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1. 月に囚われた男
《ネタバレ》 一般的な評価も高く、賞も受賞しているようだが、個人的にはハマることはできなかった。
良い設定のアイディアがひらめいたが、それを上手く発展させることはできなかったという印象も受ける。
エンターテイメント性を重視せずに、精神的な世界を描こうとしたことが自分には合わなかったのだろうか。
SFファンを楽しませてくれそうな小ネタや不可思議な設定が満載だが、あまりそういったことにも深い関心はない。
3年という労働期間が、彼らにとっての寿命なのか、月面作業による肉体崩壊(宇宙では骨がボロボロと聞いたことがある)なのかどうかも、何故ロボットではなくてクローンが働かされるかも、何故韓国企業なのかも、自分にはどうでもよい話だ。
クローンの悲哀のようなものは見ていても面白みには欠けた。
もちろんクローンではなくて、生身の人間の姿が投影されているとは思う。
単身赴任で何年も家族に会えないサラリーマン、会社で酷使されて使い者にならなくなったらポイ捨てされる労働者などといった、実際の生身の人間の悲哀のようなものを投影しているようには思えるが、上手くまとまっている印象はない。
ラストで「俺たちは人間なんだ」って言われても、あまりグッとは来ないが、コンピューターシステムのガーティがサムの味方をすることを考えると少し感じるものもある。
ガーティは何代もサムのクローンを見守ってきて、サムに対して友情に近い感情を持ち始めたのではないかと思う。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-09 12:36:44)(良:2票) 《改行有》
2. 椿三十郎(2007)
《ネタバレ》 オリジナルは未見。“黒澤映画を知らない世代”である自分がオリジナルを観ずにリメイクを観ることで、他の人とは違う感じ方や、他の人とは異なったレビューができるのではないかと考えたため、鑑賞することとした。一言でいえば、“普通に面白い”というところか。角川映画の変なところにチカラが入った気合が、逆に新鮮に感じられる。
織田も相当気合が入りまくっており、彼のキャラクターには魅力を感じられた。
しかし、「ものわかりが良すぎる」のが欠点だろうか。
「鞘に収まらない刀」という設定の割には、彼は「いい人」過ぎる。
外見は粗暴であるが、中身はそれほど悪い人ではないというところまでは同意できる。
しかし、本質であるコアな部分は「鞘に収まらない刀」であるということをきちんと描いて欲しかった。
切りたくなくても人を切らざるを得ない性分、争いごとに巻き込まれて困惑するのではなく、争いごとにクビを突っ込まざるを得ない性分を描いてこそ、「鞘に収まらない刀」なのではないか。
残り9人に慕われるのではなく、最後の最後には残り9人から嫌悪されるようになってこそ、本作の深みが増すような気がする。
エンドクレジット中に背を向けて一人歩く彼の姿に、彼の孤独がみえない。
“狼”はいくら頑張っても“羊”や“兎”にはなれないという孤独があってもよかったのではないか。
単なるヒーローモノとしては“普通に面白い”が、“傑作”にはなり得ない作品だ。
気になったのは「織田と豊川の対決時の風の音」だ。
二人の対決時の効果音として、「風の音」「草木が揺らめく音」などが盛り込まれていた。
この演出自体は緊張感を高める効果としては悪くないと思うが、肝心の“風”がほとんど吹いていないのが問題だ。
なぜ“風の音”の演出が必要かというと、最大のクライマックス時に“まったく音がしない”という演出をしたいがためである。“まったく音がしない”という状況を効果的に描くためには、何かの“音”を立てる必要があった。そのため、何かの“音”を立てるという演出自体は、理にかなっていると思うが、プロとしてとことんこだわるのならば、きちんと“風を待つ”という姿勢が大事なのではないか。
人をいくら切っても血が出ないことにはまったく違和感を覚えないのだが、こういう部分には違和感を覚えてしまう。[映画館(邦画)] 6点(2008-01-05 17:38:57)(良:2票) 《改行有》
3. つぐない
《ネタバレ》 素材自体は悪くないが、ココロに訴えてくるものがまるでない。
したがって、評価は下げたい。
素材はいいので、一流の演出家ならば、もっと泣ける作品に仕上げることはできたはずだ。
何を描きたいのかが明確になっておらず、散漫としているのが残念である。
本作のメインに当たる部分は、何よりも“虚構”の世界ではないだろうか。
「つぐない」の本当の意味を考えると、ここにもっと光を当てないと何も意味はなさないと思う。
もし、自分が脚本家ならば、現実の世界よりも、虚構の世界をメインに組み立てたい。
ロビーが浜辺で眠りについた後は、「ロビーがイギリスに戻り、セシーリアの元に帰ってきて、彼らが再開するシーン」を感動的に描きたいところだ。
「わたしの元に帰ってきて」というのがセシーリアの一番の願いだったからだ。
そして、「彼らが海辺の家で幸せに暮らしているところをブライオニーが訪れ、贖罪を求めた後に、二人に許されるというシーン」をきちんと描きたい。
しかしながら、許された後に、ブライオニーが老人となった“現実”の世界に戻ってしまい、実際の真相・顛末を語るというのが普通に考えられる筋書きではないか。
“現実”の世界よりも、“虚構”の世界こそメインにならなくてはいけない作品だ。
今まで見てきた世界が現実の世界ではなく、ブライオニーの考えた創作の世界だと知れば、観客は驚きを隠せないだろう。
そして、「つぐない」の本当の意味を知るはずだ。
イアン・マキューアンの原作は読んでいないが、そういう趣旨を込めた作品だと思う。
本作では微妙な感じで終わってしまったが、個人的には、“虚構”の世界なのだから、ブライオニーは二人に許されてもよいのではないかと思う。
彼女はつぐなったのわけだから、それは報われてもよいはずだ。
死を目の前にして、二人に許されれば、彼女もきっと安らかに眠れるのではないか。
ただ、“浜辺での長回し”や“窓際で二人がキスをする部分を映しながら、ブライオニーが立ち去る部分を描く”など、映像的な部分においては見応えがあった。
ジョー・ライト監督の前作「プライドと偏見」においても、美しい背景を上手く利用する才能は際立っており、その点だけは評価できる。[映画館(字幕)] 5点(2008-04-14 00:32:51)《改行有》
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