みんなのシネマレビュー |
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221. 天国と地獄 《ネタバレ》 警察が列車の中から撮っていたフィルムを上映するシーンがぞっとするほど素晴らしい。このドキュメンタリー的なものが「つくりもの」のクロサワ調のなかに突如侵入してくるという希有な瞬間である。[映画館(邦画)] 9点(2011-03-17 20:04:37)(良:1票) 222. 人のセックスを笑うな この欄の低評価には驚く。映画館ではかなり充実感があった。こういう何気ない感じつまり「存在」が大切な映画は、事柄に対する「知識」でしかないDVDではたいしたことがないだろう。DVDは矮小化する。[映画館(邦画)] 6点(2011-03-17 10:48:31) 223. 武士の一分 アイドルはいつでも同じ、何に出ても同じ。同じく空虚。ストーリーもよくない。『たそがれ清兵衛』が良かったので、期待してしまった。[映画館(邦画)] 2点(2011-03-17 07:25:06) 224. 浪華悲歌 《ネタバレ》 なかなか観るチャンスに恵まれなかったのが、ついに望みが叶った日は特別なものだった。照明だけでも凄い。山田五十鈴が無力な恋人と歩く薄闇の移動撮影のなかでふと顔が浮かび上がったりするのが哀しい。見終わったとき完璧だと思えた。[映画館(邦画)] 9点(2011-03-16 19:24:31) 225. 放浪記(1962) 《ネタバレ》 シネマスコープという条件が、例えば高峰秀子が宝田明と初めて出逢うシーンに面白く作用する。高峰が画面前景左端に大きく、宝田の方は画面後景右端に小さいサイズで位置する。にもかかわらず、「面食い」の高峰は目ざとく宝田を見出したのである。というのが、もう15年くらい前にわざわざ大阪まで行って観たこの映画の記憶である。良かった。[映画館(邦画)] 9点(2011-03-16 14:48:11) 226. マリア・ブラウンの結婚 《ネタバレ》 ファスビンダーの傑作。戦時中から戦後期にかけて女性が社会に進出する余地が開かれたのはパラドックスである。戦後期に主体的に働いたヒロインの死(事故死なのか自殺なのかが曖昧なのが巧妙)と、男社会の再来を象徴的に告げる1954年のワールドカップ優勝を重ねる。[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2011-03-16 12:49:33) 227. グリニッチ・ビレッジの青春 《ネタバレ》 教養小説的な成長発展物語に憑かれる青春時代が、誰しもある。個人の成長発展には付きものの別れ。主人公が都会に出てあれこれの経験をして、一旦帰郷したのちまた旅に出るところで終わっているが、バイオリンのエレジーが野心を燃やすこの主人公を送り出すところに奥深さがある。故郷喪失の哀しみはこの先けっしておさまることがないということ、それが人生だ。思い出の映画である。[映画館(字幕)] 8点(2011-03-15 21:32:46) 228. 祇園囃子 《ネタバレ》 完璧。今で言えば芸能事務所のシンドイ話を見せられる感じ。ラストシーンだけでも素晴らしい(という言い方は、濃密な作品世界のラストシーンについにいたった感慨でもある)。新入り若尾文子の身代わりで辛い務めを引き受ける木暮実千代の笑みで終わる。乗り越えた笑みなのである、凄い。 長回しの溝口(宮川一夫カメラ)だが、畳の座位から立ち居への移行にアクション繋ぎが例外的に二三あってメリハリが導入される。日本家屋の襖や簾などの上下の線がフレーム内フレームとして頻繁に画面を、閉じられた謀略・欲望・権力の空間として現出させる。[映画館(邦画)] 10点(2011-03-15 19:34:31) 229. Love Letter(1995) 《ネタバレ》 ラストシーンが微妙にいい。二人居るヒロインを一人二役、かつそのうちの一人の役を二人の俳優が演じることの意味。高校時代の自分への(死んだ樹君が描いた)似顔絵が出てきたのが届けられるという感傷的なシーンなのだが、中山美穂にではなく酒井美紀に似た似顔絵なのである。つまり中山美穂(樹役)にとって自分に似ていない(博子役の中山美穂にとっては似ていてはガッカリなのである)のが似ていることの証であるというこのちょっとしたズレが、観客にとっての戸惑いでもあり感傷を強めることにもなる。『花とアリス』と双璧の岩井俊二の傑作。[映画館(邦画)] 9点(2011-03-15 01:04:16) 230. 田園に死す 《ネタバレ》 売りに行く柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯れ野行くとき。家の換喩である柱時計にも実は未練がある(家出をすすめる寺山は家らしい生活をしたことがないという哀しい逆説である)。中年の「私」が少年時代の(母を乗り越えた)「私」を待ち受けるが、来ない。これはいいシーンだ。結局、幼年期というものを卒業できない人間のモンダイなのである。いい映画だと思う。[映画館(邦画)] 8点(2011-03-15 00:11:40) 231. 白いドレスの女(1981) 《ネタバレ》 人間関係が、物象化というか結局は金銭的なものに従属する事態。したがって、見えた人間関係が信用できない。観客は何を観るのか。[映画館(字幕)] 7点(2011-03-14 21:09:10) 232. 人間蒸発 《ネタバレ》 「探す映画は探される」というのは、私の持論である。探す主体がやがてまさに探される客体となるのは、何もこの映画に限ったことではない。この映画作り自体がはじめからそれを意図していたであろう、探すことをやめた時、見つかる重大なこと、がある。[映画館(邦画)] 8点(2011-03-14 20:43:50) 233. アバター(2009) 《ネタバレ》 3Dの値打ちは、怪物に実際に襲われたとおもえたことくらいかな。人間の代表が白人で、人間は自然破壊の権化なのだが、悪い人間(白人)ばかりというわけではない(良い白人もいる)という話。これで人間=白人の罪滅ぼしとなるかなのだが、なるのだなこれが、なんと便利な白人中心主義。[映画館(字幕)] 5点(2011-03-14 20:29:10) 234. 熊座の淡き星影 《ネタバレ》 ヒロインのカルディナーレが親の屋敷に帰る。ざわめく庭園、地下空間での弟との絡み、それだけで絵になる。エレクトラ系の物語への仄めかしもあるが、決定的な次元には至らない(踏みとどまっている)。こういう堂々たる美しさの映画はぼーっと映画館で眺めているだけで(正直一回目は居眠りをしたが、その後映画館で二回観た)満足できる。[映画館(字幕)] 8点(2011-03-14 17:12:18) 235. バック・トゥ・ザ・フューチャー 《ネタバレ》 べつに期待もせず、空席の目立つ京都の大きな映画館(京都スカラ座、後にあの『タイタニック』もここで観たが、その時は超満員だった)で観た。「未来に帰れ」という台詞に出会った瞬間のウレシサ、これにつきる。ところでこの大きな映画館の方は今はもはや無い。ならばこの映画館の「未来」はたいして無かったのだ、悲しいことだ。[映画館(字幕)] 7点(2011-03-13 21:02:47) 236. ふるえて眠れ 《ネタバレ》 映画館で凍えるほどの怖さであるが、日常的なレヴェルと繋がった怖さだからである。父の反対する恋路に執着したせいで父が殺されたことがヒロインを強烈な罪意識のなかに収監する(こういう罪意識は程度こそ違えそこらじゅうにある)。精神的に寄る辺のない状況にあるヒロインの家に侵入する者との闘争、これまた息苦しいまでにリアルである。[映画館(字幕)] 8点(2011-03-13 20:22:46) 237. フェリーニのアマルコルド 《ネタバレ》 こういう映画は映画館の中で居眠りしたとしても、意義ある居眠りというか、スクリーンとの楽しい同調ということになろう。充実した足し算の回想。[映画館(字幕)] 8点(2011-03-13 15:15:55) 238. 熱い夜の疼き 《ネタバレ》 クラッシュ・バイ・ナイトのこの邦題はどうかな、誤解を呼びそう。フリッツ・ラングのアメリカ時代作品の白眉。ひょっとしたらフィルム・ノワール作品よりもこういう恋愛ドラマのほうが得意だったのかも知れない「ドアの映画監督ラング」。人妻バーバラ・スタンウィックの住居の中のドアを押し開けて観客の目に触れるのが、間男ロバート・ライアン、もうそんな仲だったのかという完了形をふりまいて。抑圧の心のドアを押し開ける欲望。[映画館(字幕なし「原語」)] 10点(2011-03-13 14:55:06) 239. 砂の女 《ネタバレ》 「映画化」というものの貴重な成功例である。原作に夢中になり、映画館(リバイバル上映だった)でも映像世界に入り込んだ。岸田今日子の鰻のような(?)存在感がいいし、岡田英次も観客の代行をそつなくこなしてくれる。[映画館(邦画)] 9点(2011-03-13 14:35:25) 240. 隣りの八重ちゃん 《ネタバレ》 「松竹小市民映画」つまり松竹モダニズムのエース「島津おやじ」の傑作。原題「隣り」で動詞的送りがな「り」がついているのに(もちろん旧送りがなということでもあるが)いまや「り」なしでこの作品を扱う向きがある(DVD版なども)のは実に「わかっていない」。モダンな消費社会の郊外において買われた「隣り」、昭和初期の動詞的に隣り合う二つの文化住宅、の快適な付き合い。「り」は例えば冒頭のキャッチボールにおいて暴投されるボールである。「隣りの窓ガラス」というものはよくわれるのであって、われた窓ガラスは幸福な「隣り」の換喩なのである。そこに波風、結婚に破れた(八重ちゃんの)姉岡田嘉子が帰ってきて主人公恵太郎に迫る。だが岡田嘉子は「隣り」には似合わずまた隠喩的に「蒸発」する。岡田嘉子はどこへ行ったか。それはともかく、快適なモダンな「隣り」の付き合いは、やがて来襲する陰気な「隣組」(「り」はない)の時代に踏みにじられたのであった(とは、この映画の外である)。 [映画館(邦画)] 10点(2011-03-12 13:05:00)《改行有》
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