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【製作年 : 1950年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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181.  熱泥地 [短縮公開版] 昔の映画を見ることは、そのまま俳優に反映した歴史を見ることでもあり、たとえば藤田進。ちょっと前までは理想的な帝国軍人をもっぱら演じていたのが、この戦後5年目になると、眠れないと言って酒飲んで荒れている役。彼が演じてきた人物とダブって見えてくる。この後『ひめゆりの塔』で、優しい日本の兵隊さんから一転して変わる軍人を演じて、彼は俳優として立派に戦争責任を果たしたと思っているが、それは別の話。飲み屋の女将なんかの脇役で、顔は知ってるけど名前までは…という俳優だった利根はる恵が、この時代は主役級でけっこう光っていたのだ。そう思って見ると、彼女には戦後混乱期の雰囲気がある。そして映画見終わってから調べたら、そうか『男はつらいよ・寅次郎忘れな草』のリリーの母親役だった。あれを忘れてはいけなかった。出番は少なかったが強烈な印象を残したものだ。つまりリリーの母親も、この『熱泥地』のヒロインのようにふてぶてしく輝いていた戦後史を秘め、飲み屋の女将をやって娘にたかる生活にたどり着いた、という歴史があったのだろう。でこの映画、崑らしい切れ味としては、斜めにシャワーが構図を断ってのラブシーンなど。アイヌの歌となると、これはもう伊福部昭の音楽。副題は短縮版公開時のもので、「現金」には「ゲンナマ」とふりがながついていたように記憶している。[映画館(邦画)] 6点(2009-05-03 12:04:00)

182.  ジャンケン娘 チエミ・ひばりが高三の修学旅行ってところからして、感動的である。そこに芸者のタマゴのいづみが絡むことで、日本調とポップス調の対比という幅ができる。“人身売買”に憤然とする、ってのも時代なら、チエミのお父さんが、娘たちは世間知らずだからなあ、と微笑みながら見ているのも時代。日劇でそれぞれ夢を見るスターシーンがミュージカル的見せ場になっていて、ラストでさらに爆発するかと思っていたら、窮屈なジェットコースターの座席で、一人ずつ歌うだけってのは物足りなかった。つまりこの時代は、ショーよりもジェットコースターのほうが新鮮な魅力だったのだろう。この三人それぞれにかわいく(本当です)、昭和も30年代になって、何やら新しい時代へ入っていくんだ、という気分が感じられる。ギトギトしたカラーの発色も懐かしい。けっきょくいづみの貞操が救われるのも、大企業の息子の思いつきってところが、これ以後の日本を見通してもいたような。提供明治製菓。[映画館(邦画)] 7点(2009-03-03 12:20:41)

183.  貸間あり 主人公は周囲に重宝がられることの心地よさに安住してしまい、隣人たちのしたたかさに利用されていく。そういう主人公を聖人化せず、映画はちゃんと彼をも裁く姿勢を取っているところがいい。だから人情長屋ものにはならず、人々の間にあるヒンヤリしたものを描いているわけだ。それにしてもこの脇役陣の豪華さはどうだろう。掛け持ち妾をやっている乙羽信子の別れの儀式のおかしさ。益田喜頓もまだ後年の“いいおじいさん”になってなくて、悪意あふれる陰湿な人物を演じる、それがまた似合っている。アァァいう妻を持つ骨董屋の渡辺篤。密造酒の清川虹子が室内で体操するシーンの迫力。酒場でトマトジュースのおかわりを頼む加藤武。そしてもちろん隣人たちのしたたかさを代表する受験生小沢昭一…。なんて豪勢なんだ。[映画館(邦画)] 7点(2009-02-26 12:11:26)

184.  白い馬(1952) 《ネタバレ》 いやあ、けっこう現実否定的な厭世観だなあ。なんかいくつかのスペイン映画思い出すし、こういうのってカトリックの世界観と関係あるのか。またこれ、仏教の浄土信仰も思い合わされる。言ってみればフダラク渡海でしょ、このラスト。この世を改革するよりは、あの世で幸せになりましょう、って感じ。負け犬となった負け馬が、孤独な少年と浄土に渡っていく、ってけっこう抹香臭い話だよね。ちょっとそこが引っかかるも、馬が走るとそれだけで興奮してしまう者なので、許せた。少年を引きずっていくとこなど、西部劇のノリ、このガッツで馬が少年を認めるって展開もいい。水辺という地理条件も映像に生かしている。馬と鉄道と車が存在しなかったら、映画はずいぶんつまらないものになっていただろうが、車よりは鉄道、鉄道よりは馬が、よりドキドキさせてくれる。[DVD(字幕)] 7点(2009-02-04 12:19:18)

185.  赤い風船 《ネタバレ》 音も入ってるけどほとんどサイレント映画のノリ、実写映画だけど次第に風船に人格が感じられるあたりアニメーション映画のノリ(かくれんぼしたり青い風船に浮気したり)、だからこの作品、映像詩なんて曖昧な言葉でくくるより、映画そのものと言ったほうがいい。あの風船は何なんだろう。持ってると電車に乗れず教会からは追い出されと、社会生活に不便をきたすもの。大人の後ろからついてくると、みなに笑われる。ワルガキは奪おうとし、それがかなわなければ割ろうとする。あのラスト、考えてみればひどく厭世的な結末にも見えるが、見ているときの気分は最高にいい。カトリックの神なのか、童心の象徴なのか、いろいろ考えて、でも結論づけたくないモヤモヤしたものとしての赤い風船でいいのだろう。[DVD(字幕)] 8点(2009-01-29 12:14:24)

186.  舞姫(1951) 多くの登場人物に奥行きが感じられず、とくに肝心のヒロインが戦前松竹メロドラマの延長線上の演技で、まあ失敗作の部類に入るだろうが、ただひとりウジウジした山村聡の旦那のみ印象的である。この人はテレビではホームドラマのしっかり父さんという印象が強かったけど、映画ではけっこう暗いの専門。『宗方姉妹』はこの前年か。監督した映画も暗い。被害者意識が強くて鬱陶しさを周囲に振りまいてしまうという人、戦中は神がかったことを言ってて、今はぼんやり腑抜けという設定。家父長が身の置きどころを失ってしまった時代のお父さんを代表した俳優なのだろう。木村功がタイツ姿になるが、踊ってはくれない。岡田茉莉子は棒読み状態。チラチラと銀座が映るけど、時代を味わえるというほどではなかった。[映画館(邦画)] 5点(2009-01-23 12:11:47)

187.  お國と五平 『めし』と『おかあさん』という代表作の間に、こういう全然毛色の違ったものもチャチャッと撮っているのだ、この監督は。大谷友右衛門てのは、いま歌舞伎の女形の大御所の中村雀右衛門。こういう古典劇出と対照的に新劇出の山村聡が出ると、だいたい暗いインテリの役ということになる。内攻し懐疑的といった役どころ。お国と五平は宿に泊まると二階に部屋をとる。道中の人の中から仇を見つけん、という意味があるが、映画としては、ここから下々の掟のない人々の暮らしが覗けるという仕掛け。より自由である芸人がしばしば登場し、現代劇におけるチンドン屋好みを思い出す。あれは庶民の暮らしのゴタゴタから離れた自由人の象徴だったのかな。盆踊りや嫁入り道中もあり、まあロードムービーの趣。この人の映画では、なにやら思いつめて道を歩く人のイメージがしばしば繰り返されるが、このロードムービーは、それを拡大したものだったのかもしれない。封建社会の非人間性といった社会的テーマより、この二人のハッキリしない間の気分の揺れの方に、監督としては興味があったみたいだ。追いかけているようでいて、実は目的に追われている旅、別れるために一緒に旅を続けていた『浮雲』と比較できるようなできないような。街道の木洩れ日が実に美しい。[映画館(邦画)] 7点(2009-01-21 12:18:05)

188.  銭形平次(1951) 《ネタバレ》 活劇調ではなく、平次はひたすら推理する。最後は罠で引っかけるというのは、ちときたない。微罪の手下どもが毒薬で皆殺しにされてしまうのも気の毒であった。女房お静の長谷川裕見子のしょんぼりした場のみ、時代劇らしいしっとりとした味わいがあった。仕事に口出しするなと旦那に叱られて、酒買いに出ていくシーン。障子の影の使い方、外の路地の陰影などに、大映京都の手堅い仕事ぶり。女中役高森和子にも、こんなにかわいらしいときがあったのだ。「スタッフに松村禎三という名があったが、音楽ではなく美術であった」と見た日のメモに書き込まれている。[映画館(邦画)] 6点(2009-01-19 09:09:41)

189.  てんやわんや はきはきした女性とウジウジした男の対比って、日本人が好んで描き続けた一つの型だが、とりわけこの戦後の時期を象徴しているみたい。それと、せわしなく変化する東京と保守的なものが残る地方の対比。この時期の地方を描くときって、石坂洋次郎ものでもそうだったが、残り続ける保守的なものを苦笑を持って見る、ってなスタンスだった、これが後の経済成長期になると、ノスタルジックな味を持ち批判性が薄れていく。淡島の床屋でのダンスレッスンシーンなどイキイキし、パチンコ台を使って何となくミュージカル的な気配も漂う。演説会のとき、川に馬が入る騒ぎのあたりの詩情に、すでにノスタルジックな味が感じられたのは、現在の目で見ているからだろうか。[映画館(邦画)] 6点(2009-01-16 12:10:20)

190.  東海道四谷怪談 なぜ直助殺しの場はあんなに感動的なのだろう。不意に隠亡堀にすべてが変わってしまうわけではない。屋内の構えはそのままで、そこに血の池ができ、葦が生え、戸板が流れ着いている。そしてそこにスローモーションで直助が倒れていく。屋内のままで外界の水が導かれている。廃墟という感じでもないのだ。タルコフスキーが好んだ設定、屋内の自然、雨が降ったりとか、あれに近いのだろうか。あと近いので思いつくのは、宮崎駿の『ラピュタ』にも、メカニックな世界の中央に草の原がしまわれているイメージがあった。なんかこういうの、外界が唐突に建物の中に呼び込まれることの驚きって、単に驚きだけでなく、もっと深い感動に通じているようなのだが、どうも私には分析しきれない。きちんとあるべきはずの屋根の下に、有機物が魔のように跋扈しつつある、ってことか。それだとやっぱり廃墟のイメージだな、それとは違うように思うんだが。とにかく私はなぜかそういうシーンになると、もうおののきながらめちゃくちゃ感動しきってしまうのだ。[映画館(邦画)] 9点(2009-01-01 12:17:48)

191.  夜明け前(1953) 映画としてうまい作品ではなかったが、主題はクッキリと出た。インテリと革命との関係、その幻滅。百姓に「地主のおまえ様に本当のことを言うと思ってただかね」と言われるの。みずから荷役に出ても、足手まといになってしまう。それが自己満足だと自分で分かってしまうインテリの苦悩。日本文学はこうした、大衆になれないインテリを好んで凝視してきたが、大衆芸術と言われる映画も、最初は職人仕事だったのがだんだんインテリの領分になってしまい、同じ苦悩を文学をなぞりながら語り出す。「みんな俺を気違いと思ってくれるか」と淋しく笑う半蔵のあたり、滝沢修の見せどころ。滝沢が23歳の役をやってるときに、北林谷栄はもう村のばあさん役で、陽気に木曽節を踊っていた。[映画館(邦画)] 6点(2008-12-11 12:09:37)

192.  とんかつ大将 《ネタバレ》 タイトルが活字でサッパリと出て、無音のままキャスティングも過ぎ、唐突にブレーキの音が轟く、というニクい導入。でも話の軸は、病院の悪徳弁護士と町医者との対立で、善悪が恥ずかしいぐらいにきれいに割り切れている。なにしろ病院を増築してキャバレーにするっていうんだから。そしてグレてた高橋貞二は佐野周二の説得ですぐ警察に自首し、徳大寺伸も子どもを手術で救われていい人に戻り、岡惚れしてる飲み屋の女将は津島恵子のために身をひく。実は財界の御曹司だった、ってあたりはもうついていけなかった。迫り来る火事の中での手術がポイントで、これで浄化され、悪徳弁護士は退散、盲目少女の目は見え、不良高橋は真人間になって戻ってくる、という大団円である。御都合主義もここまで来ると、いっそいさぎよく爽快である。[映画館(邦画)] 6点(2008-12-07 12:13:20)

193.  銀座二十四帖 《ネタバレ》 まず多摩川の新田銀座というところから始めて、花の出荷で本家の銀座へ導くシャレた入り。堀がどんどん埋め立てられているころの変貌期銀座の記録にもなっている。森繁による社会学的ナレーションが面白い。そごうが建築中だったり、怪しい裏町がありまだヒロポンを売ってたりする。ここらへん戦後を引き摺っている(そもそも満洲時代に描かれた絵の作者探しというところで戦争とつながっている)が、明るいネオンはやがてくる60年代の予兆であり、そのネオンをバックに悪の支配者が死んでいくってのは、まさに55年という40年代と60年代の中間点らしい話だ。あふれるばかりの登場人物にちょっとアルトマンの味もある。[映画館(邦画)] 6点(2008-12-03 12:09:04)

194.  驟雨 《ネタバレ》 これ同時代の評価は低く、いや後世でも1979年にフィルムセンターで成瀬巳喜男特集やったときは、『浮雲』の次は『流れる』まで飛ばされてしまった。その後見る機会があって、そしたらこれいいじゃないか、なによりも私には好みの映画だったし、成瀬にしか撮れない種類の傑作だと思う。『めし』の二番煎じみたいってことで損してるのかなあ。倦怠期の夫婦。幻滅にももう慣れてきて、ちょっとスネあっているような夫婦の日常。姪や隣の新婚夫婦(パジャマ着てる新世代)と対比される。亭主にはリストラの可能性があり、不機嫌に不安も加わる。そういった話なら気が滅入るのではないかと言うとそうではなく、自分たちの生活を苦笑を持って眺めることで、おそらく同時代の観客にとってのちゃんとした娯楽になっていたのだろう。こういう作品が娯楽として通用していた邦画黄金時代の我ら日本人の品格の高さは、自慢してもよかろう。またこの人の映画は時代の記録としても優れていて、雨が降ると道がぬかるみ駅まで長靴を持ってお迎えに行かねばならない、なんていう当時の普通の暮らしがしっかり映像にとどめられている。[映画館(邦画)] 8点(2008-12-02 12:15:47)(良:1票)

195.  ロマンス娘 《ネタバレ》 美空ひばりが寿司屋の娘でしっかり者、江利チエミがパン屋(堂々と明治製菓)でヒョーキン者、雪村いづみが花屋でおとなしい恥ずかしがり屋、といった個性になっている。それぞれの個性を強調し、さらに色分けでくっきりさせて、アンサンブルの味を出していく趣向。全体は楽しい夏休みへ向けたウキウキした気分で通す。まだ戦争終わって10年ほどなのに(10年ほどだから?)、実に明朗。随所に歌がはいり、3人が「ひばり・チエミ・いづみ三人娘のショー」を見に行くという設定ではタップリ見せる。いづみの「マンボ・バカン」のハレバレした声はいかにもこれから始まる昭和30年代を予告しているよう。チエミは「ロックンロールワルツ」ってのを歌って、これも1960年代テイストを予告。実は詐欺師の森繁が○○の父親だった、っていうとんでもない展開もあり、チエミはマンボで黒田節を歌うし、もう何がなんだか分からないけど、とにかく時代の明るさだけはズンズンとこちらに迫ってきて、嬉しい。[映画館(邦画)] 7点(2008-11-29 12:07:01)

196.  洲崎パラダイス 赤信号 場末っていうのはつまり、都心で進行している社会活動の濃密な人間関係から離れた場所。遊郭ってのがそもそも後腐れのなさを売ってる場所だったわけで、そういったフワフワした感じがもう洲崎という土地にしみ込んでいる。身元の保証などなく、ざっと店主が上から下まで見下ろしただけで、蕎麦屋の出前になれる自由さ。でもかえってそういう頼りないフワフワした土地だから、腐れ縁は腐れ縁としてクッキリ浮かび上がってしまうのかも知れない。このなんともブヨブヨした場末ならではの空気が見事に写し取られていた。やたらに雨が降るし。新珠のシャキッとしたところと対照させるためだろうが、三橋のウジウジぶりはやや過剰に感じられる。[映画館(邦画)] 7点(2008-11-24 12:14:11)

197.  浮雲(1955) 戦時下の仏印というニセモノの極楽で出会ってしまった二人が、戦後の現実と折り合いをつけられないまま日本中を漂い流れ、また南へと下っていく、と要約できる話だ。ずっと不貞腐れていた高峰秀子が、屋久島へ連れていって下さいと、泣いて哀願する迫力が見事で、あの渡航のシーンで終わってもいいんじゃないか、と思ってしまう。不貞腐れる、ってのは、とても非建設的な行動で、現状への不満は表明するが何ら積極的な働きかけはしない、ってこと。戦後の映画はもっぱら建設的なアピールをしていたが、ひとり成瀬は、不貞腐れる高峰を信念を持って撮り続けた。みんな一緒にスローガンのもとで調子に乗るのに比べれば、不貞腐れるって行為は、個人が取れる精一杯の批評だったんじゃないだろうか。彼女はいい加減に不貞腐れていたのではなく、一生懸命に不貞腐れていた、必死で不貞腐れていた。そしてついに不貞腐れるのをやめたのは、建設の側に回るためではなく、全否定の側に回るためだった。すごい映画である。ただ成瀬の本領は、いろいろあっても市井に留まり続ける普通の人たちを描いた作品のほうで、より発揮されてるんじゃないかなあ。[映画館(邦画)] 7点(2008-11-21 12:11:58)

198.  ゴジラ(1954) 映画館で見ると、あの足音の迫力が違う。タイトルのときに、音楽にかぶせて非同調的にあのズシンズシンという足音と例の叫び声がはいり、この効果がすでに素晴らしい。東京湾の遊覧船が襲われるときもこのズシンは聞こえ、現実の足音というよりも、もっと象徴的な響きなのかもしれない。たとえば空襲のときの爆音の記憶とか(焼夷弾じゃああいう音はしないか)。避難する人たちに空襲の記憶が重なっていたのは間違いなく、ゴジラは戦争の不安の結晶であるが、また科学者の倫理という問題も当時は生々しかったのだろう。とりあえず戦争は過去のものになったが、核兵器の不安は現実のものだった(今だってさらに核が拡散しているのに、不安を感じる能力が現代人からは消えてしまっている)。科学者の責任は、目の前に突きつけられているテーマだったのだ。あと気のついたとこでは、ゴジラは国会議事堂から上野浅草をまわってるんだな。当時はまだあそこら辺のほうが、西側よりも壊しがいのあるメジャーな地域だったのだ。そして今見て際立つのがラストの厳粛さ、暴れ狂う怪獣を叩き伏せるのではなく、水中でやすらっているところを襲う。水面に一度苦悶のあがきが出て滅んでいく。酒で眠らされて退治されたヤマタノオロチのような怨霊性が、こんなところにも出ている。[映画館(邦画)] 7点(2008-11-20 12:18:20)

199.  夫婦善哉 《ネタバレ》 男から見れば女の扱いにくさ、ちょっと誤解があるとガス管くわえてたりする。女から見れば男の頼りなさ。こういった互いの欠点が、でもつまり愛のニュアンスなわけで、人の世の“味わい”というものも実に複雑であります。蝶子だって本妻が死んだときは義理を感ずるが、すぐその後でお礼参りに行ったりする。スカタンならスカタンなりにすべてを放擲すればいいのに、けっこう船場の実家に執着する(なるほど本当のスカタンはこうでなくちゃならないのだな)。こういうどっちつかずの曖昧にダラダラした気分を繊細に描き込むってのは、日本の映画だけが成し得た境地ではないだろうか。これ原作も読んでみたが、原作のほうはもっとサッパリした味になっていて、それもまた別の感触の傑作だった。蝶子の実家の親父、総菜屋がいい。[映画館(邦画)] 7点(2008-11-17 12:11:31)

200.  結婚のすべて 《ネタバレ》 この監督らしいと思ったところは、歩行シーンに合わせてラジオの時報のポ・ポ・ポが重なり、次のポーンでラジオのある茶の間のシーンにブリッジするとこ。まったく無意味なおかしさ。あるいは団令子が鉄工場のリズムに合わせてお尻ふりふり帰ってくるカット。ああデビュー作からして、こういう無意味なリズム合わせの好きな監督だったのだ。虫の音と炭坑節が対比されたり。ただドラマとしての決着は、同時期で似たタッチの崑の鋭さと比べるとかなり保守的で、旧世代の新世代めぐりを経、最後は旧世代に寄った視点が確保されている。脚本は白坂依志夫、白坂はこの年『巨人と玩具』の脚色も手がけてるんだけど。若水ヤエ子がいい。[映画館(邦画)] 7点(2008-11-08 12:11:20)

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