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プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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201.  聖なる泉の少女 《ネタバレ》 映像が美的で歌も印象的だが、わけのわからない映画である。 監督はジョージア人とのことで、撮影場所も劇中地図や文字からしてジョージア国内に見える。時代としては、主人公の自宅の雰囲気などは前近代のようだが、町の様子や自動車の普及、谷間の工事か何かを見ると現代のことらしい。兄の言っていた「祖国」がソビエト連邦からの独立後とすれば90年代以降ということになる。 主人公の家系は「聖なる泉」の「守り人」として代々続いて来たらしい。泉の水は怪我や病気を癒すものとして村人に頼られてきたが、現代では科学的な医療も普及しており、村人にとって必須とまではいえないものになっていたと思われる。その上に、谷間の工事か何かのせいで水が枯れてしまい、泉の伝統もここで途絶えることになったらしい。 主人公の父親にも引退の時期が来ていたようで、松明の点火に失敗したのはそういう意味かと思われる。そうすると泉が枯れたのも、それに先立ち息子がそれぞれの道に進んでいたのも、いわばタイミングよく事が進んでいたように取れる。しかし一人だけ割を食わされたのが主人公であって、泉が枯れて自由になるどころか存在理由まで失ったように、最後は自分で人としての実体をなくしていったかに見えた(皿は残った)。 これを何らかの社会批判と捉えようとすると安っぽい話にしかならないが、世界が変わっていくこと自体は仕方ないのであって、昔あったが今は消えてなくなったものは数多い。これから生きて前に進む者なら忘れていれば済むが、その忘れられたものを若い女性の姿にしたことで、消えていくことの悲哀を感じさせる意図があったのかも知れない。自分がいま住んでいるこの場所にも、過去には別の人々の暮らしや人間関係や感情や思いが存在していたはずが、誰も記憶しないまま消失したのは空恐ろしいといえなくもない。 そのように一応は思うところはあったが、しかし見ている自分との接点が少ないので、正直あまり深入りして考える気にならない映画だった。 以下雑談として、主人公は体型的に細身の人で、男と対面した場面で横から見ると胸が平たい人だと思ったが、実際どうなのかは直後の入浴場面で見せていた。また村の祝い事か何かの場面で、画面の右端にいた鶏と入れ替えに主人公が現れたように見えたのは、意図したかどうかは別として印象的だった(多分どうでもいいことだが)。[インターネット(字幕)] 5点(2021-10-02 09:12:44)《改行有》

202.  バトル・オブ・ヒーロー 《ネタバレ》 1939年9月のドイツ軍のポーランド侵攻時に、自由都市ダンツィヒ(現在のグダニスク)で起きた「ヴェステルプラッテの戦い」を題材にした映画である。この戦いがポーランドでどう扱われてきたかは知らないが、当初は12時間しか保たないと思われていたのが7日間も健闘したことで賞賛されたということかも知れない。現地は第二次世界大戦の始まりを象徴する場所として、今も建物などが保存され記念碑も建っているらしい。 戦争映画としては、ポーランド陣地が散発的に攻撃される場面が続くだけで、大した盛り上がりもないので一般の期待には全く応えない。わずかに目立つのは序盤で、停泊中の戦艦が艦砲射撃したのと、街の方から水路を越えて急降下爆撃機が来襲した場面くらいのものである。なおこの場にいたドイツ戦艦「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」は1908年就役の前弩級艦で、当時すでにとんでもなく旧式なので浮き砲台の役目だけをしている。 登場人物としては、実在の人物であるヘンリク・スハルスキ少佐とフランチシェク・ドンブロフスキ大尉(劇中の「クバ」)のダブル主人公になっており、見る側の気分もこの2人の間で行ったり来たりさせられる。なお女性は出ない(写真だけ)。 当時の自由都市ダンツィヒは、名前の通りポーランド領ではなく住民もほとんどドイツ人だったようで(Westerplatteという地名自体がドイツ語だろうが)、そこにいたポーランド部隊には別に街の住民を守る使命はない(最初から敵方)。こんな場所に生命をかける意味があるかと正直思うが、国の尊厳を守るために抵抗してみせるという象徴的な意義はあったはずである。そのような条件のもとで、最初から引き際を探っている少佐と、徹底抗戦しかない大尉との対立を通じて、何のためにどこまで戦うのかを厳しく問う映画に思われた。 この戦いで攻撃側が多数の死者を出したのに対し、ポーランド側の死者はわずか14人だったとのことだが、その死者をたった14人と済ませていいのかは写真を燃やす場面で表現されている。一方で最後に国章の鷲を眺めてから歌っていたのはポーランド国歌だったが(現在と同じ)、国のためには死ねばいいのでなく、生きて命をつなぐことが将来にも役立つと諭す形になっていた。 さすがに現代の製作らしく単純な祖国バンザイ映画ではなかったが、単純に非戦を訴えて終わりでもないようで、当時や現代の人々の複雑な思いを詰め込んだ映画なのかと思われた。[DVD(字幕)] 5点(2021-09-25 10:57:53)《改行有》

203.  青島要塞爆撃命令 《ネタバレ》 第一次世界大戦に日本が参戦した時の映画であり、また日本初の水上機母艦「若宮」(劇中の時点では運送船若宮丸)が出ているのが珍しい。貨物船を改装して水上機を載せただけのものだが、水上機とはいえ偵察のほか攻撃もしているので実質的に航空母艦の役目をしている。劇中では最初にとりあえず出てから相手の様子を見て、次回は爆撃と護衛を2機で分担し、後には爆弾の投下装置(筒)も付けるといった現場力での進歩を見せていた(どこまで史実かは不明)。 物語としては、青島の攻略を担当した日本陸海軍が焦って総攻撃をかけて大苦戦したが、若宮の飛行隊が要塞を破壊したことで大勝利を収め、それによって航空機の有用性も見事に実証した、という筋書きらしいが、それはこの映画限定のお話なので真に受ける必要はない。現実にはこんな大活躍などしていないが、地道に相応の成果を出してその後の海軍航空の発展につなぐ形になったと思われる。 ちなみに第二艦隊旗艦「周防」の艦上の場面は横須賀の戦艦三笠で撮影したようだが(背景に猿島が見える)、この周防というのは日露戦争での鹵獲艦(旧名Победа)であって三笠と同時代の戦艦なので、本物も大体こんな感じだったろうとはいえる。 映画全体の印象としては、評判通り力の抜けた軽妙な作りで笑わせる場面も多いが、現地住民に関する部分が笑えないので異物感がある。 「外国で勝手に戦争を始めて…」というのはその通りとしても、寛容な態度を見せたとたんに諜報活動や破壊工作が露見するなど、必ずしも無垢で善良な民ばかりといえないことはしっかり表現されている。そうすると序盤の「許可してやって下さい!」「いかん!」という意見対立は、前者優位ではなく両論併記または後者優位と取るべきだったのか。恐らくこの映画の意図としては、終盤に意外な助けが得られた展開をもって、ちゃんと誠意が通じる相手もいると言いたかったのではと思うが、徹底せずに曖昧なままで終わってしまったのは変だった。チャイナ服のスパイがその後どうしたかの説明もなかったので、何かの理由で短縮したため意味不明瞭になったと思えばいいか。 ほか劇中のドイツ軍に関しては、人間味は一応出ているが基本的にはよそよそしい感じの敵である。この第一次大戦で日本は勝ち組になって国際的地位も向上したわけで、その後はかえって多事多難でもあったが、何にせよドイツとは同じ組にならないのが無難という気はする。[インターネット(邦画)] 6点(2021-09-18 09:58:17)《改行有》

204.  提督の艦隊 《ネタバレ》 原題の「ミヒール・デ・ロイテル」は17世紀オランダの提督の名前である。 冒頭の場面で、ここはどこかと思っているといきなり海戦中だったのは驚かされたが、その後も全編を通じて帆船時代の戦列艦の戦闘場面がそれらしく作ってある。戦術的なことはよくわからなかったが、敵本国の港にいる艦隊を「海兵隊」(陸戦隊)で襲撃した場面と、オランダ艦の喫水が浅くできているのが映像化されていたのは印象的だった。ちなみに一般人の応援団が海辺で観戦するのがオランダ風なのかと思った。 ドラマ部分は複雑な政治史が背景にあるのでわかりにくいが、要は国内で敵味方を分断する政治闘争に巻き込まれながらも、主人公がいわば軍人としての分を守り(家族も守りながら)、党派を超えてオランダという国のために働いたことを顕彰する映画だったらしい。結果として、21世紀のオランダにも愛国心のようなものがあるらしいとは思わされた。 戦闘での無惨な場面はそれほどないが、劇中で最も残酷だったのは海戦ではなく、陸で民衆がやらかした虐殺だった(写実的絵画が残されている)。またどうでもいいことだが、最初の海戦の場所は字幕で「スヘフェニンゲン」と書いてあるが、これは「キンタマーニ」や「エロマンガ島」と並ぶ世界の珍地名として知られる「スケベニンゲン」のことである。 ちなみに自分がこの映画を見た動機は、トロンプとデ・ロイテルという、個人的に名前を知っていた数少ないオランダ人が出ていたことである。太平洋戦争の開戦当初、この2人の名前のついたオランダ軍艦が現在のインドネシアにいて、うち軽巡洋艦デ・ロイテルは昭和17年2月のスラバヤ沖海戦で日本海軍が撃沈したので日本でも知られているが、同じ名前はこれまで何度もオランダ軍艦の名前に使われており(今もある)、主人公がオランダ海軍で英雄扱いされてきたことが知れる。ほか劇中で主人公の盟友になった首相も、現代のドック型揚陸艦ヨハン・デ・ウィットに名前が使われているので、オランダではそれなりの偉人であるらしい。 この映画ではオランダとイギリスが戦争し、また第二次大戦ではどちらも日本とは敵味方だったわけだが、現代ではイギリスの空母とオランダの軍艦が一緒に太平洋に来て、海上自衛隊と共同訓練したりして(2021.8.25)、世界の枠組みも変わっていくものだという感慨がある。いわゆる昨日の敵は今日の友というようなことかと一応思っておく。[インターネット(字幕)] 7点(2021-09-18 09:58:13)《改行有》

205.  魔女(1922) 《ネタバレ》 1922年の映画である。監督その他の関係者はデンマーク人とのことだが、題名のHäxanと字幕はスウェーデン語らしい。 見たのは104分のバージョンで、全体が7章に分かれている。第1章は昔の宇宙観と関連づけながら魔女の基本的な性格を学ぶお勉強的なパートであり、また第2章は時代を1488年と特定して、中世の具体的な魔女像を多少ユーモラスに表現している。しかし次の第3章から第5章までは魔女裁判の話になるので笑っていられなくなり、第6章では魔女の発生原因として拷問の道具と僧院の狂気を紹介している。最後の第7章では近代(大正時代)に飛んで、中世から当時まで残されていた魔女的なものを明らかにする構成になっている。 最後の章はそれまでの各章に含まれていた要素を使って結論を導く形であり、何やら実証的な映画という印象もある。それほど明らかな社会批評の意図もないようだが、気の毒な人々に理不尽な偏見を向けないようにしなければという、この時代なりの良心が表現されていたようではあった。 物語として心に残るのはやはり第3章から5章までの魔女裁判で、ここでは中世の人々の迷信深さとともに、人間が本来持つ(現代にもある)邪悪な部分や偏狭な宗教の害悪が描かれている。個人的には特に、性欲の抑圧がかえって理不尽で組織的な暴力につながる面があるのではという方に考えが向いた。また客観的に立証できない罪状では自白が証拠の王だというのもよくわかる。最後の章では、中世なら魔女とされたであろうシニア世代と未亡人の表情が物悲しい印象を残していた。 特撮としても、主に第2章でストップモーションアニメや逆回転、多重露光?といった手法でけっこう面白い映像を作っている。着ぐるみや特殊メイクも多用されているが、特に監督本人が演じていたという悪魔が神出鬼没で、恐ろしいというより滑稽で不潔そうで品性下劣で邪悪な雰囲気を出しており、ヨーロッパの悪魔像とはこういうものだったのかと思わされた。そのほか個人的には夢魔?が布団の上を這って来て、寝ていた人物が慄いている場面が好きだ(一瞬だが)。 結果として、サイレント映画など古臭くて見る気がしない、という食わず嫌いを一気に解消する内容にはなっていた。なお映画自体は無音でも、今回見たDVDではピアノの背景音楽を入れて効果的な演出がなされている。[DVD(字幕)] 8点(2021-09-11 09:50:05)(良:1票) 《改行有》

206.  それも恋 《ネタバレ》 主演の仁後亜由美という人は他の映画でも見たことがある。別に好きでもないが、素っ頓狂な声を出す役者ということで憶えていた。 短い映画だが、何か社会派的な性格を持たせたかったようではある。制作が2016年とのことで、近年見られた爆買いの雰囲気を映すとか、常習的な偽造といった行動様式を見せておいてから「ウソばっかだね」などとあからさまに言わせたりしている。一方で、日本で稼いで国に帰れば金持ちだとかいうのは大昔の話のようで、相手の男の人物像もそういう時代のイメージになっている。 個人的には現在の池袋北口とか西川口といった場所の実態を知らないので何ともいえないが、どうも微妙な違和感と今更感のある映画という気はした。しかし相手の男にもそれなりの事情があったことは説明されていたので、それぞれの事情で理解と共感を寄せる人がいてもいいのではと思った。 それよりも、題名に示された主人公のドラマとしては思うところもなくはない。何もしないで終わるよりなら何かした方がいい、という意味だとすればその通りだが(確かにそうだが)、それでどこまで妥協できるのか、その結果を納得して受け入れられるかの問題だということか。できれば後悔しなくて済むといいわけだが。 なお相手の男の台詞が聞き取りにくいのは困った。「デイエル」とは何のことかと思ったが、英語字幕のsexual serviceで何とか察せられた。[インターネット(邦画)] 4点(2021-09-04 10:29:44)《改行有》

207.  ガーンジー島の読書会の秘密 《ネタバレ》 イギリスに属するチャネル諸島のガーンジー島に関わる物語である。第二次大戦ではドイツ軍に占領されたとのことで、ノルマンディーのすぐ近くにも関わらず、連合軍が反攻に転じてからも占領されたままで大変な思いをしたらしい。 原作は読んでいないが映画で見る限り、島の読書会に関わることでなぜか住民が語りたがらない昔の事件があり、主人公がその真相を探っていくミステリー調の展開である。そこにラブストーリーが絡んで来て最後はちゃんとハッピーエンドになる。戦争関連の場面はあるがそれほど過激でもなく、安心して見られる穏やかな映画である。 ユーモラスなところもあり、序盤で出ていた前世と来世の話は、イギリス人もこういう発想をするわけかと笑った。また「あなたの心に住む人」というのも、登場人物の性格付けのためだろうが突拍子もない発言で失笑した。 ちなみにこの島は本来フランス語に近い言葉のはずで、そのことに触れた箇所が若干あったようだが(Bonne nuitに近い言葉)、この点について何らかの考え方なり立場なりがあったのかどうかはわからなかった。 物語の中心になるのは題名のとおり読書会だったらしい。一般論として、一人だけで孤立して考えるのでなく、多くの人々の考えを重ね合わせることで物事の本質が見えて来るということがあるはずで、それが文学なら読書会の場ということになるが、主人公が劇中でやっていたことを見れば、この物語自体が読書会のようなものだったとも取れる。 またラブストーリーに関しては、男連中の顔を見るだけでも結果が予想できる気はするわけだが、本当にその通りになってしまったのは出来すぎである。しかし島の読書会が作家の創造力の源泉になり、ここに住むこと自体が創作活動を支えることになったのならこの結末も正当化されなくはない。実際にフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーがこの島に15年間滞在したことがあるとのことで、それを背景にした物語だったようである。 ちなみに聖書が「愛の書」であるのに、「裁きと悪意」しか読み取らない者がいることを嘆く台詞があったが、これは聖書限定のことではない(映画も)だろうから自戒が必要である。逆にそういうのも自分の考えをまとめるためには反面教師的に役に立つといえなくもない。 登場人物はそれぞれ個性的で、自分としては編集者の男の立場も気になったが、そのほか酒を売っていた女の実像に意外性があって面白かった。一緒の布団で寝たところではもう主人公の親友になっていたようで、養豚業の男とその養女は別にして、主人公が島に住むのを最大級に歓迎したのがこの人物だったのではないか。主演女優はあまり好みの顔ではないが人物像としては悪くなかった。[DVD(字幕)] 7点(2021-08-28 09:59:23)(良:1票) 《改行有》

208.  悪魔の奴隷 《ネタバレ》 一部で知られた「夜霧のジョギジョギ(モンスター)」のリメイク版である。劇中年代が現代ではなく1981年なのはリメイクの本気度を示したのか、あるいは時代回顧的な意味もあるのかも知れない。 題名に関しては、前作の英題が”Satan's Slave”だったのに対し今作は”Satan's Slaves”になっているが、インドネシア語に複数形はないとのことで原題は同じ”Pengabdi Setan”である。邦題は前作のようなふざけた名前ではなく原題そのままであり、これは実際に見て感じる印象の表現になっている(あまり笑えない)。 リメイク版のため、「ラーイラーハイッラッラー」とか「トニー...」とか喘息気味の人物とかバイクの事故といったオマージュらしいものは結構見える。しかし前回の年代物映画とは違い、今回はちゃんと現代的なホラーになっていたのは感動的だった。 最初がいきなり無音で虫の声から入るとか、オープニングの物悲しい音楽が流れたあたりでまずは期待させられる。基本は家で何かに襲われるパターンだが、あからさまなドッキリで飛び上がるようなところもあって結構怖がらされた。個人的には屋内の水場(上下水を集約?)を使うのが特徴的に思われたのと、一神教の渡来以前からある邪悪な勢力の存在を感じさせたのも恐ろしげに見えた。 物語上は、神を信じない一家が悪魔に狙われる、という設定を踏襲したようでいて実はそれほど単純でもなく、信仰と家族とオカルトのどれが頼れるのかを迷わせながら進行する。少し手が込んでいると思ったのは、真相に関する劇中の発言はあくまでその時点の見解なり解釈または方便に過ぎず、最終的な結論はラストの場面を待つ必要があることだった。結果として「家族が見放さなければ」は正しかったらしい。また英題のslaveを複数形にしたのもそれなりの含みが感じられる。 登場人物としては主人公が変に肉感的な女性だったのと、その弟3人がかなり愛嬌のある連中なのが目についた。 なおこの映画で見た限り、現地ではイスラム教が絶対視されているわけでもなく、むしろ家族が大事というようでもある。終幕場面で観客を誘惑する目つきだった女性が前作の主人公と同じ名前らしい(Darmina/Darminah)のも、やはり信仰心が不足していたという意味か。 また前作で出ていた伝統的な呪術の代わりに、今回は少し現代的なオカルトを前面に出したらしい。劇中の「MAYA」は主人公に「低俗な雑誌」と言われてしまっていたが、これは日本の「ムー」のようなものかと思って笑った。[インターネット(字幕)] 7点(2021-08-28 09:23:25)《改行有》

209.  夜霧のジョギジョギ 《ネタバレ》 原題のPengabdi Setanは英題のSatan's Slaveと同じ意味らしい。このsetanという言葉はアラビア語由来だそうで、欧米のサタンと同じ言葉が中東から別経路で伝えられたということか。 邦題は中身と全く関係ないので呆れるが、公開時にこの名前(正しくは「…モンスター」)が強烈な印象を残したことで今日まで伝えられたのだろうから、意味不明でも何でも配給側の勝ちと思うしかない。 解説文を見るとゾンビ映画として売りたいようだが、基本的には不運な家族を襲う悪魔とエクソシストの戦いをイスラム世界でやろうとした映画に見える。ただし死人の目とか墓を掘り返すなどは確かに「吸血ゾンビ」(1966年英)を思わせるものがある。 欧米の悪魔なら初めからキリスト教で対抗するのが普通だろうが、この映画では正規のイスラム教よりも、まずは伝統的な呪術や祈祷師に頼るのが常識だったように見える(弟の友人・弟・姉の恋人・姉)。悪魔祓いもこういう俗信を排するところから始めなければならないのは、現地にまだイスラム教がちゃんと行き渡っておらず、目下鋭意布教中であるかのような印象だった(実態は知らない)。 物語の面では全く期待していなかったが、意外にもそれなりにちゃんと作ってある(前に見たインドネシア映画「首だけ女の恐怖」(1981)よりは)。神を信じない一家を悪魔が狙って怪しい家政婦が入り込む一方、危険を察した宗教者が再三の警告を寄せて緊迫感を高める構成になっている(かったるいところもある)。しかし最後の救援が若干唐突なのと、ラストが意味不明だったのは残念だ。悪魔との戦いはまだ続くので、神を信じて対抗しろということか、あるいは神も万能ではないと言ってしまっているようなものか。 ほかどうでもいいことだが字幕に関して、窓の外から幽霊が迫る場面で「うらめしや」と書いてあったのは笑ったが、ここは実際に和風幽霊の雰囲気だったので適切な訳ともいえる。 さらにどうでもいいことだが、字幕で「アンタ」と書いてある場面で登場人物が言ったのは、「アント!」にも聞こえたが「Anda!」だとすればyou!の意味であり、これはたまたま似た言葉だったので字幕も合わせたかも知れない。また夜になぜ墓へ行ったのか、と父親が娘を問い詰めた場面で、夜は墓場で運動会だろうが、と思っていたら父親自ら「運動会!」と言ったように聞こえたのは一瞬驚いた。しかしここは字幕のとおり「Untuk apa!」(何のために)だったようで空耳というしかない。[DVD(字幕)] 4点(2021-08-28 09:23:24)《改行有》

210.  きばいやんせ!私 《ネタバレ》 九州最南端の南大隅町にある「御崎祭り」を題材にして、祭りの再興と、主人公である不倫女子アナの再出発を重ねた映画である。 冒頭の「大怪獣ガメラ」は笑った(「小さき勇者たち ~ガメラ~」(2006))が、あとは笑わせたいのか何したいのかわからない地味な雰囲気で進行する。抑制的に見えるのはいいとして、かなりの時間にわたってどの登場人物にも共感できない状態が続くのはつらい。中盤の展開もいい加減な印象だったが、そもそも女子アナの心情など思いやる気にもならず、最後の心機一転も当該個人の問題なので自分として喜ばしいとも思えなかった。 地元振興という面からいえば、劇中の安いTV番組など大した役にも立たないだろうと思っていたが、実は地元民もその程度の認識だったようで、結果的には和牛日本一の方が重く扱われていた。また自称映画プロデューサーの顛末を見れば、TVだけでなく映画なども当てにはできず、さらにいえばこの映画自体に関しても、一応まともに完成はしたが本質は同じと取れる。要は、TV番組や映画など何かのきっかけくらいにはなるかも知れないが、本当に大事なのは人間の底力だ、と言いたかったのなら確かにそうだと納得できる(主人公のドラマとしても同様)。よくある地域おこし映画のようでいながら、上辺を飾らず本音を通した点ではいい映画だった。 個別の場面では「責める価値もない」という突き放した言葉が出たところが好きだ。豚舎が臭いという正直な台詞も綺麗事排除でいいことだが、しかしそもそも外部の人間をやたらに入れるなとは言いたくなった。 出演者としては夏帆が出ているから見たわけだが、劇中人物としては最後まで嫌な奴だったので見た意味がない。一方で太賀という役者は、最初の場面ではこんな男だったか?と思ったが、最終的には外見的にも性格的にも人が違ったように見えたのが面白い。要は序盤の軽薄で上滑りする感じの態度は彼なりの防御姿勢の表現だったようで、個人的にはここが人物描写での見所だった。 なお南大隅町は食堂経営者役の愛華みれという人の出身地だそうである。自分も昔、佐多岬まで行こうとしたが遠いので途中で断念した覚えがあるが、映画の時点でもまだ現地にはコンビニもないとの話が出ていた。ただ少なくとも2021年現在では大手チェーンの店舗もあるようなので、東九州自動車道のおかげか何かで交通の便はよくなっているのかも知れない。[インターネット(邦画)] 4点(2021-08-21 09:14:34)(良:1票) 《改行有》

211.  天空からの招待状 《ネタバレ》 監督の齊柏林氏はもともと航空写真家で、自分が空から見てきた台湾の姿を紹介するため一念発起して空撮ドキュメンタリー映画の製作に取り組んだとのことである。それで大成功を収めたが、続編を撮影中の2017年にヘリコプターの墜落事故で亡くなったというのが痛ましい。 この映画も全て空からの撮影で、スケール感が失われて地形が模様に見える高度から、人々の表情がわかる低空での映像もある。自然景観や人々の暮らし、伝統的な一次産業は好意的に撮られており、水田らしき場所で水路に陽光が反射したのはキラリと光る一等地の圃場だというアピールに見えた。また人々が農作業をしている両側で、緑の植物が風になびいて流れるような構図は見事だった。 一方で否定的に扱われた人工物として、海に接する排水口(大潭発電所?)の映像は戦慄を催した。また土砂採取の現場が何本もの虫食い跡のように見えたのも気色悪い。 当然ながら単なる空撮映像の羅列というわけではなく、故郷の島を母親にたとえ、その子である人間が都合よく使うだけでなく労わることが大事だと訴えている。監督が長年空から見て問題だと思ってきたことが、地表の人々には見えていないという危機感が根本にあったらしい。 具体的な問題点としては、まずは山地開発による山崩れや土砂流出といったことが印象づけられる。また西海岸の養魚場で地下水を大量に使用するため地盤沈下が発生し、墓地も浸水して「土葬が水葬になった」というのは、「熱帯魚」(1995)の映像でも見えていた気がする。ほか水質汚濁や廃棄物処理など環境保全の基本的事項とともに、近年の時流に乗った形で石炭火力の問題を指摘するとか有機農産物への取組みを紹介していた。 日本人の感覚としては、今さらそれを言われても、というのもなくはなかったが、しかしさすがにこれはまずくないかと思ったのは、大都市近郊の急峻な山地で稜線を削って高層住宅などが建設されている場所だった。傾斜の度合いが多摩丘陵などと比べ物にならないわけで、今の日本でいえばメガソーラーによる環境破壊が危惧されていることにつながるかと思った。 なお今回初めてじっくり見たのが、台湾の最高峰である「玉山」(3,952m)の姿だった。いわゆる新高山(ニイタカヤマ)だが、ノボレと言われても険しいのでどこから登るかわからず無理そうに見える。しかしこの映画のために「台湾原声童声合唱団」の子どもらが登り、狭い主峯の上で揃ってパフォーマンスをやっていたのはご苦労様だった。マイナス2度だったとのことだがみんな笑顔で、若い人々が元気なのは大変いいことだと思わされた。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2021-08-14 09:33:09)《改行有》

212.  藍色夏恋 《ネタバレ》 アニメ映画「幸福路のチー」(2017)の主役だったグイ・ルンメイ(桂綸鎂)という人が顔出しで主演している映画というので見た。これが映画初出演とのことで、その後は香港や大陸にも活躍の場を広げているらしい。 全体的には青春映画のようで、自分としては登場人物に共感できたわけでもなかったが、しかしラストがけっこう感動的で最終的には好印象だった。終幕場面の背景音楽からエンディングテーマにつながる流れも好きだ。 個別の場面としては全校注視の中で偽手紙を蹴り剝がしたのと、体育館で延々とどつき合いをするのが印象的だった。また題名と関係あるかわからないが、夜の青さに目を引かれる映画だった。 若い人々にとって未来が見えないのは不安だろうが、何も決まっていないのだから自分次第と思えばいいだろうとはいえる。しかしその決まっていないこと自体にも不安があり、それで何かが決まっているかのように予言する占いや、勝手に都合のいい結果をもたらすまじないを好むのかと思ったりする。この映画では、結果的に未来に向けた視野は広がったが、同時に何も決まってはおらず、これから何が起こるかわからない状態をそのまま受け入れて進む覚悟ができたように見える。 また主人公男女が惹かれ合う気持ちは正直よくわからなかったが、普通一般のスケベ本能を超えたところで、その人物そのものの存在を欲したということかも知れない。主人公がLGBTQのうちのLと決まったわけでもないらしく、これから何が起こるかわからないにしても、信頼できる水先案内人を得た気がしたからこそ前向きに生きる気分が生まれたのだと思われる。 ちなみに登場人物が通う「師大附中」とは「國立台灣師範大學附屬高級中學」のことらしく(エンドロールに名前が出る)、けっこう名のある実在の高校らしい。軽薄に見える奴はいるにしても、ゴミをちゃんと捨てるとか椅子を直すのを見ると基本的にまともな連中なのだと思わせる。 ほか雑談として、校舎の外で聞こえたブラスバンドの曲は、国歌とされる「三民主義」と、「國旗歌」という曲を続けて演奏していたようだった。国を象徴する曲なので直立不動で聴くのが建前らしく、例えば夕方に国旗を生演奏付きで降納していたということか。一応そういう厳粛な場面で、男女2人が個人的な揉め事を起こしていたことになる。 また今回は「噁」という漢字を新しく憶えた(噁爛、噁心)。「木村拓哉」は前から知っていた。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2021-07-31 08:48:37)《改行有》

213.  青いソラ白い雲 《ネタバレ》 主演女優はこれまで存じ上げなかったが、実は結構なお家柄の方だったようで、プチセレブどころかセレブそのものと思われる。劇中人物としては中等部から名門校に入っていたようだが、女優本人は幼稚舎から大学(文学部)までストレートで持ちあがりらしい。体型が非常に特徴的なため何の役でもいいわけではないだろうが(モデルが最適だが)、この映画に関してはまさに適役である。というか、本物がこういう役をやっていること自体が可笑しさを出している点でも適役である。  内容としては心地よい程度のブラックな笑いを含んだコメディになっており、当時の風潮を無遠慮に皮肉る台詞がユーモラスに聞こえる。人が死んだ場面でまで笑わせるのはやりすぎだ(笑)と思うが、しかし基本的にはウソっぽいものを全部引っぺがして地のままで出直そうという趣旨であり、最後にはそれなりの感慨を残す作りになっている。特に、ラストで題名の意味が劇的に明らかにされたのには感動した(笑った)。まるで天国にいるあのお方が、日本復興に向けてわれわれを導いてくれているようで嬉しくなる。 こういう不謹慎なものをその年のうちに制作していたというのは感心するが、自分としてもどうせならもっと早く見ておきたかった気がする。うちの地元でもこの年は春から好天の日が多かった気がするが、この時期に関する人々の記憶が薄れるほど、この映画の価値も忘れられていくかも知れないので、現時点でも自分としては素晴らしい映画に思えたということを証言しておきたい。これは見て本当によかった。  ちなみに、劇中で港区白金(植込み、地上1m)の放射線量として表示されていた0.06~0.07μSv/hは、同時期の自分の住所地における測定ポイントと同程度だが、これは日本国内で花崗岩が分布する地域での地中からの自然放射線量よりは低いようである(日本地質学会のサイトを参照)。[DVD(邦画)] 9点(2021-07-24 08:11:57)《改行有》

214.  8日で死んだ怪獣の12日の物語 劇場版 《ネタバレ》 電通案件といわれたワニと同類かと思わせる題名が事前の印象を悪くしている。 全体としては新型コロナウイルス感染症の脅威のもとで、映画業界と映画好きの人々を和ませ元気づける映画のようではある。当時の世相を反映した面もあるだろうが、登場人物とは生活環境が違っていたので(田舎住まいで普通に通勤)個人的に共感できるものはない。ただ医療関係者への感謝の言葉が出たのは特徴的だった。また当時は確かに、先に治療薬が普及してやがてワクチンが開発されるものだと思っていた。 元になったのが樋口真嗣氏の「カプセル怪獣計画」とのことで、昭和怪獣ネタが多いのはわかるが楽しめるというより煩わしい。要はアマビエと同じようなノリだったのだろうが、一般向け映画の体裁で得々と怪獣話をするのは大人気なく見える。 しかし屋外で怪獣が浮遊していたり踊ったりする映像は、意味不明だが悪くなかった。夜の路上を進んで行って、人知れず踊っていた連中にたまたま出会った感じの場面は好きだ。 物語的には、カプセル怪獣は結局人類の味方だったようで、意外に素朴で良心的な作りではあったらしい。しかしその後の現実の世界を見ていると、この機に乗じて社会不安と不満と不信を煽る連中だらけで人の良心など信じられなくなってしまい、みんながヒーローというメッセージが今となっては白々しく感じられる。だからどうしろともいえないのでいい方を変えると、この頃の月単位の期間限定で何とか成り立ち得た映画とはいえるかも知れないが、しかしそもそもこの当時でも「あなたのマスクも実はカプセル怪獣かもしれません」と言われれば失笑するしかなかったのではないか(メイドインどこの怪獣なのか、あるいはアベノ怪獣とでもいうつもりか)。 個人的には、東日本大震災後の原発事故の不安を扱った「青いソラ白い雲」(2011、金子修介監督)に匹敵する映画かと期待して見たわけだが、残念ながらそうでもなかった。見たタイミングも悪かったが。 ちなみに、あえて現時点の感覚で皮肉な見方をすると、この映画の「ペロリンガ」が昔のTV番組に出たペロリンガ星人と同じだとすれば、その善意を簡単に信じていいとは全く思えない。特定個人に利益供与して自陣営に取り込んだり、ワクチン提供で懐柔したりしていたようだが、実はもうすぐそこまで侵略軍が迫っていたと思うべきではないか。ネット通販で簡単に買えたというのもかなり怪しいが、そういう疑念を生じさせる意図まであったとすれば侮れない映画ではある(違うだろうが)。[ブルーレイ(邦画)] 5点(2021-07-24 08:06:37)《改行有》

215.  デッド・シティ 《ネタバレ》 南米ベネズエラで起きている深刻な難民問題について、世界に向けて告発しようとする映画である。この映画では500万人としているが、日本の外務省公式ページでも「これまでに約450万人のベネズエラ国民が近隣諸国(特にコロンビア,ペルー,チリ等)に流出」と書かれている(2020/6/6閲覧)。終盤のインタビュー場面では本物の難民の映像も使っていたように見えた。 その原因は、要は現政権の失政だと言いたいらしい(ハイパーインフレの影響が大きいとのこと)。冒頭で見えた「MADURO DICTADOR」という落書きは、現在も同国にいるマドゥーロ大統領(日本政府は支持していない)を独裁者として非難する言葉である。中盤のTV報道のテロップでは閣僚とともにいち早く国外へ逃げたことになっていたが、終盤でもまた「現政権の姿勢」に触れて、製作側の問題意識がどこにあるかを明瞭にしていた。劇中発生していた停電も現実の反映だったのかも知れない。 これは本物の国際的な大問題であり、単に権力者を揶揄して面白がるだけの映画にはなっていない。ちなみに劇中のWHOはまともな働きをしていたが、なぜか東アジアの強権国家らしきものの影も見えた(医師宅に掛け軸もあった)。次の事務局長がベネズエラから出たりすることもあるかどうか。 そのような背景がありながらも、この映画では難民の発生原因をゾンビに置き換えたことで、見た目はゾンビ映画になっている。またウイルス性ゾンビのため感染症映画としての性格もある(原題と英題もそうなっている)。 最初は断片的な事件を並べておき、ラジオ放送で少し緊迫感を煽ったと思ったら、いきなり次の場面で周囲がいわゆる阿鼻叫喚の巷と化していたのは驚きがあった。また当初、政権側が反政府勢力のせいにしていたらしいのは笑った。その後はロードムービー的にゾンビとの戦いが展開し、結末がどうなるか途中で気づく場合もあるかも知れないが、その通りになるので安心してもいい。 映像面では、邦題と違って都市的景観はわずかだが、地方の風景がけっこう印象的に撮れている。農村部での山脈の鳥瞰的な撮り方が、序盤の首都の空撮と似ていたのは意味不明だが面白かった。またエンドクレジットの背景で、南米イメージのアート調にアレンジした劇中場面の再現映像は個人的に好きだ。 以上のようなことで、どうせ軽薄なゾンビ映画だろうと思ったら全く違っていた。ちなみにいまこのご時世では、ラスト近くの「そのために国境がある」という言葉に非常に共感した…すぐ後で否定されていたが、要は主人公の義母と同じになってもいいのかということである。[インターネット(字幕)] 7点(2021-07-17 09:27:41)《改行有》

216.  真・鮫島事件 《ネタバレ》 今どき鮫島事件かとは思ったが、永江監督の映画では「2ちゃんねるの呪い 劇場版」(2011)でも同じ題材を扱っていたので本人的には馴染みがあるものらしい。 今回は新型コロナウイルス感染症流行の時節柄ということでリモート飲み会の場を設定し、また呪いの拡散が「被害者が加害者に」なる点でウイルスと同様だという理屈を語っている。しかしそれをいえば吸血鬼とかゾンビも同じであって、実際に感染症映画兼ゾンビ映画というのもある(「デッド・シティ」(2019)など)ので独創的な発想ともいえないが、まあ今の世相を反映した映画ではある。 鮫島事件の話自体は昔からある「牛の首」のようなもので、この映画も“そんな怖い話は誰も聞いたことがない”系のオチかと思ったが、さすがにそれでは映画にならないということか、実体のある話を作っていたのは前作と同様である。空虚な言説が恐怖を拡散するというなら「コンテイジョン」(2011)のようになるかと思ったが、それよりはホラー映画としての娯楽性を優先した形かも知れない。 ホラーとしては、この監督らしく低予算ながら一定水準を確保した映画ができている。終始webカメラだったかのようなこだわりはなく、普通に変化のある映像を作っているが、邦画ホラー恒例の現場突撃を別人にやらせておいて、主人公はリモートで見ているという形で特徴は出していた。最初に違うところから入っても、結局同じところに行きついたというのは絶望感の表現になっている。 ちなみに「誰か来たようだ」は笑った(ギャグか)。またどうでもいいことだが現場の窓に「傲慢」と書かれていたのは、よくそんな字が手で書けるものだと感心した。よほど漢字の得意な奴だったか、あるいは片手にスマホを持って見ながら書いたと思われる。 出演者に関しては、リモートという設定もあって女優(女性俳優)の顔をでっかく映す映画である。今回主演の武田玲奈さんは、序盤は大映しすぎて粗が見えるようだったが、後半の怖い場面ではちゃんと可愛い顔を見せている(全身像も当然ある)。ちなみに妹の言うなりに使われるお兄ちゃんはひたすら気の毒だった。妹が可愛いと兄も優しいらしい。 ほか「カメラを止めるな!」(2017)で知られた しゅはまはるみという人も出ていたが、ラストの場面でこの人の肌を舐めるように映していたのはどういう趣味か。[インターネット(邦画)] 5点(2021-07-17 09:10:43)(良:1票) 《改行有》

217.  The Room 《ネタバレ》 あまりにも平凡な題名なので検索すると同名映画が複数出てしまう。 恋人同士の2つの部屋をSkypeでつないだ会話が中心になるが、この頃はまだそういうのが珍しかったのかと思ったらそうでもないようで、独創性の面で特に評価できるわけでもないらしい。最初にいわゆるファウンド・フッテージである旨の説明が入るので、映画で見えているのは就寝中を含め、全て誰かが撮っていた/見ていた映像ということになる。 ドラマの面では、男女4人の愛憎関係でいろいろあったようだがあまり突っ込んで考える気にならない。途中までは映画紹介に書かれた通り単なるサイコホラーかとも思ったが、明らかに異常な出来事も起きるのでただでは済まない雰囲気もある。最後はそれなりのオチが付くので肩透かしに終わることはないが、結果的にはよくあるオムニバスホラーの一編のようでもあった。 個別の場面では、心霊ホラー的な怖がらせもあったがそれほど怖くもなく、あからさまなドッキリの場面があったのは趣味が悪い(笑った)。なお部屋に鏡(姿見)があって部屋の一部がずっと映っていたが、何らかの演出に使われていたかはわからなかった。 キャストに関しては、宣伝写真の通り伊藤歩さんが大映しになる場面が多い(全身像もある)。劇中人物としては面倒くさい感じで、こんなのと親密になりたいとも思わなかったが、見た目としては甘えた表情も嫉妬も激情も憤怒も戦慄も全部含めて可愛く見えるのはさすがである。とにかく圧倒的な伊藤歩映画だったというのが個人的には最大の効用であって、それだけ書けば他は何も書かなくてよかった。[DVD(邦画)] 4点(2021-07-10 08:42:48)《改行有》

218.  樹海村 《ネタバレ》 樹海とコトリバコを題材にした映画だそうだが、後者に関しては前作もそうかと思っていたら今回が本番だったらしい。ちなみに他の映画としては「fuji_jukai.mov」(2016)や「ことりばこ」<OV>(2011)を見たことがある。 樹海とコトリバコの相性がいいとは思えないが、そこはいろいろ小理屈をつけて無理やりつないでいる。その上で、昔から今まで社会に排除されてきた人々の怨みと、「神の森」の怒りが一体になって復讐する話にしたようでもあるが、変に込み入ってしまってわかりにくい。 またコトリバコは本来、特定の家系を断つため女性と子どもに害を及ぼすものとされているが、この映画では何で主人公宅の物置に置かれていたのか不明なのは困る。しかし最終的には依然として危険ながらも、呪うのではなく女性と子どもを守護するため女系に伝えられる形にしたとすれば、一応のハッピーエンドと取れなくはない。なお琴音~鳴・響~音々という、音にちなんだ名前自体に意味があるかはわからなかった。 ホラーとしては特に怖くないがそれほどふざけた場面もなく、主に前半はいわばスタンダードな邦画ホラーを真面目に作ったようで悪くない。主人公姉が喪服のまま茶の間で寝てしまった場面は往年の「呪怨2」(2003)を思わせる。そのうちに、どこかで見たような場面(「自殺サークル」(2002)など)が出て来るとか、終盤は諸星大二郎風の異世界ファンタジーのようになったりして統一感がない気もしたが、現地に多数ある苔玉のようなものを死者に見立てたらしいのや、保護室の場面などは印象に残った。 また面白かったのは、現代ではいわゆる霊感を精神病と決めつけたがる風潮があるのを、要は自分が怖いと思うものを否定したいだけではないのか、と皮肉ったように見える場面だった。また修学旅行を嫌がるという話も、数日前にネット上で見たばかりだったので今風に感じた。 出演者としては山田杏奈さんが主演と思ったら、姉役の山口まゆという人もW主演として同等以上の存在感を出している。また大谷凜香という人が前作と同じ役名で出ており、これは時空間に遍在する突撃ユーチューバーなのかと思ったが、次回作もあるのなら活躍を期待したい。山田杏奈さんとは「ミスミソウ」(2017)以来の夢の共演かと思ったが一緒に映る場面はないのだった。 ほか黒沢あすかという人はホラー映画でも時々見るので、正直またこの人かとも思ったが、すりガラスの向こうの顔はこの役者向きの趣向だった。[ブルーレイ(邦画)] 5点(2021-07-03 09:46:41)(良:1票) 《改行有》

219.  fuji_jukai.mov 《ネタバレ》 昨年12月31日(6日前)に青木ケ原樹海の遺体映像を投稿したアメリカのユーチューバーが批判され、今年1月3日(3日前)に本人が謝罪したとの報道があったが、この映画は当然それより前の公開である。 吉本興業とTBSが共同制作した映画とのことで、TBS所属のディレクターが監督を担当し、吉本芸人も本人役で出演している。監督は本来バラエティのディレクターであって映画は「ど素人」だそうで、実際これは映画としてどうなのかという批評もありそうな感じだが、そこはあまり突っ込んでも仕方ない。 内容としては「スマホ系ドキュメントホラー映画」とのことだが、「90%リアル」とかいう説明を聞くと、カルト集団の部分だけでも1割を超えているのではないかと皮肉を言いたくなる(かつての上九一色村の教団施設になぞらえたにしても無理を感じる)。しかし現地関係者(レストラン店主、樹海探検家、寺の住職、民宿の女将)のインタビューはさすがに本物らしく真実味があり、それに比べて役者が演じる「樹海パトロール」は非常にウソっぽい。 見ていて非常に気に障ったのは主人公の同行者2人の行動様式である。自分としては人間扱いする気にもならない連中だったが、この映画の立場としては「子どもっぽい」という認識だったらしく、そういうクソガキのようなのに便利なツールを提供してしまっている現代社会への批判が込められていたようでもある。一方で主人公は心正しい人だったが、この人に対する世間からの綺麗事による非難を逸らすため、最後に悪人が「生まれ変わり」を果たす筋書きにしたのだろうと解釈した。 そういう物語面での不快さにかかわらず、風景映像の方は荘厳な美しさを感じさせ、またエンディングで現地関係者が樹海の自然の魅力を熱心に語っていたのも印象に残る。時々わざとらしく映っていたオーブのようなものは、人の霊魂というより自然界の精霊といった表現だったのかも知れない。樹海探検家の言葉として、樹海にある遺体の全てが自殺によるものとは限らないという見解も紹介されていたが、本来は他殺死体の隠匿場所でも呪われた場所でも無責任な動画投稿者やTV番組の悪ふざけの場でもなかったはずの樹海に、人間社会の暗黒面を投影するのはやめてもらいたいというのがこの映画の最終的なメッセージに思われた。 そのようなことで、意外に社会派っぽい気がしたのはTBSらしいといえるかどうか(バラエティのディレクターだが)。 出演者としては、自分が知っていたのは佐々木萌詠さんくらいのものだったが、今回はまたかなり変な役でどうも仕事を選ばない人らしい。ほとんど端役ながらも舞台挨拶にはきれいな格好でちゃっかり?出ていたのは意外だったが、女子高生役3人と並ぶと長身(公称168cm)で見栄えのする人である。[DVD(邦画)] 6点(2021-07-03 09:46:36)《改行有》

220.  ことりばこ<OV> 《ネタバレ》 ネット発祥の著名な怪談を題材にした映画ということになっている。 冒頭に文章で延々と説明が入るので、元の話を下敷きにしているのはわかるが中身は別物になっている。元の話がかなりまともにできている(素人の創作とすれば秀逸)ので、その通りに映像化したものを見てみたいとは思うが、そのようにできない事情があるのかも知れない。 ホラー映画としてはどこかから既成のイメージを借りて来ただけのところもあるが、しかし見せ方や演技でけっこう雰囲気と迫力を出している。出演者も若年者らしく自然にふるまうべきところは自然に見せる一方、演技すべきところはそれなりに演技しているように見えており、主要キャストについての印象は悪くない。 物語に関して真面目に考えると、機能不全のおかげで(いわば代償として)生き延びたはずの主人公が、結局は逃れられずに終わったことで、やはり本当に怖いのは呪いよりも生きた人間だということが言いたかったのかと思われる。しかしそれが見る者の心情に訴えかけるかというとそうでもなく、やはりまず村人の演出に問題があって真面目に見る気がしなくなるのと、片思いの先輩がそれほど魅力的な人物でもないので、主人公の純な心情が素直に受け取れないというのが残念なところである。またその機能不全ということ自体も理屈先行という感じで、特にこの主人公をめぐるドラマがもう少しうまくできていればという気がした。 結果として、それなりに作ろうとしているようには見えたが惜しい映画だった。[DVD(邦画)] 3点(2021-07-03 09:46:34)《改行有》

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