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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2628
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  NOPE/ノープ 《ネタバレ》 恐怖映画が苦手なので、気鋭のジョーダン・ピール監督の最新作として話題性と評判を各方面から聞き及びつつも、なかなか鑑賞に至れなかった。が、この類の作品は、経年するほどネタバレ要素も含めて面白みが軽減してしまうものなので、意を決して鑑賞した。 苦手な恐怖映画として身構えて見進めたけれど、そんな苦手意識を一蹴するとびきり“ヘンな映画”だった。 この手のスリラーは、恐怖の対象として登場する「?」の正体があらわになるまでが、ある意味映画の推進力が及びピークであり、その正体が明らかになった時点で一気に興ざめすることも避けられない。 だがしかし、本作はそんなジャンル映画の宿命すらも織り込んだ上で、大仰で馬鹿げた展開を堂々と貫き通している。おかしな映画ではあるが、それは映画を知り尽くした者のクリエイティブだと思えた。 ジョーダン・ピール監督作「ゲット・アウト(2017)」でも主演したダニエル・カルーヤのギョロッとした目の演技が終始印象的で、彼の周辺に巻き起こる不穏な現象に対するめくるめく様々な感情が巧みに表現されていた。 またその目の演技による、見る、見られるの描写は、本作のテーマである「見せ物」という娯楽への功罪にも繋がっていた。 ティム・バートンの「エド・ウッド」の劇中で、「ハリウッドは人を噛んで吐き捨てる」という台詞があった。本作において、未確認飛行物体が吐き捨てた5セント硬貨によって亡くなった主人公の父の悲運は、まさにその台詞を象徴する描写であり、この映画は全編通して、ハリウッド、ひいてはショービジネス全体の罪と罰を描き出しているのだと思える。 兎にも角にも、奇妙なスリラー映画として中盤までを牽引しつつも、そこまでの恐怖感をいい意味でひっくり返すかのごとくSFモンスターパニック映画へ急旋回する本作のストーリーテリングは極めて独特で、やっぱり“ヘンな映画”と結論づけるのがふさわしい。 決戦前夜の食卓に並ぶ缶ビールがなぜかキリンビールの“一番搾り”であったことも謎すぎたが、これは単にプロデューサーと監督が“一番搾り”好きということだったらしい。 そんな意味のないディティールに何か不穏さや意図を感じせるこも、本作が噛みごたえがある映画であることの証明だろう。[インターネット(字幕)] 8点(2023-05-27 23:45:39)(良:2票) 《改行有》

2.  ノマドランド 近年、インターネット環境の普及、発達に伴い、「時間と場所にとらわれず働く」というスタイルを表す言葉として「ノマドワーカー」というフレーズが市民権を得ている。 ただ、今作「ノマドランド」が表す「ノマド」とは、そんな昨今の先進的なワークスタイルを華やかに描くものでは当然ない。 この映画は、現代のアメリカ社会の“ひずみ”の中で、行き場を失い、それでも存在し、必死に生き抜こうとしている人々の生々しい様を、圧倒的なリアリティと説得力で描きつけた力作だった。 自らの人生に打ちのめされ、世知辛い社会から追いやられた人たち(=ノマド)、その多くは高齢者だ。 住処も、財産も、健康も、機会も、急速に先細り喪失していく中で、彼らは期間労働者として、アメリカ各地を転々とする生活を送り続ける。 その生活の様は、「ノマド」の本来の意味である「遊牧民」や「放浪者」という印象がやはり強く、人生の黄昏に、流浪の生活を送らざるを得ない高齢者たちの姿は、率直に身につまされる。 ただし、今作は、そんな現代社会の中で、或る意味“蚊帳の外”に追いやれている彼らに対して、ただ単純に同情を誘ったり、社会システムの是非について安直に問うような作品ではなかった。 本質的な意味合いの“ノマドワーカー”として流浪する高齢者たちの姿は、無論悲壮感に溢れ、とてもじゃないが安閑として見てはいられない。いつ何時吹き消されてしまうかもわからないようなか細い蠟燭の火を、消えないように消えないように必死に灯し続けているように見える。 でも、その生活、その生き方自体は、それぞれ苦慮の果てではあろうが、彼らが選び取った「道程」であることを、理解し、直視すべきであろう。 フランシス・マクドーマンド演じる主人公も、最愛の夫に先立たれた挙句、企業城下町として栄えた居住地が企業の倒産により街ごと消失してしまったという憂き目にあったとはいえ、人生の岐路において他の“選択肢”があったことは明確に描かれている。 ふと遭遇したかつての隣人は敬意と共に手助けを進言してくれていたし、“普通”の結婚生活をしている姉も心から妹のことを心配しているし、道中で知り合った同じノマドの老紳士は彼女のことを好いてくれていた。 主人公は、教養もあり、人徳もある魅力的な人間であり、彼女が、流浪の生活から抜け出すための“きっかけ”は、全編通して散りばめられていたと言っていい。 それでも、彼女がノマドの生活を脱却することは、ついに最後の最後まで明確には描かれなかった。 それは、彼女が人生の黄昏に自らの手からこぼれ落ちてしまったものが、決して物質的なものではなく、精神的な拠り所だったことに他ならない。 そしてそれは、この映画に登場するリアルなノマドの高齢者たちの表情や人生模様からも如実に伝わってくる。 “ノマドランド”に集積し、充満し、やがて儚く霧散していく彼らの存在は、この世界全体が慢性的に孕む「喪失感」そのものだったのだと思った。 僕自身、人生40年、まだまだ若いつもりだけれど、この先の“生き方”というものを最近よく考える。それは10代、20代の頃の青臭いものとは明確に異なっているように思う。 その先にあるものが「死」であることは間違いない。 それでは、僕はこの先、死ぬために生きるのか、生きるから死ぬのか。 40代を経て、50代、60代、さらにその先の道程で、その感覚はより現実的な人生観と共に変わり続けるのだろう。 その感覚の変化そのものが、まさに「流浪」であり、すなわち「人生」なのかもしれないな。と、今は思う。[インターネット(字幕)] 8点(2021-09-11 09:28:27)(良:1票) 《改行有》

3.  ノクターナル・アニマルズ 《ネタバレ》 エイミー・アダムスの美しいグリーンの瞳になにか不吉な予感がよぎる。 あのラストカットが暗示したものは何だったのだろうか。鑑賞から数日が経つが、明確な結論が出ない。 鑑賞直後は、待ち合わせ場所に現れないことが、主人公に対する元夫の復讐の終着点なのだろうと思った。 紛うことなき深い愛ゆえに生まれた深淵な復讐心を「小説」という形で具現化した上で、本当に愛すべき人を失うという残酷を改めて彼女に知らしめることで、元夫は復讐を果たしたのだと。 ただ、段々と、別の真相が見え隠れしてきた。 そもそも、富と名声を得ながらも満たされない鬱々とした日々を送る主人公が居て、彼女がたまたま昔のことを思い返していたタイミングで、都合よく元夫から出版前の小説が届くなんてことが、あり得るだろうか。 また、夫婦関係だったといっても、20年前の学生時分の頃である。 確かに、深くて重い“裏切り”はあったけれど、20年にも渡って執拗に憎愛を抱き続けるだろうか。そして、わざわざその思いを小説に書き連ねて、相手に送りつけるなんてことをするだろうか。 確かにジェイク・ギレンホール演じる元夫は、耐え難い裏切りを受けたけれど、彼がそれ程まで怨みに執着する人間には見えなかったし、客観的に見れば、彼らの夫婦関係崩壊のあらましは普遍的なことであり、「よくあること」と言ってしまえばそれまででもある。 元夫が「小説」を送ってきたということ自体が、不自然に思えてならなくなってきた。 では、あの「小説」は何なのか?誰が生み出し、誰が送ってきたものなのか? 「小説」は確かに送られてきた。 ただしそれは、主人公が自らに宛てて送りつけたものだったのではないだろうか。 そう考えると、劇中劇で描かれる「小説」の内容もより一層理解が深まる。 妻子を殺された男の復讐劇ではなく、男から妻子を奪った自分自身に対しての懺悔の物語だったのだ。 「罰を受けずに逃すものか」 「小説」の中で主人公の男はそう言い放ち、妻子を殺害した犯人を追い詰める。 その台詞は、堕胎し、不倫し、男の元を去った自らに対する「自戒」だったのだと思う。 自らの中で生まれた生命を打ち消した後悔と、何も生み出せない自分への苦悩、それらが入り交じった自らに対する憎しみが20年という年月の中で膨らみ、形となったものが、あの「小説」だったのではないか。 とはいえ、明確な答えなどはないし、つくり手としても唯一つの答えを導き出してほしいわけではないだろう。 単純に、元夫にすっぽかされただけかもしれないし、巨漢の半裸女たちが踊り戯れるあの“悪夢”のような展覧会からその先すべてが、主人公の妄想なのかもしれない。 ただ一つ言い切れることは、夜行動物(ノクターナル・アニマルズ)は、これからも眠れぬ夜を迎え続けるだろうということだ。[映画館(字幕)] 8点(2017-11-16 08:06:05)(良:2票) 《改行有》

4.  脳内ポイズンベリー 似合っているような、似合っていないような、主演女優の赤いニット帽姿がかわいい。 これまで無愛想で男勝りな役柄を演じることが多かった主演の真木よう子が、“柄でもなく”ガーリーな主人公を演じている。 決して、上手い女優ではないので、イメージを脱却する好演をしていると手放しでは言い難く、“頑張ってる感”が終始漂っている。 けれど、その様が、女優としての人間性と演じているキャラクター性をひっくるめて、かわいい。 そう思うことが出来たならば、とても楽しいラブコメとしてこの映画を楽しむことが出来るだろう。 三十路を迎えた主人公。脳内では“5人”の感情が、恋愛観、人生観を議題にして終始議論を繰り広げている。 同時期に公開された“ピクサー映画様”の「インサイド・ヘッド」との題材の類似性はとても興味深い。 安易に「パクリ」なんて言う人もいるが、こういうことは意外とよくあるもので、「偶然」と許容し、両作品を見比べて楽しむことが映画ファンとしての健全なスタンスだと思う。 勿論、正真正銘“ご立派”な傑作である「インサイド・ヘッド」には、映画作品として到底及んでいないけれど、日本人らしい価値観と人間性を表現した今作も、これはこれでユニークだったと思う。 個々のキャラクターにおいては、「インサイド・ヘッド」の“ヨロコビ”たちよりも今作の“吉田”たちの方が、個人的には愛着が持てた。 「インサイド・ヘッド」が主人公の脳内キャラクター描写においてそれぞれが司る「感情」をシンプルに究めたことに対して、今作の場合は、“理性”、“ポジティブ”、“ネガティブ”等と一応の役割は与えられているが、それぞれが人間らしい弱さや脆さをも持ち合わせ、議論が紛糾していく様が面白かった。 実際、人間の頭の中なんてものは、大人になればなるほど決してシンプルには括ることができない醜くも滑稽な「打算」や「逃避」が渦巻くものであり、そういう意味ではとても的を射た描写だったと思う。 少女漫画を原作としたラブコメとして楽しみがいのあるポップさは認めたい。その一方で、最終的に主人公が選び取る人生観や恋愛観において、もう一本踏み込んでくれたならば更に良作になったとも思う。 ピクサーが同様のアイデアを採用するくらいだから、プロットそのものはやはり魅力的である。だからこそ、最終的な顛末の描き込みの部分で差が出ていることは明らかだ。 まあ個人的には前述の通り、ファーストカットから映し出される主演女優の“たわわ”な魅力に煩悩が鷲掴みだったわけだけれど。[インターネット(邦画)] 6点(2017-02-18 01:16:28)《改行有》

5.  NO “成し遂げたこと”の価値が大きいほど、その当人は感情の置き場所に戸惑うものかもしれない。 主人公一人が信じた「目的」を果たし終えた後、それまでと変わらずに広告を作り続ける彼の瞳が印象的だった。 独裁政権下のチリでようやく許された反対派CM放映の権利。 自らも国外追放を経て帰国した広告マンが、反対派に与し体制の転換を目論む。 事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、長きに渡り恐怖政治で支配を極めていた独裁政権に対峙する主人公が、あくまでも広告マンとしての戦略・知略を尽くすさまがとてもユニークで興味深い。 恐怖や不幸に打ち勝つものは、それによる悲しみや苦しみを訴えることではなく、それを一蹴する多幸感と未来だということを、この映画は雄弁に物語る。 勿論、現実はそう安直なものではない。 実際に圧政に苦しんだ人々の苦悩はそう簡単に振り払えるものではなく、すぐさま“未来志向”になれるわけではないだろう。 ただし、たとえそのCMを見ていた一時だけでも、打ちひしがれた心が和らいだなら、そこから未来は開ける。 「今、この国は未来志向だ」 主人公がプレゼンの前の常套句としているように、重要なのはこれから見るものが「未来」であると意識することだ。 「NO」という主張と選択。その価値と可能性を“真実”というエンターテイメント性で彩った快作。[映画館(字幕)] 7点(2015-01-19 13:54:07)(良:1票) 《改行有》

6.  ノア 約束の舟 「レスラー」「ブラック・スワン」で人間の心の普遍的な脆さと闇を立て続けに描きつけたダーレン・アロノフスキーの最新作が、“ノアの箱船”だと聞いた時は、とても怪訝に思ったことは否めない。ある意味、スペクタクル映画とは最も縁遠い人材だと思えたからだ。 そんな思いもあり、この鬼才監督の最新作であるにも関わらず、あまりに手堅く揃えられたキャスティングと、大仰な予告編を観ても、なかなか食指が動かなかった。 そういった危惧は、“半分”当たっていた。やはり、この映画監督とスペクタクル映画の相性は決して良くなかった。 これほどスペクタクルシーンに魅力が無い大スペクタクル映画も珍しい。それっぽく仰々しい映像は映し出されており、迫力もあるはずなのだが、まったくと言っていい程ビジュアル的なインパクトを感じることが出来なかった。 それは、この監督のスペクタクルシーンに対しての思い入れの無さが如実に表れた結果ではないかと思う。 では何故ダーレン・アロノフスキーは、この題材の映画化を引き受けたのか。 「人間」という種そのものが抱える闇と業。前述の前二作と同様に、結局のところ唯一それのみが、彼が“ノアの箱船”を描く理由であり、意味だったのだと思う。 この題材が聖書の一節である以上、そこに“神”というものの存在を欠くわけにはいかない。当然、今作においても“神”の存在は、常に主人公の言動に直結している。 しかし、この映画の“解釈”は、必ずしも“神”を絶対的なものとして捉えていない。 人間の言動を最終的に司るものは何か。人間と神の関係性とは何なのか。 アロノフスキー監督が描こうとしたことはそういうことで、この映画が大洪水の果てに辿り着こうとした場所だったように思う。 ラッセル・クロウの狂気的な苦悩、それに対峙するジェニファー・コネリー、エマ・ワトソンの悲愴感、人間が人間という種として「生きる」ということの「業」こそが、この映画が目指した“見応え”なのだろう。 このままでも充分にダーレン・アロノフスキーの意図は伝わってくる。 が、スペクタクルの欠如、ところどころ唐突に見える人間描写の薄さなど、幾つかの映画的アンバランスが無ければ、もっととんでもない映画になっていたようにも思える。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2014-10-13 15:35:32)《改行有》

7.  脳男 日本の大作映画特有の不細工なエンターテイメントなんだろうとスルーを決め込んでいたのだが、ドハマリ中の“二階堂ふみ”目当てに鑑賞。 粗や難点は多いけれど、それを補って余りある娯楽性に溢れいていた。江戸川乱歩賞受賞作が原作らしく、想像以上にエキセントリックな物語の世界観は見応えがあった。(二階堂ふみの畜生ぶりも、想像以上にエキセントリックだった!) 原作は未読だが、映画化にあたり生み出されたオリジナルのキャラクター設定が効いていたと思う。 悪役の性別を男性から女性に変えるなんて、普通は失敗しがちなんだけれど、今作に限ってはそれが功を奏し、主人公である“脳男”との合わせ鏡としての対比が際立っていた。 そして何と言っても、主演の生田斗真のパフォーマンスは素晴らしかった。 絞り込まれた肉体と、無機質且つ美しい無表情は、“脳男”という「異質」を表現するに相応しく、彼以上の適役は居なかったろうと思わせる。 一瞬の微笑から再び深い無表情へと移り変わるラストカットは見事だった。 全体的なテンポの悪さと少々あざと過ぎる演出には改善の余地があるとは思うが、メリハリの効いたアクションシーンと、思わず目を背けたくなる程ハードな残酷描写には、日本映画らしからぬ迫力があった。 というわけで、国内の娯楽大作映画としては近年で随一の出来映えと言っても過言ではなく、大いに楽しめたことは間違いない。 個人的には、二階堂ふみと太田莉菜の“糸引きディープキス”が見られただけでも、この映画の価値は揺るがない![CS・衛星(邦画)] 8点(2014-08-15 00:50:15)(良:2票) 《改行有》

8.  ノートルダムの鐘 ディズニー映画として、あまりに毛色の違いを今作には感じていた。 加えて、古典文学を題材にしたヨーロッパ文化向けの作品だろうという印象を無意識に感じており、何となく敬遠していた部分もあった。 確かに、他のディズニー映画に対して明らかな毛色の違いはあった。 しかし、だからこそ他の映画には無い深い面白味があったと思う。 原作はヴィクトル・ユーゴー。「レ・ミゼラブル」の原作者らしく、善と悪の両者の存在性の内面部分までをじっくりと描いた物語だと思った。 醜い出で立ちで生を受けた主人公、彼を大聖堂の鐘楼に閉じ込め鐘衝きとして育てた独善的な最高裁判事、ジプシーの美しい踊子、正義感に溢れる警備隊長、それぞれがそれぞれの立場において苦闘し、全うする姿には、善と悪という単純な構図を越えた人間の業が表われていた。 今作のハッピーエンドは原作小説とは異なるらしいが、ディズニー映画にである以上、それは仕方の無いことだろう。 それよりも、ダイナミックで美しいビジュアルはとても印象的だった。 また、他のディズニー映画がテンポの軽いミュージカル調のものが多いのに対して、今作は全編通してシリアスなオペラを見ているような重厚さがあった。 題材が題材だけに、アニメーションだからこそ描けた部分もあったかと思ったが、実写版もかなり古くに製作されており、その実写作品のビジュアルにこのアニメ作品が忠実だったことは驚きだった。 機会があれば、実写版も観てみたいものだ。[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-08-24 13:44:44)《改行有》

9.  脳内ニューヨーク 遅く起きた日曜日。午後から映画を観に行こうと思いたち、地元の映画館の上映スケジュールを確かめた。 「脳内ニューヨーク」というタイトルが目に入る。情報が無く、「誰の映画だ?」と確認すると、なんとチャーリー・カウフマンの初監督作品!とのこと。これは見逃すわけにはいかないと思い、映画館に出掛けた。 全世界の映画界を代表する“奇才”脚本家の初監督作品。得られる感想は二つのうちのどれかだということは、端から予想できた。 即ち、“最高傑作”か“意味不明”か。 得られたのは、紙一重で“意味不明”だった。 ただ、その結果に不満足かというと決してそうではない。 これまで「マルコビッチの穴」、「アダプテーション」、「エターナルサンシャイン」とただでさえ得体の知らない独自世界を、“他人”である映画監督の手によって具現化させてきたことを、今回は自らの手でそのまま具現化するわけで、その世界を100%理解しようとする方が、むしろ有り得ないと思う。 この映画世界は、まさにチャーリー・カウフマンという奇才作家の頭の中をそのままの映像化だ。 その世界観は、時にえげつなく、醜い。 ただそれは同時に、一人の人間の本質的な姿だとも思う。 心の目を背けたくなるような描写も多々あるが、そのくせ不思議な心地良さも感じていることに気付く。 「映画」としての完成度という意味では、決して高いとは言えず、好きな映画だとも言い難い。ただしこの奇才の創造性は、やはりただごとではない。[映画館(字幕)] 6点(2010-03-14 23:08:32)《改行有》

10.  ノウイング 《ネタバレ》 極めて「微妙」な映画だった。酷い映画ということはないが、決して面白くはない。が、独特の味わいはある。そういう映画。 ミステリアスに彩られた50年前の「予言」が、人類の災厄を次々に当てていく。そして、最終的な予言は、世界の終末を示していた。 と、よくあるような題材ではあるが、その描き方は一定のセンスをもって緻密に表現され、物語の「真相」と「顛末」に向けて、観客を惹き付けることに成功している。映像のクオリティーも非常に高かったと言える。 ただ残念なことに、導き出される「真相」と「顛末」には、一切の“捻り”がない。 それはそれで、真っ当なストーリーテリングだとも言えるし、ドストレートな展開が逆に”新鮮”と言えなくもない。 しかし、タイトルも含めて、そこかしこにそれなりの伏線をめぐらせている風に見せて、結局紡ぎ出された顛末がアレでは、やはり充足感には程遠い。 もはやこれは、個々人の趣向の問題になってくるかもしれないが、大エンターテイメントを醸し出しつつ、想像以上に「間口」の狭い作風には、良い意味でも悪い意味でも、面食らってしまった。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-27 22:03:21)(良:2票) 《改行有》

11.  ノーカントリー 2007年のアカデミー賞を席巻したコーエン兄弟監督作品。 2001年の「バーバー」を観て以来、この兄弟の映画は、とりあえず観ておかないと損をするという感覚がこびりついている。 世界観が独特なだけに、好き嫌いの触れ幅が激しく、主観的な感想として当たり外れも多いのだが、今作はアカデミー賞の主要部門を確実に抑えた作品だけあって、またエライ映画世界を生み出したものだと思う。 正直なところ、一度観ただけでは、この映画の本質と染み込んだ味わいの深さを堪能しきれていないと思う。 3人のまったく異なる登場人物たちが暗示するアメリカという国の凶暴性と、不条理さ、虚無的な絶望感。 それらが、絶妙な台詞回しや、奇妙な緊迫感を終始携えた演出の中に垣間見えはしたが、鑑賞者としてそのすべてを確実に捉えきれたかというと、自信はない。 ただそれでも、この映画が持つ深みと、説明がつかない濃密さは感じ取ることができたし、初見としてはそれでいいと思う。 トミー・リー・ジョーンズの哀愁を携えた演技は渋かった。 しかしこの作品の中で圧倒的だったのは、やはり助演男優賞を獲得したハビエル・バルデムの超絶な怪演だろう。 “ぬぼ~”とした風貌から滲み出る奇怪さと、圧倒的な恐ろしさは、悪役史上に残る存在感だった。 自分自身の読解力の低さで、問答無用に「大傑作」と断言できないことは情けない限りだが、それは再び観る時の楽しみとしてとっておこうと思う。[DVD(字幕)] 7点(2008-08-30 02:39:05)《改行有》

12.  野良犬(1949) この映画が50年以上も前に作られた映画だということに唖然とする。時代背景は当然古めかしいが、語られるテーマはまさに普遍。メッセージ性の強い主題を描きつけながら、少しも説教臭くない刑事ドラマへと昇華させているあたりに、もはや「巨匠」という言葉では片付けられない黒澤明の偉大さを感じる。それと同時に、さすがに瑞々しい三船敏郎の眼差しに惚れ惚れする。8点(2004-04-18 16:17:18)(良:1票)

13.  ノー・マンズ・ランド(2001) 派手な演出を廃したストーリー展開にはいささか退屈な部分もあったが、同時にその淡々とした狂気が妙に生々しくリアルだった。大金をかけた大作戦争映画が氾濫する中、今作は非常に小規模でシンプルであるが相当の説得力があった。ラストシーンの言葉にならない重さは、戦争というものの真理を物語っているようだ。[ビデオ(字幕)] 6点(2004-01-26 18:09:48)

14.  ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア 物語の超目的が「最期に海を見る」ということなのだが、主人公たちが壮絶な紆余曲折を経てたどり着くラストシーンの海が極めて美しく、感慨深い。ノリとテンポのよい中盤の展開も非常に巧く秀逸であるが、すべてが集約されるラストシーンには「あー、やられた」という感じだった。9点(2003-12-03 12:52:19)

15.  ノイズ(1999) サスペンスと恐怖感に満ちた雰囲気には引き込まれるが、それを充分に反映するだけのストーリーのクオリティが無かった。終始B級映画っぽい希薄な展開で、巧い演出に見入るがあと一歩のところで肩透かしをくらった感じである。[映画館(字幕)] 4点(2003-11-29 16:47:01)

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