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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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【製作年 : 2020年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  オッペンハイマー 並行世界のように異なる時間軸が入り混じって描き出されるストーリーは、「事実」のあり様を敢えて意図的に混濁させ、多角的な“視点”と“認識”を創出している。 「原爆の父」として、特に我が日本にとっては、切っても切り離せない人物として存在するJ・ロバート・オッペンハイマーの目線と人生観を、一つの視点として描き出した本作は、紛れもない傑作である。そして、やはり日本人こそが、腰を据えて観て、様々な感情を生むべき作品だろうと思った。 瀬戸内エリアで生まれ育ったこともあり、広島の平和記念資料館や原爆ドームへは、何度も行ったことがある。訪れるたびに、人類が生み出した「業火」の残酷さに愕然とし、胸が掻きむしられるようだった。 そこに展示されているおびただしい数の残骸と残穢、その一つ一つに残る悲痛な記憶に、涙が止まらなかった。 そして、あの「爆弾」を生み出した人物の所業を呪わずにはいられなかった。 ただ、その当人のことを決して積極的に知ろうとしてこなかったことも、また事実だった。それは多くの日本人にとって共通する事実ではないだろうか。 この国で、戦後の現代社会に生まれ成長してきた者として、必然的に原爆投下の事実と、それがもたらした文字通りの“地獄絵図”は、子供の頃から学校の授業で、漫画で、映画で、写真で、そして被爆者の経験談で、繰り返し見聞きしてきた。 しかし、それをもたらした一人の科学者の人生模様と、彼が生きた社会及び世界の実態に対する認識はほとんど皆無だったと言っていい。 本作を観終えたあと、NHK「映像の世紀 バタフライエフェクト」のオッペンハイマー回を観て、彼が天才科学者として辿った人生の、その一端を垣間見た。 “一端”ではあるけれど、その人生を知って思ったことは、彼が本当に得たもの、最終的に心を埋め尽くしたものは、栄光でも苦悩でも無かったのではないかということ。 そんな都合の良い“言葉”では、彼が“生み出してしまったもの”に対する功罪は推し量れないと思えた。 ブラックホールの研究に傾倒し、時代の流れのままに原爆開発の中心に突き進み、文字通り世界の在り方そのものを変えてしまった男がたどり着いた境地は、あらゆる感情を呑み込まざるを得ない「虚無」そのものだったのではないか。 キリアン・マーフィーが演じたオッペンハイマーの瞳には、野心や後悔すらも呑み込む深い漆黒が広がっていた。それは奇しくもすべてを呑み込むブラックホールを彷彿とさせた。 実は鑑賞から一ヶ月近く経っても、なかなかこの映画に対する感想がまとめきれなかった。いろいろな感情が渦巻いて整理しきれなかったからだ。 題材故に、日本公開が随分と先延ばしになった経緯があるが、もし本作が日本公開に至らなかったならば、それこそあまりにも愚かなことだったろう。 繰り返しになるが、この映画は、世界で唯一の被爆国であり、原子爆弾による死屍累々の上に生きる日本人だからこそ、しっかりと鑑賞して、様々な感情を巡らせるべき作品だと思う。 劇中、ヒロシマ、ナガサキの惨状そのものを映し出さなかったことに対する是非が問われていたようだけれど、それを描き出さなかったことが、必ずしも本作の主題において無責任なことだとは思わなかった。 むしろ直接的な地獄絵図の描写がないからこそ、オッペンハイマーをはじめとする当時の全世界の科学者たちの宿命と、彼らを含む社会のエゴイズムと狂気の様が際立っていた。 そしてその全世界的に渦巻いたエゴと狂気こそが、彼らを踏みとどまる余地すらない無間地獄へと誘い、その地獄は今なお続いているとういことを、この意欲的な映画は雄弁に語り尽くしていたと思う。 原爆開発に限らず、歴史や人間の功績は、常に闇と光を併せ持つ。様々な“視点”によって、断罪と称賛はとめどなく入れ替わり続ける。 “毒林檎”をすんでのところでゴミ箱を捨てた男も、世界を滅ぼす力を持つ爆弾を生み出した男も、ただひたすらに科学に邁進した一人の人間なのだ。 そして人類は、今なお世界の終焉そのものを天秤にかけて、あまりにも危うい葛藤を続けている。 “毒林檎”は、今この瞬間も、アンバランスな天秤の片側でその重みを増し続けている。 果たして、人類は自ら生み出してしまったその禁断の果実を、ゴミ箱に捨て去ることができるのだろうか。[映画館(字幕)] 9点(2024-03-31 22:17:15)《改行有》

2.  オールド 《ネタバレ》 詰まるところ、人間にとっての最大の脅威は「時間」であるということ。 「時間」というものの非情さと残酷。それに直接的に脅かされた時、またはそれを独善的に操れると知った時、人間は狂気と慈愛の狭間で混乱し、混沌を生む。 立ち返ってみたならば極めて普遍的なテーマを主軸に据えた話ではあった。 だが、そこからよくもまあこんな狂った“設定”を思いつき、ストーリーを練り上げ、緊張と恐怖を創出できるものだ。あまりにも奇妙な事象を、極めてシンプルな映画世界の中できっちりと表現している。 「さすがはM・ナイト・シャマランだ」と称賛するに相応しい作品だったと思う。 私自身、常に時間の経過には焦り、脅えている。 特に忙しない人生を送っているわけでもなく、呑気な部類の生き方だとは思うが、それでも無情に過ぎ去る時間を無駄にしたくはないと常に思っているし、ふと覗いた鏡の中の自分が徐々に確実に老いていることを感じるたびに、焦燥感は吹き出る。 自分の子供が生まれ、彼らの足早な成長を目の当たりにするようになると、時間の経過とそれに伴う自分自身の“変化”は、事程左様にくっきりと輪郭を帯びるようになってきた。本作において子供のキャラクターを複数設定している意図は、まさにそういう部分にあったに違いない。 この映画の中で、登場人物たちは非人道的な時間による暴力によって、狂気のるつぼに放り込まれる。 ただでさえ非情な時間が、轟々と音をたてるように流れていき、彼らは焦ったり、恐怖に怯える間もなく、異常な現実を突きつけられる。 この映画のストーリーテリングが、とても恐ろしく、同時にとても面白いのは、登場するキャラクターたちが、異常事態による恐怖や狂気によって破滅していくというよりも、あくまでも「時間」の経過に伴う自然の摂理や、人間としてのある種の成長によって、一生を終えていくというところだ。 ある者は老衰で、ある者は持病の進行によって、ある者は老いていく自分の姿に耐えられず、そしてある者は人間的成長に伴って生まれた盲目的な使命感によって……。 つまりそれらは、すべての人間が通常の世界で生きていく中で誰しも迎え得る結末であるということ。 この世界で生きるすべての人間は、「時間」というサバイバル中に身を置き、生死をかけて彷徨い続けているということを、この奇怪な映画世界は雄弁に物語っていたのだと思う。 どんなに異常で暴力的な時間経過の只中であっても、適切な“死の順番”を迎えられたことに対して、主人公家族の両親たちは“束の間の幸福”を得られたのだろう。 私自身、人の親として、また人の子として、せめてそのことは守りたいと切に願う。[インターネット(字幕)] 8点(2022-07-10 00:19:50)《改行有》

3.  オールド・ガード 不可思議にも不死身の肉体を得てしまった戦士たちが、文字通り終わりのない死闘を繰り広げる物語。 “不死身の暗殺集団”という中二病的設定は、馬鹿馬鹿しくも感じるが、安直故に容易に想像できる彼らの「虚無感」を思うとグッとくる要素もあったのでまあ良しとしたい。 この映画の面白い部分はまさにその「虚無感」であり、何百年にも渡って死闘を繰り返すあまり、もはや何のために闘っているのかその意味を見いだせなくなっている彼らの悲哀が、アクションの激しさに反比例するようにやるせない気持ちにさせる。 不死身とはいえ、彼らの本質的な能力は生身の人間であり、致命傷を受ければ相応の痛みと苦しみを味わう。そして律儀にも「死」に至った後に、蘇る。 重要なのは、決して“死なない”のではなく、「死」という明確な経験を経た上で、半ば強引に“蘇らされている”ということだ。 無論、僕は「死」というものを経験したことはないので、想像の域を出ないけれど、「死」の恐怖は、まさに息絶えるその瞬間にピークを迎えるものではなかろうか。 それを経た上で蘇る彼らは、勿論「無敵」ではあるけれど、これこそ「無間地獄」そのものであり、そのさまはあまりにも痛々しく、惨たらしい。 「世界を救う」という盲目的な使命感のみで彼らは文字通りの「生き地獄」を歩み続けているわけだが、肝心のその世界がちっとも良くならず、何百年にも渡って同じような戦争や殺戮に身を投じるはめになれば、そりゃあ心を病む。 映画のストーリー的にも、実際に登場する悪役は完全に噛ませ犬的な存在であり、真に対峙すべきは彼ら自身の苦悩そのものという焦点の当て方も、題材に対しては適切だったと思う。 そもそもの設定が安直な分、当然ながらツッコミどころには枚挙にいとまがない。 例によって配信映画とは思えない豪華な作りではあるが、良い意味でも悪い意味でもNetflix映画特有のライトさは全編通して感じる。(シリーズ化への目論見は明確なので、続編での補完の仕方次第では今作の評価も上下変動するだろうと思う) とはいえ、主題である「虚無感」を全身に帯びつつも、相変わらず“男前”過ぎるセロン姐さんに対しては、映画世界の設定を超越して「永遠なり」と思えた。[インターネット(字幕)] 7点(2020-09-12 23:34:50)(良:1票) 《改行有》

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