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101. 女の園
そうか、この54年、木下恵介は高峰秀子に女先生と女学生の両方を演じさせていたのか。木下作品で暗い高峰は比較的珍しいが、かといって成瀬の高峰のように不貞腐れているわけではなく,まっすぐな向学心が家や学校によって妨げられていることから来る暗さなの。そのまっすぐさが、やはり木下。それまでお嬢さま専門だった高峰三枝子が、おっかない舎監役で新境地を開拓した。この延長線上に『犬神家の一族』の高峰三枝子がある。この舎監、ただの意地悪ではなく、彼女なりの信念があって衝突してるってとこがいい。それぞれの信念がぶつかり合う女の園、その扱い方に戦後民主主義に希望が託されていた時代を見ることが出来る。といっても“自由のはき違い”論ってのがもうこの頃からあって、根深いものだということも分かった。[映画館(邦画)] 7点(2008-05-17 12:15:22)(良:1票)
102. オアシス
ソル・ギョングを強烈に印象づけた一本だった。これ本当に『ペパーミント・キャンディ』の人? と疑ったもんね。インテリの苦悩という純文学的主人公をじっとり演じたあの人が、強姦未遂の前科持ちという大衆文学の脇役的人物を、本当にそれらしく演じる。こういうのいるよ。へらへら笑ってて、洟を始終すすってて、なんか落ち着きがなくて、映画で似たのと言えばパゾリーニ映画の常連だったニネット・ダボリをちょっと思い出す。でもニネット・ダボリはおそらくインテリの苦悩は演じられない。恐るべき俳優だ。疎外されたもの同士のいたわりあい、というと、日本だともっと弱者性が前に出て、見物するには心地よい悲劇の舞台を作ってしまうのだけど、この映画はこっちを挑発してくる。この主演二人の凄味が大きい。[映画館(字幕)] 7点(2008-05-05 12:20:54)
103. 女番長 野良猫ロック
タイトルでは和田アキ子のほうが梶芽衣子より先だった。和田の演技力によっては女番長シリーズを考えていたのかもしれないが、彼女には歌に専念してもらうことにして、梶芽衣子の野良猫ロックとしてシリーズ化したということか。でも今見ると主人公はどちらでもなく、70年の新宿そのものだ。開発中の西口がたっぷり見られる。ガスタンクまで見通せる広大な空き地、工事中のとこってすぐ子どもの遊び場になっちゃうもので、もう藤竜也はじめみんなで走り回って遊んでる気分。オートバイとクルマの追っかけで、地下道や歩道橋を走り回るの、今じゃOK出ないだろう。いっぽう東口はサイケな気分、モップスにオックス、あとひとつ知らないGSも登場し、そのグループが歌ういかにもあのころのセンチな響きが、恥ずかしくも懐かしい。そうそう、虚無感を漂わせて話を終えるのもこのころの流儀だったっけ。ボクサーのコーチ役が青木富夫、かつての突貫小僧だ。[DVD(邦画)] 5点(2008-01-31 12:19:00)(良:1票)
104. 鳳城の花嫁
《ネタバレ》 日本初のワイド画面映画に、こういうユーモラスな時代劇を選んだということが嬉しい。あんまりカメラを動かさないですむからなのかもしれないけど。日本の時代小説には、中里介山・大菩薩峠系の暗いニヒルな主人公の流れと、白井喬二・富士に立つ影系の明朗な主人公の流れがあり、時代劇映画もそれを踏襲した。でも大きな流れとしてはニヒルなほうがやや優勢で評価も高め。はぐれものや股旅もの、さらにやくざものと、主流はニヒルになった。明朗派の傑作といわれる山中貞雄の「盤嶽の一生」はフィルムが失われてしまった。こうなれば明朗派を応援したくなる。大友柳太朗の若殿さまが江戸へ出て花嫁探しする、ってだけでもう明朗でしょ。主人公の天真爛漫さが常に映画を明るいほうへと運び、ラストでいいもんも悪もんも走る走る。爽快感がワイドのスクリーンに満ちてくる。横長の画面は、向かい合う二人をその距離ごと横から捉えられる、ってことで生き、それは後の仁侠映画で最も効果をあげることになるわけだ。仁侠映画といえば、田崎潤の役どころ、まず主人公と出会い・次に敵味方に分かれ・でも最後には一緒に悪を倒す、ってのは、やがて昭和残侠伝シリーズでの池部良につながっていく型。[映画館(邦画)] 6点(2008-01-22 12:29:00)
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