はゾンビで一つ」の思いが深まる。やってることはだいたい同じなのに、風土が変わることで、微妙に映画の表情も変わるとこが味わい。で今回は共産圏から参加。まずこういう映画が作られ得ることに驚いた。検閲はないのか? 「米帝国の陰謀による反体制運動」と報ずる国営放送など、平気でおちょくっている。壁のスローガンも笑いの対象。中国では作れまい。ゾンビ蔓延する街が海で限られてるとこが一番キューバらしさで、すぐに現状と重ねて思うが、それほど逃走に切迫した意志は感じられず、ダラダラとアパートの屋上から状況を眺めているのが、とりあえず食うに困らない島国で安穏に暮らしたい気分と通じる。若者たちはマイアミを目指すが主人公は国にとどまる決着は、ガス抜き映画として当局も認める落としどころだろう。手錠で一列につながれている端からゾンビになって齧られていくのがおかしい。広場でうごめくゾンビたちをちょん切っていく手段がユニーク。[DVD(字幕)] 5点(2013-06-26 09:31:04)(良:1票)
2. ゾンビ大陸 アフリカン
ゾンビ映画最初のころは、なぜ死者が蘇るのかいちいち説明してたよな。化学物質による汚染だったり、特殊な宇宙線の照射だったり、「科学的」な説明が付いていた。そのうち面倒になったのか、見るほうも「そいうのはいいから早くやれ」という無言の圧力を強めたのか、最近は自然現象のように死者が蘇ってくる。ゾンビ映画という世界中で作られるジャンルが一つのシリーズもののように、後続は細部を説明しなくなった。これって映画史的に見て珍しいことなんじゃないか。自然現象となったゾンビ発生は、とうとう人類の故郷アフリカにまで広がった。主人公が白人男性なので、なんか植民地時代の差別観が根底に来るかと思ったが(海岸で襲われるあたりは「人食い土人の島への漂流もの」をほうふつ)別にそうでもなく、今はアフリカなら内戦多発地帯ということで、死体がごろごろしてるのが自然なんだ。昔風のゆっくり歩くゾンビが嬉しく、主人公の車がエンコしたりすると、近所の村人たちが暑さしのぎに散策してるような感じで、ジワジワとやってくるのが風情。グチャグチャドロドロの描写はあるが、全体爽やかなサバンナの風に吹かれていて、腐臭が漂う感じがない。湿度が低い。腐肉をあさる猛獣や猛禽類の存在を思うと、早晩ここのゾンビは絶滅するのではないかと心配だ。[DVD(字幕)] 5点(2013-05-02 09:45:12)(笑:1票) (良:1票)
3. ソーシャル・ネットワーク
D・フィンチャーの新作を観てみる、というより、「フェイスブック」ってものが分かるか、という興味のほうで観た。“アラブの春”のとき、ニュースや新聞でさかんにフェイスブックについての解説はあったが、も一つよく分からなかった。プライバシーにうるさい社会で、自分をサラケ出すような仕組みがヒットするのか、という点が疑問だった。映画はそれの成立の話で、中身はやっぱよく分からない。ネットのバーチャルな世界という安心感からサラケ出せるのか、あるいはそれほどまでに現代人はつながりたがっているのか、そこらへんのほうが面白そうだったが、なんせ旧世代の人間なので、とんでもない勘違いをしているのかもしれない(でも考えてみればこのサイトだって、映画をダシにして自分をサラケ出したがってる面があるようでもあり…)。この映画をちゃんと味わうには、私は基本知識が欠如してたよう。21世紀の『市民ケーン』と観たが、それでいいんでしょうか。ラストの味わい(エリカ)まで含めて。今までの映画だったら単純に対比されるものが、微妙にズレて向き合わないところが面白かった。主人公のネットかじりつきオタクとボート部の上流階級。きれいに対比されそうなものが、現代では単純な対立物になれず、適度に噛み合ってはズレていく。そして主人公はどんどん裏のほうへ・虚のほうへ掘り進んでいく感じ。何も創造しない虚業と言えば虚業だけど、でもそれが“アラブの春”という現実の変革の立役者になったところに、世界の在りようの「単純でなさ」をしみじみ感じた。私にはもう実感として理解できない世界だが、たぶん21世紀初頭の記録として残る作品となるんだろう。ビートルズの“ベイビーユアラリッチマン”が流れたところで旧世代の人間は、これなら俺の守備範囲内だ、と嬉しかった。[DVD(字幕)] 6点(2012-01-29 10:28:20)
|