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1. Mr.インクレディブル
この映画では、悪者につかまった家族を救い、子供たちの成長を促すのは、父親じゃなくて母親のほうなのである。原題は "The Incredibles"で、「家族」に脚光が当たっているのを見れば、まあ当然だが。ありがちなパターンだと、妻がさらわれて、それまで日常生活に埋もれていた男が敢然と救出に向かい、過去の栄光を取り戻す!みたいな感じなんだろうけどね。その過程で、ダメサラリーマンだった父親を小バカにしていた子供たちも、彼のほんとうの男らしさや能力に気づいて、再び父親を尊敬する、みたいなのがあって。それにしても、保険会社の仕事をしているときの、インクレディブル父のとろーんとした目つきには思わず笑ってしまった。
『スパイダーマン』では、ふつーの人間と、スーパーヒーローとしての使命のギャップに悩む、というのがひとつのテーマになっているが、この映画では、スーパーヒーローが民衆を救うのは、要するに「気持ちいいから」なのだ、ということが、ミもフタもなくはっきり描かれている。「だれか他の人のため」じゃなくて「自分のため」。「ほっとけない」って気持ちは、たいていそんなところだけども。
夫婦とも元スーパーヒーローという設定でも、夫は過去の栄光に恋々とし、妻は現在のふつーの生活にちゃんと適応していて、人々に賞賛され、脚光を浴びることにさほど未練はない。これって、男勝りに活躍していても、しょせん女は家庭がお似合いで、女には夫の給料や出世、子供のしつけくらいしか悩みがない、という風に見えるな。"Mr. Incredible & Elastigirl"じゃなくて、"Incredibles" だしね。
音楽も、レトロ風味たっぷりで楽しかった。
三浦友和や、黒木瞳、宮迫などの本職じゃない声優キャストも、まったく違和感なかった。
シンドロームが、どうもくりぃむしちゅーの有田みたいに見えちゃったんだけど、似てるのは髪形だけか。[映画館(吹替)] 7点(2007-08-23 07:31:29)(良:1票) 《改行有》
2. ミスティック・リバー
《ネタバレ》 重い、後味悪い、と、どこを見ても書いてある。確かにそのとおり。だが、わたしにはそれ以上に、画面を支配している静かな緊張感が印象に残った。ダレ場がなく、全編かっちりとまとまっている。
もちろん、ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケヴィン・ベーコンと、演技者としての評価が定まった主役級の俳優を3人もすえ、ワキも芸達者ぞろいときては、だらだらした映画にはなりようがない。また、派手なカメラワークがなく、ミドルショットが多用されていること、外は明るく、家の中は薄暗いという、自然な感じの照明が、その印象を強めているのかもしれない。
種明かしは、ティム・ロビンスとケヴィン・ベーコンが解説しているボーナス映像の中にあった。彼らの解説があまりにおもしろかったので、つい同じ映画を2度も続けてみてしまったのだが、その中で繰り返し語られているのは、イーストウッド映画では、撮影はテイク1で終わり。テイク2までいけば、ぜいたくだ、ということなのだ。もちろん、俳優、スタッフの技量、また監督の彼らへの信頼感がなければ、できないことである。映画本来の力にあふれた映画が、そのような舞台演劇的とも言える手法で作られているというのは、実に興味深い話だ。
で、ストーリーのほうなのだが、主人公3人のそれぞれの夫婦関係の対比がおもしろかった。映画から教訓を読み取るのはばかばかしいが、怪しい見知らぬおじさんにはウソをついてもかまわないが、長年連れ添った妻には、やっぱりウソつくのはまずいでしょ、という話。
ティム・ロビンスの妻は、自分の夫を信じられず、自分自身の心の重荷に耐えかねて、よりによって一番しゃべってはならない相手に、その疑いをしゃべってしまう。ひどい女房だ、ではなく、それ以前の結婚生活の中で、夫が撒き散らした小さなウソが、彼女をむしばんでいたのだろう。そして、どうでもいいことでも、とりあえずウソをついてしまう習性が、子供のころ、ふたりの友達はウソをついて難を逃れたのに、自分だけ正直に話して、性的虐待という最悪の結果を招いてしまった経験によるのだから、確かに救われない話だ。[DVD(字幕)] 8点(2007-08-19 23:25:45)《改行有》
3. ミリオンダラー・ベイビー
なかなかに密度の濃い映画で満足できた。とにかくだれるところがぜんぜんなくて、画面にずっと緊張感がただよっている。
イーストウッドって、若いときはなんかサルっぽいなぁ、と思っていたのだけど、年取ってからのほうがかっこいい。モーガン・フリーマンの演技とナレーションが全編をよく締めてたし。ヒラリー・スワンクもこの名優ふたりにはさまれて、すごい存在感を示していたと思う。悪役ドイツ人ボクサーの面構えにも、しびれましたねぇ。
「アイリッシュは世界中どこにでもいる」というのに、ぐっと来てしまった。マギーの姓、鮮やかな緑のガウン、カソリックの教会、そしてゲール語、イエイツ。ストーリーの中で繰り返し語られる「アイリッシュ」というキーワード。だが、「俺もアイリッシュ、おまえもアイリッシュ」みたいな同胞意識べたべたな場面が皆無だったのも、よかった。[映画館(字幕)] 8点(2007-07-26 08:08:03)《改行有》
4. 耳に残るは君の歌声
《ネタバレ》 切り詰められたセリフ、1時間30分という短さで、断ち切られるような唐突なラストシーン。だが、過剰に感傷を排除するくらいでちょうどいいのだ。歴史を描く一大叙事詩ではなく、あくまでもひとりの女性を押し流していった運命を描いているのだから。
最初のシーンは1927年、ロシアの寒村である。晩秋の底冷えする空気を感じさせるような青みがかった映像。枯れ草も人々の服装も鈍くくすんだ色合いである。だが、父といる限り、この世に不足なことは何もない。少女の笑顔がそれを物語っている。その父が出稼ぎのために、アメリカに旅立っていく。父の手にしがみつく娘。泣き叫ぶでもなく、ただその手にすがっているだけ。祖母がやさしくさとして、娘の手をほどかせる。そして、父もまた、無言で、何度もふりかえりながら歩き去る。もうこのシーンで完全にやられてしまった。
祖母との別れ、イギリスでの養父母との別れのシーンでも、さよならの言葉をかわす様子は描かれない。パリのアパートの大家で、同じユダヤ人だと知って娘をかわいがってくれた老婦人との別れも、車に押し込められて去っていく顔がちらりと映るだけである。
そして、パリから脱出するため、寝ている恋人を起こさないように、そっと支度をして主人公が出て行き、ドアを閉めた音がしたその瞬間、男の目がぱっと開く。もちろん、寝てなどいなかったのだ。ジョニー・デップのエキゾチックな美貌がひきたつラブシーンもいくつもあったが、この場面の表情がいちばん胸に残った。
陽気で現実的な美しいダンサー、主人公の親友を演じたケイト・ブランシェット。ほとんど無表情な、ふきげんなキューピーさん、クリスティーナ・リッチと好対照を成し、ストーリーを動かす狂言回しの役どころでもあった。ふだんは、よくしゃべり、笑う、華やかな表情を見せているが、恋人のオペラ歌手がパリに入城してきたドイツ軍人に、主人公がユダヤ人だとばらしてしまうのを、車の中で固まって聞いているシーンが、圧巻だった。
登場人物の話す英語は、ロシアなまり、イタリアなまり、イギリス風アクセントなどさまざまで、その響きの違いがこの物語の通奏低音になっている。最後にやっと巡り合えた父が娘に語りかける言葉が、故郷で話していたイディッシュではなく、英語だったというところが、なんとも切ない。[DVD(字幕)] 9点(2007-07-22 15:08:25)(良:2票) 《改行有》
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