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1. 名犬ラッシー(2005)
エリック・ナイトの「ラッシー」の映画化。(吹替版なので彼らのヨークシャー訛りを聴くことはできなかった) ラッシーのスコットランドからの600キロの旅をそう長くはしていないが、ロケーションは素晴らしく、このような作品でなければお目にかかれない荒野が眼前に広がる。 終盤はクリスマスに変更され、降りしきる雪の中やせおとろえた体でトボトボと家路をたどるラッシーをよりいじらしく見せている。 たいがい90分前後と決まっている児童文学ものの制約のせいか、ジョーとラッシーの強い絆のかげで、ラッシーをあきらめた人物のうち一方が削られているのが惜しい。 ピーター・オトゥールの誇り高く矍鑠とした、だが道理と情けを知る老公爵のように、旅の途中で倒れた彼女(LASSIEは若い娘の意)の命を救い、手元におきたい気持ちを抑えて送りだす老夫婦のエピソードは一番心に残るエピソードであったので。 彼らがラッシーをわがものと主張していた時期は自分本位で嫌な人に感じるのだが、その執着を捨てた際には立派な人に思え、気の毒にさえなる。 人間でも動物でも感情のあるものに対して、これは自分のものなどと思うのは愚かではあるだろうし、原作がすばらしいのもそのあたりがよく書けているからだと思う。
[映画館(吹替)] 7点(2012-12-16 10:40:11)《改行有》
2. メリー・ポピンズ
《ネタバレ》 原作者のトラヴァースはこの映画を気に入らなかったそうですが、確かに(「魔女の宅急便」の本とアニメくらいの)大きな違いがある別物。 クセのあるメリーのキャラは和らげられ、本(1作目)のエピソードはごくわずかしか使われず、テリアのように形だけ出されているキャラもいますしね。 中盤にバート(ディック・ヴァン・ダイク)が登場してからは彼の比重が大きくなり(老頭取も兼任なのでなおさら)、終盤はバンクス氏と子供たちの和解に焦点があてられてメリーの存在感は薄まっていくのですが、それらを考慮に入れても魅力的な映画には違いありません。 20世紀前半のロンドンの情景には美しいマット・ペインティングが多用され、アニメとの合成や特殊効果も40年以上前の作品としてはよく出来ており、アンドリュースの歌や立体的な屋上セットでの煙突掃除夫ダンスと見どころ・聴きどころがつめこまれた贅沢で楽しいディズニー作品。 オードリーの「マイ・フェア・レディ」との逸話は今でも語り草、同じ年にこの2つの大作が作られたのは驚異的でもあります。 「完璧な人は感情におぼれないの」は映画オリジナルの台詞ですが、彼女の自信家でクールなキャラクターをうまく表現した言葉。 それと特筆すべきは本でも映画でも魔法使いなど特定のレッテルがないこと。 彼女がただ不思議な力をもっていて東風で飛んできて西風が吹くと飛んでいってしまうメリー・ポピンズであること、それがとてもいいと思います。[DVD(字幕)] 8点(2010-11-10 09:30:02)
3. メトロポリス(1926)
ドイツ映画は今と違って20世紀前半は独自の存在感。これも7年後のアメリカの「キング・コング」よりアーティスティックな雰囲気では上回っていると思います。二役のブリギッテ・ヘルムの演技はサイレントを反映して大仰ですが、マリアの姿形がアンドロイドと融合するシーンは幻想的で、ロボット・マリアは「禁断の惑星」のロビーやSWのC-3POなどと一緒に映画のロボット史には必ず顔をだす麗しき造形のフィメール・ロボット。女性色が強いのはフリッツ・ラング夫人のテア・フォン・ハルボウの原作だからでしょうか。BRにも影響を与えているといわれますが確かに俯瞰での高層ビルの形状は似ているようで、製作年代を感じさせるのは複葉機ぐらいのイマジネイティヴな2026年。(私はモロダー版ですが今は見られないんですよね)[映画館(字幕)] 8点(2010-04-18 06:02:46)(良:1票)
4. メトロポリス(2001)
国内では異常に評価の低い作品。レトロで精細な画・CGはジブリの垢抜けてるとはいいがたい作風に不満があると新鮮に映る。(宮崎さんは手塚さんお嫌いでしたが、この国の長年にわたるジブリ偏重傾向もどうかな)欠点は洗練されすぎていて印象に残りにくいこと。[地上波(邦画)] 6点(2010-04-17 16:34:35)
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