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プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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261.  パラノイアック 《ネタバレ》 「青鬼」「デスフォレスト」に続くフリーホラーゲーム第3弾とのことで、廃墟に侵入した若い連中が逃げ回って殺されていく展開になる。基本的には心霊系だろうが、「怪物」も出るのはもとのゲームに由来するものか。見る人が見れば怖いのかも知れないが、個人的にはやかましいだけのホラーだった。 特徴としては基本的にPOVであり、冒頭の自宅の場面からして劇中カメラで撮られている。また主人公グループ3人だけでなく、別のグループ3人(緑)が同様に逃げ回るのと並行する形で作ってある。ほかクラシックの著名な曲が使われており、映画の章立ても第一~第三楽章にしていたが、どういう効果を狙ったのかわからない。ホラー向けに作った曲ではないはずだ。 なお序盤で窓ガラス越しに怪しい人影が一瞬見えた場面があったが、その手の趣向はそこしか気づかなかった。 【以下個人的解釈】 題名のparanoiaとはどういうものか知らないが、少なくともこの映画では、要は強い妄想があるという意味らしい。廃墟で主人公が体験したことのほとんどが妄想だったと思えなくもないが、しかしビデオ撮りしているからには客観映像のはずだと解釈すれば、筋の通らないことは全て妄想のせいともいえない。死人が生き返ったりするのはゲームというものの性質上かも知れないが、まともな理由など考えても仕方ないという気もする(「ソラリスの陽のもとに」と関係あるかは不明、読んでない)。 それより主人公の主な妄想は、姉らしき人物(肩書付きのテロップが出ない)を「お母さん」だと思い込んでいたことのようで、これは叔母がクマを息子と思っていたのと同じということになる。その姉は、叔母がされていたのと同様の「経過観察」をしながら妹を世話してきたが、実は叔母と同じように破滅してしまえと願ったりしているのではないか。 本来この姉は問題ない人なのだろうが、上の階のピアノに怒るとかコップの縁をいちいち拭くのは神経質なようでもあり、また終盤で恨み言を劇団員風に述べるとか、凄惨な死体の傍らにあったカメラを冷静に拾うなどはもう変になっていたようでもある。最後の赤い空の場面でもなお妹を経過観察していたようだが、その光景をまた誰かが経過観察していたのかも知れない。 細かく考えようとすると面倒臭いホラーであり、結果として面白いともいえないが、それなりの企みはあったようなのであまり低い点にはしない。なお主演の小西キスという人(けっこう熱演)は、漢字であれば小西鱚と書けないこともないと今回思った。もう一つのグループの女子(奥田安沙)役は朝見心という人である(京都府出身とのこと)。[DVD(邦画)] 5点(2021-01-09 13:56:44)《改行有》

262.  奇々怪々譚 醒めない悪夢の物語 《ネタバレ》 全8話のオムニバスホラーである。以下個別に書く。 ①年取ってこうなったら怖いかとは思った。物悲しい。 ②オチ付きの小噺。ヒトコワ系だけかと思っていたら違った。 ③東京の安い一軒家は事故物件だろうという安易な予想が覆される。集合住宅に住めない理由はそれだったかと納得させるオチ。怪しい声がいい。 ④ラストは面白くないがそれほど悪くない。確かに、ユーズド商品として売っている古本など、こういう経過で市場に出たものではないかと思うことはあった。 ⑤第5話に至って初めて女性の俳優が出る。私事になるが、実は女性専用とされる掲示板サイトを時々見ることがあり(書いてはいない)、そこで「生霊を飛ばす」という表現が時々使われるので、そういう話かと思ったがそうでもない。その女性専用サイトには明らかに男が入り込んでいて嫌われているが(おれは書かない)、わざわざ女子だけの中へ紛れ込もうとする男の心情に通じるもののあるオチかとは思った。ただし面白くはない。 ⑥コーヒーを含めた総称として「お茶」ということは自分もあるので、その点だけは彼氏に共感した。それより彼女が発言しようとする顔に結構注目してしまう。表情に影が差していたのが輝きに転じるのもいい。これは結構好きだ。 ⑦川ゾンビと川テトラポッドと川河童(普通に河童)が語られる。何を探しているかわからない男が出たので、むかし読んだ夢に関わる非常に嫌な感じの怪談を思い出したがそれとは違っていた。二段階のひっくり返しは悪くなく、「めっちゃ恥ずかしい」の隣で時が止まったような男の顔も悪くない。これもいい方。 ⑧普通に怪談。 見ていると変な方向に発想が飛ぶが、結果的には違っていたという感じの意外性はある。また音の使い方が特徴的と思うところもある。いかにも低予算だが面白いところもあり、時々ある低劣オムニバスホラーよりはよかった。 なお各話冒頭の「こんな悪夢を見た」は、どちらかというと夏目漱石「夢十夜」の「こんな夢を見た」から直接取ったものではないかと思った(8話しかないが)。最初から夢オチ宣言かと思ったが、副題で「醒めない」とすることで現実との連続性を確保する微妙な戦術らしい。[インターネット(邦画)] 5点(2021-01-09 13:54:13)《改行有》

263.  この世界の(さらにいくつもの)片隅に 《ネタバレ》 原作との関係ではいわば完全版ということになる。主に、前作でほとんど捨象されていたリンさんのエピソードを全面的に加え、夫婦それぞれの過去を見せることで対称性のある物語を再現している。今回はリンドウの青が色彩的に目について、すずさんのタンポポのイメージ(黄色)と対照的に感じられた。またすずさんも今回はより大人の女性としての姿を見せている(こんなにエロいとは思わなかった)。ちなみに、これだけ長尺でもまだ省略されているエピソードがある(ミヨセンセーノハゲアタマなど) 前作を含む映画版の特徴として、原作で読者の読み込みに任せていたところをわかりやすく示すということをしているが、ただこの新作版で伯父夫婦の語った周作の過去などは、適当に想像しておけば済むことなのでやりすぎだ。また原作に出た事物を別のところで出している例もあるが、「愛はいずこにも宿る」(「どこにでも宿る愛」)という言葉に関しては、個人的感覚では結果的に得られた感慨として扱うべきものであり、途中で安手の格言のように語らせたのは残念だ。 その他前作になかった点として、広島に救援活動に行った人々(伯父や知多さん)のその後の健康状態に触れた場面もあった。また「狸御殿」の様子(顔)をいかにもそれらしく描いていたのは笑った。 なお前作と共通だが、原作で終盤にあった「記憶の器」という言葉を、映画では「笑顔の容れ物」に変えていたのに今回気づいた。真意は多分同じと思うが、原作段階では亡くなった人々の記憶を背負って生きる義務を自ら課すという悲壮感のようなものも感じたのに対し、これを変えることで、亡き人々を暗い記憶の中に封じ込めるのでなく、あえてこの世に祝福されていた存在として記憶にとどめようとする意志が明瞭になっていた気がする。残った人々もこれからできる限りの笑顔で生きていこうとするのだろうし、エンディングで水玉模様の服を作る絵からもそのように信じることができた。 現実問題として、みんなが笑って暮らせるわけではないのは当然のことである。しかし時代や場所や境遇の差はあるにせよ、人というのは誰しも常に笑いを求めているのではないかという気もする。日常的な暮らしの中の笑いというのは、いわゆる普通の幸せの実体をなすものではないかという気もして、自分としてもそういうところをないがしろにしてはいないか、と反省されられた(態度を少し改めることにした)。今回は戦争と無関係に個人レベルのことだけ考えてしまったが、そこがこの物語の持つ力ということだ。 完全版とはいえ全面肯定でもないので満点にはしないが、ちなみにコミックレビューの方は10点にしてあるので、それが本来の点数である。[ブルーレイ(邦画)] 9点(2021-01-02 10:26:08)(良:1票) 《改行有》

264.  夕凪の街 桜の国2018<TVM> 《ネタバレ》 NHK広島が制作して2018/8/6に放送された特集ドラマで、現在はNHKオンデマンドで見られる。ちなみにタイトルバックの空撮では、手前に「この世界の片隅に」に出る江波山も映っている。 原作と比較すると、現代パートを2004年から2018年にずらしているのが最大の違いである。つまり「桜の国(二)」の出来事が2004年には起こらず、形を変えて2018年に起きたことになっている。主人公の石川七海は40過ぎ(独身)、また広島への同行者は弟の娘の石川風子という人物(高校生)になっており、昭和30年の皆実から姪の七海へ、そこからまた姪の風子へとつながる形を作ったらしい。風子という名前は、皮肉をいえば昔の記憶が風化してきたという意味かも知れないが、真面目にいえば凪のあとにまた新しい風が吹き始めたという感じを出している。なおその母親である東子さんは顔が出ないが、原作の出来事がなくても結婚できたようで、いまは看護師長だそうである。 全体構造としては「桜の国(二)」に相当する現代パートを軸にして、途中に「夕凪の街」をほとんど全部入れており、終わりの方で端折り気味ながら「桜の国(一)」も扱っている。2007年公開の実写映画で現代パートが不要とまで酷評された難点は改善され、一応それほど違和感なく全体を72分に収めた形になっている。 原作にない部分としては「桜の国(一)」の途中に、いわゆる「原爆スラム」に関するエピソードを加えている。これはストーリーの説得力を増す意味はあるようだが、ほかに何か世間的な配慮の必要でもあったのかと思った。一方で登場人物が東京へ帰らないまま終わり、原作で非常に印象的だった「決めたのだ」の場面はなく、そもそも桜は申し訳程度にしか出ない。 ただ全体的に、原作にある個別の場面や台詞はかなり生かしており、また西武鉄道とか西東京の病院とか、「…のだ」「それよか…」といった言葉づかいからも、原作読者に気を使っている様子は見える。ワンピースを作る場面では、原作の可愛らしい絵柄を再現できていたようで嬉しくなった。 物語の面では、やはり「夕凪の街」の印象が強くなっており、「桜の国」の方は主人公の心のわだかまりが曖昧なためそれほど感動的でもない。ただ高校生の姪が、墓地で故人の没年月日を見て「本当にあったことなんだね」と言ったのは、年長者には“今の若い者は…”と嘆かれるかも知れないが、自分が現地で実際に見てもそう思うかも知れないとは思った。世代も変わって記憶が途切れそうだったところを、若い人を含めてしっかり思いを受け継いだ話になっており、広島のNHKが8/6向けに現代の感覚で作る、という条件下では悪くないドラマだったかも知れない。 なお登場人物としては、皆実役の女優は2007年の映画より個人的に好きだ(アイドルっぽくはない)。また小芝風花さんの熱演場面は新作エピソードに置かれていたが、その後の「誰も来てんなかったね」の台詞もちゃんとあった。[インターネット(邦画)] 7点(2021-01-02 10:26:05)《改行有》

265.  花嵐の剣士~幕末を生きた女剣士・中澤琴~<TVM> 《ネタバレ》 NHK・BSプレミアムで2017/1/14に放送したドラマである。現在はNHKオンデマンドで見られる。 主人公の中澤琴という人は幕末に剣士として活躍した実在の人物である。出身は上州(現在の群馬県沼田市)で、このドラマ製作の前年には地元で「お墓が建立されました」とのことである。剣も強いが長身で美形の“男装の麗人”的人物だったようで、ひところ言われた“歴女”好みのキャラクターということかも知れない。伝えられているとおり薩摩屋敷で踵を斬られる場面が入っており、また一生独身だったとされることの背景も何気に語られていたようだった。 この主人公が参加した「新徴組」というのは、京都の新撰組と並ぶ江戸の浪士組だというのは知っていたが、それをまともに取り上げたドラマは初めて見た気がする。鮮やかな紅色のかたばみ紋が見えたほか、「おまわりさん」の語源だったことにも触れられていた。 物語は、幕末に京都に集められた浪士組が後の新撰組と新徴組に分かれたところから始まる。主人公が兄とともに新徴組に加わり、江戸で活動してから戊辰戦争を経て上州へ帰郷するまでを扱っており、三田の薩摩屋敷への討ち入りが全体の山場になっている。なお開墾に従事する場面はない。 ドラマ的には、主人公が自分と剣とを切り離せない状態から、自分が何のために剣を生かすのかを悟る過程になっていたらしい。薩摩方が起こした騒乱で、庶民が泣かされるのを見かねて参戦したのは心正しい人物像の表現になっている。「剣は、いつかそれを捨て去る時のために使う」という台詞もあったが、少なくとも国内的にはそれが実現して終わったことになる。 なお浪士組を集めた清河八郎という人物のことは実はよく知らなかったが、「攘夷とは…暮らしだ…」という台詞からすると立派な人物だったらしい。攘夷というと過激なようでも、本意はそのように解されるということなら共感できる。その意図が兄を介して主人公に引き継がれたようで、それがまた上州に伝わる「法神流」にも通じるところがあったのかも知れない。 登場人物としては坂本龍馬なども顔が出ているが、沖田総司の兄に当たる人物も新徴組にいたとのことで重要人物の扱いになっている。主人公はきりっとして嫌味のないのが好印象で(少女時代から強そうだ)、「見とれてしまった」という台詞は意味不明だが少し笑わせた。ほかにも葭町の姐さんとか訳ありの女とか千葉道場の娘とか人物が多彩で楽しめる。終盤で出た甥の表情も面白かった。[インターネット(邦画)] 6点(2020-12-26 15:29:55)《改行有》

266.  コワイ女 《ネタバレ》 題名を全体テーマにした3話オムニバスのホラーである。以下個別に書く。 【カタカタ】 バケモノの顔を見て最初はコメディかと思ったが、その後は特に笑えない。ラストは意外だったが別に驚くようなものでもない。かなり前に一度見た時のメモには「女子高生には全く見えない」と書いてあったが、そんなことを記録して何の役に立つかと今回思った。 なお個人的には中越典子さんを見ているのが好きなのでその点はよかった。色っぽい場面は特にないが脚はきれいに見えた。 【鋼】 かなり独創的。上の口と下の口という言い方があるが、下だけで上も兼ねているようなものか、または下だけあれば上など飾りですということか。中身はドロドロだとか針を飛ばして来るなど、荒唐無稽に見えても意外に現実に基づいた戯画化を意図したようでもある。 女優の菜葉菜という人の公式プロフィールでは出演作で『「鋼」ヒロイン』と紹介されているが、ヒロインであるのに最後まで顔を見せないのはひどい。と思ったら写真の顔が本人だったらしい(かわいく写っている)。下半身だけでのキャスティングでもないだろうが、かなり適役の体型であることはわかる。特に序盤で動きがかなりハードなので、こんな所から転げ落ちて本当に怪我をしたのではと心配になった。エンディングでは涼やかな衣装で踊りながら何度も回転していたが、目が回って倒れる直前でカットされているのは笑った。 【うけつぐもの】 「監修 清水崇」と出る。真面目な話なのはわかるが意味はわからない。 愛する者が自分を裏切って去ることを主人公が恐れていたのだとすれば、直前の離婚が影響していた可能性はある。また娘は対象外だった(2代続けて)ことからも、息子に対する近親愛とか小児性愛的な感情はあったかも知れない。しかしそれにしても今この段階でこういう行動に出ることに説得力がないわけだが、それを要は呪いのせいだということで正当化しているのか。オムニバスの1エピソードとして甘く見ていたので見落としがあるかも知れないが、ちょっと納得しかねる話ではあった。 なおホラーの作り方として、出来事の顛末を全部見せずに切り上げるのは嫌いでない。また主演の目黒真希という人はなかなか魅力的な女優さんだった。 以上、全体的にはそれほどでもなかったが、顔の見えない菜葉菜さんのためにもそれなりの点をつけておく。ちなみにこの人がちゃんと顔出ししている映画も見たことはある。[DVD(邦画)] 5点(2020-12-26 15:29:53)《改行有》

267.  宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟 《ネタバレ》 オープニングの止め絵とバイオリンが軽薄な感じで、いかにも番外編的なのが期待感を減衰させる。 本編に関しては、斉藤に始まって斉藤に終わるという趣向は面白くなくはない。また序盤のラブコメ展開が可笑しく、山本玲もなかなか可愛いやつだと思わされる(前作でも可愛く見えたが)。中盤の大和ホテルは明らかに脱線のようだったが、終盤では銀河スケールに広がる異種族間での交配が可能な理由を説明していたようで、これはシリーズ初のことと思われる。 ところで劇中のバーガー氏は老けて見えるが、設定資料によるとまだ27歳(地球年齢換算)とのことらしい。この男の荒んだ心を和ませて、異種族間でもわかりあえるとの実感をもたらしたのが桐生美影嬢(18歳)の存在だったのだろうから、どうも今回は“かわいい女の子が宇宙を平和にする”というようなのが主要メッセージだったと解される。わが国のカワイイ文化が宇宙を席巻する時がいずれ来るのかも知れないが、そういう面でガトランティスは全く可愛気のない種族であるから、滅ぼしてしまっても一向に差し支えないという気分になる。もしこの延長上で続編を製作するのなら、次はガトランティス人のかわいい女の子も出して、最後は平和に収めるのが望ましい。 なお続編に関していえば、現実問題として波動砲が使えないヤマトのままで続編を作ることなどありえない、ともいえなくはない。前作のような経過で封印したからには、これを復活させるとまるで日本が核武装したかのような印象を生じるわけで、それでもやるというならやってみろ、という感じだが、とにかく愚行は繰り返さないと約束したのだから守るよう期待したい。 まあそれはそれとしても今回は見事に枝葉というか、2199の枠から逸脱しない範囲で収めた形になっており、これは自分としても感謝しておかなければならないかも知れない。ラストで「俺たちの銃は、同胞に向けるためにあるんじゃない」に続けての「ヤマトです」は、ベタではあるが泣かせるともいえる。エンディングテーマの最後のフルートが余韻を残す終幕だった。[DVD(邦画)] 6点(2020-12-19 08:58:20)《改行有》

268.  WAR OF THE SUN カウラ事件-太陽への脱出 《ネタバレ》 カウラ事件とは太平洋戦争中の1944年8月に、オーストラリア国内の捕虜収容所から日本兵が大挙して脱走した事件である。この映画はその事件から始まるが、事件自体の描写というよりも、事件の場を借りた戦争と人間のドラマになっている。 映画の中心になるのは日本兵の田中マサルと、近隣に住むオーストラリア人の主人公の交流である。日本人が従軍したのは第二次世界大戦、オーストラリア人は第一次世界大戦という形でずらすことで敵味方の対立関係を弱めている。また残虐無比なはずの日本兵の田中が実は人を殺したことがなく(多分)、オーストラリア人の主人公の方がよほど人を殺してきたというのもいわば逆転の発想である。 物語は日豪の意識の違いを軸にして展開するが、まず問題になるのは“生きて捕虜になるな”という日本側の規律である。当時の人命軽視の姿勢が非難されるべきなのは間違いないが、しかしこれを“決死の覚悟で戦え”という意味に解すれば、豪側の“逃げずに最後まで戦え”とほとんど同列の戦時道徳であり、特に優劣を語るようなものではないようでもある。 また日本兵の田中が自決した者に敬意を払っていたのは、自ら死ぬことが本人にとってどれだけつらいかと思うからとのことだった。単に自分が死にたくないことの裏返しではあるが、それを他者にも敷衍することで、生命の重さをより強く感じていたとも解される。一方その田中が戦友の生命を断ったのは、本人の意向を受けて、相手の思いを自分の思いに優先させたからに違いない。あるいは単純に人を殺さない、または断固として延命させるといった普通一般の倫理規範を越えて、人としての尊厳を守ろうとしたのではなかったか。 これに対し、逃げられない主人公にとっての第一次大戦は今も終わっておらず、助けられなかった戦友や殺した敵兵の亡霊(幻影)に苦しめられ、怒りだけが生きる糧というのは戦争犠牲者の一つの姿といえる。そのほか故郷に身寄りがなかったらしい日本兵の山本は、自殺に理由を求めていただけの寂しい男ということになるかも知れないが、主人公の境遇(生き地獄)とどちらがましかは何ともいえない。 結果的にはよくわからないが、ここから何らかの確定的な結論を導くというよりも、日豪の人々がわかり合える接点を探るための映画なのかと思った。そうだとすれば、カウラの日本人墓地がその後に日豪交流の象徴的な場所になったことにふさわしい映画かも知れない。娯楽性は全くないが極めて真面目な映画のようだった。 ちなみに劇中の日本兵はオーストラリアで活動している日本人役者とのことで、日本語には全く問題がなく、逆に英語を話せるのが不自然だった。[DVD(字幕)] 7点(2020-12-19 08:58:16)《改行有》

269.  オーストラリア(2008) 《ネタバレ》 序盤からのめまぐるしい展開でコメディ調の細かい場面を連ねていくのが苛立たしく、人物紹介を字幕で読み取るのが困難なのも最悪だ。その後の物語も上滑りで薄っぺらい感じだったが、最終的には根強い男尊女卑を解消し、また先住民の虐待についても懺悔した上で理解し合い、さらに何気に見えた他のアジア系マイノリティとも共生しながら、明るい未来が開けていきそうなハッピーエンドにはなっていた。 史実との違いに関しては、個人的にはポート・ダーウィンになぜかアメリカの戦艦のようなのがいるとか(籠マストと三脚マスト)、日本の艦上攻撃機がなぜか魚雷を積んでいるのは真珠湾攻撃かと思った。ちなみに艦載機が好んで地上の人間を銃撃するなどはアメリカ軍のやりそうなことである。 ところで歴史的観点からいえば、2007~2013年の労働党政権下で作られた国策映画かと思った。題名が国名そのままなのは、当時の政権にとってこれがいわば正史という意味と思われる。ラストのテロップで「2008年、オーストラリア首相は…」と出たように先住民尊重の姿勢だったようだが、日本人の立場からは何かと反日傾向が目立つ時代だったように記憶しており、この映画に関しても、他のレビューサイトなどでは許しがたい反日映画として激しく怒る人々が多かったようである。 ただし今回自分が見たところでは、正直それほど極端な反日映画には見えなかった(最悪なのは他にある)。日本軍がなぜか先住民(混血)の子どもらを掃討しようとする場面があったが、これは迫り来る戦争の脅威ということを映画的に(=現実性度外視で)表現したという程度の印象だった。またそれ以前に劇中では、現地の白人が先住民の女性を性奴隷のように扱う習慣があったことが語られていたが、それに比べればまだしも日本は邪悪とも見えず、いわば一般論的な敵国扱いのようだった。 確かに昔はオーストラリアの国全体が反日に見えた時期もあったが、実際のところは親日も反日もはっきり決まっていない人々が大多数と想像されるので、こんな映画であまり反感を募らせない方が無難とはいえる(国民同士を反目させて離間を図るという政治的意図もありうるわけなので)。映画としてはやたらに長いこともあって二度と見る気にならないが、あまり角が立たない程度の点数にしておく。[インターネット(字幕)] 4点(2020-12-19 08:58:13)《改行有》

270.  スターシップ9 《ネタバレ》 製作国はスペインとコロンビアということになっている。役者はスペイン人だが撮影はコロンビアが中心らしい。 ジャンルとしては一応SFといえなくはなく、冒頭をALIEN(1979)風の映像にしてそれらしくみせている。背景設定としては近未来、地球の環境悪化で人類の存続が危うくなり、別の惑星に移民しようとしている状況が語られている。移住先は字幕によれば「GJ909」とのことだが、これが現実にあるGJ909とすれば惑星ではなく恒星ということになる(三重星系)。距離は35光年くらいらしく、一応は近傍の恒星という扱いではあるようだが、もっと近いところにないのかとは思った。 その恒星系に人類を移住させるため、10人の男女が実験体にされて人生を犠牲にするはずだったが、その1人だった主人公がたまたま出会ったエンジニアに助けられ、最後はかろうじて未来に希望をつなぐことができたということらしい。あるいは、たまたまでもなく初めから狙っていたところもあり、途中の波乱はあったが最終的には当初想定を上回る結果が得られたようでもある。感動するかどうかは別として、一応のハッピーエンドらしい結末にはなっていた。 しかし落胆要因として、どうせVFX満載の超大作などではないだろうと最初から思ってはいたものの、意外にも予想をさらに下回る小スケールのSF映画になっている。その点の不足を人間ドラマの充実でカバーしてもらえばよかったが、序盤で真相が明らかになってからも大した盛り上がりもないまま終わってしまう。変にアクションで見せようとする場面もあったが、場所柄のせいで麻薬組織の武装要員に追いかけられるだけのようでスリリングでもない。 個人的にはあまり褒める気にならない映画だったが、悪名高いコロンビアのメデジンという場所が見られたのは有益といえなくはない(首都ボゴタでの撮影もあったようだが)。また黒い眉が印象的な細身の主人公と、それなりの年齢だろうが艶めかしさを失わないカウンセラーの女性が目を引いたというところに少し点を入れておく。[インターネット(字幕)] 5点(2020-12-12 08:26:46)《改行有》

271.  イカリエ‐XB1 《ネタバレ》 アメリカ公開時の題名は “Voyage to the End of the Universe” とのことだが、実際それほど大がかりな宇宙旅行でもない。要はお隣のアルファ・ケンタウリ系(4.3光年)が目的地とのことで、人類初の恒星間飛行にふさわしい無難なスケールである。宇宙船内では往復で2年だが、地球では15年が経過するという設定になっている。 モノクロ映画だが、白黒というより銀と黒の陰影が際立つ映像になっており、舞台装置も当時なりに洗練された印象がある。メカニックデザインもそれほど悪くなかったが、宇宙船が飛ぶ場面の操演?はちょっと感心できなかった。 SF的なアイデアとしては、ロボットというのはもともと人間全体を模したものだったが、22世紀のロボットは専門分野に特化しているという話が出ていたようだった。その考え方自体は正しいだろうが、現実には20世紀のうちから機能別のロボットは作られていたのに対し、人型のロボットは21世紀になっても普及していないので未来予測としては外している。ちなみにチェコスロバキアはロボットという言葉の発祥地である。 イカリエという言葉は意味不明だが、英題のIcarusからするとギリシア神話で太陽に近づきすぎて墜死したイカロスのことだろうから、どちらかというと不吉なネーミングである。映画自体も冒頭から不穏な雰囲気を出しており、暗めの映像や耳ざわりな未来っぽい背景音楽が心を乱す。物語が始まると乗組員の談笑風景などもあるが心和むようなものでもなく、楽しいはずのパーティ場面でもダンスミュージックが何とも奇妙で不安感を催す。 そのうち危機的な事件が続けて発生し、その場では何とかなるものの、最後がどうなるかは予想できずに気が抜けないが、やっと最後の数分間で、それまで出ていた伏線を生かして感動のラストにつなぐ形になっていた。結果としては全体を不安なサスペンス調にしておいて、最後に逆転を置く構成だったらしく、制作側が意図したであろう未来への希望を素直に感じさせる映画になっていた。 なお2163年の人々は20世紀を嫌悪すべき時代として記憶していたらしいが、その20世紀のうちにチェコとスロバキアも民主化して自由な時代が来たわけなので、全部が全部暗黒の時代だったというわけでもない(当然だ)。劇中人物が20世紀のいいところとして、スイス/フランスの作曲家アルテュール・オネゲル(1892~1955)の名前を挙げていたが、個人的に馴染みがない作曲家なので後で少し聴いてみたりした。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2020-12-12 08:26:44)(良:1票) 《改行有》

272.  ファンタスティック・プラネット 《ネタバレ》 最初のうちは嫌悪感が勝るが、見ているうちにこの世界の変な描写自体が最大の見所かという気はして来た。変な生物や変な現象を変なキャラクターが自然に受け入れている変な世界ができている。明瞭な地形のない平原に変なものが散在している風景は、自分としては諸星大二郎の異世界ファンタジーを思い出した。 特に変な生物描写にはストーリー上の必然性もなく力が入っていたようで、粘液を落とすとかハサミをガチガチするとかハエ叩きのようなのとか、危険そうでいて危険なのかわからないのが多いのは笑う。普通に他の動物を食うのもいたが、食虫植物のように見せておいて実は捕えて殺すだけなど、こんな連中で生態系など成り立つのかと思った。アニメながらも可愛いものは出て来ず、また死んでいく生物を可哀想と思うまでもなく、ただ無心に生きて死んでいくのは現実世界と同じだろうから、悪趣味に見えても特に悪気はないようでもある。 青い巨人も基本的に気色悪い連中で、最初に主人公を救ったのは一応可憐な少女だったのだろうが(ナウシカ?)、そのうち可愛く見えて来るかというとそれほどでもなかった。科学技術も奇想天外だが、人間絶滅作戦のためにいろいろ考案していた新兵器は、害虫駆除を目的としたものとしては大変よくわかる。ちなみに各種動植物のサイズを見ても、この世界の人間は本当に昆虫のような存在だったらしい。 物語としては、要はかつての植民地の住民をフランス人に置き換えた話ではないかと思った。最初は昆虫のように扱われていたが、やがて教育を受けた者が中心になって植民地支配を離れたという、実際の世界史的な流れを背景にした展開に見える。わりと素朴なヒューマニズムが背景のようでもあるが、逆に植民地時代には本当に住民を昆虫のように思っていたのか、と突っ込まれそうではある。その後も巨人と一緒に住む人間もいたとのことだったが、後々トラブルを生じないよう共存してもらいたい。 なお人が戦う代わりに「闘獣」に戦わせるのは人道的かと思ったが、結局人は殺されてしまい、残った獣までも殺されていた。生命あるものを全て大切に、という文明的な状態には至っていないらしい。[ブルーレイ(字幕なし「原語」)] 6点(2020-12-05 08:29:49)《改行有》

273.  かたつむり 《ネタバレ》 「ファンタスティック・プラネット」(1973)のついでに見た。ちなみにこれを見て、エスカルゴescargotというのは料理用語という以前に、カタツムリそのものを意味する単語だとわかった。 冒頭で提示される世界像が奇抜なので「ファンタスティック…」のような異世界ファンタジーかと思ったが、その後はあまり変なキャラクターはおらず、基本的にはその辺にあるものが出て来る。自分として思ったのは結構怖い怪獣映画のようだということで(例:「ウルトラQ」(1966)の「ゴーガの像」)、昔の邦画特撮でも時々あったが、人が食われる怪獣モノは子どもにはトラウマ映画になりそうなところがある。下着姿の半裸の女性が好まれていたのは意味不明だが、これは世紀末的な頽廃の表現ということか。 物語としては支離滅裂なようだが何か意味があるような気はした。農村と都市の対立関係とも見えたが、監督インタビューによれば本人が共産主義に心を寄せていたとのことで、どうもこれは革命の話ではないかと思った。苦境に泣かされる農民の怨嗟が原因になって最初の“エスカルゴ革命”が起きたが、それで資本主義が滅びたわけでもなく、一方で革命は形骸化してモニュメントだけが残り、そのため次の“ウサギ革命”が準備されているという意味かも知れない。あるいはそれと無関係に、農民の営みはいつまでも変わらない、というようでもある。そういう社会派的な深読みもできなくはない短編だった。[ブルーレイ(字幕なし「原語」)] 5点(2020-12-05 08:29:38)《改行有》

274.  テリファイド 《ネタバレ》 場所はブエノスアイレスだそうだが都心ではなく南米風にも見えず、戸建てが並ぶ郊外の緑豊かな住宅地である。日本でいえば呪怨の家で、事故物件住みます中高年のようなことをやっている印象だった。若い女性は出ないので、そういう面での彩りはない。 ホラーとして特に独創的に見えるところはなく、怖さを突き詰めようとした感じもないがまあ悪くない。看板娘的な存在のはずの裸体のものは、見えたり見えなかったりする設定のためか意外に出番が少なかったが、少し離れたところから見えると言ったとたんに迫って来たのは、見たな~という感じで悪くない。物静かなゾンビ少年も悪くなかった。 出来事の原因に関しては、偉そうな博士が何か適当に説明していたが荒唐無稽で聞く気にならない。こんな説明ならなくていい。 それより個人的には初老の男の意見として、見なかったふりして放置するのがいい、と述べたところに共感した。しかしその男が後で目をやられていたのは、見ようとしないのなら目など不要だろう、という皮肉な意味だったかも知れない。また主人公らしき男が、見えていたものを見えなくした(隠した)ことを微妙な関係の女性に咎められていたが(連れ子は見たくないという意味?)、その後に一度逃げてからまた戻っていたのは、もう見えないふりをせず、正面から対決しようと決心したということか。 どうも見える/見えない、あるいは見る/見ないの対比にこだわった映画にも見えたが、少なくとも自分には意味不明瞭なまま終わってしまった。とりあえずヤバいものはやはり見ないことにするのが基本ではないかとは思うが、見ないでいると致命的な結果に至ることもあるとすれば一般論ではなかなか語れない。ちなみに怖いのが嫌ならこの映画は見なくていい。 全体としては、悪くないとはいえるが意味不明なところもあり、絶賛するほどではないが嫌いでもないので悪くない点にしておく。なおハリウッドでリメイクされる予定はどうなったか知らないが、それとは別にこれ自体の続編も準備中らしい。今作のラストから直接つながる形になるそうで、そういえば最初から続きを予感させる背景音楽のようではあった。[インターネット(字幕)] 6点(2020-11-28 08:54:17)《改行有》

275.  トゥルース・オブ・ウォー 《ネタバレ》 1982年のフォークランド紛争の映画で、原題の「神のみぞ知るアルゼンチン兵士」は無名戦士の墓碑に書かれた言葉を意味している。なお主人公は1963年生まれとのことで、現在なら50代後半になっている。 配給元は派手な戦争映画として宣伝したいようだが、戦争映画としての効用はほとんどない。シュペール・エタンダール攻撃機もエグゾセ対艦ミサイルも駆逐艦シェフィールドも見えず、アルゼンチン巡洋艦ヘネラル・ベルグラーノが撃沈されたことだけ言葉で説明している。少人数の陸軍兵が中心だが、変なところで無駄に発砲して無益な殺生をしているようにしか見えない。 後半は戦後の人間ドラマになり、復員兵の苦しみと遺族の憤りが描かれているが、最後は適当に納得してハッピーエンド風で切り上げるのが軽薄な印象を出している。なお全体として静かな雰囲気の映画だが、それは戦闘場面に金をかけられないのと、当時は国民自身が戦争を叫んで盛り上がっていたことを捨象したからだと思われる。 ところで当時の記憶は不正確だが、歴史的な主張はともかくこの時点では、アルゼンチン側が勝手な都合で一方的に侵略戦争をしかけたようにしか見えなかった。独裁政権の思惑に乗せられて、国民自身が嬉々として志願して負けて帰って傷ついたと泣いているなどアルゼンチン国民はバカではないか、というのが当時の率直な印象である。主人公が「独裁政権と同じ扱いにされてる」と嘆いていたが、自分としても全くそのように思っていた。違うのか。 この映画の立場では、昔のことは独裁政権のせいで国民は専ら被害者という扱いらしく、確かに意に反して従軍した人々がいたなら気の毒だ。しかし、遺族感情を慮って死者の名誉を回復するまではいいとしても、島をわがものにしない限り死者は浮かばれない、というように取れる台詞が入っていたのは共感できるものではない。こんなことを繰り返してはならないと訴えるより、彼らの死を無駄にしてはならない(次はもっとうまくやる)というようなものではないか。少なくとも日本でいう反戦映画では全くなく、逆に国民を新たな戦争に駆り立てかねない映画になっている。 結果的には2010年代以降、現地政府がこの問題を蒸し返そうとしている政治的な動きを反映した国策映画かと思った。植民地主義を糾弾する体なら何をやってもいいことにはならない。自分としては毅然と対応したイギリスの立場を今も支持している。[DVD(字幕)] 2点(2020-11-28 08:52:05)《改行有》

276.  蛇女の脅怖 《ネタバレ》 知っている者にとっては有名な蛇女の映画である。昔の日本では、この映画や前作の「吸血ゾンビ」(1962)が「怪獣ゴルゴ」(1961)などと並ぶ特撮映画の扱いで怪獣図鑑に掲載されていた。自分としてはこの映画の説明を読んで初めて「ボルネオ」という地名を覚えた気がするが、かつてのイギリス植民地とすれば現在はマレーシア領になっている地域のことのようで、劇中の不気味な東洋人も役名がMalayになっていた。 前作に続いてまたコーンウォールの話であり、さすがイギリスの隅の方だけあって何が出るかわからない不気味な地方という印象が出ている。撮影も同じ場所とのことで、酒場とか墓地とか邸宅など見覚えのある風景が出るほか、名前を知っているとか墓を掘り返すとか火事になるとか似たような展開も見える。急造映画のためか前作よりも単調な物語のようだが、ただし原題には雌雄の別がないので、最初は不気味な東洋人が蛇男のように思わせておいて実は意外な正体だった、という意外性はあったかも知れない。 また、自分のせいかも知れないが意味がよくわからない場面もあり、客間で楽器を弾いた場面で父親が激怒した理由は何度見てもわからない。酒場の主人が夫妻の飲物に入れたのが何かも不明だったが、結果的に悪意があってのことではなかったようで、これは睡眠薬でゆっくり寝せようとしたのだと思っておく。なお、いくらヘビでも冷気に当たっただけで死んでしまうというのも何なので、ここでは活動力だけを失って、その後に火事で焼け死んだと解釈しておく。 ほか前作もそうだったが、イギリス社会の「旦那」と庶民の区別が窺われる映画ではあった。 キャストに関しても、巡査→酒場の主人など前作と同じ役者が出ている。個人的には、前作でも印象に残ったジャクリーン・ピアース嬢が最大の見どころで、特に楽器を弾く場面の表情が非常に魅惑的なので惚れてしまった。 また人間以外では、哀れっぽく鳴くネコが助かってよかった(制作側に忘れられたのではないかと思った)。[DVD(字幕)] 4点(2020-11-21 14:20:20)《改行有》

277.  吸血ゾンビ 《ネタバレ》 今のゾンビよりも本来の姿に近いものらしい。原題のplagueは疫病を思わせるがウイルス性ではなく、ちゃんとブードゥーなるものの儀式で一体ずつ作っていく形になっている。邦題の「吸血」は実際にはないが、呪いをかけるのに血液を使うところはあり、また墓から出るのが吸血鬼ドラキュラのイメージではあるかも知れない。 なるほどと思ったのはゾンビの製造に実利的な目的があったらしいことである。安価な労働力と思ったとすれば悪徳資本家というしかないが、しかしあらかじめ持っている人形の数しかゾンビが作れないのでは限界がある。また目をつけた美女を自分のものにするために人形を使っていたらしいのは資源の無駄というか悪趣味というしかない。 物語としては、一応ちゃんと作っているようだが何となく回りくどく、終盤の展開も手が込んでいるようだが若干面倒くさい。しかし今回のヒーロー役らしい老教授の場面では、娘の尻をどけようとするとか皿洗いとか少し笑わせるところもあり、また墓を暴いた場面で警官も一緒になってのビックリ感は少し印象的だった。最後は教授の娘が若い医師の後妻に入りそうな雰囲気もあったので、どさくさ紛れに親友の夫を横取りしてしまう物語のようでもあった。 登場人物としては、次回作の「蛇女の脅怖」(1963)にも出るジャクリーン・ピアース嬢が可憐な感じで心に残る。顔は青くなっても瞳は大きいままで可愛いゾンビだった。 ほか勉強になったのは、イギリスのコーンウォールという地方が錫(Sn)の産地だったということで、2006年には「コーンウォールと西デヴォンの鉱山景観」がユネスコの世界遺産に登録されている。劇中年代としては自動車もなく電気も通じていないようだったので19世紀のうちかと思うが、その頃すでに鉱山の衰退期に入っていたことを採掘場の廃墟が象徴していたようでもあった。 もう一つ余談として、ここに書く必然性はないが毎度思うのは、最初から火葬にする風習がある場所ならこの手のゾンビも吸血鬼も問題化しないだろうということである。キリスト教の神は全能なので、死体があろうがなかろうが復活させてもらえると思っては駄目なのか。[DVD(字幕)] 5点(2020-11-21 14:20:18)《改行有》

278.  悲情城市 《ネタバレ》 最初が日本語で始まるが、その後も日本の言葉や漢字の日本語読みが結構聞こえる。ヒロインも「にいさん」のような呼び名を常用しており、また主人公の林文清のことは「きよしさん」と呼んでいた。そもそも兄妹の名前からして日本語読みできるよう付けられており、生家がかなり親日的だったと想像される。 主人公の生家である林家は財力のある在地の有力者のようだが(日本人の感覚ではヤクザに分類?)、ヒロインの実家である呉家もお堅い旧家か何からしく、子弟の教育水準も高かったようである。戦前は、林家は日本(というより統治体制か)に反発し、逆に呉家は親和的だったようだが、その違いが何か対立を生んでいたわけでもない。戦争では1人が帰還せず、戦後は大陸の密輸業者とのトラブルや共産主義者の弾圧で家族が失われ、先行きは明るくなかったようだが特にはっきりした見通しもなく終わる。結局何がいいたいのかと考えさせられてしまうが、監督インタビューを見たところでは、それまで隠されてきたこの時期のことを人々が改めて回顧するという意義はあったらしい。昔を知らない世代にも、当時の社会の有様を伝えるものになっていたと思われる。 またこの映画ができたのは、1987年に台湾で起きた大きな政治的変化のおかげとのことだが、その変化は単に映画製作の好機というだけでなく、現在の民主的な政治体制につながる歴史的な大事件のはずである。この映画は大陸側の勢力に一方的に支配される形で終わったが、今の台湾がこれからどうなるかは今いる人々が自らの意思で決めるべきことであり、それを改めて認識させる映画だとは思わされた。日本人にとっては他国の問題だが、かなり気になることではある。 登場人物に関して、まず序盤で出た静子さんは上品なお嬢さんだったが、こんなカワイイ系美女が当時の日本にいたか??という意味でも目を引いた。ヒロインの寛美さん(寛美ちゃん)の方は少し地味かと思ったが、よく見れば清楚で優しげで可愛らしい人である。男連中が政治談議をしている脇で、清さんと一緒に「蘿蕾莱」を聴く場面には和まされた。控え目で古風に見える女性だったが、主人公も悪気の全くない温和な男で、この2人が作った穏やかな家庭のはかなさが切ない映画ではあった。 ちなみに筆談の字幕が無声映画のようで、過去を回顧する映画にふさわしい雰囲気を出していたかも知れない。[DVD(字幕)] 8点(2020-11-14 09:25:43)(良:1票) 《改行有》

279.  北京の55日 《ネタバレ》 冒頭いきなりそれらしく作った城壁や街並みに驚かされるが、その後も巨大な楼閣が炎上して崩壊するなど、こんなものを実物でよく作ったものだと思わされる。壁に「殺」「焼」と大書されていたりするのが殺伐とした雰囲気を出していたが、ほかにも火薬箱に「容易起火」と書いた紙が貼ってあるなどアメリカ人には読めないわけだ。なお清国人を斬首するのに辮髪を掴んでいたのは使い勝手がよさそうだった。 当時の列強の政策自体はほめられたことではないとして、アメリカだけは別に領土的野心はなかったのだとアピールしていたようである。また清国側が民衆運動を都合よく使って示威行動なり破壊活動をさせていたのを見ると、こういうのは昔からあったのだと改めて思わされるが、その制御を誤ると権力が滅ぶというのが最後の西太后の述懐だったらしい。 列強側は11か国といいながら、アメリカ映画なので米英中心なのは当然として、意外に日本もアメリカ寄りで目立つ場所にいる。これは史実というより第二次大戦後の日本の立ち位置の反映かも知れないが、単なる子分というだけでもなく、いきり立つアメリカを宥めて協調を促したように見える場面もあった。敵の警備兵をカラテで倒したのも日本人ではないか。アメリカ人が英独仏伊には各国語で呼びかけておいて、日本語だけ出て来なかったのはナメられているような気もしたが、けっこう親日的というか変になれなれしい映画には見えた。 基本的には、日頃は利害が対立していても有事には協力していこう(アメリカ主導で)という映画だったようで、昔の日本も孤立して世界と戦うばかりでなく、ちゃんと他国と連携しようとしていた時代もあったというのは悪くない。今はそういうお仲間をどれだけ作れるかが問題だろうが、現実問題としてアメリカを当てにしていればいいわけでもなく、まあ前途多難だというしかない。 登場人物では、﨟󠄀たけたロシア婦人が一応ヒロインだったようだが、それはともかく自分としては、昔の夏帆を思わせる可憐な少女が救われてもらいたいとだけ思いながら見ていた。主人公の少佐に対して部下の軍曹や神父までが、この子にまともに向き合え、と強要していたのは笑った。この少女が幸せになりさえすれば、あとは大清帝国がどうなろうがハッピーエンドということだ。 そのようなことで、結果的にはそれなりに面白い娯楽映画だった。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2020-11-14 09:25:40)《改行有》

280.  大阪少女 《ネタバレ》 監督は本来バイオレンス映画を得意とするとのことで、DVDでも過激な映像が含まれている旨のテロップが最初に出る。場所はいわゆるディープな大阪ということらしく、屋外映像では主に西成区が映っていたように見える。山王2丁目あたりとすれば飛田新地に近く、あいりん地区からも遠くない。 物語としては、現地社会に適応しながら成長してきた少女が、祖母に任された家賃の徴収業務と、それに関わって起きたちょっとした出来事(現地では普通にある?)を通じて、社会性と人間性を向上させた話らしい。中学に入ってから1年後とすれば中学2年生ということになる。 最初のうちは主人公の過激な言動が小気味よかったが、次第にこれはやりすぎではないかと思うようになる。「今日から暴力は卒業です」と言っておいて特に変化がないように見えたのは、そもそも何をもって暴力というかの基準が違うということか。ただ人間のクズでもなく滞納もしない相手には、暴言だけで暴行はしないというくらいの違いはあったらしい。 相手構わず凄味をきかせるやり方は、本人がどうみても「お嬢ちゃん」だから通用していただけのことで、相手によってはかなり危なっかしい場面もあり、最後は祖母の人脈と人徳で守られたことを本人も思い知ったと思われる。それでも最後まで口が悪いままだったのは、これが本人のいわばベースラインだったのかも知れない。現地では本当にこれで普通なのか。 ちなみに劇中描写が現地事情をそのまま反映していると思うわけでもないが、もしかすると昔気質の極道の気風(「ゼニカネだけで動いたらあかん」)を解しない外来後発の勢力が波乱要因になることはあるのかと思った。人でなし連中をいきなり埋却処分したのは正直笑った。 全体としてはそれほど大感動というようなものでもなかったが、ただし主人公が、あまりに人情味がなさすぎたかと気にしていたところで、いきなり取り返しのつかない事態になってしまい、さすがに少しこたえたようだったのは若干泣かせる場面になっている。 そのほか単純に面白かったのは、「妄想ノーベル文学賞受賞作家の妄想の娘」(役名)がポルノ小説家のところにも出たことだった。意味は不明だが、個人の妄想が実体化して独立的に活動し始めたということか。それなら「ポルノ小説家の妄想女性」も実体化させればいいだろうがと思った。[DVD(邦画)] 6点(2020-11-07 08:56:55)(良:1票) 《改行有》

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