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プロフィール |
コメント数 |
122 |
性別 |
男性 |
自己紹介 |
自分の感性は、きわめて平凡だと自分でもわかっています。ただ、ほんとうはよくわかっていないのに、「わかった!」「よかった!」というのだけはしないつもりです。 |
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1. 道(1954)
《ネタバレ》 この映画は何度か見ている。子どもの頃に初めて見たときは、なにやらよくわからなかった。青年期に見たときは、まったくわからないということはなかったけど、理屈で見ていたような気がする。そして、老いというものが近づいてきた今、改めて見直して、胸に迫るものの大きさに激しく心を揺さぶられ、ラストはザンパノとともに嗚咽をこらえられなかった。
いったい、どうしてこんなに激しく心揺さぶられるのか、自分でも精密には分析できないのだけれど、ひとつ言えるのは、自分がたどってきた「道」と知らず知らずのうちに照らし合わせて見ているということだ。ザンパノは私であり、ジェルソミーナは私の周りの人間、とりわけ家人にほかならない。ザンパノとジェルソミーナの道行きは私と妻の道行きであり、ザンパノとジェルソミーナの心模様は私と妻の心の風景なのである。それをこのように見せつけられると、涙なしに見られようか。
それにしても、と思う。ジェルソミーナの人生。こういうものにしたのは映画制作者としてはプロというほかないのだが、他方、ひとつの人生として追うとき、いろんな思いが湧き上がってくる(なればこそ、プロの手腕ということなのだろうが)。彼女は幸せだったのだろうか。常識的表面的には幸せだったはずはないのだが、人間とは深いものなので単純には決めつけられまい。そこを思いつつ考えると「わからない」という答えしかない。
ザンパノに捨てられたのち、どうやらジェルソミーナは誰にも心を開かなかったようである。決して粗末な扱いばかりだったわけではないようなのに、心を閉じたまま一人死んでいったのだ。表面的物質的にはザンパノと暮らしていたときとは比べものにならないくらいの豊かさを享受できる機会もあったはずなのに。
映画のところどころで「神」という概念が想起されるシーンが出現するが、物語が神や宗教に回収されることはない。そのこともまた心に残った。なぜなら、この映画はキリスト教の大本山ともいうべきイタリアの映画なのだから。
諺に「破れ鍋に綴蓋」というのがあるが、案外深い深い意味があるのかもしれないという気がした。生あるうちに、せいぜい妻を大事にしなければ。[CS・衛星(字幕)] 10点(2020-09-17 15:53:39)(良:1票) 《改行有》
2. ミッション:インポッシブル/フォールアウト
《ネタバレ》 面白かったです。車やバイクのチェイス、格闘によるアクションなどのシーンは、仕掛けはとくに奇をてらったものではなく、むしろコンベンショナルなスタイルでしたが、トイレでのカンフー達人との闘いに見られるように、アクションそのものが旧来より確実にワングレードアップされており見応えがありました。トムさんも年齢を考えると驚異的な頑張りで、映画の筋自体とは違ったところでも感心させられるものがありました(笑)。
こちらの劣化もあると思いますが、話の筋についていくことができない部分(プルトニウムの取引のメカニズムとかMI6とレーンとCIAとIMFの関係とか)があり、ストーリーを十分理解できませんでしたが、まあ、そういうことはよしとしてスペクタクルを楽しめばいいやと割り切ることはできました。
シリーズ初期の作品に比べて、「不可能をどんなインテリジェンスで可能にするか」という知的さよりも、「不可能をどう体当たりで可能にするか」という体育会的なものに作品の性質が変わってきていますが、それもそれで悪くはないです。また、絶体絶命の状況を前にして、どう切り抜けるかを「考え中!」とイーサンが叫ぶというシーンが何度も織り込まれていますが、それも「必ずしもパーフェクトではないイーサン」ということで私は人間的なものを覚えました。
ただ、9点10点を付けられるかというと、そこまでは……という気がするのも事実で、そこまでの評価のためにはもう一つ深い何かがほしいな、とも感じました。[映画館(字幕)] 7点(2018-08-14 08:17:39)《改行有》
3. ミリオンダラー・ベイビー
《ネタバレ》 あちこちですすり泣きの声がする館内で、私は泣けませんでした。「初恋のきた道」では5回も泣いた私(笑)が、いったいどうして?と、見終わってから考えたのですが、一つには、よく計算された脚本&演技&演出の「計算」が(私には)透けて見えてしまったこと。いま一つは、ラストにいたる筋書きが想像を超えたものではなかったこと。そして決定的だったのは、私にはこの幕切れは受け入れられなかったこと、でした。
むしろ、ラストは「こういう結末にだけはしてくれるな」という想いを抱いたもの。たしかに、人間が生きることの意味を問うたとき、フランキーのとった行動は一つの選択肢ではあるでしょう。しかし、私にはあの道は「進んではならない道」に思えるのです。それは、現実に同じような境遇にあっても、なお懸命に生き抜こうとする人が少なからずおられるから。
たとえば、ほぼ全身不随でありながら、わずかに動く口だけで見事な水彩画を描く星野富弘氏は、その生きざまで逆に健常者に勇気を与えてさえおられます。彼とて一度は絶望の淵に突き落とされています。でも、そこから「再生」を選んでいます。その道は決して平坦ではないはずで、大変な勇気と努力を要したと思います。行きつ戻りつ、悩んだり悟ったり、また苦悩したり……そんな繰り返しを経て、ようやく今日にいたっていらっしゃるのです。私は、その過程こそが素晴らしいと思う。
また、前半のマギーのド根性ぶりを見せつけられたあとでは、本作におけるマギーの死への願いは不自然に感じるのです。マギーなら、車椅子の生活でもマギーらしい生き方をするはずだと思えてなりません。犬のアクセルにしても、決して自分から死んだのではない。殺されています。アクセルは、そのことに逆に無念の想いを抱いていたんじゃないでしょうか。
はっきりいって、「お涙頂戴」のためにあの結末を用意したことで、本作の意義と値打ちは制作者自らがブチ壊したと思っています。映画って、こんな結末を描くためにあるの? という疑問が残ります。人が生きることの強さや可能性を信じきらなかった本作は、だから、私には9点や10点はつけられない作品となりました。ということで、6点也です。あ~、また「ショーシャンク」みたいにマイノリティ……。[映画館(字幕)] 6点(2005-06-18 01:53:28)(良:3票) 《改行有》
4. ミスティック・リバー
《ネタバレ》 見終えて戸惑った。深い作品なのかそうでもないのか。人間の実像を飾らず描こうとしたのか、エンタテインメント性のほうをメインとしているのか。後味の悪いストーリーだと片付けていいのか、あるいはそれこそを主張したかったのだと評価すべきなのか。どのようにも受け取れ、そういう意味で見る側を選ぶ作品だと思う。
父としてはあれほど強くなれたジミーも自らの罪には弱く、不幸を身にまとっているあいだは仮借なく正義を求めたショーンも人並みの幸福を手にした瞬間からただのサラリーマンポリスに成り下がる。妻たちも、善良だけれどクレバーとはいえず、子どもへの愛に自らをごまかし、その子どもからは愛の報いを得られないセレステ、天使の顔の下に悪魔も潜ませているアナベス……ここで訴えようとした「人間の真実」がこうした善悪・強弱入り混じったものだというのなら、不易の人間の姿というよりは、それこそすでに幾多の映画で描かれてきた、少々、「いまさら」の感があるアナクロなものに感じる。
ストーリー面では、かなり早い時点で犯人や結末が見えてき、サスペンスとして物足りない。あるいは、ほんとうは話せるのに話せないふりをしてきたという設定等は、いくらなんでもムリがある。
といったように、さまざまな意味で戸惑いを感じる作品で、イマイチしっくりこないものが残るのである。また、登場人物の誰一人に対しても共感することができなかったのも、そうした戸惑いの原因かも。ということで、前評判ほどではないと思え、6点也です。6点(2004-08-18 00:24:43)《改行有》
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