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【製作年 : 1990年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順12
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変更日付順12

1.  オスカー(1991) スタローンのコメディ、って線で宣伝してた記憶があるけど、古風なカッチリした喜劇としてよく出来ていた。ある日の朝から昼まで、ひとつの屋敷に限定し、人の取り違えや鞄の入れ替えなんかで見せてくれる。冒頭人形の歌うフィガロで作品の質を保証してくれる。スタローンはシュワルツェネッガーほど器用でなく、慣れない世界で固くなっているのがかえって「いい奴」って感じがありました。またちょっと周囲にナメられてるようなところもあって、ギャングよりカタギののほうが向いてるんじゃないか、いう感じも合ってました。どういう順で作られたのか知らないが、まずスタローンのコメディという注文があってから出来た映画なら、成功だったと思うけどなあ。昔のコメディをなかなか超えられないと思っているのなら、ときどきこうやってキチンと復習することも大事だろう。[映画館(字幕)] 8点(2013-06-06 09:16:23)

2.  掟(1990) アフリカにおける広さは何段階かあって、「中ぐらいに広い」とか「もっと広い」とかあるのね。日本だと、「狭い」と「広い」だが、あっちでは広さが幾種類にも分類されているよう。それまでもずいぶん広かったが、放浪すると「とっても広く」なる。前作『ヤーバ』でおばあさんが薬を取りに行くところでグーッと広がったのと同じ。共同体を出た心理的広がりでもあるんだろう。共同体の鬱陶しさは、日本もブルキナファソも同じにあるんだ。それにしても、いつの時代か知らないが、この国の男たちは普段何をしてるんだ。ただボーッと歩いてたり、立ってたりしてる。特別遊惰に身を持ち崩しているわけでもなく、ただ働いていない。息子の恋人を盗っちゃうお父さんって、さぞ脂ぎった人物かと思ってると、骨と皮のおじいさんが出てくる。厳格なるものの象徴なんだろう。日本だと共同体って女王蜂的イメージがあるのか女性的なるものに感じる面もあるが、あちらはあくまでも男性的。これ重要な違いね。ボーッと立ってても食っていける男性たちの支配なんだ。女たちが日本なら「あらあらあら」っていうようなところで「ぽぽぽぽぽ」って言うのがいい。[映画館(字幕)] 7点(2013-11-05 09:29:19)

3.  おもひでぽろぽろ 《ネタバレ》 都会のOLが有機農業青年と出会う話なんだけど、その悪意のなさが、けっこう心地よかった。こういう話だと定番である「都会にウンザリしている描写」もない。子どものころの憧れのままで、田舎を思っている。ちょっと単純すぎるかと思いながら、その単純さが気持ちいいのも確かだった。おはなはんのテーマや、ひょっこりひょうたん島や、わが世代をストレートに狙っている(ただ電信柱のトクマ文庫はスポンサーへの配慮優先で時代違いだろう)。学級会も懐かしかった。廊下を走った人を委員は走っていって掴まえていいのか、というようなことを議論するの。分数の割り算、3分の2のリンゴを4分の1で割るとはどういうことか、とか学校のあれこれ。給食の時間に流れていたハンガリアン舞曲は、のちのハンガリー民謡の伏線か。OL篇の丁寧さは、ある限界にまで来てて、ここまで来たら実写と違わないじゃないか、と思ったが、アニメだからって非現実的な世界でなければならないことはなく、雨あがりのしずくや朝日の差すとこなんか、いいんだ。確信犯的な狙いか。都はるみが「ローズ」歌い出したときは、何が始まったんだ、と思っていると、昔の友だちが湧き出してきて、まあ、泣けますわな。[映画館(邦画)] 7点(2013-05-01 09:45:44)(良:1票)

4.  お引越し この監督は水が好きで、今回も不意の夕立やら疎水やら出てくるんだけど、それよりも火が圧倒的だった。引越しのゴミ燃し(放火のニュース)、アルコールランプ、大文字焼き、祭り、舟の炎上。少女の成長って民俗学的にもよく火と関わってる(『ミツバチのささやき』でも跳んでた)。それを背景にして、レンコが「おめでとうございます」と叫んだときには感動した。成長することを自分で祝福し、毅然とまなじりを決して受け入れていく。崩れて行く家族にすがろうとする自分を「おめでとう」と叫んで奮い立たせていく。おめでとうとは、ただお赤飯を前にしてるってだけでなく、厳しい言葉なんだね。前半は「けなげ」のパターンに収まってしまうんじゃないかと思ってたが、あの「おめでとう」でそこから一歩進めた。風呂場に立てこもるときの廊下の緊張、そうか立て籠もる話が好きなんだな。鋭く尖った三角形のテーブル。レンコはよく走った。[映画館(邦画)] 7点(2011-07-22 10:13:25)

5.  オリヴィエ オリヴィエ この題名、本当は前半が手書き、後半が活字なの。家の内側と外側、あるいはプライベートなものと公なもの。弟が不意にいなくなり、不意に現われる、その家族のありよう。男二人女二人の関係が多彩に組み合わされ、すべての男と女の間にはエロス的な線が引かれる。成人後のオリヴィエの気味悪さはなかなかなものである。この気味悪さって、欧米の映画に出てくる東洋人の薄ら笑いに近い。正体不明。なに考えてるのか。家庭を憩いの場としてでなく、緊張の場として見ている。姉の超能力が何か唐突に思えたんだけど、彼女は自分の能力が弟を消してしまったのではないかと思って取り乱し己れを罰したのか(タバコの火)。この事件をなにかの一点に集約させていくって言うより、それぞれの反応を見たかった、って映画らしい。見終わって、だから何なんだ、って気にもなる。エロス的に他人を取り込んでいく「家族」の気味悪さ、とか、「家」の脆さよりもしたたかさ、とか。[映画館(字幕)] 7点(2011-05-26 09:47:51)

6.  オリーブの林をぬけて これは何て言うんだ、恋愛映画じゃなくて求愛映画ってのか。映画内映画という枠組みで、演じることと本心とが曖昧にされ、つまり娘の無関心が本心か演技かというスリルがあって、その限りなくややこしい状況の中で、ストレートにひたすら求愛する。その求愛の「ややこしくなさ」、「ストレートさ」が気持ちいい。やたらしゃべるのに、ほれぼれと聞きほれる。車からの視点が前作に続いて光る。バスを追いかける冒頭のとことか、サイドミラーも構図に入れたシーンとか。二つの動きが一つの画面に混在するめまいのような気分。随所にペルシャンブルー。物分りの悪いおばあさん、この人の映画では年寄りはあまりいい役を振られない。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-11 11:53:19)

7.  男はつらいよ 拝啓車寅次郎様 《ネタバレ》 出来の悪いときでも、やっぱりいいなあと思わせる一瞬がこのシリーズには必ずあり、それで許せてしまう。長浜での祭りの最中、満男が牧瀬里穂に「付き合ってるのいるの?」などとウジウジしてると、人込みの中からフラリと寅が現われて「いたっていいじゃねえか、そいつと勝負するんだ」と言って、また人込みの中に消えていくところ。このシリーズのカンドコロを押さえている。満男が社会人になっていて、さくらの結婚で始まったこのシリーズが一世代経過する時が近づいていたわけだ。寅が満男の会社に挨拶に行こうとした顛末を電話語りにしたことで哀愁が出た。ここで叱られたせいで、あんまり甥の恋愛に積極的に関わるまいと自制しているのか、寅はもっぱら説教専門、牧瀬とはあまり絡まない。かたせ梨乃の旦那が来たとき、神戸浩は「じ、じけんです」と言って寅のもとに走った。アタマとオシリの小林幸子は不要。[映画館(邦画)] 7点(2010-05-26 12:03:07)

8.  音のない世界で 聾者の、耳が聞こえないってことに、健常者は鈍感すぎてもならないが過敏すぎてもならないってこと。差異は認めて差別はするな、ってことか。手話の身振り手振りこそ、まさに映画が誕生したときにあったコミュニケーションだったわけで、彼らは「観る」ことのスペシャリスト、「身振り手振り」の専門家である。細かなエピソードが、聾者を身近なものにしてくれる。親族のほとんどが耳が聞こえない中で、どこそこの子だけは、かわいそうに耳が聞こえてる、と言っている青年。身近に子どもの聾者しかいなかったので、大人になる前にみんな死んでしまうんだと思い込んでいた子が、初めて大人の聾者を見たときの喜び。家族がどっと笑っても何で笑ったのか分からない孤独。健常者と聾者、どんなに同じだと言っても、音楽を楽しむことだけは違うだろう、と思っていたが、冒頭の四部合唱(!)、一種のパフォーマンスかも知れないが、確かに音楽に近い何かだった。欠損は欠損には違いないが、それを補う力が人間には強いってこと、また欠損があることによって豊かさに敏感になれるということ。聾唖者こそ、サイレント映画の監督にふさわしいのではないか。というか、映画監督に必要なのは、聾唖への想像力だ。[映画館(字幕)] 7点(2010-04-17 11:58:06)(良:1票)

9.  親指トムの奇妙な冒険 《ネタバレ》 それほど観ているわけではないが、人形アニメって悪夢的傾向があるような気がする。シュヴァンクマイエルの印象が強すぎるせいかも知れないけど。人形が動くこと自体、もう悪夢なのだろう。それと人形にアニメは、ともかく「ゴクロウサン」という気持ちにさせられる。壁やテーブルを這い回る虫だけでも大変だったろう。そうか、こういう面倒なことをやってる作者の存在自体、日常をかけ離れた悪夢的な印象があるんだな。皿の上で跳ねてる魚や料理やのシーンみたいのが好き、人間が絡んでいるシーン。主人公はETふうの表情で、世間に対する好奇心と戸惑いを持っている。十字架にかかっているサンタクロース。もうちょっとでノドに届くカミキリムシのブローチ。ブルジョワ家庭に原寸大で生まれ変わったトムの回りには、ハエが天使のワッカを作っている。やっぱり人形アニメの世界って、ちょっとクレイジー。[映画館(字幕)] 7点(2010-03-04 11:58:15)

10.  乙女の祈り 少女の特権は、現実に対する仮借なき軽蔑だ。どちらの家庭も、鯖の臭いや腐ったサンドイッチの臭いをたてている。その中で夢見る絵はがきの中のくすんだ黄色に包まれたような王国。現実逃避と言われればそれまでだけど、もともと彼女らは「現実」に対して、まじめに付き合うだけの価値を認めていないわけだ。その世間の外側、イギリスや南アのほうがかえって粘土の王国に近い。南米の芸術などを考え合わせると、どうも南半球にはイマジネーションを過剰に活動させる磁場があるらしい。あの母親役が良かった。少女の眼から見た単純な敵というのではなく、慈愛あふれるがゆえに鬱陶しい存在。これは向こうの人が観ると、ニュージーランドとイギリスの関係にダブるのかなあ。[映画館(字幕)] 7点(2010-02-23 11:54:13)

11.  鬼火(1997) 老いの秋ではなく、青々とした夏が背景となっているので、なかなか街に溶け込めないムショ帰りの主人公の気分が生きてくる。墓参りして改心した原田芳雄が街に戻るが、しかし力仕事はもう無理、けっきょくヤクザのとこの運転手となりズルズルかかわっていってしまうあたりのリアリティ。世の中と合わないこの感じを突き詰めていけば、新しい映画ジャンルを拓くか、とも思ったが、けっきょくタメて爆発するという仁侠映画の大枠に収まっていった。スカッとはするけど、ああまたそこに戻っちゃったか、という気もある。古本屋での会話「ハイ、百八十万円」「釣りはとっといてよ、家でも建てて」なんてあたり、いいよね。[映画館(邦画)] 7点(2009-01-31 12:17:02)

12.  大阪物語(1999) 《ネタバレ》 沢田研二が舞台で「夫婦善哉」やったときはちょっと驚いたが、そうだ、もう映画では“無能=スカタン”の役やってたんだ。さらにさかのぼれば『男はつらいよ』で動物園の気弱な飼育係をやったとこにまでつながるかもしれない。大阪には“しょうもない男の系譜”ってのが、近松以来ずっと最近の町田康(これに出演している)に至るまで、文化として継承されていて、それを自慢さえしている。これの沢田、女癖が悪く賭け事に手を出しては失敗し、「芸人は何でも知ってコヤシにせにゃあかんのや」と春団治みたいなこと言って「あんたそないなたいそうな芸かいな」と言われると、エヘラエヘラ笑ってしまう。別れた女房と腹ふくれた愛人とみんなでクリスマスパーティやって、「ええクリスマスやなあ」と悦に入っている。でも娘に「父ちゃんカスか」と問うと「カスや」ときっぱり返され、するとメゲて失踪する。娘が尋ね歩くと、なぜか誰にでも愛されている…。もうこの父ちゃんのスカタンぶりだけで嬉しかった。後段、トオル君が出てくるとつまんなくなる。少女の成長物語には男の子がなくちゃならないとでも言うのか。[映画館(邦画)] 7点(2008-12-12 12:19:09)(良:1票)

13.  男はつらいよ 寅次郎の休日 前作『ぼくの伯父さん』以後は、源氏物語で言えば「宇治十帖」にあたり、光源氏(寅に相当する)の過ちを光の後続者(甥・満男に相当する)が反復する世界である。じっくり諸行無常を味わわねばならない。久しぶりの夢では、カタンカタンと鳴る雅びなししおどしが、俗なゴトンゴトンの臼つきになっていく。コンとでは釣り人と酔うが、釣り人には帰る妻がある、と淋しい。泉ちゃんが来てて、二階のエレクトーンの音が途切れるたびに階下のヒロシがハッハッとするギャグが楽しい。「兄さんの甥でもあるんだぞ」ってのは、ほんとは安全ってことなんじゃないのか。寅が街の人に「俺の娘よ、ざまあみろ」ってのも、思えば哀しい。で日田での幸せそうなお父さん。女の人が宮崎美子で、夏木マリを裏返したタイプ。四人で仮の家族を構成し、満男に「いつも初歩的な過ちを犯してるじゃないか」と言われるのも哀しい。満男が寅にセーターを贈る。「もし伯父さんに奥さんがいたら」。冷静に観察されている寅であった。「伯父さんは本当に幸せなんだろうか」ってモノローグで語られちゃいまでする。まあ脇に回った寅に気配りをしたって程度であまり突っ込まないが、本シリーズのテーマの一つでもあろう。などと生々流転の風が吹き抜ける宇治十帖的な味わいであった。[映画館(邦画)] 6点(2013-10-21 09:35:16)

14.  おいしい結婚 平成版秋日和。親子も似せてある。不愉快な人物を登場させず、淡々とゴールインまでを描いていくんだけど、なんなんだろう、このうつろな感じ。『家族ゲーム』ではそこに焦点が当たっていたんだけど、もしかすると監督の作品で感じるうつろさは、意識的なものじゃなくて体質的なものだったのかも。現代のそういううつろさ・手応えのなさを、そのまま反映できるってのも才能の一種ではあろうが。都会の白いオフィスや原色の家具だけでなく、ラストの緑の野にもうつろさがある。南美江のおばあさんが弱かった。あれが重しになれたのかもしれない。おかしかったのは夫を送り出すときに異様に躁状態になる入江若葉。階段を一段ずつ上がりながらの会話。あるいは鍋を囲んでの会話。うまく合わない楽しさ。テーブルの配置も不思議。あとは、競技場での顔合わせのときのせりふの入れ方。[映画館(邦画)] 6点(2013-06-27 10:04:19)

15.  男はつらいよ 寅次郎の告白 侘しさ・ひなび・渋味・地味と鳥取篇。杉山とく子の店のエピソードのしみじみした感じあたりは、やはり良い。豆腐を入れたまま流れていく鍋。一本の作品としては求心力が弱いが、就職とか母の愛人とか「少女の脱皮」ものでくくれたか。就職がうまくいかないあたりが丁寧で、社会への気後れの出し方がうまいので、思わず応援したくなる。寅のほうは吉田日出子なんだけど、もう今までのマドンナシステムは完全に崩壊して旅先でのエピソード止まり。柴又にも来ない。うまく行きそうになると逃げ腰になる伯父さんを、満男は反面教師として眺めているのでありました。もう完全にミツオ=イヅミが主役(そのせいでダンゴ屋に人を吸い寄せる力がなくなったんだろう)。帰りの列車、向かい合ってた二人が、寝てる客のせいで並んで座って、手を重ねるなんて段取り、こういうとこはやっぱりいいな。[映画館(邦画)] 6点(2012-08-05 08:58:57)

16.  女殺油地獄(1992) これは近松の世話ものの中では唯一恋愛の描かれてない作品で、不良のせがれのいる河内屋の家庭劇という面があり、新劇やテレビドラマで取り上げられたときは、そこらへんを焦点にしてたが、本作はそれには関心を示してない。どっちかというとお吉を主人公にして、与兵衛への想いを持っている設定。オバンの情念の話にしてる。小菊(原作では遊女)をかたぎの娘にして恋仇にしてる。つまり近松の姦通ものの世界に組み直したような新解釈。でもそれだとどこか無理があり、のめり込んでいく凄みみたいのは感じられなかったなあ。小菊の嫌がらせだけで密会に行くのは飛躍ではないか。そこまでの段取りとしては、まず夢での自覚があり(風圧にゆがむ顔)、からかいみたいのがあって、婚礼があって(ここらへんはなかなかケレンで、狐面つけたり花火したり)と、一応準備運動はこなしてる。でもあの時代密会した男女が一緒に帰ってくるってのは、無理があるんじゃないか。殺しのシーンはスローモーションで、タプタプいう音にビチャビチャいう脚の音などが効果を出していた。この原作では堀川弘通監督版てのもあった。当時の扇雀、今の坂田藤十郎が与兵衛を演じた。新珠三千代のお歯黒が凄惨さを高めており、新解釈を加えない原作に沿った家庭劇としてこっちのほうが見応えあった記憶。[映画館(邦画)] 6点(2012-03-29 09:58:40)

17.  男はつらいよ 寅次郎の青春 このシリーズでは、よく人が人の家にやっかいになる。泉がさくらの家に、寅が蝶子の家に、こういうときの女主人の導き入れ具合の自然さに、気持ちのいいものがある。あんがいこのシリーズの重要なポイントかも知れない。よその人・旅人を積極的に家の中を通過させようとすること。そのことによって社会が悪く固着するのを攪拌してるような感じだろうか。もちろん、たいていが顔見知りだった村社会時代への、アナクロニズムなノスタルジーでもあるんだけど。寅は怪我さえして本当に背景に退いて、でも恋があっただけでも良かった。朝、船出する弟と蝶子さんの会話をしみじみと聞いているシーンなんか、ずいぶんと地味な味わいになってきた。[映画館(邦画)] 6点(2011-11-13 09:48:35)(良:1票)

18.  夫たち、妻たち 今回の趣向は、ドキュメント風の手持ちカメラで押し通すこと。ドキュメントと言うよりもニュースタッチか。二組の夫婦から始まって、少しずつほかの人を巻き込んで広がっていくおかしみ。人間関係は、より安定を求めて動いていそうでいて、実はより不安定なほうへ流れている。ミア・ファーロウのタイプを元の旦那が「受動的攻撃性」と言ったのがおかしかった。受身のポーズでけっきょく自分の思い通りにことを運んでいく、って。人間関係への期待と幻滅。灰色の帽子をかぶって妥協してしまう。笑いとしては女学生レインが身の上を語るあたりか。役者ではジュディ・デイヴィスがピタリ。険があって魅力的ってのは難しいのではないか。ヴァンプとか貴婦人なら分かるけど、普通の人間らしい魅力に仕立てている。[映画館(字幕)] 6点(2011-09-30 13:26:02)

19.  オルランド ややこしい。男から女に変身するオルランドを女性が演じ、エリザベス一世を男が演じている。原作・監督ともに女性。キートンのような憂い顔の主人公、「男の人は先のことを考えすぎるのよ」とロシア少女に言われる。彼のメランコリーは何なのか。選ぶスリルのない生活、老いない、恋をしない、詩は読むばかりで作れない、戦さにも加わらない。ならば選ばない人生の女に変身しよう、ってことか。選ばれる人生、でもそれも拒む。ただ子どもを産み落とす。選びもせず、選ばれもせず、昏睡になっても心臓の鼓動は聞こえてくる、それでも生き続けること。話のツボがよく分からないんだけど、変身するってのが適応しようとすることなら、つまりどちらの性も、それ以上でも以下でもなかったって話なのか? 画づくりにはグリーナウェイの影響ありと見た。音楽のあるシーンのほうが勢いがある、ってところも似てる。[映画館(字幕)] 6点(2011-05-23 10:14:58)

20.  男はつらいよ 寅次郎の縁談 旅の地はますます桃源郷の様相を見せてくる。たしかに年寄りばかり、巡回診療とか、その土地の問題点も見せてはいるが、ミツオも松坂慶子も、皆ここに来て癒される。このシリーズの世界が、はっきりと現実と空想に分化し始めている。というか、もう空想でしかこういう地がなくなってしまったってことなんだろう。ミツオは、寅の弟子としての寅的なものと非寅的なものとの間で、シリーズのポイントになった(ミツオが膨らむぶん、マドンナの話がしぼむのは仕方のないことか)。寅との共通点を認めつつ、空想の側から現実の側へ追い返させる。それは山田作品における「青年」の役割りでもある。これはもう寅が完全に空想の側の住人になってしまったってことでもあるんだろう。シリーズの終焉は、主演俳優の病勢に関係なく近づいていたわけだ。御前様の代わりに光本幸子が再登場したりするのも、今思えば、なにやら死期が近づいた人に「走馬灯のように」過去が巡っているようで、縁起がよくなかった。[映画館(邦画)] 6点(2010-12-29 12:19:11)(良:1票)

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