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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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【製作年 : 2020年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  ドミノ(2023) 《ネタバレ》 「インセプション」や「マトリックス」をはじめ、“既視感”は否定しないけれど、ロバート・ロドリゲス監督らしい良い意味でも悪い意味でもB級テイストに振り切った映画作りには潔さを感じるし、好感が持てる。 巨匠監督の作品や超大作に出演すればしっかりと存在感を放つ役どころを演じる一方で、こういうジャンル映画でもある意味きちんとそのレベルに合った主人公像を演じるベン・アフレックは、やっぱり信頼できる映画俳優だと思う。 娘の“眼力”一発で、すべてを納得させてみせたことで、このトンデモ映画はちゃんと成立している。[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-28 00:10:35)《改行有》

2.  トムとジェリー テレビ放映を子どもたちが観ていたので、一緒に鑑賞。“金曜ロードショー”をまともに観るのも何年ぶりだろうか。 「トムとジェリー」は、自分の幼少時はもちろん、子どもたちが生まれた頃からよく観ていた。 言葉がわからなくとも、言語がわからなくとも、映し出されるコメディがただただひたすらに面白い。 それが、このアニメが世紀を越えて愛され続ける要因であることは明らかで、僕も子どもたちも、破茶滅茶で愛くるしいネコのネズミの狂騒劇に大笑いし続けてきた。 アニメーションと実写が融合して映画化された本作も、その狂騒劇の真髄はいかんなく発揮されており、真っ当に面白かったと思う。 実写映像の中にアニメのキャラクターが登場する作品は幾つも制作されてきたと思うが、よく考えれば「トムとジェリー」ほどその手法に相応しい作品も無いように思う。 マンハッタンの一流ホテルを舞台にして、ビル群と人間世界の中で、所狭しと大騒動を繰り広げる様は、言わずもがな娯楽性に溢れていた。 ストーリー展開自体はベタすぎるほどベタだったが、主演のクロエ・グレース・モレッツの愛嬌も手伝って、愛すべきファミリームービーに仕上がっていたと思える。 これからもいくつもの時代を越えて、彼らが仲良くケンカする様を見続けたい。[インターネット(吹替)] 7点(2023-02-19 07:11:20)《改行有》

3.  トロール 《ネタバレ》 北欧の寓話に登場する“トロール”が、現代のノルウェーに出現してパニックを引き起こすというプロットを半笑いで見ながら、一体どんな映画だと懐疑的に鑑賞を始めた。 が、割と早々に本作の立ち位置は判明する。 ああ、なるほど、これは北欧ノルウェー産の“怪獣映画”なんだなと。 想定外に真っ当な怪獣映画であったことは、嬉しい驚きだった。 「ゴジラ」シリーズをはじめとする日本が誇る特撮映画を愛好してきた者のとしても、本作には充分に楽しみがいのある“特撮精神”の心得があり、日本の特撮に対するリスペクトも存分に感じられた。 無論、本作そのもののクリエイティブに特撮技術が用いられているわけではないけれど、きっとこの映画の制作陣は、日本の「ゴジラ」や、ハリウッドの「キングコング」を愛し、憧れているのであろうことはしっかりと伝わってくる。 そういうリスペクト精神を前提として、北欧の寓話や神話ではお馴染みの“トロール”を、未知なる巨大生物として描き出し、ノルウェー産怪獣映画に仕上げてみせたことはユニークだったし、独自性のあるエンターテイメントを生み出していたと思える。 また、個人的には、おそらく初鑑賞だと思われる“ノルウェー映画”に対する新鮮味も感じられることができた。 どこまでリアルなのか分からないが、ノルウェーの国防総司令部的な施設が洞窟を利用した秘密基地みたいな場所だったり、広大な自然環境や、公用語であるノルウェー語の響きの新鮮さだったりと、随所に垣間見える“お国柄”が、なかなか馴染みの薄い国の映画らしくで印象的だった。 ストーリーが収束する最終盤に至るまで、独特の雑多感も含めて楽しい映画だったことは間違いないし、最後の最後まで自分の中での高評価は確信されていた。 が、しかし、最終的な物語の帰着と、登場人物たちの言動の描かれ方が、ラストあまりにも残念だった。 人間のかつての蛮行や、現代の人間社会の自然破壊に起因して、目覚め、怒りの進行を展開するトロールが、太陽の光を浴びて絶命するクライマックスの展開自体は極めて良かった。 それは、「ゴジラ」や「キングコング」など、怪獣映画史の数々の傑作を踏襲するものであり、王道的とも言える描写だったと思う。 だが、それを目の当たりにした人間たちの描写があまりにもお粗末だった。 大怪獣の悲しい最期を見て、人間たちが自分たち自身の過ちを認め、悔い改めてこそ、映画的な余韻が深まるというものだが、本作のノルウェー人たちはそういう感情がほぼ皆無で軽薄に見えて仕方がない。 せめて主人公だけは、浮かれる人々の中で、悲しみに沈むなり、虚無感を感じるなりの描写で終わってほしかった。 そういう人間たちの情感も“お国柄”と言ってしまえばそうなのかもしれないが、もう少しで愛すべき怪獣映画として記憶に残りそうだっただけに、ラストの数カットのせいでそうならなかったことが、ただただ残念だ。[インターネット(字幕)] 6点(2022-12-24 17:45:53)(良:1票) 《改行有》

4.  ドライブ・マイ・カー 僕は、コミュニケーションが上手くない。 決して「嫌い」なのではなく、上手くない。 日々の生活の中で、伝えたいことはあまりにも多いのに、それがあまりにも伝わらない。 そういうことが、ストレスや、怒りになってしまって、結果、コミュニケーションを避ける傾向にある。 幾つもの異なる言語が飛び交い、表現方法が入り混じり、過剰なまでの間接表現を散りばめてこの映画は紡ぎ出されている。 村上春樹の原作は、未読だが、作者の独特の文体とそれが織りなす物語の世界観も、この映画の或る種異様な空気感に直結していると思う。 この映画の中で繰り返し繰り返し表現されている通り、そもそも自分以外の人間のことを完璧に理解することなど不可能。 コミュニケーションの肝とされる「会話」にしたって、果たしてどれだけ相手のことを本当に理解できているか分からない。 劇中の演劇練習でも語られていた通り、世の中のすべての会話も、ただ自分の意思を一方的に伝えるための“きっかけ”に過ぎないのかもしれない。 多重言語による奇妙な作劇、セックス後の断片的な物語創造によってかろうじて関係を繋ぎ止めてきた或る夫婦、鏡越しに発覚する裏切り、車の中での直接目線を合わせない会話……。 映画を彩るすべての要素は、この世界における残酷なまでの行き違いと、コミュニケーションそのものの困難さ、そしてそれでも相手のことを知ろうとすることの重要さを物語っていた。 「本当に他人を知りたいなら、自分自身を見つめるしかない」 結局、本当のことを知り正しく理解できるのは、自分自身のことでしかない。 それは時に、億劫で、怖くて、困難なことだけれど、それをしなければ、伝えたいことが相手に正しく伝わることはないのだろう。 僕は、コミュニケーションが上手くない。けれど、自分自身のことを見つめるというプロセスは、人生においてとても大切だと思っている。今一度、自分が何を伝えたいのか、そのために何ができて、何をすべきなのか、少し落ち着いて考えていこうと思った。 幾重にも重なる多重表現、間接的表現は、必然的に映画の尺を長くし、テンポを鈍重にしている。 映画的な表現として、上手い映画だとは言えないと思うし、すべての人が正しく理解できる映画だとも思わない。 ただ、その長い長い鈍重さと、そこから生まれる分かりにくさや、もどかしさ、そして不意に訪れる人間の再生。それらをすべて含めて、3時間身を委ねてみる。これはそういう映画だと思う。[映画館(邦画)] 7点(2022-12-15 22:23:34)《改行有》

5.  トップガン マーヴェリック トム・クルーズがトム・クルーズであることを貫き通したことが、また一つアメージングなエンターテイメントの傑作を生み出したのだと思う。 そう断言してしまっていいくらい、本作にはトム・クルーズという“映画人”の生き様が凝縮されている。 そしてそれは、世界中のすべての映画ファンにとって、幸福で、最高な「映画体験」をもたらしていると思える。 1986年のオリジナルから36年、多くの映画ファンが続編を待ち望んでいたと言うが、実のところ個人的な期待感は極めて小さかった。 なぜなら36年前のあの“戦闘機映画”が、それほど良い映画だとは思っていなかったからだ。 実際に鑑賞したのは、僕自身が20代前半の頃だったと思う。画面に映る主演俳優の若々しさを興味深く追いつつも、作品全体の仕上がりに“浅さ”を感じてしまい、あまり感動を覚えなかった。 アクション映画としても、その時点で公開年が20年近く前の映画に対して興奮し得る要素はあまりなく、割とありふれた青春映画、もしくはスポーツ映画を観ている感覚だったと思う。 したがって、この続編の制作の遅れやコロナ禍による度重なる公開延期の報を聞いても、特に残念に思うことも無かった。他の多くの大作映画と同様に、劇場公開に至らず「配信」になっていたとしても、「ああそうなんだ」と思うに留まっただろう。 そんなふうな認識だった「映画ファン失格」の僕は、まずトム・クルーズに対して謝罪して、感謝の言葉を尽くさなければならない。 本作に限らず、どの映画製作においても、その規模が大きくなればなれるほど「妥協」という言葉は常につき纏う。どんなに高い志や理想があったとしても、完成して、公開されなければ映画というものの存在意義はそもそも生まれない。 その結果、「駄作」になってしまった映画は星の数ほどもある。 しかし本作は、トム・クルーズが、主演俳優として、そして映画プロデューサーとして、「妥協」を考え得る最小限に留め、映画人としてのエゴイズムを貫き通したからこそ、問答無用の「大傑作」として存在意義を得ているのだと思う。 本作の映画としてのあり方やストーリーテリングそのものは、極めてシンプルであり、王道的であり、ベタである。ただだからこそ、その豊潤なエンターテイメント力に圧倒される。 本物の戦闘機の轟音、俳優たちが本当に乗り込んでいるからこそ表現できる重力、そして本当に歳を重ねた主演俳優の円熟味と変わらぬスター性。 正真正銘の「リアル」が、この娯楽映画の真髄であろう。 36年ぶりに紡がれた“マーヴェリック”の物語は、彼自身が若者だった1986年の物語に新たな価値を与え、高めている。そこには映画世界の内外における「継承」が成されていて、そのことがまた多層なドラマティックを生み出している。 それはやはり、世界ナンバーワンの映画スター(映画バカ)がもたらした偉業であり、映画史における“ミラクル”だと思うのだ。[映画館(字幕)] 10点(2022-06-18 08:41:34)(良:3票) 《改行有》

6.  ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス 《ネタバレ》 ある程度「覚悟」はしていたつもりだったけれど、想像を越えた“狂気のるつぼ”を目の当たりにして、正直面食らってしまった。 タイトルが指し示していた通り、“マルチバース”の多層世界が折り重なると同時に、あらゆる表現で具現化された狂気性そのものが入り混じり、特異な映画世界を構築していた。 一瞬、これが“MCU”の最新作であることを見失ってしまうくらいに、この映画における狂気と怪奇、そして恐怖は振り切っていたと思える。 そこには、これまた予想以上に、監督を務めたサム・ライミの“風味”が充満していた。 先日、サム・ライミ版「スパイダーマン2」を再鑑賞した時も感じたが、やはり芸術的なまでにおぞましい恐怖描写こそがこの名匠の真骨頂であり、どんなシリーズ映画であろうともその“サム・ライ味”が抑えられることはないのだろう。 シーン的に白眉だったのは、やはりダークサイドに完堕ちしてしまったワンダことスカーレット・ウィッチの恐怖シーン。 満を持して特別出演した“イルミナティ”の面々を一蹴(惨殺)した挙げ句、逃亡するストレンジたちを執拗に追走してくるシーンは、まさにホラー映画そのものだった。 その他にも、古楽器から奏でられる音楽を具現化したストレンジ同士のバトルシーンや、ゾンビストレンジによる“死霊のはらわた”全開の怨霊大作戦、全編に渡ってゴシックホラー感満載のヴィンテージライクなカメラワークなど、やっぱりこの映画は、MCU映画である以上に、「ドクター・ストレンジ」の続編である以上に、“サム・ライミの映画”だった。 一方、個人的には、「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」以来のエリザベス・オルセン演じるワンダのファンなので、スカーレット・ウィッチとして完全に暗黒世界に陥ってしまった彼女の姿は悲しすぎて見てられなかった部分はある。 そして、こうなってしまった経緯を描いているらしいドラマシリーズの「ワンダヴィジョン」はやっぱり観ておくべきだったなと後悔は否定できない。 ただ、この映画の混沌は、そんな個人的趣向や、ストーリー上の不理解なんてどうでも良くなるくらいに常軌を逸している。 本作によって強引なまでにこじ開けられた世界観の拡大によって、今後のMCU作品が益々“マルチバース化”そして“マッドネス化”していくことは明らかだろう。 お決まりのエンドクレジットでは、まさかのあのトップ女優のMCU初参戦確定! リアルに多層構造化し巨大化していくディズニーのビジネス戦略にまんまと取り込まれることも覚悟して、改めて“Disny+”の契約も検討せねば……。[映画館(字幕)] 7点(2022-05-08 22:58:30)《改行有》

7.  ドント・ルック・アップ こんなにも笑えないブラックコメディは初めてかもしれない。 「今」この瞬間の世界の実態を詰め込んだような強烈な社会風刺と、世界の終末。 登場人物たちと、彼らが織りなす社会の滑稽さが極まるほどに、“笑う”余裕などなくなり、胸糞悪さを超えて、もはや恐怖を感じてくる。 それは即ち、この映画の風刺が、決して過度にデフォルメされた描写ではないことに他ならない。 世界の危機よりも自身の保身を案じる米国大統領、タレントのスキャンダルに興じ科学者の訴えを無下にする報道番組、世界の決断をも牛耳る巨大IT企業、そして、自らで考え判断することを放棄してしまっているすべての大衆……。 それはまさしく、可笑しさと、愚かさと、悍ましさが共存する、この「地球」と「人間」の姿そのものだった。 ハリウッドのトップ・オブ・トップのオールスターキャストが、この壮大な風刺映画を強烈に彩っている。 主演のレオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・ローレンスをはじめとして、そうそうたる面々が、馬鹿な人間像を嬉々として演じきっている。 メリル・ストリープ、ケイト・ブランシェット、マーク・ライランスら押しも押されもせぬ名優たちが揃いも揃って人間の愚の骨頂を表現するさまは、この映画の品質と娯楽性を高めると同時に、決して看過できない危機感を如実に創出していたと思う。(惜しげもなく全裸シーンを披露する72歳の大女優には脱帽!) Netflix配信映画として全世界同時公開された今作は、あらゆる意味でこの「時代」に相応しい作品だった。 不都合な真実、面倒な現実から目を反らして、どこかの誰かの思惑に取り込まれていることを、無意識レベルで甘受してしまっているこの世界。 まるで藤子・F・不二雄のSF短編漫画のような手軽さと、それと相反する多層的な面白さと辛辣さが満ちていた。 タイトルバックで映し出されるジェニファー・ローレンスの嘔吐カットで表されている通り、時に吐き気をもよおすほどの醜悪さも感じるブラックコメディだったが、この映画の在り方は圧倒的に正しい。 これが地球、最高で最悪。[インターネット(字幕)] 9点(2021-12-31 14:57:37)(良:1票) 《改行有》

8.  トゥモロー・ウォー 「Amazon Prime Video独占配信映画」として、連日TVCMでパワープッシュされているこのSF超大作は、クリス・プラット主演&製作に相応しい“脳筋馬鹿”なブロックバスター映画だった。 元従軍科学者(現高校教師)というキャラ設定にも関わらず、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の“スター・ロード”まんまな愛され馬鹿にしか見えない主演俳優のキャラクター性も相まって、なんだか憎めない娯楽映画に仕上がっていたと思う。 エイリアンに侵略されて滅亡の危機に貧している未来の人類が、時間を逆行し、過去の人類に救いを求めるという導入から、全人類総動員のSFサバイバルが展開される。 そのプロットからも伝わってくる通り、ストーリーテリングは極めて大味で雑多だ。もはやさもありなんと言わんばかりに、“ツッコミどころ”のオンパレードだ。 そもそも、時間移動を可能にしたテクノロジーを手にしていながら、導き出された戦略が、人口密度が高い時代に遡っての「地球人総動員」て、第二次世界大戦当時の大日本帝国よりも酷い。 時間移動という“反則技”を使えるのだから、地球規模の「徴兵」なんてせずとも、もっと本質的な解決策はいくらでもありそうなものだ。 という難癖を終始巡らせながらも、全編通して飽きること無く、また白けることもなく、エンドロールを迎えることができたのは、今作が娯楽映画として抑えるべきポイントをきちんと携えているからだろうと思う。 それは、前述の主演俳優の魅力であろうし、エイリアンの絶妙に気持ち悪く悍ましい造形だったり、馬鹿馬鹿しくも大胆でユニークなアクション描写だったり、一転して普遍的な父娘のドラマだったりと多岐にわたる。 何と言っても、クライマック前に訪れる、父親と未来の娘が迎える終着。 膨れ上がった絶望と一抹の希望が介在するあまりにも恐ろしくて、あまりにも美しいあの圧倒的なビジュアルを映し出したことが、今作のハイライトだろう。 例によってコロナ渦の影響を受け、劇場公開に至らず、Amazonが権利を買い取った今作。 大仰なスペクタクルシーンの数々をスクリーンで鑑賞したかったとも思うが、このクラスの大バジェット映画を独占配信で観られるという贅沢感は存分に堪能できたなと。[インターネット(字幕)] 7点(2021-07-12 22:11:46)《改行有》

9.  透明人間(2020) 深夜、自室で今作を鑑賞後リビングに入ると、薄暗いいつもの室内が何だかとても恐ろしく感じた。 ぽっかりと空いた何もない空間に“何かがいる”かもしれないという感覚。それはまさしく、この恐怖映画が描き出した「恐怖心」そのものだ。 全編通して、主人公のみならず、観客にもそういう“怯え”を生み出したこの映画のアプローチは、“透明人間”という怪奇映画の伝統を引き継ぎつつ、圧倒的にフレッシュだった。 この新機軸の透明人間映画が、これまでの透明人間映画と異なる最たる点、それは「視点」だろう。 伝統的な透明人間映画が、透明人間となってしまった人物自身の恐れや悲哀、または透明人間としてのモンスター性を描き出してきたことに対して、今作は透明人間に襲われ、「凝視」し続けられる女性を主人公に配し、徹底的に彼女の「視点」でストーリーが展開される。 「何かに見られている」という不安やおぞましさをシンプルかつ洗練された映像表現で徹底的に描きつけ、“何もない空間”に恐怖を生み出した映画的手法が見事だったと思う。 主人公の背後に浮かび上がる“吐息”や、バスルームの“手形”など、ヒタヒタという物音すら全く立てずに主人公に歩み寄る恐怖演出も巧みだった。 主人公の女性の愛称が“シー(see)”であることも、シチュエーションスリラー「ソウ」を生み出した作り手らしいこの映画のテーマ性に対する隠喩であろう。 ただし、この映画が描き出す「恐怖」の真髄は、そういう映像的に表現されている要素のみには留まらない。 夫から支配的なハラスメントを受け続けていた主人公は、その夫婦生活から逃げ出した後も彼の精神的支配から脱却することができずに、苦しみ続ける。 夫の死を知らされても、一人それを信じることができず、見られ続けていることに恐怖し、究極的に追い詰められる。 結果的に方法としての“透明人間”は存在し、夫は死を偽装してまでも妻である主人公を支配し続けようとする……。 が、果たして本当にそうだったのだろうか? “透明人間”による凶行は現実だったけれど、それが本当に夫による策略であったかどうかは最終的に明確にならない。 凶行はすべて夫の兄によるものだったかもしれないし、夫にまつわる恐怖心のすべては心を病んだ主人公の誇大妄想だったかもしれないという可能性が、最後の最後まで拭い去れない。 そういったまた別の「視点」を生む演出も見事だし、主人公を演じたエリザベス・モスの演技と、狂気性を孕んだ表情も素晴らしかったと思う。 人間同士の関係性、もっと言い切ってしまえば「夫婦」という関係性から生じた綻びが導き出してしまった憎しみと怖れ。 この恐怖映画が最終的に紡ぎ出したものは、その普遍的な人間関係が内包する“危うさ”だったのではないか。 そういうふうに、この映画の結末を捉えると、同じく“恐怖夫婦映画”の傑作である「ゴーン・ガール」的なゾクゾクとしたおぞましさに包まれ、思わずこう呟きたくなった。 「こ、怖えぇ」と。[インターネット(字幕)] 8点(2021-02-23 12:19:27)(良:2票) 《改行有》

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