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41.  ハイヒール(1991) 《ネタバレ》 ちょっとした人物の絡みが、どんどん人の関係を広げていってしまう横滑りの感覚が面白い。手話通訳の女性が容疑者として三人目に並んで座ってたり。一番のギャグは手話通訳で犯罪自白を表現するとこね。グレートマザーに敗北し、吸収されていく娘の話ととればいいのか。なにやってもかなわない。自分の罪まで吸い取られていってしまう、って。母が見てると思うと緊張して笑ったりしてしまう(ニュースの時)、なんてのもあった。でもそう決めちゃうと、その向こうで監督が「わーい、引っかかった引っかかった」って笑ってるような気もして落ち着かない。もう一ひねりあるようなオレンジ色の世界。とりわけブルーを背景にしていると、あの色は不気味なんです。オカマの歌に合わせて客たちが身振りをするとこなんかも実にヘン。キャスティングにビビ・アンデルソンの名が出てたが、どこにいたんだ。まさか判事の老母? 『秋のソナタ』への言及もあったなあ。母と娘の葛藤の映画ということで。[映画館(字幕)] 7点(2012-01-13 10:31:48)

42.  二十日鼠と人間(1992) 《ネタバレ》 映画の評価に原作の力が入ってくるのはある程度仕方なく、原作がいいとやっぱいい。少なくとも原作を殺してない、ってだけで評価していい。スタインベックの映画化では『怒りの葡萄』『エデンの東』の二大名作があるけど、話としてはこれが好き。なんか山本周五郎の「さぶ」思い出したりして。登場するみなが夢や憧れを持ちながら孤独に沈んでいて、自分の孤独な夢を守るために互いに傷つけ合ってしまう。ここで行われる殺しには、憎しみはない。老犬を殺させるキャンディ、仔犬を殺してしまうレニー、女を殺してしまうのも、鼠の死骸の延長上で、そしてリンチの前に友を殺してしまうジョージ。レニーと生きることを許さない社会、自分の中のレニー的なものを分離させないと生活していけない社会、そのやりきれなさ。アメリカ南部って心の傷がよく似合う。レニーが一度仔犬を連れてきたふりしてジョージをからかうあたり、あとになって思い出すとしみじみしちゃう。常にジョージの顔色をうかがっていたレニーに向こう(夢の家の方角)を向かせ、二人の視線が互いでなく、はるかかなたで重なるラスト。[映画館(字幕)] 7点(2011-12-28 12:15:52)(良:2票)

43.  ハネムーン・イン・ベガス 《ネタバレ》 ニコラス・ケイジのコメディってけっこういいんだ。あの人の困惑顔ってサイレント時代のコメディにも通じたものを持っている。優柔不断の男が勇気を出す、って設定がそうなんだな。スカイダイバーたちの間での彼のおどおどした表情が傑作。パラシュートの引くひもの順番を黄色・赤、黄色・赤と心に刻み込もうとしていると、間際になって「それは逆だ」と言われて、さらに「ジョークジョーク」といなされる。おいおい、最初に言ったほうがジョークなの、今の逆だって言ったのがジョークなの、とパニックになっている間にもみなはどんどん降下していってしまう、なんてギャグが一番好き。あとは敵役を憎めなく設定することも大事。亡妻の想い出を引きずりつつ、ハワイの観光めぐりをするJ・カーン、作戦とは言えけなげである。ま、これはポーカーでカモに一度勝たせる手口と同じようなものなんだけど。プレスリーナンバーが背景に使われている面白味は、もひとつピンと来ない世代でした、私。[映画館(字幕)] 7点(2011-12-08 10:11:15)

44.  ハモンハモン 登場するすべての男女に愛の線を引くことが出来る。しかもみな自分の愛のみを基準に行動するから、秩序から渾沌へと導かれていく。スペインである。ファーストシーン、なんだろうこれ、教会の釣鐘のタマかなあ、ひびが入ってるなあ、などと思ってたら、牛のタマであった。これは後に巨大なパンツのたて看板と対になって(この監督の次回作は『ゴールデン・ボール』って嘘みたい)。最初は肝っ玉母さんと溺愛ママの対比で、なんか「もう分かった」って話かと思っていたら、だんだんヘンになってくる。情熱の国。S・サンドレッリの、自分の仕掛けに溺れていってしまうあたりが分かりやすい軸となって、あとはみなヘン。A・ガリエナは女の家の親分。娘三人に娼婦たちも雇って、轢かれたペットの豚を丸焼きにして食べちゃうたくましさ。情熱の国だが、乾ききっている。ハムで戦う男。ゆっくりとやってくる羊の群れ。リアリズムに撤するとかえってヘンテコリンになっていく風土なの。[映画館(字幕)] 7点(2011-10-23 12:10:31)(良:1票)

45.  はじけ鳳仙花 わが筑豊わが朝鮮 登場する女性画家、朝鮮人の代わりに発言するんだ、という気負いが強く感じられ、これって一種の思い上がりじゃないか、と最初のうちは引き気味に観てた。でも画家を離れてくると、画の力に引きずられて、のめりこんでいく。朝鮮人坑夫を怒鳴る日本人の顔のシーンで、突然また画家が現われる。加害者としての日本人の顔がどうしても描けない、と悩むんだな、ここが面白い。どうしても決まりきったデフォルメになってしまい満足できない、デフォルメを抑えると今度は「人のいい日本人」の顔になってしまう。自分の顔を鏡で見ながらいろいろ口を歪めたりしてみるのだが、納得の顔が出てこない。「加害者」の顔は地の顔と連続していない、という発見。環境が与えてしまうものなのだ、というギリギリの性善説が見えてくる。ふだんは加害者の顔になれない人間が、立場によって加害者の顔にされてしまっている。否定的な告発の絵の底に見えてきた性善なる人間。おそらくこの画家は曼荼羅図のようなエロスの世界や、空の星を吐き続ける竜の絵など、肯定的な画のほうに真骨頂があるのだろう。というか、世の中を肯定的に捉えることと否定的に捉えることとは反対の方向へ延びていくものではなく、縄を綯うように一方向へ延びていくものなのだ。その星の画を見せてて、ふっと画家の手が伸びてきて星を描き加えるとこなどハッとさせる。冒頭では骨の画を描いていたその手なのだ。過去帳に書かれた「某鮮人」というのに、生々しい残酷を感じた。ラストの指紋のスライドが重なる美しさ、社会を離れて指紋をそれだけ眺めれば、それはただの模様なのだ。[映画館(邦画)] 7点(2011-09-28 10:03:12)

46.  バス停留所 《ネタバレ》 このカウボーイの「世間知らずの田舎の純朴青年」カリカチュアを、どこまで受け入れられるかが評価の分かれ目でしょうな。コメディとは言えいささか過剰気味で、迷惑なジコチュー男として引いてしまうところもあり、微妙。ときにハチャメチャやってるジム・キャリーに見えてしまった。対比はクッキリしていて、カントリーソングと酒場女の歌。モンタナの牧場の夢とハリウッドの夢。童貞男の一途と経験豊富女のいなし。そこらが噛み合ってくるとイキイキいしてくる。リンカーンの演説を寝床のモンローに語りかけるのが笑えた。中盤のロデオ大会が映像として活気づき、映画の一番の見せ場である終盤のバスストップでのしみじみした味わいへの、いい踏み台になっている。あわてて防寒具を着て殴り合いを見物する女主人の安定感が終幕の芯になっており、人情劇の一場を支えていた。雪の効果が絶大で、それは恋と自意識にノボセ上がった男を冷やす雪であり、また女にとっては「ふしだら」な過去をすすいでくれる雪。親友バージが勘所のシーンではずっとギターを伴奏に奏でているのもおかしい。ドラマとしてはバージが若い二人に遠慮して去っていくのもわかるんだけど、あの二人の今後を思うと、まだ二転三転ありそうなんだから、落ち着くまでときどき背後でギターを鳴らすために残っていてほしい、と現実ならばそう進言する。ロデオの場で「彼がイカれている」ということを伝えるのに、モンローは頭の横で指をくるくる回す。クルクルパーってのはアメリカから来たのか! 日本古来の表現じゃなかったのか![CS・衛星(字幕)] 7点(2011-09-18 12:17:17)

47.  巴里の女性 《ネタバレ》 うまくいかない世の中、みなで傷つけ合ってそれで寂しがってる。マンジュー君も寂しい。ヒロインも、友人に婚約発表の雑誌見せられてフフンと強がってみせたりして、哀しい。また父の反対・母の反対が悲劇を進行させていく要因になっている。でラストで寛容を説くわけなんだけど、この時代の潮流なのか、このころの映画は何でもかんでも寛容を説きたがってる。革命やら世界大戦やらの動乱の反動で理想主義の時代だった、ってことだけかもしれないけど、映画というもののそもそもの寛容性・何でも取り込んでしまうフトコロの広さにこじつけてしまいたい気持ちもちょっとある。青年が着飾ったヒロインの絵を描くんだけど、カンヴァスには昔の質素な彼女が描かれていく、なんてとこが憎い。こんな生活いや、と言いながら窓から投げた首飾りを拾いにいくなんてシーンの残酷さ(犬がついて走ってる)などドキッとさせられる。[映画館(字幕)] 7点(2011-07-16 12:25:11)(良:1票)

48.  巴里のアメリカ人 レスリー・キャロンって、いかにもアメリカの子役がそのまま大きくなったって感じだなあ、と思ってたんだけど、この人フランス出身なのね、一番合ってた『リリー』も、舞台はフランスだったんだ。そう思って見ると、にんじん、って感じもある。で、本作で一番ロマンチックなナンバーは、セーヌ河畔での二人のダンス。彼女は白と黒の衣装。冒頭でカラフルなイメージを出していたのでこの白黒が映え、それがそのままラストのパーティの予告にもなっていた。ラストの長い幻想シーンは、白黒のパーティの後で色彩の氾濫となる趣向で、贅を尽くしたという感じだが、立ちすくむ人やテーブルの女などにライトを下から当てたりして、ヨーロッパ的な陰影をかもそうとしている、ときに神経症的。バレーとタップの共演ってのは、アステア時代にも試みられているが、アメリカに根強いヨーロッパコンプレックスから来るのだろうか。ケリーのステッキ持ったタップとキャロンの爪先立ちバレーとの脚の掛け合いに堪能。そして鏡も使った色彩の洪水の果てに、また凱旋門の白黒の画に(赤い花の記憶を残して)戻っていくという趣向で、この映画はモノクロとカラフルの対比で押し切った。タップ好きとしては、子どもたちにいろんなステップを披露するとこ。上半身をダラーんと脱力させていかにも気がなさそうにトットットッとやるのなんか好きだなあ。アダムの部屋でタップ踏んだときは、ドアの敷居なんかもさりげなく使ってた。このアダムの仏頂面が、ケリーのニヤケ笑い(失礼!)と対比されるいいスパイスになっていて、スワンダフルに入る前、事態のややこしさを知った彼がハッピーな二人に挟まれて一人憂鬱にタバコに火をつけるのを繰り返してるあたりがおかしい。「そのしつこさに魅力が追いついてないの」とキッパリ言われても、しつこさに徹すれば最後はハッピーエンドになれるんだな。覚えとこう。[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-06-25 10:05:46)

49.  ハート・ロッカー 普段は不必要に爆弾が爆発するアメリカ映画で、「爆発させない」人を描いている。とにかくずっとピリピリしていて、物語を語るというより、そのピリピリした日常を追体験する映画として優れていた。なぜイラクにアメリカ兵がいることになったのか、とか、爆弾を仕込む側の言い分にはまったく触れてないが、兵士の視線に徹して戦争を見る立場を取った以上、それでいいと思う。イラク戦争はベトナムの反復やってる、と思いがちだったが、いろいろ違いはあるのだな。装備は進歩した。ほとんど宇宙服にまで膨らんだ。それだけ土地の空気からは隔絶されてもいるのだろう。暑さにしても、あっちのジャングルの湿度とこっちの砂漠の湿度の違いは、体感で大きく違うだろうし、そこから来る不安の質も変わってくる。ジャングルのどこにベトコンが潜んでいるか分からない不安に対して、こちらは都市で周囲から無表情に見守られ続ける不安がある。ときにカメラで撮られている。見られ続けていることの居心地の悪い不安、どんな厚手の防護服でも防げない視線にさらされること、これがイラクのアメリカ人の立場なんだ。いいとこばっか描いてるな、とは思うが、少なくとも戦争の大義を主張してはいない。そんなもの探しても見つからないだろうが。[DVD(字幕)] 7点(2011-06-16 12:15:08)

50.  ハンガー(1983) 《ネタバレ》 最初はよくあるキザが空回りしているだけの映画だな、と思ったんだけど、結構それでも味わえちゃった。全編に漂う「たそがれ」の気配がいい。シューベルトの室内楽が鳴り、『バリー・リンドン』でレディー・リンドンのテーマに使われた変ホ長調のピアノ三重奏曲(の第2楽章ね)、あれに弱いんだ。なんかヨーロッパのたそがれって感じが迫るの。舞台はニューヨークだけど、それだけにボウイとドヌーヴのヨーロッパ性が強まる。ドヌーヴの貫禄、前半はちょっと場違いになるのではないかと心配したが、かなり適役だった。病院で待ってる間にどんどんふけていっちゃうとこが見せ場で、病院の長い待ち時間への皮肉と見てはいけない。あちらで「吸血鬼」ってのは、血を吸うことより「不死」のほうに重点が置かれているみたい。あんがい日本の能と近いものがあるかも知れない。滅びることが出来ずに迷ってる、って。[映画館(字幕)] 7点(2010-11-28 09:45:15)

51.  バグダッドの盗賊(1924) 《ネタバレ》 D・Fの身振りの大きさ。演技とかアクションとかいうより「パフォーマンス」と呼びたい。フルショットの多用で、もうバレーの世界ね。でもダイナミックな動きは舞台のものではない。馬にロープ引かせてベランダまでエレベーターしちゃうとか、そこから魔法のロープに飛び乗っちゃうとか。姫の部屋から逃げ出すキートン的倒木。こりゃワクワクさせられますよ。上山草人ら東洋系の顔が全部悪人てのはちょっとカチンと来ちゃうけど、ブキミなんでしょうなあ、西洋人にはこの手の顔が。そのブキミさだけを東洋系俳優は売りにしなければならなかったわけだ。この24年排日移民法が成立してる。28年になるが、推理作家ノックスの十戒ってのが出来て、その中に「犯人は中国人であってはいけない」という一則がある。現代なら「犯人はイスラム教徒であってはならない」ってなところだろう。そういう20年代。で映画では恐るべき東洋の侵略、次々とモンゴル兵になっていくあたりは、でもやっぱり見もの。兜みたいのかぶってんの。主人公が登場して、マジックソルジャーがボンボンと生まれてきて、大群集になってしまう。大セットによるまさに夢の工場だったんだなあ、としみじみ当時の映画産業を思う。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-18 09:58:55)

52.  パラノーマル・アクティビティ 《ネタバレ》 この手の主観映像ものも、ちょっと飽きが来るかと思っていたが、けっこうまだ楽しめてしまった。どうも映画の楽しさの核に触れている気がする。主観映像ではあるが、カメラが第三者として夫婦の間に割り込んでいるようにもなっていて、そこに新手の面白味が感じられた。こうやって夫婦でカメラを交替しながら撮影し合っていると、普段より喋ることになる。ほとんど喋り合っている。この第三者としてのカメラを意識して、微妙に演じ合う感じになる。そこで夜や留守の時の沈黙がひときわ浮き上がり、カメラの記録係としての役割が生きてくる。この設定が悪くない。早回ししていた時間表示が普通のテンポになると、さあ来るぞとドキドキする。やってることはたわいなくても、神妙に耳を澄まし目を凝らした。ケイティはカメラを憎悪していても、旦那が一人で階段を下りようとしているときなんかけっこう撮影を手伝っていて、そこらへんはもうちょっと自然な段取りがほしいような気もするが(ほかにも不自然なとこはいっぱいあるけど)、そうさかんに「映さないでよ」と言っていたカメラに自ら近づいてくるというラストは、それなりに落としどころとして正しい。ああそうか、旦那にはカメラ・妻には悪魔、という二つのノリウツリの話でもあるわけか。まだまだこの手の手法は開拓できそうだ。[DVD(字幕)] 7点(2010-09-07 09:37:45)(良:1票)

53.  ハレルヤ ヴィダー監督が音を得て、まず黒人音楽こそアメリカの音だ、と判断したのは正しい。この時代にそう判断するのが、どの程度画期的なことだったのか分からないけど、ジャズの時代にそれ以前の音楽に注目し、スクリーンを黒人で埋め尽くしたのは凄いことなんじゃないか。少年たちのタップ、霊歌ふうのコーラス、ほとんど音楽映画と言っていい。熱狂している中を主人公の男が踊り子を追ってこちらへやってくるあたりは、鬼気迫るものがあった。あとはラストの無言の追いかけ。実に粘っこい。小細工のない監督、骨太の世界。沿道でのののしりも、変に堂々と続く。その彼女がしだいに引き寄せられていく感じ。簡単に言ってしまえば、一つのシーンに掛ける時間が長いってことなのか。聖人伝説的なタッチがあった。[映画館(字幕)] 7点(2010-08-30 09:46:52)

54.  ハンナとその姉妹 《ネタバレ》 この人は、街角での立ち話ってのが好きだね。建物から街路へ出てくる人のフルショットとか。建物の中では濃密な人間関係のドラマが成り立つが、こういう他人の流れのなかでの「かぼそいつながり」の方が一種の奇跡であるかのように見え、そっちでドラマを動かしたくなる。そういう下地があるから、マイケル・ケインがリーに「偶然」出会うために走り回るあたり、笑える。モノローグとそれを裏切る行為、って笑いもある。キスをする段取りを考えていて、結論に達した途端に、突然しちゃうとか。うじうじベッドで考えてて、よしっ電話しようと思って行くと、向こうから掛かってきちゃうとか。[映画館(字幕)] 7点(2010-08-27 09:43:46)

55.  母なる証明 《ネタバレ》 母の周囲は克明に描かれる、それ以外は曖昧渾沌。その曖昧渾沌に対して母は挑戦し、ある種の充実に包まれる。探偵の興奮、忍び込みの冒険、発見と推理、この充実の果てにたどり着いた野が映画の冒頭シーンだ。この映画驚かすところは多々あるが(被害者の奇妙な姿勢、不意の鼻血、話の思わぬ展開…)、この冒頭はかなりびっくりした。普通の実写シーンの背後に音楽が聞こえてきて、それに合わせて踊り出す、ってのは、ミュージカル映画でダンスに入る瞬間のスリルそのもので、日常から非日常へのジャンプするあの興奮がこう使われ得るとは思わなかった。ミュージカルでは平凡な日常から、たとえば恋を歌い上げる非日常へとジャンプするわけだが、ここでは探偵の充実した時間から、非日常へジャンプした空虚を描いていたと後で分かる。母と子と立場が逆転してしまい、あの充実が抜け落ちていく、「しっかりしなきゃ」という心構えが必要なくなってしまう。そして罪の重さだけがのしかかってくる。あのラスト(併走する車から撮影し続けたのか)、本当に達成できるのかどうか定かでない忘却へ向かって、非日常を疾走するダンスで締められると、なんか物語としてはスッキリできなくとも、映画としてはきれいに決まったな、と得心させられてしまった。被害者を街から丸見えの場所に置いたんだよ、と悪友が推理するあたり、そういう方向(社会の悪意)に話が収斂していくのかと思ったのだが、そうでもなかったみたい。あの夜景のカットはかなりゾクゾクしたんだけど。[DVD(字幕)] 7点(2010-07-30 10:14:41)

56.  パルプ・フィクション 三すくみの好きな監督だが、これにもあり、またこの映画そのものも、支え合っている三つのストーリーの三すくみ状態と言えなくもない。人間の面白さへの興味よりも、人の世の面白さへの興味が、こういう形式を作らせるのだろうか。面白いことはとても面白いが、材料を十分に見せられて、チャッチャツと料理を簡単に済ませられた気分もある。話の突発性はやはり楽しく、こうなるとこれからの展開はどうなるんだ、ってなスリルがしばしば訪れる。ユマ・サーマンにカウ・ガールと言い、トラボルタに踊らせた。あとクリストファー・ウォーケンをベトナム帰りにしてたっけ。旧作への挨拶を忘れない律儀さというよりも、単にユーモアと取るべきだろう。フェイド・アウトにもとぼけた味がある。そういった笑いのなかに、負け犬の最後の復讐というか、男意気のドラマがあって芯になっている。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-26 10:05:22)

57.  パパは、出張中! 《ネタバレ》 そのパパは決して前向きの反体制闘士ではなく、ちょっとダラシのない普通のパパ、隣人としての庶民の代表。そこに夢遊病を絡めたことで味わいが深まっている。隣りの女の子が死んじゃう場面なんか、「ちくしょう、こんな仕掛けで泣いてたまるか」とは思っても泣けてしまった、これには「夢遊病」も効いてるんじゃないか。吐く息も白い道を犬と歩いて、女の子の家に行っちゃうとこ。そのまま女の子のベッドの脇に入っちゃう。それを見守るドクター(女の子の父)の気持ちがしみじみと伝わってくる。この子が年ごろになるまでに死んでしまうのかあ、といった感慨。そういう庶民のドラマがあるのでテーマが生きてくる。政治向きの題材扱うと、日本では目を吊り上げて取り組むけど、外国ではこうユトリをもって扱ったりする。なんか日本では「取り組んでる」ってことを主張したいみたいのが多く、かえってあちらの映画のほうが、より題材を咀嚼していた忍耐の長い時間の経過が感じられて、厳しい印象。[映画館(字幕)] 7点(2010-05-14 12:00:40)

58.  パンと裏通り 《ネタバレ》 なんかこれ、最も純粋なキアロスタミの世界なんじゃないか。ほとんどサイレント映画の精神。でももちろんトーキーで、オブラディオブラダに乗って、少年がカンを蹴りながら歩んでいく。犬の登場。陽気な音楽はゆるゆると消え、犬の目つき。その距離。無関係な自転車の通行人。老人(イヤホン)が登場。リズムに乗って一緒にいくと、犬の寸前で老人は左折してしまう。犬にパンを少しやると懐いてついてくる。一緒に並んでいく。門での別れ。犬はそこにうずくまる。犬はこうやって少しずつ歩んでいるのかも知れない。続いてミルクを持った少年がやってくる。…とこう書いていっても仕方がないんだけど、なんか書きたい気分にさせる映画なんだ。処女作でその作家の立脚点みたいのが分かるっていうけど、ほんとにそう。影の輪郭のはっきりした裏通りの気分を背景に、少年の心の変化をていねいに綴っている。おつかい帰りの浮き浮きした気分から緊張、そして友だちの発見、後ろ髪引かれる気分、と来て、しかしここで不意に犬の心に移るとこがすごい。等価なんだね。ここでワッと世界が広がる。映画における純度の高さってこういうのを言うんだろうなあ。[映画館(字幕)] 7点(2010-01-25 12:04:07)

59.  博奕打ち いのち札 やくざの弱さを鶴田浩二が口にしてしまう。女が一緒に逃げましょうと言うのに「俺には、この岩井一家しかない」と言う。やくざというものが、けっきょく家を飛び出して自立できぬ者たちの共同体=偽家であることがよく分かるが、鶴田浩二には女にそんな弱音を吐いてほしくはなかった。それを覚悟して受けとめるから荘重な悲劇になるのであって、『総長賭博』も、家を守ろうとして出す手出す手が次々と家の崩壊を導いていくところに感動があったのだ。でも本作も最終的には運命悲劇の線は守られていて、任侠映画史の到達点シリーズとしての価値はある。海辺を女がフラフラ歩いたりして、ちょっと流れてしまうところもあるが、全体としていい。若山富三郎の役どころが重要で、家の代表でもあり、また世間の噂の代表ということで内在する外界でもある。ラストの血の海の花道は、私はあまり買わない。あくまでリアルな情景で様式美を追求したのが仁侠映画だったはずだ、まあそれだけ仁侠映画がもう熟し切ってそれ以外の表現を必要とするまでになってしまった、ということでもあるのだが。それにしても当時の東映映画俳優陣の厚みは素晴らしいものだった。これ以後彼らは実録路線に合ったもの(文太やピラニア軍団)と合わなかったもの(高倉健や鶴田浩二)にと分離し、他ジャンル映画でも活躍の場を広げていくが、仁侠映画における自在な輝きはもひとつ感じられない。[映画館(邦画)] 7点(2009-11-13 12:08:29)

60.  (ハル)(1996) インターネットの匿名世界は、トイレの落書き化したり誹謗中傷が渦巻きスラム化する、ってところに興味があったんだけど、これは本人同士が出会うまでの恋愛もの。映画の大半は字幕を読むことになるわけだが、サイレント映画とは違って、字の部分と映像の部分が拮抗してるわけ。心の部分と社会の部分と。どちらかというと写真や図表入りの小説の裏返しに近い。相手の姿かたちがないということの気安さが、しだいに手応えをほしくなる・見たくなる、って経過。そして『天国と地獄』的シーンを経て、抽象的だった会話の相手が「現実に存在してるんだ」という不思議な気分を味わうことになる。電光掲示の文字もしばしば挿入され、文字情報がしだいに表情を持つことの面白さを映像で見せようとした作品でもある。ラストで白黒になったのは、これから文字だけではすまない生身のヤヤコシイ世界に入っていかなければならないんだよ、ってことを言っているのだろうか。…と、これはまだ私がパソコンに触れてもいないころに観た映画の、当時の感想。こうして自分自身が匿名広場に参加することになるとは思ってもいなかった。[映画館(邦画)] 7点(2009-10-28 11:59:48)(良:1票)

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