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【製作年 : 1970年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  男はつらいよ 寅次郎恋歌 酔っ払いを連れてきた寅が、さくらに唄を歌わせる。あの後の自責の念が募るあたり、いいなあ。唄のうまい身内を自慢したい軽い気持ちで呼び込んだことから、自分が妹に対して迷惑ものであると悟り、「俺はこの店の空気と違うんだ」と身に沁みてしまう。内と外の切り替えがうまく出来ない人なんだな、基本的に彼は。そういうモチーフはシリーズを通してしばしば現われるが、このエピソードなんかはとりわけ哀切。あとヒロシの母親の死が重いモチーフとして本作の中心にあるが、寅が焼香に現われる場や、さくらが義父宅に電話すると寅が出るあたりで笑いに代えている。池内淳子が経済的にきつい目にあっても、仁侠映画のように殴り込みにいけない寅であった。このシリーズは東映の仁侠映画のパロディとして始まったものだったが、社会悪に対する怒りを行動にすることの無力をしみじみ知らされた70年代の雰囲気を記録してもいた。[映画館(邦画)] 8点(2014-01-24 09:39:26)(良:1票)

2.  男はつらいよ 柴又慕情 渥美・おいちゃん(ここでは松村達雄になってしまったが)・おばちゃんの演技と、倍賞・前田の演技の質の違いをうまく使ってるんだなあ。こういう異質な要素が混在するって、コメディを作るときは難しいと思うんだが、それをうまく使っている。寅がヒロシをからかうと「ひどいこと言うなあ、にいさんは」なんてあたり。ヒロシのマジメくささを微笑ましく見せるような笑いの場に変えて、二つの世界のズレを生かしている。たぶん前田吟は「若者たち」の山本圭に連なるキャラクターで、60年代だったらそのままで堂々と主役を張れたはずだ、マジメさだけを売り物に。ところが69年に断層が出来、プログラムピクチャーの本通りが東映の仁侠映画から寅さんシリーズに移ったように、マジメがマジメだけじゃ使えなくなってしまった。マジメの前田吟を、異質な要素としてときにからかい・ときに逆にとらやの人たちを対象化する存在として、とらやに呼び込んだよう。寅の恋の物語としては、ベースの形を味わえる。「また来るって、また来るって」とか「ヨシッ」とかウキウキするかと思うと、二人っきりになるとオロオロしてしまい、さくらが帰ってくるとホッとしてすがるあたり。ほんと子ども。だから大人の相談に入れてもらえない。本シリーズでは『七人の侍』の面々が、“男らしさを無理に貫く寂しい人”として登場するが(あと志村喬や三船敏郎)、今回の宮口精二も良かった。監督の『七人の侍』へのオマージュであり、また批評でもあるんだろう。[映画館(邦画)] 8点(2014-01-13 09:40:14)(良:1票)

3.  男はつらいよ 寅次郎夢枕 《ネタバレ》 長期にわたったシリーズもののベストを判断するのは難しいが、それぞれの作品を観たときのトキメキの記憶で比べてみると、私は本作で一番ときめいた。寅の恋路がうまくいくってのの最初で、恋路でもないんだよな、ラッキョは緊張しないでいられる女性だったわけ、そして他人(米倉斉加年)の恋を優位に立ってクスクス笑いながら見ていた寅が、突然当事者になってしまいガクガクッとなってしまう。この転換に唸りましたな。パターンの引っくり返しでありながら、ただそれだけでなく、すごくキャラクターとして納得がいく。寅の悲劇の核がここにある。寅という人物がしっかり確立された一編であり、また八千草薫でなければならないマドンナだった。彼女のほうもすんなり納得できる。ラストのとらやで「あたしが振られたのよ」とか言って、まわりが冗談だと笑っていると「なんでおかしいの」と言うその語り口が(あくまで社交の範囲内の会話でありながら、本当にどうして理解されないのか、と思っているのが半分、理解されないことに対する苛立ちが半分)絶品だった。八千草さんてテレビの「岸辺のアルバム」では、スルッと不倫に走ってしまう貞淑な人妻をリアリティみっちりで・しかも不潔感皆無で奇跡のように演じたし、だいたい「ちょっと普通でない人」をやらせると凄いんです。[映画館(邦画)] 9点(2013-12-31 09:31:52)(良:1票)

4.  男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 《ネタバレ》 最近『ジョーズ』を再見したら、夢がジョーズの寅があったな、ということが気になり、調べたらこれだった。逆の流れでなく、夢づたいに思い出させる力があるのが寅シリーズの強さだ。これは「芸術とは何ぞや」を軸に語った一編。のちに『あじさいの恋』でも芸術(陶芸)と金銭の関係に触れるが、これでは酔った宇野重吉がちょろちょろっと描いて7万円の愕然から始まる。名前を有り難がる芸術市場への皮肉のようでもあるが、そこまでは言えないか。ついで龍野の旅になり(この風景の美しいこと)、宇野重吉と同行することで「車先生」になるあたり、やはり「名前で尊重される社会」への皮肉で通じ合っているような。宴会の里芋コロコロ。このシリーズでは食べ物のギャグが不思議と印象に残る。芸者ぼたん。この突き抜けた明るさがいかにもコロッと騙されそうなキャラクターで、また騙されることが美質に感じられるのが大事。後半で騙されたぼたんに一緒に付いていく社長もいい。工場の宴会に来てもらった返礼になっている。名前で有り難がるのではなく、相手の実質の行為に実質で応えようとする。寅はこういう現実社会の悪にはまったく無力で、池内淳子の『寅次郎恋歌』以来いつも傍観せざるを得ない。ただし本作では最後に宇野画伯の牡丹の絵を持ってきてきれいに締める。「金銭に代えられない芸術の価値がある」と言葉にすると愛想がないが、それを軸にして一編の人情話に見事に仕立てている。[映画館(邦画)] 8点(2013-11-28 09:14:16)(良:2票)

5.  男はつらいよ 噂の寅次郎 細かいギャグは忘れても、マドンナが誰だったのかさえ忘れても、大滝秀治の坊さんに「女難の相が出てる」と告げられるやつ、として記憶に残る作品。もう少し若いころの寅だったら、オロオロうろたえるリアクションになってたかもしれないが、いいのは「分かっております」と淡々と受け入れているところ。「分かっている」んだ。女難に至る女性関係を持てない、という女難もあるのか。啖呵売では女房持ちと偽って商売をしているし、旅先ではさばけた大人の態度で女性(泉ピン子)と対せるのに、とらやではコワバってしまう。大原麗子が別居していると知って、子どものように店先で前後にステップしてる軽さが本性。夢の石仏から抹香臭さがあり、社長自殺か? のエピソードから救急車、「こんにゃく物語」の挿話と、暗い影がけっこう作品を覆っていた。ラスト近くの北風吹き込むとらやも電灯つけずに暗い。女難どころか妻帯にも至れない寅は、離婚したばかりのマドンナにどう対応していいのか分からない。その無力を寅も自覚している。妻帯し一家を構えることの重さが寅にはたぶん耐えられない。柴又駅のホームでさくら・嫁と志村喬・舅が交わす会話のいい感じは一生味わえない男だろう。旅先の人間関係の稀薄なところでのみ闊達な寅なのだ。本人が言っていたように「暗い男」なのである。働きに来た大原麗子におばちゃんが「赤坂の虎屋とは関係ないんですよ」と念を押すのがおかしい。[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-08-24 09:41:23)

6.  男はつらいよ 純情篇 《ネタバレ》 前作『望郷篇』でひと区切りつけたかったシリーズが、さらなる長距離走になっていった第六作。テーマは大袈裟に言えば「故郷からの独立の難しさ」となりましょうか。故郷へ逃げ帰る宮本信子のエピソードで始まって「帰るところがあるから俺はダメなんだ」と寅は自覚し、「でも俺帰るとおいちゃんもおばちゃんも喜ぶからな」と理由を見つけて柴又に帰る(タイトルでは珍しく故郷の空撮もあり)。ところが帰ると邪険そうなおいちゃん・おばちゃん、その理由である下宿人若尾文子と顔を合わせ…、という段取り。あわせてヒロシが独立したがるという重い話題もあり、親(故郷)の金をあてにする。社長への義理と夢との葛藤はもっと突っ込めるモチーフだが、寅の無責任ぶりで笑いをとってあっさり決着。いつもマドンナ役の魅力を引き出すシリーズだが、今回の若尾はあんまりパッとしなかった。夫が迎えに来るとすぐ帰ってしまうのは彼女の役ではないような。「女って弱いわねえ」と呟くだけ(逃げ帰れる故郷のあった宮本信子との対比)。啖呵売(たんかばい)がたっぷり収録されてるのが本作の特徴。小沢昭一が「日本の放浪芸」を完成した年で、そういう民俗学的なものへ世間の興味があったのか、それとも監督の小沢の労作への直接オマージュだったとも考えられる。「消えつつある文化」としての寅の口上を学生(?)が録音してる場面があり、はっきり滅ぶ側の人間として寅が眺められている。本作の締めとして「故郷ってやつはよう」と寅が言いかけると、電車のドアが締まって最後まで言わせない節度。[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-07-20 10:01:11)(良:1票)

7.  男はつらいよ 寅次郎忘れな草 このシリーズでは旅先の風景シーンがいつも素晴らしく、本作も北海道の広さなど見事なものの、今回心に残るのは、東京のリリーがらみの二つの情景だ。母との場、それとリリーが立ち去った部屋のうつろさ、まるで北海道の広さの対照物のような狭さ・暗さがザックリ心に染み入り、こういうシーンがあるせいで、作品はぐんと深まる。「俺たちアブクみたいなもんだ」とかっこよく詠嘆しながらも、寅には北海道まで迎えに来てくれる身内がいた。身内がいるっていいものだ、と思わせておいて、後段になって、リリーの身内=母が登場し、金をねだる。リリーが悪態をつき、言い返すか何かしてくれればまだいいのに、ここで母に泣かれる。このベトベトした「身内」というもののやりきれなさが、五反田(?)の高架下や濁った川が画面を埋める狭苦しさと重なる。明るいとらやの人たち全員に拮抗する暗さをこの母(利根はる恵)は一人で持ち、ワンシーンだけなのにこれまでの母娘の軋轢の長い歴史をしっかりと示した。あと寅がリリーの去った部屋を訪れるシーンもいい。彼女の内面を語ってくるすさんだ室内。別の部屋の住人がこわごわ応対する。かたぎの住人にとっては、女に逃げられたやくざのヒモにしか見えない寅なのだ。アブクみたいなリリーと寅、「とらや=身内」という背景を除いてしまうと、寅もこの荒廃した情景にふさわしいという現実を一瞬のうちに見せたシーンだった。ヒロシが憧れる「広いところを旅する気ままな暮らし」の後ろには、こんな部屋が隠れている。[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-06-14 09:58:33)(良:1票)

8.  オープニング・ナイト カサヴェテスが好む「演じること」というモチーフは、当然芸人への興味に通じる。『アメリカの影』や『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』に出てくる客受けしない芸人たち。演じさせられることの嫌悪がここにはある。はしゃぐことが使命となっている人たち。自分の世界と舞台の世界との落差が彼らを疲れに追いやる。あるいは俳優。本作は、段取り通りの決められたセリフ・決められた演出がどうしようもなく嫌になってしまった女優の物語だ。段取り通りの進行に感じる閉所恐怖、それに彼女が段取り通りに老いていく不安が重なって、映画は進んでいく。舞台上の俳優をクローズアップで捉えるものだから、演じられているストーリーが意味を奪われ、舞台に閉じ込められている人物として見えてくる。演じている自分は何者だろうか、という疑問。ジーナは自分たちのことを「誰から私たちのふりをしているの」と言っていた。演じている自分も実は誰かに演じられているのであって、そういう連鎖が無限に続いた果てで何でもなくなってしまっていたとしたら。演じるということは何かのふりをすることである。幸福であるふりをすること・リラックスしているふりをすること、しかしその「ふり」をする俳優的人間は、「ふり」をしている自分は幸福ではない・リラックスしてはいない、ということをいちいち確認させられているようなものである。演じることの苦痛がここにある。彼女はとうとう舞台の上で作品を離れ即興の芝居、というよりも夫婦漫才を始めてしまう。そのはじけるような解放感。俳優は演じることによって自分自身から逃げ出せる特権も持っていたのだ、しかしそれは自分自身を限りなく曖昧なものにしていくという代償と引き換えなのだけど。この矛盾の中にカサヴェテスは「演じること」のテーマをつかんでいる。『こわれゆく女』では深刻だったが、本作ではからかいのようなゆとりがあって、若干息を抜けホッとする(ヒッチコック劇場にこの二人が出演した「ひとり舞台」というスリラーが、やはりステージものだった)。[映画館(字幕)] 8点(2011-08-10 10:15:13)

9.  オブローモフの生涯より 室内も多くは自然光での撮影、時には顔も見えないような暗さが停滞感につながっている。ナレーションに頼らざるを得ないところに、この原作を映画化する無理がちょっとあった。オルガの心の動きなんかもう少し丁寧にやってもらいたかったような。ま題名が『~の生涯より』となっているところに逃げが用意されてるんだけど。いい場面は、岩風呂みたいなところで述懐するあたり。またオルガの裁き、「あなたは自分の役割りを楽しんでらっしゃるんだわ」、しかもそれをすぐに認めて自責するところが哀れ。いつも「俺なんか」と考えてしまう性癖なの。何事にも自分は「ふさわしくない」と思ってしまう(あ、今思ったんだけど、これって股旅ものの主人公のタイプじゃない?)。それだけにラストのほうで自転車に手を貸していく姿が、妙に胸に迫ってしまうのだ。[映画館(字幕)] 7点(2010-01-06 11:57:55)

10.  女番長 野良猫ロック タイトルでは和田アキ子のほうが梶芽衣子より先だった。和田の演技力によっては女番長シリーズを考えていたのかもしれないが、彼女には歌に専念してもらうことにして、梶芽衣子の野良猫ロックとしてシリーズ化したということか。でも今見ると主人公はどちらでもなく、70年の新宿そのものだ。開発中の西口がたっぷり見られる。ガスタンクまで見通せる広大な空き地、工事中のとこってすぐ子どもの遊び場になっちゃうもので、もう藤竜也はじめみんなで走り回って遊んでる気分。オートバイとクルマの追っかけで、地下道や歩道橋を走り回るの、今じゃOK出ないだろう。いっぽう東口はサイケな気分、モップスにオックス、あとひとつ知らないGSも登場し、そのグループが歌ういかにもあのころのセンチな響きが、恥ずかしくも懐かしい。そうそう、虚無感を漂わせて話を終えるのもこのころの流儀だったっけ。ボクサーのコーチ役が青木富夫、かつての突貫小僧だ。[DVD(邦画)] 5点(2008-01-31 12:19:00)(良:1票)

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