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1. 間宮兄弟 兄弟を扱った作品の多い今年、反目や葛藤といった人間関係のドロドロとした感情を剥き出しにした内容のものが多数派を占める中にあって、まさにその対極にある一本と言えるのが本作である。この映画に登場する兄弟は個々に自立し、それなりに生活力もあり、将来に夢も希望も持っている(筈?)、特別変わったところもない普通の兄弟である。但し、とうに三十路を過ぎていても何故か二人とも独身である事。そして共に一緒に暮らして生計を立てている事を除けばだが。ユニークなのは、自分たちで一定のルールを決め、それに則って暮らしているという、彼等の生活スタイルそのものである。それはまるで子供たちが自分たちでルールを決めて、遊ぶ事に夢中になったり、宝物を大切にしたりしているような感覚であり、彼等の生活はまさにその延長線上にあると言っていい。映画は幼い頃から腕白坊主で仲のいい兄弟が、そのまま大人になったような(体は立派な大人だが、心は子供のまま)そんな彼等の生活ぶりを(生き方と言い換えてもいい)面白可笑しく描いていく。興味の中心は、似ても似つかない兄弟を演じる二人のキャラクターとコンビネーションの妙であり、ノッポとデブといった、アボット&コステロ以来の伝統と約束事を忠実に生かしきったコンビとしての絵面の良さである。さらに愛嬌たっぷりに明るさを振り撒く、少々エキセントリックな母親像を中島みゆきが体現してみせた事で、“この母親にしてこの子あり”と言った妙な説得力を生じさせているのも、意外性の面白さと言えるかも知れない。惜しむらくは彼女の出番が少なかった事だが、彼女を起用した事で、他の青春ドラマとは少々異なった味わいを残す結果となり、そのあたりはむしろ森田芳光監督の狙い通りだったのではなかろうか。人間本来の感情を十分に持ち合わせ、豊かな感受性を兼ね備えた二人は、しかしながら、どこまでも現実離れした、おそらく居そうで居ない、究極の兄弟像ともとれるが、こんな兄弟がきっと何処かに生きていると観客に思わせたら、映画として成功したと言えるのではないだろうか。出来得るならば、彼等の“その後”も観てみたいような気がする。[映画館(邦画)] 8点(2007-01-28 17:45:32) 2. マスク2 前作の「マスク」はJ・キャリーのエンターテイナーとしての才能が存分に発揮された傑作コメディで、エキセントリックなメーキャップが秀逸であり、卓抜なアイデアで繰り広げられる映像は革命的とさえ言え、CG映像という新しい時代の幕開けを象徴する作品でもあった。あれから10年という歳月が流れ、映画のみならずTV・スポットCMなど、巷にはCG映像が氾濫。刻々と変化する新しい映像表現に、我々はいつしか慣らされてしまっているのが現状である。そんな時に観た本作の感想を言うと、最新の高度なCG映像が際限なく展開されるものの、もはやフツーの映像だと言ってもいい程に感覚がマヒし、これらが単なる無邪気なCG遊びにしか見えてこないのが何とも辛い。(だいたい、実写の赤ん坊が急にCGになって暴れだしたりするシーンなどは、日本のCFで嫌と言うほど見せられているしネ。)要は「マスク」の時のような、映像に目がクギ付けになる程の感動がここには無いのである。J・キャリーやC・ディアスといったスター俳優が出演していないのも作品を魅力のないものにしているのだが、そこまで言ってしまうと身も蓋も無い。前作さえ無ければこれはこれでファミリー・ピクチャーとして楽しめたかも知れない。 (これって、あまりフォローになってないかナ!?)[映画館(吹替)] 6点(2005-04-22 01:20:39) 3. またの日の知華 '60の安保闘争に始まり、東大・安田講堂での攻防、連合赤軍の浅間山荘事件を経て、丸の内ビル爆破事件へ・・・といった、それぞれの時代を象徴する出来事を、当時のニュース・フィルムを挿入しながら、この激動の時代を奔放に生きた、ひとりの女性の姿を切り取ったのが本作。ただひたすら堕ちていくしかない、その知華という女の体を時代が駆け抜けていく。彼女の生きざまに日本の戦後史を重ね合わせるというドラマツルギーは、いかにも日本という国家に拘り続けている原一男らしさに満ち溢れていて、これが初の劇映画とは言え、やはりどこまでもドキュメンタリー作家なのである。前述のシンボリックな時代背景が、彼が過ごした青春時代とも重なることを見ても、これらの時代をテーマにした事は至極当然なのである。だからなのであろうか、作品世界が60~70年代のATG映画そのものの肌ざわりなのである。個々のエピソードは男と女のドラマとして面白みもあるが、ただ戦後歩んできた日本の時代背景との関わり合いという点では、とりたてて深い意味合いは感じられなかった。また、知華を四人の女優に演じさせるというのは、それぞれの個性の競演という試みとしての面白さはあるが、ただそれだけに留まっていて、そこからさらに一歩弾けるような展開がみられなかったのは、まことに残念である。[映画館(字幕)] 6点(2005-04-19 16:10:50)(良:1票) 4. MIND GAME マインド・ゲーム(2004) 人間の精神世界を実験的な手法でアニメ化した、まったく新しいタイプの作品で、その独創性と斬新さだけで言えば宮崎アニメをも凌駕していると断言してもいいほど、今年最も興奮し魅了させられた一本。舞台はしっとりとした下町情緒溢れる大阪。この静かなオープニングは極めて写実的な画調であり、出演者には声のみならず、彼らのナマの顔をアニメの登場人物たちに被せて、そのキャラを際立たせるという演出テクニックがユニークであり、また生活臭を感じさせる関西弁と相俟って実に効果的だ。が、焼き鳥屋での大騒動で、主人公の西が“一度”あの世へ行ってからは、物語が大きく動くと同時に画調も変化する。丸みを帯びた写実的なきめ細やかさから、鋭角的で奔放な線画に変貌するや、夢とも現実ともつかない異空間へと舞台が移っていく。アニメとはいえ、アイデア満載で何故かリアルで手に汗握る湾岸線でのカーチェイスから海へダイブ。気がつけばクジラのお腹の中へ。ここでの様々な出来事は現実には有り得ない、実に破天荒な設定だが、アニメだからこその説得力をも感じるし、これこそがまさにアニメとしての醍醐味というものだろう。そしてこの作品のハイライトは、何と言ってもクジラからの脱出劇。まさに怒涛のクライマックスであり、 地獄から天国へと這い上がるといったイメージで描かれるこのシークエンスは延々と続けられ、生への渇望というものを否応無く感じさせられる。その画像の力強さと躍動感、エネルギーの凄まじさには圧倒されてしまうが、言葉でうまく表現できないのが口惜しい。“イメージの洪水”とは、まさにこういう映像をこそ言うのだろう。いずれにせよ本作はアニメーションの真髄というものを嫌というほど感じさせられた傑作である。[映画館(字幕)] 9点(2004-09-14 00:38:22)(良:1票) 5. マックQ 相棒を殺害されたシアトルのはみ出し刑事が捜査に乗りだすが、麻薬ギャングと結びついている警察上層部の圧力から、私立探偵に転身して巨悪に立ち向かっていく姿を描いた作品。内容そのものはいわゆるポリスムービーの定食メニューといったところだが、監督J・スタージェスと音楽E・バーンスタインの名コンビに、主演がJ・ウェインとくれば、もぅほとんど西部劇のノリで、まさに豪快そのもの。好きな人にとっては期待するなと言うほうが無理というもの。しかし現代アクションに西部劇のスケール感やカウボーイの哀愁などといったものはやはり見出せず、西部の男一筋に生きてきたJ・ウェインもどこか居心地悪そうに映る。時代の流れとは言え、西部劇が終焉を迎え現代劇にしか活路を見出せないのは、残念なことだしやはり寂しい。それでも、馬を車に乗り換え大暴れするJ・ウェインは貫禄十分で、映画初登場の短機関銃イングラムM11をぶっ放すその勇壮な姿は今でも眼に焼き付いて離れない。とりわけ海岸に沿って繰り広げられる終盤での銃撃戦に、その威力をまざまざと見せつけられ、水しぶきを上げながらもんどり打って豪快に転げまわるカーアクションは、壮快ですらある。7点(2003-12-08 17:44:49) 6. マジェスティック(1974) 都会型アクションが少々マンネリ化してきた為に目先を変える意味で、郊外に活路を見出したアクション映画が登場したのがこの頃。本作もそのうちの一本で、なんとC・ブロンソンが西瓜畑の経営者という設定も珍しい。しかしその風貌からしてまったく違和感のない役柄で、ことさら田園風景がよく似合っている。話は、自ら経営する畑と雇い入れたメキシコ移民たちを、ならず者の襲撃から守ってやるという、ごく単純なもの。このならず者のリーダーがこの時期の売れっ子悪役A・レッティエリで、凄味があって迫力をも感じさせるが、いつもどこか間の抜けたようなキャラも併せ持っていて、心底憎めない人だ。で、散々嫌がらせを受けたブロンソンはついに怒りを爆発させ、一気呵成に反撃に出るが、美しい田園風景の中で展開されるアクションは、R・フライシャー監督のテンポのいい演出もあって、実に爽快感溢れたものとなっている。とりわけ大きくバウンドするトラックの荷台からの銃撃戦や、窓ガラスを突き破って飛び込みざまショットガンをぶっ放して相手を倒すなど、軽業師顔負けの活躍で、むしろ悪役たちが気の毒になるほど。こんな強い西瓜畑の経営者がいることも不思議だが、だからこそそれだけ余計痛快さが際立った作品だったともいえる。7点(2003-11-27 23:49:07)(良:1票) 7. マグダレンの祈り この映画ばかりは、なんの予備知識もなく崇高なタイトル(邦題)だけで鑑賞に臨むと、その余りのイメージの落差に愕然としてしまうだろう。もちろん修道院での女性たちを描いていることには違いないのだが、このマグダレン修道院は更生という名の強制収容所で、まさにここでの女性たちは徹底して罪人のように扱われる。人間として本来あるべき自由を奪われ、永久にともとれる外界からの断絶から、希望を失い、生きる気力すら奪い去られ、虐待と屈辱の日々を送り続ける女性たち。いったい彼女たちがどんな罪を犯したというのだろうか。レイプされて本来なら被害者であるはずの女性が、不貞な女としてのレッテルを貼られこの修道院へ送られるように、映画は終始、こういった理不尽さで貫かれていくが、要は彼女たちは十九世紀からの古い因習と歪められた信仰の犠牲者なのである。権威というものは長きに続くと堕落したものになりがちである。カトリックもまたそうであるが、腐敗させているのは他でもない、盲目的な信仰心を持つ人間そのものなのである。そしてその古い価値観に目覚め抗する女性たちが出現し、自分たちの権利を主張し始めたのも、この映画の時代以降だというから驚きだ。8点(2003-11-24 16:47:25) 8. マッチスティック・メン 映画の後半に、ロイが常備薬として使用していた精神安定剤が、実はビタミン剤だったと分かるシーンがある。彼の思い込みは即、常々或る先入観を持って映画に接する我々観客にダブってくる。そしてその事によって我々は見事に騙されてしまう。まさに映画そのものが“詐欺師”なのである。で、あとは気持ちよく映画館を後にできるか否か、が問題となってくる訳だが・・・。結論から言うと、最近のこのテの作品に共通している事だが、伏線の張り方が下手もしくは舌足らずなので、驚きの壮快さよりもルール違反の不快さが残ってしまう。これは個人の見解の相違というもので一概には言えないが、だいたいN・ケイジが極悪非道で騙されて当然な人物なら納得もいくが、詐欺師でありながらどこまでも人のいい人物であるところに、私などはどうしても引っ掛かってしまう。さらに終盤に至って、一敗地にまみれたロイが巻き返しを計るのかと思いきや・・・。こんな終わり方、皆さん納得いきます?まったくフラストレーションの溜まる一篇でした。6点(2003-10-28 23:50:06) 9. マーフィの戦い P・オトゥールといえば「アラビアのロレンス」がベストだとは思うが、もうひとつ忘れてはいけないのが本作のマーフィ役。冒頭、いきなり英海軍の戦艦が独軍のUボートの攻撃で撃沈されてしまい、たった一人生き残ったマーフィが、単身、弔い合戦を決行しようとする。いたって単純明快なストーリーながら、どうやって彼が仲間の復讐を果たすのかに焦点を絞ったP・イエーツ監督の職人芸ともいえる演出力で、見事な娯楽作に仕上げられている。マーフィが整備士という設定がミソで、あの手この手でポンコツの機械から武器を作り出すというプロセスが、なんともユーモラスに描かれていく。この復讐の鬼と化したマーフィを演ずるオトゥールの、何かに取り憑かれたような表情は、まさに彼の独壇場で、この孤独で執念の塊のような男を好演している。海に囲まれた島を舞台にした事と、共演者にF・ノワレを配したこともあって、緊迫感や殺伐感が中和されたかのように、ゆったり・のんびりといった印象を受けるが、それらの事がマーフィの人間性をより強烈に印象付けるには、実に効果的ではなかったろうか。本作は豊かな娯楽性と同時に、一人対潜水艦という刺し違え覚悟の無謀な戦いが、戦争終結となっても止むことなく、彼個人のレベルで展開されるという、まさに戦争がもたらす人間性の崩壊をも鋭く突いたことで、名作たり得たのではないだろうか。8点(2003-06-12 01:12:17) 10. 魔界転生(2003) 深作御大に真っ向勝負の平山リメイク版の出来や如何に!名作の誉れ高いオリジナルに対して果敢に挑戦した、その心意気だけは大いに買いたいところ。で、平山監督自身初の時代劇ということで、先ずは小手調べといったところだろうか。深作演出の豪快さ、無邪気さ、ケレン味には一歩も二歩も譲り、とても太刀打ちできる相手ではなかったようだ。要は真面目でこじんまりと纏まり過ぎた為だが、比較論抜きで言えば、高度なVSF効果などで、見せ場には事欠かない作品となっている。が、今ひとつ魅力に欠けるのは、魔界衆の出演者たちの役不足だろうか。武蔵の長塚京三の口上などは、まるで教鞭を振るう学校の先生みたいで、思わず苦笑してしまった。肝心の窪塚クンに至っては、毒もなければ色気もなく、活躍するシーンも呆気なく、まるでお飾り人形みたいで、残念。6点(2003-06-07 23:16:35) 11. マッケンナの黄金 アパッチが隠し持った黄金の眠る渓谷を目指して、保安官や無法者たちが争奪戦を繰り広げると言うお話し。グランドキャニオンを舞台にしていることで、いかにも正統派西部劇といったイメージだが、趣向とすればむしろ秘境アドベンチャーものだろうか。G・ペック、O・シャリフ、T・サバラス、エドワード・G・ロビンソン、A・クエイル等々、実に豪華な顔ぶれが並んだ作品だが、捕われの身となり道先案内人になってしまうという、保安官としては何とも情けない設定からして、ペック以下多彩な共演陣のキャラが、あまり生かされていなかったように記憶している。要は、この作品の目的はすべてクライマックスにあるということ。インディアンの呪いがかかっていた黄金を手にした瞬間から、周囲の巨大な岩壁が次々と崩落。襲いかかる岩盤をかわしながら馬を走らせ脱出を計るスリル。当時のシネラマの大画面に展開されたこの大スペクタクル・ショーは、まさに圧巻のひと言に尽きる。本作が、後の「インディ・ジョーンズ」や「ハムナプトラ」シリーズに、少なからず影響を及ぼしていることは間違いはない。8点(2003-05-22 11:22:55)(良:1票) 12. 真夜中のパーティー こういう作品を隠れた名作と言うのだろうか・・・否、日本でもかなり後になってから舞台劇になったほど、オフ・ブロードウェイで上演されたあまりにも有名な舞台劇の映画化作品。ホモの世界を真正面から捉えた作品という意味で、当時としてはかなり衝撃的ではあったが、彼らの生き様を描きながら、都会で生きていく恐ろしいほどの孤独と哀しみという、普遍的な人間ドラマとして見事に成立させていた。なにより構成がしっかりしていて、また典型的な室内劇で会話映画でもある為、登場人物たちの暴露のし合いに異様な緊迫感を漂よわせ、嫌が上でもこの禁断の世界に引きずり込まれたような気分を味わされたものだ。出演者のほとんどが無名に近い俳優たちで占められていたのが、功を奏したのだろう。監督はW・フリードキンで、若き日の才能のほとばしりと力量を余すことなく発揮し、後年アカデミー賞を獲得した「フレンチ・コネクション」以上に高い評価を受けた作品でもある。ポランスキーが再び脚光を浴びたように、もう一度ブレイクして欲しい人だ。9点(2003-04-11 16:32:55) 13. マイノリティ・リポート ほんの50年ほど先の未来を想像した事あるでしょうか。情報手段や機械文明といったテクノロジーの更なる進歩。或いは高層の建築物に代表されるような景観の近代的変化などは想像に難くない。しかし人間はどうかと言うと、やはりまだまだ犯罪が後を絶たないようで、こと人間に関してだけはどうやら進歩がない様子が窺い知れる。要するに現代とそれ程変わらないということだと思うのだが、しかしそれでは映画として面白くない。ひたすら映像で語り続けてきたスピルバーグは、フル・スケールのビジュアルから細やかなアイテムまで、現時点で考え得る限りの近未来を我々に創造してみせた。さすがと言うべきか、やはりと言うべきか、その独創性と映像センスは他の追随を許さず、凡百のSF映画にありがちな絵空事的なものとは決定的に違う。明らかに現代と50年先とは繋がっているのだという基本的なことを、我々に体感させ納得させてくれる。そして原作の持つ雰囲気やそのテーマ性などから、スピルバーグお得意のアクションが、今回だけはピンポイント的で、大スペクタクル・シーンなども極力避けて、全体に渋め・抑えめにしているのが良く分かる。しかしサスペンスのハラハラ度やドキドキ感の演出の冴えはいつも以上で、浴槽の一粒の泡でスパイダー・ロボットがピタッと足を止めるシーンの、その呼吸の間の巧さ。さらに、自分の目玉を追っかけるT・クルーズや嘔吐棒のアイデアなどは、彼の悪趣味が遺憾無く発揮されて、傑作。そして最も好きなシーンに、ジョンとアガサの道行きを挙げたい。この時代でも雨が降れば、やはり傘を差していると思います。(笑)10点(2003-02-14 00:27:47)(良:3票) 14. まぼろし 長いブランクがあっての久々のS・ランプリング作品。彼女の「愛の嵐」での鮮烈なイメージが残っているだけに、正直観たくはなかった作品でもあった。確かに老いは隠しようもないが、しかしそれでもなお妖しい美しさと魅力を感じさせる彼女の圧倒的な存在感。そのぎりぎりに均衡が保たれた彼女の姿を見せることこそがが本作の狙いであり、映画の中で演じる中年女性が実生活での彼女とオーバーラップして、実に興味深い。子供はいないが、それだけに深い愛情で結ばれている中年夫婦。その愛する夫が突然目の前から消えてしまったことから、妻としての戸惑いと夫に対する不信感を、ランプリングは巧みで老練な演技力で見せきる。そしてなお夫を想いつづける彼女の姿には胸が熱くなる。上手に歳を重ねてきたと言おうか、老いと若々しさとが共存しているという不思議な魅力を放ち、見事なカムバックを果たした本作は、彼女の新たな代表作となったと同時に、真の大人の映画として近年の収穫だと言える。9点(2003-01-31 16:06:51) 15. マジェスティック(2001) 「ルークが還ってきた」と信じて疑わなかったローソンタウンの人々。いや、無理からでも信じたかったほど、若者たちを戦争にとられた町は失意の底にあったのだと言える。町の希望の星となったピートを、ルークだと信じて静かに息を引きとる父親を、本当の息子のように涙ながらに見取る彼。使用人ですらその正体に気づいていたのに、父親が気づいていなかった筈もない。彼は幸せに死んでいったのだろうか・・・。それはラストに映るふたりの写真がすべてを物語っているような気がする。そして映画がまさに娯楽の王様であったこの時代、悲しい歴史の側面がありながらも、夢や希望を失わなかった人々の思いに胸が熱くなる。主人公を演じるJ・キャリーの屈託のない明るい表情が、この作品に生命を吹き込んでいる。それほど本作での彼は素晴らしい。8点(2002-08-25 17:34:44) 16. マルホランド・ドライブ 上映時間約2時間20分の間、映画として極めて常識的に成立していたのはレズ・シーンが始まる2時間ぐらいまでで、それ以降はまさにD・リンチ・マジックに煙を巻かれてしまったようだ。記憶喪失の女性が女優志願の女性と自分探しをしていく内に、謎が謎を呼び・・・いや、まったく説明のつけようのないその終盤の展開と締めくくり方。一筋縄ではいかないとはこういう作品のことであり、“本来の”D・リンチが戻ってきたことで、リンチ・ワ-ルド好きにはたまらない作品だとも言える。ならば、前作「ストレイト・ストーリー」とは彼にとっていったい何だったのか・・・と言いたくもなるが、それにしても茶目っ気さは相変わらず健在だし、不安をかきたてるような低く微かに鈍い効果音など、いかにもリンチ作品らしい魅力を放っている。さらに言うと、ナオミ・ワッツは凄い女優だということも強烈に印象づけられた作品でもある。8点(2002-04-08 15:06:55) 17. 摩天楼を夢みて ロマンティックな邦題とは裏腹に、生き馬の目を抜くようなセールスマンたちの厳しい世界を、見事な演技陣(その顔ぶれの豪華なこと!)によって繰りひろげられていく。地味な作品とはいえ、その悲哀に満ちたリアルな現実社会を嫌と言うほど見せつけられて、各シーンには息苦しくなるほどの強烈なインパクトを感じたものだ。K・スペイシーを初めて観たのもこの作品だったように記憶しているが、この頃から既に、あの嫌らしい癖のある演技が発揮されていたんだっけ!(笑)8点(2001-12-08 23:09:16) 18. マイ・フレンド・メモリー S・ストーンとG・ローランズという新旧の“グロリア”がこの作品で共演していたということを、ずっと後になってから気がつきました。共演者としては他にもH・D・スタントン、G・アンダーソン、J・ガンドルフィーニ等々。何と魅力的な出演者たちだろうか。その彼らを向こうに廻して、頭抜けた演技力と的確な表現力で、この作品の主人公である二人の少年を、共に見事に演じきるE・ヘンソンとK・カルキンは、この感動的なストーリーにまさに相応しい。キャスティングの勝利とはこういう事を言うのだろう。9点(2001-10-19 23:00:52) 19. マイ・フェア・レディ ミュージカルの傑作が続出したこの時代の代表作の一つであると共に、A・ヘップバーンが最も美しく輝いていた作品でもある。後の「プリティ・ウーマン」など、これをベースにしたシンデレラ物語は数多いが、この作品を超えるものは未だに出ていない。ストーリーや多彩な出演者のみならず、例えば大画面いっぱいに広がる花々が美しく印象的なタイトルや、劇中の「踊り明かそう」「スペインの雨」「君住む街で」等のお馴染みのナンバーは終生忘れる事はない。束の間の夢を見させてくれるという、ミュージカルならではの本来の楽しさを存分に味あわせてくれた名作だが、昨今こういった作品にお目にかかれないのは寂しい限りだ。10点(2001-10-11 00:45:09) 20. 真夜中まで(1999) トランペットを吹く真田広之の頬がほとんど脹らまなかったり、夜の街を疾走するオープンカーの車体がやたら高く見える真正面からのカット等々、気になる描写多々あれど、ラストの“♪月の砂漠”の演奏まできちっと定石を踏まえたお約束通りのストーリー展開に、ある種の心地よさを感じさせる作品に仕上がっている。かなり趣味的要素が強いものの、さすがは映画通の和田誠氏だけあって画面の隅々まで拘っている様子が窺い知れる。とりわけトラックの荷台から後続の車のヘッドライトを逆光で捉えたショットは、この作品の中で最も印象的なシーンだと言える。7点(2001-09-24 17:49:27)
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