みんなのシネマレビュー
パブロン中毒さんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 914
性別 女性
ホームページ http://ameblo.jp/cluttered-talk/
自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作年 : 1980年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1

1.  やかまし村の春・夏・秋・冬 《ネタバレ》 前作では、ほとんどが子供中心の描写で、極力大人を描かないように意識して撮られたように思った。 続編では、けっこう大人が出てきたりセリフも少しある。あくまでも、「子供の耳に聞こえた大人の話し声」としてではあるけれど。 私はリサのお父さんが大好きなのです。あのもったりした口ヒゲの。 なんというか、大人の男性が備えていなくてはならない美質をちゃんと持っている、という感じがする。 吹雪の帰り道、リサたちが偏屈な靴屋の家に避難していたとき、お父さんがソリで現れる。 子供たちは火のそばにも勧められず、温かい飲み物も提供されず、ただ、屋根の下を借りていただけの状況で、扉の開け閉めにも靴屋に怒鳴られていた。…現れたお父さんは、一瞬のうちにそんな状況を察していただろう。 けれど、「子供に対してひどいじゃないか」とか「もっと手厚くしてもバチは当たらん」とか「あんたは冷たい」とか一切文句を垂れずに、お父さんはただこう言うのだ。「グドー、グドー(こんにちわ)」と。 これは、優しくない靴屋に対して「あなたは、共同体のメンバーとして最低限の事はしてくれた。子供たちに軒を貸してくれただけでも、じゅうぶん感謝していますよ。ありがとう。」という意味である。そして、相手が非礼だからといって、己も非礼を真似することは潔しとしない、という子供たちへの教育にもなっている。なおかつ、「あなたが優しくなくても、私はこうしてあなたに対して礼を尽くしますよ。それに対してあなたの態度は恥ずかしくありませんか?」という相手への一撃でもある。…そして、グドー、グドーと言われた靴屋は、それ以上何も言えなくなってしまう、というワケだ。 ああお父さん、あなたはすばらしい。すべての大人の男性のみなさんよ、お父さんを真似ましょう。そして平和な世の中が…やかまし村にしか存在しませんね、やっぱり。 「やかまし村」は、ハルストレムがフィルムに焼き付けた人類の理想郷だった。もしかして監督は、「宇宙へのメッセージ~私たちの地球ではこんな暮らしをしています」といって、無人ロケットに搭載するような気持ちでこれを作ったのではないかしら。あながちマチガイではないと思う。[CS・衛星(字幕)] 8点(2007-12-13 20:14:45)《改行有》

2.  やかまし村の子どもたち 《ネタバレ》 われわれが普段よく見ている映像世界では、「平穏無事な風景」というのは、その後の異変の前ふりであるのが常である。よって、平和な風景を見ながら、「来るぞ来るぞ」という予感に捕らわれているのがいつもの状況だ。 「やかまし村」のような作品を作ったということは、そういう「緊張感ある映像」に対するハルストレムからの「異議申し立て」という意味があると思う。曰く「幸せや平和が続いてもいいじゃないか」。 緑あふれるスウェーデンの風景の美しさ、そこに住む人間の性質の良さ、ひたすら癒される。癒されるのだが、「やかまし村」を見る際に、無視できないことがある。「己との落差」である。 世界中の観客が「やかまし村」を見るだろうが、見たときに感じる思いは、国や地域によってかなり違うのではないかと思う。 「やかまし村」は、あまりにも平和で幸福で美しいために、見る者は「やかまし村と自分の間の距離」を意識せざるを得ない。よって観客自らの「幸福からの距離」を確認するための最適なツールとなる。たとえばマイケル・ジャクソンなら、まさにこのような幼年時代を送りたかったと嫉妬にかられることだろう。犯罪者に見せたなら、このような幼年時代を送れていれば、犯罪者には育たなかったのに、と思うだろう。北朝鮮で飢えている人民に見せたなら、同じ地球上の出来事とは思われず、よその星のこととしか思えないだろう。アメリカで家庭に銃を備えている人々に見せたなら、「やかまし村」の無防備さに不安を感じるだろう。 映画「やかまし村のこどもたち」とは、見る人の幼年時代や社会状況が「やかまし村にどのくらい近いか」を測ることにより、「案外自分の幼年時代も悪くなかった」なり「自分はこんなに不幸だったのか」と気づかせたりする作用がある。おそらく地球上に、「やかまし村」以上に幸福な幼年期を送れる場所はないからだ。…罪な映画である。 「将来もこの村で暮らしたいから、村の男の子と結婚するの」…すごいことを言わせる。これこそが、共同体における究極の理想だ。 犬を貰い受けるエピソードが印象的。お父さんは、どうやって偏屈な靴屋と話をつけたのかが非常に気になる。「やかまし村」では、「金や物」で話をつけるはずはない、と思うからだ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2007-12-02 18:37:22)(良:1票) 《改行有》

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS