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【製作年 : 1950年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
1. 白鯨 《ネタバレ》 初見は放送で観た吹き替え版。40年以上昔で小学生だったと思う。子供ながらに、とても重々しいものを感じました。自分の死を悟った銛打ち大男に他の船員がイタズラするシーンや、白鯨に磔にされたエイバブの手招きシーンが強く印象に残っていました。久しぶりの再見で感じたのは、「白鯨対エイハブ」は「自然対人間」の代理戦争なのかな、と云うこと。人は自然の猛威には敵いません。でも、人の歴史とはそれを克服しようとした努力の積み重ねとも言える。エイハブの場合は努力と云うより恨みと執念でしたけど、それも人のエネルギーのひとつで否定したくはない。付き合わされる船員には同情しますけどね。 それと、昔の船乗りの文化、特に捕鯨文化が映像で観られる意味で貴重な作品だと思いました。鯨を狩り、脂を搾り、港に戻って家々に明かりを灯す。人はそうやって生きてきたのですね。 余談。私は小学校の給食で鯨の肉を食べて育ちました。特に美味しいとは思わなかったけど、あの頃はあたり前に食べていました。現在は鯨をはじめとした一部の哺乳類を食することを極端に糾弾する方々がいますけど、じゃあ、牛や豚はいいのか、と思っています。野生の鯨と食用に飼育される動物は決定的に違うのだろうか? 小さな手羽先ふたつで命がひとつ。そんなことを考えながら飲み屋で手羽先を注文する人はいない。私は手羽先も牛肉も豚肉も好物です。まとまりナシ。[地上波(吹替)] 7点(2018-03-28 01:26:33)《改行有》 2. 幕末太陽傳 《ネタバレ》 幕末の品川の遊郭を舞台に、市井のバイタリティを描いた作品でした。群像劇の様相がやがて一人の男にフォーカスして行く。遊郭で無銭飲食した末に住み込みで働き始めたその男(=フランキー堺)は発想が柔軟で金銭感覚に長けおり、口は悪いが人情家。幕末を回天させた長州の志士とも渡り合う。歴史の表舞台には上がらない民間のヒーロー像を描こうとしたように思えます。彼は労咳を病んでいて、それが芯に秘めた強さと無関係ではない。複数の古典落語を原典としているらしいのですが、その辺りは不案内で、知識があれば違った楽しみ方が出来たのかもしれません。 本作は45歳で病没した川島監督の39歳の作品。製作当時の監督の想いと主人公像が被ります。川島作品は「風船」に次いで2作目の鑑賞でしたが、両作とも「生き様」に対してひと言ある作品でした。[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-05-30 23:02:39)《改行有》 3. 波止場(1954) 《ネタバレ》 若い頃のマーロン・ブランドは初めてだったけど、やっぱりやくざっぽい役は似合っている。なんというか、ひねくれた顔つきなんですね。ハトを飼っていたりして、ナイーブな側面を見せるように努力してました。元ボクサーのゴロツキが更生する話で、「ロッキー」などはこれをモチーフにしたのかなと思いました。波止場の輩の中で「真昼の決闘」みたいに孤立するのかと思ったら、周りもそこまで腐っていない。でも、助けに入るのが遅く、それは演出の都合だけが理由のように見えました。主人公も正義に目覚めたというより殺された兄の復讐の印象が強く、波止場の連中も自分達の仕事の仕切りの適正化に手を貸しただけで特別なことと思えない。偉そうなことを言ってる割に役立たずな神父が目障りでした。もうひとつ盛り上がりに欠ける作品でした。[CS・衛星(字幕)] 5点(2011-03-13 23:16:22) 4. 晩菊 およそ映画にならなさそうな一線を退いた元芸者たちを主役に据えて、でもそれなりに見せるストーリー。僻み、妬み、憐憫、同情、優越、虚栄、驕り、などなど。露わにしないことが節度とされる現代の常識を軽やかに飛び越え、ネガティブな感情をほぼ剥き出しにして生きるおばさんたち。みなさん、概して打たれ強い。観ているこちらの腰が引けると同時に、世間話の現場を覗き見しているような微妙な見応え。特に、燃え残った妄執を金儲けに捧げるハリネズミ・きんさんが強烈。人生って、実は一線から退いた後半戦にこそ、それぞれの生き方の色が出るのかな、なんて感慨が浮かぶ。妙な満腹感。凄い映画なのかも…。[CS・衛星(邦画)] 5点(2010-04-25 18:47:56) 5. 白痴(1951) 《ネタバレ》 原作未読、というかドストエフスキーは読んでいない、というか過去何度もチャレンジして挫折しています。そんな原作知らずの私から見ると、これはまるでSF映画でした。主人公の能力は、相手の目を見るとその人が幸福か不幸かが判ること。ニュータイプみたいだ。不幸な人を見つけると、その人の性別や富貧に関わらず感心を持つ。それは憐れみに近い感情のようだが、女性は愛情と勘違いする。それがいざこざの種になる。まるで一人の超能力者がその能力をひけらかして騒動を起こしているような風情だった。本来は、無垢な精神を持つ者が周囲の俗物から浮いてしまって不幸が起こるという話なのだろうが、先述のように観るほうがしっくりくる。主人公はタイトル通りの人には見えず、超能力者だと思ってしまうと、もううざったい奴以外の何者でもなくてイライラしました。原節子と久我美子はともに美しく、特に原節子は眼差しの迫力が怖いほどでした。[CS・衛星(邦画)] 4点(2011-01-03 14:47:09)
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