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1. 白痴(1951)
《ネタバレ》 これは、矢張りとんでもない作品なのではないでしょうか。
ここまでズタズタにされながら、なおも作品としての生命力を
保ち、且つ圧倒的な精彩を放ち発散させている事は奇跡に近い
驚きである。もう一つの驚きは黒澤の精神的体力の強靭さである。
ドストエフスキー作品の根底にある人間の根源的な、最終地点で
否が応でも突き当たる「魂」としか呼び様のない、のっぴきならぬ厳粛な物と
格闘し、ここまで描きまくるとは、恐るべき腕っ節である。圧巻は、矢張り
亀田と赤間が妙子の亡骸と共に一夜を過ごすシーンである。「これで、もう、
彼女は何処へも逃げない」という束の間の安堵感で二人は少年の様に
なってしまう。蝋燭の灯だけの寒く薄暗い部屋の中で二人は、恐ろしく、
それでいて何処か甘美な秘密を共有して、なにやらワクワクしてきて興奮する。死臭を心配しながら。そして、夜明けと共に二人はこの世で一番崇高でいとおしい者の傍らで
遂に「真っ白」になってしまう。私はこれ程まで可憐で美しく、それでいて高潔で厳粛な
センチメンタリズムを他に知らない。まさに黒澤がドストエフスキーその物を描き切った
名シーンである。それにしても、この全篇に漲るテンションの高さは如何だろう。ややもすると大仰に映る黒澤作品の中でも突出してハイテンションである。一つ間違えると、
役者の動きや表情の演技などは、ギャグ ホラーになってしまいかねない危うさがある。
現に私などは、久我美子との直接対決の時の原節子の顔が昔の楳図かずおタッチ
なので、余に怖すぎて吹出しそうになったくらいである。しかし、このテンションの高さは
ドストエフスキー物には不可避なのであることは、原作を読んで頂ければ納得して
もらえるだろうと思う。ただ一つだけイチャモンをつけさせていただければ、ナスターシャ
の解釈にほんの僅か違和を感じた。「本当はこの娘、いい子なんだよ!」というのに対して、もっと「つっぱね返し」を強調しておいて、でも、やっぱり、時折チョットした切っ掛けで如何仕様も無く且つさりげなく弱さと優しさが溢れ出る方が、キャラの奥行きが
深まったと思うのだが、如何だろうか?余に素直でおセンチ過ぎるきらいがある。しかし、そんな事はたいしたことではない。
この黒澤の青臭いまでのドストエフスキーとの取り組みと、ある種の「危うさ」を
含め、私は断固この「白痴」を支持する![DVD(字幕)] 9点(2008-07-09 22:24:20)《改行有》
2. 八月の狂詩曲
リチャード ギアの河原での名台詞「シィマッター!!」に3点。やっぱり巨匠は凄い!!なかなか0点は付けさせない。3点(2004-05-03 11:46:23)
3. 幕末太陽傳
ご存知名作古典落語「居残り佐平次」をベースにしたグランドホテル形式の傑作。「居残り・・・」の他にも「三枚起請」「五人廻し」など有名な廓話が散りばめられていて楽しい。当時の日本映画の中では稀に見る湿気の少ない作品。筋金入りの近代人である佐平次が様々な人間模様が繰り広げられる品川遊郭「相模屋」のど真ん中を全てを巻き込みながら疾走する。自らの才覚で如才なく時にはごう胆に立ち回る佐平次の小気味好さに惚れ惚れとする。しかし、持病の薬を自ら調合する彼に一抹のペーソスが漂わぬわけではない。常に抜け目なく快走していた彼もラスト近くで野暮な土着の化身である様な杢兵衛に追及され脅されしどろもどろになってしまう。中途半端で浮き草である様な近代は大地に根をしっかり下ろした土着に脅されて自らの脆弱さを露呈してしまう。きっと川島自身も手強く湿気を多分に含んだ土着が鬱陶しかったのだろう。佐平次はその湿気と鬱陶しさを振り切るように走り去ってゆく。現代を生きる我々も性懲りも無く土着から逃亡を続けている。なんちってー。理屈抜きに楽しめる映画です。
因みに私はあのフランキーの着物の着方を未だマスター出来ずに居ます。9点(2004-04-30 09:37:16)(良:2票) 《改行有》
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