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【製作年 : 1990年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  ハウスシッター/結婚願望 《ネタバレ》 「日本ではコケる二大コメディアンの初共演」といった宣伝コピーを見た記憶があるのだが、しかしそこまで自虐的な宣伝するだろうか、夢だったのかもしれん。観たら面白かった。詐欺師もののバリエーション。失恋したての男S・マーチンの家に、勝手に妻としてG・ホーンが上がりこんでしまう。女が周囲に振りまいていく嘘がどんどん二人の関係を固めていってしまうあたりが見どころ。男はその場しのぎで嘘に付き合ったり、あるいは計略を立てて嘘を利用しようとしたりもするんだけど、けっきょくその嘘をより真実めかしていってしまう。嘘に嘘を重ねていくスリルと爽快さが一人歩きしてしまう。話の都合で生み出した架空の恋仇ブーマー氏が次第にリアルな存在感を持ってきたり、社長の戦友まで捏造していくことになる。二人で編み出す架空の来歴が、次第に細部まで生き生きしてくるあたりの勢いが見事。意味深な「暗い秘密」が誕生したり、急遽マウイに旅行したことになったりと、どんどん過去がドラマチックに華やいでくるおかしみ。一番笑ったのは男デービスが彼自身の知らない感動のエピソードの再現を要請されて、何らかの感涙的なストーリーを背景にした気分で「アイルランドの子守歌」を万感込めて歌うシーン。このおかしさはかなりのものだった。こういう話の場合女はどこかかわいくなければならない。彼女本質的な詐欺師だったわけではなく、よく解釈すれば退屈な日常をよりドラマチックに盛り立ててやろうと思いやってしまう性質の女なわけ。本来の男の恋人となんとか取り持ってやろうとするんだけど、彼女自身男に魅かれてしまっており、ここらへんからは彼女のいじらしさの見せ場。ささいなことだけど、中華料理を買ってくるシーンがある。中華料理は二人で捏造した「恋愛時代」のエピソードに登場した小道具で、二人の嘘が真実になっていくところをさりげなく見せている丁寧な場面。こういった丁寧さが、後味の良さにつながっている。だが映画はコケた。[映画館(字幕)] 8点(2012-02-06 10:24:32)

2.  パリのランデブー 《ネタバレ》 常に二人の人がいて、でラストでは一人になる、という話が3つ。それを街角のシャンソンがつなぐ。第1話は、ヒロインと恋人・ヒロインと告げ口する男友だち・ヒロインと友人・ヒロインの一人での悩みのシーンが挟まって、ヒロインと歯痛男・ヒロインと財布を拾った女・そして過剰な3人の場がヤマになって、その緊張のために3人は散り散りになり、最後は一人の歯痛男で断ち切る。この無駄のなさ、良くできたコントの味。結局ほとんどの登場人物の心に傷がつくんだけど、そのゆえに喜劇になってるんだなあ。人の心が傷つかない喜劇なんてないのかも知れない。第3話の、運命の一目惚れも楽しい。その女性に聞こえるように、どうでもいい連れに美術館で解説するあたりの涙ぐましさ。またこの彼女、アトリエにまで来てお話までしてくれる。罪作りな女。でも別にからかってるって訳じゃなく、そこにこの男も魅かれてるんだろうけど。そう悪くない一日だった、と最後に男は言うんだ。大げさに言えばこういう一日があるから人生も楽しい、って気持ちになる。うまくいってるカップルってのは、この映画一つも登場しない。[映画館(字幕)] 8点(2010-01-02 10:29:58)

3.  ハワーズ・エンド 大雑把に言うと英国の上・中・下の階級が繰り広げていくドラマ。「下」というとちょっと極端な表現になってしまい、銀行に勤めている普通の勤労者階級だが、一応このドラマの中では「下」の位置に置かせてもらう。そこで面白いのは、普通だとこの「上」と「下」が対立するでしょ、滅びゆく上流階級と勃興する労働者階級って感じで。ところがここでは対立しない。「下」が、「上」を引っ繰り返すような力をまるで持っていないデリケートな弱々しい青年で現われてくる。労働歌を歌うより、花畑の中を散策しながら詩を口ずさむ手合いなの。この世ならぬものへの憧れに生きている彼は、上流階級のヴァネッサ・レッドグレイヴと対になっているような存在。本来なら対立すべき「上」と「下」が現実に背を向ける地点で寄り添い出してしまい、ドラマの軸を統制するのは「中」の役割りになる。夢見る「上」と「下」に挟まれて、「中」は現実を生きていく。しかしこれが「生きざま」などという語感からは程遠い「いい感じ」のもので、この映画はそのいい感じの味わいに尽きると言ってもいい。「上」と「下」との仕切り役に自分の役割りを定め、控え目にも過ぎず出しゃばりもせず、天真爛漫でありながら周囲に気配りも十分という、おそらくイギリスの長い社交の伝統が培ってきた中流階級の美点が、エマ・トンプソンに結実している。上流階級の洗練も英国の自慢だろうが、こういう愛すべき人物を育てた中流階級も自慢させてほしい、という感じ。ここには対立のドラマのダイナミズムはないが、そのかわり一点から緩く渦を巻き、そしてそれぞれの居どころへ静かに落ち着いていく上品な舞踏のような味わいがある。[映画館(字幕)] 8点(2009-12-10 12:09:48)(良:2票)

4.  バッド・インフルエンス/悪影響 ジェームズ・スペイダー君が、セーター着て普通のサラリーマンを好演。ちょっと小心なとこが、やっぱり彼なの。ちょっと屈辱的な場面で・世間に対してチクショーと思っている場面でロブ・ロウが登場するってのが、分身の登場のようでもあってなかなか意味深。主人公は「世間に対してたかをくくること」を教育されていく。感化されていく。「世間なんてこんなものよ」と結局スーパー強盗にまでなり、同僚を殴り(と思い込む)、で怖くなってくるのは、ロブ・ロウがいなくなってから。財布を取りかえして戻ってきた部屋でのビデオによる殺人の記録シーン。時間のずれが重なる。血のあととか。ここらへんうまいですな。世間が敵になる。兄がロブ・ロウの指紋をとろうとする怪しいバーのシーン。蛍光灯振り回して女が踊ってて。世間から集団で逃げてるような人々。主人公の分身であるというより、『エクソシスト』みたいな純粋な悪の抽出、ってことになるのか。[映画館(字幕)] 7点(2014-02-11 09:52:42)

5.  バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3 ディズニーランドに、開拓の国があるのが子どものころは不思議で、「おとぎ」と「冒険」と「未来」は並列できるが、「開拓」ってのはなんか違うジャンルの世界なのじゃないか、「ひとつ仲間外れが混ざっているのを選べ」という問題みたいだ、と思っていた。その後アメリカ映画を見るようになって、あの国にとって開拓時代ってのがほとんど神話なんだと納得するようになったが、本シリーズでも最後に開拓時代を置いているのは、そういう重石になるからなんだろう。ブラウン博士は歴史を変えてはいかんと言いながら、ストーリーではどんどん歴史を改変していくのがアメリカ精神の発露で、『素晴らしき哉、人生!』と同じ「未来は変えられる」という基本態度だ。ちゃんとダンスパーティも行なわれる。最後には20世紀末の映画っぽいスペクタクルが用意され、機関車の煙の色の変化で緊迫感を煽るのが、趣向。[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-01-12 09:29:13)

6.  蝿の王 《ネタバレ》 原作は「権力とは何ぞや」に迫る小説だが、これはただ「二年間の休暇(十五少年漂流記)」を引っくり返しただけにも思える。20世紀は文明が文明そのもので野蛮になった時代で、文明が非文明に退化して野蛮になったわけじゃない。人間の集団の根源を見せてくれる原作。19世紀の「二年間の休暇」の時代は、権力機構がちゃんと機能すれば秩序正しい2年が送れるという人間の組織性に対する素朴な信頼があったが、20世紀は人間の集団こそが人類の敵だとはっきり分かってきた時代。まるでレジャーを楽しむような青空、青い海。象徴性を持たされた子どもたち。それでも彼らは儀式を必要としだす。「春の祭典」に近い音楽で盛り上げていく。サイモン殺しも怖いけど、ピギー殺しの戯れのような雰囲気が怖い。ラストで兵士が「いったい君たちは何をしてるんだ」と言う。その理性的な言葉を兵士(20世紀の野蛮の代表)が言う皮肉。演出での面白味はあまり感じられなかったが、「手堅い」ってことかもしれない。[映画館(字幕)] 7点(2013-08-11 09:33:33)

7.  バックドラフト こういうオトコギの世界は単純なほうがいいな。犯罪がらみにしないで、父を殺した火に復讐するまでの神々しい物語にしてくれたほうが良かった。D・サザーランドはいいんだけど。賢兄愚弟もので、初仕事で救助したと思ったらマネキンだった、という恥ずかしさがトラウマとして残っている。消防士ってのはアイルランド系が多いのか? 火の表情は『タワーリング・インフェルノ』のころよりうまくなっている。這い寄って来る感じ、小さな竜巻を起こしてたり、生き物ってのよく分かる。化学工場の火災ではドラム缶がボンボン飛ぶ。手持ちのカメラシーンが多く、炎の中なんか上下が分かりづらく迫力を欠いた。あくまで男の子が消防士に憧れる気持ちを中心に持ってくるべきだった。[映画館(字幕)] 7点(2013-06-15 09:22:45)(良:1票)

8.  ハドソン・ホーク とりわけ前半がいい。「快盗」もの、っていうか。ニンテンドー? それは何? と塀の外とズレた男。最初の盗みがいいの。歌に合わせて時間を計るというアイデアが抜群で、ブルース・ウィリスとダニー・アイエロがほとんどミュージカルのノリで画面とシンクロさせてやってくれちゃう。監視ビデオの絡め方もよく、飛び降りたところで次のシーンに繋げちゃう荒業。高速道路を思わぬ車で疾走したりいろいろ楽しいが、イタリアに移ってからちょっと落ちるか。それとアンディ・マクダウェルってのがもひとつ面白味に欠ける女優さんで。なかなかいいコンビだったが、シリーズものにはならず、そのかわりラジー賞を獲得した。主人公がカプチーノにありつけるまでの話なわけ。[映画館(字幕)] 7点(2013-04-16 09:29:03)

9.  バートン・フィンク 《ネタバレ》 ハリウッドにも庶民にも受け入れられなかったよそ者の話。彼本人は庶民の理解者のつもりだった。でも彼のイメージする純粋な庶民ってのにはついに出会えない。あるいはレスリング映画の観客としてイメージするきっかけはあったものの、彼はラッシュ見ただけでウンザリしてしまう。そういった庶民の反対側に、酒びたりのハリウッドがあるんだろう。唯一の庶民と思っていた隣人は、最後に「俺の場所に踏み込んできてうるさいだと!」と怒る。庶民というより「他人」と広げてもいいかもしれない。でもこのホテルではチャーリー以外他人は姿を見せない。気配は靴音以外にもたくさんあるんだけど。このホテルの雰囲気を味わうのが本作の中心で、廊下にはブィーンという低音が響いているし、暑さで壁紙は剥がれていくし、唯一外界のイメージは海岸の女性の絵で、屋内に立ち込めていた暑さは、ラストで火に凝集していく。社長の部屋は『シャイニング』を思い出させ、そういえば廊下もそうだな。あちらが「恐怖の寒さ」だったのに対し、こちらは「不安の暑さ」か。そういう映画。[映画館(字幕)] 7点(2012-09-11 10:37:37)

10.  遥かなる大地へ 病んだアメリカになる前の爽快なアメリカ。上下二巻本の長編小説を読んでいるようなロマン。アイルランド時代のちょっとはぐらかし気味のユーモア感覚がよかった。ジョセフとシャノン二人にとって「フリーの国アメリカ」の意味が違うの。女にとっては因習のないモダンの国ということであり、男にとっては自分の土地がフリーで手に入る国ということ。渡ってから幻滅も快哉もあるけど、それぞれのフリーランドを手にしていく。西部劇への敬意も随所に感じられ、フォードの『三悪人』のランド・レースが、カラーのトーキーで再現される。モヤモヤ解消のために、ワーッと乗り込んでいって一発殴っちゃうあたりのリズム感が面白い。オクラホマの再会なんかかなり強引なんだけど、蹄鉄一個で納得させちゃう。シャノンのお母さんが洗濯してるのも正しい。指でつまんでグルグル回すやつ。どうしようもない暴れ馬に乗るのも正しい。喧嘩は嫌いだといって殴る(三度)のも正しい。一つ一つはどうってことないけど、丁寧な印象を与えている。[映画館(字幕)] 7点(2012-03-17 10:14:03)

11.  ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録 創造するということ自体がホラーなんだ。関わる人間が作品に取り込まれていってしまう。未知の領域に入り、得体の知れないものが膨らんでくる。そして現実が映画の中に吸い取られていってしまう。コッポラはカーツに、マーチン・シーンはウィラードに、限りなく近づいていく。ドロドロになってるマーチンのシーンなぞ、映画の場面を越えてもろにベトナム戦争がダブってくる。本物の虎(一週間エサやってないんだ)をけしかけられたフレデリック・フォレスト。実際のゲリラ討滅に帰っていってしまうヘリコプター。デブデブになって撮影現場にやってくるマーロン・ブランド。収拾のつけようがなくなっていくエンディング。M・ブランドをデニス・ホッパーと対決させようか、いやいやそれこそどうしようもなくなってしまう、などと、何とか結論めいた方向を探るも、作品自体がそれを拒んでしまう(たぶん物語としてだけなら、ウィラードがカーツを殺して新しい王になる、ってのが一番納まりがいいように思うが、その納まりのよさを作品自体が承認してくれないんだ)。つまりこれは小説なら「未完」となって初めて落ち着く作品だったのだな。ときどき映画では、本来未完となるべき、とめどなく膨らんで収拾がつかなくなってしまう怪作が誕生し、ガンスの『ナポレオン』とかシュトロハイムの『愚なる妻』とか、不気味に映画史の中で輝いている。『地獄の黙示録』もそれに連なる赤色巨星となった一本なんだろう。没になったフランス植民地シーンに興味をそそられたが、それは後に完全版によって目にすることが出来た。コッポラが何度も何度も「俺の金で作ってる」って言うのは、あの国ではプロデューサーの力が強いんでしょうな。面白いのはこの『ハート・オブ・ダークネス』という映画、監督が妻を退屈させないぐらいのつもりで始めさせたのが、だんだんと夫の狂気を記録する姿勢に腰が入ってきてしまうところ。こっそり録音までして。まったくフィルムというやつは、関わる全員を狂わせていく。[映画館(字幕)] 7点(2012-03-16 10:13:55)

12.  ハイヒール(1991) 《ネタバレ》 ちょっとした人物の絡みが、どんどん人の関係を広げていってしまう横滑りの感覚が面白い。手話通訳の女性が容疑者として三人目に並んで座ってたり。一番のギャグは手話通訳で犯罪自白を表現するとこね。グレートマザーに敗北し、吸収されていく娘の話ととればいいのか。なにやってもかなわない。自分の罪まで吸い取られていってしまう、って。母が見てると思うと緊張して笑ったりしてしまう(ニュースの時)、なんてのもあった。でもそう決めちゃうと、その向こうで監督が「わーい、引っかかった引っかかった」って笑ってるような気もして落ち着かない。もう一ひねりあるようなオレンジ色の世界。とりわけブルーを背景にしていると、あの色は不気味なんです。オカマの歌に合わせて客たちが身振りをするとこなんかも実にヘン。キャスティングにビビ・アンデルソンの名が出てたが、どこにいたんだ。まさか判事の老母? 『秋のソナタ』への言及もあったなあ。母と娘の葛藤の映画ということで。[映画館(字幕)] 7点(2012-01-13 10:31:48)

13.  二十日鼠と人間(1992) 《ネタバレ》 映画の評価に原作の力が入ってくるのはある程度仕方なく、原作がいいとやっぱいい。少なくとも原作を殺してない、ってだけで評価していい。スタインベックの映画化では『怒りの葡萄』『エデンの東』の二大名作があるけど、話としてはこれが好き。なんか山本周五郎の「さぶ」思い出したりして。登場するみなが夢や憧れを持ちながら孤独に沈んでいて、自分の孤独な夢を守るために互いに傷つけ合ってしまう。ここで行われる殺しには、憎しみはない。老犬を殺させるキャンディ、仔犬を殺してしまうレニー、女を殺してしまうのも、鼠の死骸の延長上で、そしてリンチの前に友を殺してしまうジョージ。レニーと生きることを許さない社会、自分の中のレニー的なものを分離させないと生活していけない社会、そのやりきれなさ。アメリカ南部って心の傷がよく似合う。レニーが一度仔犬を連れてきたふりしてジョージをからかうあたり、あとになって思い出すとしみじみしちゃう。常にジョージの顔色をうかがっていたレニーに向こう(夢の家の方角)を向かせ、二人の視線が互いでなく、はるかかなたで重なるラスト。[映画館(字幕)] 7点(2011-12-28 12:15:52)(良:2票)

14.  ハネムーン・イン・ベガス 《ネタバレ》 ニコラス・ケイジのコメディってけっこういいんだ。あの人の困惑顔ってサイレント時代のコメディにも通じたものを持っている。優柔不断の男が勇気を出す、って設定がそうなんだな。スカイダイバーたちの間での彼のおどおどした表情が傑作。パラシュートの引くひもの順番を黄色・赤、黄色・赤と心に刻み込もうとしていると、間際になって「それは逆だ」と言われて、さらに「ジョークジョーク」といなされる。おいおい、最初に言ったほうがジョークなの、今の逆だって言ったのがジョークなの、とパニックになっている間にもみなはどんどん降下していってしまう、なんてギャグが一番好き。あとは敵役を憎めなく設定することも大事。亡妻の想い出を引きずりつつ、ハワイの観光めぐりをするJ・カーン、作戦とは言えけなげである。ま、これはポーカーでカモに一度勝たせる手口と同じようなものなんだけど。プレスリーナンバーが背景に使われている面白味は、もひとつピンと来ない世代でした、私。[映画館(字幕)] 7点(2011-12-08 10:11:15)

15.  ハモンハモン 登場するすべての男女に愛の線を引くことが出来る。しかもみな自分の愛のみを基準に行動するから、秩序から渾沌へと導かれていく。スペインである。ファーストシーン、なんだろうこれ、教会の釣鐘のタマかなあ、ひびが入ってるなあ、などと思ってたら、牛のタマであった。これは後に巨大なパンツのたて看板と対になって(この監督の次回作は『ゴールデン・ボール』って嘘みたい)。最初は肝っ玉母さんと溺愛ママの対比で、なんか「もう分かった」って話かと思っていたら、だんだんヘンになってくる。情熱の国。S・サンドレッリの、自分の仕掛けに溺れていってしまうあたりが分かりやすい軸となって、あとはみなヘン。A・ガリエナは女の家の親分。娘三人に娼婦たちも雇って、轢かれたペットの豚を丸焼きにして食べちゃうたくましさ。情熱の国だが、乾ききっている。ハムで戦う男。ゆっくりとやってくる羊の群れ。リアリズムに撤するとかえってヘンテコリンになっていく風土なの。[映画館(字幕)] 7点(2011-10-23 12:10:31)(良:1票)

16.  パルプ・フィクション 三すくみの好きな監督だが、これにもあり、またこの映画そのものも、支え合っている三つのストーリーの三すくみ状態と言えなくもない。人間の面白さへの興味よりも、人の世の面白さへの興味が、こういう形式を作らせるのだろうか。面白いことはとても面白いが、材料を十分に見せられて、チャッチャツと料理を簡単に済ませられた気分もある。話の突発性はやはり楽しく、こうなるとこれからの展開はどうなるんだ、ってなスリルがしばしば訪れる。ユマ・サーマンにカウ・ガールと言い、トラボルタに踊らせた。あとクリストファー・ウォーケンをベトナム帰りにしてたっけ。旧作への挨拶を忘れない律儀さというよりも、単にユーモアと取るべきだろう。フェイド・アウトにもとぼけた味がある。そういった笑いのなかに、負け犬の最後の復讐というか、男意気のドラマがあって芯になっている。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-26 10:05:22)

17.  (ハル)(1996) インターネットの匿名世界は、トイレの落書き化したり誹謗中傷が渦巻きスラム化する、ってところに興味があったんだけど、これは本人同士が出会うまでの恋愛もの。映画の大半は字幕を読むことになるわけだが、サイレント映画とは違って、字の部分と映像の部分が拮抗してるわけ。心の部分と社会の部分と。どちらかというと写真や図表入りの小説の裏返しに近い。相手の姿かたちがないということの気安さが、しだいに手応えをほしくなる・見たくなる、って経過。そして『天国と地獄』的シーンを経て、抽象的だった会話の相手が「現実に存在してるんだ」という不思議な気分を味わうことになる。電光掲示の文字もしばしば挿入され、文字情報がしだいに表情を持つことの面白さを映像で見せようとした作品でもある。ラストで白黒になったのは、これから文字だけではすまない生身のヤヤコシイ世界に入っていかなければならないんだよ、ってことを言っているのだろうか。…と、これはまだ私がパソコンに触れてもいないころに観た映画の、当時の感想。こうして自分自身が匿名広場に参加することになるとは思ってもいなかった。[映画館(邦画)] 7点(2009-10-28 11:59:48)(良:1票)

18.  パイナップル・ツアーズ 沖縄がのんびりしていることの全面的な肯定、ゆるんでいることの謳歌である。のんびりしていることがただ怠惰で非効率とされる本土に対して、これはこれで一つの文化なんだと歌ってみせた。たとえば第2話。居着いてしまった本土の青年がずるずると土地の娘の婿に仕立てられていく話。60年代前半なら『砂の女』のような鋭角的な手触りの作品になったモチーフ、60年代後半なら『神々の深き欲望』のようなコッテリとした味の大作になったモチーフ、それを90年代あたまの沖縄人がサラリと風土に合ったトーンで描き直している(もっとも中江監督は実は京都生まれで、後天的ウチナンチューと自称しているそうだ、そういう来歴がストーリーに生かされたかも)。今村の視線は、やはりヤマトの側から南の風土に吸い込まれていくヤマト人を眺めるものだった。その豊穣な風土への畏敬の念が、どこかおぞましさとつながって感じられてくるところに、今村の正直な感性があったと思う。南でしだいにゆるんでくるヤマト人の変貌は、既知のものが未知の中に引きずり込まれていく、魔に魅入られていくといった印象があって、しかし本作にはそれがない。今村の描いた壮麗な神々の風土を「過大評価です」と笑っているような人間臭い世界がある。映画は主人公ヒデヨシ君にちょっと同情しながらも、途方に暮れる彼を祝福し歓迎していく。那覇へ逃げ出そうとするところを連れ戻される望遠鏡のカットの穏やかなユーモアなど楽しい。ヒデヨシ君個人に密着して考えれば、老人たちの無邪気さは共同体の不気味さと裏表のものであって、『砂の女』のテーマは現在でも有効なはずだ。しかしそれらのことを考えても、ついついヒデヨシ君を祝福してしまうのは、その底に作者ののんびりゆるんだ自分たちの暮らしへのはっきりとした自信があるからに違いない。それが爽やかさになっている。[映画館(邦画)] 7点(2009-10-06 12:11:13)

19.  橋のない川(1992) 《ネタバレ》 これでいいのは「ヤーイヤーイ」と囃し立てる式の分かりやすい差別ではなく、制度に組み込まれている「微笑のなかの差別」が描かれていること。たとえば地主の稲刈りの手伝いをしたとき、部落の者だけは駄賃を裏にまわって渡される、それがさも自然なことのように微笑のなかで進行していく。誰もそれがおかしいことだとは思わないその静かな微笑の怖さ。あるいは駅頭のシーン。友人が自殺し動揺している部落の少年たちが、駅で小学校の時の女先生に会う。ものわかりの良かった先生だ。その出来事を心の深いところで理解してもらおうと語りかけるのだが、その先生はあくまで親切な語り口で「そんな自殺の仕方するなんてやっぱり普通の子やないんね」と感想を述べただけで、入ってきた汽車に乗って去ってしまう。悪気で言っているのでないだけに「やっぱり普通でない」という言葉の残酷さが際立ってくる。女先生の親切げな微笑がかえって壁の厚さを意識させる。微笑というものが、もともと排除の機能を持っているらしいのだ。異質のものに出会ってそれに深く関わりたくないとき、あいまいな微笑を浮かべてやり過ごそうとする。人間集団の機能として、微笑と偏見は表裏一体らしい。あと頬をぶたれる少女のエピソードも好き。部落の少年が学校の集会のとき、隣の女の子からそっと手を握られる。悪い気はしない。でもそれが「部落の人間は手が冷たいそうだ」という噂を確かめてみたものだと人づてに知らされ、その女の子の頬をぶってしまう。ここまで部落の子の側から描いてきたエピソードが、ここで一転し、少女が何かをじっと考えながら川の水で頬を冷やしている場面になる。おそらくこの少女が考え込んでいる表情は、大人たちの微笑の対極にあるものだろう。深いところで希望を感じられるいいシーンだった。差別が被差別者だけでなく、すべての人の心を傷つけてしまうことが、文字に書かれた教訓でなく実感として伝わってくる。そして岩波映画出の記録作家としての経歴が、農作業風景で生きている。部落の人々の自信を支えるものとしての、背景以上の意味を持っていた。こういう生真面目な映画は「笑い」ほどシャープには問題点の切り口を捉えづらい。でもこういう生真面目な映画をきちんと作り上げられる才能は、「笑い」をゆたかに笑う技能とどこかで通じあっているような気もする。[映画館(邦画)] 7点(2009-08-02 12:14:09)

20.  八月のクリスマス(1998) いわゆる難病ものではなく、病状でドラマを動かしてはいない。そもそも病名すら与えられてなく、特殊な悲しみにならなくしてある。焦点は死の準備のほうだ。主人公は去る者として社会を眺めてるんだけど、それが無責任になるわけでもなく、写真師として記憶の記録係を粛々とこなしながら、去った後の準備を進めている。その人生との距離感がいつも主人公をニコニコさせているのだろうか。老父にビデオの要領を教えるところが泣かせた(リメイクした日本版ではDVDになってた)。あとは野となれ山となれ、でなく、たつ鳥あとを濁さず、のほう。娘の、年上の“おじさん”に対する興味・からかいが恋に移ろっていく感じがなかなかよく、主人公も、禁じられた恋なんだ、と歯を食いしばるのではなく、人生への感謝になっていく。そう、これは人生への感謝を描いた映画。[映画館(字幕)] 7点(2008-11-23 12:41:59)(良:1票)

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