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1. ベネシアフレニア 《ネタバレ》 「ホラー&スリラー映画」とのことで、現地の警察も出て事件の真相に迫っていくサスペンス風味もある。ベネチアの風景が見られるのはいいが、物語としてすっきり整理された感じはなく、昔の薬とか秘密結社の正体は何だったのか、人数を集めて最終的に何がしたかったのか(動画配信で終わり?)が納得できるよう作られている気はしない。最後もそれほど盛り上がらず尻すぼみのように終わってしまう。 テーマとしては世界的に問題化しているオーバーツーリズムを扱っている。以前からベネチアでは大型クルーズ船による観光客の増加や環境悪化が問題になっていたが、2019年6月には衝突事故が発生し、またユネスコの危機遺産指定を回避する関係もあって、2021年8月には政府が大型船の中心部乗り入れを禁止した。しかし大型船が来なくなったわけではなく観光公害も解消されないため、2024年4月からはほとんどが大型船で来る日帰り客を対象に入域料を取ることになっているが、たった5ユーロでは抑制効果がないとの批判もあったらしい。 この映画では大型船の観光客を、疫病を運ぶネズミの群れに見立てて人間扱いしていない。観光客が殺人鬼に殺されるのを住民が見過ごしにしていたのは激しい怒りと憎悪の表現であって、いわば全市が「人殺し(暗殺者)通り」と化していたということになる。ちなみにこの映画は地元イタリアのベネト州も支援しているようだった。 ところで題名の「…フレニア」は精神疾患を意味する接尾辞だろうがそれだけでは意味不明なので、例えば一つのものの中に異質で相反する要素が同居していることの表現と思うことにする。 同居の組み合わせの一つとしては、住民の間に観光客への強い反感がある一方、当然ながら観光で生計を立てる住民も多いことである。もう一つはカラス男(ペストドクター)とピエロの関係だが、これは一人の人間の持つ二面を双子として表現したようで、カラス男も本当は皆殺しにしたい衝動を秘めていたと解される。こういったことで現地の利害対立や住民の苦悩を表現していたようだった。 主人公は本来地味な性格のようだったが、実際来れば無銭飲食とか怪しい場所へ好んで入り込むなどネズミ集団の一員になってしまっていた。ネズミの分際で、友人を殺した男を「人でなし」と罵ったのは笑うところかと思ったが、この主人公も一個体に人とネズミが同居していたと取るべきかも知れない。 それでどうすべきかに関しては、例えば登場人物が言ったように、騒ぎたいだけの奴はラスベガスとか、カナリア諸島やバレアレス諸島のリゾートにでも行けということだ。また目の敵にされていたのは大型船で来る大集団だけで、それ以外は許容可能という区分けはできなくもない。橋で殺された東洋人はそれほど迷惑系にも見えず群れてもおらず、観光客とすれば好ましい方ではなかったかと思われる。主人公のネズミ仲間で生き残ったのも、スマホを持っていない奴と多少なりとも歴史に関心のある奴だった。 最後は歯切れの悪い終わり方で、この映画自体が分裂を内包しているのかと思ったが背後の意図は受け取れなくはない。金を生まない文化は持続性が期待できないにしても、金額で計れるものだけが文化の価値ではなく、また金を生むだけ生ませて潰して(沈めて)しまっていいわけでもない。ユネスコもそういう考えかどうか。 思ったより深い映画だったので長文になってしまった。[インターネット(吹替)] 7点(2024-03-09 10:32:31)《改行有》 2. ヘレディタリー 継承 《ネタバレ》 撮影場所はユタ州だそうである。ゲゲゲハウスのようなのが目を引くが、こういうのを好んで作る人々も実際にいるらしい。 ホラーとしての見た目でいえば、大して怖くないが雰囲気は悪くない。序盤では、まずは祖母の遺影が生きているかのような気色悪さを出していた。またその後に部屋に出て来た姿が二次元的に見えたのは、いわゆる霊感のある人々の話でもそのように表現したものがあるので現実味があった。背景音や音楽でも凄味を出している。 個別の場面では、兄が「大丈夫だ」(字幕)と言ったので、大丈夫でないだろうがと思ったがなぜかそのまま帰って来てしまい、朝になってから母親がギャーと叫んだのがなかなか衝撃的だった。頭部をおいて来たのはさすがにまずい。 ドラマとしてはあまり印象に残るものがない。家族関係ではこれまでいろいろ確執があったようだが、そもそも特殊な家庭のようなのであまり突っ込む気にならない。家族のうち本当の重要人物は誰かをめぐるサスペンスという面もあったかも知れないが、別にどうでもいいので勝手にしろと思って終わりだった。 また家系に関わる心霊物かと思っていたら、結局最後はカルト教団の話になっていたのは残念感がある。古代からの由緒正しい悪魔らしいが西洋世界限定のものにしか思われず、また教団も地方のマイナーな集まりのようで、ここから世界支配を企むといった大がかりな展開になりそうもない。現に自分のいる世界との接点がないので身辺に迫る怖さを感じない。 これでアメリカ人がどう思ったかわからないが、少なくとも自分としては人類普遍のものが表現されているとは見えなかった。 なお母親の作っていたミニチュアは少し興味深いところがある。建築模型でなくドールハウスという言い方になるようだが、ギャラリーで個展をするくらいなのでアート作品として作者の精神世界を表現し、見る人を引き込む力があるものだったらしい。制作の動機としては、自分にとって好ましいとも限らない周囲の世界をミニチュアにして受け入れて、自分のものにしたい(支配したい?)という欲求があったというようなことか。よくわからないがその心理は知りたいと思った。 この家系はこれまで精神面でいろいろ問題が生じていたようだが、その精神性を芸術性に転化して社会生活に生かすことができていたと思えば、今回の件でそれが断たれてしまったのは残念ということにはなる。娘にも素質はあったらしい。[インターネット(字幕)] 5点(2023-06-10 10:00:07)《改行有》 3. 便座・オブ・ザ・デッド 《ネタバレ》 日本国内向けの宣伝で、"BENZA OF THE DEAD" と書いてあるのは英題ではなく英語にもなっていないがそれなりに格好がついた題名に見える。本物の英題はニュアンスがよくわからないが、要は主人公が現にいる場所、及び人生の行き詰まりを意味するということかも知れない。または牛馬を入れておく仕切りの意味もあるとすれば、ヘザーという人物が「牝牛」と呼ばれていたこととも符合する。 登場するゾンビは普通のゾンビだが、便所がごった返すほど押し寄せて来る理由は不明である。特徴的だったのはサニタリーボックスの中身を好んでいたことで、個体差もなく全員群がっていたからには今回のゾンビ共通の特性だったらしい。これはレディース用レストルームだからこそ明らかになったことで男便所ならわからなかったはずだ。 またエンドクレジットによると、便所ゾンビの連中にはそれぞれ役柄があったようで、サンタゾンビとかジーザスゾンビは見た通りとして、マーケティングゾンビとか経理ゾンビとか人事ゾンビなどは各々それなりの役柄を演じていたのかどうか(経理っぽいのはいた)。"Bi-curious Zombie" というのはどういう演技をしていたのか探して見た方がいい(見落としたが)。 ほか性的に下品なところは多かったが排泄物は映らない。また映像面では、特に前半はクールな青をベースにして赤がアクセントになる色彩感がよかった。外の廊下は黄色系だったらしい。 ストーリー面では人間ドラマもちゃんとあり、様々な意味で行き詰っていた男が思いがけず励まされて前に踏み出していく物語ができていた。イブの初デートのあと一緒に帰れなかったのは切ないが、25日中には何とか母のもとへ帰りつくのだろうと思った。 コメディとしてそれほど笑うところはなかったが、ネズミ関連の夢オチ2回は嫌いでない。また先月(9/19)葬儀があったばかりなので、女王が便器の中からハローというのは不敬に思われたが、このように国民に親しまれた女王様だったのだろうとは思った(イラストと声が若い)。なおエンドロール最後の免責事項で、登場人物が実在の人物と似ていたとしても偶然だ、としたところで "real persons, living, dead or undead" と書いてあるのはよくある程度の軽いジョークだろうが、存命の人物なら女王も当てはまるかも知れないとして、real undeadというのも該当者がいるのかどうか。[インターネット(字幕)] 5点(2022-10-15 10:34:17)《改行有》 4. 返校 言葉が消えた日 《ネタバレ》 ゲーム原作だそうだがやったことはない。ホラー風に見せているが、ホラー慣れしている立場として特に怖いところはない(提灯憲兵は何なのか)。ミステリーとしては、出来事の真相は正直よくわからなかったが、他の映画レビューサイトでネタバレ解説している人々がいたので大体わかった。 物語のメッセージとしては生きろ、そして忘れるな、といったことか。さらにいえば密告者にもそれなりの動機があったわけだが、そもそも人は善悪をあわせ持つものであり、誰でも密告者になりうるのだから心せよ、ということかと思った。 ちなみに劇中の古い歌は「雨夜花」(昭和9年発表、台湾語)だった。いかにも禁止されそうだ。 ところで劇中の読書会に関して思ったのは、人を一か所に集めてしまうのでは危ないのではないかということである。分散はリスク管理の基本であり、単に本が読みたければ別々に隠れて読めばいいだろうが、あえて集まるのはそれ自体に政治的意図があると思われても仕方ない(あると思うのが普通)。純粋な読書欲求だけで参加する者がいたとすればナイーブすぎることになる。 またわからなかったのは、この映画に糾弾されるべき悪役がいるとすれば誰なのかということである。事実としては当時の国民党政権がやったわけだが、国民党が悪なら共産党が善とはならないのは当然として、その国民党は今も現地の有力な政党であって支持する国民も多いはずであり、これを悪と断じてしまうのは政治的な問題に関わることになる。 さらに中華民国の国旗の前で残虐行為が行われるなどの場面があったのは、まるでこの映画として中華民国という国自体を悪と位置づけているようにも見えた。しかし現在の蔡英文総統も中華民国の総統なわけで、いまの台湾が拠って立つ国家の枠組までを否定しているとも思えない。あるいは国家というより国民党の定めたこの旗を嫌っていたとすれば、いわゆる独立派の感覚だとそうなるかも知れないが、何にせよ同じ自主独立の民主主義国の日本人として、他国の特定の政治的主張に簡単に同調するのは憚られることになる。 そのようなことで、現地の政治がらみで考えてしまうと素直に見られない映画だった。 なお日本では、表現の自由のもとで自国を悪と表現するのは普通に行われていることであり、また劇中の思想統制が戦前の日本を思い起こさせ、現代の体制批判にも結び付けられるという点で、どちらかというと高齢層が賞賛しそうな映画ではある。ただ実際にこの手の映画を見るのは若年層だろうからずれがあり、そこで素直に全体主義の統制社会は恐ろしいという方に意識が向くとすれば、ジョージ・オーウェルの「1984年」をイメージしたというゲーム当初の発想に沿う形にはなる。次に同様のことが起きるとすれば誰が起こすのか、ということは考えていかなければならない。[インターネット(字幕)] 5点(2022-02-05 11:04:36)《改行有》 5. 白頭山大噴火 《ネタバレ》 中朝国境の白頭山(2744m)が大噴火して半島に壊滅の危機が迫る映画である。日本でいえば「日本沈没」を思わせるので、最後は半島が救われた代わりに日本が沈没した、などという話だったら笑ったが、そういうタイプのおふざけはなかった。なおトンガで火山の爆発があった時(2022/1/15)にこんなのを見るのは不謹慎だろうが、見たのは爆発前(1/14夜)だったので許してもらいたい。 前に見た「韓半島」(2006)と同じく基本的には南北統一を志向しているが、近年の情勢変化を反映しているようなのは興味深い。もう北を対等な協力相手にはできなかったようで、この映画では南主導で米中のうち主にアメリカを悪役にし、核保有国の立場を保ったまま統一を果たす形を作っている。一方で日本が全く表に出ないのは、近年の日本政府が冷淡だったせいかも知れないが大変結構なことだった。日本人には見やすい映画になっているが、アメリカ人なら腹立たしいところもあるかも知れない。結局どこかにしわ寄せがいく。 なお「科学忍者隊ガッチャマン」が出てきた意味はわからないが、これは台湾のアニメ映画「幸福路のチー」(2017)でも印象的に使われていたので、東アジアの民に共通の視聴体験かも知れない。 派手な映像としては予告編にも出る都心崩壊のあと、中盤で漢江?の橋、終盤で大噴火の様子なども出るが、ほか基本的には南北の主人公コンビがやらかすコメディじみたドタバタアクションで楽しませる。咸興や平壌といった都市の映像もそれらしく見せていた。 主人公2人がTVドラマについて話す場面では「愛の不時着」が出なかったが、どうもこの映画自体が似た性質のものらしい。ラブストーリーでは当然ないとしても、おっさん同士が抱き合って気絶している場面があったりして、南北の心理的距離が縮まる過程も描かれている。両人とも国家への忠誠心は不足のようだったが、国はどうでも人間同士がわかりあうことが統一への近道だということらしい。 最後は首都の復興が進んでいるのも見えており(その金はどこから出たのか?)、非常に清々しいラストになっている。加えて日本が出ないのが極めて好印象だったので悪い点はつけられない(ガッチャマンだけ余計だったが)。 登場人物としては、主演俳優の名前の「イ」とその役名の「リ」は同じ「李」だろうが、発音に南北の違いが出ているのは意図したことなのか。 個人的にはミン中士(閔中士Sergeant Min、白鳥のジュン相当/演:옥자연 玉子妍)の頑張りを応援していたが、途中でいなくなったのは残念だがほっとした。また青瓦台の民政首席秘書(演:전혜진 全慧珍)も結構好きだ。この人を守った警護官も格好いい。こういう役になりたい。[インターネット(字幕)] 7点(2022-01-29 11:28:30)(良:1票) 《改行有》 6. 蛇女の脅怖 《ネタバレ》 知っている者にとっては有名な蛇女の映画である。昔の日本では、この映画や前作の「吸血ゾンビ」(1962)が「怪獣ゴルゴ」(1961)などと並ぶ特撮映画の扱いで怪獣図鑑に掲載されていた。自分としてはこの映画の説明を読んで初めて「ボルネオ」という地名を覚えた気がするが、かつてのイギリス植民地とすれば現在はマレーシア領になっている地域のことのようで、劇中の不気味な東洋人も役名がMalayになっていた。 前作に続いてまたコーンウォールの話であり、さすがイギリスの隅の方だけあって何が出るかわからない不気味な地方という印象が出ている。撮影も同じ場所とのことで、酒場とか墓地とか邸宅など見覚えのある風景が出るほか、名前を知っているとか墓を掘り返すとか火事になるとか似たような展開も見える。急造映画のためか前作よりも単調な物語のようだが、ただし原題には雌雄の別がないので、最初は不気味な東洋人が蛇男のように思わせておいて実は意外な正体だった、という意外性はあったかも知れない。 また、自分のせいかも知れないが意味がよくわからない場面もあり、客間で楽器を弾いた場面で父親が激怒した理由は何度見てもわからない。酒場の主人が夫妻の飲物に入れたのが何かも不明だったが、結果的に悪意があってのことではなかったようで、これは睡眠薬でゆっくり寝せようとしたのだと思っておく。なお、いくらヘビでも冷気に当たっただけで死んでしまうというのも何なので、ここでは活動力だけを失って、その後に火事で焼け死んだと解釈しておく。 ほか前作もそうだったが、イギリス社会の「旦那」と庶民の区別が窺われる映画ではあった。 キャストに関しても、巡査→酒場の主人など前作と同じ役者が出ている。個人的には、前作でも印象に残ったジャクリーン・ピアース嬢が最大の見どころで、特に楽器を弾く場面の表情が非常に魅惑的なので惚れてしまった。 また人間以外では、哀れっぽく鳴くネコが助かってよかった(制作側に忘れられたのではないかと思った)。[DVD(字幕)] 4点(2020-11-21 14:20:20)《改行有》 7. 北京の55日 《ネタバレ》 冒頭いきなりそれらしく作った城壁や街並みに驚かされるが、その後も巨大な楼閣が炎上して崩壊するなど、こんなものを実物でよく作ったものだと思わされる。壁に「殺」「焼」と大書されていたりするのが殺伐とした雰囲気を出していたが、ほかにも火薬箱に「容易起火」と書いた紙が貼ってあるなどアメリカ人には読めないわけだ。なお清国人を斬首するのに辮髪を掴んでいたのは使い勝手がよさそうだった。 当時の列強の政策自体はほめられたことではないとして、アメリカだけは別に領土的野心はなかったのだとアピールしていたようである。また清国側が民衆運動を都合よく使って示威行動なり破壊活動をさせていたのを見ると、こういうのは昔からあったのだと改めて思わされるが、その制御を誤ると権力が滅ぶというのが最後の西太后の述懐だったらしい。 列強側は11か国といいながら、アメリカ映画なので米英中心なのは当然として、意外に日本もアメリカ寄りで目立つ場所にいる。これは史実というより第二次大戦後の日本の立ち位置の反映かも知れないが、単なる子分というだけでもなく、いきり立つアメリカを宥めて協調を促したように見える場面もあった。敵の警備兵をカラテで倒したのも日本人ではないか。アメリカ人が英独仏伊には各国語で呼びかけておいて、日本語だけ出て来なかったのはナメられているような気もしたが、けっこう親日的というか変になれなれしい映画には見えた。 基本的には、日頃は利害が対立していても有事には協力していこう(アメリカ主導で)という映画だったようで、昔の日本も孤立して世界と戦うばかりでなく、ちゃんと他国と連携しようとしていた時代もあったというのは悪くない。今はそういうお仲間をどれだけ作れるかが問題だろうが、現実問題としてアメリカを当てにしていればいいわけでもなく、まあ前途多難だというしかない。 登場人物では、﨟󠄀たけたロシア婦人が一応ヒロインだったようだが、それはともかく自分としては、昔の夏帆を思わせる可憐な少女が救われてもらいたいとだけ思いながら見ていた。主人公の少佐に対して部下の軍曹や神父までが、この子にまともに向き合え、と強要していたのは笑った。この少女が幸せになりさえすれば、あとは大清帝国がどうなろうがハッピーエンドということだ。 そのようなことで、結果的にはそれなりに面白い娯楽映画だった。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2020-11-14 09:25:40)《改行有》 8. 米中開戦 20XX年: 悪魔のシナリオ 《ネタバレ》 ニュージーランドの映画らしい。脚本・監督・プロデューサーの人物と、少なくとも主演女優は同国出身、撮影場所も同地である。どうせしょうもない映画だろうとは思ったが、IMDbのユーザーレビューを読んで大笑いしたので見ずには済ませられなくなった。 邦題はともかく当初の時点では北朝鮮・ロシア・中東に国際紛争の火種があり、このうち最初のが世界大戦につながった形になっている。いきなり大軍で侵攻してから全面核戦争にまで発展するなどまるで20世紀の発想だが、しかしそういうのが第三次世界大戦のイメージだとすれば、劇中の中高年の道楽で起きるようなのが原題の「第四次世界大戦」というつもりかも知れない。 物語的には一応、人類存亡の危機に警鐘を鳴らす体裁になっており、悲しみや憤りも表現されている。日本人なら反戦映画として見られなくもないが、それほど真面目に見るものとも思われない。 なお日本は当然破滅する側だが、当のニュージーランドは最後まで出て来ない。自分だけ離れた場所から北半球の破滅を眺めて面白がっていたようでもあり、いわば劇中の愉快犯の位置にいたということらしい。 映像面では各種兵器や戦闘場面が豊富だが、多くは本物の戦闘や演習や訓練などの映像をつなぎ合わせてそれらしく見せたもののようで、それがこの映画の最大の特徴である(素人動画にもありそうだが)。ちなみに艦隊の映像は環太平洋合同演習(リムパック)の映像が使われていたようで、個人的に贔屓にしている「ちょうかい」DDG-176が映ったのは嬉しい(邦画「空母いぶき」では変な名前に変えられてしまっていたが)。また同演習に参加した中国のジャンカイ級フリゲート(572衡水)の映像が使えたのはストーリー的に都合がいい。 ほか個人的にはリトアニアにNATO諸国の戦闘機が配備されているというのが興味深かった(ノルウェーのF-16など)。ほかにも軍事ファンの人々ならいろいろ見どころ(突っ込みどころ)があるかも知れない。自分としては「空母いぶき」と同程度には楽しめる映画だった。 [2022-05-14追記] いきなり大軍で侵攻してから核戦争に発展するなど20世紀の古くさい発想かと思っていたが、今年のロシア軍のウクライナ侵攻を見るとそうでもなかったらしい。この映画で国際紛争の火種になっていたのは北朝鮮・ロシア・中東の3つだったが、ロシアというのもありえなくはなかったことがわかる(映画でもウクライナや黒海が出て来る)。 なお劇中の道楽オヤジはいわゆる陰謀論的な世界観の所産のようでもあるが、現実問題としては人類文明を滅ぼすなどという、誰の得にもならない(本人も得しない)ことを趣味的にやらかす者はいないと思うのが普通である。その点で荒唐無稽な映画であるのは間違いないが、それにしても今回若干見直したところもなくはなかったので、最初は4点だったが少し点数を上げておく。[インターネット(字幕)] 5点(2020-02-13 23:06:58)《改行有》 9. ヘイフラワーとキルトシュー 《ネタバレ》 フィンランド映画だからという理由で見たが、自分の年齢性別にそぐわないのはわかっている。原作はシニッカ・ノポラ、ティーナ・ノポラという姉妹作家の児童文学で、1989年に第1作を出して以降、2018年の第17作まで続いている人気シリーズらしいが、映画化はこれ1本のようである。ちなみに映画の撮影場所は、首都ヘルシンキから西に120kmくらい離れたフィンランド湾岸のケミオKemiö(2009年の広域合併後はケミオンサーリKemiönsaari)とのことである。 まず題名に関して、原題のフィンランド語をカタカナ表記すると「ヘイナハットゥ」と「ヴィルッティトッス」と書くのが一般的と思われる。意味としてはheinä(干し草)+hattu(帽子)とviltti(毛布)+tossu(靴)だが、vilttitossuは一語で冬用のフェルト製長靴のことを意味するらしい。どちらも登場人物が実際に身につけているものなので、人名というよりは愛称ということになる。 また原作は邦訳が出版されているが、その題名は「麦わら帽子のヘイナとフェルト靴のトッス」とされており、これに倣えば「麦わら帽子」と「フェルト靴」と訳せばいいことになる。ただし邦訳では「ヘイナ」「トッス」を人名の扱いにしているため、「麦わら帽子の“麦わら”とフェルト靴の“靴”」という変なことになってしまっている。 一方で英題は「干し草の花」と「キルトの靴」だが、hay flowerは牧草限定でない草花を指すとの話もあるらしい。何にせよ原題の麦わら帽子とは違っており、また「キルト」もフェルトと同じものとは思われない。 このように原題と英題と邦訳の題名にずれが生じている状態だが、この物語を愛する人なら、やはり原題の「ヘイナハットゥ」と「ヴィルッティトッス」をきっちり覚えなければならないと思われる(本気を出せば覚えられる)。 映画の内容としては姉妹が可愛らしいので和まされるが、子どもとはいえ明らかに美人さんなので出来すぎの感もある。個人的には健気なお姉ちゃんが愛おしく思われて、反乱のあとは良い子でなくていいことにしたのはよかったが、しかし駄目親の両親までが自分らでできないことは隣人に頼れば可ということになったらしく、要は誰も頑張らなくていい、という極めて緩い結末だったのはかなりユニークだ(呆れた)。フィンランド人が一般に生真面目だとすればこのくらい緩くてちょうどいいのか、または行き過ぎた核家族化で生じたストレスを緩和する意図か、あるいは女性が活躍するためには地域の協力が必要だという主張か。 なお終盤の「パン生地セラピー Taikinaterapia」というのは何だかよくわからないが色鮮やかで印象的だった。大人もこういうので羽目外しを楽しめるといいだろうが。[DVD(字幕)] 6点(2019-07-05 21:30:00)《改行有》 10. 便利屋エレジー 《ネタバレ》 便利屋営業の3人が、シングルマザーと家族の間をつなぐ話である。大人同士の関係ではもう動きが取れなくなった状態で、あえて子どもを中心にすることで物語が前に進んでいき、ラストは子どもの笑顔が嬉しいハッピーエンドになっている。柄にもなく子役の表情にキュンとさせられるところがあり、また料理が父子の距離を縮めるというのもいい話だった(ただし作ったものはちゃんと食え)。 やりすぎ、できすぎという面はあるだろうが、そこは架空のお話ということで問題を感じない。社長には過去の体験から、困っていても言い出せないでいる人を助けたいという思いがあり、また年長の社員も父親が原因で心に傷を残していて、それぞれの事情が行動を促す形になっている。結末も絶対ありえないわけではなく、劇中タレントの既成イメージにうまく乗せられれば今後の持って行き方はありそうな気はする。マネージャーの変心だけは少々都合よすぎかと思ったが、これもその前の場面で家族のつながりを見せつけられたからだと解される。 ネット上で観察した限り、日本中でほとんど誰も見なかったかのような印象もある事実上の超マイナー映画だが(著名レビューサイトでも現時点で投稿が1~2件)、見れば意外に泣かされる話だったので少しいい点にしておく。 なお登場人物では、元AKB48の永尾まりやという人が夜の仕事で子育てしているシングルマザーになっている。女の子でもないがくたびれてもおらず、ほどよく華のある母親役だった。[DVD(邦画)] 7点(2018-06-17 09:57:47)《改行有》 11. ヘルタースケルター(2012) 《ネタバレ》 原作の内容をわりと素直に映画化しているように見える。「みんながりりこに夢中」といっても一過性の事象なのはもちろん、そもそも賞賛している一般大衆は女子だけだったようで、しょせん同性内でしか通用しない感覚なのだろうと思われる。男子としてはこんなのに付き合ってられない、と突き放すのが常識的なのだろうが、あるいは逆に男など関係ない、と突き放されているのかも知れない。 それが劇中の男の扱いに反映されているようにも見えて、この映画ではとにかくろくな男が出ない印象がある(キンちゃんは男から除外)。うち検事の扱いが簡略化され、ただの変人のようになっているのは原作とも大きく違っている点かと思うが、主演女優のための映画であるなら主人公と並ぶ存在感のあるカッコイイ男など不要なのかも知れず、これはわからないでもない。 ほか女性キャストでは、マネージャーは彼氏との年齢差があり過ぎて不可解に思えるほどだった。この人物は見ていて不快でしかないが、こういうのに共感する女性はいるのかと疑問に思う。…かといって主人公と同一化できるわけもないだろうし、結局は女性の観客にとっての視点の置き場所は検察の事務官あたりということになるのかも知れない。この人が一番フツーの人で安心する。 ところで映像美(+音響)の面ではさすがの出来と感じられる。特に主人公の錯乱の場面では極彩色で狂気と戦慄の映像が展開される一方、なぜかバックに ”An die Freude” が流れたのはエヴァンゲリオンなみのインパクトで、わけがわからないながら妙に大喜びして一緒に歌ってしまったのは自分でも変だと思う。やはりこういうところが?この映画の真価なのだろう? ビジュアル面だけでも個人的にはまあ満足だった。 なお主演女優は主人公にシンクロしていたとのことだが、本来はこの人こそ「生まれながら」の特権保持者だろうし、モデルの寿命はどうか知らないが役者は一生モノだろうから立場は違うはずだ。また主人公の妹に関しては、映画を見るとこれはスゴイと思うが、この女優は現時点でもうかなり痩せている(元に戻った)とのことである。この人もけっこう自然体で逞しい感じなので、今後とも頑張って役者人生を歩んでほしい。[DVD(邦画)] 4点(2013-01-28 20:58:17)《改行有》
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