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181.  魚からダイオキシン!!  内田裕也の魅力ってのは、ツッパッてる男をどこか醒めて戯画化してたとこにあったと思うんだけど、これマジになっちゃってる。マジメ男がイビツな社会の中でイビツになっていくってのが『水のないプール』や『十階のモスキート』のモチーフだった。クルド人コンサートをやろうとするマジメ男を、日本の営利だけのプロモーションシステムの中で浮かび上がらせる滑稽さで勝負できた題材なのに、主人公と内田とを重ねすぎちゃったんだろうか、いつもの距離を置いた笑いが出てこない。単純な男が単純でない社会を照射する、といういつもの姿になれず、変にマジメなぶん、社会も単純になってしまった。それで「割り切れる映画」になってしまった。前半の選挙ルポも、内側から見た面白味ってのが出せなかったのか。[映画館(邦画)] 4点(2012-07-27 10:14:52)

182.  バグジー 30年代のギャングの話となればまず面白いはず。「アメリカの夢」に走って、ハリウッドに惹かれズルズルその世界をくぐり、やがてラスベガスを築く、という破天荒な・しかし実在した男の話。面白そうな素材はたっぷりある。でもその「自由闊達に生きた男」が型通りに演じられてるようで、スケールが感じられないのが弱い。実話に囚われすぎたのか。もっと「映画に惹かれたギャング」という部分だけを、拡大して料理してもらったほうが好みだった。自分のフィルムテストを恋人に見られたくない、なんてシャイなところがあったり、家ではマメにケーキ作るよきパパだったりと、個性を作ってはいても、それがすでにある「型破り」の型の中って印象。ハリウッドからラスベガス建設に向かうあたり、流れがうまくいってない。アネット・ベニングはいいんだけど、ちょっとふてぶてしさが足りなかった。音楽エンニオ・モリコーネは、さして印象に残らず。[映画館(字幕)] 6点(2012-07-23 10:42:18)

183.  ふたりのベロニカ これは不思議な映画で、おそらく東と西とに同じ娘が生きてるという漠としたイメージが先行したんでしょうね。動乱のさなかポーランドという国のことをじっと考え詰めて息苦しくなってきたときに、その外の世界に住むもう一人の娘について考えが飛んだというか。ハリウッドだったら、あるいはヨーロッパの西の国だったら、もちっとメルヘンにしたりドラマチックにしたりするだろうが、ポーランドは渋い。渋くならざるを得ないところが、東欧の土壌なんだろう。西に分身がいるということ、東に分身がいたということ、それぞれ忘れないようにしよう、ってことか。政治的な動乱は極力点景として描かれる。撤去される銅像も、インターナショナルのメロディも、脚光を浴びない扱い。デモの学生とは反対方向に歩き、落ちて散らばるのは政治ビラではなく楽譜だ。『殺人に関する…』のときの、黄濁した光が満ちる。考え詰めた果てのとても切実なことが語られているようだけども、それが明晰に伝わってこないもどかしさが、この監督作品にはいつも感じられる。[映画館(字幕)] 6点(2012-07-22 10:04:43)

184.  アダムス・ファミリー(1991) むかしテレビを観てた者には、やはり懐かしい雰囲気が味わえる。危ない遊びを子どもたちがしているところなんか。学芸会のシーンも好きだな。清らかにに歌っているのを退屈そうに聴いているアダムス家の人々。しかし子どもたちが血しぶきいっぱいの史劇を始めると生き生きしてくる、なんてあたりにあのドラマの味わいがあった。ただしスターたちにコメディをやらせる場合、ちょとでも隠し芸的な気配が漂うと、余興の緩みが出てしまうのでけっこう難しいのだ。私のノートには「ウェンズディやった子は『恋する人魚たち』のクリスティーナ・リッチ」としっかり記されている。美少女というより、あの手の癖のある少女のチェックに抜かりはなかった。[映画館(字幕)] 7点(2012-07-19 09:57:40)

185.  フィッシャー・キング この監督はもっとヒネクレたもので勝負すべきで、ピュアなものを肯定したい気持ちになってたのかな。R・ウィリアムズが出るとすぐそういうトーンになっちゃうんだ。でもそこはじっと我慢して『ブラジル』の線で行ってほしかった。中世志向もグロテスク趣味というよりロマンの味付けどまり。通勤の人たちのワルツのシーンのみ買う。これ脚本にはギリアムはタッチしてないのね。全体として監督が慣れない世界で窮屈に仕事している感じで、そこから世界が広がれば次のステップになるんだけど、なんかこの窮屈さから抜けられなくなってしまった印象。[映画館(字幕)] 5点(2012-07-17 09:59:25)

186.  ビリー・バスゲイト 《ネタバレ》 暴力・腕力のギャングの時代が去りつつある30年代、取り残され気味のボスを『クレーマー、クレイマー』のD・ホフマンが低い潰した声でやる(R・ベントン監督、N・アルメンドロスのカメラと同じトリオ)。なんか日本の仁侠映画の構図だ。でも主人公はその滅びを目撃していく少年で、その成長物語という設定。文字通りファミリーなの。殉死する者の目つきになってる手下の雰囲気。親分以外は自分たちが時代遅れになっていることを感じ取っている。親分もその空気が伝わっているから苛立って無謀な発作的な殺しをしちゃう。この小男に忠実に仕える面々見てると、時代に乗れない中小企業にも見え、S・ヒルの番頭なんか実にいい。キャスティングも含め、このギャング映画、どこか「中小企業」的な侘しさが漂っているのが味わい。主人公ビリーを叱ってこの「沈没船」から逃がしてやるあたりなんか、任侠道だよね。またこれはビリー君がどんどん大きな金を得ていく段階のドラマでもあり、お手玉のごほうびから始まってアップしていき、最後はラッキー・ルチアーノ相手に、俺の金だと言い切る。びっくりして一目置くルチアーノのリアクション。脚本は『ローゼンクランツ…』のT・ストッパード。トリュフォーやロメールのカメラマンだったアルメンドロスは、アメリカではT・マリックの『天国の日々』のほか、このR・ベントンとよく組んだが、これが遺作か?[映画館(字幕)] 7点(2012-07-13 10:07:53)

187.  嵐の中で輝いて 一本の作品としてのまとまりに欠けて、いっそマイケル・ダグラスなしで「シロウト女スパイ物語」にしたほうが良かった。前半のメロドラマ部分が、役者の魅力に乏しい。オペラ男と映画女。オペラはやがてベルリンでワーグナーになり、映画=チャップリンはヒットラーとなって姿を現わす。映画を参考にしてやっていくってのが面白さ。「アイルランドとユダヤの血」って言うと「おそろしい組み合わせだ」と返す。頑固って感じなのか。こういう民族ネタの冗談をサラリと言えるところもあるのね、あの国(でも考えてみればアメリカ映画ってのが、ユダヤからの資本とアイルランドからの監督という非プロテスタントの「最強の組み合わせ」で栄光を築いてきたわけで)。ヨーロッパに着いてから多少は面白い。ナチの赤い旗がダラーっと垂れてる風景ってのはなぜか嫌いじゃないし。でも細かいところで引っかかる。駅でジョン・ギールグッドは笑顔で迎えるべきで、スパイなんて単語を口にするとは思えない。危機を脱したあとに慌てふためいて帰ってきては駄目で、悠然と歩くべき。いくら時間がないからって、ナチの高官の子ども連れてユダヤ人が隠れてるとこに行くか? シロウトってことを強調し過ぎたのかもしれないけど、全体に不用心が気になり、ドイツ人を馬鹿にしてません? ナチが悪ならそこの従業員も平気で車で轢く鈍感さは、やっぱり戦争に勝った国のものなのかな。空襲のあと動物園から逃げたシマウマのシーンがいい。[映画館(字幕)] 6点(2012-07-09 09:59:32)

188.  チャイニーズ・ゴースト・ストーリー3 このシリーズけっこう好きなんですよね。香港映画の臭みが青い夜で薄められてるせいか。今回の青年僧は『非情城市』のトニー・レオン。アンデルセン的な異界の恋の哀感もある。赤い櫛が落ちて、坊さんの想いをジョイ・ウォンが知るあたりとか。ワイヤー・アクションてのは、本来舞台でやってたものだったんでしょ。映画の世界では特殊撮影でいくらでも飛行が出来ていた。そういうなかでワイヤーで本当に飛ばすところをカメラで追う面白さを、香港映画は発見したんだ。言ってみればドキュメンタリーの精神。これ大事だと思うんです。このナマの発見。低空飛行する老僧なんかいい。男の声と女の声と入れ替わり続ける妖怪ロウロウ。キメのシーンは勢いである。なんとなく前衛舞踏集団みたいのが出てくるのも同じ。衣装なんかぜんぜん時代考証してないのもサワヤカ。そもそも何の時代か設定してあったのか。最後の妖怪はちょっと弱かったな。[映画館(字幕)] 7点(2012-07-05 12:14:09)

189.  夢の涯てまでも この人は求心力よりも遠心力の人だったけど、これはもう分解寸前までいってる。前半の世界旅行は正直言ってほとんどノレなかった。部分で言えばリスボンの路面電車なんかは悪くないんだけど、前半キチンと物語としての面白さを出していないと後半生きないから、これでは困る。でも作家の質として仕方ないんでしょうな。皮肉なことに、その物語が終わって人々が映像病に閉じていく後半、オーストラリアに入ってからのほうが若干面白いんです。荒野をさすらうあたりからこの人のトーンが出てくる。世界の終わりという大規模なスケールのところから、次第に極所に集中してくる。盲目の母に視界を与えるという家の世界になり、そこから個人の夢の世界にと狭く狭くなっていく。意外と「家族」って、この作家のポイントなのかもしれない。世界はあまりに広すぎ、個人の夢はあまりに普遍から遠い。家族の愛を単位としたらどうか、って。も一つ意外だったのは、映像の病いから抜け出すのが「言葉」なんですな。映像作家の皮肉な結論。映像は閉じ、言葉は開く。映像(夢)は人それぞれのものだが、言葉は普遍に使われているものを借りて綴っていく。そこに開かれるものを見ている。ハイビジョンによる夢の映像ってのがウリだったが、ある種の夢のような感じ・明晰でないことの美しさは出ていた。今見るとどうだろうか。[映画館(字幕)] 6点(2012-07-03 09:56:33)

190.  わが街(1991) このころのアメリカ映画、青臭さというか、過剰な真面目さが目立った。都会はひどいところだ、って幻滅も繰り返される。でも世界には独裁政権や内戦や飢餓が満ち満ちていて、今までのアメリカ映画だったら「そういうのに比べると我が国はいいし、なんてったって僕らは自由だ」って謳ったはず。でも自信がないんだ、このころになると。クヨクヨしてるアメリカが正直に出ている。縁とか絆とか、そういう手触りのあるところから徐々に回復していこうとしているみたい。ひとつひとつのエピソードは物足りないんだけど、全体のクソ真面目さには、意外と好感が持てた。捨て子を拾う縁、黒人の友人との絆、こういう中で何か邪悪で醜いものをつかまされてしまう可能性もあるけど、でもとりあえず少しずつ手をつないでいこう、って気持ち。「青臭さ」が、このころのアメリカでは貴重な、かえって息をつけるところだったのかも知れない。『サリヴァンの旅』が好きなのね、この監督。[映画館(字幕)] 6点(2012-07-02 09:53:12)

191.  世界の始まりへの旅 年寄りが作る映画ってのは、老人には世界がどう見えてるのか、ってな興味でも観てしまう。ただ見えるだけで世界が慈しめるのかもしれない。木漏れ日の中の人々だけで美しい。マストロヤンニはこの監督の役が遺作となり、やはり監督を演じた代表作と帳尻を合わせて去ったことになる。言語の問題ってのがありそう。甥がポルトガル語を喋らず、フランス語を喋ることにこだわる伯母。いちいち通訳を介する会話のすべてを映画は記録している。日本のスクリーンではそれぞれの翻訳された字幕が繰り返されるだけなんだけど、フランスやポルトガルの人にとっては味わいが生まれているのだろう。アイデンティティの問題。この忘れ去られたような土地の同一性と、他者が激しくぶつかっているサラエボと、同じヨーロッパの端と端にあって、こっちの土地が死に絶えたとき、そこが世界の始まりになるって言うのだろうか。よく分からん。マルチェロは、実際に疲れきっているのか・疲れきった役を見事に演じているのか分からないけど、映っているだけで画になる。[映画館(字幕)] 6点(2012-06-27 09:26:02)

192.  ラヂオの時間 《ネタバレ》 この人の基本モチーフは「その場しのぎ」を重ねてひたすら横滑りし、とんでもない地平にまで至ってしまう面白さ。リツ子をメアリー・ジェーンへと駒を一つ移動しただけで、次々と横滑りが起こり、海のないシカゴへ、ダムの決壊へ、漁師がパイロットへ、さらに宇宙飛行士へと、どんどん非日常へ拡散していく。芸術と仕事との関係とか、芸術者の署名の責任とか、副次的なテーマもあるけど、この拡散の勢いこそが本作の眼目。拡散に手を貸していく面々のキャスティングが楽しく、三谷組の役者と芸能界からの起用とのアンサンブルが見事。ただただ事態を面白がっているような井上順なんかが、すごくいいのよね。そういう芯まで「芸能界の人」と、「車のセールス」やってる実直な旦那・近藤芳正(疑惑に囚われている彼を横移動で捉えるとこが傑作)と、まったく地平の違う人たちがここに集められて、ドラマをこね上げていく祭のような楽しさ。いかにもこういうところにうろちょろしてそうな業界の便利屋・モロ師岡も忘れてはならない。世界が閉じてしまうのを壊そうとトラックの運ちゃんを登場させた意図は分かるが、なんか蛇足の印象。こういうコメディは閉じてていいんじゃないか。外の目としては我々観客がいるんだから。[CS・衛星(邦画)] 8点(2012-06-26 10:29:18)(良:4票)

193.  幸せの向う側 《ネタバレ》 スリラーには「旦那が何者だか分からないモノ」ってジャンルがある。結婚に関する根元的な不安を突いてるんでしょうな。だって今までよく知らなかった人と、鍵かけて戸締まりして逃げられなくして一緒に暮らすんだもん。ラストはなかなか怖い。こっちがまず刺しちゃうってとこが怖いんでしょうか。でも後味が悪くもある。必死に成り上がっていこうとした男の悲哀ってのも、ちょっと添えて欲しい。最初の出会いのあたりの演出がよかった。店でうかがい合ってるような。こっちから見ると食事になってたり、人影が消えると笑ってたりして。ジョン・ハードってエレファントマンのハートさんじゃないよ。テンテンのあるハードね、ウィリアム・ハートみたいに心から笑ってない笑顔する人(ってさらにややこしくしちゃったか)。ダミーの使い方がヤラしい。いかにも「親切そうに振舞ってて実は真犯人」な顔してるの。[映画館(字幕)] 6点(2012-06-21 10:26:32)

194.  歌姫カルメーラ 脚本のラファエル・アスコナは『最後の晩餐』のホンにも関わってる人だそう。カメラは『エル・スール』の人。芸人の舞台と抵抗者の銃殺場とがダブってくるところがミソ。照明を浴びるということ。ガソリンを盗んでいるときに女が「芝居」をしに車のライトの中に出ていく。銃殺場でパッと照明を浴びせると、まるでカキワリの前の舞台のよう。ステージと現実との違いというより、照明を浴びるものと照明に向かい合うものとだろう。芸人にとって舞台は銃殺場に立っているような真剣なものなのだ。煉瓦模様のカキワリの前で歌うカルメーラの心意気は背筋を伸ばして見ねばならぬ。男は何してるかっていうと、屁をひってるだけ。情けない。市長のベッドも煉瓦のカキワリ並みに不吉だった。スペイン内戦は悲惨な出来事だったが、スペイン映画はその悲惨からなんとか「元を取ろう」と真剣に向かい合っている。[映画館(字幕)] 7点(2012-06-18 09:53:21)

195.  レイト・フォー・ディナー 60年代の部分は、いいぞいいぞ、と思って見ていた。ナレーションでシークエンスをつないで、回想シーンになるときは画面がゆらゆらとなる昔のタッチを採用、ユーモアのセンスも悪くないし、テンポもいいし。なのに90年代になるとガラリ監督が変わったかのようなモタモタぶり。愛は時代・年代・年の差を越え得るか、という一点だけがポイントになって急に線が細くなった。男二人に個性が欠けるのもつらい。アメリカにとって60年代ってのは無垢の象徴なんだな、ということのみ理解できた。このころ冷凍保存ものの話が多いのは、何か社会にそういう話題があったのか?[映画館(字幕)] 5点(2012-06-15 12:21:49)

196.  壁の中に誰かがいる 一番困る映画って、あちらが笑いを狙ってるのかそうでないのかハッキリしないホラーで、もしかするとマジかもしれない、って気分があるので心から笑えない。途中から劇場内では、もう皆さん笑いましたけど、でも気分は中途半端でスッキリしない。あのオッサンなんであん格好しなきゃいけないんだろう。また吠え声は獰猛な犬が、姿は獰猛と程遠かったり。見始めのときは「家というものが本来持っている怖さ」というあたりを軸に観賞していこうか、などと思っていたんだけど、次第に気が抜けてきた。街の住人たちがぞろぞろと「正義」って感じで現われてくるところが最高かな。[映画館(字幕)] 4点(2012-06-12 10:30:10)

197.  ビルとテッドの地獄旅行 《ネタバレ》 いわゆるオバカ映画ってやつで、主人公二人の型にはまった動きはある程度意識したものだろうから、それを薄っぺらと言ってもしょうがない。楽しみは、そういう映画で地獄をどう描くのかってところだったんだけど、表現主義風でちょっと面白くなりかけたのに、なんか『第七の封印』のパロディみたいのに流れて、徹底してくれない。死神のキャラクターも一昔前なら楽しめたのかもしれないが、ダメだった。ワルのほうが、実は時間をさかのぼって檻の鍵を作ってあったんだ、ってとこだけ笑えた。あとはエンディングの新聞・週刊誌で、その後の彼らを追ってくところか。新鮮味はないけど。[映画館(字幕)] 4点(2012-06-09 09:58:44)

198.  カティの愛した人 《ネタバレ》 このままのシナリオで日本を舞台にしても出来そうな道具立て。国防婦人会みたいなおばさんから、チョコレート、戦後のジャズ、買い出しの苦労と、みんな日本にも揃っている。この映画のよさは明るさ。大変な時代ではあったけど、その瓦礫の時代だけにあった、青空の見える下の生活の明るさ、解放感が出ている。ファシズムからの解放だけでなく、世間のしがらみからの解放も。これも日本とまったく同じだな。そう思って見てみると、ラストで帰ってくる亭主の象徴性が深まってくる。主婦が主人公の時代だったのに、そこに「主人」が(しがらみを伴って)帰ってきてしまった、というささやかな幻滅が感じられて、それも日本と同じか。ハイキングシーンで走っていたのは、木炭車か? あんなものは日本人の独創だと思っていたのに。ヒロインが何かをするときの、実際はグズグズ迷っていただろう部分をあっさりカットして、飛ばすところがいい。田舎へ行っちゃうとことか、市電の車掌さんを見上げて、次のシーンではもう彼女が車掌になってたりとか。こういうところに明るさがある。楽団員が揃わないので、ベートーベンの交響曲を室内楽で演奏してたなんて、ドイツの文化性というか、文化の飢えには我慢できない、という矜持が感じられた。[映画館(字幕)] 7点(2012-06-06 10:05:27)

199.  ロングタイム・コンパニオン エイズへの偏見撲滅キャンペーン映画とでも言うか。このころはエイズ映画が多かったけど、最近ないな、今だってまだ蔓延してるんだろ? あの国はときにこういう野暮ぎりぎりのキマジメな映画を作り、それが主流になっては困るけど、こうやって地固めをしている部分もあるのが、あちらの映画産業の丈夫さなんだろう。ゲイ社会たって普通なんだ普通なんだ、と脅迫されているような気がちょっとした。エイズに関して言えば、彼らが人類全体の尖兵となって感知してくれてるようなところがあるわけで、だからと感謝を強要されてるような。みんなで昼メロ見ている和気あいあいの感じが印象的だった。それが仲間でさえキスの後では神経質に口を濯がねばならなくなる病いが、エイズなんだ。ここらへんをもっと突っ込めば普遍性のある映画になっただろう。私のノートの最後に「YMCAは笑えた」と書かれているのだが、なんだったか思い出せなく気になる。[映画館(字幕)] 5点(2012-06-03 09:41:51)

200.  ジャズ・ミー・ブルース アールデコのアメリカが舞台のジャズ奏者の話(なんでも実在の人でジャズにおける即興演奏を確立したコルネット奏者ということ)だけど、イタリア映画なの。ファミリーが重いテーマになってて、父の期待や母の愛やらの重圧がみっしり描かれるのは、そう、邦画でなきゃイタリア映画だ。そういえば母親が息子の晴れ舞台と思って聴くラジオの曲は「ジャパニーズ・マミー」って歌だった。家庭を持て持てと母(家族)に脅迫されてるような息子。家庭を持つってことが「まっとうな生活」の象徴なの。そのまっとうさを家族に脅迫され続けてダメになっていく芸術家の物語でもある。ニセの妻の旅をベースにしている。架空の結婚写真へ。なかの時間を順番どおりにしたらいけなかったのかなあ。ちょっとごちゃごちゃ行ったり来たりさせ過ぎた。台頭する新人との爽やかな地位の交代の会話なんか、実力の世界の風景で感じいい。尊敬があるの。曲が中途半端に切れるのが多くて、やや欲求不満。すさんでいく芸術家を演じるには、この主人公役ちょっと弱い。[映画館(字幕)] 6点(2012-05-28 10:22:04)

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