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プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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241.  フェイクプラスティックプラネット 《ネタバレ》 ネットカフェ住まいの風俗嬢の物語だが、殺伐とした世相の一部を切り取って社会への怒りや憎悪を煽りたいわけでもなく、人間の心を縛るもの(いわば縄)を解いて前へ行かせようとする、意外に良心的な映画だったようである。 ただし素直に受け取れない箇所が多いので絶賛はできない。不思議な偶然が起きるというのは予告されているので意図的なわけだが、あまりに話が出来すぎていてさすがに偶然の範疇から外れてしまい、「シンクロニシティ」が単なる言い訳のようでもある。また消火器で殴るとか露天の場所に電気器具が置かれているとか拳銃が出現するなど、表現の自由度が高すぎるのは突っ込まずにいられない。これは舞台演劇風ということか。 ほか「占い客」(役名)の再登場の場面では、感謝するなら3万円くらい置いていけ、と言いたくなった。 終盤の占い師の場面も言葉でまとめ過ぎのように感じられる。目で見えるものは信用できないなどとは独り善がりな偏屈者の言いそうなことで、主人公も困惑気味の顔をしていたが、ただし物事には表に出た部分だけでなく必ず裏があるというか、背景事情を含めて全体像を掴めといえば一般的な教訓ではある(実際よく思う)。主人公もそのうち同じように思う機会があるかも知れない。 また「今を大事にする」というだけでは抽象的だが、未来を決めるのは現在だというのは当然といえる。ラストの雨は、未来が過去から現在の延長上にあるとも限らず、これから何が起こるか本当にわからないという意味なら悪くない。 そのほか宗教的なものに関しては、日本では頭ごなしに全否定する人々も多いと思うが、この映画はわりと柔軟な態度だったらしい。神の存在など当てにすべきものでもないが、悪いことを悪霊のせいにするよりなら、よかったことを神様のおかげと思うのは健全とはいえる。またキリスト教の聖書をまるごと受け入れろともいえないが、その時々で役に立つ/心に染みる言葉を抜き出してかみしめるのはいいかも知れない。 出演者については「劇団青年座」の役者が中心らしい。主演の山谷花純さん(エイベックス)は一人の人間のさまざまな様相を幅広くカバーしており、結構いろいろな顔が見られたが、特に黒縁メガネは新鮮だったかも知れない。 ちなみにどうでもいいことだが、劇中で印象的だったスカイツリーの見える場所は足立区ではなく、台東区浅草の言問橋の近くのようである。[DVD(邦画)] 6点(2021-03-20 14:53:41)《改行有》

242.  N.Y.マックスマン 《ネタバレ》 イケメンで固めた特撮変身ヒーロー物のようで(一応大人向け)、アメコミのヒーローが実体化したようなものらしい。同じシリーズの3作目だが、続編はなかったようなので三部作の最後ということになる。 初代と二代目のヒーローは東京で同じTV局に勤める兄弟という設定だが、今回の三代目はなぜかニューヨーク在住ということになっている。つまり題名の「N.Y.」とはアメリカのニューヨークのことで、冒頭では本物の空撮映像なども出ていたが、舞台挨拶によると撮影は全て東京の100m以内で収めたようなものらしい。実際見てもほとんどTV局の屋内で撮っている感じだった(テレビ朝日の中?)。 内容としてはヒーロー物ながらコメディ調で笑えるところもなくはない。またレギュラーで出ている悪者のせいで起きた事件の謎を、主人公の探偵が解明していくミステリー調の展開のようだったが、結局最後はありがちな結末で終わってしまう。敵が普通の人間なので、変身ヒーローとしての活躍があまりないのも不足感がある。 ただし終盤で、今回の主人公だけが持つ特殊能力が初めて明らかになり(ほとんど反則)、そこまでの間で不可解に見えた場面の真相を明らかにしていくのは少し意外で面白かった。どうせ安手のしょうもない映画だろうと思っていたが、いかにも低予算でTVドラマ風ながら、最終的な印象は意外に悪くなかった。 なお若手の顔ぶれを見ると、仮面ライダー/スーパー戦隊の出演経験者に出番を用意するための映画のようでもある。自分がこれを見たのは「手裏剣戦隊ニンニンジャー」(2015~2016)の「かすみ姉」(百地霞/モモニンジャー)が出ていたからで、この映画では印象の全く違う役どころだが、演者の山谷花純さんはもともとこういう感じの役が多い気がする。今回は「許さない」と「キモ」の表情が見どころか。 ちなみに二代目ヒーローの相手役の内田理央という人は今回も主要人物で出ているが、初代ヒーローの婚約者役である山本美月という人はほとんど見えなかった。またどうでもいいことだが、千葉雄大という役者はいつ見ても年齢不詳だ(この時点で28歳と本人が言っていた)。[DVD(邦画)] 6点(2021-03-13 20:22:33)《改行有》

243.  劇場版 動物戦隊ジュウオウジャーVSニンニンジャー 未来からのメッセージ from スーパー戦隊 《ネタバレ》 スーパー戦隊恒例の“VS”シリーズとのことで、その時点での現役戦隊(動物戦隊ジュウオウジャー)が前任戦隊(手裏剣戦隊ニンニンジャー)と共演し、そこに放送開始前の次の戦隊(宇宙戦隊キュウレンジャー)が予告的に姿を見せる形になっている。 また今回はスーパー戦隊シリーズ通算40作記念が謳われており(ジュウオウジャーが40番目)、ドラマ的にもここで戦隊の歴史が途切れそうになる状況をわざわざ作っておいてから、メンバー同士のつながりと、歴代戦隊の応援のおかげで未来につなぐことができたという形にしている。結果としては「スーパー戦隊恐るべし」ということで大変結構なことだった。 ニンニンジャーは今回ゲストの扱いだろうが、アカニンジャーとその息子と父親の3世代が揃って親子のつながりを見せつけるので、現役戦隊よりかえって強い印象を残していた。主役のはずのジュウオウジャーが荒唐無稽な忍術で振り回され気味に見えるところもあり、現役戦隊もまだいろいろ学ぶべきものがあるのだろうと思わせる。 なお序盤の段階で、次の日に死ぬ運命だった男に息子がいるのはなぜか、という疑問を持たされたままラストに至る映画だったが、最後に真相が明らかにされた場面では、本当にこんな話でいいのかと唖然とさせられた(あまりにいい加減)。しかしニンニンジャーの最後を飾った前回のFINAL WARS(2016)のあと、メンバーがそれぞれの道を歩み始めてからの後日談のようなものとすれば、その間に意外な事情の変化があっても不思議でないといえなくはない。それにしてもこのオチにはかなり呆れた。 主役のジュウオウジャーは前回のVS映画で姿を見たことがあるが、今回はトラの人が色っぽいのが目についた。サメの人は性格がきつそうな感じかと思ったら、女子だけ(スーツアクター)の場面では女の子っぽい動きを見せていたのが微笑ましい。 またニンニンジャーは人格的な軽さが目立つようだったが、この緩い感じがやはり結構心地よく、本放送開始から6年も経って今どきこのニンニンジャーが好きになって来た。個人的にはかすみ姉のファンだが、この人の出番としては「ずっとあなたのことを疑っていたんです」の微妙な表情が面白かったのと、「ナーイスです!」がかわいい。 ほか未来のアカニンジャーの子役はけっこう凛々しい顔を見せていた。父親よりよほどまともな人物に見える。[DVD(邦画)] 6点(2021-03-13 20:22:30)《改行有》

244.  ザ・ライフルマン 《ネタバレ》 ラトビアの作家アレクサンドルス・グリーンス(1895-1941)の小説を原作にした歴史映画である。原作者自身の従軍体験が反映されているそうだが、本人は第二次大戦時にソビエト政権に殺害されてこの本も禁書になっていたとのことで、それを作中の時代から100年後に初めて映画化したという意義があるらしい。 邦題の由来は、第一次世界大戦時のロシア帝国時代にラトビアで編成され、後にその多くがロシア赤軍に加わったラトビア・ライフル兵部隊(Latvian Riflemen / Latviešu strēlnieki)で、ソビエト時代の記念像が首都リガに建っている(むかし見たことがあるが今もあるらしい)。映画はバルト海に近いスロカ(Sloka、墓地と記念碑あり)での戦いに始まり、死の島(Nāves sala)、「クリスマスの戦い」(Christmas Battles / Ziemassvētku kaujas)、「ツェーシスの戦い」(Battle of Cēsis / Cēsu kaujas)の各戦闘を追っていく形になっている。 ストーリーとしては、母親をドイツ軍に殺された主人公がライフル兵部隊に志願してドイツと戦ったが、ロシア帝国には裏切られ、その後に参加した赤軍にも裏切られて、最後に加わった新編成のラトビア国軍で、真にラトビア人のために戦ったということになっている。歴史的には、終盤のツェーシスの戦い(1919年6月)でドイツ勢力を敗北させたことでラトビア(とエストニア)の独立が固まったらしいが、この映画で見る限り、亡霊の軍隊の加勢まで得てやっと勝てたかのような印象だった。 主人公はまだ16歳で従軍し、最初は軍隊に向いてないのではと思わせるところもあったが、最後は新生ラトビア軍の新兵のために、最前線で身をもって(OJTで)教官役を果たすまでになる。ラトビア国軍は「子供と脱走兵と難民※」の軍隊だと言われていた通り、本当に子どもばかりで痛々しく、志願者の母親が嘆いていたのも大変ごもっともなことだった。 ※字幕の「難民」は外国人ではなく、当初の主人公と同じように家を失った地元民の意味と思われる。 かなり悲惨な戦いだったが一応の事情をいえば、ラトビア人がまとまって作った国はそれまで存在したことがなく(エストニア人と一緒くたにドイツ人支配→ロシア支配)、この時初めてラトビアという国の枠組ができたのであり、その後の独立国の時代とソビエト連邦構成共和国の時代を経て、再び現在の独立国につながった元がこの時だったということである。ラトビアを愛する人々の立場では、こんな悲惨な戦争をしてまで作った国をこれからも大事に守っていこう、というのが本来の受取り方と思われる。 そうは思っても、さすがにこんなガキ連中に鉄砲を持たせるのはやめておけ、と言いたくはなったので、部外者としてどう思うべきか微妙な感じの映画ではあった。あるいはこの映画自体が、現代の普通の感覚を微妙に反映させておこうとしたのかとも思った。 具体的な場面としては、冬の戦闘では積雪はあまりないようだったが、敵陣の土盛りが凍結して滑るため、銃剣の先で足場を作っていたのは原作者の実体験かも知れない。またエンドロールの背景では、映画でも参考にした当時の写真が出ていたようで、この時代の記憶を映像として後世に伝える意味はあったらしい。ほかどうでもいいことだが、序盤で母親が主人公を撫でていたのは犬の扱いのようだった。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2021-03-06 11:45:24)《改行有》

245.  ゼロポイント 《ネタバレ》 高校生(男)を主人公にした若者向けの物語で、同名の原作小説がある。劇中高校は仮名だろうが原作者の母校がモデルのようで(Gustav Adolfi Gümnaasium)、原作者の実体験を反映しているらしいが、本人は映画公開後の2017年に32歳で死去したというのが悼まれる。 映像的にはわりと現代的であか抜けた感じで、登場人物の心理を明暗で表していたのはわかりやすい。題名は高層住宅の窓から身を乗り出した時点のことだと思えばいいか。 主人公はもともと家庭に問題があったのに加え、転入した学校では同級生に迫害され、さらに学校外でも踏んだり蹴ったりの目に遭わされるので、見ている方も嫌になって途中でやめたくなる。それでも我慢して見ていると、終盤に至って事態が次々好転していくのは都合良すぎだったが、そこにこの映画のメッセージが詰まっていたらしい。 まずは言うべきことを言って自分の意思を示すとともに、周囲に理解者を作ることが重要になる。一方で攻撃に対しては適切な反撃が必須であって、暴力に対しては実力行使で、悪意ある虚言には公明正大な反論で対抗するが、陰湿な相手には悪をもって悪を制する手もある。さらに違法なことには法的な対処もありうるるわけで、そのようにして自分の立場を確保することで、自分で自分を支える自信が持てるということだと思われる。 当初は学校内のいじめがテーマかと思ったが、最終的には今後の人生を賢く生きるにはどうするか、主に若年層向けの処世訓を語る映画のようになっていた。極めて真面目な映画で結構だったが、ただし最後の一言は言い過ぎかと思った。あるべき姿を示すというよりは、自分ならどうするかを考えるきっかけにするための映画かも知れない。 ほか「エリート学校」の実態(卒業生含む)などこんなものなので信用するな、という皮肉もあったように見える。また終盤で差別的な発言(恐らく現地感覚で最高度の)があったのは必然性が不明だったが、世界に蔓延するポリコレに対抗しようとする反骨精神の表れかと思ったりした。 登場人物に関しては、主人公が走ることで精神状態の更新を図っていたようなのはいい習慣かも知れない。また主人公の仇敵(嫌な顔だ)が、多数派工作で主人公を孤立させ攻撃を集中させようとした卑劣な行動は嫌悪するしかない(よくあることだが)。 ほかどうでもいいことだが、スウェーデン語のjagのgは発音しないことを思い知らされた。また字幕に関して、舞台になったエストニアの首都Tallinnは「タリン」と書くのが普通だろうが、字幕ではそのほか「タルリン」「タリーン」などと書いて一定しないのは間抜けな印象だった。翻訳ソフトにでもやらせたのか。[インターネット(字幕)] 6点(2021-02-27 11:12:39)《改行有》

246.  裸足の季節 《ネタバレ》 撮影地は黒海沿岸のイネボルİneboluという場所だそうで、山と海が近接する風光明媚な地方に見える。またこの映画の設定としては、同じ黒海沿岸でイスタンブールからさらに離れたトラブゾン(人口約15万)の近くだったらしい。ちなみにサッカーチームのトラブゾンスポルが、観客を女性と子どもに限定して試合をしたのは2014.4.27のことだそうである。 映画紹介では「古い慣習と封建的な思想」とか書いてあるので、どうせよくある社会批判の映画かと予想していたが、その割に序盤の海の場面を見ると、こんな風に女子と戯れるのは意外に自由度の高い社会ではないかと思った(男子としては羨ましい)。その後の若い連中の服装や行動など見ても、普通一般の自由世界とそれほど違うようでもなく、女性に対して社会全体が一様に抑圧的というよりは大都市と地方の違い、あるいは世代によるギャップがあるのではという気がした。 それにしてもこの映画に関していえば、特に叔父個人の問題という印象が強い。まだ義務教育の年齢だろうに学校にも行かせないのは間違っており、村の女子全員がサッカー観戦に行くのに姉妹が行けない理由もない。またこの叔父は、よくわからなかったが姉妹に性的虐待もしていたのか? 四女が「あんたのこと警察にバラしてやる」と言っていたが、バラせば本当に問題化するのならトルコ社会はまともだということだ。イスタンブールの教員が告発すれば無理に家に帰されなくて済む可能性もある。 そのようにいろいろ考えたが、結果的には社会がどうこういうよりも、まずはこの姉妹の心情に共感できるかが重要だったようでもある。個人的には特に共感できなかったので(年齢性別が違う)、単に中年独身スケベオヤジが少女を虐待する胸糞悪い映画になっていた。ちなみにモスクの尖塔はときどき見えていたが、イスラム教の厳格な戒律に縛られたようにも見えない世界だった。今後ともそういう面で適当な緩さのある社会であってもらえればいいのではと他国民ながら思っておく。 なお少し面白かったのは五女が、逃げるとすれば車に飛び乗って、普通はイスタンブールに行く、と言っていたところだった。首都アンカラでもなく、まずは大都会イスタンブールに憧れるのがトルコ人の感覚のようで、最後にバスがボスポラス海峡(多分)を渡るところの風景は感動的に見えた。美少女は寝ていても目糞がついたりしないらしい。 [2021/02/20追記] 字幕の「後ろでやる」の意味が不明瞭だったので最初は書かなかったが、無視できない気がして来たので一応書いておくと、まず新婚夫婦の最初の夜に大騒動が起きたのは、初婚時に性交渉の経験がないことを絶対視する風潮がいまだにあるという意味らしい。またそのような風潮があるために、「後ろでやる」のが独身男女の間で普通になっており、さらに「後ろでやる」ことが家庭内の性的暴力のハードルまで下げているとすれば、確かに独特で深刻な社会問題の告発になっている。 ほか個人的には、何となく地方(田舎)に対する蔑視感情が潜在している映画のようで軽く嫌悪を覚えた。大都会に行きさえすれば問題解決なのか。[インターネット(字幕)] 5点(2021-02-20 22:38:28)《改行有》

247.  アイアン・スカイ/第三帝国の逆襲 《ネタバレ》 シリーズ2作目になるが、今回もまたとりあえず作ってみた的なものができている。全編パロディで構成されているようなのが特色だろうが一生この作風で行くつもりなのか。 今回は宇宙戦争の場面は限定的で、代わりに地球空洞説とか恐竜とか実は全部が爬虫類型宇宙人のせいだったという趣向を盛り込んでいるが、映像的にはどこかで見たものを再現しているだけで新鮮味はない。物語としても、思い付きの設定をもとにして適当な流れを作っただけで、それ自体を面白がるほどのものにはなっていない(前回もそうだったかも知れない)。ちなみに前回のヒロインも出ていたはずだが、どこにいるのか最後までわからなかった…というか外部情報を見れば簡単にわかるわけだが、キャラクター性で記憶しているので役者が同じということ自体に意味はない。 前回と似た印象の場面として、人類史に破壊と堕落をもたらした古今東西の英雄が一堂に会する場面があり(夕飯かと思ったらその後に昼飯もあった)、チンギス・ハーンやKim Jong-Unといった偉人の姿も見えたが、アル中ケッコネンとかいう何だかわからないのを出すのは場違い感があった。有名人を茶化すだけで笑えると思うのは、精神年齢を低く抑えた制作姿勢が成功をもたらすとの確信があるらしい。 ラストの映像を見ると、次回は人工衛星スプートニクが破壊兵器として蘇って宇宙戦争を展開する映画と予想されるが全く期待しない。 ちなみにネット上の評価も割れていると思うが、どこまでも内輪受けを狙ったようなものにそのまま乗れる観客ならいいかも知れない。自分としては、前回は御祝儀っぽい感覚でそれなりの点を付けたが毎度同じことはできない。 そのほか、動物が可哀想な目に遭わされる場面が結構あったのはよろしくない。NOKIAもゾロトニクзолотник(4.266g)も面白くはなかったが、ルービックキューブの本当の意義が忘れられた世界というのは少し笑った。[インターネット(字幕)] 3点(2021-02-20 10:39:17)(良:1票) 《改行有》

248.  サマー・ヴェンデッタ 《ネタバレ》 森でキャンプをしていた若い男女が殺されていくタイプの映画である。一応は1960年にフィンランドで起こった「ボドム湖殺人事件」(未解決)を題材にしている。 実際の現場はそれほど人里離れた場所ではなく、首都ヘルシンキ近郊の行楽地のような場所らしいが、この映画では深い森の中ということになっている。映像的には湖水に面した岩塊のロケーションが印象的で、これこそフィンランドらしい景観と思ったが、実際の撮影地はエストニアだったという話もある。 時代に関しては、序盤で出た家庭の古臭さが昭和30年代の表現かと思っていると、実際はかなり年数が経った時点で事件を再現する形になっているのが後に判明する。ただし現代というよりは少し前の、携帯もカーナビもパワーウィンドウも?なかった時代と思うのが妥当ではないか。今でいえばリベンジポルノ(リベンジではないが)のような話題も出ていたが、ネット上の画像ではなく実物の写真のことだったと思われる。 登場人物4人が現場に行った動機としては「事件を再現して検証」するためだと説明されているが、そういう変な小理屈をいうよりも、日本でいえば若い連中が心霊スポットに行きたがるようなものと思えば簡単である。ただ実はそれほど単純でもなく、女子2人・男2人の共通目的とそれぞれ個別の思惑もあって結構複雑な状態になっている。 ストーリーの面では、実際の事件の真相に関する複数説を融合させたように見える。途中で意外な展開が2回あるが、1回目でどうなるかは何と予告編でネタバレしているので2回目が本番と思うしかない。しかし残念ながら1回目も2回目も真相がありきたりで驚きがなく現実味も感じられない。 どうも話の中身が軽く、またそもそもの事件も地元で有名なだけで、例えば津山三十人殺しほどのインパクトがあるわけでもない。映像面ではそれなりの映画に見えているので悪くはいえない気はするが、面白いともいえないので人には全く勧められない。 なお主人公の女子は地味な風貌に見えたが、実は意外に豊満な体型だったのがかなり目についた。ただしそれが目的で見るほどの映画ではなく、見れば途中で非常に気になるという程度のことである。これも無意味にエロいのではなく、厳格な父親との関係で意味があったのかも知れないがよくわからなかった。[DVD(字幕)] 3点(2021-02-20 10:37:53)《改行有》

249.  バニー・ザ・キラー 《ネタバレ》 発情したウサギ男が人々に襲いかかる映画である。 こういう設定でホラーの怖さなど期待するはずもないわけだが、グロ場面も撮り方のせいか半端に見えるところがある。コメディとしても大笑いするものではなくエロい場面もほとんどないが、それよりこの映画の本質は下品ということであって、既存のジャンルに当てはめるより下品映画とか下劣映画とか下賤映画とかいうカテゴリーを作った方がいい。 登場人物の人種・国籍(言語)・性的嗜好は多様なようだが、これは要は現地(撮影地は北東部のかなり田舎)でも旧来の秩序が失われたということの表現か。ウサギ男が男女関係なく襲っていたのは尋常とはいえないが、そのことを含めて一般常識の枠組みからの逸脱なり解放を表現したキャラクターということかも知れない。 一方で、片時も休まず年中発情している点では便所に籠っていた若い男も同じことである。しかし誰でも構わないわけでは決してなく、ちゃんとそれなりに見える(一見これがヒロインかと思う)相手に御執心だったわけで、この男こそがいわば人としての基本路線を体現した存在ともいえる。エンディング後の場面では、この男だけが修羅の地を脱して楽園に到達できたような印象もあり、ここで救われた気がした現地の観客も多かっただろうと思っておく。 ちなみに微妙なことだが、もしかしてフィンランド人は自国民よりスウェーデン人を高級(上物)と思っているのか?? 若い男が最初に目をつけたのが英語を話す外国人で、最後に受け入れられた相手が先住民だった??らしいのも意味ありげだが(原点回帰?)、どこまで深読みしようとしていいのかわからない。 そのようなことで、個人的には史上最低最悪のフィンランド映画は何かを探る気分で見ていたが、このくらいだとまだ最低ではないと思われる。 なお笑える場面は多くなかったが、ノコギリから始めていきなりボウガンができてしまい、それでいきなり変なものを撃ったのは少し笑った。一般にいう動物に危害を加えていません的な愛護精神も踏みにじっている(※造形物のため実際に虐待してはいない)。 ほか可笑しくはないが共感できたのが「最高のオッパイ」で、ここは中国人と価値観が一致していた。この点はキャスティングの上でも最重要だったはずで、最終的にはこの本物のヒロインが少し好きになった。[インターネット(字幕)] 2点(2021-02-20 10:26:18)《改行有》

250.  スペース・タイム 時空を超えた使命 《ネタバレ》 フィンランド映画ということで見た。邦題はともかくとして原題と英題は「運命の書」である。 時代の違う5つのエピソードからできているが、一貫して「運命の書」なるものが存在する時空間の物語である。役者についても主人公とヒロイン役は共通で、時代の違う人物が同じ運命線上にいることが表現されている。各エピソードは下のような構成で、一つの映画で各種ジャンルが楽しめるという趣向らしい。 Episodi 1「トランシルバニア 1773年」吸血鬼映画 Episodi 2「アリゾナ州 1883年」西部劇 Episodi 3「フィンランド カレリア地方 コッラー川 1939年」戦争映画(冬戦争)白黒 Episodi 4「フィンランド タンペレ市 2003年」スパイ映画またはアクション映画 Episodi 5「宇宙 2124年」SF映画またはスペースオペラ なお登場人物は全てフィンランド語を話している(宇宙人含む)が、西部劇でフィンランド語というのは外国人にとってはさすがに違和感があった。 最初のうちは一応真面目に見ていた(特に3は茶化すわけにはいかない)が、しかし4でシュワルツェネッガーが出たところでもうどうでもよくなった。5ではキャラ設定自体がコメディ調になり、どうせまともな宇宙モノなど作れないのをふざけてごまかした印象になっている。 結果的には軽薄なパロディ映画または各種分野の習作見本市のようだったが、それでも一応真面目に語るとすれば、運命はあらかじめ定められているようでも結局最後は本人の行いで決まるのだ、という意味に取れる。さらにいえば“終わりよければ全てよし”ともいえるが、しかしエンドロールの後に、幻の次回作の予告編が出たのを見て真面目に考えたこと自体がアホらしくなり、最初まで遡って全否定したくなった。この映画自体が終わりをぶち壊しにしている。 ちなみに原案は学生の作だったようで、それを映画にした脚本家と監督も若かったらしい。予算も十分ではなかったようで、そのため日本でいえば「カメラを止めるな!」(2018)と同じ感覚で好意的に受け止める向きもあったらしいが、難点を不問にするほどの才気は感じない。またフィンランド映画の流れでいえば、こういうバカ映画の延長上に後の「アイアン・スカイ」(2012)も位置付けられるのかと思わなくはないが、娯楽性の面でその域に達していない。一つ言いたいのはパロディそれ自体に価値はないということだ。 なお最後の女神さまのようなのは顔が神々しいので嫌いでない。最終的によかったのはここだけだった。[DVD(字幕)] 1点(2021-02-20 10:22:41)《改行有》

251.  ラストウォー1944 独ソ・フィンランド戦線 《ネタバレ》 原題・英題とも単に「助産師」の意味であるのにこういう邦題を付けるのはさすがに極端だが、自分としては邦題など最初から信用していないので実害はない。原作は人気小説とのことで、著者も脚本に参加しているので再現度は高いと思われる。 実際の内容は、要は戦時下のドイツ軍人とフィンランド人助産師の恋愛物語である。加えて主人公の職業との関連で、いわゆる生命の大切さといったことを訴えていたらしく、またナチス親衛隊が人体実験をしていたとか、この時期にドイツ軍人とフィンランド人の間にできた子を戦後社会が認知しなかったという告発系のネタも入れてある。ほかサーミの民俗を思わせる演出が目/耳につくが、現地の実態を示しているのか単なる映画的な場所性の表現なのかは不明である。 自分が見たところではどうやら観客を選ぶ映画のようで、“人間の尊厳”といっても差し支えない場面で、あえて「女性の尊厳」という台詞(字幕)にしていたあたりに選別の意図が感じられなくもない。また主人公の性格のせいもあって、恋人以外の全方位に敵意を向けているように見えるところがあり、当面自分は糾弾される覚えはないと思いながらも、とりあえず目を逸らして関係ない顔をしたくなる雰囲気が出ていた。ほか兵役逃れに寛容だったのは日本でいう反戦映画に通じるものがあり、どうせならそういう感じ(女性+怒り+反戦)の邦題を付ければ日本でもまともに売れたのではという気がする。 なお劇中では現地住民もナチスの圧迫下にあったような印象だったが、ちなみに当時のフィンランド共和国はナチス・ドイツと対ソ戦で共闘関係にあったのであって、一方的に占領されていたのではなかったはずである。しかしこの映画にとっては、ナチスもフィンランドもひっくるめて主人公を迫害する邪悪な勢力であるから、政府間の関係などはどうでもよかったのかも知れない。この面でも党派(地域)によっては日本国内で受けが良さそうである(勧めないが)。 そのほか、どうもこの映画では現地との関係が不明なものまで動員して、殊更にナチスの残虐性を強調したがっているように見える(「黒い太陽七三一」かと思った)。「バビ・ヤール」を出して来たのも唐突で必然性が感じられなかったが、ただ自分としてはこの事件が映画で扱われたのを今回初めて見た(一応の映像付き)。日本ではほとんどソ連の作曲家の曲名としてしか知られていないようでもあるが、その曲を聴いたことのある人なら何が起こったかは知っているはずであり、もう少し日本でも認知度が高まっていいのではという気がしている。ナチスは残虐だ(自分は違う)、というのでなく、人間というのは恐ろしいものだということである。[DVD(字幕)] 3点(2021-02-20 10:21:03)《改行有》

252.  こころに剣士を 《ネタバレ》 戦後にエストニアでフェンシングの指導をした人物の伝記物語のようなもので、年代は終盤の大会の時点で1953/2/25とされている。 フィンランドとエストニアの合作とのことで、監督はフィンランド人だが出演者は基本的にエストニア人らしい。言葉も基本的にはエストニア語で、ロシア人と話すときはロシア語だったように聞こえる。ちなみに言葉が何か聞き取れないかと頑張って聞いていたが、かろうじて“isa”というのがわかった程度だった(フィンランド語が話せればもっとわかるはずだが)。撮影は劇中のハープサルのほか基本的にエストニア国内だったらしい。 映画としては時間が短くシンプルでストレートなお話になっている。特に終盤はかなり都合のいい展開だが、実在の人物の業績を極端に圧縮するとこうなると思うしかない。物語の表現としてもわりと淡々とした感じで、かえって景観映像の方が雄弁に見えるところもあった。 印象的な場面としては、劇中の女性教員がいわば母親の立場だとすると(長い台詞を一気に吐き出していた)主人公がいわば父親の立場として、子どもらにしっかり伝えるべきものがあるという決意を見せたところだった。またラストの駅の場面では、主人公と女性教員を中心とした大きな家族ができていたように見えて和む。 登場人物では主人公の風貌やたたずまいが好印象だった。また補欠の少女の面構えが非常に良好で、基本的に我の強い頑固者のようでいながらいざとなると怖気づいていたのが可笑しい。これが極端に都合のいい展開の中でのささやかな波乱要因になっていた。 ほか余談になるが、屋台で物売りしていたおばちゃんのような人物はなぜかロシア語だったようで、庶民レベルでロシアの影響が浸透していたことの反映かと思われる(現在もロシア人はエストニアに多く住んでいる)。 また主人公の学校が「第2中学」だったのに対してレニングラードが「第148中学」、モスクワが「第117中学」だったのは圧倒的な人口規模の差を示していたようである。最後にうなだれていた少年には悪いが、小国エストニアの小都市ハープサルの弱小チームが大モスクワを下したのは正直痛快だった。ちなみに会場で用具を貸してくれたのは、エストニアとは別の連邦構成共和国であるアルメニアの代表だったようで、ハープサルの勝利を一緒に喜んでくれていた。[DVD(字幕)] 6点(2021-02-20 10:16:20)《改行有》

253.  アイアン・スカイ 《ネタバレ》 あまり期待しないで見たが、爆笑する場面が1か所ある(これは実在の国連加盟国に対する侮辱だ(笑))だけで、それほど笑える映画とは思えない。最近話題になる風刺画というものも、風刺しているのはわかるが笑えるようなものではないというイメージがあるが、それと似たような感覚である。 その風刺にしても、それほど辛辣な社会批判があるわけでもなく無責任なヨタ話にとどまっている。終盤で戦闘に参加していた国の顔ぶれを見た限りでは、世界大戦争の後に地球を支配するのはやはり中国ということか(巨大戦艦を温存していそうだ)。日本など基本的にはアメリカに追随するばかりと思われていたのだろうが、しかし国際社会に黙って武装船を作る程度の才覚のある国として扱われたのは少し嬉しい。また韓国が小型の宇宙艇(10隻)を出していたのは不自然で、所詮その程度の国と侮っていたのかも知れないが、実際は日本を下回らないサイズのものを作ろうとするはずである。フィンランドだけは一人でいい子のようにしていたが、どうせならここはひとつフィンランドが喜々としてナチスに加担する話を作ってもらいたかった。前回はそれで散々な目に遭ったわけだが。 正直ほめたくなるほど面白かったわけでもないが、しかし若手の皆さんが盛り上がって作ったものを一緒に喜んでやらないとノリの悪いオヤジだと糾弾されかねない時勢になっているので、あまり角が立たない程度の点数をつけておく。 なお個人的感覚としては、主役の女性の魅力が全編を支えている。この人だけは好きになってしまった。[ブルーレイ(字幕)] 4点(2021-02-20 10:10:52)(良:1票) 《改行有》

254.  ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像 《ネタバレ》 この監督の映画は3作目になる。美術商の映画としては、ほかに邦画の「嘘八百」(2017)と「文福茶釜」(2018)を見たことがあるが(両方とも関西の話)、それほどの殺伐感はこの映画にはない。ネット上のレビューを見ても評判のいい映画のようだったが、個人的には残念ながら同じように感じられなかった。 まず、老人と孫が出るからには世代間継承がテーマかとは思ったが、自分としてはその孫が全く信用できなかった。才覚があって行動力もあってモバイル機器が使えるにしても、それだけでは日本でいう転売ヤーのようになるだけではないか。このガキに後を任せたところで、うまくやれば1千万円台で売れる資産をゲットしたとしか思わないだろうが。 また、せっかくキリスト教の救世主が真顔で何か言いたげな様子を見せておきながら、「個人よりも全体」という言葉が結末に生かされないのは落胆した。自分のためより家族(子孫)のためというだけでは、富を一族で独占しようとする富豪や権力者と同じではないか。美術商という前提はあったにせよ、私利私欲を越えた公の価値が美術品にあるという認識に最後まで至らなかったのは非常に残念だ。 要は、例えば公共の美術館に匿名で寄付すればよかったわけで、店じまいを機に主人公が商売人の立場を捨てて、優れた芸術作品を公共の財産にしたというなら最後の仕事にふさわしい。それが主人公最後の自己変革となり、またその姿を見せれば孫の人格向上にも役立ったはずだが、そのようにできないのが商売人の性という意味なのか、あるいはそもそもフィンランドには公の観念がないということなのか。 ほか個別の点として、終盤の殴り込みはやりすぎだ。また死去は唐突だったが、「ヤコブへの手紙」(2009)ほどの必然性は感じられなかった。 [2021/2/20変更] この監督の映画だから、この国の映画だから誠意をもって見なければ、と思っていたのが馬鹿らしくなってきたのでやめにした。半端な感動を提供する薄っぺらいドラマだというのが正直な感想だったと書いておく。あるいは女性を苦しめる時代錯誤の老人はさっさと世を去れというメッセージとすれば文句はいえない。何にせよ点数は落とす。[DVD(字幕)] 3点(2021-02-20 09:40:28)《改行有》

255.  デス・レター 呪いの手紙 《ネタバレ》 大まかにいえばサスペンス調の展開が面白かった。主人公の男だけだと本人の精神状態の問題かという疑いが生じて読み取りが面倒になるが、都合よく好奇心旺盛で強気の刑事が相棒についてくれて客観性が保たれたので安心できる。また「本当の罪は、逃げたこと」というのも道徳的・教育的観点からは好印象で、ロシアにも普通に倫理や良心といったものがあるのだなと思わされた。ラストの巻き戻しは都合良すぎに見えたが、時間が前後すること自体は序盤から予告されていたので許容範囲ではあり、結構後味のいいエンディングになっていたのは悪くない。 また映像的には、ロシアといえば寒々している、という勝手なイメージそのままの寒色系の世界ながら、現代モスクワの都市景観が美しく映像化されており、壮麗な摩天楼群(「モスクワ・シティ」というらしい)と孤独な登場人物が対比されていたようだった。 問題点としては、どうも結果として統一感に欠けていた気がする。最初と最後はつながったようでもあるが、単純にわかりやすく感動的な「本当の罪」の部分は別系統の話だったのを、少々細工して付加しただけのように見える。 また納得感の得られない箇所も多い。例えば受取人の元夫は単なる連絡役のようだったが、そういう役職のようなものを置く必然性はあるのか、また配達人でもないのに呪われたのはなぜかといったことが不審な点として残る。また少女はいわば告発人らしいが、そのように都合よく罪人を発見する仕組みがあらかじめ準備されていたのかも疑問に思われる。そもそも配達人が手紙を見てしまうというのが何か宿命的なことのように捉えられていたのも不自然だった(18世紀の男は一応「金目の物」目当てだったと説明していたが)。 見る側のせいかも知れないが詰めが甘いようでもあり、それでも結局は後味のいいエンディングでごまかされた気がした。 その他細かい点では、主人公がパーティ会場前でタクシーを降りた時、車の窓に悪役の顔が映ったのは怖くはないが少し驚かされた。同じように序盤でPCのディスプレイに刑事の顔を映した場面もあり、こういうのが好きなのかも知れない。 またこの映画で特に忘れがたいのはその刑事が非常に魅力的に見えたことで、これで「女だったのか」などとは冗談でも言えない。この人のかわいい+きつい顔を最後にもう一度見ることができ、切ない感覚を残したのも後味のいいエンディングに貢献していた。[インターネット(字幕)] 6点(2021-02-06 11:17:53)《改行有》

256.  ゴースト・ブライド 《ネタバレ》 ロシア製のホラー映画で、同じ監督のものとしてはこの後の「黒人魚」(2018)も見たことがある。 まず特徴的なのは、写真を撮ると魂を吸い取られるという昔の俗信を使ったことである。日本でも同じ理由で写真を嫌う人々が昔はいたと思うが、劇中のロシアではこれを使って死者の魂を保存するという、いわばポジティブな発想になっている。その実行過程で、死者のまぶたに瞳を描くのは日本ではギャグにしかならないが、劇中の古そうな写真を見るとたしかに不気味ではある。 最初のうちは期待しながら見ていたが、どうも疑問点が多いのは問題だ。「銀板」に魂を定着させたのは近代科学の成果としても、生きたまま棺に入れるのは科学と無関係な別の伝統的呪法に見える。現代の儀式になるともう写真撮影は不要だったので、発端で保存の機能を果たしただけだったらしい。もともと「古代スラブ民族」の雰囲気を出した土俗ホラーだったところに近代的なネタを組み合わせたが、すり合わせが不十分なようでもあった。 また呪いが現代に伝わった過程について一応説明はあったようだが、個人的には最初の事件(19世紀前半か)と「曽祖父」「お母様」の関係がわかった気がせず、部屋に籠っていた「曾祖母」と出歩いていた白い婆は同じものかもわからなかった。そのほか何かと不明・不可解・不明瞭な点が多く、邦画でよくある独り善がりの難解ホラーのようだった。 そもそもあまり怖くもないが、白い婆の立ち姿などは悪くない。「目を閉じて息を止める」という対処法も悪くないので、そういう怪異との共存を日常的に強いられてきた家族の苦衷がもっとしっかり感じられるとよかった。なお花嫁に性交経験のないのが必須というのでは、現代ではいずれ破綻するのが目に見えていたわけだが、劇中家族の立場としては今回一応の決着がついたということらしい。 登場人物について、新婚の男の名前(Vanya)は字幕でなぜかヴァンヤと書いてあるが、カタカナ表記だとワーニャと書くのが普通である(イワンの愛称)。ちなみにナスチャはアナスタシアの愛称らしい。そのナスチャ役のヴィクトリア・アガラコヴァという人は、前記「黒人魚」でも主演しているが、この映画でも非常に可愛い表情を見せたりして好きになって来た(国内向けの宣伝写真は最悪だが)。[インターネット(字幕)] 5点(2021-02-06 11:17:51)《改行有》

257.  ビブリア古書堂の事件手帖 《ネタバレ》 原作は読んだことがあるが、作中に出る本を読みたくさせる小説として有名らしい。ちなみに自分としては「たんぽぽ娘」は読んだ(いかにも自分好み)。 場所設定としては原作・映画とも北鎌倉が中心で、加えてこの映画では鎌倉らしさの表現として切通しを見せている。ただエンドロールの撮影協力に常陸太田市と伊豆ばかりが見えたのは、地元の皆さんには申し訳ないが落胆要因だった。 物語としては原作1巻の1話から4話に直接つながる形で構成しており、原作が軽めに流していく感じなのをじっくり掘り下げたようではあるが、個人的には微妙な印象だった。昭和のメロドラマと平成の恋物語を並行させる形になっているが、本と引き合わせてくれた人との出会いという点が共通するだけで、話の性質は違っているので連関があるようにも感じない。太宰治を気取る「駄目な男」にも、太宰の言葉にかこつけて開き直る異常者にも当然ながら全く共感できない。 ただ意味的な面では、350万円で売れる本よりも、本を大事にする人を大事に思う人の心を大事にしたい、という結末だったらしいのは悪くない。平成の主人公男女が関係を深化させる過程も原作とは変えており、ラストで一気に「あなたが必要です」というのは唐突だったが、要はトラウマを解消させてくれた人物だったから、という理屈をつけたようではあった。 ほかメロドラマの男が長身なのは見た通りとして、主人公の母親役(神野三鈴)も意外に168cmとのことで、何気に遺伝的なつながりを表現していたらしい。また映画独自の点として、主人公の男が店を手伝う条件にしたのが読み聞かせだったのと、店でも絵本ばかり読んでいたらしいのは、子ども時代からやり直そうとしたという意味かも知れない。 登場人物に関して、原作の栞子さんは小柄でカワイイ系で巨乳気味の美女というアニメ向きキャラだが、この映画の黒木華という人は、演技でカバーしている(口元をかわいく見せている)とはいえ外見的に合っているかは何ともいえない。しかし原作ではライトノベル風のイラストに騙されていただけで、実物がいるとすれば本当はこんな人だったりするかも知れないとは思った。快活でなれなれしい妹(演・桃果)もいい感じだった。 また特に今回は(今回も)夏帆が見せる素朴な可愛さには見入ってしまったので、いろいろあるだろうが今後とも末永く活躍してもらいたい。[インターネット(邦画)] 5点(2021-01-30 14:28:17)《改行有》

258.  グーグーだって猫である 《ネタバレ》 原作も少し読んだ。題名の由来は、最近見た映画「ビブリア古書堂の事件手帖」(2018)で夏目漱石が出て来たところで初めて気づいた(遅い)。 映画は原作とかなり雰囲気が違っており、序盤ではネコと主人公が中心の世界に見えたが、特に小豆島の男が出て来てからはネコが脇に追いやられたようになる。芸人を入れてのギャグやドタバタが煩わしく、またスポンサーの宣伝や変な外国人など、何かと気の散る要素が多い映画になっている。 なお主人公は架空の名前だが、劇中の著作名を見れば原作者がモデルなのは明らかである。大病で手術したのは事実とはいえ、実在の人物をこのように扱った映画をみて原作者がどう思ったかは気になった。本人が納得していれば別にいいわけだが。 内容的には、まず序盤で前任のネコが口を半開きにして死んでいたのが悲しい。このネコは15歳まで生きたとのことで、終盤で出た人間体も15歳の演者(大後寿々花さん、1993年生まれ)にしたのは安易な発想かと思った。しかしネコと人は同じ時間を生きているわけではなく、ネコが先に年上になるというのは面白い表現で、そう言われてみると15歳の演者も年齢不詳のように見えて来た。 物語に関しては、避妊手術の罪悪感が根底にあるように見える。あからさまに書きにくいが、主人公は年齢的に最後というあたりで新しい出会いがあったと思って期待していたところ、突然の手術で望みが断たれてしまい、自分がネコにした仕打ちを改めて思わされたのではないか。しかし前任ネコが夢に出て、恨み言をいうでもなく、以前のように心を癒してくれたので安心できたと思われる。主人公がもう終わりだと思ったその先へ、背中を押してくれる形になったらしい。 結果的には題名のネコより前任ネコの存在感が大きかったが、ほかに原作者の「8月に生まれる子供」という著作も重要だったらしい。自分にはよくわからないが、題名の原作を超えて作家の作品世界を表現する意図があったようではある。 そのほか吉祥寺の街の紹介が変にしつこいので、それ自体が製作目的の一部だったと思うしかない。「ネコの街」といわれた台東区谷中とは別に、吉祥寺では「人と猫が共生する街」として、2011年から毎年「吉祥寺ねこ祭り」というイベントをやっているらしい。別にこの映画が発端というわけでもないようだが、2015年の「吉祥寺にゃんこ映画祭」では当然のようにこの映画も上映されたようだった。[インターネット(邦画)] 5点(2021-01-30 14:28:13)《改行有》

259.  ハイサイゾンビ 《ネタバレ》 沖縄の映像関係者が地元で撮ったホラーである。場所はかつてコザ市と呼ばれた沖縄市だが、今も中心街はコザというらしく、「コザ花園(かえん)」の看板とか「ゴヤ中央市場」の表示が見えたのがご当地感を出している。ちなみに「ゴヤ」とは、米軍のキャンプ・コザが置かれる前からあった「胡屋」という地名を残しているものらしい。 市や観光協会も協力している地元PR映画だが、最初の公園だけが明るい雰囲気で、市街地に入ると人もいなくてゾンビばかりの寂しい街ということが印象づけられてしまう。しかし商店街がゾンビであふれかえる場面がかつての賑わいを想像させ(そういう意図か?)、また横丁のような所でエロいゾンビが登場して(「踊るゾンビ」演・水井真希)男ゾンビの股間に何気に触っていたりしたのは、こういう風俗面でも栄えた過去を偲ばせるものがあった(そういう意図か?)。 内容的には「カメラを止めるな」(2017)と比較されているが(制作年はこっちが早い)、別にワンカットで撮っているわけではなく、映画撮影中に本物のゾンビが現れたという設定が共通している。一応は本物のホラーだがコメディ色が強く、人がゾンビにやられて血が飛んで、登場人物の衣服が(レフ板も)どんどん真っ赤になっていくのは笑ってしまう。とにかく血が飛ぶ映画という印象だった。 物語としては、崩壊の兆しが見えた自主映画制作グループが、千載一遇の機会を得て再び映画への情熱を燃やす話になっている。人でなくなってもなお映画を撮ろうとする(生きようとする?)執念を描いており、最後はいわばゾンビの、ゾンビによる、ゾンビのための映画になってしまったかと思ったが、一応は人間ドラマとして、いわゆる映画愛のようなものも感じられた。いかに低予算に見えても嫌いになれない/好きにさせられるという点でもカメ止めに近いかも知れない。 キャストはみな沖縄在住の人々のようで、当然ながら地元市民もエキストラとして大挙出演している。劇中劇のヒロイン役の人(演・川満彩杏)がなかなか可愛いと思ったが、途中でいったん退場してしまったのは残念だ。この人がゾンビに噛まれて意識が薄れていく表情は好きだ(少し惚れた)。[インターネット(邦画)] 6点(2021-01-23 08:59:12)《改行有》

260.  恐怖と戦慄の美女<TVM> 《ネタバレ》 原題によれば恐怖の3部作である。邦題の美女とは3部作全てで主演しているカレン・ブラックという人のことで、原作は全て作家のリチャード・マシスン(地球最後の男/アイ・アム・レジェンドなど)である。 以下個別に書く。 【ジュリー】 外見は地味だが中身は違うと妄想するとか、隠されたものを自分は見抜けると思い上がってしっぺ返しをくらう話とすればわからなくはないが、ドラマとしての展開が唐突過ぎて説明不足である。序盤のわざとらしいチラ見せはいいとして、ほかに何か変な超能力でも使ったということなのか。アメリカ社会に隠れ住む魔物(witchか吸血鬼か)の魔力のせいだとすれば単純なヒトコワ系でもないのかも知れない。 【ミリセントとテレーズ】 オチが早いうちにわかってしまうが、結末に呪いが絡んで来るのが若干の工夫か。相手の持ち物を人形に入れて針を刺す、というのは日本でも親しまれている手法と思ったら、もとはブードゥーの魔術ということらしい。個人的には妹の容姿に嫌悪を催した(近場にいる実在の人物を思い出した)ので、妹を嫌う姉の気持ちはわかったとはいえる。ただし26歳というのは無理があるのではないか(演者は当時35歳)。 【アメリア】 呪いの人形が襲って来るだけの話で、最後がどうなるかは宣伝写真で思い切りネタバレしている。人形は顔にインパクトがあるが、骨董屋で発見したというには小奇麗な造形物だった。国内向け解説ではこれもブードゥーの呪いと書いてあるが、ズーニ族というのは実在のアメリカ先住民ではないか(民族差別だ)。ドラマ的には母娘の関係破綻というのはわかるとして、最後が何でこうなるかは不明だった。主人公は人形を気に入って何気に抱っこしたりしていたので、最初からそういう素質はあったらしい。 前の2つは最後のオチで勝負の小話だが、現世的な怖さだけでなく、超自然的な要素が微妙に入っているのが半端な感じだった。また最終話は「チャイルド・プレイ」という映画の元ネタかと噂になっているようで、これがこの3部作の最大の見所になっているらしい。 主演の人が地味だったり凶悪だったり様々な顔を見せるという企画だったようだが、個人的にはあまり好きになれない3部作だった。昔のTVドラマということもあるだろうが少々かったるい印象である。主演の人も外見的に好みでない。[DVD(字幕)] 4点(2021-01-23 08:59:09)《改行有》

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