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1. 山猫
静かな祈りの時間に、次第に高まってくる外の騒がしい声。この人の映画は、下り坂にかかる者の前に、不吉の影がよぎるところから始まる。闖入者たちはしかし次の時代の主流であり、それを公爵自身が一番よく知っている。だからといって潔く滅びようとするわけでもなく、けっこううまく立ち回ろうともする。そこらへんの複雑さが、また魅力にもなる。カルディナーレに対する恋情(と言うより欲情か)を自覚し、翻弄されていることも自覚している苦さ。ここらへんの演技が見事。階級的衰退と、個人としての体力の衰退とが重なっている。しかもこの娘、自分のとこの小作の孫なのだ。衰退にある程度抵抗はしながら、全体そういう流れなのは仕方がないと、最後は受け入れてしまうだろう自分を納得する広さも持っている。タンクレディが赤シャツ隊に入るのを微笑んで見送るように。すべてを受け入れ、時の流れを肯定し、しかしやはり前時代の人間としての孤独に入っていくというところでラストの感動があるわけ。革命のさなかに悠々と決められたとおりに避暑に出かける人物が、冒頭で神父に盛んに毒づいていた人物が、敬虔な祈りを捧げるの。いつもながら人物の配置が美的。必ず控えている人物がいたり、奥で優雅に刺繍している娘がいたりする。そしてカーテンのそよぎ。[映画館(字幕)] 8点(2012-07-07 10:01:32)(良:1票)
2. 野獣の青春
記憶の中でひときわ美しく残っている「夢のようなシーン」てのは私の映画受容史で二つあって、一つはムルナウの『サンライズ』の夜景、もう一つがこれの、ヘンタイの会長が嵐の外へ女を追いかけていく黄色い風のシーンだ。しかし記憶の中で磨かれて実際以上に美化いているような気もし、どちらも再見はしていない。ほかの多くの「美しかった名シーン」とは別次元の、息を呑んだ体感の記憶になっていて、この印象を壊したくない。こういうのはこちらの体調やら何やら好条件が重なった一度きりの体験であって、とくに本作のほうは褪色したフィルムで観たカラー作品なので、現物はまたかなり違っていた可能性もあり、たとえばDVDで見ても、あの「夢のような」感じはもう訪れない気がする。とにかくそういうワンシーンが際立って記憶されている映画です。スクリーンの裏側の事務所なんてのも面白かった。上映されている映画のほうの銃声で慌てたりするところもあって。あとプラモデルの飛行機がたくさんぶら下がっている部屋とか、そういう異様な空間設計で面目躍如の監督。話を円滑に進めようという気など全然ないもんね。[映画館(邦画)] 8点(2011-02-12 11:00:00)
3. 弥太郎笠(1960)
映像のリズムの良さに、ほれぼれする。ひょっとこ面の連中が祭りの囃しにのって、ヨイヨイと手を振りつつ大河内伝次郎を連れ出していくあたりの凶々しさ。あるいは通り過ぎた弥太郎のあとで、ワラワラと三度笠が現われてくる場のリズム感など、これしかないという間合いで。ほとんど音楽を感じさせるのは、カタキのとこの土間口での殺陣。弥太郎がひとくさり喋ってはひと太刀浴びせ、と緊張をためては放つその緩急のリズムが絶妙。そして全体の構造としても、ラストにまた祭りとひょっとこが反復される大きなリズムとなる。アウトローものでありながら、実はいいとこの侍であった、ってのにはちょっとガッカリさせられたが、「おとっつぁん、弥太郎さんがいじめます」とか「冥土へ行くんなら静かに行ってくれよ」などもキメぜりふがピタリとハマってる。[映画館(邦画)] 7点(2008-08-09 12:04:04)
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