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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  トランスフォーマー/リベンジ どんなに眉間に皺を寄せても前作の記憶を呼び起こせず、どうやって教室の日陰廊下側男子と日向窓側後方女子が結ばれたのかとか謎だらけで、自分は本当に前作を見たのか自身を疑ったが、兎に角本作を見ようとIMAXデジタルシアターに駆け込んだ。 通常のDLPよりは輝度もありコントラストも高く、そのせいもあってか通常のDLP上映時のピント合ってんのプロジェクターという疑念も浮ばず見ていたが、何故前作の記憶を喪失したのか理解した。それは自分には責任はなく、明らかにマイケル・ベイの責任だった。こんな阿呆らしい映画覚えてるわけない。 しかしそれと同時に前作がマイケル・ベイの最高傑作だと思ったことを思い出した。 とにかく爆発、爆発でぼーん!ばーん!どーん!ってそればっかで笑った。ちまちました銃撃戦よりぼーん!ばーん!どーん!ってやってる。爆発の数は史上最高だ、きっと。 それにしても長い、と思っていたが、最後、サムがオプティマスに辿り着くまで、たった数キロの距離をあそこまで時間をかけて描く馬鹿はマイケル・ベイしかいないと半笑いになった。だからやはりこれもマイケル・ベイの最高傑作だと思った。 彼は少し変だ。少なくとも物語に興味がない。人間というよりは動物としての本能を曝け出したような主人公が爆発する中を走って叫べばいいと思ってる。オバマはシェルターの中に放り込み、米の陸海空軍総動員でとにかく当たって砕けろ、なんとかなるさっていう能天気加減が素晴らしい。最後のシルエットみたいなシーンの連続は彼の映画ではもう飽きるくらいに見た。でもそれはそれで良い。愛などを表現をしたい時にはストレートに羞恥心もなく、これかっこいいでしょ?みたいな軽い感じでああいうのを撮っちゃう。すべてがそんな感じだ。純真過ぎる子供みたいに。 この人の映像やVFXの使い方は徹底している。それは必ず良く晴れた青空であり、VFXの背景は必ず実写で撮っている。フランスだかもピラミッドや森も、すべて実写で撮って(しかもピラミッドと森はIMAXカメラで撮影してるし)、その上にCGをのっけている。これをずっとやってる人は彼くらいだ。 この映画の凄さは、はっきり言って、マイケル・ベイのあまりの変貌の無さだ。そしてただこういうかっこいいのを撮ろうという意気込みだけが充分に伝わって来くる。それがむしろ爽快だ。[映画館(字幕)] 6点(2009-06-30 10:37:33)(笑:1票) 《改行有》

2.  トウキョウソナタ 《ネタバレ》 映画で人が走っている瞬間は素晴らしい。 この映画の主人公三人は、もう一度やり直したい、どうすればこの柵から抜け出せるかということをきっかけに、唐突に走り出す。 オープンカーの屋根を開けることで女の決意となった瞬間の美しさや、妻に見つかったことでの後ろめたさで狼狽する醜さや、大人に対する嫌悪感や子供であることの無力感、それらが一気に膨れ上がり映画そのものも走り出す。 そして彼らは「どこか」に向かう。家族という社会での最小単位のコミニュティから、救いがあるかもしれない「どこか」に辿り着くために外へ出る。しかし小泉今日子演じる佐々木恵が目にしたものは、海であり、海の向こうには陸だか船だかそれがあるのかもわからないくらいにまだ海が広がり続ける。 結局、三者とも、どこかに辿り着けそうで、どこにも辿り着けないのだ。 実際に存在したかもわからない橙色の光を見つめ涙したり、一度は死んでみたり、子供ながらに大人と同じ扱いを受けてみたり、果たしてそれが何か救いになるのか。 そして彼らは結局もとの位置に戻るしかないのだ。 恵は、自身を傷つけようとしている役所広司演じる泥棒に、最後に信じられるのは自分自身でしかないと言う。 井川遥が演じるピアノの金子先生は離婚するのだが、もともと他人だったのがまた他人同士に戻ったと言う。 所詮、個人は個人、他人は他人に過ぎない。自分ですらもうひとりの他人である。しかし一番信じられるのは自分でしかない。 この三人は静かに自分を信じ始めたからこそ家に帰り、お母さん役が作った朝食を食べたのだ。 確かに個人は個人で、自分の悩みなど自分で解決するしかないのだし、家族と言っても所詮は他人同士のコミュニティだ、でも違うんだよ、そうなんだけど違うじゃん、それだけであって欲しくないじゃんという、前向きな希望があの象徴的なラストシーンにはある。 それこそが救いだろう。許しや救いというのは愛の中にしかない。あの愛情に溢れた(ように見える)家族は陽の当たる中を、カーテンがたゆたうほどのそよ風に乗りながら、そうだけどもそうだけであって欲しくないじゃんというアカルイミライへ歩んでいくのかもしれないし、あるいはそうじゃないのかもしれない。 しかしながら、すべてはあの海だ。あの横一直線に光る白波と小泉今日子、そして朝日を目一杯浴びる。まるで生き返っていくようだ。[映画館(邦画)] 9点(2008-12-31 23:59:22)(良:3票) 《改行有》

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