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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 407
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 55歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

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261.  ホテル・ニューハンプシャー 「ホテルニューハンプシャー」とは喪失の物語である。家族、或いは父親が真っ当な存在としてのあり方を模索しながらも、結局はそれが永遠に失われてしまったことが語られているのだ。熊とは正にその真っ当さの象徴だったのではないか。この物語の中で、本物の熊が冒頭で殺されてしまうのは、家族としての真っ当さの死を象徴しているのだろう。そして、擬似の熊はその喪失の代替的な役割を担っており、彼らが常に失われたものへの快復を切実に求めていることの証しなのである。父親はその失われたものを快復しようとホテルニューハンプシャーの経営を始めるが、家族はそれぞれに不具を抱えており、さらに新たな喪失にも見舞われてしまう。彼らは、それでも家族としての或いは生きていくことの真っ当さを求めることを諦めず、喪失感の中で彷徨<その象徴がウィーンであろう>し続けるが、結局のところ、彼らは何処に辿りついたのだろうか。もちろん何処にも辿りつかない。村上春樹の小説「回転木馬のデッドヒート」の有名なプロローグは、その現代的な喪失感を的確に表現している。「我々が意志と称するある種の内在的な力の圧倒的に多くの部分は、その発生と同時に失われてしまっているのに、我々はそれを認めることができず、その空白が我々の人生の様々な位相に奇妙で不自然な歪みをもたらすのだ。」 この映画<或いは小説>は、僕らにこう考えることを教えてくれる。それは一種の方法論として。それでも、僕らは意志し、生きていく。それしかないのだと。10点(2004-02-28 23:46:35)

262.  地獄に堕ちた勇者ども ドストエフスキーの「悪霊」をモチーフにしたであろうヴィスコンティの傑作。特にマーチンの人物造詣と親衛隊による突撃隊殺戮劇「血の粛清」シーンは白眉だろう。分厚い制服を着た男達が、乱痴気騒ぎのパーティーで酔い潰れた裸同然の同類達を一斉に射殺する。迫りくる映像に僕らは完全に宙吊りにされるしかなかった。同類による同類の粛清という震撼すべき絶対的空疎。それは退廃した様式とイデオロギーという悪霊に一直線に繋がっている。悪霊とは何か?ここでマーチンよって語られる「スタブローギンの告白」は、ナチスという悪霊に憑かれることの危うくも美しい幸福感を見事に描いている。神の黄昏として表現される巨大な空疎⇒退廃。それは地獄の入口でもあるのだ。ナチスやソ連が滅んだ今でも、そのモチーフ、現代的意味は全く死んでいない。この映画を観たのは15年も前であるが、その内容を思い出すに付け、それは麗らかな春の昼間に朧見る悪夢に似ている。ぞっとして跳び起きた瞬間、まるで其処こそが地獄の入口であるかのように感じるのだ。8点(2004-02-22 15:22:17)

263.  クリエイター 地方では他の有名な作品と同時上映だった。それが何かは思い出せない。。。<何だったかな?> まぁこれが観たくて映画館に足を運んだわけではなかったのだ。ただ予想に反して、この映画が語る愛と再生の物語には、当時、単純に感動したものだ。特にヴィンセント・スパーノが爽やかな印象を残す。彼が恋人となる女性と出会うシーンやその後の甘い生活ぶりは、少年だった僕に恋愛に対する憧れを抱かせるのに十分だったし、その彼女が死の淵から生還するシーンの切実さにも結構泣かせるものがあった。<実際、泣いちゃったよ> この映画を観たのはもう20年前。。。あの頃と同じ思いでこの作品を観れるかどうか、再見するのがとても怖い映画でもある。8点(2004-02-22 11:15:45)

264.  ザ・ビーチボーイズ/アン・アメリカン・バンド ブライアン・ウィルソンがブルース・ブラザースと夢の共演を果たしている。それだけでも一見の価値あり。但し、歌の共演ではないが^^; ビーチボーイズに関しては、ちょっとこの場だけで語りつくすことはできない。ただビーチボーイズの偉大さを知る上でもとにかく観て欲しい作品だ。初期のサーフィン/ホットロッドの時代からブライアンの才能溢れる「ペットサウンド」の時代、伝説の「スマイル」製作風景とブライアンがドラッグに溺れていく様、ブラザース時代である不遇の70年代初期とブライアンの復活、そしてデニスの死。まさに原題のごとく一つのアメリカンバンドの歴史を追いながら、それはまさしくポップ&ロックの歴史そのものでもあるのだ。80年代のレーガノミクスの時代、ビーチボーイズがアメリカンロックの象徴として建国記念コンサートに招かれたのは当然といえば当然であるが、不遇の時代にヨーロッパでは認められながらもアメリカから見放され続けた彼らが実際どう思っていたのかは分からない。まぁとにかくビーチボーイズを知るための入門映画として、お薦めの一品である。僕としては、デニスが歌う「You are so beautiful」がとても印象に残っている。ブライアンとカールの入れ替わるPVも暗示的だったな。 そしてトリップ状態のブライアンがソロで歌う「Surf's up」・・・美しくも哀しい。10点(2004-02-22 11:10:11)(良:1票)

265.  ベイビー・イッツ・ユー 「クリエイター」と「グッドモーニング・バビロン」を観て以来、ヴィンセント・スパーノという役者は僕にとってちょっと気になる存在だった。そんな彼の初主演映画がこれ。残念ながら観たのがもう15年以上前なのであまりストーリーは覚えていないけど、ヴィンセントがシナトラに憧れて誰もいないキャバレーのステージで「夜のストレンジャー」を歌うシーンは印象に残っている。良家のお嬢様だった若きロザンナ・アークェットが次第にヒッピーかぶれになっていく様も印象的だ。どちらも切なく痛々しい。7点(2004-02-21 23:56:35)

266.  東京兄妹 一見すると淡々としていて、ある種、客観的な映像に思えるかもしれない。しかし、ほんのさりげない仕草が画面の空気に微妙な色合いを与えているのが分かるだろうか。そんな登場人物たちの僅かに揺れ動く情動が、僕らの心の澱にもささやかな波紋を広がらせるのである。簡単に言えば、、、なんかミョーにしみじみしちゃうんだよなぁ。10点(2004-02-17 23:58:32)

267.  ワイルドバンチ 今や伝説となったラストの殺戮シーン。数年ぶりにこの映画を観て、改めてここに描かれる男達の生き様死に様の美しさに感嘆の念を禁じえなかった。男達の自死を賭した大量殺戮は、如何なる理由で描かれなければならなかったのか。彼らは仲間への友情の為に殺すのか。それとも自らのプライドの為か。ゴモラの火の如く、ラプラスの悪魔の如く、一切の妥協も躊躇いも排したあの殺戮シーンの美しさは一体何であろうか。僕はこの映画に失われた予定調和を見る。強烈なメランコリーの発露として、男達のちっぽけな信念に裏打ちされた運命そのものを見るのである。行き場のない狂気は、ただ生死の意味のみに執着し、その行為は、神の裁きの如き美しさを放ち、瞬時に一切を無に帰す。刹那に放たれた至上の輝き。その美しさ、その哀しみ。その根源性は、僕らの胸を強烈に打ち奮わせるのである。10点(2004-02-17 23:40:19)

268.  東京夜曲 とても静かでいい映画です。静かだけど、揺れのある、振幅は狭いけれど、たえず微かに揺れている、そんな映画です。出ている人達は何故か皆な照れていて?!、とても微妙な表情をしている。(僕には生き生きして見えるんだなぁ。これが。) そんな微妙さの中に様々な情動が見え隠れして、それがなんとも言えないリアルな色気を感じさせるのです。結構ぐっときます。桃井かおりに長塚京三、そして倍賞美津子、キャスティングも秀逸。「東京兄妹」もよかったけど、こっちもかなりいいですね。10点(2004-02-14 01:21:12)

269.  ビッグ・ウェンズデー 「ビッグ・ウェンズデー」を観たのは大学生の頃だった。青春というのは終わるものだ。若く、輝かしい、最高の時。終わってしまう。それは確実に。この映画に描かれる青春に対する強烈なノスタルジーは、大人になることへのアンビバレンツな感傷としてビッグ・ウェンズデーという伝説に象徴的に集約されていた。しかし、それはあくまで幻想である。決別すべき幻想。もちろん、そこに答えはない。やがて笛が鳴り僕らの青春が終わる、、、本当だろうか。ノスタルジーはメランコリーの水脈となり、僕らの心にいまだ澱のように漂っている。その発露もなく。8点(2004-02-08 23:26:29)

270.  恋人までの距離(ディスタンス) 旅と恋愛とは似ている。その本質は期待すること。そんな可能性を改めて認識させてくれる映画だった。旅が終われば、今、この瞬間の恋は終わってしまうのか。でも、それでも。。。この映画、舞台設定もなかなかよく出来ているが、日常を超えた些細な可能性について、その高揚と不安をよく描いていると思う。誠実さがさりげなく光る恋愛映画の佳作。8点(2004-02-08 22:47:15)

271.  プロジェクトA 僕らの世代はやっぱりジャッキーチェンです。あの頃、ジャッキーチェンの映画は欠かさずに観てましたね。で、ジャッキーチェンの代表作といったら、やっぱりこれ<と「酔拳」>でしょう。これまでのカンフーアクションから、独創的なスタントの世界へと飛躍した彼の記念碑的な作品。サモハン、ユンピョウとのトリオも最高です。ギャグもアクションも冴えに冴えていました。アイディア溢れる格闘シーンと体を張ったアクションの数々。素晴らしいですねー。ジャッキー全盛期の大傑作映画でしょう。今のハリウッドスタイルのアクション映画を観ると、つくづくジャッキーチェンの偉大さを身に沁みて感じる今日この頃です。10点(2004-01-31 00:42:37)

272.  五福星 最高に面白い映画。サモハン一味のギャグだけじゃない。アクションも素晴らしい。特にジャッキー・チェンのローラー・スケートのシーンはかなりきてます。彼の一連のスタントの中でも衝撃度は1,2を争うんじゃないかな。あと、個人的には香港仲良組の中で、チンケとハンサムが特に笑えたなぁ。とにかく、こんなに笑えた映画はないね。といっても観たのは20年前だけど。10点(2004-01-31 00:20:09)

273.  15ミニッツ TVで流れていたので何気なく観ていて、もしや?まさか?と思っていたけど、最後のクレジットで確認したら、本当にそうだった。オレッグ・タクタロフ! いやー、こんなところにいたとはー;最近見ないと思ったら、いつの間に役者になったんだ? それだけが気になる。6点(2004-01-30 23:29:40)

274.  死の接吻(1991) 小説のネタバレにはならないので言っちゃいますけど、この映画の原作は叙述トリック(というかフーダニットかな?)の名作です。皆さんいろいろと書かれていますが、おそらくこの映画を手に取った動機というは、「ほんとに映画化できるのかよー、どれどれ。。。」と言ったところではないでしょうか。僕もそうでした。<我らがマットとショーンの共演というのも理由のひとつですが。。。> 実際に観たのはもう10年くらい前になるので、いまいち記憶もあいまいなのですが、僕の印象としてはそれほど悪くはなかった、というところです。実際、原作の一部叙述を無視すれば映画化も可能なのだなぁと感心したものです。双子っていうことで丸ごとごそっと抜けているところもまぁ仕方ないかなと。<それが大事なところで、だからダメなんだという話もあるけど;> 叙述トリックのミステリーと言えば、クリスティのあの作品やアイリッシュのあの作品がありますよね。でも叙述トリックは日本の方にも名作が多く、筒井康隆のあの作品とか、綾辻行人のあの作品やあの作品とか、我孫子武丸のあの作品とか、去年の話題になったあのミステリーもありますねぇ。まぁいろいろありますけど、日本の名作ということで左記に挙げた作品は絶対映画化できない!でしょうね。これは断言できます。。。といっても何がなんだかよく分からないか;7点(2004-01-26 01:00:57)

275.  飢餓海峡 中学生の頃に原作を読み、酌婦八重の情の深さに涙した。以来、水上勉の薄幸の娼婦を扱った小説をいくつか読んだが、「飢餓海峡」の杉戸八重が僕にとってのNo.1であることは変わらなかった。<ある意味で僕の女性観に決定的な影響を与えたといっても過言ではないかもしれない> 映画を観たのはちょっと先の話。イメージというのは恐いもので、左幸子もそれなりにがんばっていたが、ちょっと狂信的な感じが立ちすぎて、僕の八重のイメージとは違うし、原作をかなり端折った<東京での八重の暮らしぶりとか>途中の展開にもすんなり入っていけなかった。原作と映画の関係というのは難しい。映画だけ観れば、この作品が名作であることに全く異論はないが、原作に感動し、そのイメージが出来上がってしまうと、原作に忠実な映画というのは、作品の単なる短縮版のような感じがしてしまうのである。<長編小説の場合は特に> 作品として完成されたもの同士を同列に観てしまうとそうなってしまうのかな。正直言って、こればっかりは仕方がないことかもしれない。ただ、映画ということで敢えて言えば、画面から漂う雰囲気がとても切なく、伴淳の名演もあって、期待以上に見応えがあったことは間違いない。9点(2004-01-25 18:48:24)(良:1票)

276.  グッバイガール とても見応えのあるロマンティックコメディでした。バスルームでお互いの気持ちを確かめ合うシーンはとてもロマンティックと呼べるものではなかったけどね;; 相手をだんだんと好きなっていく過程がちょっとお約束すぎるけど、そこに華やかさがない代わりに恋愛感情に通底するお互いの自信のなさが微妙なリアルさを醸し出しています。この物語、マーシャ・メイスンの側からみてもかなり切ないお話ですが、ドレイフィスの側からも微妙な味わいがあります。男もいろいろと大変だなぁ、っていうが素直な感想。でも、あのグッバイがこの物語のハッピーエンドであって、彼らの本当のスターティング・オーバーだって思いたいですね。8点(2004-01-25 18:37:12)(良:1票)

277.  エンジェル・アット・マイ・テーブル 映像の美しさが叙情的である。情念的と言った方がよいか。そもそも美しさとは鑑賞者の叙情性を通した絶対的、内面的な受け取りである。この映画の内面世界そのもののような映像は、立ちのぼる詩情のバイブレーションとして、僕らの胸を奮わせる。「天使が通る」その微妙な空間の亀裂。エンジェルに誘われるようにして、詩情の世界にいそしむ主人公を周囲の人間が理解できないのは哀しいことかもしれない。でも本当に哀しいのは、実は周りの人間なのである。ある意味で悲劇的なのは、そういう僕らなのだと言えないだろうか。9点(2004-01-24 13:24:42)

278.  クレイマー、クレイマー 凡そ中学生くらいの頃にこの映画を観たときは、シングルファーザーどころか、離婚やら裁判やら失業やら、この物語で描かれるそういった家族や生活のあり方に全く現実感を抱けなかった。もちろん僕自身も若かったし、当時は安定した家族や生活というものに当たり前のような信頼をおいていたから、それはそれでとても自然な感想だったのだと思う。あれから20年、日本の現実は、この物語さえも普通の、いや過去の物語に変えてしまった。そして僕は大人になり、主人公と同じ運命を辿ることになる。この映画のハッピーエンディングが如何にポジティブな家族愛に満ちていたかをしみじみと感じる今日この頃である。8点(2004-01-24 02:57:05)(良:1票)

279.  キャリー(1976) この映画の何がいいって、やっぱりナンシー・アレンとジョン・トラボルタのアーパーカップルでしょう。ナンシー・アレンのいやらしさムンムンの表情は、とっても可愛らしかったなぁ。それに対比するエイミー・アービングとウィリアム・カットの端正さもいい。ウィリアム・カットの微笑は、典型的な好青年って感じの能天気さがうまく表現されていました。この映画は、デパルマ特有の印象的な映像によって綴られた、若く儚いティーンエイジのいかがわしくも美しいエッセンスがむっちりと詰まった青春映画なのです。もちろん、キャリーことシシー・スペイシックの美醜が入れ替わる容姿と状況によって左右される感情の有り様も僕らに青春の仄かな辛苦を感じさせます。冒頭のシャワーシーンの大らかなエロスもとても印象的でした。基本的には原作ホラーの物語部分に忠実ながら、デパルマはこの作品を青春映画の傑作へと昇華させました。お見事!。。。とあまり大きな声で言えないけれど、それがまた、この監督作品のマニアック的な魅力ですね^^;青春映画の典型にホラー要素をふんだんに持ち込むことによって、青春という地平に新たなバイブレーションを起こさせた作品ということもできます。そして、改めて言うまでもなく、この作品はホラー映画の佳作であるとともに青春映画の傑作なのです。 10点(2004-01-11 18:29:02)(良:2票)

280.  カッコーの巣の上で プログラム化された精神病棟は、メタフォリックな意味での現代社会を表している。精神病患者としてボランタリーに日常を封じ込めた人たちが集う静謐な世界。それは、共同体の失われた現代において、一種の非日常的な日常空間でもあるだろう。<大江健三郎の「他人の足」と同じ世界か。> この世界にトリックスターたる存在として、ジャク・ニコルソン演じるマクマーフィが投げ込まれる。彼は、予測不可能な行動を繰り返すことによって、他の精神病患者たちを戸惑わせると同時に大いに惹きつける、外の世界の魅力をプンプンさせる実に人間くさいキャラクターなのだ。この作品の主人公は、精神病棟そのものである。マクマーフィのある種のヒューマニズムによって掻き乱される閉鎖世界。世界は風穴をあけられ、人々はこころを取り戻すかと思われた、が、最終的にマクマーフィの人間性が剥奪されることにより、世界は元の閉鎖状態に戻ってしまう、ように見える。しかし、ここに到って内部の人間チーフの選択が浮かび上がってくるのである。<ある意味でこのチーフこそ、本来的な主人公ではないかとも感じる> チーフは、既に人間性を奪われたマクマーフィの息を止めることによって、彼の幻影を消失させ、世界から跳び出すことを選ぶ。そして、それ以外の者たちは、そのチーフの姿に改めてマクマーフィの幻影を追うのである。この映画の印象的なラストシーンは、僕らに突きつけられた「人間としての可能性」に対する問いだと言えるのではないか。僕にはそう感じられた。断絶した世界の中で、”生きていく”可能性とは、一体どういうことなのか? それは、とても切実な問いである。 10点(2004-01-03 23:57:23)(良:3票)

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