みんなのシネマレビュー |
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1. ポエトリー アグネスの詩 《ネタバレ》 見ているようで実は"見ていない"。 日々の物事が習慣化すれば、ただの形式として軽く済まされる。 時が経てば経つほど少しずつ消えていく言葉は時間の流れによる現実の風化と重なり、 抗うように世界を見ていく、その瞬間の言葉たちを拾い上げて詩として遺していく。 示談で事件を闇に葬ろうとする加害者の父親たちを他所に、 ミジャは善悪の揺らぎの中、事件に関わった人たちのために何ができるかで惑う。 自分自身が消えていく中で、次第に孫への気持ちは離れていき、亡くなった少女と同化していく。 静かに綴られていく醜さあふれる世界故に、詩の美しさが輝きを放つ。 ミジャは風化させてはならない現実を、少女が存在していたことを詩に込め、贖罪として姿を消した。 橋から身を投げようとする少女の、観客に突き刺すような眼差しが忘れられない。[インターネット(字幕)] 7点(2025-03-21 23:45:07)★《新規》★《改行有》 2. バーニング 劇場版 《ネタバレ》 なんて事のない淡々とした展開の連続ながら終始不穏なムードで最後まで見届けられたのは、 イ・チャンドンの地に足をつけた演出のお陰と言っても良い。 ただ、「これで終わり?」感は否めない。 ビニールハウスを焼くシーンはイメージ上だけで、"底辺"として、"存在意義"としてのメタファーなのは分かる。 都会的で洗練され、どこか人間らしさがないベンの不気味さも、野暮ったいジョンスの風貌と対比してより際立たせる。 姿を現さなかったヘミの飼い猫に、幼少時代にヘミが落ちた井戸の存在、あれらはどこまでが本当か嘘か揺さぶりをかける。 格差が著しく目立つも、嘘でも共感を寄せ、見栄を張らないと生きていけない韓国社会の息苦しさは女性なら尚更だ。 でも、そこで終わりなんだよね。 ヘミが死んだのは確かかもしれない。 ただ、匂わせだけで殺されたのかも分からず、ベンを疑い、刺してしまった。 真に燃えたのはビニールハウスではなく、彼が乗っていたポルシェだった。 ジョンスの社会に対する強い情念だけが残る。 あやふやすぎる"こんな世界"で生きていく意味とは? ただ耐え忍ぶか、逃げるか、創作に昇華するか、反社会的行為に転じるか。 大人になったら肯定してくれる人なんて少ない以上、自らご機嫌取りしていくしかない。[インターネット(字幕)] 6点(2025-03-20 23:15:40) 3. Flow 《ネタバレ》 なぜ人類は文明を残して滅んだのか、そして大洪水が引き起こされたのかは最後まで明らかにされない。 なぜなら高度な思考も言葉も持たない動物たちが主役だから。 台詞はなく、擬人化も最低限で、映像がより雄弁に語り、没入感を深化させる。 数多くの余白に想像を掻き立てられ、語りたくなる。 異なる存在に目もくれない自分勝手な同胞よりも、辛苦を共にした異なる種族の仲間の大切さに気付かされる。 この先、再び洪水が訪れて、終着点のない旅路を流れ続けることを匂わせつつも、 今までいつも一匹だった黒猫はもう孤独ではない。[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2025-03-14 23:58:06)《改行有》 4. 逆転のトライアングル 《ネタバレ》 全編にわたって寄せてしまう"眉間のシワ"。 原題は美容外科用語から来ている。 監督の前作『ザ・スクエア』は視聴済み。 2作連続でカンヌパルムドール受賞の快挙らしいが、他に相応しい作品はあったのではないか? 格差社会を描いたテーマは過去にもたくさんあれど、 本作はその対象物(男性と女性、富裕層と労働階級、白人と非白人、健常者と障害者、資本主義と共産主義)を広げすぎてしまい、 ブラックコメディとしての切れ味がイマイチだった。 居心地の悪さと気まずい空気を生み出す巧さは相変わらずだが。 割り勘を巡り、インフルエンサーの彼女と長々と揉める立場の低いモデル男性の卑小なプライド。 「スタッフを休ませなきゃ」という思いつきで無理矢理泳がせるセレブばあさんの偽善。 ファーストフードも高級ディナーも口に入れば、吐瀉物も排泄物もみんな一緒。 無人島漂着時、セレブ全員にサバイバルスキルがないために、唯一持っている女性清掃員が女王に君臨するグダグダな一幕。 どこかで見たことのあるような展開で、いくら皮肉たっぷりに金持ちも貧乏人も全方位的にコケにしたって、 前者からしたら免罪符、後者からしたらガス抜きにしか見えない。 今の資本主義社会の権力者の横柄に"ノブレスオブリージュ"は必要だが本作を見て襟を正す人はいるのか(財○省とかね)。 金で買える"安全な場所"がある限り、ヒエラルキーの頂点に立つ者はどこまでも無礼になれる。 無人島がリゾート地だと判明した瞬間、女性清掃員にはその金がないし、いつまでも平穏は存在しない。 社会構造が転覆しようが、これからもずっと誰かが割を喰らい続ける。[インターネット(字幕)] 4点(2025-03-11 23:46:31)《改行有》 5. NIMIC/ニミック 《ネタバレ》 わずか12分でランティモス独自の不条理さを堪能できる短編。 チェロ奏者の男が謎の女によって、父親としても、夫としても、演奏家としてもアイデンティティを奪われ、居場所も奪われる。 最低限の台詞と生活感のない無機質な空気が常に緊張感を漂わせながらも、 見た目の時点で性別すら完全に違うのに誰も気づかない、演奏の下手さも模倣している辺りにブラックユーモアを感じさせる。 全てを失い、何も無くなった男は、電車でアフリカ系の青年に話しかけられるが、彼の人生を乗っ取るつもりだろうか? 入れ子みたいな構造でクセになりそう。[インターネット(字幕)] 7点(2025-03-11 22:57:22)《改行有》 6. アンラッキー・セックス またはイカれたポルノ 《ネタバレ》 日本で劇場公開された監督〈自己検閲〉版ではなく、映画配信サイトJAIHOで配信されたオリジナル版で視聴。 本当に行為をしているのではないかという生々しい性描写がノーモザイクで繰り広げられ、 ハリウッドのR18指定映画がディズニー映画に見えるレベル。 舞台はコロナ禍のブカレスト。 夫との痴態を撮影したプライベートビデオがネットに流出し、その後始末に追われる名門学校の女教師の話。 品もなく、悪趣味かつ前衛的に描くことでマスクに隠された人間の偽善や差別意識を炙り出し、 一周回って社会風刺をさぞや高尚に見せているようで実は中身などない。 '70年代にヨーロッパで流行った悪趣味映画を、コロナウイルスの脅威に曝される時事ネタに差し替えただけだ。 かつてのチャウシェスク政権によるルーマニアの負の遺産? だから何だと言うのだ。 そんなものはどの先進国にもある事象でしかない。 第1章はコロナ禍のブカレストをただ撮っているだけ、第2章はゴダールみたいなアーカイブ映像と画像のコラージュ、 第3章は学校で保護者相手に説明する絶体絶命のピンチを迎えるさまを、3つのマルチエンディングで。 エンディング3番目は主人公がヒーローに変身して大人の玩具で懲らしめるジョークみたいな終わり方だが、 裏を返せば「こんな映画に本気になってどうすんの?」と嘲笑しながらも監督が逃走しているように見えなくもない。 ベルリン映画祭で金熊賞を受賞したらしいが、本作を評価できるほどインテリジェンスはありません。[インターネット(字幕)] 2点(2025-03-11 00:34:38)《改行有》 7. 審判(1999) 《ネタバレ》 極限状態で利益が絡めば人間の本性はすぐ露わになる。 韓国で多くの犠牲者を出した聖水大橋崩壊事故(1994)と三豊百貨店崩壊事故(1995)をモチーフに、 損壊した若い女性の遺体を巡って、娘の両親を名乗る男女、霊安室の職員、役人、ジャーナリストの揉め事を、 不謹慎なブラックジョークで描いたパク・チャヌクの初期の短編作品。 当時の不安に満ちた世相に実際のニュース映像を挟みながら、 金のためなら人間の良心すら捨てることも厭わない醜悪な社会への怒りと皮肉が込められている。 同時に後の長編作品にも通じるカメラワークとダークなユーモアもこの時から光っていて、 棺に安置した首無し死体と一緒に冷えた缶ビールに、 自分に似ていることを証明するために男二人が遺体に顔を並べているショットはなかなか強烈だ。 だらしのない職員に、賠償金目当ての男女、事なかれ主義の役人、 状況をひたすら煽るジャーナリストの傍らには沈黙する遺体。 そんな彼らの前に一人のケバケバしい格好の娘が現われる。 この娘こそ賠償金目当ての夫婦の実子だった。 そこから場が混沌としていき、タイトルにもなっている『審判』を下すための強い地震が起きる。 洗面器の水漏れにスタンドライトが落ちたことで遺体を守ろうとした職員を除いて全員が感電する。 遺体の親はいったい誰だったのか……もうお分かりだろう。 このラストに人間というモノが集約されている気がした。 人間こんなものと思いながらも微かに残された良心に、 パク・チャヌクならではの冷笑と人間そう悪くないという達観した感情が残る。[インターネット(字幕)] 6点(2025-03-03 22:52:32)《改行有》 8. TATAMI 《ネタバレ》 2023年の東京国際映画祭で本作が紹介されており、劇場公開を期待していた。 イラン政府の家族や立場を人質に取ってでも棄権を強要するやり口には憤りを覚えるし、 柔道の指針である「心・技・体」の精神に背いていて、国家としての参加資格はないだろう。 スポーツと政治は別物のようでいて表裏一体。 歴史上、国威発揚と言いながらプロパガンダの道具にされたことなど数知れず、現在でも変わらない。 工作員が大会の観客として、スタッフとして紛れ込み、揺さぶりをかけてくる。 信頼していたコーチからも同じチームの選手からも孤立し、 人生を賭けた試合で肉体もメンタルも限界の中、レイラはどう勝ち上がっていくのか。 同時に訳ありなコーチの葛藤や心の機微も綿密に描写しており、もう一人の主人公と言っても良い。 モノクロでスタンダード比率の画面が映像を引き締め、閉塞感を強調する。 (低予算で観客のエキストラを呼べない、チープさを誤魔化したいのもあるが)。 己の立場や面子より試合を続けさせるためにレイラを守ろうとする柔道協会のスタッフの奔走、 一度はレイラを裏切ったコーチが「負けるな!」と応援する展開が熱い。 スポーツにはフェアネスがあり、尊厳があってこそ成り立つものだと認識する。 それでもレイラは準決勝で負けてしまうのだが、もしイスラエルの選手と戦っていたら、 優勝する展開があったら、リアルで大問題になってしまうからか、フィクションとは言えあえて出し惜しみしたのかな。 政府の意向に背いたコーチは拉致されかけるが逃走、柔道協会に助けを求める。 そしてレイラに涙を流しながら自分の嘘を告白し和解する。 国家に利用されるだけの嘘だらけの人生に別れを告げ、一年後、亡命先のパリで難民代表として再スタートを切る二人。 イランに限らず、母国から亡命した人々が祖国に戻れるように、 良い国だと誇れるように少しでもマシな未来になってほしいものである。[映画館(字幕)] 7点(2025-03-01 22:10:19)《改行有》 9. ANORA アノーラ 《ネタバレ》 大人だからこそ、若さがあるからこそ、大きな困難を乗り越えられると思っていた。 だが、いくら大金を得られてもヒエラルキーからは逃れられない。 そして強大な権力によってどうしようもない厳しい現実に打ちのめされる。 NYのストリッパーで時折性的なサービスも請け負っていたアノーラが求めていたのはお金だったのか、 それとも自分自身を受け入れてくれる代わりの利かない愛情だったのか。 最初で最後かもしれないチャンスに彼女は必死にしがみつく、必死に抵抗する。 大富豪の部下たちの脅しには汚い言葉で打ち負かし暴れまくる。 決して折れまいと毅然とした態度で立ち向かうマイキー・マディソンのパフォーマンスに圧倒された。 ポールダンスからロシア語まで完璧にこなし、アノーラというキャラクターに現実味を与える。 本作では愚かな人間しか登場しない。 勢いでアノーラと結婚した大富豪の息子のイヴァンですら、彼女を置いて逃走して、NYのクラブで泥酔しまくるし、 自分という核がなく流されるがままの幼稚で無責任な青年。 両親を見ても「この親にして、この子あり」な横柄さでロシアという国家そのもの。 その中で寡黙な用心棒のイゴールだけはアノーラに対して距離を置きながらも、彼女を気遣い、見守っていた。 婚約解消のシーンで部外者ながらイヴァンを謝罪させるべきだと進言したのも彼だった。 ある意味、彼だけはファンタジーの住人だ。 当たり役を好演したユーリー・ボリソフに肩入れしたくなる。 夢から醒めたように現実に叩き戻されるラスト。 朝から白い雪が降り続く灰色の世界に、車のエンジン音とワイパー音だけが響いている。 自分に良くしてくれたイゴールへの厚意を性行為でしか示せない悲しさに今まで張り詰めていた糸が切れ、 アノーラは"一人の女の子"として泣き崩れる。 イゴールもやんわり拒否しながらも無言で、 「もうこれ以上、自分を傷つけなくていいんだ、頑張ったよ」と彼女を慰めているように見えた。 アノーラのこれからの物語はどうなるのだろうか? きっと、二人は恋人同士になれなくても、お互いに信頼し合える存在として支え合いながら強く生きていくと思う。 なんたってアノーラはロシア語で"光"を意味するのだから。[映画館(字幕)] 7点(2025-03-01 21:18:50)《改行有》 10. タバコは咳の原因になる 《ネタバレ》 タバコに含まれる5種類の有害物質で悪の軍団と戦う「タバコ戦隊」は今回も敵を退治するも、 地球滅亡を企むラスボスのトカーゲに立ち向かうには結束力が足りない。 そこでネズミ司令官の命令で湖畔の基地で合宿を行うのだが…。 日本の戦隊ものをリスペクトしているのか、茶化しているのかよく分からないゆる~い空気に、 本筋とはかけ離れた怪談話ばかりして、時折牙を剥くグロ描写。 ダニエルズとは別のベクトルのシュール&ナンセンスさに戸惑いを感じてしまう。 5人ともほぼ同じスーツで色さえ分けてくれたら少しは楽しめたかも。 本作の本質とはズバリ"恐怖"。 合宿先で特殊なトレーニングを受けることもせず、ヒーローものとは無関係な怪談話に花を咲かせる。 しかもどれもこれも中途半端でオチがない、ただ消費されるだけ。 つまるところ、自分たちが負けたら地球が滅亡するという本筋=最悪の恐怖から逃げているとも言える。 だから、トカーゲの計画が前倒しになったとき、狼狽して何もできないので新たなサポートロボットに頼る。 ところが、その最後も脱力したくなる展開で、トカーゲは夕食で妻子に毒を盛られて死ぬことになり計画は中止、 サポートロボットの時代逆行機能も一向に起動することなく、前のロボットの方が有能だったという。 今までの話は、怪談話はいったい何だったのか…… 戦隊5人でタバコを吸いまくり、プカァーって煙を浮かべるラストシーンに哀愁が漂って笑える。 喫煙で頭がボーッとしていって、後ろ向きな脆い絆とひたすら現実逃避し続ける人間の弱さがそこにあった。[インターネット(字幕)] 4点(2025-02-28 22:50:13)《改行有》 11. 24フレーム 《ネタバレ》 映画の1秒とは【24フレーム】で作られている。 その一瞬を4分半に引き延ばし、全24章に構成された固定カメラによる映像は美術館の絵画のように並べられている。 凡例としてピーテル・ブリューゲル作『雪中の狩人』が提示される。 静止画に村の煙突の煙が立ち上り、鳥や犬といった動物の鳴き声が聴こえ、雪が降り積もる。 タルコフスキーを意識しているのか、残りの23フレームにキアロスタミの完璧な構図と映像美が全編台詞なしで静謐に語られる。 映画館で上映されていたら確実に眠りに誘うものばかりで、1ショットに集中するにも2分くらいが限界だろう。 次のショットは何が来るのかを期待してしまっているため、現代美術館のビデオアートで1ショット別々に展示されても違和感がない。 ドキュメンタリーのようでいて、かと言って本物と見紛うCGアニメの合成もある。 静止画と動画が混在している。 物語は存在していない。 でも、現実はその集合体で、我々は当たり前のように"見ていない"だけで足を止めて目を凝らせば"物語"に光が当たる。 現実と虚構の垣根をあっさり壊す彼ならではの演出だ。 ラストのフレームでは机の上に突っ伏して寝ている人がいる。 本作を見て寝ている人がいることを想定しているように。 それでも構わない。 映画の見方に数多くの可能性があり、こうあるべきという強制はしていない。 手前のモニターには映画のワンシーンが流れ、THE ENDのテロップが表示される。 キアロスタミと呼ばれる名匠の人生はここで幕を下ろした。 美しいものを遺して旅立っていった。[インターネット(字幕)] 6点(2025-02-28 21:42:57)《改行有》 12. はなればなれに(1964) 《ネタバレ》 タランティーノの製作会社名の元ネタで有名な作品を観られる機会ができたので忘備録として。 ゴダールの初期作品ではかなり敷居が低く、影響を受けるのも納得なシーンのオンパレード。 アメリカへの憧憬に、ゴダール本人によるメタフィクション的なナレーション、 登場人物が沈黙すると周囲の自然音もかき消される遊び心満載の演出、 カフェで突然踊り始めるマディソン・ダンスも、3人でルーブル美術館を走り抜けていくゲリラ撮影も、 その自由すぎる撮り方が瑞々しく輝いている。 終盤のサスペンスフルな展開でもどこかとぼけた味があり、一筋縄ではいかない。 軽快で刹那的な犯罪ロマコメの佳品。[インターネット(字幕)] 7点(2025-02-26 23:03:44)《改行有》 13. セプテンバー5 《ネタバレ》 報道が、情報が、人を殺す、社会を捻じ曲げる。 スピルバーグの『ミュンヘン』でも描かれた、 1972年のオリンピックで起きた「黒い九月事件」をアメリカの放送局の視点で描いた社会派ドラマ。 全編の9割がスタジオのみの展開であり、直接的な犯行シーンが一切ないことから、 前代未聞の事件に対する混乱、情報が錯綜するクルーたちの判断が"報道することの重み"を突きつける。 パソコンもない時代、当時のテロップが如何に表示されていたのか興味深い。 注目を浴びたいがためのインパクト重視の報道により、犯人側に重大な情報が提供されてしまう皮肉さ。 情報の裏付けを取らないまま、人質解放のニュースを流し祝杯を挙げたその矢先の急転直下、そして最悪の結末へ…… 未曽有の事態によって生み出された悲劇を教訓に、その繰り返しによって現在の平和が成り立っている。 テレビの報道バラエティで活躍する某ジャーナリストが本作へのコメントを寄せていたが、 別の記事で偏向報道を是として開き直る姿勢に呆れ果てたことがある。 日本のオールドメディアを見ていると、過去からむしろ何も学んでおらず、 フラットな視点もないまま扇動しているとしか思えない。 視聴率さえ取れれば、メジャーリーガーの自宅を空撮しても構わないほど良心の呵責もなく、 自分たちに都合の悪い情報は"報道しない自由"を行使するわけ。 その積み重なった信用のなさがネットやSNSといった新たなメディアへと移行するきっかけになった。 だからといってネットが真実でもなく、プロパガンダもデマもディープフェイクもあふれる世界で、 どれが正しいかを見極め、誰もが情報を発信できることに身が引き締まる思いだ。 テロの生中継という結果的に凶悪犯を喧伝させる事態にさせたこと、そして9億人がその生中継を目撃したということ。 ラストのテロップが静かに重くのしかかる。[映画館(字幕)] 7点(2025-02-24 23:15:13)《改行有》 14. ブルータリスト 《ネタバレ》 アメリカンドリームが華々しく煌びやかであるほど、あぶれた分だけ漆黒の絶望が広がっていく。 虚栄と強欲にあふれたアメリカで偽りの自由に囚われ、"アメリカ人"として生きていくこと、そして己の帰属意識とは? 「期待はしていない」と常にやつれた顔を見せる建築家。 ホロコーストから逃れても、新天地でも差別され、搾取され、凌辱されて支配される。 緩慢な地獄、そしてシオニズムへの回帰。 ブルータリズム建築物はコンクリートを中心に構成された、どこか無機質で冷たく、コントロールされた印象を受ける。 それはタイトルの語源である"Brutal"="残忍な"を意味する通り、 人間の残忍さだけでなく、狡猾さ、傲慢さ、醜さ、愚かさと卑小さを兼ね揃えている誰にでも持つ本質。 それでもなお、その先にある"到達点"こそ重要であると。 ユダヤ民族の苦渋の歴史を生々しく映しながらも、尊厳としての、抵抗としての建築物を残すこととリンクする。 そこに意思を貫こうとする"美しさ"があった。 (ただ、イスラエルのガザ侵攻を見るに、公開時期的にタイミングが悪いとしか言いようがない)。 215分の長尺であるが2部構成に分け、中盤に15分の休憩時間を差し込むことで、 意識の切り替えと後半への期待を寄せる、故に観客を退屈させない仕組みを構築している。 昔の大作映画にはそういうものがあったそうで、今までにない貴重な体験。 オープニングとエンドクレジットの意匠凝らしに、 クラシックへの回帰だけでは終わらせないアーティストとしての矜持を感じた。 そう、本作の監督はブラディ・コーベット。 ミヒャエル・ハネケのリメイク版『ファニーゲーム』に出演したぽっちゃり系の若者は生き残るため監督へと転身した。 若さ故だからこそ挑発的な作りであり、巷にあふれている消費されるだけの映画業界に対して抵抗を叩きつけた。 粗削りで暴力的とも言える野心たっぷりで、負けてたまるかと言わんばかり。 次世代のアーティストが力で押さえつけようとする時代と戦い続ける限り、これだから映画はやめられない。[映画館(字幕)] 8点(2025-02-21 22:36:03)《改行有》 15. 魔法少女リリカルなのは Detonation 《ネタバレ》 TVシリーズのStrikerSを見ると、なのはが再生困難な深手を負う展開を知っていたので、 一種の不穏さは予感していたものの、案の定そうなる割には意外にも最新鋭の再生医療によって無事に夏休みを過ごせたという。 御都合主義を外しても良いような、大団円でも構わないような複雑な心境だ。 登場人物が非常に多すぎて、描き切れてない印象はなくはない。 キリエを裏切ったイリスにも事情があって、さらに裏で手を引いていた黒幕がいたという入れ子みたいな構造もらしいというか。 こうなればあとは全力全開で突っ走るだけ。 前編では敵側だったディアーチェたちも共闘し、熱い展開とバトルを繰り広げる。 戦闘中でも印象に残る台詞ばかりで(下手したらあざとさもあるが)、 挿入歌「暁の祈り」をバックにしたディア―チェ vs ユーリの戦いが一番の白眉。 今までなのはが戦う動機としてのネガティブな面があまり描かれていなかったが、 本作では誰かを救いたい気持ちと自己肯定感の低さが背中合わせなのが良かった。 自分では大したことないように思えて、大事な家族と親友と仲間がいることに初めて"自分のため"だと受け入れることができた。 まだまだ小学生というのもあるが、命に関わる過酷な宿命故に大事なことを忘れていたかもしれない。 実は映画シリーズはまだ継続中だそうだが、ここまで描かれれば綺麗に完結でも良いだろう。 丁度3部作でキリが良いし、これ以上、インフレと複雑さで空中分解してもおかしくないから。[インターネット(邦画)] 8点(2025-02-20 00:14:23)《改行有》 16. 魔法少女リリカルなのは Reflection 《ネタバレ》 魔法少女もののフォーマットに複雑なガジェットとハードSFの要素を併せ持つ無印とA'sは、 TV版も映画版もとても気に入っていた。 ただ、A's後のTVシリーズであるStrikerSにはガッカリして途中で視聴を切った経験からして新作の2部作に不安しかなかったが、 高速道路から遊園地までを舞台にインフレを振り切った熱いバトルあり、血を超えた親子愛あり、 複雑な事情を持った敵勢力の裏切りのドラマありで106分ダレることなく最後まで飽きずに見れてしまった。 (なお、TV版と映画版はパラレルワールドという設定)。 中盤からシリアス展開のつるべ打ちな分、ほのぼのとした日常シーンを序盤でしっかり描いていて、 ファンへの目配せも忘れず、リリカルなのはとしての面白さが詰め込まれていた前編だった。 後編からよりハードな展開が予想され、如何に納得のいく結末に持っていけるかに期待できそうだ。[インターネット(邦画)] 8点(2025-02-17 23:50:33)《改行有》 17. リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様 《ネタバレ》 公開当時、一部の識者から「ヤバい」と言わしめた怪作をようやく見れた。 タイムスリップ、ミュージカル要素があるとは知っていたが、意外にも"普通の映画”だった。 初めてテニプリを見る人には開いた口が塞がらない凄まじさだが、 私にはもっと狂ったものを期待しただけに肩透かし感はあった。 原作漫画こそ原点で頂点ということを再確認した形だ。 CGがプレステ2並みのクオリティだなんて些細なこと。 テニスギャングやらラップバトルやら脚にラケット付けてテニスやら、アレな情報量が多すぎる。 現役時代の南次郎に見つかっても、家族共々なぜか受け入れてしまうしツッコミどころ満載。 歴史改変を始めとしたタイムパラドックスとか大丈夫?かなんて気にしない。 「だってテニプリだから」で片付けられるヤバい世界だから。 原作の最初期に登場し、終盤につれて次第に存在が透明化していったヒロインの桜乃が、 本作ではメインで活躍していたのは嬉しかった。 原作者が製作に関わっているのもあるが、『テニスの王子様』の本質に立ち返った物語になっていた。 本作には二つのバージョンが存在しており、公衆電話からの通話相手がそれぞれ違い、 己の価値観に基づいたアドバイスをリョーマに授ける(全体のストーリーに大きな変化はなし)。 クライマックスでは強さの根源を探るべく南次郎と試合するのだが、なぜか青学の先輩たちを始め、 他校の選手たちも召喚されて踊り狂うミュージカルに。 特に突然の柳生比呂士の独断場に笑ってしまった。 声優がかつて『アナと雪の女王』のハンス役の吹き替えを担当していただけあって、 わざわざこのシーンのためだけにその上手さを笑いに変えているのがズルい。 少年誌原作ながら女性ファンの心を射止め、乙女ゲームまで作り、 ドラゴンボール並みにインフレ化していくギャグバトル"テニヌ"漫画としての側面も忘れない。 老若男女、誰もが笑顔になる、それが『テニスの王子様』だ。[インターネット(邦画)] 5点(2025-02-15 23:59:20)《改行有》 18. 劇場版 テニスの王子様 英国式庭球城決戦! 10数年ぶりに視聴。 ウィンブルドン開催の世界中のジュニア選手の強豪を集めた大会で、謎の組織によって選手たちが襲われる事件が発生。 日本代表校として招かれた青学、氷帝ら他校も例外ではなく、借りを返すために一部が組織の巣窟に向かうのだった。 これ、一昔前の玩具催促アニメの設定にしか見えず、テニスの形をした格闘技が繰り広げられる。 これぞテニプリ、これを待っていたんだ!と序盤はワクワクしたが、前作に比べるとインパクトに欠ける。 技のインフレで慣れてしまったのも大きいが、メインの試合が一本調子になってしまい、87分が冗長に感じてしまった。 如何に前作の演出が斜め上に神がかって、狂気を孕んでいたのかが分かる。 原作のキメているとしか思えないぶっ飛んだ発想を超えて欲しかったし、あのテンションを続けるには60分で限界だろう。[インターネット(邦画)] 4点(2025-02-15 23:46:00)《改行有》 19. チャレンジャーズ 《ネタバレ》 テニスプレイヤーの親友の二人が将来有望な一人の女性テニスプレイヤーを愛し合う。 まるで実話みたいな内容だが、本作は完全なフィクションである。 (かつて選手だったフェデラーの妻のしかめっ面から着想を得たらしい)。 親友同士だった二人の試合と10数年にも渡る愛憎に満ちた三角関係の行方を、 ラリーのように現在・過去・現在・過去という具合に時間軸を交錯させていく。 三角関係だったらどこにでもある題材だが、男二人のキスシーンに驚いた。 その二人を止めることなく、笑顔になるヒロインのタシ。 監督がかつて同性愛映画を撮っていたルカ・グァダニーノだから、普通のテニス映画にならないわけだ。 現在で描かれる試合に向けて、テニスでしか生きる意味を見出せない三人がそれぞれ切望しているもの。 試合前日に罵り、不安を煽り、心理面で揺さぶりをかける。 タシは本当に二人を愛していたのだろうか? 選手生命を絶たれ、それでもコーチとして表舞台で注目を浴び続けたい理由付けのためにアートを利用したのか? アートは自分をコントロール下に置くタシに愛想が尽きたのか? パトリックは本当はアートと復縁したいのか? それぞれの思惑が意見の分かれる曖昧なラストに結実していく。 その後の物語は一切描かれていないが、タシの"Come On!"(やった!)を見るに、 あの一瞬の理想のために三人は手に入れたいものを手に入れたのだろう。 テニス映画として見ると、コミュニケーションツールとしての役割でしかなく、別にテニスで描く必要はない、 デヴィッド・フィンチャー映画でお馴染みのT・レズナーとA・ロスのコンビによる スコアの完成度が高かっただけに拍子抜けした。[インターネット(字幕)] 5点(2025-02-15 01:16:04)《改行有》 20. 永遠の法 The Laws of Eternity 《ネタバレ》 アマプラで配信されていたので、せっかくの機会に視聴。 エジソン、アインシュタイン、ヘレン・ケラー、ナイチンゲール… 世界中の偉人たちが集う霊界版アベンジャーズ! ロボットvs怪獣バトルもあるよ。 エル・カンターレファイト! …と言いたいところだけど、 本作の第一印象は霊界とは「ユートピアの皮を被ったディストピア」ということだ。 "○次元○○界"といったそれぞれの偉人たちの住む階層化された天国に、 あの世に行けばその人の生涯が映画になって心の中まで筒抜けで、観客から評価次第で天国か地獄に行くプライバシーの無さに、 仲間のパトリックやロベルトみたいに心の持ち方次第では一気に地獄に落とされる。 パーフェクトヒューマンな隆太と夕子と違って、彼らみたいな人間臭さに共感するのに葛藤すら許されないのか。 何の疑問も持たないまま、「神を信じない」「心は脳の作用」「信仰の自由や宗教を信じないのも自由」を否定する見方に、 現実という名の地獄に苦悩する人間にとって逃げ場所がどこにもないのだ。 そもそも何の代償も無く、精神統一だけでお手軽に霊界に行ける時点で、一種の選民思想を感じてしまう。 いつもの幸福の科学アニメらしく、様々な偉人が登場しては世界観を延々と語るだけで見ていてしんどくなる。 20年近く前のインターネット黎明期の作品なので現在の観点であーだこーだ言うつもりはないが、 清廉潔癖に描かれるエジソンやマザーテレサのクズエピソードを知ったら映画化しようとは思わないはずだ。 地獄に墜ちたニーチェの「神は死んだ」に対する隆太の答えが「地獄にいるから、あなたは間違っている」で、 神の正しさを説き、身体が光り輝いて勝利するあんまりな展開に開いた口が塞がらない。 そして唯一盛り上がるのはヒトラー側の怪獣と霊界側の巨大ロボットの対決(なおロボットの伏線は張ってない模様)。 それ以降は九次元宇宙界に至るまでのアレな挿入歌が延々と流れて眩暈がした。 とにかく、隆太と夕子が欠点のないキャラとして描かれていて、無機質で全く感情移入できないのは致命的だ。 宗教や信仰を否定するつもりはない。 ただ、形式だけだとしても、何気ない生活の中に宗教が根付いていて、それが数百年数千年かけて、 その土地の文化を、倫理観を、社会基盤を形成して、グラデーションのある世界を形作っている。 神はただそこにいるだけで良い。 本作を見ると、便乗して信者に無理強いをすることが正しいと言えるのか。 ただでさえ、現実は地獄そのもので、自ら命を絶ったらカルマによって来世はもっと苦しい思いをする、 自助努力ではどうにもならない悲惨な環境でもそれは魂の成長の過程だから頑張れ!なんて言われたら、 本当に逃げ場がないから当たって砕けるしかないじゃないか。 犯罪者に墜ちるのはともかく、たとえ何も成せず、人知れず死を迎えても、苦しみも悩みも悲しみもなく、 安らかに眠らせてほしい、静かにそっとさせてほしいのが私の願いです。[インターネット(邦画)] 1点(2025-02-08 00:03:05)《改行有》
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