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1. 脳内ニューヨーク
《ネタバレ》 強引に点数を付けるとこの程度となるが、点数を付けにくい映画。
満点を付けてもいいかもと思うほど、ある種のレベルを超えている映画でもある。
ぶっちゃけると1割も理解はできなかったと思う。
何を描きたいのかについては、ボンヤリとしたイメージしか伝わらず、言葉で表現するのは難しい。
“死”“生”“人生”についての映画なのかな程度としか言いようがない。
“自分”というものは、存在しているようで存在していないものなのだろうか。
ただ、この不可思議さや難解さは、「フザケルナ」と頭にクルようなものではなくて、どこか心地よさを感じられるものだ。
描かれている事象はそれほど難解ではないので、まったく飽きることはなく、不可思議な世界に酔いしれることができる。
“緑の○○○”“燃えている家”など、あまり意味など深く考える必要はなく、何も考えずにアタマを映画に委ねた方がよさそうだ。
終盤でリアルな“現実”が明らかになり、種明かしでもあるのかと思っていたら、そういうこともなく、“混乱”させたままスパッと観客を突き放す辺りも常人とは思えない発想。
“現実”や“虚構”と考えること自体が凡人の発想なのかもしれない。
映画に描かれた世界は、全てが“現実”であり、全てが“虚構”でもあり、又はどちらともいえない第三の世界と捉えるのが、カウフマンの発想なのだろうか。
毒にも薬にもならない映画に見飽きている人にはおススメできる映画に仕上がっている。
それにしても映画監督はこういう難解な作品にチャレンジしたがるものなのだろうか。
初映画監督作品でこのような作品を作ってしまう、カウフマンはやはりとんでもない奇人だ。
次回作も楽しみだが、いきなりハードルを上げてしまうと飛び越せなくなってしまう。
カウフマンのことだから、またいい裏切りをしてくれそうだが。[映画館(字幕)] 6点(2009-12-21 23:36:39)《改行有》
2. ノウイング
《ネタバレ》 終始、乗れない映画に仕上がっている。
結末が明らかになるにしたがって、乗れない理由がだんたんと分かってくる。
監督自身、脚本に関わっているかもしれないが、この脚本の監督を任されたら、どのようなアプローチを試みればよいか、途方に暮れるほどの難しさを持った作品だと思う。
“父と子の別れ”のようなものがテーマにもなっているので、もうちょっと父子の絆を重めに描いた方がまだ良かったのではないか。
ニコラスが子どもを無視したり、放ったらかしにして、終始一人で暴走しているようにしか思えないので、父子の絆が描かれているようには思えない。
母の死で心を閉ざした子と父が協力しながら、タイムカプセル内の紙の謎の暗号を解き明かそうとして、父子関係が回復していけば、まだ面白くなったのではないか。
そもそも紙に書かれた暗号や事件など、本作の結末とはほとんど関係ないのだから、あの暗号に意味を持たせるとすれば、こういう使い方をするしかない。
派手なアクションがあるSF作品であるが、ヒューマンドラマの要素をもっと増やせば、もうちょっと見られた作品になったかもしれない。
“手話”という手法を利用しているが、必ずしも効果的ではないのは、劇中で彼らの絆の深さが足りないからだろう。
しかし、地球が消滅しそうになる映画の大半で、訳の分からない方法で何度も地球が救われてきたが、何の手も打たずに地球が消滅するというのはなかなか思い切った手法だ。ただ、二人の子どもがアダムとイヴとして新たな人類を再生していくという解釈は面白い宗教観になっている。冒頭の父と子の会話がヒントになっているものの、風呂敷が広すぎてピンとは来ないが。
本作を見て、分かることはニコラス・ケイジの偉大さだけだ。
宇宙船が登場した瞬間に、ヒザから崩れ落ちるニコラス・ケイジを見て、「スゲえわ。カッコ良すぎる」と思ったほどだ。彼が出演しているから、ギリギリ映画として成り立っている。普通の役者ならば、見ていられないほどのレベルの作品だと思う。
どんなに荒唐無稽な作品でも、彼が持つ“何らかのチカラ”が働いて、荒唐無稽と思わせないようになっている。逆に、どんなにリアルな作品でも、“絶対に冗談だよな”と感じさせてしまうかもしれないが。
大げさな音響や音楽も本作をより低い作品にしてしまっている。あまりにもセンスがなさすぎやしないか。途中からうんざりしてしまった。[映画館(字幕)] 4点(2009-07-13 00:14:47)(良:1票) 《改行有》
3. ノーカントリー
《ネタバレ》 アカデミー賞にふさわしいかどうかは分からないが、完成度は高い作品。
本作品からは他の作品からは感じられない、得体の知れない“気持ち悪さ”を感じられるようになっている。
その象徴的なものをハビエル・バムデルが好演している。
感情すら感じられない存在、人間とは異なるような存在、トミー・リー・ジョーンズも語っていたが幽霊のような存在を演じている。
シガーとは会話自体も成立していない。
雑貨屋のオヤジとの一切噛み合うことのない会話や、人間の生命をコイントスで左右する手法が印象的だ。
映画自体も、シガーとの会話のように全体的に噛み合っていないようなところが多数見られるが、そのためか、得体の知れない“気持ち悪さ”をより感じられる効果が増しているように思える。
もちろん、コーエン兄弟は完全に狙って演出・編集しているだろう。
水を欲しがっていたメキシコ人に水をあげに行くことでトラブルに巻き込まれたり、シガーが銃撃戦などではなくて青信号を走っているときに致命的なダメージを受けるということも、善行や悪行といった既存の概念を超越している。
金、麻薬、殺人によって、人間の感情が麻痺しているように見られる。
人間が動くのは全部金ともいえる。
シャツをもらうのも金、病院に運んでもらうのも金、ホテルのオヤジから情報を提供してもらうのも金、殺人を依頼するのも金。
飲みかけのビールですら金をせびろうとする姿勢や、金をもらった瞬間に仲が良かった少年たちが喧嘩をし始めるということも本作が言わんとしていることをよく表しているように思える。
このような気持ち悪い世の中になったのは最近のようにも思えるが、1900年台初頭にも同じような惨劇があったという、トミー・リー・ジョーンズとネコ屋敷のオヤジとの会話も印象的。
本作が描こうとしていることは、近年において人間の本質自体が変わったということではないのかもしれない。
暴力と欲求が“人間の本質”であり、人間の本質自体は変わっていないということだろうか。[映画館(字幕)] 7点(2008-03-16 02:39:53)(良:1票) 《改行有》
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